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プロローグ

第二章はじめました。

書き溜めは無いので週2回更新が途切れないよう頑張ります。

 たしたし


 「んあ?」


 柔らかいものが額を叩く感触に、カイエンはゆっくりと意識を覚醒させた。

 いつの間にか寝入ってしまっていたらしく、口の端から垂れかけていた涎を拭う。

 首や背中を刺すチクチクとした感触は、寝床代わりにしている飼い葉のものだろう。


 起き抜けのぼんやりとした頭でそんな思考を弄びながら、零れ出る欠伸を噛み殺す。

 その辺りでようやく本格的に目が覚め、カイエンは己を覗き込んできている相手を見上げた。


「わふっ?」

「あら、ようやく目を覚ましたみたいね、カイエン君」


 カイエンの顔に日陰を作っていたのは、一匹と一人だった。

 一匹の方は、全身を漆黒の獣毛で覆われた獣である。つぶらな瞳と愛嬌のある顔立ちで、それだけならば仔犬か愛玩動物の類のようにも見えるが、その本質は雷の精霊をその身に宿す霊獣――雷尾の幼体だ。


 以前、とある事件の最中に出会い、それ以来カイエンに懐いている。

 ちなみにヘイという名前だが、名付け親はカイエンだったりする。

 眠っていたカイエンを起こしたのは、ヘイの肉球の感触であった。


 もう一人は人間の女性だ。

 さらさらとした銀髪をヘアバンドで纏めている。くりくりとした大きな瞳からは好奇心と活発さが滲み出ており、動きやすさを重視した服装からもその傾向が読み取れる。


 リンカと名乗るこの人物も、ヘイと同じく事件に巻き込まれているうちに出会った間柄ではあるが、こちらは決してカイエンと友好的なわけではない。

 何しろ、カイエンを罠に嵌めた事もあるほどだ。歴史研究者を名乗ってはいるが、それすら他人の目を欺くための偽装という可能性もある。

 色々な意味で油断ならない人物であった。


 ではなぜカイエンと共にいるかと言えば、その理由は前述のヘイにあった。

 どうやら可愛いもの、特に小動物の類に目が無いらしく、顔を合わせた瞬間に一目でヘイに心奪われてしまったのだ。そのため、カイエンの旅に同行しているというよりは、ヘイを追いかけて付いて来ているという方が正確な表現だろう。


 人間相手ならば、どこに出しても恥ずかしい立派なストーカーであるが、カイエンから拒否されないのをいい事に、同行するのが当然といった雰囲気で旅の道行きを共にしている。

 ちなみにカイエンが文句一つ言わないのは、物心ついてからごく最近まで、ほぼ野生で生活してきたため、ストーカーそのものの知識が無いためなのだが。


「そろそろ村に着くみたいよ。カイエン君の準備は……いらないわね、君の場合」


 寝転がるカイエンの隣に無造作に置かれた肩掛け袋に視線を走らせ、リンカが一人ごちる。

 旅を舐めているとしか思えない荷物の少なさに呆れているのだ。


 この時代、旅とは命懸けで行う冒険だ。ロザン皇国では街道の整備が進み、危険な獣や野党の出没件数は減っているが、まだまだ皆無というわけにはいかない。

 他にも急病や遭難等、思いつくだけでも数限りないリスクがある。

 それらに備えていけば、必然的に荷物は大きく重くなるものなのだが、カイエンの肩掛け袋はぺったりと萎んでおり、中身がほとんど入っていないことが簡単に見て取ることができた。


 そんな無謀な旅を可能としている理由。それは突き詰めていけばたった一つに集約される。

 精霊である。

 精霊をその身に宿した霊紋持ちは、十人力にも勝る腕力と素手で武器と渡り合える強靭さを発揮することができるのだ。

 霊紋持ちであれば、旅に伴う危険など鼻で笑って切り抜けることができるだろう。

 そしてカイエン、リンカの両者は共に、そんな霊紋持ちの一人であった。


 ついでに言えばカイエンの場合、これまで野生で過ごして来た経験から、普通は忌避される野宿の類をまったく苦としておらず、水や食料についても現地調達で済ませることができた。荷物が少なくなるのもむべなるかな。


 しかし、カイエンが良くてもリンカが我慢できるとは限らない。

 健康的で文化的な人間を自認するリンカとしては、必要に迫られての野宿ならばともかく、最初から道端の野草を食べる前提での旅路は断固拒否するところだ。

 そうなれば当然、長旅に備えた物資の補給が必要となるわけで、彼等は偶然通りがかった家畜用の飼い葉を運ぶ荷馬車にヒッチハイクを仕掛け、その馬車と共に近隣の村に向かっている途中であった。


 その道程で、ぽかぽかした陽気に誘われてカイエンは居眠りをしてしまったらしい。

 それを起こすということは、間もなく村に着くということだろう。


 軽快に身を起こし、荷台に山と積まれた飼い葉の上から顔を覗かせると、予想通り馬車の進行方向に木造の家屋が立ち並ぶ集落が見えた。

 獣除け目的の柵がぐるりと取り囲んだ家々からは、昼飯の炊事用と思しき煙が立ち上っている。

 見るからに長閑な様子で、貧困に喘いでいるという風でもない。これなら二人と一匹分の食料を分けてもらえるくらいの余裕はありそうだ。


「よっしゃ、あの村で食べられる物を探して来ればいいんだよな。俺に任せとけ!」

「ちょっと待ちなさい」


 逸る気を抑える努力というものを初っ端から放棄し、カイエンは勢い込んで飛び出さんとする。だがそれよりもほんの一瞬早く、リンカが襟元を掴んでブレーキを掛けた。

 喉が絞まり、「ぐえっ」という蛙の潰れたような声が漏れる。

 カイエンはゲホゲホと咳き込みながら、恨みがましい視線をリンカに向けた。


「ごほっ、いきなり何するんだよ。死ぬかと思ったぞ」

「君がこれくらいで死ぬわけないでしょ。それより、お金も持たずに飛び出して、一体何をするつもりだったのかな?」

「ん? もちろん、食糧調達だろ?」


 カイエンは純真無垢な眼差しで答える。ふざけているわけではなく、本気で言っているからこそ質が悪い典型である。

 心の底から湧き上がってくる溜息を、リンカはこれ見よがしに吐き出してみせた。


「はあぁぁぁ…………あのね、一文無しのカイエン君に教えてあげるけど、お金も払わずに食べ物を奪ったりすると、それは盗賊と呼ばれるんだからね」

「それくらいは知ってるっての。俺だってそこまで世間知らずじゃないぞ」


 リンカの説教に機嫌を損ねたらしく、カイエンは不貞腐れた表情で抗弁する。しかし、リンカはこれっぽっちも信用ならないといった面持ちで重ねて尋ねた。


「それじゃあ聞くけど、具体的にはどうやって食糧を調達するつもりだったのかしら?」

「ふっ、俺を甘く見るなよ。家の中にある食べ物はその家の人間のものだから、勝手に取っちゃいけないんだ。つまり、家の外の食べ物なら問題なしってわけだろ? リンカは知らないかもしれないけど、人間の住んでる家の近くには、食べられる草がたくさん生えている場所があるんだぜ!」

「それは畑って言うのよ、お馬鹿ッ!」


 間髪入れず叩き込まれるチョップ。狙い過たず眉間に突き刺さった一撃に、カイエンは声も出せずに悶絶する。

 ここ数日でお約束となりつつある光景に、ヘイは「やれやれ」とでも言いたげに鼻を鳴らしたのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 村に辿り着くまでの間、懇切丁寧な説教を受けた結果、畑の作物も勝手に採ってはいけないらしいと学び、また一歩常識人へと近づいたカイエンであったが、食糧調達はリンカが全て担当すると強く主張されたため、手持ち無沙汰となって村の中をうろついていた。

 仮にカイエンに任せていたら、今度は家畜に手を出していたため、これは知られざるファインプレーである。


 もっとも、カイエンからすれば面白いわけが無く、仏頂面を隠そうともしない。

 付いてくるヘイも空気を読んだのか、鳴き声一つ発さずに大人しくしている。

 すれ違う村人達も不機嫌な空気を察し、視線も合わせず行き過ぎていく。

 カイエンから放たれる無言の圧力に晒されれば、それを無視して声を掛けられる一般人などいるはずが――


「……不吉じゃあ」


 いた。

 声を掛けたというには違和感しかない第一声を発したのは、道端に無造作に打ち捨てられた空箱に腰かけている老人であった。

 しわくちゃの顔に白一色の眉毛と髭を揃え、半眼に閉じられた両目は何を映しているかを見て取ることは出来ない。

 両手で持った杖は、緊張や恐怖によるものではないのだろうが、小刻みにプルプルと震えていた。


「爺さん、俺に何か用か?」

「……旅人ですか。旅は良いですからのう」

「ああ。とりあえず、央都まで向かうところだ」


 カイエンが答えると、老人は何を納得したのか、うんうんと何度も深く頷く。

 若干、カイエンの返答よりも先に頷いていたような気もするが、カイエンがその事実に気付くよりも先に、老人はぽつりと呟いた。


「もう儂には旅はできん……あんな恐ろしい光景を見てしまってはのう……」

「?」


 いきなり飛んだ会話の文脈についていけず、カイエンは首をかしげる。しかし、老人はまるで意に介した様子も無く、ぽつぽつと言葉を紡いでいった。


「心臓が凍るかと思ったのは、後にも先にもあれっきりじゃった……まさか、隣村に続く街道で、あんなモノに出くわすとは思ってもみなかったものでのう……」

「ふんふん、それでそれで?」


 少しずつ声のトーンを落としていく絶妙な喋り方に引き込まれ、つい今しがたまで不機嫌そうに鋭く細められていた両目に好奇心の光を灯し、カイエンはワクワクした様子で老人の言葉に聞き入っていた。

 聴衆の反応に気を良くしたのか、老人は杖を持つ両手のプルプル具合をさらに増しながら、遠くを見つめるように虚空を仰ぎ見る。


「あれは、儂が村に帰ろうと急いでいる時じゃった……折悪しく大雨に降られて、どこかに雨宿りできる場所は無いかと探しておった時……儂は奴を見たのじゃ」

「奴? 奴って何だよ、爺さん」


 抜群の喰いつきを見せるカイエンを焦らすように、老人は大きく息を吸い込むと、極限まで簡素化した回答を放った。


「化け物じゃ。ありゃあ、化け物に間違いない! 人の死体を軽々と引きずって、哭くような叫び声を上げておったんじゃ!」

「ふーん、化け物か。霊獣の類か何かか?」


 老人の怯えっぷりとは正反対に、カイエンは冷静な分析を口にする。

 霊獣とは、精霊を宿した獣の総称だ。霊紋持ちの動物版と言い換えてもよいが、中には種として精霊と共生関係にあるものもおり、通常の獣の範疇に収まらない外見をした個体も多い。

 正体を知らない者からすれば、化け物以外の何物でもないだろう。


 一般的には人里離れた秘境に生息するものが多いが、人間の生息圏のすぐ近くに姿を見せるものがいないわけでもない。

 先日の東都の事件で来襲した雷尾も分類すればその一例なのだが、こんな何の変哲も無い村でそれらしき話に遭遇するとは、これだから世の中というやつは侮れない。


 もっと詳しい話を聞こかせてもらおうと口を開きかけたその時、カイエンにとっては聞き慣れた声がそれを遮った。


「カイエン君、そろそろ行くわよ」

「お、リンカか。食料は手に入ったのか?」


 少し離れた辻からカイエンを呼んだのはリンカだった。カイエンも負けじと声を張り上げれば、返答代わりにパンパンに膨らんだ袋を持ち上げられる。

 どうやら食糧調達の方は無事に済んだらしい。


 となれば、これ以上この村に長居する理由も無いだろう。まだ昼前なので、宿を取るにも早すぎる。

 リンカも同じ判断らしく、ぶんぶんと空いている方の手を振りながら叫んだ。


「少し急げば、夜には次の村に着けるはずよ。半日無駄にするのも勿体ないから、少し強行軍で行きましょ」

「あー、でも気をつけた方がいいぞ。どうも街道の先に、化け物が出るらしい。多分、霊獣だと思うんだけどな」


 何気ない口調でそうのたまうと、リンカは訝し気な視線を向けてきた。

 まあ、それも無理はないだろう。

 何の脈絡もなくそんな話を聞かされれば、まず戸惑うのが当たり前だ。

 とはいえ、いつまでもそうしているわけにもいかず、リンカはどこか戸惑った様子ながら確認してくる。


「カイエン君、その化け物? を避ける道は無いの?」

「そいつは聞いてなかったな。ちょっと待っててくれ」


 カイエンは老人の方へと向き直り、腰を落とすと視線を合わせて訊く。


「なあ爺さん、化け物を避けて通るにはどうすればいいんだ?」

「……山じゃ」


 わずか一言、老人は絞り出すように零す。それを聞き、カイエンは満足そうに頷いた。


「分かった、山に向かえば化け物に遭わないんだな。ありがとな、爺さん。長生きしろよ」


 一言礼を告げるなり、風の如く駆け去って行く。そのため、老人の言葉の続きを聞く者は誰もいなかった。


「山じゃ……山だけには行ってはいかん……あの山には化け物が……鬼が棲んでいるでのう……」


 どこか遠くで、嵐をもたらす風が吹き始めていた。

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