錯綜する山中2
(うーん、これはまた随分と……)
リンカは胸中で、呆れとも驚愕ともつかない感嘆を零す。とはいえ、それを声に出す事だけは絶対にしない。
その理由は至極簡単で、彼女が今いる場所が敵地の真っ只中だからである。
ヘイが見つけた二人組の盗賊を追跡してみたところ、山の中とは思えない程に大規模なキャンプが設営されていたのである。
周囲を伐採して拡張したとおぼしき広場には、両手の指を総動員しても足りない数の天幕が設置されている。
本腰を入れて頭数を調べたわけではないが、この分では盗賊達の人数も五十人は堅いだろう。あるいはその倍はいても不思議ではない。
霊紋持ちを擁していることから、それなりの勢力はあると睨んでいたが、どうやら想像以上に大規模な盗賊団だったらしい。この様子では、カイエンが撃退した連中も氷山の一角に過ぎないに違いない。
それでもリンカは、髪の毛一筋程の焦燥すら漏らすことなく、ひたすら観察に専念した。
古の賢人曰く、敵を知ることが勝つべくして勝つための第一歩だという。それを実践するかのように、影霊の能力を駆使して巧妙に警戒網を潜り抜けると、身を隠したまま丹念に調査を開始する。
周辺で調べられそうな情報を収集し終えたら潜伏場所の移動。これを繰り返すこと数回、とっぷりと日が暮れた頃合いまで粘り、めぼしい情報をあらかた入手したリンカはようやく本命の調査へと移った。
あちらこちらに点在している焚火の照らす範囲をそろそろと避けながら、物音を立てぬよう細心の注意を払って移動する。
目指す先はキャンプの中心地点だ。勢力や設備、物資の状況や盗賊達の練度はこの目で確認した。残すのはこの盗賊団を指揮する頭脳、首領というわけである。
キャンプは中央へ向かえば向かうほど人口密度が増すため、心得の無い者ならばとうの昔に見つかって袋叩きにされているところだが、隠密に特化した影霊を宿すリンカにとって、日没と共に訪れるこの時刻は最も能力を発揮できる時間帯だ。
気配を漏らさぬよう慎重に慎重を重ねながらも、確実にキャンプの奥深くへと潜入する。
やがて、ぽっかりと開けた空間が彼女を出迎えた。
不自然なほどにそこだけ空間の密度が薄い。これまで通り抜けて来た所に比べて、明らかに閑散としているためだ。
道を塞ぐように所狭しと放置されていた武器やら生活物資の類も見当たらず、踏み荒らされた気配すらもまばらな地表が広がっているのみ。
キャンプという大人数が集うはずの場において、ここだけ人払いがされたかのような錯覚すら覚えそうなほどであった。
その空間の最奥に、一際巨大な天幕が陣を張っていた。
周辺の天幕と比較すれば、一回りどころか二回りは巨大であり、その天幕こそがこの周囲に人が寄り付かない原因であることを、たった一目で強制的に理解させられる。
正確には、人が寄り付かないのは天幕の中にいるであろう人物が原因だ。
何者かは知らないが、巨大天幕からは肌を刺すような殺気が放射されていた。気の弱い者ならば、巨大天幕に足を踏み入れただけで失神しかねないほどである。
霊紋持ち同士の生死を掛けた殺し合いというのならばまだ納得もできようが、常日頃からこの調子なのだとすれば、なるほど仲間であるはずの盗賊団達ですら近寄ることを躊躇うのも理解できる。
しかし、生憎とリンカはその程度の威圧に怖気づくほど、初心でもなければ繊細でもなかった。深呼吸をして無秩序な殺気を受け流すと、意識的には無意識にか纏っている影の衣の濃さを増し、巨大天幕に向かってそろりと一歩踏み出す。
一歩、また一歩、周囲の気配を探りながら接近していく。そうやって半分ほどの距離を進んだその時である。
ひゅっ、だんっ!
空気を抉る乾いた音と、鋭い先端が地面へと突き刺さる鈍い音が、ほぼ一連なりとなって飛来する。
音の正体は一本の矢だ。
どこから放たれたのかを全く悟らせぬまま、歩を進めるリンカのほんの一歩先に矢が降って来たのである。
考えるまでもなく、警告と牽制を兼ねた挨拶である。
「はて、何者ですかな。このような夜分に訪問とは」
声が響く。こちらも矢と同様、どこから発せされたのかは判然としない。
言葉遣いだけを切り取ってみれば丁寧な印象を受けるかもしれないが、その声音には隠すつもりも無い嗜虐の色が滲んでいる。
腐っても盗賊、というところか。
もしも察知された場合、その時点で潜入は諦めようと腹をくくっていたリンカであったが、早々に第二プランへの移行を選択していた。見つかったからといって逃げ出したり、ましてや戦いを挑むような愚策を選ぶことなく、むしろ堂々と声を張る。
「これはご丁寧な挨拶痛み入る。私はサバク盗賊団の首領殿にお話があって参った者だ。取次ぎを願いたい」
独学で修練した発声法により、リンカの口から発せられるその声は、高くもなければ低くもない。つまり、正体の判別には使えない。
影で全身を覆った今の姿からでは、老若男女を区別することも難しいはずだ。正体不明としか言い表せない侵入者からの予想外の申し出に、さすがに逡巡の気配が漏れ伝わって来る。
これぞ必殺、開き直り。
こそこそするから疑われるのだ。見栄と虚勢だって張り通せば、意外とノリだけで押し切れる時もある。残念ながら、どこかの野生児が相手では全く通用しない手法ではあったが。
そんな無言の対峙は長くは続かない。
リンカの策が功を奏したのだ。
「面白い。入れてやれ」
「……承知」
上位者らしき第三の声がリンカの入幕を許可する。
不承不承といった雰囲気ながらも矢を射かけてきた声が応じると、天幕がめくられて中の灯りが零れてきた。
ここまで来れば退くわけにはいかない。リンカは気を引き締めると、天幕の中へと足を踏み入れる。
覚悟を決めて突入した天幕の中は、あえて例えるならば王の居室といった風情だった。
別段、豪華絢爛な内装があるわけではない。流麗優美な品々が陳列されているわけでもない。それにも関わらずそんな印象をもたらしているのは、リンカの正面の寝台に寝そべった一人の男の放つ覇気によるものだった。
見た目の頃は三十代半ば、無頼に伸ばした髪と髭が粗野な印象を生み、リンカを値踏みする鋭い眼光がその印象を補強している。
こうして相対すれば一目瞭然ではあるが、天幕の周囲に充満していた殺気の主はこの男で間違いない。視線の一睨みが剣の一刺しに感じられるほどの暴力的な威圧感だ。
そして最も特徴的な点は、右目の周囲を走る、まるで抉られたような傷跡だろう。かなり古い傷らしく、すでに白っぽく変色してしまっている。右目そのものも眼帯に覆われてしまって確認することは出来ないが、あれだけの傷を負ったのであれば失明していてもおかしくはない。
確証は無いが確信する。この男こそ、サバク盗賊団を腕力によって率いている首領、鎖縛のロウハその人である、と。
さらに視線を巡らせれば、天幕の中にはもう一人いた。
こちらは女性であるが、リンカを睨み付ける視線からは眼帯の男以上の熱を感じる。
全身に纏ったひらひらとした衣装の布は驚くほどに薄く、光に透かせば肉付きの良いその肢体が浮かび上がるほどだ。
そんな扇情的な装いにも関わらず、その女は腰から剣呑な得物を提げていた。独特の反りを持った片手長剣、それを左右に一振りずつ。
独特過ぎるこの格好を見ただけで確定できる。盗賊達の噂話を集める中で何度も耳にしたサバク盗賊団の三本刀の最後の一人、双剣のノコツに相違あるまい。
素早く観察を終えると、リンカはノコツの視線をあえて無視するように無造作な足取りで彼女の目の前を横切ると、寝台に寝転がったまま起き上がろうとしない盗賊達の首領まであと三歩の位置に歩み寄った。
「お初にお目に掛かる、私はギョクレンと申す者です。サバク盗賊団が首領殿とお見受けするが如何か?」
「貴様っ、あたいを無視するどころか、ロウハ様に無礼な――」
「黙れノコツ。俺の客だ」
見下ろした体勢のまま、遜る素振りも見せずに言い放った自己紹介(偽名)にノコツが怒りを爆発させかけるも、機先を制したロウハの一言がすんでのところで抜刀を踏み止まらせる。
一瞬のやり取りで緊張が一触即発レベルまで高まる。
冷や汗を流している内心とは裏腹に、リンカは淡々とした口調で言葉を紡いだ。
「首領殿、私が罷り越したのは他でもない、貴殿と協力関係を結ぶためだ」
「ほう? 言ってみな」
興味を示したらしく、先を促してくる。ひとまず第一関門は突破といったところか。
リンカは唇を一舐めして湿らせると、手早く、しかし焦らないよう注意しながら語り始めた。
「貴殿達の目的が、この山に眠る鬼の財宝だということは知っている。だが、今のこの山には、貴殿達を妨害する存在がいるのだ」
「そう言うってことは、あんたは本当に鬼がいると信じている口ってわけかい」
「否だな。信じているのではなく、知っているという方が正しい。だが、今は関係の無い話だ。私の言う妨害者とは、いるかどうかも定かではないこの山の鬼などではない」
ぴくりとロウハの眉が動く。
それがどういうシグナルかは分からないが、最低限、興味を引けていることだけは確信できたため、リンカはおもむろにその名前を口にする。
「九鬼顕獄拳のカイエン。先頃、東都を騒がせた拳法家であり、昨晩はそちらの誇る三本刀の一人、槍のチョウコツを破った者だ」
背後からノコツが息を呑む気配が伝わって来る。
このキャンプに半日以上潜伏している間、一番大きな話題こそがチョウコツ敗北の報せであった。三本刀の一角が正面からの戦いで破られたとあっては配下の盗賊達が受けた衝撃も大きく、誰もが動揺してくれたおかげで潜入がやりやすくなったものだ。
そして今、この場においてはリンカしか知ることのない情報を手札として切ることで、ロウハから見た己の価値を高めようというのである。
はっきり言って詐欺師の手口に近い。
「仮にその話が本当だとして、だ」
思案するように顎に手をやりながら、遂にロウハは寝台の上から身を起こすと、眼帯に覆われていない左目だけでリンカの両目を覗き込んできた。
全身が影で覆われているため、唯一影を纏っておらず外部に直接見える瞳からリンカの思惑を探ろうというのか、貫くような尖った眼光が注がれる。
「どうしてお前さんは俺達にその話をするんだ? カイエンだか何だか知らんが、邪魔立てする奴はぶっ潰すだけの話よ。チョウコツの馬鹿は不覚を取ったらしいが、三本刀ってからには、あと二人は同格の霊紋持ちがいるんだぜ」
「チョウコツと同格、と。それで倒せるのならば、確かに苦労は無いでしょうね」
「あんたっ、何が言いたいんだい!?」
三本刀、ひいては自身も嘲られたことを察し、ノコツが再び双剣の柄に手をやる。
対してリンカは、ひょいと肩をすくめて新たな情報を提示してみせるのみ。
「東都イタミの追捕使隊長ガクシン。この名に聞き覚えは?」
「……ふん、あたいらの稼業をやっていて、その名を知らない奴はモグリだろ」
忌々し気にノコツが吐き捨てる。
清廉潔白にして、大槌の付喪霊を宿す第二階梯の霊紋持ち。
盗賊という人種からすれば、それこそ天敵に等しい相手である。どこか他人事のような空気を纏っていたロウハでさえ、口の端を微かに歪めているところから推測するに、昔痛い目を見た事でもあるのかもしれない。
であればこそ、次の一言は大きな価値を持つ筈だ。
「先程名を出したカイエンなる拳法家だが、先日、東都にて追捕使達と衝突した。その際、ガクシンと交戦の上、引き分けたという情報が入っている」
かなり下駄を履かせているものの嘘ではない。捕縛を追捕使の勝利条件とするならば、そこから逃げおおせたのは間違いなく事実である。ガクシンを倒したわけでもないのだから、引き分けと称しても偽りとは言い切れないはずだ。
たとえそれが、リンカ自身が逃走を補助した結果であっても。
ともあれ、その一言はノコツの気勢に大きな楔を打ち込むことに成功した。
リンカの言葉を素直に受け取るならば、カイエンはガクシンと同等の使い手ということになる。チョウコツが敗れたという前提と合わせて考えるならば、三本刀では手に負えないと証明書を提示されたようなものであった。
「更に付け加えるならば、カイエンは東都にて御庭番衆のセイゲツという第二階梯の霊紋持ちとも戦っている。にもかかわらず、捕縛されることなくこの山に現れた。この意味は理解できよう?」
「いいだろう。そのカイエンとかいう野郎が厄介な相手だってのは理解した。次はお前さんの言う『協力』とやらについて、是非聞かせてもらいたいもんだ」
どこか投げやりな態度で先を促すロウハ。
狙った通りの展開に、リンカは影で隠した口元でほくそ笑むと、鷹揚に頷いてみせる。
「実は私は、そのカイエンと少々因縁があってね。彼を探しているのだ。だが、この山は私一人で捜索するにはいささか広すぎる。そこで君達の手を借りたいと考えたのだよ。見つけさえしてくれれば、彼の相手は私に任せてもらって構わない」
嘘ではないが正確でもない情報を、自信たっぷりに並べ立てる。
因縁があるのは間違いないし、今現在も彼を探している真っ最中だ。
そしてカイエンさえ見つけてさえしまえば、後は隙を見て事情を説明し、逃げるなりカイエンをけしかけるなりして盗賊達を出し抜くこともできるはずだ。
そんな打算塗れの計画など知る由もなく、ロウハはしばらく黙考していたが、やがて首を縦に振った。
「いいだろう。無関係な邪魔者の相手をする手間が省けるって話なら、こっちにも利はある。どうせこの山の中は、隅から隅までひっくり返している最中だ。ついでに拳法家の一人や二人探したところで、大して手間にもならんだろ」
「ロウハ様! こんな怪しげな者の言う事など――」
「さすがは音に聞こえたサバク盗賊団の首領殿。お互いに益のある話し合いができて幸いですよ」
被せるようにしてノコツの言葉を遮り、「カイエンが見つかるまでの間、ここに厄介になりたいのだが、構わないかな?」と尋ね、ロウハが首肯したのを確認すると、リンカは足早に天幕を後にする。
ノコツは闇に溶け消えていくリンカの後ろ姿を、舌打ちを伴って見送ると、すぐさまロウハへ向き直った。
「ロウハ様、本当によろしいのですか?」
「放っておけ。何かを隠している節はあるが、もしも裏切るならば奴から先に潰せば良い」
念を押すようなノコツの確認に、ロウハはすでに興味を失ったように適当な態度で答えると、寝台に身を投げ出していびきをかき始める。
紆余曲折、思惑の違いこそあるものの、こうしてリンカはサバク盗賊団と取引を交わすことに成功したのだった。
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