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反攻の狼煙2

 リンカの隠れ家から出た後、カイエンは貧民街の一画をぶらついていた。

 突然、追捕使との捕物やガクシンとの戦闘に巻き込まれたためすっかり忘れていたが、カイエンは今日という日を、東都の観光に費やすつもりだったのだ。そのことを思い出したのである。


 普通の観光客ならば、わざわざ貧民街を見て回ろうなどとは考えるまいが、カイエンにとっては街で目にするもの全てが新しく映るため、何の変哲もない街並みですら十二分に好奇心を刺激される。


 きょろきょろしながらうろつき回るカイエンに、貧民街の者達は訝し気な眼差しを向けてくるが、誰も彼もが視線が合いそうになるや目を背けてしまう。

 その理由は簡単で、当のカイエンがどこをどう見ても、訳アリ・金無し・武力有りという、貧民街の住人が声をかけたがらない三要素を網羅しているからである。結果的に、堅気の者が迷い込めば無事に出ることはかなわないとされるヤクザ者達の縄張りですら、それと気付くことなくカイエンは通過することが出来ていた。


「――ん」


 カイエンが違和感を覚えたのは、貧民街の中でも特に年季の入った一画に足を踏み入れた時だった。

 見た目にはこれまで通って来た地区と大差は無い。聴覚にも嗅覚にも、これといって引っ掛かるものはない。だが、その区画から先を漂う空気の質だけが、決定的に異なっていた。


 例えるならばそれは、粘りつくような重さであり、突き刺すような刺々しさであり、焼けつくような渇望である。

 まるで他人の感情が止め処なく流れ込んでくるようなその感触に、カイエンは一つだけ心当たりがあった。

 それを確かめるべく、周囲に素早く視線を走らせると、道の片隅にしゃがみ込んでいた、あばら骨が浮き出るほどにやせ細った十歳ほどの少年に歩み寄った。


「ちょっと聞きたいんだけど、いいか?」

「な、なんだよ、あんた……」


 いきなり声をかけられ、面食らったように少年は応じる。カイエンは少年が動揺していることにすら気付いていない様子で、少し焦ったように問いかけた。


「この辺りに、古くて大きい建物は無いか? 建物じゃなくても、古い樹とか岩とか、そんなのでもいいんだけど」

「古い建物か……一つあるぜ、兄ちゃん」

「その建物がどこにあるか教えてくれ」


 カイエンが頼むと、少年はしめたとばかりに口の端を持ち上げた。


「仕方ないなー、そこまで頼むのなら教えてやってもいいぜ」

「そいつは助かる。急いでるんだ」


 カイエンは勢い込んで詰め寄るが、少年はちっちと指を振ってみせた。


「兄ちゃん、人に物を尋ねる時には、代わりに出すものがあるんだぜ」

「え、便所に行けばいいのか?」

「そっちじゃねえよ! 兄ちゃんがでかい方を出そうが小さい方を出そうが、オイラに何の得があるってんだよ! 金だよ、金。情報料を寄越せって言ってんの!」

「なんだ、金が欲しいなら最初からそう言えよ」


 拍子抜けした口調でそう言うと、カイエンは懐から金の入った巾着袋を取り出し、袋ごと少年の掌に乗せた。

 驚いたのは少年である。小銭でも巻き上げられたらラッキーくらいに考えていたのだが、財布ごと渡されるとはいくらなんでも想定外だ。思わず目を丸くして相手の顔をまじまじと見てしまうが、カイエンはきょとんとした表情を浮かべるのみだった。


「さあ、金なら渡したぞ。どこにその建物があるんだ?」

「あ、ああ――あっちの屋根の上に尖った先っぽが見えるだろ? あそこさ」


 一瞬だけ呆然とする少年であったが、カイエンに催促されて我に返ると、慌てて目的地の方角を指差す。

 カイエンはそちらに目をやり、距離と方角に見当をつけると、少年には目もくれず風のように走り去った。


 少年は狐につままれたかのような表情で立ち尽くしていたが、カイエンの後ろ姿が見えなくなった頃、あらん限りの力を込めて頬を思いっきり抓ってみた。

 当たり前だが痛かった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ここだな」


 霊紋持ちとしての身体能力をいかんなく発揮し、目にも止まらぬ速度で貧民街を駆け抜けたカイエンは、目的地に到着すると砂埃を巻き上げて停止する。


 そこは廃墟となった寺院であった。

 かつては勇壮を誇ったのであろう門扉は片側が失われ、残ったもう半分にも苔が生している。控えめに言って荒れ果てているが、年月を積み重ねたその佇まいは、朽ちてなお威厳を感じさせる。

 境内は草が縦横無尽に生い茂り、正面に聳える本堂もあちこちの壁や扉が崩れ、見るも無残な姿を晒していた。


 誰何するまでもない。もはやこの寺院は放棄され、浮浪者の一人とて住んではいるまい。

 だが、カイエンは緊張した面持ちで唾を飲み込むと、覚悟を決めて寺院の敷地へと足を踏み入れた。

 その途端、膨大な無形の圧力が叩き付けられ、思わず足元がふらつく。

 実際に接触するのは初めてだが、間違いない。この寺院は霊叉地だ。


 霊叉地。それは森羅万象のあらゆるところに宿っている精霊が、特に濃く集まっている場所を言う。

 その多くは人の手の及ばない奥地や秘境にある。だが、ごくまれに人里にも霊叉地が生まれる場合があり、そこには自然と人や物が集まるとされていた。


 この寺院を建てた者達が霊叉地のことを知っていたかどうかは分からないが、かつてこの寺院は東都の中心として機能してことは想像に難くない。

 東都の政の中心がイタミ城へ移っても、精霊の中心は変わらずここであり続けたのだろう。


 この場所を形成するに至った歴史の重みを、文字通り肌で受け止めたカイエンは、その壮大さに圧倒されるしかない。

 忘我の表情で歩を進めたカイエンが、本堂の正面まで進んだその時、境内の至る所に堆積していた精霊達が突如渦を巻いた……ような気がした。


 霊紋を通じて霊像と化していない精霊を見ることは、たとえ霊紋持ちでもかなわない。しかし、目には見えなくとも、精霊達がざわついていることは霊紋を通じて確かに知覚できる。

 とはいえ、人間的な意味での自我が極端に薄い精霊達が、ここまでざわめくとは尋常ではない。ではその原因とは一体何か。タイミングからして、カイエンにあるとみて間違いあるまい。


 それを証明するかのように、巻き起こった精霊のうねりは蛇のように鎌首をもたげると、カイエンの頭上から雪崩のように降り注いだ。

 咄嗟に両手を掲げ、防御の姿勢を取る。

 そんな抵抗をあざ笑うかのように、荒れ狂う精霊の波に飲み込まれた瞬間、カイエンの意識は記憶の海へと投げ出されていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 幼いカイエンは己の手を握る人物の顔を見上げた。

 その人物はカイエンが見つめていることに気が付くと、にこりと微笑み優しい笑顔を向けてくれた。


「どうしたの、カイエン?」

「ん、なんでもないよっ、かあさんっ」


 舌足らずの幼い声で、弾むようにカイエンが答える。母親はもう一度微笑むと、馬車の進む先へと視線を向けた。

 荷台にカイエンと共に座っているのが母親ならば、御者席で馬車を操っているのが父親だった。

 カイエンと母と父。家族三人は今、荷馬車に乗って峠の中腹へと差し掛かっていた。


 彼らは今、故郷を離れて新天地へと向かう途中であった。その決断に至った理由は幼いカイエンにはまだ分からない――あるいは告げられていなかったが、大好きな両親と一緒であれば、そこがどこであっても構わなかった。

 だが、少年のささやかな幸せは、砂上の楼閣のようにあっさりと崩れ去ることとなる。


 ヒュカッ!


 突如飛来した一本の矢が馬車の目と鼻の先に突き立ったのだ。

 突然の出来事に怯え、暴れかけた荷馬の興奮を治めようと父親が手こずっている間に、横手の茂みから姿を現した男達によって、馬車の前後は鼠一匹の隙間もなく押さえられてしまう。

 男達は皆、剣呑な武器を見せつけるように抜き身で持ち、返り血と思われる赤黒い汚れを革鎧にこびりつかせていた。


「ざぁんねぇん、ここから先は行き止まりだぜぇぇぇ!!」


 下卑た嬌声を上げて男達が嗤う。

 父親は、不安そうに己を見つめる母親に安心させるように頷くと、御者席からゆっくりと降り、両手を挙げて降参の意を示した。


「有り金なら全て渡す。命だけは助けてくれないだろうか」


 父親の言葉に対し、男達は再び不快に嗤うと、剣を鞘に納めて近寄って来た。


「俺達の手間ぁ省いてくれるとは、殊勝な心掛けじゃぁねえか。気の利く奴は嫌いじゃねえ」


 どうやら見逃してくれるらしい。安堵に胸を撫で下ろした父親は、荷台の妻と子を振り返り、もう大丈夫だと小さく口を動かして――


「……?」


 突如胸から生えた剣を唖然とした面持ちで見つめた直後、口から大量の鮮血を吐き出して倒れ伏した。


「――あなた、あなたっ、あなたあぁぁ!?」


 一瞬何が起きたのか理解できず、思考が凍結してしまった母親は、一拍置いて事態を理解した瞬間、それまでの優しい声音はどこかに置き忘れてしまったかのように、裏返った悲鳴を上げた。


 転げ落ちるように荷台から降り、足をもつれさせながら夫の身体へ縋りつく。だが、抱き起された父親の瞳にはもはや光は無く、そこにはかつて父親だった亡骸が転がっているだけだった。


「あーあ、またあいつの悪い癖が出たな」

「まったくだぜ。後始末を手伝う身にもなれってんだ」


 父親を刺し殺した男に向けて、仲間達も苦情を言い立てるが、その声音はどれも緩んでおり、身内のじゃれ合いであることは明白だ。

 男もそれを承知しているらしく、わざとらしい笑みを浮かべると、形だけの謝罪をしてみせる。


「いやー、悪い悪い。この野郎がすっかり油断してるもんでよぉ。そんな舐めた奴を見たら、ついついブスッとやりたくなっちまうだろ?」

「おいおい。この前、抵抗した獲物を甚振って殺した時は、『足掻く奴を少しずつ切り刻んで、諦めさせた時が一番楽しい』とか言ってなかったか」

「それはもちろん楽しいけどよ。助かったと思って気を抜いていた奴が、いきなり裏切られてどん底に落ちるってのも、それはそれでオツなもんじゃねえか」

「要するに、殺せりゃどっちでも良いってことだろ?」

「ちげえねえや、はははっ」


 人の死を肴に笑い合う。耳障りな声が唱和して響く中、母親がゆらりと立ち上がった。

 幽鬼のような足取りで、恐怖のあまり荷台で固まって動けないカイエンに向かい、ゆっくりと歩み寄る。


 だが、荷台に到着するより先に、男達の一人が母親に目を止めると、面白半分に殴りつけた。

 母親は一切防御することなく側頭部に拳を受けると、抗う事など出来るわけもなく大地に叩き付けられる。


 それでも母親は、眼前の光景を目に焼き付けるかのように凝視し続けるカイエンに向かって、気力を振り絞ってうっすらと微笑んでみせた。儚い笑顔を浮かべたまま、「カイエン」と名前を呼びかけた瞬間、振り下ろされた武器が心臓に突き刺さり、笑顔のままで母親は逝った。


 その全てが、カイエンにとってひどく遠い出来事のように感じられた。

 まるで自分だけがその場にいないような感覚。いつの間にか悪夢の世界に迷い込んでいただけで、目が覚めれば両親とも傍らにおり、カイエンを抱きしめてくれるような気さえする。


 だが、唯一残った理性の欠片が、目を背けるなと警鐘を鳴らす。

 微かに届いたその警鐘に押されるように、のろのろと視線を持ち上げると、母親を殺した男がカイエンに向かって武器を振り上げているのが見えた。


「ガキ一人だけ残したりしたら可哀想だからな。親元に送ってやるぜ」


 何事かをがなり立てているようだが、カイエンに耳には入らない。この瞬間、カイエンが聞いていたのはたった一つの声だけだった。その声に背を押され、カイエンはゆらりと右手を持ち上げた。

 絶妙なタイミングで掲げられた掌は、振り下ろされた男の手首を掴み取ると、その動きを完全に封じ込めていた。


「!?」


 一拍遅れて、受け止められた男がその事実を理解し、驚愕し、そして恐怖する。

 大の大人が全力で振り降ろした一撃が、五歳になるかならないかといった子供に受け止められたのである。

 慌てて振り払おうと腕に力を込めるが、溶接でもされてしまったかのようにピクリとも動かない。


 受け入れがたい現実に目を剥いた男は、その瞬間、己の腕を掴みあげている少年の全身が淡く発光していることに気が付いた。

 発光の正体は不可思議な紋様だった。瞬きする間にも形を変え続け、少年の全身を流れるように包み込んでいる。そして男は、不幸にもその現象に心当たりがあった。


「霊紋……!」


 呻くようにその名前を絞り出す。通常、霊紋持ちは辛く厳しい修行の果てに、超常の力を体得する。だが、ごくまれに修行という過程を経ずに、その力に目覚める者がいるという。

 それは天才とも、精霊に見初められた者とも言われるが、覚醒の理由についてはいまだ判明していない。確かなことはただ一つ、自分達が敵に回してはいけない存在に手を出してしまったということだけだ。


 恐怖のあまり失禁する男が最後に見たのは、少年に宿った精霊がその姿を顕現させる光景だった。

 他者に怒り、己に怒り、そして世界に対して怒り狂い続けると言い伝えられる、その精霊の名は――


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「いてっ!?」


 肉体が痛覚を検知した瞬間、カイエンの意識は記憶の海から即座の帰還を果たした。

 直前まで見ていた白昼夢の内容を振り返る余裕もなく、カイエンは痛みの原因である足首に視線を落とす。


 そこにいたのは一匹の仔犬だった。黒い毛並みは少しだけくすんでいたが、見間違えることはない。数日前、紅巾党の連中に追われていたあの仔犬である。

 仔犬はカイエンが目を覚ましたのに気付いたようで、噛み付いていた足を放すと、つぶらな瞳でカイエンを見上げてきた。


「もしかして、助けてくれたのか?」

「うぉんっ」


 尋ねるカイエン、吠える仔犬。ぶんぶんと尻尾を振って、これでもかとじゃれついてくる。

 肉を分けてやったおかげか、相当懐かれたようである。


 足元に纏わりつかれながら、カイエンはたった今見ていた光景を思い出していた。

 長い間忘れていたはずの光景が、どうして今になって想起されたのか。おそらくは直前に飲み込まれた精霊の大波のせいだろう。あれが霊紋を通じてカイエンに宿る精霊に干渉し、精霊が初めて宿った時の記憶が引っ張り出されたのである。


 それにしても危ういところだった。あのまま記憶を刺激され続けていたら、最悪の場合、カイエンの中で眠る精霊が完全に覚醒していた可能性もある。

 あの精霊は、宿しているカイエンですら制御しきれてはいない。もし制御を離れて暴走させていたら、カイエン自身すら無事では済まなかったはずである。


 それを知っていたわけではないだろうが、カイエンにとって仔犬は命の恩人に等しかった。


「というわけで、何か恩返しがしたいんだが、希望はあるか?」

「わぅ?」


 仔犬はちょこんと首をかしげていたが、カイエンが辛抱強く待ち続けていると、とうとう観念したように一声吠えた。


「わふぅ、わふっ!」

「え、マジか? そいつは大変だったな。分かった、俺に任せとけ」

「くぅーん……」

「心配するなって。そっち方面に強そうな知り合いに心当たりがある」

「わぅん」


 傍目からすると謎でしかないやり取りを終えると、カイエンは仔犬を抱き上げる。

 とある方角へ向き直ると、不敵な笑みを浮かべて呟いた。


「さて、反撃開始といくか」

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