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因果はもつれ、絡み合う2

 その日、イタミ城中にある追捕使達の常駐エリアは、普段にも増して熱気が渦巻いていた。

 昨晩から未明にかけて発生した、不審者によるイタミ城中への侵入と、その犯人と目される拳法家と追捕使との衝突が原因である。


 城への侵入を許しただけでも彼等の矜持に泥を塗ったようなものなのに、それに加えて城の目と鼻の先で、自他ともに最高戦力と認める隊長のガクシンが出張ったにも関わらず容疑者に逃亡を許してしまったのだ。多くの追捕使達にとって、その事実は最早宣戦布告に等しかった。


 結果、東都所司代ルントウの名で発布された手配書は早馬でもってイタミ中に触れ回られ、東都は半ば厳戒状態となっている。

 そんな中、夜間の歩哨に立っていた追捕使の男は、イタミ城の本丸から伸びている連絡通路を足早にこちらに向かって来る人影を見咎めた。


 こんな時間に何者かと目を細めた彼は、城のあちこちで盛大に焚かれている篝火がその人影の横顔を照らし出すと、慌てて敬礼でもって人影を出迎えた。


「こ、これはルントウ所司代。このような時間に、わざわざいらっしゃるとは」


 彼が驚くのも無理はない。伴の者すら付けず、たった一人で追捕使達の元を訪れたのは、この東都で一番の権力者であるルントウだったのだ。


 本来、指揮系統から言えば、ルントウの方が追捕使を呼び出す側となる。それがわざわざルントウの方からやって来たということは、散歩の途中で立ち寄った等という事情でもない限り、呼び出す時間さえ惜しむほどの事態が起きた事を意味していた。


 当然、後者の方だったらしく、ルントウは敬礼でもって迎えた追捕使を一瞥すると、何かを懸命に抑え込んでいるような平坦な口調で告げた。


「すまないが緊急事態が発生した。ガクシン君を呼んでくれるかね」

「はいっ、了解致しました! ガクシン隊長をお呼び致します!」


 指示を復唱すると、きびきびとした動作で中に向かって呼びかける。

 頭脳労働担当の隊員達と共に、机上に広げた東都の地図を見ながらカイエンの潜伏先候補を話し合っていたガクシンだが、呼びかけに気付くと軽やかな足取りでルントウの元へとやって来た。


 午前中の激闘からこちら、ほぼ一日休む暇なく行動しているはずなのだが、その一挙手一投足には張りがあり、疲労している様子は見受けられない。

 彼はルントウの正面に立つと、直立不動の姿勢を取った。


「ガクシン、参上致しました。緊急事態と伺いましたが?」

「その通り。セイゲツ殿の監視に付けていた者から連絡あった。セイゲツ殿が独断専行したようだ」

「独断専行、でありますか……?」


 ガクシンの声音に困惑の色が混じる。

 本来、御庭番衆はロザン皇国中枢、より正確には皇族にのみ属する私設部隊の色合いが濃い。そして担当案件に関しては超法規的な捜査権を持っているため、その行動を縛ることは不可能に近いのだ。


 その意味では、御庭番衆に監視の人員を付けることを許諾させていることがまず異例であった。さすがは東都所司代というべきか、それだけでもルントウの政治家としての手腕が並々ならぬことは一目瞭然である。


 ともあれ、セイゲツは捜査に関しては絶大な権限を持っており、捜査対象や捜査手法についても追捕使の許可を得る必要は無いのだ。そんなことはルントウも十分承知の筈なのだが――


「もしや……交易船ですか?」


 ガクシンが至った回答を、ルントウは苦虫を噛み潰すような顔で肯定する。


「その通りだ。君も知っての通り、我が東都の経済は交易によって成り立っていると言っても過言ではない。暗黙の了解ではあるが、交易船は治外法権と同等の扱いをしている」


 ルントウの言葉に無言で頷くガクシン。ルントウの東都所司代就任後、最初に手掛けた政策なのだから忘れるはずもない。

 交易を促進させるため、それまでは不定期かつ強制的に実施していた荷改めを取り止め、入港と出港の際のサンプル検査だけに絞ったのである。


 治安の悪化を懸念する意見もあったが、出入りを監視する部署を増員することで対処し、結果的に東都は交易都市として、躍進と評して差し支えない成功をおさめたのだ。


 つまり、交易を支える根幹である交易船に対して、東都は極めて優遇的なスタンスを取っているのだが、セイゲツはそんなことなどお構いなしに、交易船の強制調査に乗り出したらしい。

 となれば、ルントウとしては面白くないに違いない。


 事情を理解したガクシンは、しばし考え込むと、上司に向かって己の意見を述べた。


「しかし、お言葉を返すようですが、御庭番衆の持つ査察権はロザン皇国として認可されたものです。東都の慣習とぶつかるような場合、御庭番衆の側が優先されるはずでは?」

「相変わらず杓子定規な事を言うものだな、君は」


 微量の苛立ちを含ませながらも、ルントウはガクシンの言葉を肯定する。肯定するが、だからといって引き下がるような人物では、東都所司代という地位には到底辿り着くまい。

 案の定、ルントウは咳払いを挟むと、言い聞かせるように続けた。


「私とてその程度のことは承知しているとも。だが、物事には配慮というものが必要だ。真夜中にいきなり自分の縄張りに土足で踏み込まれるケースと、あらかじめ通達を受けた上で自分の都合に合わせてもらえるケース。先方の覚えが良いのはどちらかね」

「それは……後者かと」


 問われるまでもない二択を強制的に選ばされる。一瞬だけ躊躇ったガクシンの回答に、ルントウは満足げに頷いた。


「その通り。交易船の責任者には私から話を通し、後日必ずセイゲツ殿の査察を受けるようにさせる。だから、こんな深夜に唐突な査察などという非常識は控えるように、君からセイゲツ殿を止めてもらえるかね」


 なるほど、そう来るかとガクシンは胸中で唸る。

 査察をするなというわけではない。機を改めろというわけである。

 一見すればそれなりに理があるようだが、ガクシンは直感的にセイゲツがその条件を呑むことはないと悟っていた。


 これは動かない木石の観察とは異なるのだ。何しろ、セイゲツが追っている相手は紅巾党。つまりは生きた人間である。御庭番衆の手が迫っていると悟られれば、行方を眩ませてしまうことは想像に難くない。

 それをよく承知しているからこそ、東都中の注目がカイエン一人に向けられ、自分への注意が薄れたこのタイミングで、しかも真夜中という時間を選んでの行動に打って出たのだろう。

 今更、後日改めて査察をさせるから今は堪えろと言ったところで、セイゲツが納得するはずもない。


 だが、どんなに成功の見通しが無くても指示は指示だ。追捕使という規律を守るべき組織にあって、隊長という重職にあるガクシンが率先して規律を破るわけにはいかなかった。

 彼にできるのは、せいぜい貧乏くじを引く覚悟を固めることくらいである。


「ご命令、拝領しました。それではこれより、セイゲツ殿の説得に向かいます」


 精一杯の抵抗として「説得」という表現を使うことで、力尽くでセイゲツを止めるつもりはないことを暗に示す。

 その意図を正しく汲み取ったのかは不明だが、ルントウは顔色一つ変えることなく、無表情に頷いた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 幾人かの部下を引き連れてガクシンが出立したのを見届けたルントウは、その足で執務室に向かった。

 普段ならばルントウ以外にも秘書の姿があるはずの執務室内には、深夜という時刻のせいもあってか、それらの人間の姿は見当たらない。

 そのため、部屋の片隅に置かれていた水差しからルントウ自身の手でコップに水を注ぐと、執務用の椅子に身を投げ出すように座ったかと思えば、あおる様にしてコップの水を一息に飲み干した。


「忌々しい話だな、計画も大詰めという段になってこの体たらくとは」


 執務机の上に叩き付けるようにしてコップを置くと、ルントウは沈着冷静な政治家という仮面を脱ぎ捨て、苦み走った表情で毒づく。

 ゆらりと立ち上がると、背後に壁に設けられた大きな窓から、夜のイタミを見下ろした。

 真夜中という時刻のため、東都の大半は闇に包まれている。そんな中、歓楽街以外で光を発している数少ない灯を、さながら睨むように見据えた。


 街の辻々に灯されているのは、例の拳法家捜索のために追捕使達が設置した篝火だろう。

 城から飛び出したかと思うと、目を疑うような速度で港に向かって突き進んでいくのは、ガクシンが持つ松明に違いない。であれば、後ろから遅れて付いていく松明の群れが、彼の部下達といったところか。


 そしてガクシンの向かう先、交易船の停泊している港にも幾つかの灯りが蠢いているのを見て取り、ルントウは舌打ちを零していた。


「御庭番衆め、さすがに鼻が利く。こうなる前に計画を完遂したかったのだが……今更言っても詮無きことか」


 突然の査察宣告に、交易船の関係者達が右往左往しているのだろう。ガクシンが向かう間にも、交易船を取り囲む灯りは数を増していた。


 確かに御庭番衆の存在は脅威だ。とりわけあのセイゲツという女は、今後の事を考えるならば速やかに取り除いておく必要がある。当然のようにそのための策も含まれているのだが、彼の立てた計画はどこの馬の骨とも知れぬ男の介入によって、屋台骨がグラつきかねない程にかき回されてしまっていた。


「拳法家のカイエン、か。どこのどいつかは知らんが、厄介な真似をしてくれたものだ。まさかたった一人のせいで、私の計画がここまで狂わされるとはな」


 そう吐き捨て頭を振る。実際、奴がこの東都に現れるまでは、彼の計画は順調に推移していたのだ。当初の予定通りならば、計画の最終段階が始まっていたとしても不思議はない。


 だが、今はまずい。

 一度は手中に収めたはずの鍵の片割れが失われているのだ。この状況で計画の最終段階が始まった場合、最悪、東都が灰燼に帰すこととなる。

 無論、そんな事態は望む未来ではない。


 とは言うものの、失くした鍵を探そうにも、現在の東都の情勢がそれを許さない。

 それもこれも、拳法家カイエンの影響によるものだ。悪態の一つもつきたくなるというものだろう。


 その時、廊下を踏みしだく無遠慮な足音が耳に届いたかと思うと、ノックも無しに執務室の扉が開け放たれた。


「何事かね、こんな夜中に騒々しいじゃないか」


 瞬時に政治家の仮面を着け直し、ルントウは部屋に飛び込んできた人物を叱りつける。

 平隊員の制服を着たその追捕使は、しかし、謝罪の言葉よりも先に、慌てふためいた様子で報告した。


「大変です! 城内にて火事が発生致しました!」


 報告を受けたルントウの眉がぴくりと動く。確かに事件には違いないが、それほど慌てるようなものだろうか。せいぜい厨房での火の不始末か、篝火からの飛び火だろう。

 そういった事態は想定の内で、イタミ城を囲む水堀から引いた消火用水が城のあちこちに配備されている。いくらガクシンが不在でも、その程度の判断すらつかない程、東都の追捕使は低能ではないはずなのだが――


「確認できる限りでも、十か所以上から同時に火の手が上がっております。まったく火の気の無いはずの場所でも報告があり、明らかに不審火、いえ何者かによる攻撃です!」


 想像だにしなかった報告に、さすがのルントウも一瞬だけ絶句してしまった。

 これも例の拳法家の仕業かと疑うが、やり口から匂う気配がまるで異なる。確証は無いが、別口の相手からの攻撃と判断するのが現実的だろう。

 そんな思考を組み立てている間にも、平隊員は焦った表情で訴えた。


「現在、ガクシン隊長を始め、指揮官クラスの追捕使は全員が出払っております。ルントウ所司代、どうか消火の陣頭指揮を取ってください!」

「……わかった。準備ができ次第すぐに向かう。君は火元の特定と規模を把握、それと消火に当たれる人員を集めておくんだ」

「はっ、了解致しました!」


 おざなりな敬礼を返すやいなや、平隊員は踵を返して姿を消す。

 ルントウは部屋に常備されている防火服――耐火機能を持つ繊維を編み込まれた、頑丈さには定評があるがセンスが無いことでも他の追随を許さない、肌触りの悪いごわついた衣服に着替える。最後に執務机の一番下の引き出しを開けかけるが、思い直したように引き出しに掛けた手を戻すと、陣頭指揮を取るべく執務室を飛び出して行った。


 あまりに急いでいたため、彼はとうとう気付くことは無かった。

 部屋の隅に目立たない程にわだかまっていた影がゆらりと立ち上がったかと思うと、執務机の一番下の引き出しをおもむろに漁りはじめ、やがて巧妙に隠されていた二重底の下から数枚の書類を抜き出したことに。


 だが、今夜の異変はそれだけにとどまらなかった。

 目的の物を見つけて影がほくそ笑んだその時、窓の向こうの暗闇の奥に浮いていた交易船から、東都中に向けて獣の遠吠えが響き渡ったのだった。

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