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東都イタミと世間知らず1

4連投の2話目です。

 カイエンは眼前に立ちはだかる壁を見上げ、感嘆の声を漏らした。


「ほえー、こいつはデケえ」


 完全にお上りさん丸出しであるが、周囲を伺えばカイエン同様、聳え立つ壁を見上げて目を白黒させている者がちらほらいるため、そこまで目立っているわけではない。

 初見であれば多くの者が驚愕せざるを得ないこの壁こそが、東都イタミを囲う、通称「石の長城」である。


 当初はただの獣除けの柵だったのだが、イタミが村から街、そして東都へと発展するに従って次第に強化されていったという背景を持っている。加えて、東都となった時期が東の隣国であるセイナ教国と関係悪化していたタイミングであったため、国防の意味も込めて「石の長城」も更なる強化を施されていったというのは、高等学舎で歴史を学ぶ者ならずとも知る豆知識であろう。


 そうして石壁の存在感に圧倒されることしばし、我に返ったカイエンは東都に向かう人の波に乗り直すと、壁の一画に設けられた通行用の大門へと向かって歩き出した。


 東都はロザン皇国の中でも一、二を争う交易都市である。その物流網の大半は、東都に寄り添うように流れている大河を利用した水上交通で、街の中にも支流が引き込まれており、文字通り網の目のように東都中を走っている。


 一方、東都と近辺にある村や町を繋ぐ街道は陸上のものだ。

 水運を押さえた大商人達が国中、あるいは国外からも集めた交易品のうち、いくらかは街道を通って近在の集落を巡るのである。それを証明するかのように、たった今すれ違った馬車の荷台にも、見慣れない品々がうずたかく積み上げられていた。


 カイエンが歩いてきた街道はそんな商人達が利用しているものであり、街道の始点もしくは終点である東都イタミの外壁では、大型の馬車でも通行可能な巨大な通用門が設けられている。


 門には出入りを逐一監視する追捕使の門番が立っており、ご禁制の品が出入りしていないか、あるいは指名手配されている輩がこっそり通り抜けようとしてはいないかを、朝から晩まで目を光らせてチェックしているのである。

 無論、細かい荷物の検査にまで手間暇を掛けるわけにもいかないが、それでも一人ひとりチェックするとなれば相応に時間がかかる。そのため大門の前には、検査を待つ長い行列が形成されるのが常であった。


 今日もその例に漏れず、行列に並んでから一刻近い時が過ぎ、日も中天に差し掛かった頃合いとなって、ようやくカイエンの順番が回って来る。先程から遠目で見ていた作法に習い、カイエンは肩掛け袋の口を開くと、門番の前に設置された作業台の上へ袋の中身を並べていった。


 門番は、ルーチンワーク特有の退屈そうな表情で並べられた物品を一瞥すると、検査完了と告げる代わりに横柄に頷いた。

 しかし、カイエンが作業台上に広げた荷物を肩掛け袋の中にしまい直すと、唐突に薄気味悪い笑みを浮かべて顔を寄せ、


「なあお兄さん、この街に来るのは初めてかい?」


 と訊いてくる。

 カイエンは荷物をしまい終えた袋を肩に担ぎ直すと、ああ、と頷く。すると門番は、更に笑みを深くすると、カイエンにだけ聞こえるような小声でこんな事を言い出した。


「兄さん、初めてこの街に入る人間は、通行料ってやつが必要になるんだ」


 当然、嘘である。ロザン皇国は交易の活性化を近年の中心政策としており、五年前からあらゆる関所で通行料を免除している。

 だが、それを知っている者は、頻繁に街道を行き来する商人を除けばごく限られる。例えば生まれて初めて村から出てくるような田舎者であれば、東都の存在感に圧倒されて簡単に言いくるめられてしまうものだ。


 要するに、門番にとっては定番の小遣い稼ぎなのである。

 だがしかし、カイエンの反応は門番が想像もしていなかったものだった。


「通行料……って何だ?」


 思いもよらない返答に、門番は目を丸くする。それでも、度を越した田舎者ならば初めて聞く言葉かと強引に自分を納得させ、どうにかこうにか余裕の笑みを装う。


「簡単だよ。この扉を通りたければ、金を払う必要があるって意味さ」

「でもよ、さっきから通っている人達は、お金なんて払ってなかったみたいだけど?」


 物珍しさからずっと観察していたため、他の人間が通行料など払っていなかったことは自信を持って断言できる。カイエンが反論すると、門番は若干苛ついた口振りで噛み付いてきた。


「おいおい、兄さん。さっきも言っただろう、初めてこの街に入るのに必要になるって。兄さんは初めてだから通行料がいる。他の人達は、初めてじゃないから通行料はいらない。簡単な話じゃないか」

「ふーん、なるほど……じゃあ、どうしてさっきの人達は、街に入るのが初めてじゃないって分かったんだ?」

「そ、それは……」


 一度は納得する素振りを見せた相手からの想定外の質問に対し、門番は返答に詰まってしまった。これまでカモってきた田舎者には、そこまで気の回る者はいなかったため、過去の経験からでは咄嗟の言い逃れができなかったのである。


「なあなあ、どうしてだよ。俺には初めてかどうかを確認したのに、どうしてさっきの人達のことは、質問もせずに分かったんだ?」

「………………」


 いったん詰まってしまえば、そこから妙案をひねり出すのはより困難となるものだ。案の定、門番はしばらく押し黙った後、諦めたように息を吐き出した。


「くそっ、俺の負けだよ。兄さん、さっさと通りな」

「え? 通行料ってやつは払わなくていいのか?」


 観念して白旗を上げた門番に対し、カイエンはきょとんとした表情で尋ね返す。

 会話のキャッチボールが微妙に食い違っている気配を察し、門番は不審な眼差しを目の前の少年に向ける。その視線の意味に気付くことなく、カイエンは両の瞳を好奇心で輝かせながら、門番へと更なる問いを重ねた。


「初めて街に入る奴は、通行料がいるって言ってたじゃないか。俺はこの街に入るのは初めてだぞ。それなのに通行料を払わなくていいのか?」

「兄さん、もしかして喧嘩売ってるのかい」


 純粋に疑問を解消したかっただけのカイエンの言葉だったのだが、門番にとっては終わらせたつもりの話を蒸し返そうとしているようにしか受け取れない。自然、その口調に棘が混ざる。

 燻り始めた火種に向かって、カイエンは更に油を注ぎ込んだ。


「え、喧嘩って売れるのか? 俺、知らなかったよ」

「てめえっ!」


 完全におちょくられたと錯覚した門番が、激昂して声を荒げる。遠目に見守っていた検査待ちの列から不審と好奇の視線が注がれるが、怒りで頭に血が上った門番はそれに気付くことなくカイエンの襟を掴まんとして――


「おいっ、何事だっ?」


 喧噪を切り裂くようにして響いた声に、びくりと身を竦ませた。


 カイエンがそちらへ視線を向けてみると、検査待ちの列をかき分けるようにして現れたのは一人の男だった。190セテルはありそうな長身で、背中へ届きそうなほどの長髪を紐で一つに束ねている。身に着けているのは門番が着ているものと同様のデザインの制服だが、門番が無地の濃紺なのに対して、男が着用している方は白地に藍色の縁取りが施されており、男の制服の方が上等であることが一目で見て取れた。

 切れ長の瞳でカイエンと門番を観察している相貌は、端的に言えば非常に整っており、街中を歩けばそれだけで年頃の娘達が寄ってくることは間違いない。


 だが、そんな容姿など霞むほどの特徴が、男の背後に控えていた。

 大槌である。

 真っ直ぐに立てれば2メテルは軽く超すであろう長柄の先端に、象の足を彷彿とさせる巨大な槌頭が備わっている。人はおろか牛や馬ですら、この槌ならば容易く叩き潰せるに違いない。

 持ち上げるだけでも腰がイカレそうな代物を軽々と背負っていることからみても、この男が霊紋持ちであることは間違いなさそうだ。


「こ、こ、これはガクシン隊長!」


 先程までの喧嘩腰はどこへやら、門番は背骨に鉄芯でも入れられたかのように直立不動の姿勢で敬礼をする。対してガクシンは軽く、しかし隙の無い答礼で応えるが、探るような視線は微塵も揺らがず、カイエンと門番の二人へと向けられていた。


「任務ご苦労。だが、通行を望む者に無暗に声を荒げるなど我ら追捕使の恥だ。何故この事態となったのか、納得のいく説明してもらおうか」

「あ、いや、これはその……」


 怜悧な声音で問うてくるガクシンに対して、門番はあからさまに委縮する。しどろもどろでごにょごにょと何やら呟くが、声が小さくて聞き取ることはできない。

 そんな門番の態度にガクシンの眉が不機嫌な角度で傾き始めた頃合いで、カイエンは遂にしびれを切らせた。


「なあなあ、あんた、偉い人か?」

「あ、ああ。名乗るのが遅れて失礼した。私はガクシンという。このイタミの街で治安維持を担っている、追捕使の隊長をしている者だ。今日は街を巡回中だったのだが、揉め事のようだったので口を出させてもらった次第だ」


 初対面の相手からフレンドリーに偉い人呼ばわりされ、さすがのガクシンも一瞬面食らってしまう。しかし、すぐに気を取り直すと、簡単な自己紹介と口を挟んで来た経緯を説明した。

 説明されたカイエンは、無邪気な笑顔と好奇心たっぷりの瞳でガクシンを見据え、


「喧嘩が売り物になるなんて、俺、知らなかったよ。やっぱり街ってすごい所だな!」

「いや、売れないぞ」


 ピントのボケた感想に、即座に刺さるガクシンのツッコミ。カイエンは驚愕の表情で一歩、二歩と後退ると、この世の終わりかと錯覚させるような絶望を全身にたたえ、膝から崩れ落ちた。


「そんな、喧嘩を買ってもらえないんじゃ、俺には売れる物がない。街に入れないじゃないか!」


 何を言っているのかまるで分からない。今更ながら関わり合いになってしまったことを後悔し始めたガクシンだったが、己の誇りとする追捕使の名に懸けて職務を全うすべく、打ちひしがれている様子の少年とコミュニケーションを試みる。


「事情がまるで分からないのだが――まず、君の名前を教えてもらっても良いかな」

「俺? 俺はカイエンだ」

「ではカイエン君。君は喧嘩をしたいのか?」

「んー、闘うのは嫌いじゃないけど、喧嘩は嫌いだ。昔、小龍の奴と喧嘩したら、爺に滅茶苦茶叱られた」


 更に謎の情報が追加されるが、ひとまずそこは無視して思考を進める。最初はこの少年が喧嘩を吹っ掛けたのかとも思ったが、本人曰く喧嘩は嫌いだと言う。


「そう言えば、売れる物が無いと言っていたが、君は商人なのだろうか?」


 自分で聞いておきながら、それは無いだろうとガクシンは胸中で独りごちる。見たところ商品の類も持っている様子は無いし、護衛も無しの一人旅など、まともな商人ならばまずやらないからだ。

 案の定、カイエンも首を横に振った。


「うんにゃ、俺は拳法家だ。“世界を見て来い”って爺に言われたんで、こうして旅をしている。で、街に入りたかったんだけど、売る物が無いから入れないんだよ」

「…………そこに論理の飛躍があるように思えて仕方がないんだが。別に何らかの売買をせずとも、街に入ることに支障ないのでは?」

「でも、俺、金持ってない」

「それは見れば分かる……じゃなかった、お金が無いとどうして街に入れないという話になるんだい?」

「だって、通行料が払えないじゃん。初めて街に入る時には、通行料を払う必要があるって聞いたぞ」


 その言葉を聞いたガクシンの眉がピクリと揺れる。これまで通りの丁寧な態度は崩さぬまま、一際熱の籠った口調で核心を突く問いを発した。


「街に入る際に通行料が必要だという話は、一体誰に聞いたのか、教えてもらえるだろうか?」

「ああ、そこの人だよ」


 カイエンが指差したのは、顔面を蒼白にして二人のやり取りを聞いていた門番だった。

 指差された瞬間、蛇に睨まれた蛙の如く硬直し、だらだらと脂汗を流し出す。


「あ、いや、俺はその、少しからかっただけでありまして……」


 いっそ哀れなほどに狼狽し、訊かれてもいないことをペラペラと喋り出す。ようやく事情を理解したガクシンは、機敏な動作で背中の大槌を抜き放つと、無様な言い訳を垂れ流し続ける門番の眼前に突きつけた。


「それ以上の見苦しい真似は止めろ。この上、更に罪を重ねるつもりならば、私はこの砕山槌にかけて、お前の罪に相応しい罰を与えなければならなくなる」


 決定的な宣告を受け、門番はとうとう観念したのか、放心した様子でへたり込む。ガクシンは満足げに頷くと、大槌を担ぎ直し、いまだに頭を抱え続けるカイエンへ向き直った。


「ありがとう、カイエン君。君のお陰で、追捕使の不正という重大事件を迅速に片付けることができた。私はこの者を連行して代わりの門番を手配しなければならないが、是非ともお礼をしたいので、門を抜けた先にある追捕使の詰め所で待っていてもらえないだろうか」


 追捕使の隊長からの感謝の言葉。ガクシンのファンクラブ会員であれば、幸せのあまり昇天し、次いで他の会員からの嫉妬で地獄に落ちるであろう誘いに、カイエンは深刻な表情で首を振る。


「だけど俺、金が無いから街に入れない」


 どうやらいまだに通行料が不要だということを理解してくれていないらしい。

 説明の困難さを予想させるカイエンの返答に、ガクシンは追捕使となって初めて、言葉にできない脱力感を覚えるのだった。

メテル=m


単位の置き換えその2です。


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