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反攻の狼煙3

 隠れ家で情報の精査を行っていたリンカは、周囲の目を欺くためのダミーである地上のあばら家に、何者かが侵入した気配を察知して顔を上げた。

 なぜそんなことが分かるかといえば、あのあばら家には至る所に影の糸を張り巡らせてあり、もし侵入者が引っ掛かれば、鳴子のようにそれが分かるようになっているためである。


 影の糸はリンカの霊紋持ちとしての能力で生み出したものであり、強度こそないものの距離に関係なくリンカと繋がっている。危ない橋を渡ることの多いリンカにとって、身の安全を確保するために必要な技といえた。


 浮浪者や鼠の類の可能性もあるが、さっき隠れ家を出て行ったカイエンの姿を目撃されていた可能性もある。リンカは息を殺すと、影の糸による探知網に意識を集中した。

 それによれば侵入者は一人。足音や歩幅からして成人男性だろう。


 侵入者は屋内に入るやいなや、迷いのない足取りで床の一点に向かうと、おもむろにそこの床板を持ち上げた。すなわち、この隠し地下室へ通じる入り口だ。


 間違いない。侵入者はこの隠れ家の事を知っている!

 リンカが息を呑む間にも、侵入者は迷いのない足取りで三段飛ばしに階段を駆け下りてくると、ノックなどクソくらえと言わんばかりの勢いで、盛大に隠れ家の扉を開け放った。


「よう、久しぶりだな!」

「……カイエン君、よくそんな意気揚々と入って来れるわね」


 ついさっき袂を分かったはずの人物の登場に、リンカは声の温度を一段階低くする。

 カイエンは、リンカから発せられる微妙な空気をこれっぽちも斟酌することなく、真剣極まりない口調で言い放った。


「リンカ、ちょっと手伝ってくれ」

「手伝う、ねえ。それはつまり、カイエン君が私の計画に協力してくれる気になった、という意味かしら?」


 足を組み替えながら鷹揚に尋ねると、カイエンは「うんにゃ」と否定する。


「それは無い。あんたが何を企んでるのか全然わからないからな。そんな奴の計画にほいほい乗るほど、俺は御人好しじゃない」

「はっきり言い切るのは君の美徳だけど、限度ってものがあるでしょうに……大体、信用できない相手に頼みごとなんてしても良いのかしら?」

「あんたのことは信じてないけど、あんたの腕前は信じてる。だから頼んでる、それだけだ」


 ある意味潔すぎる回答に、リンカは渋面を作った。これがカイエン流の最大の賛辞であることが伝わったためである。

 しばしの間沈黙するが、胸中で算盤を弾き終えると、リンカは自分史上最大の大きさの溜息を吐いた。


「まったく、カイエン君と話しているとペースが狂って仕方がないわ。とりあえず話だけは聞いてあげるから、適当に座って頂戴」


 リンカの言葉に頷くと、カイエンはさっきまで座っていたソファに腰を下ろした。これで期せずして、カイエンが断ったために打ち切りとなった先程の話し合いを、続行する形式が整ったことになる。

 それを知ってか知らずか、カイエンは真っ直ぐな眼差しでリンカを見据えると、溜めや遊びを駆使することなく、単刀直入に切り出した。


「紅巾党の連中の根城を知りたい。教えてくれ」

「いきなり押し掛けて来たかと思えば、また唐突に無茶なことを言い出すわね。さすがに私でも、知っていることと知らないことがあるんだけど」

「知らないのか?」

「……そうは言っていないでしょ」


 駆け引きもへったくれも無い。カイエンの在り方は、見据えた獲物にただ一心に喰らいつく獣そのものだ。あまり直截的な言い方は好みではないのだが、相手が相手だけに仕方ない。そう割り切ると、リンカは冷たい口調で言い放った。


「いい事? 今現在、私とカイエン君の関係は、敵ではないけど味方でもない。どちらが上というわけでもない、言わば対等の関係よ。対等の相手から欲しいものを引き出すのに、ただ寄越せと主張するだけでは盗賊と同じよ」

「おお、なるほど。じゃあ、俺からも何か差し出せばいいんだな! でも、金は全額、情報料としてやっちゃったしなぁ――うん、出せるものはないぜ!」

「力強く言い切らないで頂戴。大体何よ、情報料で有り金全部払うって。あ、いや、いいわ。聞いても多分理解できない上に、頭痛の種が増えるだけだろうから」


 トラップその1を華麗に回避し、リンカは言葉を紡ぐ。


「それに私が今欲しいのは、お金ではなくて君の協力よ。君が私の指示に従ってくれるというなら、代わりに君の欲している情報を提供しても構わないけど?」

「それは断る。あんたは信用できないから、俺はあんたに協力はしない。でも、あんたは俺に協力してくれ」


 幼い子供でもここまでは言うまいという無茶な要求を、カイエンは堂々と述べ立てた。その我儘っぷりに、さすがのリンカも額に青筋を浮かべる。


「あのね、私に全く得が無い取引に、うんと頷くわけがないでしょ」

「駄目か?」

「駄目よ、ダメダメよ。どうしてそんな取引が成り立つと思ったのよ。というか、もはや取引ですらないじゃない」


 ぴしゃりと言ってのけると、さすがのカイエンも落胆したのか肩を落とした。

 消沈した様子で胸元に手を当てると呟く。


「ごめんな、ヘイ。当てがはずれちまったみたいだ」

「ヘイ?」


 聞き慣れない名前に眉をひそめるリンカ。疑問の答えは、カイエンの腕の中から顔を覗かせた。


「くぅーん」


 道着の胸元からひょこりと顔を覗かせたのは、黒い毛並みをした仔犬の鼻面だった。

 謝罪するカイエンを慰めるように、ぺろぺろと頬を舐める。


「はははっ、やめろってば。まあ、リンカの協力が得られなかったのは残念だけど、取引にならないって言われたら諦めるしかないからな。後は、東都中を虱潰しに探し回るか――」


 仔犬に語り掛けながら席を立ち、隠れ家を辞去しようとするカイエン。その背中に、上擦った声が待ったを掛けた。


「カ、カイエン君っ。その仔犬は、その仔犬様はどこのどなたかな!」

「仔犬様? ああ、ヘイの事か。こいつはヘイって言うんだ。名前は無いらしいから、俺が名付けた」

「名前の事じゃなくて――いや、名前も大事なんだけど、そうじゃなくてっ!」


 両手をワキワキとさせながら、吸い寄せられるように近付いていく。カイエンはそんなリンカの様子に首をかしげるが、気を取り直すとくるりと背を向けた。


「邪魔して悪かったな。当てはないけど、こうなったら地道に足で探すことにするよ」


 別れの挨拶を告げると、迷いのない足取りで部屋を出て行かんとする。だが、それよりも早く、リンカはカイエンを引き留めるように肩を掴んでいた。

 何事かと首をかしげるカイエンに、リンカは熱に浮かされた――あるいは恋する乙女のような表情で告げる。


「カイエン君、さっきの話、受けるわ。この件に限って、私は君に全面的に協力してあげる」

「え、いいのか? 取引にならないとか言ってたじゃないか」

「ああ、取引ね。うん、そう、取引よね。じゃ、じゃあこうしましょう。私は君に協力する代わりに、ヘイ君を思う存分モフモフさせて頂戴」

「もふもふ?」


 何を言いたいのかまるで理解できず、カイエンがおうむ返しに問い返す。リンカは血走りかけた両目を見開くと、鼻息荒く頷いた。


「そう! モフモフというのは、撫でたり、抱きしめたり、頬擦りをしたりすることよ!」

「ヘイに関しては、俺が勝手に決めるわけにはいかないぞ」

「では、どなた様にお願いすれば!?」

「落ち着け。人格変わってるぞ、あんた。まあ、ヘイのことならヘイに決めてもらうのが一番だろ」


 そう言うと、カイエンは腕の中に抱えた仔犬に何事かを囁いた。それに対し、仔犬もわんわんくんくんと鳴き返す。

 その光景を、リンカが涎でも垂らしそうな表情で見守っていたが、やり取りを終えてカイエンがリンカに向き直ると、期待と欲望で染まった瞳をギラギラと輝かせた。


「どうだった!?」

「あー、少し不安らしいけど、それであんたの協力が得られるなら良いってさ。ただし、強く抱き過ぎたりして怪我はさせるなよ」

「当然よっ!!」


 許可が下りた瞬間、リンカは獲物を狙う蛇もかくやといった機敏な動きで、カイエンが抱えている仔犬に向かって突撃していた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「おーい、そろそろ戻ってこーい」

「はっ、私は一体なにを?」


 カイエンの呼びかけで、桃源郷へと飛んでいたリンカの意識は、無事に現世への帰還を果たした。

 己を抱きしめる力が緩んだ隙に、ヘイは素早くリンカの腕の中から抜け出すと、机の上に降り立って全身の黒毛をぶるりと震わせる。

 慌てて懐中時計を確認すれば、すでに時刻は真夜中になろうとしていた。単純計算で、半日以上ヘイをモフっていたことになる。


「確か、私は……」

「すげえな、あんた。まさか一日中、ヘイを構いっ放しになるとは思わなかったよ」


 投げかけられた声に慌てて振り向いてみれば、カイエンがくつろいだ様子でソファに寝転んでいた。当然のように噛り付いているのは、リンカが隠れ家に常備している保存食の干し肉である。仮眠も取っていたらしく、カイエンはぐうぅと背筋を伸ばすと、欠伸をしながら凝った筋肉をほぐし始めた。


 その光景にリンカの記憶が蘇る。ヘイを可愛がりたい一心で、カイエンの無茶苦茶な要求を呑んだのだ。

 だが、不思議なことに後悔はない。ヘイとあれだけスキンシップできたのだから、無茶な取引の一つや二つ、なんだというのだ。


 そう思えるほど、ヘイの魅力はリンカを虜にして放してくれなかった。可愛い動物好きなのはある程度自覚していたが、ヘイはまさに、リンカの好みのど真ん中を撃ち抜いたのである。

 自分でも知らなかった、心の奥底で求めていたものを堪能し尽したリンカは、ほくほくとした笑顔を浮かべてカイエンに告げた。


「ありがとう、カイエン君。お陰で私の生きる意味が見つかった気がするわ。これだけの報酬を前払いでもらっちゃったからには、こっちも全身全霊でお返しするわね」

「おう。何を言ってるのか半分くらい理解できなかったけど、まあやる気が出たなら良い事だよな」

「ふふふ、今の私には恐れるものなど何もないわ。それで、カイエン君に協力するという話だったけど、具体的には何をして欲しいのかしら?」


 艶々とした顔色と穏やかな口調で尋ねてくる。

 あまりの豹変ぶりに違和感すらおぼえてしまうカイエンだったが、協力的になっているなら都合が良いかと気を取り直すと、改めて最初の要求を突きつけた。


「紅巾党の連中が根城にしている場所を教えて欲しい。探している奴がいるんだ」

「紅巾党ねぇ。私の方でも正確な位置は掴めていないわよ。候補をいくつかあるけど確証までは無いし、繋ぎ用の連絡要員が常駐している場所なら心当たりがあるけど、カイエン君が求めているのはそれじゃないんでしょ?」


 リンカが訊くと、カイエンは力強く首肯した。


「ああ、本拠地の場所が知りたい。そこにいるはずなんだ」

「いるって……誰が?」

「ヘイの兄弟」


 カイエンの回答に、リンカは気付くと立ち上がって拳を握り締めていた。

 一瞬で沸騰した頭を何とかクールダウンさせながら、カイエンをぎろりと睨み付ける。完全に目が据わったリンカは、どすの利いた声音で告げた。


「カイエン君、詳しい話を聞かせて頂戴」

「ああ。といっても、俺も又聞きだし大したことは知らないぞ。えーと、要するにヘイには兄弟がいて、紅巾党の連中はその兄弟ともども、ヘイを捕まえて東都に運んで来たらしい。で、ヘイは隙を見て逃げ出したけど、どうにかしてその兄弟を取り返したいって訳だ」


 簡潔に纏められたカイエンの説明に、リンカの握り締めるソファの肘掛けからギシリと異音が響く。宿主の怒りに呼応して影の精霊が活性化し、部屋の中に薄暗い帳が落ちた。


「潰しましょう」

「え、今なんて――」

「紅巾党、必ず私達の手で叩き潰すわよ」

「あ、ああ、そうだな。俺もそのつもりだ」


 あまりの霊圧に気圧されながらも頷くと、部屋中を満たしていた影霊の気配がすっと消えた。

 安堵に胸を撫で下ろす暇もなく、リンカは勢いよく立ち上がる。


「カイエン君、ちょっと出掛けてくるわ」

「いきなりだな。どこに行くんだ?」


 行き先を尋ねると、リンカは落ち着いた――しかし、冷え切った声で答えた。


「イタミ城よ。現状、私が持っている情報だけじゃ、紅巾党のアジトまで辿りつかないわ。だったら、別の情報源に頼るまでよ。追捕使や御庭番衆が集めている情報を入手して組み合わせれば、アジトの候補を絞ることができるはず」


 それは常識的には無謀な宣言である。厳戒態勢の城に、たった一人で忍び込もうというのだ。

 だが、リンカは隠密・潜伏を得意とする影霊を宿す霊紋使いだ。彼女が本気で挑んで侵入できない場所など、この世の果てまで探しても見つかるまい。

 それゆえに、カイエンは止めることなく別の問いを投げた。


「手伝いはいるか?」

「不要よ。素人がついてくるくらいなら、一人でやった方が確実だわ」


 ばっさりと切り捨てられるが、それもむべなるかな。身体能力こそ超人的であるカイエンだが、こっそり侵入するとなれば、必要なのは腕力ではなく技能と経験である。どちらも持ち合わせていないカイエンでは、足を引っ張っることはあっても手伝いにはなるまい。

 ある意味予想できた返答だったため、カイエンは素直に頷いた。


「わかった。それと、あんたが城に行っている間、俺の方でやっておく事はあるか?」


 リンカはしばし考え込むが、すぐに首を横に振った。


「特にないわね。カイエン君の力が必要になるのは、私が紅巾党のアジトを突き止めた後よ。それまでは英気を養っておいて」


 それだけ言うと、闇に溶けるかのように、リンカは姿を消すのだった。

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