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鬼と墓守3

 カイエンがシュウケイの隠れ里にお邪魔していた頃より、時計の針はやや巻き戻る。

 チョウコツの吊り橋落としによりカイエンとはぐれてしまったリンカは、カイエンの想像通り、ヘイを抱きしめながら川沿いを下っていた。


「はあ……やっぱりヘイ君の撫で心地は最高ね……至福、至福」

「くぅーん…………わん!」


 もはや諦めの境地に至ったのか、大人しく抱き抱えられるがままのヘイであったが、不意に何かを嗅ぎつけたらしく、鼻をひくひくと動かす。

 体を揺すってリンカの腕を振りほどくと、未練がましく「ああっ……」と切なそうに伸ばされてくる手をひらりと躱し、振り返って一声吠えた。


 その様子はリンカに注意を促しているように見え、そして事実その通りでもあった。

 雷尾と呼ばれる霊獣、その幼体であるヘイの知能は人間と比較しても遜色ない。加えて、生まれながらに宿している雷の精霊の能力を不完全ながらも行使することで、適正のある相手に限られるものの、一種のテレパシーのように意思を直接伝達することを可能としていた。

 その能力を用いて、ヘイはたった今知覚した事実をリンカに伝えたのである。


「え、カイエン君の痕跡を捉えたですって? さすがヘイ君、頼りになるわね」


 褒めるのに乗じて再び撫でようとするリンカだったが、これは予想されていたらしく巧みなステップで回避される。

 内心で歯噛みするリンカを放置して、ヘイはたった今捉えたカイエンの匂いを追跡するべく、嗅覚を全開で働かせた。


 すると、微かに残留するカイエンに匂いに加えて、別の人間のものらしい残り香が複数、ヘイの鼻を刺激するではないか。

 というよりも、匂いの鮮度からすればそちらの方が近くにいるようである。

 ヘイがその事を伝えると、リンカは一瞬だけ思案した後、今日初めてかもしれない真剣な表情で提案してきた。


「ヘイ君、少し寄り道したいのだけどいいかしら」

「わふ?」


 小首をかしげるヘイ。

 その愛くるしさに心臓を撃ち抜かれたものの、反射的に抱き着こうとする自分自身を自制心の全てを投入して押し止めたリンカは、翻訳すれば「なあに?」といったところとなるヘイの質問に頷いてみせた。


「カイエン君じゃない方の人達を追ってもらいたいの。街道が通っているわけでもないこんな山の中に、そうそう無関係の第三者がいるとは考えられないわ」

「ぐるぅぅ」

「ええ、私も昨日の連中――サバク盗賊団絡みだと思う。だとしたら、相手の情報はなるべく探っておきたいと思うわけよ」


 カイエンとの合流を遅らせれば、それだけヘイをもふれる時間が延びる。

 もはや隠しようもなく顔にそう書いてあるリンカであったが、その提案には一考に値する理が通っていた。


 感情としてはカイエンとの合流を急ぎたいところだが、理性の面からはリンカの提案に頷かざるを得ないといったところだろう。渋々ながらも同意を示すように「わん」と鳴くヘイ。


 ちなみに、薄々勘付いているかもしれないが、一行の中で最も冷静な判断力を持っているのは、何を隠そうヘイであった。

 残りの面子が野生丸出しの拳法家と、腹に一物抱えているくせにヘイを見ると理性が蒸発する自称歴史研究家では、比較対象が悪いと言わざるをえないのだが。


 ともあれ、リンカは早速とばかりにヘイを抱き上げると、その毛並みを堪能しながら木立の中へと分け入って行った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 前も後ろも森ばかり。何処まで行っても同じような光景ですっかり見飽きてしまった彼は、ようやく見つけた手ごろな岩にどっかと腰を下ろすと、生命力をまるで感じさせない動く屍の如き声音で呟いた。


「はあ、だりぃ……」


 今回の捜索にあたって組まされた相棒は無口なタイプのため、彼の言葉に無言で首肯するのみで、我関せずといった態度のまま、懐から取り出した煙草にマッチで火を点ると、紫煙を深々と吸い込んだ。


 たっぷりとニコチンに身を委ねた後、今度はゆっくりと煙を吐き出す。

 ゆらゆらと不定形に揺れるそれは、森林特有の湿った空気によって攪拌され、徐々に薄れていった。


「……なあ、俺にも一本くれよ」


 あまりにも美味そうに吸うため、普段はさして煙草に興味を示さない彼も、ついそんな事を頼んでしまう。

 この相棒は無口ではあるが、決して仲が悪いわけではない。

 こくりと頷くと、相棒自身が吸っているのと同じ紙巻の煙草を渡してきた。


 実は結構な高級品のはずだが、つい先日襲った隊商から巻き上げた戦利品であるため元手はかかっていない。

 いや、盗賊である以上は、彼等自身の命が元手というべきかもしれないが。


 ともあれ、相棒から火を分けてもらうと、彼も無言で煙草を吸い始めた。

 ぷかり、ぷかり、と浮かぶ煙を弛緩しきった表情で眺めながら、先程とほぼ同様の台詞を漏らす。


「ああー……だりぃ……」


 相棒からの反応はない。無視されているわけではないようだが、ただの独り言かと思われたのか、あるいは彼との会話など無意味だと判断しているのか。

 そんな益体も無い想像を弄んでいると、胸中に溜まっていた不満がつい口をついてポロリと転がり出る。


「首領も何を考えているのかね。鬼のお宝だか何だか知らないが、この山にそんなもんが本当にあるのやら」


 一度言葉として口から発してしまえば、その言葉のみならず、抑えられていた別の不満までもが連鎖的に噴出する。

 相棒が制止しないのをいいことに、彼はこれまで溜め込んできた数々の愚痴を、止まることなく垂れ流し始めた。


「大体、鬼ってところからすでに嘘くさいだろ。あんなん、ガキをビビらせるための方便だぜ。それが財宝を隠し持ってるだなんて、詐欺師だってもう少しまともな作り話をこしらえるってもんよ。天下のサバク盗賊団ともあろうものが、そんな与太話に踊らされることになるとはな」


 一息に言い切っては、これ見よがしに唾を吐き捨てる。

 そもそも彼がサバク盗賊団に身を委ねたのは、地元でやらかした衝動的なひったくりをきっかけとして、安易な方へ安易な方へと流れていった結末である。


 楽して適当に面白おかしくやっていきたい。人生を舐めているとしか思えないそんな衝動に従っていた結果、彼は追剥ぎや強盗を経て、最終的にサバク盗賊団へと辿り着いたのだ。

 そんな彼にとって、ゴールの見えない山中の探索など、最も苦手とする作業に他ならなかった。


 一方、無口な相棒も鬼の財宝という話を疑っているという点では同様だったらしく、愛想笑いのでき損ないのような表情を浮かべて首肯する。

 相棒の同意も得て彼も満足そうに頷くが、それはすぐに仏頂面へと変わった。


「とは言ってみてもなぁ……首領が探せと言った以上は、何かしらの成果を見つけないと、またノコツの姉御にどやされちまうだろうし……はあぁ……」


 存在しないものをどう探せというのだろうか。自分で言っておいて暗澹たる気分になる。

 そんな澱んだ空気を払拭すべく、彼は自分が発したノコツという名前より連想された単語から、話題を変えようと試みた。


「そういや聞いたか? チョウコツの旦那の下にいる連中は、旦那に連れられて鹿退治に出かけたらしいぜ」


 彼の直属の上司に当たる双剣のノコツ。そのノコツと同格である、サバク盗賊団の誇る三本刀の一人、槍のチョウコツ。


 そのチョウコツの手下連中も、彼と相棒同様にこのだだっ広い山中の捜索に駆り出されているのだが、何でも聞いた話では、先日野営をしているところを凶暴な剣鹿に襲われたらしい。

 彼等が命からがら逃げ帰って来たという噂は、娯楽らしい娯楽の無い山狩りを強いられている盗賊団の者達にとって、絶好の酒の肴となってしまっていた。


 派手好きで一見すれば傍若無人にも見えるが、手下を大切にすることで定評のあるチョウコツとしては、そんな不名誉な噂を黙って放っておくはずもない。

 手下の仇討ちだと息巻いて、チョウコツの指揮下にある手勢ほとんどを連れて出て行ってしまったのだ。


 正直、先の見えない鬼の捜索よりも、そちらの方がはるかに面白そうだったのだが、首領至上主義であるところの双剣のノコツは、剣鹿討伐よりも首領の命令である鬼の財宝捜索を優先する方針を明言していた。

 かくして、彼と相棒はこうして今日も、あてどなく山中をさ迷い歩いているという次第である。


「まあいいさ。チョウコツの旦那が動いたからには、あっちはとっくに片が付いてるだろ。それに首領の命令を投げ出しちまうと、それはそれで後が怖いからな」


 自らに言い聞かせるようにして、強引に気分を切り替える。実際の話、彼のような平盗賊達は、幹部である三本刀の更に上に立つ首領に対して、大きいという言葉では説明がつかないほどの畏怖の念を抱いていた。


 古参の盗賊達が酔った勢いで口にする首領の武勇伝の数々。少なく見積もっても倍増しになっているであろうそれらは、話半分で聞いたとしても荒唐無稽な逸話ばかりのため、決して信用してはならない。


 とはいえ、少なくとも首領一人から始まったサバク盗賊団がわずか十年で五十人を超える規模まで膨れ上がったのは、どれだけひっくり返しても間違いようのない事実らしい。


 それに加えて三本刀という幹部の存在もある。世の中に盗賊団は数あれど、霊紋持ちを三人も抱えた盗賊団はなかなかに珍しいのだ。

 その理由は、一般的な霊紋持ちであれば他者の下に立つのを良しとしないからなのだが、もしも古参盗賊の語る与太話に一片の真実が混ざっているのならば、後に三本刀となる三人の霊紋持ちを力でねじ伏せてサバク盗賊団に引き入れたという首領もまた霊紋持ちであるはずで、それならば我の強い霊紋持ち三人を傘下に収めているのも頷ける。


 そしてこの勘定が正しければ、サバク盗賊団には四人もの霊紋持ちがいることとなり、その戦力は国も警戒するレベルといえる。それを裏付けるように、サバク盗賊団は裏の世界では武闘派として、広くその名が知られていた。


 彼がそんなとりとめのない事を考えていた、その時である。


 ぐぎゅるううぅ


 盛大に鳴り響いた腹の音に、彼は吃驚して顔を上げた。

 音の方へと目をやれば、相棒がそっぽを向いて知らんぷりをしている。だが、あさっての方向を向いた頬が若干赤くなっていることは隠しようがない。


「ぶっ、は、ははははっ!」


 普段は無口でクールを気取っている相棒の見た事の無い一面に、彼はツボを突かれて思わず爆笑してしまう。

 腹の皮がよじれるかと思う程に笑い転げ、相棒の視線がそろそろ痛くなってきた頃、涙を拭きながらようやく立ち上がった。


「いや、悪い……ぷぷっ、妙なツボに入っちまったみたいだわ……くくくっ……」


 思いっきり笑ったことで、先程までの倦怠感は完全にどこかへ吹き飛んでいた。

 爽快な気分で伸びをすれば、彼の腹具合もそろそろ飯時だと訴えている。


「とりあえずこの辺は探したってことにして、飯を食いに戻ろうぜ」


 彼がそう呼びかけると、相棒は相変わらず口を開かず、しかし先程より若干素早く首肯してくれた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 二人の盗賊達が立ち去った後、彼等が会話していた場所の目と鼻の先にある立木の影がゆらりと揺らめいた。

 水が大地に染み込むように影が引いていくと、そこから現れたのは木に張り付くように身を隠したリンカとヘイであった。

 影を操るリンカの能力で身を隠し、今の会話を一から十まで立ち聞きしていたのだ。


 リンカは盗賊達が去った方を見やりながら、なにやら難しい表情で思案していたが、唐突に呟いた。


「これは使えるわね」


 口を開いたと思えば、第一声でこれだ。

 あまりにも不穏な響きを感じ取ったヘイであったが、自分を抱き抱えている人間の顔をそっと見上げ――慌てて目を逸らす。


 霊獣であるヘイですら目を背けたくなるほど程の、露骨なほどの悪人顔がそこにあったためである。

 おそらく、今のリンカの雰囲気を数十万倍に希釈してやれば、獲物を見つけて舌なめずりする蛇の気配辺りになるのだろう。


 リンカは名残惜しげにヘイを地面に降ろすと、懐から紙と筆記具を取り出しながら語り掛けた。


「ヘイ君、私は彼等の後を追ってみるわ。そうすれば、彼等の拠点の位置が掴めると思うからね」

「わん、わわん!」

「心配してくれるの? ありがとう。でも大丈夫よ。見つかるようなヘマはしないわ」

「くぅーん」

「ヘイ君は優しいわね。でも大丈夫。私の宿している精霊は知っているでしょ? それに、ヘイ君には別に頼みたいことがあるのよ」


 そう言うと、会話の間もすらすらと何事かを書きつけていた紙を折りたたみ、革でできた洒落たケースに封入すると、ケースから伸びている紐でもってヘイの胴体へ括りつける。

 ヘイは軽く体を動かしてみるが、絶妙な力加減で結わえられているため、締め付け過ぎるような感触はない。また、逆に紐が緩んでケースが落ちる心配もなさそうだ。


「これまでの事情説明と、カイエン君に頼みたい事が書いてあるわ。私が盗賊団の拠点を調査している間に、ヘイ君にはカイエン君と合流して彼を手伝って欲しいのよ。できそう?」


 カイエンの匂いならばすでに捉えている。どれだけ時間がかかるかは分からないが、まだこの山の中にいるならば、一両日中には追いつけるだろう。

 任せておけとばかりに吠えかけて、ヘイはふと動きを止めた。

 心配そうにリンカを見上げる。そして一鳴き。


「わふぅ……」

「え、カイエン君が文字を読めるのか、ですって?」


 思いもよらぬ疑問に、リンカは意表を突かれて絶句した。

 この時代、ロザン皇国に限ってみれば識字率は相当に高い。何代か前の皇族の政策により、たとえ農民であっても簡単な読み書きや四則演算、そして望むならばより高度な教育が受けられる仕組みが整えられたからである。


 そのため、カイエンが文字を読めない可能性を完全に失念していた。

 だが、言われてみればあのカイエンである。文字など、野生生活に不要なものの筆頭であろう。となれば、結論を導くのは容易い。


「うん、無理ね」


 抜群の信頼感でもって、カイエンが読み書きできる可能性を、リンカは初っ端から放棄した。

 旅の仲間から文字が読めないことを確信される男、カイエン。

 結局、リンカが記した手紙の内容は、伝言という形でヘイに託されたのだった。

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