東都の一番長い夜1
改行を入れた方が読みやすいという囁きが聞こえたので、ちょこちょこ改行を入れてみました。
これまでの投稿分も隙を見て修正しています。
改行が無い方が読みやすいということであれば戻しますので、感想等で伝えてもらえれば対応します。
次回は7/6(土)に投稿予定です。
セイゲツとガクシンは、共に闘いの手を止め、想像だにしなかった闖入者を唖然とした表情で見上げた。
まさか霊獣が乗り込んでくるとは、いかに凄腕の霊紋持ちといえども予想できるはずがない。霊獣とは人間の認識では生きている災害であり、いつ地震が起きるのか予知できないのと同様、いつ街に現れるかなど想定できよう筈もないからだ。
霊獣は二人をちらりと一瞥すると、興味なしと言わんばかりの態度で足元の船に鼻先を向けた。
「何をする気だ?」
ガクシンの呟きが聞こえたわけではないだろうが、霊獣は行動を持ってその疑問に答える。
右前脚を高々と振りかざしたかと思うと、船の甲板めがけて叩き付けたのだ。
鋭い爪が易々と木の板を抉り、引き裂き、破壊していく。
霊獣にかかれば船の甲板程度ではまるで強度が足りない。薄紙を破くようにいともあっさりと大穴を開けると、霊獣はその穴に頭を突っ込んでごそごそと中を探り始めた。
意図が分からず誰もがその光景を呆然と眺めるしかない中、最初に我に返ったのはセイゲツだった。
「あああぁ! それはわたくしが査察しようとしていた船ですぅ!」
そう言えば、と誰もが思う。元々は、交易船を査察するしないで揉めていたのだった。霊獣の登場があまりにもインパクトが大きく、すっかり頭から抜け落ちていたが。
ともあれ、霊獣に先を越された格好となったセイゲツは、慌てて自分も交易船に乗り込もうとし――突き出された大槌に道を塞がれた。
言わずもがな、セイゲツの行く手を阻んだのはガクシンである。
セイゲツはおどおどとした表情ながら、どこか焦ったように言い募った。
「ガクシン隊長、この状況でまだわたくしの邪魔をされるつもりですかぁ?」
「セイゲツ殿、もはや査察がどうのと言っている場合ではないでしょう」
ぴしゃりと言ってのけるガクシン。
霊獣とは災害だ。今は交易船に気を向けているようだが、いつイタミの街に興味を向けないとも限らない。優先順位として、明らかに査察の阻止よりも霊獣の排除が上である。
そのために、ガクシンはある提案を持ちかけようとしていた。
「セイゲツ殿、ここは一時休戦して、あの霊獣の排除にご協力いただけませんか」
ガクシンの提案を聞き、セイゲツは瞬時にそれを吟味する。
一見すればセイゲツには利の無い提案のようだが、彼女の目的である交易船は標的の霊獣に荒らされている真っ最中だ。
セイゲツがあの船を査察するためには、少なくとも霊獣を排除する必要があるだろう。それまでの間だけでもガクシンの協力を得られるのであれば、それは十分にメリットとなる。
加えて、ガクシンからこの提案をしてきた以上、セイゲツへの借りにカウントされることは間違いない。
「一応、見返りを聞いてもいいですかぁ?」
「……霊獣を排除できたとしても、私は後始末に追われることとなるでしょう。そちらが終わるまでであれば、セイゲツ殿が査察を強行しようとしたとしても、それを妨害できるほどの余力は無いはずです」
念のために小声で確認すると、ガクシンは一瞬だけ苦渋の表情を浮かべた後、同じく小声で回答した。
追捕使の隊長として目溢しできるぎりぎりの回答に、セイゲツはにんまりとした笑みを浮かべて頷く。
満額回答とはいかぬまでも、これだけの譲歩を引き出せるのならば十分にやる価値はある。セイゲツは態度で了承を示さんと、鉄扇を構えて霊獣へと向き直った。
ガクシンもその意図を汲み取ってくれたらしく、鋭い声で部下の追捕使達に指示を下す。
「事態が収束するまで、この付近一帯は封鎖とする。民間人が立ち入らぬように検問を張るんだ。正体不明の霊獣が相手では、万が一の場合に庇いきることができないかもしれん。それと、誰かイタミ城まで戻って、緊急事態を伝えてこい」
「了解です!」
ガクシンの命令で我に返った追捕使達がきびきびと動き出す。
避難させられそうになった船員達が何やら抵抗しているようだが、事ここに至っては足手纏いがいては邪魔なだけだ。霊獣にとっては人間側の事情など関係ない。迂闊に射程圏に入ってしまえば、抵抗の余地なくあっさり引き裂かれてしまう可能性がある。彼等の命を守るためにこそ、避難は絶対に必要な措置だった。
素早く指示を出し終えると、ガクシンは大槌を構えてセイゲツの隣に並ぶ。
今ここに、二人の第二階梯霊紋持ちによる共同戦線が誕生した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
匂いの源がすでにこの足場の中に残されていないことを嗅ぎ取ると、霊獣は自らがブチ開けた大穴から顔を引っこ抜いた。
匂いの源はどこへ行ったのかと顔を巡らせれば、どうやら人間の匂いが濃くなっている方に向かって移動したらしい。そうとくれば、後を追うしかないだろう。
河に浮かんだ足場の上から人間の匂いが多い方へ、跳躍せんと身を撓める。
と、その時である。
突如立っている足場がガクリと傾いたかと思うと、まるで霊獣の行動を邪魔するかのように前後左右に激しく揺れ動いた。
自然現象ではありえないその事象に、霊獣は素早く左右へと視線を走らせる。
不可解な現象であればあるほど、その原因は厳然として存在する。視界の中に一人の人間の雌を発見し、霊獣は怒りの唸り声を牙の隙間から零した。
霊獣の感覚に間違いが無ければ、その雌こそが足場を揺らしている張本人だ。霊獣自身と同様、その雌からは精霊を宿している気配がする。精霊の種類によっては、手を触れずに自分より遥かに巨大なこの足場を揺らしてみせても、なんの不思議もない。
邪魔をするならば潰すまでと、霊獣は不安定な足場を蹴ると空中に跳び上がり、その雌に向かって一直線に襲い掛かった。
真っ逆さまに降ってくる爪の一撃に、その雌は一歩も動くことなく引き裂かれる――かに思われた寸前、顎の辺りに凄まじい衝撃が走り、霊獣は否応なく吹き飛ばされると、港に建てられている倉庫の一つへと突っ込んでいた。崩れた倉庫の外壁が、もうもうとした土煙と大量の瓦礫を周囲へ提供する。
ふと目を覚ますと、霊獣は瓦礫の中で横倒しの状態になっていた。一瞬ではあるが意識が飛んでいたらしい。
頭を振りながら立ち上がると、衝撃を受けた顎の辺りに痛みが走る。乾いた音がした足元を見てみれば、鋭く尖った白っぽい物が、赤い血を伴って転がっていた。
一拍遅れて、霊獣はそれが自身の牙であることに気付く。
何者かの攻撃により、霊獣の牙が折れ飛んだのだ。
衝動的に怒りを覚え、霊獣は土煙の中から飛び出す。
怒り狂う霊獣を油断なく見据えながら、ガクシンは感嘆の吐息を零していた。
「まさか今の攻撃を食らって立ち上がるとは……想像よりもタフな相手のようだ」
横合いから放った一撃で霊獣を吹き飛ばしたのは、当然のようにガクシンの仕業であった。セイゲツがわざと見つかりやすい位置に陣取り、それを狙って襲ってきた霊獣に会心の一撃を食らわせたのである。
その作戦は見事にはまった筈なのだが、肝心の霊獣は気絶どころかますます戦意を顕わにし、威嚇の唸り声をばら撒いていた。
人間であれば良くて複雑骨折、最悪の場合は壁に投げつけた泥団子のように粉々に砕け散っていてもおかしくない。それだけの力を込めたはずなのだが、実際のところはどうだ。
そこそこの痛撃は与えたようではあるが、所詮はそこそこ止まりである。
なるほど、生きている災害と称されるのも納得である。
「ガ、ガクシン隊長、しくじったんですかぁ?」
「すみません。直撃はしたはずなのですが、仕留めきれなかったようです」
セイゲツの言葉に背中越しで謝罪する。今、目の前の霊獣から視線を外すことは命取りになると、ガクシンがこれまで積み上げてきた戦闘経験が切実に訴えていた。
「しかし、間違いなくダメージは通っています。予定通り、セイゲツ殿は妨害に徹してください。隙があれば、私が仕掛けます。今はこれを繰り返すしかありません」
「分かりましたぁ。ご武運をぉ」
短い返事だけを残し、セイゲツが周囲の建物に紛れて姿を隠す。
どこから攻撃が来るかわからない方が、より集中力を削げるからである。
合理的な判断の結果、ガクシンは一対一で霊獣と向かい合う。
怒りに燃える霊獣と、なんとかその侵攻を阻まんとするガクシン。両者は一呼吸の間だけ睨み合うと、次の瞬間、同時に間合いを詰めていた。
大槌とは思えない鋭い風切り音を引きながら、ガクシンは横薙ぎに得物を叩きつける。それとは正反対の軌道でもって繰り出された、霊獣の前脚による薙ぎ払いと真っ向から衝突した。
絶大な破壊力を秘めた一撃同士が拮抗し、双方の中間で圧縮された霊紋の力が火花を散らす。一見すれば互角。しかし、ガクシンの武器が大槌だけなのに対して、霊獣は爪と並ぶもう一つの武器を備えていた。
巨体に見合った大咢が、ガパッと開かれる。
爪が駄目ならば牙の二段構え。ガクシンの一撃で牙が一本減っているが、その程度では噛み付きの威力にはいささかの衰えも無い。
爪と押し合っているため身動きの取れないガクシンを噛み千切らんと巨獣の牙が迫る。
だが、こちらも本懐を果たすことは出来なかった。どこからともなく飛来した鋭い水の槍が、その鼻面を直撃したためである。
完全に頭から抜け落ちていたもう一人の霊紋持ちの攻撃に、霊獣は思わず顔を背けてしまう。
目の前で鍔迫り合いを演じている相手から目を離す。それはつまり、相手に隙を晒したことに他ならない。そして、そんな好機をみすみす逃すほど、ガクシンという男は甘くはなかった。
真っ向から互角に押し合っていた大槌から僅かに力を抜き、相手の力の流れを誘導する。
押し切ったように振り切られた霊獣の前脚は、ガクシンの横を僅かに逸れ、港の地面に深い爪跡を刻むにとどまった。
慣性を殺し、滑らか過ぎるほどの繋ぎでもってガクシンの大槌が翻る。己の意図に反して攻撃を振り切らされ、体勢の崩れている霊獣にはそれを避ける術は無い。
ガツンという衝突音が響き渡り、脇腹に大槌を打ち込まれた霊獣が吹き飛ばされる。
その四肢がじゃりじゃりと地面を噛みしめるが、あまりの威力にたたらを踏むと、力が抜けたように膝をついた。
勝機だ。
ガクシンは乾坤一擲とばかりに、相棒たる大槌に霊紋の力を全て注ぎ込む。背後に浮かぶ槌霊の姿がこれ以上ない程鮮明に浮かび上がり、握り締めた大槌が燃えていると錯覚するほどの熱を帯びた。
「彗星墜とし」
高々と宙に舞い上がり、落下の勢いすら味方につけて叩き付ける。ガクシンの持つ手札の中で最強の破壊力を誇るこの一撃が命中すれば、いかな霊獣とて無事では済むまい。
無論、霊獣側とて黙ってそれを見ているわけがない。破壊力と引き換えに隙が大きいこの技は、躱してしまえば一転してガクシンの危機となる。
ふらつく脚を叱咤するように踏みしばり、その場を跳び退かんとする霊獣。しかし、それはかなわなかった。
脚が張り付いたように動かなかったのだ。
驚愕と困惑に彩られた表情で霊獣が足元を確認すれば、周囲の運河から伸びた水の腕がいつの間にか四本の脚全てを縛めているではないか。
誰が見ても文句のつけようのない完璧な援護。妨害と搦め手を得手とする、流水のセイゲツの面目躍如である。
すでにガクシンは落下軌道に入っている。今から水の腕を振りほどいたところで間に合わない。確実な詰みであった。
もしも相手が霊獣でなければ、だが。
全ては一瞬の出来事だった。
ガクシンの振り下ろす大槌が霊獣の脳天に突き刺さるその刹那、霊獣の全身が淡く輝く。輝きはうねる様に全身を走り抜けると、ぴんと立てられた巨大な尻尾に集中した。
一つ一つは小さな輝きでも、集中し、凝縮すれば光度は増す。
視界を焼き尽くすほどに高まった輝きが頂点に達した瞬間、霊獣は轟と吠えた。
咆哮を引き金に、蓄えられた光が解放される。
光の正体は雷だ。霊獣の尻尾を起点とし、極限まで圧縮された雷鳴が極小範囲で吹き荒れたのである
意識が完全に攻撃に振られている上、踏ん張りの利かない空中では回避行動すらままならない。結果、ガクシンは雷の嵐に真正面から突っ込んでしまう。
やがて、圧倒的な雷鳴がおさまった時、ガクシンの姿は霊獣の足元に転がっていた。
驚くべきことに息はあるようだが、ぶすぶすと全身から煙を噴き上げるその姿はどうみても意識を失っている。
少しだけ遅れて、どさりという音が耳を打った。
霊獣がそちらに視線を向けてみれば、セイゲツが地面に倒れ伏していた。隠れ潜んでいた倉庫の屋根から落下したのである。
あの瞬間、セイゲツは雷の嵐には巻き込まれてはいない。では何故倒れているのか。
その答えがセイゲツの傍らに落下すると、形状を失って拡散した。答えの正体は水だ。霊獣の足を縛っていた水の腕。その水を伝わった雷が、水の腕を制御していたセイゲツに感電したのである。
ガクシンよりもダメージそのものは少ないが、水霊を宿すセイゲツにとって電撃は弱点だ。結果として、セイゲツも今の一撃で意識を刈り取られていた。
二人の敗因。それは霊獣が霊獣であるという事実を失念していたことにある。
動きが速い。力が強い。それが巨体ともなれば、手強いのは当たり前だ。
だが、霊紋持ちであるならば当然その先がある。霊獣が獣における霊紋持ちならば、第二階梯に至るものがいても不思議はあるまい。
二人は知る由もなかったが、この霊獣は種族名を雷尾という。
尻尾に雷撃を蓄え、またそれを自在に操るという霊獣だ。
こうして、東都における霊紋持ちの双璧は、一頭の雷尾の前に膝を屈したのだった。
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