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(幕間)東都所司代と御庭番衆

 ガクシンが絡みつく影の領域から脱出した時、既にそこにはカイエンの姿は無くなっていた。

 取り逃がした事を悟り、霊紋の鼓動を止める。

 ゆっくりと精霊の残滓が散っていくのを実感しながら、ガクシンはいまだに網に絡まれて身動きの取れない部下達の救助へと向かった。


「皆すまない。皆があそこまで追い詰めてくれたというのに、私の力が及ばず取り逃がしてしまった」

「いえ、隊長が来てくれたからこそ、あそこまで奴を追い詰めることができたのです。我々だけでは、手も足も出ずに一蹴されていました」

「戦いならば隊長が圧倒していました。最後の介入が無ければ、間違いなく捕縛できていたはずです」

「さて、どうだろうね」


 一人ひとり丁寧に網を外しながら、対象を捕まえられなかったことを謝罪すると、助け出された追捕使達は揃って頬を紅潮させ、ガクシンの言葉を否定した。

 その一方で、ガクシンには予感のようなものがあった。それはカイエンがまだ、実力の底を見せていないのではないかという予感だ。


 確かに先ほどの戦闘では、終始ガクシンが押していた。だが、結局押し切れなかったことも事実なのだ。

 霊像を伴っていなかったことから、おそらくカイエンは第一階梯。だが、第一階梯の霊紋持ちにしては腕が立ち過ぎるというのが、実際に矛を交えたガクシンの実感である。


 しかし、仮に実力を隠しているとして、その理由が分からない。これが他の人間であれば、ガクシンも偽装工作を疑うところなのだが、生憎と実際にカイエンの人となりを知っている身から言わせてもらえば、そのような腹芸ができるタイプでもするタイプでもない。

 実際、あの謎の介入が無ければ、あの一合で勝敗は決していたはずだと自信を持って断言できる。


 そう問題はあの介入だ。

 何の前触れもなく出現し、一瞬でガクシンの動きを制限してみせた。振り払おうと試みても、大槌は影をすり抜けるばかりで実体を捉えることができなかった。

 あれは間違いなく霊紋使い、それも第二階梯の使い手の仕業である。どんな精霊の力によるものかまでは判然としないが、効果から見て妨害・足止め用の技であることは間違いないだろう。


 そんな技の使い手が、何故ガクシンを妨害し、カイエンの逃走に手を貸したのか。

 いや、むしろ都合が良すぎるあのタイミングでの介入のことを考えれば、むしろその妨害者の方が本命――


「隊長」


 部下からの呼びかけに、己の思考へと没頭しかけていた意識が引き戻される。

 顔を上げれば、呼びかけてきた部下が怪訝そうな表情で見つめていた。


「隊長、どうかされましたか? まさか怪我でも……」

「いや、何でもない。先程の戦闘について、少々考察をしていただけさ。もしかして心配して声をかけてくれたのかな?」

「あ、いえ、隊長に限って心配などっ――ではなくてですね、ルントウ様がこちらに向かっていると連絡がありまして」


 その一言で事情を察する。礼を言って立ち上がると、跳ね橋の方へと視線を向けた。

 跳ね橋の向こう側、イタミ城の城門から一団が姿を現す。それはたった一人を護衛する多数の追捕使達だ。そして、その追捕使達に周囲を厳重に警備されている人物こそ、東都所司代の役職にあるルントウという男だった。


 所司代とは、皇国中央に位置する央都から見て四方に配された、北都、東都、南都、西都をそれぞれ守護し治める役職である。より正確には、地方四都とその周辺の広大な地域を全般的に統括することがその役目だ。

 その統治範囲と職掌範囲の広さから、所司代はロザン皇国内にある小国の王とも表現できる。


 東都、すなわち皇国東部において圧倒的な権力を握っているその男は、ガクシンが歩み寄って行くと、警備の追捕使達の中から姿を現した。

 身長は160セテルに満たない。更に若干の猫背癖があり、本人がこっそり気にしている低身長を更に低く見せている。

 身に纏っているのは、所司代の地位にあるものだけが着用を許される、東都とロザン皇国の紋章双方が図柄として織り込まれた絹の着物である。

 わずかに蓄えている顎鬚も、政敵から鼠と陰口される容貌と相まって、貫禄ではなく貧相感の演出に一役買ってしまっていた。


 だが、見た目と中身が一致しないことはガクシンもよく承知していた。傍目には小悪党にしか見えないが、10年前に史上最年少と政位150人抜きという記録を引っ提げて東都所司代に就任した、辣腕という言葉がこれ以上ないほど似合う人物なのだ。

 それ以来、東都はめざましい発展を遂げ、東都住民の所得は倍増している。その手腕は誰もが認めるところであり、時たま流れる「皇族に成り代わろうとする野心家」といった流言飛語を全く寄せ付けない実績を誇っていた。


「ガクシン隊長、状況の説明をしてくれるかね」

「はっ、了解です」


 鋭い眼光を放つ双眸で命じ、ガクシンもそれに敬礼を返す。

 ガクシンが応援要請を受けてから今までの経緯を簡潔に報告すると、ルントウはしばしの間その内容を吟味した後、不気味な笑みを浮かべた。


「逃がしてしまったことは残念だが、そのカイエンとかいう拳法家については早速街中に触れを出すとしよう。炙り出すまでにそう時間はかからないはずだ」

「それについてなのですが……カイエンは利用されているだけの可能性があります」


 ガクシンの報告に「ほう」と眉を動かすルントウ。無言のまま先を促せば、ガクシンも慣れたもので小さく頷き応じた。


「別件にて、自分と彼の人物には面識があります。その時の印象から言わせていただければ、彼は今回のような事件を起こすような性格ではなく、また動機もありません」

「なるほど、君がわざわざ報告する程だ。考慮には値すると信じよう――だが、だからといってその人物を放置するわけにはいかんね」

「……理由を伺ってもよろしいでしょうか?」


 ガクシンが問うと、ルントウは顎鬚を撫でながら答えた。


「君の印象はあくまで君個人の主観であり、絶対的な評価尺度にはなりえないからだ」

「つまり、私の報告では信用できない、と?」

「そうは言わんよ。ただ、人間というのは一面からのみ見ても、すべてが分かるわけではないということだ。例えばその拳法家だが、紅巾党と何らかの繋がりがある可能性がある」

「何ですって!?」


 想像もしていなかったルントウの言葉に、初めてガクシンが動揺の色を見せる。ルントウは重々しく頷くと、とっておきの情報を開示した。


「御庭番衆のセイゲツ殿に付けていた追捕使達から報告が上がっていてね。先日、五番通りに出没したという紅巾党共をセイゲツ殿が捕縛に向かった際、それを妨害してセイゲツ殿と戦闘となり、あまつさえ逃げおおせた拳法家がいる。容姿や名前からみて、同一人物とみて間違いあるまい」

「私にはそのような報告は来ていませんでしたが……」


 ガクシンが訴えると、ルントウは片目をつぶってみせた。ウインクのつもりなのだろうが、貧相な小男であるルントウがやっても、愛嬌の類が欠片も感じられないところが逆に斬新ですらある。


「紅巾党の件は、一応は御庭番衆の専任案件なのでね。申し訳ないが、私の指示で情報は止めさせてもらっていた。それについては申し訳なく思うよ」


 専任案件と言われてしまえばそれ以上食い下がることはできず、ガクシンは「いいえ」と答えるしかない。

 想定通りの反応を引き出すと、ルントウは満足そうに頷いた。


「ともあれそういった事情もある。その拳法家について、事件と無関係と断ずることができないことも理解してくれるだろう? ああそうだ、君の報告を信じるのであれば、紅巾党にも利用されているだけの可能性があるのか。では拳法家カイエンについては、必ず生きて捕縛することを条件としよう。紅巾党との繋がりなどについては、どのみちその人物に問い質さねばらならないから、むしろ丁度良いくらいだ。どうかね、ガクシン君。足りない点があれば遠慮なく指摘してくれたまえ」

「……いいえ、適切な采配かと」


 立て板に水の如き勢いで繰り出されるルントウの案には、一見して問題らしき点は見当たらない。ガクシンが同意すると、ルントウは手近にいた追捕使を呼び、東都中にお触れを出すように命じた。


 それを横目に見つつ、ガクシンは再度ルントウに敬礼すると、その場を辞してイタミ城内に設けられている追捕使の待機部屋へと向かった。

 追捕使達に指示を出し、早々にカイエンを追跡するためである。

 だが待機部屋に向かう途中、黙って通り過ぎることのできない人物が、ガクシンの前に立ち塞がった。


「ガ、ガクシン隊長、少々お時間よろしい、ですかぁ?」

「セイゲツ殿ですか……」


 おどおどとした態度で声をかけてきたのは、央都から一時的に派遣されている御庭番衆の一人、セイゲツであった。

 チンピラに脅されるだけで気絶しそうなほど気弱に見える――実際、相当気弱な性格ではある――彼女だが、水の精霊を宿す第二階梯の霊紋使いであり、その実力はガクシンに勝るとも劣らない。


「申し訳ないが、私は少々急いでおります。急用でなければ、後で改めてお話しさせていただくということで良いでしょうか?」

「では急用なんですぅ」

「…………どうぞ、ご用件を仰ってください」


 気弱ではあるが、ここぞというところで迷わず踏み込んでくる。そんな人物評を思い返して胸中で溜息を吐いていると、セイゲツは小さく息を呑み、意を決した様子で切り出した。


「ガクシン隊長は先程まで、イタミ城へ侵入を試みた不埒者と交戦していたと伺ったのですが、真ですかぁ?」

「若干、不確定な点はありますが……概ね、その認識で間違いありませんよ」


 ガクシンが肯定すると、セイゲツは更に質問を重ねてくる。


「では、その人物がカイエンと名乗る拳法家だというのも事実でしょうかぁ?」

「そう、ですね……彼がイタミ城へ侵入を試みたかどうかはさだかではありませんが、私と戦闘して逃亡したのは、間違いなくカイエン君でした」

「え、ガクシン隊長でも逃げられてしまったのですかぁ!?」


 同じ霊紋持ち同士、東都において最もガクシンの実力を把握しているのは、恐らくこのセイゲツだろう。そのセイゲツもまさか、ガクシンがカイエンを取り逃がしたとは思ってもおらず、ついつい素っ頓狂な声を上げていた。


「その……ガクシン隊長はあの拳法家と面識があるようですが、まさかそれで手心を加えられたりとかは――ひっ、すみません」


 ガクシンが手を抜いたのではないかと言いかけたセイゲツだったが、突如噴出した荒ぶる精霊の気配に怯え、即座に謝罪していた。

 怒りの主はもちろんガクシンである。彼は追捕使という役目に並々ならぬ誇りを持っている。それを疑うような言動には、たとえ中央から派遣されてきた御庭番衆が相手であろうとも、断固とした態度を示すのだ。


 セイゲツの謝罪を受け、ガクシンから放たれる怒りの気配が鎮まる。

 それでも怯える小動物のように縮こまり続ける目の前の人物に、ガクシンは先程よりも冷たい口調で言い放った。


「お話はそれだけですか? そうであれば、私はこれで失礼させて頂きますが」

「あ、ま、待ってくださいぃ! お願いと質問が、あと一つずつあるんですぅ」


 涙声で頼まれ、ガクシンは渋々足を止める。

 セイゲツは瞳を潤ませたまま、上目遣いで頼み込んできた。


「まずお願いなんですが、私に付けている追捕使の方達。外してもらうことはできないですかぁ? せめて、人数を減らすとかぁ」


 これについてはガクシンも僅かではあるが耳にしていた。

 いくら御庭番衆が中央直属の特殊部隊とはいえ、東都は所司代直轄のいわば御膝元である。そこであまり好き勝手されては堪らないと、ルントウの命令で追捕使から何人か、手伝いという名の御目付要員としてセイゲツに張り付きになっているのだ。


 しかし、元々単独行動を旨とする御庭番衆としては勝手が狂うらしく、そのせいで紅巾党の捕縛に至らなかったという報告書を上げてきていると聞いている。

 同じ霊紋持ちとしてその苦労は理解できるのだが、生憎とルントウから直接下された指令であり、いくら追捕使隊長であってもその命令を取り消すことはできなかった。


 そう答えると、セイゲツは落胆して肩を落とす。が、気を取り直すと最後の質問を口にした。


「先程戦ったという拳法家なのですが、仔犬を連れてはいませんでしたかぁ?」

「犬、ですか?」


 予想もしていなかった質問に思わず首をひねる。だが、まったく心当たりは無い。

 ガクシンが首を横に振ると、セイゲツは「そうですかぁ」と呟いた。


「犬がどうかしたのですか?」

「いえ……未確認情報なのですが、先日の五番通りの事件の際、犬の事で紅巾党とその拳法家が言い争っていたという情報がありましてぇ。少し気になっただけですぅ」


 そう言うと、セイゲツは礼を述べて去って行った。おそらく、紅巾党に関する情報を洗い直すのだろう。そちらはセイゲツに任せることにして、ガクシンは改めて待機所に急ぐのであった。

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