東都イタミと世間知らず2
4連投その3。
入り部分だけでも投稿しておきます。
結局、忙しいガクシンの貴重な時間を割いて懇切丁寧な説明を受けたカイエンは、ようやく街の出入りにお金は不要であることを理解することができていた。
説明だけで精神的にかなり疲労してしまったガクシンであったが、さすがは追捕使の隊長というべきか、手際よく事後処理を済ませると、カイエンを連れて詰め所に到着する。
武装した追捕使達が常駐しているため若干張り詰めた空気が漂っているが、カイエンはまるで気にする様子はなく、机の向かい側に腰かけたガクシンが巾着袋を差し出すと、不思議そうな表情でそれを眺めた。
「ではカイエン君、先程約束していた謝礼の金一封だ。受け取ってくれ」
中には硬貨が詰まっているらしく、じゃらりと心地良い音を鳴らす袋を手渡され、カイエンは納得のいかなそうな面持ちでぽつりと零す。
「結局、俺は最初から最後まで騙されているだけだったから、お礼をもらう筋合いは無いと思うんだけど」
「君が考えているよりも、追捕使の不正というのは大事なのさ。彼がこれまで、どれだけの回数ああいった詐欺を繰り返していたかは分からないが、その行為は確実にこのイタミの悪評に繋がる。大きな堤も蟻の一穴から崩れるように、そういった一見ささいな悪事を一つ一つ防いでいくことが、街を守るためには欠かせないんだ。あの場に君がいてくれた。それだけで一穴を防ぐことが出来たのであれば、我々からすれば十分に感謝に値すると思ってくれ」
そう熱っぽい口調で説得されては、カイエンとしても無碍に断るわけにもいかない。ましてや、カイエンは今無一文であった。
財布を落としたとか、盗られたスラれたというわけではない。最初から持ち合わせが無かったのである。
旅をしている間は常に野宿で、食べる物は木の実や野草、少し豪勢に植物の根。獣と鉢合わせすれば、それすなわち貴重なタンパク質となる。野盗の集団に襲われた際には、さすがに人肉を食べるのは憚られたため、彼らが持ち合わせていた食料を根こそぎ頂戴したものだ。
そんな思い出を楽しく語ったところ、ガクシンは同情という添加物も加味して、こうして謝礼という名目で生活費を恵んでくれることになったのである。
ちなみにお金の使い方については、さすがのカイエンも育ての親から教わっていた。にもかかわらずお金を持っていなかったのは、なんという事はない、その育ての親も1カンたりとて金銭を持っていなかったというだけの話であった。
閑話休題。
無事に謝礼を押し付けると、ガクシンはある種の確信を持って本題に踏み込んだ。
「さてカイエン君、今夜はどこで寝るつもりかな?」
「そうだなー。どこかに大きい木があれば枝の上で寝られるんだけど、見つからなかったら柔らかい土を探して穴でも掘るかな」
空き家や橋の下ですらない。予想通りに想像を超えた回答に、ガクシンは眩暈を感じてこめかみを押さえてしまう。
それでも、仕事柄鍛えられている強靭な忍耐力を発揮し、動揺を一切漏らすことなく己の内に押し止めると、なるべく真剣に聞こえるよう意識して説得を開始した。
「カイエン君、街では野宿はしないものなんだ。旅人は普通、宿に泊まる」
「そうなのかー。ああ、それであの偽霊紋持ちも、俺を宿に連れて行こうとしたんだな!」
「何を納得したのかは分からないが、ともかくそういう仕組みになっているからには、君もその仕組みに従ってもらいたい」
「オッケー、分かった。宿だな、宿」
「待ちたまえ」
軽やかに席を立って出ていこうとするカイエンの腕を、間一髪のタイミングで繋ぎ留める。
実際、あまりに自然に退出しようとしたため、引き留めるのが一瞬遅れかけるほどだった。
ガクシンの素早い身のこなしがなければ、風のように走り去る後ろ姿を呆然と見送ることしか出来なかっただろう。
糸の切れた凧の如き少年を再び席に座らせると、ガクシンは簡潔に尋ねる。
「君は泊まれる宿に心当たりがあるかい?」
「心当たり? あるわけないってば。何せ初めて来た街だし」
正直なカイエンの返答に、ガクシンは己の推測が誤っていなかったことを確信した。
「そうだろう、ああそうだろうとも。ならば、大通り沿いにあってすぐ見つかる宿は、この時期は大商人が我先に確保してしまうため、あっという間に満員となって泊まれなくなることも知らないはずだ」
「ん? 詰めれば俺一人くらいは入るんじゃないか?」
「詰められるか! 君の想像しているような巣穴じゃないんだ。お金を出して部屋を確保している以上、君のような素性不明の人間を入れてくれるわけがないんだよ」
「え、金? まさか宿を借りるのにも金が要るのか?」
言い含めるように教えると、カイエンは鳩が豆鉄砲を喰ったような顔をする。想像以上に基本的な知識が抜け落ちているらしい。
「当然だ。何かを受け取ったり世話になったりしたら、対価として代金を支払う。人間の社会はそうやって回っているんだよ」
「そっか、そうなのか。さすがは街だな。勉強になるよ」
感心したようにうんうんと頷くカイエン。言葉を交わすたびに蓄積してく疲労感にどうにか抗いつつ、ガクシンはようやっと伝えたかった一言を口にした。
「それでだ。どうせ宿を探す伝手も常識も無いだろうから、私が君に宿を紹介してあげようと思う」
「本当か!? ありがとな、金くれたうえに色々教えてくれて!」
「ふっ、君を野に放つ危険を考慮すれば、こうして手を打てただけ遥かにマシだろうさ――」
正真正銘、心の底からの思いと共に、遠い目をするガクシンなのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
入念に三回も暗唱させられた道順に従ってカイエンが裏道を進んで行くと、辿り着いたのは一件の石造りの建物だった。
隣の敷地に倉庫らしき建物があるところから見て、元々は別の用途に使用していたものを宿屋に転用したのだろう。大通りからは数ブロック離れており、お世辞にも交通の便が良いとは言えない立地である。
無論、カイエンが宿の良し悪し等知るわけもなく、軒先に吊るされていた看板の宿名から目的地であることを確認すると、勢いよく扉を蹴り開けた。
「頼もーう!」
「やかましい! 扉は手で開けるもんだよ!」
宿中に響くような大声で元気に挨拶をかましたところ、カイエン以上の声量の怒鳴り声が、先端の尖った何かと共に飛んできた。
「うおわっ!?」
顔面に迫り来たそれを、のけ反りながらも辛うじて回避する。飛来した物体はカイエンの眼前スレスレを通過したかと思うと、小気味良い音を立てて背後の壁に突き立った。恐る恐る振り返ってみれば、刃渡り30セテル以上はある包丁が壁の木材に突き立ち、余韻と共にその柄を微かに震わせている。
突然襲来した凶器にカイエンが心臓をバクバクさせていると、正面受付の奥から、髪留めを兼ねた調理帽と割烹着を着込んだ一人の女性が姿を現した。
「一体どこのどいつだい。この忙しい時分に大声上げて、夕食の仕込みの邪魔をするのは!」
「あ、俺だ。迷惑だったならごめんな」
誰何する女性に、カイエンは手を挙げて応じると、小さく頭を下げて謝罪した。挨拶は大きな声でするようにと聞いていたため、それにならって開口一番に大声で挨拶をかましたのだが、どうやら街では勝手が違うらしい。
郷に入っては郷に従えというように、初めての場所ではそこのルールに従うのが、野生であろうと街であろうと長生きのコツであることを、カイエンは既に学んでいるのだ。
あっさりと謝罪したカイエンの態度に毒気を抜かれたのか、女性は小さく息を吐き出すと、振り上げていた巨大な麺棒を下ろした。
「ふん、そうやって頭を下げられちゃ、これ以上怒るのは野暮ってもんだね。で、あんたは何者だい?」
「俺はカイエンだ。ここは宿だって言われてきたんだ。しばらく泊めて欲しい」
「客なら客だと最初に言いな。地上げ屋の親戚かと思っちまったじゃないか。しかし、物好きな奴もいたもんだね、あんたみたいな子供にウチを紹介するなんて。自分で言うのも何だけど、ウチに泊り客はどうも癖の強い奴が多くて困ってるのさ」
自慢にもならないことを堂々と言い放つ女性に、カイエンは懐から取り出した封筒を差し出す。意図が理解できず、女性が首をかしげた。
「そいつは何だい?」
「紹介状だって言ってた。俺が説明するより、絶対にこっちの方が早いからって」
それは宿を紹介された際にガクシンから渡されたものだった。紹介状には、カイエンは常識が無いだけで悪事を企む類の人物ではないという説明と、宿の世話をしてやって欲しいという依頼が、ガクシンの名でしたためられている。
女性は渡された手紙を一息に読み通すと、幾分落ち着いた様子で呟いた。
「あの人はウチを厄介事の引き取り所と勘違いしてないだろうねぇ? ……まあいいさ、ガクシンさんの紹介だっていうなら、あまり疎かにもできないしね。あんた、カイエンって言ったかい」
「ああ、そうだ」
「あたしはナキョウ、この宿を預かっている者さ。あたしのことは、女将さんかナキョウ姐さんと呼びな」
「姉さんと呼ぶには随分と年上――」
ギロリ
「じゃ、じゃあ女将さんって呼ばせてもらうわ」
背筋を走った寒気に即座に屈服し、慌てて言い直すカイエン。氷点下に下がった気温が一瞬で元に戻り、どうにか生き延びたらしいと安堵の溜息をつく。
その間にナキョウは受付の裏に回ると、鍵付きの木札を取り出し、カイエンに向かって放って寄越した。
「そいつがあんたの部屋の鍵さ。失くさないように気をつけな。紹介状によると常識を知らないってことだけど、部屋の使い方は分かるかい?」
「分からん。けど、面識のない岩穴熊の巣を借りる時と、大体同じだろ」
「岩穴熊の巣を借りるって状況が、まずもって意味不明なんだけどねえ。まあ自信があるならやってみるといいさ。部屋の備品を壊すような真似をしたら、耳を揃えて弁償してもらうから覚悟しておくんだよ」
「おう、洲亀に乗ったつもりで任せとけ」
本当に任せて大丈夫なのか怪しくなる言い回しを挟みながら、カイエンは二階への階段に足をかける。
が、その足がふと止まり、厨房に戻ろうとしているナキョウの背に呼びかけていた。
「なあ、女将さん。一つ聞いていいか」
「なんだい。こっちは忙しいんだ、簡単に済む話じゃなかったら叩き切るよ」
「叩き切るのは止めて欲しいな。そうじゃなくて、『天の角、地の翼』ってのに、心当たりはないかな?」
「さてね、あたしは聞いたこともないよ。その『天の何とか』がどうかしたのかい?」
「いや、知らないならいいんだ。旅に出た時に、爺からそいつを探してみろって言われててさ。絶対に探さなきゃいけないものでもないらしいんだけど、一応な」
肩をすくめながらカイエンが答えると、ナキョウはすぐに興味を失ったのか、「そうかい」と言って厨房に戻っていく。
カイエンも己の部屋を探すために、二階への階段へと足を向けるのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
カイエンの部屋は二階の奥から三番目にあった。
部屋の中は、一般的な宿と比べれば調度品の類が圧倒的に少なかったが、一般的の基準を知らないカイエンからすればさして気になるものでもない。横になって全身を思い切り伸ばせそうなベッドがあったので、ひとまずそれだけで大満足である。
ベッドサイドの小机の上に置いてあった乾き菓子を腹に収めて一息つくと、勢いをつけて立ち上がった。
「そうだ、探索しよう」
初めて来た場所では、どこにどんな危険があるか分からない。そのため、周辺を探索して地形情報を頭に入れておくことは、猛獣に寝込みを襲われた場合でも生き延びるためには非常に重要となる。
すでにこの部屋の中については、ベッドの下の隠し収納から天井裏へ出入りするための外れる天板まで、漏れなく完璧にチェック済みである。となれば、次は宿の周辺の地理の番だ。
部屋に置いてあった鍵の取り扱いマニュアルに従い施錠すると、カイエンは一階の受付に向かう。
先程と変わらず無人の受付の片隅にある錠前付きの箱、外出時に鍵を預けるためのそれに木札付きの鍵を放り込むと、厨房に向かって呼びかけた。
「女将さーん、ちょっくら街を見てくるわ」
「はいよ。夕食は暮れ六つの鐘から九つの鐘までだ。それまでに帰って来ないと飯抜きだよ」
「夕飯も食わせてくれるのか! 分かった、絶対に帰って来る!」
この時間から探したのでは満足な獲物が見つかるかが心配だったのだが、これで後顧の憂いは無くなった。カイエンは高揚した気分のまま宿を出ると、遠くから聞こえる喧噪に引き寄せられるままに歩を進めてみることにする。
一般人であれば迂回して橋を渡らなければならない水路も、霊紋持ちの身体能力に任せてひょいひょいと跳び越えていくことしばし、ふと気が付けばカイエンは、多くの人と物が行き交う大通りに顔を出していた。
右を見れば人、人、人。
左を見ても人、人、人。
カイエンがこれまで見た事のある人の数を、軽く十倍は超える人の波。
大八車に一抱えもありそうな魚を何尾も乗せて引いている男。通りの片隅に布を敷いて商品を並べ、通りすがる者にまくし立てる様に売り込んでいる女。十人を超える幼児達と、それを引率しているらしき一組の男女。杖を持って柔らかい微笑みを浮かべている老人が、人力車に乗って駆け抜けていく。
実に雑多で、そして活気に満ち溢れている。
知らず知らずのうちにこの場に充満している熱気にあてられたのか、カイエンが無言で大通りの様子に見入っていると、軽食を売っているらしき屋台の男が、見知らぬ少年が突っ立っていることに気付いて声をかけてきた。
「よう、そこのあんた。随分と物珍しそうにするじゃないか。東都イタミの名物、目抜き五番通りは初めてかい」
「ん、ああ、こんなに人が沢山いるところは初めて見た。おっさん、ここはいつもこんな感じなのか?」
「おっさ……そうだな、外国からの交易船が何隻もいっぺんに港にやって来ると、大体こんな感じだな。一年のうち、三回か四回くらいはそういう機会がある。とはいえ、それ以外の時期でも、人出は今の半分以下にはならないけどな」
一通り地元の自慢を垂れ流すと、男はちょいちょいとカイエンを手招いた。誘蛾灯に引き寄せられる虫のような足取りでカイエンが近づいていくと、屋台から漂ってくる肉の焼ける香ばしい匂いが、カイエンの鼻孔に浴びせ蹴りを喰らわせてきた。
「どうだい、イタミに来た記念に一皿。自慢じゃないが、うちは今朝仕入れたばかりの新鮮な肉に、この街じゃないとまず手に入らない外国の香辛料で味付けしてるんだ。そんじょそこらの焼肉とは比べ物にならないぞ」
「凄え、良く分からんけど凄えな! あ、そうだ。街で食べ物をもらう時は、金を払うんだろう。俺、知ってるんだぜ」
ドヤ顔で胸を張るカイエン。男は当たり前だというように苦笑するが、折角の客にわざわざそんな事を言うはずもなく、調味料を擦り込んでおいた肉を手早く焼き上げると、木製の皿に乗せて箸を添え渡してきた。カイエンも懐の巾着袋から硬貨を取り出し、男に渡す。
「毎度あり。そうだ、折角だからこいつも付けてやろう」
そう言うと、まだ焼いていない生肉の端切れを摘みあげ、皿の隅に追加してくる。普通の人間ならば嫌がらせと受け取りかねないが、カイエンはむしろ目を輝かせた。
「くれるって言うなら貰うけど、良いのか?」
「良いってことよ。ご主人様が飯食ってるのに自分だけ食えないとなったら、ペットのワンちゃんが可哀想だからな」
「んん? ペット? ワンちゃん?」
このおっさんは何を言っているのだろうか。そんな疑問を表情に込め、カイエンはおっさんを見つめ返す。
すると男は、カイエンの足元を指し示し、
「随分と懐いているみたいだから、てっきりあんたのペットかと思ったんだが、違うのか?」
指差された先にいたのは一頭の仔犬だった。体長は30セテル弱で、濡れたような艶を誇る黒い毛並みを纏っている。漆黒の毛に覆われた尻尾は、左右に緩やかに振られていた。
仔犬はカイエンの足元に寄り添い、つぶらな瞳でカイエンをひしと見上げてくる。
実を言えば、カイエンが通りの様子に見入っている間に、どこからともなくカイエンの足元にすり寄って来ていたのだ。無論存在には気付いていたが、特に害があるわけでもないため放っておいたというのが実情である。
さらさらの毛並みに引き寄せられるようについ毛繕いをしてやれば、仔犬は気持ち良さそうに目を細め、欠伸までして相当にリラックスしているのが一目で分かる。
知らない人間から見れば、ペットではないと主張する方がむしろ嘘くさいほどだ。
とはいえ、事実は変わらない。
「いや、俺の知り合いじゃないよ」
「じゃあ野良か。それにしちゃ毛並みが良いし、この辺りじゃ見かけない顔だな」
折角なので男から貰った生肉を目の前にぶら下げてやったところ、仔犬は勢いよく食いついてくる。
よほどお腹が減っていたようで、完食した後にペロペロとカイエンの手を舐め回すほどだ。
カイエン自身も焼肉を食べながら男の推測を否定してやると、男は不思議そうに仔犬を見つめ――
「見つけたぞ!」
興奮したような叫び声が、突然降り注いで来るのだった。
カンはお金の単位です。
円換算はしない方針です。
主人公もあまり細かい事気にする奴じゃないので(笑)
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