東都の一番長い夜2
評価、ブクマ頂いた方、ありがとうございます。
久しぶりにジャンル別のランキング見たら週間のところに載っていてビックリしました。
第一部がそろそろ大詰め予定ですので、お楽しみいただければ幸いです。
カイエンが戦場に到着したのは、邪魔者を排除した雷尾が東都の市街地を目指す途中で、無機質な倉庫区画を通り抜けようとしていたタイミングだった。
紅巾党の連絡員を尋問し終えた後、盛大に暴れ回る精霊の気配を察したカイエンは、引き寄せられるかのようにその気配の元へとやって来たのである。
そして眼前に広がる光景に吃驚した。
「うおっ、何か知らんがボロボロだ!」
セイゲツとガクシンが戦った余波で地面が穴だらけの水浸しになり、続く雷尾との戦いによって建物は崩れ、地面には爪跡が刻まれ、船には大穴が開いている。
いたる所に残る破壊の惨状を見れば、ここでどれだけ苛烈な戦いが起きていたのか嫌でも理解させられるだろう。
「これ、もしかしてあんたがやったのか?」
カイエンが尋ねた相手は、新たな手合いの出現に警戒する雷尾であった。
無論回答のあるわけもなく、雷尾は返事代わりとばかりに、巨大な尻尾によるぶん回しを放って寄越す。威嚇目的もあるのか、さほど鋭くはないその攻撃を、カイエンはスウェーバックで回避してみせた。
「危ないなあ。いきなり何すんだよ」
軽く抗議するもこちらも無視。だが、手加減したとはいえ己の攻撃を容易く躱してみせたカイエンに興味を覚えたのか、雷尾は月光を反射する瞳に自身よりもはるかに小さな少年を映すと、ピンと立てた耳で息遣いを聞き取り、ひくつかせる鼻で染みついた匂いを嗅ぎ取る。
その途端、何かに気付いたのか、牙を剥き出しにすると骨に響くような獰猛な唸り声を発した。
「は? 攫った? 俺が? 誰を?」
果たしてどんなコミュニケーションが成されたというのか、顔中に疑問符を浮かべてカイエンが問い返す。
そんなカイエンの様子に対し、雷尾は喉奥から怒りの気配が乗せられた咆哮を紡ぎ出すと、その巨体からは想像もできないほど俊敏な動きで襲い掛かって来た。
さきほどの威嚇とは明らかに異なる本気の一撃。これを受けるのは極めてマズいと直感的に悟ったカイエンは、後ろに下がることなく、むしろ前に出て間合いを詰める。
それは死中に活を見出す選択だ。ここで雷尾の圧に呑まれて下がってしまえば、初撃をかわしても追撃の爪牙で狩られてしまうだろう。逆に前に出て密着することで、相手の目論見を潰し、先手を取られた不利を帳消しとする。
目障りな虫を踏み潰すかのように連続で叩き付けられる前脚を、カイエンはぎりぎりまで引き付けて紙一重で躱していく。ちょこまかとした動きに苛立つ雷尾が力任せに大振りの一撃を放った瞬間、巨体ゆえにできる死角を絶妙に利用することで、カイエンは雷尾の腹の下にするりと潜り込んでいた。
毛皮に覆われた腹部を頭上に見据え、カイエンは適度な脱力でもって全身から不要な力みを取り去ると、膝を曲げて腰を落とし、右手は引き付けるように腰の位置で拳を握り、左手で鞘のように右手を覆う構えを取った。
「九鬼顕獄拳、翔鬼の型」
だだんっ!
踏み切った一歩が舗装されている道路に罅を走らせ、鼓膜に響く爆音へと転化される。
一瞬だけ深く沈みこむように身をかがめて溜め込んだ力を、霊紋によって強化された脚力と全身のバネの反動でもって何倍にも増幅したのだ。
天に向かって伸びるように放たれた拳骨を柔らかい腹部にまともに食らい、雷尾は咽込みながら後退する。
とはいえ、それはあくまで一時の後退に過ぎず、雷尾はいささかも戦意を失っていない。それどころか、カイエンを睨み付ける両眼は先程にも増して燃え盛る炎を灯し、楯突いてくる小賢しい敵を叩き潰さんと、爛々と輝きを増していた。
「だーから、人違いだって言ってるだろうが! やるってんなら相手になってやるけどな!」
雷尾の放つ気迫に触発されたのか、口では不本意そうに言い捨てながらも、カイエンはどこか高揚したような表情を見せる。続けて、今度は両手両足を地面につけて四つん這いとなると、鍛え抜かれた四肢を躍動させて突進した。
ただし、その軌道は単なる直線ではない。
地面を離れたカイエンが、雷尾の両脇に建つ倉庫の壁へ垂直に着地する。重力に捕らわれるより早く、更に跳躍。雷尾の頭上を軽々と跳び越えたかと思うと、今度は反対側の壁を蹴り、振り向かんとした雷尾を更に回り込むように――加速に加速を重ねるうち、その姿はあっという間に目で追える速度を超え、鞠のように雷尾の前後左右を跳ね回っていた。
主に四方を壁で囲まれた閉所を想定した戦法ではあるが、周囲を大型の倉庫で囲まれたこの路地であれば、霊獣すら攪乱するに足る機動が可能となる。
さすがの雷尾も、これほど高速かつ縦横無尽な三次元軌道にはお目に掛かったことがないのか、攻めあぐねたように身を低くし、なんとか目で追おうと試みた。
一瞬だけ視界の端をかすめては消えていくカイエンの姿を懸命に追うが、その行く先を見切ることは不可能だ。それどころか、そんな雷尾を嘲笑うかのように、背後に回り込んだカイエンは雷尾の背中へ鮮やかな着地を決めていた。
驚愕する雷尾が振り落とすより早く、足元に向かって拳を叩き込む。
分厚い毛皮と筋肉の鎧が軋みをあげ、強烈な打撃を余すことなく受け止める。人間ならばたとえ霊紋持ちであっても悶絶級の打撃であったが、雷尾は激痛に歯を食いしばりながらも耐えきると、即座に反撃の一手へと移った。
選んだ応手は、切り札である雷撃だ。
そもそも雷尾とカイエンを比較した場合、パワーとタフネスならば雷尾が勝っているが、スピードではカイエンに軍配が上がる。カイエンは本能的にそれを感じ取っているのか、機動力を活かして強大な霊獣をも翻弄してみせているのだ。ならば雷尾が取りうる最も効果的な対処とは、その機動力をもってしても逃げ場のない攻撃を放つことに他ならない。
好都合なことに、雷尾という霊獣のアイデンティティたる雷撃こそ、ちょこまかと動き回る目障りな敵を捉えるのに最も適していると言えた。雷尾の全周を覆うように顕現する雷の檻に捕らわれたが最後、抜け出ることは決してかなわないからである。
溜めは一瞬。雷尾の黒い毛並みがほんの瞬きするほど間だけ白く輝いたかと思うと、尻尾へ収束したその輝きは、カイエンの立つ背中から天に向けて轟音と共に放出される。
それはまさしく稲妻の顕現だ。自然のそれと異なるのは、天から落ちて来るか、地から昇り行くかという差だけだろう。
やがて、音すら白一色に塗り潰すほどの閃光が消え去った時、雷尾の背中にいたはずのカイエンは死角となる倉庫の影に身を隠し、冷や汗を垂らしていた。
雷撃が放出される直前、それを敏感に察知し、咄嗟に雷尾から距離を取ったのである。もしも雷撃という攻撃手段の存在を知らなければ、今の放電を避けきることは出来なかったに違いない。
「ふいー、今回ばっかりは爺のおかげで命拾いしたな……」
雷尾という霊獣の特徴について知識を授けてくれた育ての親に感謝していると、カイエンの隣で不意に影が渦を巻く。
潮が引くように奇怪な動きを見せた影がほどけると、そこには息巻いて隠れ家を出て行ったリンカが呆れた様子でカイエンを眺めていた。
その視線が百万言を費やすよりも雄弁に、呆れ果てた彼女の心情を物語っている。
「追捕使達が検問を敷いていたからまさかとは思ったけど、よくよく騒ぎを引き起こしてくれるわね、カイエン君」
「言っとくが、俺が騒ぎを起こしたわけじゃないからな。俺なんかつい今しがた来たばかりの新顔で、今回の主役はあいつだぞ」
あごをしゃくってみせると、リンカは携帯していた手鏡だけを建物の陰からにゅっと突き出し、そこに映った雷尾の姿に「うわっ」と声を漏らした。
「あれってまさか霊獣!?」
「正解だ。雷尾って種類で、雷の精霊を宿している。ついでに言うと、ヘイの母ちゃんだな」
「母ちゃんって、ええッ!――」
驚きのあまり叫びかけたリンカの絶叫を、カイエンは予期していた動きで抑え込む。
どうやら今はカイエンの姿を見失っているようだが、大声を上げては気付かれる恐れがある。こっそりと様子を窺えば、雷尾は仕留めたと思っていたカイエンの姿が無いことに苛立っているらしく、その太い尻尾を周囲の瓦礫に巻き付けてはひっくり返すという八つ当たりを繰り返していた。
その様子から、気付かれるまでにもう少しだけ時間の余裕がありそうだと判断し、カイエンが顔を引っ込める。
一方、衝撃の事実を伝えられたリンカは、難しい顔つきでぶつぶつと呟いていた。
「まさか、あれが計画書にあった東都を襲わせるという『脅威』? それなら、ヘイ君を囮にすれば誘導することも確かに可能……」
「おーい、戻ってこーい」
小声で呼びかけ、ついでに目の前で手をヒラヒラさせてみると、我に返ったリンカがこほんと咳払いをする。
「とりあえず、事情は理解できたわ。私が見つけてきた計画書とも状況が一致するし、十中八九、連中の計画の最終段階みたいね」
「計画書?」
何のことかと首をひねると、リンカは満面のドヤ顔を浮かべ、丁寧に折りたたまれた数枚の紙片を取り出してみせた。
勿体ぶった手つきでそれを開くと、さあ見ろと言わんばかりにカイエンに向かって押し付けてくる。
「ふっふっふ、イタミ城に潜入していたら偶然見つけたのよ。おかげでようやく黒幕の尻尾を掴めたわ。驚きなさい、東都所司代のルントウこそが、この計画の立案者だったのよ。彼が紅巾党と組んで何を企んでいたかというと――」
「んー、長くなりそうだからその話は後回しにしてくれ。俺、そのルントウ? って奴のことも良く知らないし」
カイエンはさして興味の無さそうな口調で、勢い込んで語り始めたリンカにストップをかけた。出鼻を挫かれた格好のリンカは不満げに唇を尖らせるが、カイエンはそれに気付いた素振りも無く、話題を雷尾へと引きずり戻す。
「どうやらヘイ達が攫われたせいで、頭に血が上っているみたいなんだ。雷尾ってのは、普段は大人しくて人懐っこい性格のはずなんだが、このままだと街中で見境なしに大暴れするかもしれない。もし雷尾が本気になったら、最悪イタミが焼け野原になってもおかしくないぞ」
「さすがにそうなる前に追捕使が出張って来て、ガクシン辺りが対処すると思うわよ。今の東都ならば、御庭番衆もいるわけだし」
リンカが語る予想に対し、カイエンは軽く肩をすくめると、明日の天気予報でも告げるようにあっさりと言った。
「ああ、その二人だったら、さっき向こうで倒れてるのが見えたぞ。多分、雷尾にやられたんだと思うけどな」
「ちょっ、それってかなりマズい状況じゃない!」
あちゃあ、という表情で頭を抱える。東都の守りの要となりうる二人がすでに敗れ去っていたとは、さすがに予想できるわけがない。
そういう事情ならば、早急に代替案を模索する必要がある。そして不幸中の幸いと言うべきか、リンカの手中には非常に参考になる紙片が握られていた。
素早く目を通すと、目的の記述を見つけたリンカは、くいくいとカイエンの袖を引っ張った。
「カイエン君、一つだけこの状況を切り抜けられるかもしれない手段があるわ。ルントウと紅巾党の計画に乗るみたいで癪だけど」
「本当か。どんな手段なんだ?」
雷尾の様子を窺いながらカイエンが尋ねると、リンカは声をひそめて計画書の一文を読み上げる。
「『脅威を呼び込む際に用いた囮を東都の外に連れ出すことで、脅威を街から引き離すように誘導できると推測される』ってあるのよ。『脅威』があの霊獣で、しかもヘイ君のお母さんだっていうことは、その囮ってつまり……」
言い淀むリンカに対し、カイエンはその先を引き取って頷く。
「ああ、ヘイとその兄弟のことだろうな」
「そのためにヘイ君達を攫っただなんて、絶対に許せないわ……あ、でもそうしないとヘイ君に会えなかった訳だからむしろ感謝すべき? いや、さすがにそれは……」
怒ったり考え込んだりと目まぐるしく表情を変えていると、その肩がぽんぽんと軽く叩かれた。
己の思考に没頭していたリンカが振り向くと、カイエンは両手に填めていた腕輪を外しながら、念押しするようにリンカの瞳を覗き込む。
「要するに、ヘイ達兄弟を母ちゃんに会わせてやれば、安心して帰るはずってことだよな」
「概ねそういうことね。でも、ヘイ君は私の隠れ家にいるはずからすぐに連れて来られるけど、兄弟の方の居場所がわからないわよ。私が見つけた計画書にも、そこまでは書かれていなかったし……」
リンカは悔しそうにほぞを噛む。イタミ城で入手した計画書はあくまでも全体概要的な位置づけで、潜伏場所のような個別の詳しい情報までは記載されていなかったためだ。
その計画書曰く、交易船の乗組員や貨物としてイタミに潜入するとのことだったので、おそらく交易船の乗組員が宿泊している宿のいずれかに潜伏しているのだろうが、肝心の宿名までは分からない。
時間さえあればリンカが潜入して虱潰しに探すことも可能なのだが、そんな悠長なことをしている間に雷尾がイタミの中心部まで到達してしまうことだろう。
どう考えてもあと一手足りない。
だが、その一手は思いもよらないところから降って来た。
「ん? ヘイの兄弟の居場所なら分かってるぞ」
「……今、なんて言ったのかしら?」
実に都合の良い幻聴が聞こえた気がする。いくらなんでも、そこまでタイムリーな展開はあるまいと、リンカは知らず知らずにうちに弱気へ逃げていたらしい己の心を叱咤する。
そのうえで、念のために確認してみたところ、カイエンはきょとんとした表情でのたまった。
「いや、だから、ヘイの兄弟がどこに捕まってるかって話なら、宿の名前と部屋の番号まで分かってるって言ったんだが」
「それならそうと最初から言いなさいよ! というか、どうしてカイエン君がそんな情報を手に入れているのよ!」
「暇だったんで散歩してたら、色々あって紅巾党のメンバーを見つけたんだよ。で、そいつを尋問したらあっさり吐いた」
「途中が省略され過ぎていて、逆に疑問が増える説明をしないで……いえ、そんなことより行動するのが先ね。さっさとヘイ君の兄弟を助け出しに向かうわよ!」
力強く宣言すると、カイエンを連れ影に潜ろうとする。が、カイエンは伸ばされたリンカの手をひょいっと避けた。
まさか拒否されるとは思ってもみず、訝し気な視線を向けるリンカに対し、カイエンは頭を掻きながら理由を告げる。
「多分、俺は付いて行かない方が良いぞ。俺からヘイの匂いを嗅ぎ取ったせいで、どうやら俺がヘイ達を攫った犯人だと勘違いしているみたいなんだ。だから俺がここを離れたりしたら、雷尾もそれを追跡してくると思う」
「……つくづく厄介に愛されているみたいね、君は」
思わずぼやいてしまうリンカ。カイエンは照れくさそうに笑う。誰も褒めてはいないのだが、それを突っ込む前にカイエンは気楽な口調で頼み事を言の葉に乗せた。
「そんなわけだから、俺はここに残ってあいつを足止めする。だからリンカ、あんたがヘイとその兄弟を連れて来てくれ」
「足止めって簡単に言うけど、相手は霊紋持ち二人掛かりでもかなわなかった化け物なんでしょ。カイエン君、まさか死ぬ気じゃないでしょうね?」
ガクシンとセイゲツが敗れたのは、霊紋の相性や駆け引きの結果という側面もあるのだが、事情を知らないリンカからすれば雷尾が強力過ぎると判断せざるを得ない。
そんな相手にカイエン一人で挑むなど、どう考えても無謀としか思えなかった。
しかし、カイエンは何を馬鹿なとでも言いたげな表情を浮かべると、先程外していた白と黒の腕輪をリンカに放って寄越す。
虚を突かれながらもリンカが腕輪をキャッチしたのを見届けると、カイエンは自信と謙遜を足して二で割ったような微妙な表情を作ってみせた。
「勝算ならあるさ。ただ、ちょっとばかり加減が難しいんで、やり過ぎちまうかもしれない。だから、もし俺が雷尾を殺しそうになっていたら、どうにかその腕輪を俺に填めてくれ。多分、それで止まるはずだ。ヘイには、母親が死ぬ気分なんて味合わせたくないからな」
そう言うと、ヘイの兄弟が捕らわれているという宿の名前と部屋番号をリンカに告げ、カイエンは倉庫の陰から飛び出した。真正面から対峙するのは、怒りのあまり血走った目で今にも噛み殺さんと猛り狂う霊獣だ。
まだ文句の言い足りなそうなリンカだったが、カイエンが飛び出して行ってしまった以上、問答を続けることもかなわない。理性でそう割り切ったのか、渋々と影に潜って姿を消すのを横目で見届けると、カイエンは精神を研ぎ澄ませ、咆哮と共に飛び掛かってくる雷尾を迎え撃つ。
「さてと、ヘイのためにも、あんたには大人しくなってもらうからな」
そんな呟きを挑発と取ったのか、雷尾が全身に雷を纏って襲い掛かってくる。
迎え撃つカイエンの霊紋が、かつてない輝きとともに激しく脈動した。
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