カイエン包囲網3
3連投の3本目です。
「一応、弁解があるなら聞いてあげよう」
自らの背丈を超す大槌を片手で軽々と取り回し、ガクシンは声音に威圧の気配を乗せた。
髪の毛一本の油断すらなく見据える相手は、つい先日イタミに入る際に門番とひと悶着を起こしたカイエンという少年である。結局、その際は門番の不正が明るみに出ることとなり、そのきっかけとなったカイエンに対してガクシンは感謝の念すら抱いていた。
だが、それとこれとは話が別だ。
この東都において最大の権力者である東都所司代ルントウの寝室へ忍び込むという暴挙。それはとりもなおさず、警備を務めている追捕使への挑戦状に他ならない。
ガクシンは度量が広く寛容な人物として有名であったが、所属組織である追捕使のプライドを著しく傷つける今回の事件に対しては、一切の容赦なく犯人を叩き潰す覚悟を固めていた。
一方のカイエンは、構えを崩さぬままうんざりとした面持ちで答える。
「弁解も何も、どうしてあんた達が俺を狙っているのか、俺の方こそさっぱりわからないんだけどな」
その口から飛び出したのは、容疑の一切を否認する言葉だった。もしこれが嘘ならば、物理的な圧迫すら感じるこの状況で誤魔化しを試みることのできるその度胸だけは、ロザン皇国一と名乗っても異論は出るまい。
ガクシンがカイエンの様子を窺うと、その表情は困惑に彩られている。なるほど、心当たりが無いという言葉にも多少の信憑性はあるらしい。
元々ガクシンは、イタミ城の跳ね橋で事件の犯人と追捕使が交戦中という報告を受け、増援として現場にやって来ていた。ちょうどカイエンが追捕使達の包囲網を突破したところだったので、カイエンがその犯人だと推測して攻撃を仕掛けたのだが、もしもカイエンが犯人でないのであれば、ここでの睨み合いは全くの無駄となる。
確認を求めて視線をやると、投網に絡まりながらも二人のやり取りを注視していた指揮官は、自信に溢れた声を張り上げた。
「隊長、騙されてはなりませんぞ! 九鬼顕獄拳を名乗る拳法家のカイエン、そこの少年こそが本件の重要参考人で間違いありません!」
「何だよ、その本件とか重要参考人ってのは? 俺はあんたらの恨みを買うような真似なんて、これっぽっちもした記憶は無いぞ」
呆れた口調でカイエンは言う。一方、指揮官は額に青筋を立てて怒鳴り返した。
「ええい、よくもいけしゃあしゃあと言えたものだな!? こちらには動かぬ証拠があるのだ!」
そう言うと、懐から木札付きの鍵を取り出し、網の隙間から掲げてみせた。
「これは事件の現場で発見された遺留品だ。この鍵が、昨晩貴様が泊まっていたはずの部屋のものであることは調べがついている。それがどうしてイタミ城の中などに落ちていたのか、説明できるものならしてみせるがいい!」
「ふむ、どうやら憶測だけではないようだね。カイエン君、私からも是非説明を求めたい心境だよ」
ガクシンがカイエンへ向ける視線に鋭さが増す。対してカイエンはと言えば、胸を張って堂々と宣言した。
「知らん。その鍵は今朝気付いたら失くしてたんだ」
「小僧、そんな言い訳が通じるとでも思ったか!」
更に噛み付こうとする指揮官だったが、ガクシンが片手で抑えるようにジェスチャーすると不承不承ながら口を閉じた。その代わり、ガクシンは一挙手一投足すら見逃さないようカイエンを注視しながら、芯の通った落ち着いた口調で語り掛ける。と同時に、霊紋から力を汲み出すと、ゆっくりと全身に馴染ませ始めた。
「カイエン君。失くしましたと言われて、はいそうですかと信じていては、追捕使の責を果たすことはできない。少なくとも今の問答を聞いた限りでは、君の嫌疑は非常に濃いと判断せざるをえないようだ」
徐々に増していく圧力から戦闘態勢に移行していることが伝わったらしく、カイエンの構えも比例して鋭さを帯びていく。道着の下から覗く手足が淡く輝いたかと思うと、複雑怪奇な紋様が浮かび上がった。
常人を越えた力を持つ証、霊紋。これが輝くということは、全力で戦闘する意志を固めたことを意味している。
あからさまな戦闘態勢のまま、普段よりもわずかに硬い声音でカイエンは問うた。
「よく分からないけど、俺が悪いことをしたと疑われてるっぽいことは理解できた。で、俺に何をしろって言うんだ?」
「選択肢は二つある」
指を二本立て、ガクシンは提案する。
「一つ目は、おとなしく我々に捕縛されることだ。そうすれば君と戦う必要は無くなる。私としては、この選択をしてくれることを期待しているよ」
「……ちなみに、おとなしく捕まったら何か良い事でもあるのか?」
「良い事、では無いが、我々に身を委ねてくれるというならば、厳正な捜査を約束しよう。君の主張が正しいと証明されれば、即座に解放することも誓う」
苦笑を交えながらカイエンの疑問に答える。するとカイエンは、不機嫌そうに首を横に振った。
「お断りだな。あんた達の厳正な捜査ってのがどれ程のものかは知らないけど、俺のことを疑っているって時点で、俺から見ればこれっぽっちも信用できないよ。俺の無実は、俺が一番良く知ってるからな」
「ならば二つ目の選択肢となる。想像がついているかと思うが、こちらは力尽くでも君を捕縛するというものだ。私はもちろん、この東都中の全追捕使が昼夜の区別なく君を追い立てる。到底逃げられるものではないと忠告しよう」
「そんな事、やってみなけりゃ分からないじゃないか。少なくとも、顔も知らない他人に全てを任せて命を預けるよりかは、よっぽどマシだと思うぜ」
予想はついていたが、カイエンは迷うことなく追捕使との全面対決を選択する。ガクシンは残念そうに溜息を吐くが、顔を上げると凛とした表情でカイエンを見据えた。
「やはりそうなるか。残念だよ、カイエン君。せめて死なないように気をつけてくれ。申し訳ないが、私はその辺りの力加減に自信が無くてね」
ガクシンの全身が仄かに発光すると、その背後に巨大な槌をかざした人型の霊像が浮かび上がる。
東都の中枢であり、有数の観光名所でもあるイタミ城。その目と鼻の先で、霊紋持ち同士の熾烈な死闘が幕を開けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
先手を取ったのはガクシンだった。
霊紋持ちでしかなしえない高速の踏み込みでもってカイエンに肉薄し、振り上げた大槌で真上から叩き潰さんとする。
言葉にすればそれだけだが、ガクシンとて伊達や酔狂で東都という大都市で追捕使の隊長という大役を担っているわけではない。
ガクシンを支えているのは純然たる実力だ。
攻撃の気配を微塵も悟らせない予備動作の隠し方、踏み込みと連動した全身運動による遅滞の無い振り下ろし、そしてそれらを支える鍛え上げられた肉体と霊紋による強化。
すべてが合わさった時、ただのありふれた一撃は必殺のそれと化す。
油断など一切していなかったはずのカイエンだが、流れるようなその攻撃に対しては、強引に後ろに跳び退って回避するのが精一杯で、逸らして隙を作ったりカウンターを狙うことは甚だ困難だった。
ましてや、馬鹿正直に受け止めていてはどうなっていたか。その結末は、つい先程まで立っていた地面に刻まれた二つ目のクレーターを見れば想像に容易い。
だが、逃げるにしても相手が悪い。迂闊に背を見せれば、たちまちあの大槌の餌食となってしまうことだろう。首尾よくこの場は退散できたとしても、街中の追捕使が相手ではたちまち逃げ場を封じられ、ガクシンに追いつかれてしまう。
最低でも、ガクシンに追撃を躊躇わせるだけの痛撃を与えなければならない。
そんな目算を立てていると、クレーターの中心から大槌を引っこ抜いたガクシンは、背負うように持っていたそれを中段に構え直した。
「そうだ、忘れないうちに伝えておこう」
「……今更何だよ。やっぱり闘いたくないとかいった、腑抜けた事を言い出すタマじゃなさそうだけど」
「いや、もっと重要なことさ。私の宿す精霊について明かしておこうと思ってね」
突然何を言い出すのかと、カイエンは訝しむ。
霊紋持ち、特に第二階梯に至った者にとって、何の精霊を宿しているかは時に勝敗を左右しかねない重要なファクターとなる。
セイゲツのように一目瞭然の者もいるが、だからと言ってわざわざ戦う相手にそれをバラしたりはしないものだ。
それにも関わらず、ガクシンは己の精霊の種類を明かすという。
「と言ってもそう大層な話ではないさ。私の宿しているのは槌の精霊、いわゆる付喪霊というやつだよ」
「あー、まあ、武器を見ればそうかなとは思ってけど……どうしてそれを俺に言うんだ?」
どうにも理解できないといった表情を浮かべるカイエンの言葉に、ガクシンは小さく苦笑を零すと、それを打ち消すかのような爽やかな笑みで答えた。
「私の信念のため、かな。こんな仕事をしているが、私は人間というものを信じている、いや、信じたいんだ。だからどんな相手であれ、不要な隠し事はしたくないと思っているのさ。それに第二階梯の付喪霊を宿すことがどういう意味を持つか、本当に理解してくれるならば、もしかすると降参してくれるかもしれないしね」
「悪いが俺は頭が悪いから、あんたが何を言いたいのかよく分からん。ただ、あんたの生き方は随分と不自由に見える気がするぜ」
「……耳に痛いことを言ってくれるね。私を見てそんな感想を持つのは、君くらいのものだろう」
さてお喋りはここまでだと、ガクシンは小さく腰を落とす。カイエンも全身の力を適度に抜くと、ガクシンの打ち込みに対処すべく集中した。
一瞬の静寂。そしてそれを打ち破り、横薙ぎの軌道でガクシンが大槌を振るう。目を皿のようにしていたカイエンは、一撃目をギリギリまで観察できていたことも功を奏したのか、先程よりも余裕を持って回避に成功した。
目の前を猛烈な風圧を伴って通り過ぎていった大槌は、直撃していれば霊紋持ちの肉体にすら致命的な破壊をもたらすことだろう。だが、当たらなければどうということはない。
そして、大槌のような長柄の武器は、回避されてしまえばどうしてもそこに隙が生じる。
それを勝機と見定めて、カイエンは大槌の間合いに踏み込んだ。ガクシンが武器を切り返すより早くその懐に潜り込み、超至近距離から勝負を決める一撃を放つのだ。
「もらっ――!?」
拳を撃ち抜かんとするその直前、猛烈な悪寒に襲われたカイエンは咄嗟に思考を攻撃から防御へ切り替えた。
果たして悪寒の正体は、いつの間にか眼前にまで迫っていた大槌であった。
空振りさせたはずの大槌を超速で切り返し、懐に飛び込んできたカイエンを逆に狙い打たんとしているのだ。
だが、そんな事はありえない。いかに霊紋持ちが十人力とは言え、慣性を無視できるわけではないのである。大槌のような重量物を全力で振ったところから切り返すのであれば、多少なりとも技の繋ぎに継ぎ目が生まれるはずなのだ。
しかし、ありえないはずと言ったところで現実は現実、これを凌がなくては致命的な一撃を食らうことになる。咄嗟に思考するより速く、カイエンの本能が対処に動く。
「こなくそぉぉぉっ!!」
打ち込むはずだった拳を開き、掌底で大槌の柄の部分を打ち、掴み取る。回避は捨て、威力を削ぐことで受けるダメージを最小化しようというのだ。
果たしてその試みは、綱渡りではあるが辛うじて成功した。振り抜かんとするガクシンの力と受け止めようとするカイエンの力が、大槌の柄という一点でぶつかり合う。カイエンはここぞとばかりに霊紋の力を最大限に発揮させた。
だが、この押し合いを制したのはガクシンだった。わずかな拮抗の後、カイエンの両足が地面から浮かび、大槌の柄に掴まった状態のまま背後に生えていた街路樹に叩き付けられたのである。
人間一人の重りを乗せているとは信じられない速度で打ち据えられた街路樹は、半ばから爆ぜるようにして折れ砕けた。
「かひゅっ」
腹部を痛打され、カイエンの肺から空気が押し出される。もしもギリギリでの防御が間に合っていなければ、間違いなくこの一撃で意識を刈り取られていただろう。
ガクシンにしても必勝を期した一撃だったらしく、まだ大槌の柄を掴んだまま立っているカイエンの姿に目を丸くしている。
代償は小さくなかったが、そこはガクシンの間合いの内、つまりカイエンの拳の届く距離だった。
無言のまま気合を発する。大槌の柄を抑え込んでいる右手を残し、左手と左足を鞭のように振るってガクシンを狙う。
武器の間合いの中に入られ、とっさに防御に回すには不向きな大槌という武器。起死回生の一撃がガクシンの額と鳩尾に繰り出される。しかし、その直前、カイエンが握って抑え込んでいたはずの大槌の柄が、抑え込もうとするカイエンの力を容易く跳ね飛ばすと、まるで生き物の如くしなった。
蛇を彷彿とさせるしなやか動きを見せると、大槌はカイエンの拳と蹴りをあっさりと防御してみせたのである。
「マジかよっ!?」
カイエンが驚くのも無理はない。二点を同時に狙ったはずのカイエンの攻撃が、両方とも大槌という鈍重なはずの武器によって防がれたのだ。
となれば大槌の間合いから外れているはずのこの距離ですら、ガクシンにとっては殺傷圏内の可能性がある。そこで振り払おうとするガクシンの動きに逆らわず、カイエンは後方に跳んで間合いを取った。
必殺の一撃を凌がれたはずのガクシンは、しかし落ち込む素振りも見せず、殊更余裕を感じさせる動きで大槌を構えると、カイエンに向かって小首をかしげた。
「これが付喪霊持ちの戦い方だよ。降参してくれる気になったかな?」
「付喪霊持ち……」
鉄塊である大槌をぐるりと振り回したかと思うと、ピタリと一点で停止させるガクシン。あれだけの重量物を振り回してなお、その重心にはいささかの揺らぎも見受けられない。
「いや、違う。そうじゃない。そうか、付喪霊持ちか!!」
その時ようやく、カイエンは爺から教わった事を思い出した。それは精霊の種類による霊紋持ちの戦い方の差だ。
セイゲツのような元素霊持ちは、とかくその能力が幅広くなりやすい。汎用性が高いとも言え、正面からの打ち合いよりも想定外の角度からの攻撃や搦め手に威力を発揮する。
その一方、付喪霊持ちは正反対の一点突破だ。ある器物に特化し、そのポテンシャルを余すことなく引き出すことができる。それどころか特定の器物に関してのみ、物理法則を凌駕することさえ可能となる。
「気付いたようだね。その通り、私にとってこの大槌は、小鳥の羽程の重さも感じないのだ。ゆえに切り返しだろうが手元での操作だろうが、遅滞なく自由自在に行うことが出来る。君にとっては見た目通り、巨大で重い鉄の塊のまま、ね」
なんとも出鱈目な話である。
つまりガクシンは、あの大槌を一切の隙をみせることなく、文字通り自在に操ることができるというわけだ。言葉にすれば至極単純だが、それが戦闘にもたらす効果は途轍もなく巨大で重い。まさしく攻防一体という言葉がしっくり来る。
その意味を理解してしまい、カイエンは脂汗を浮かべた。
このままやり合っても分が悪すぎる。
いよいよこいつを外すしかないかと、両腕に着けた白と黒の環を知らず撫でる。
だが、カイエンが決意するのを黙って待ってくれるほど、ガクシンの方は甘くなかった。
ここが押し時とばかりに、おもむろに大槌を肩に担ぐ。一気呵成に攻め立てて決着をつけるつもりであることは、火を見るより明らかだ。
「まだ降参してくれないのであれば、骨の一本や二本では済まないかもしれない。申し訳ないが、その時は恨んでくれるなよ」
顔色一つ変えずに物騒なことをのたまうと、ガクシンの霊紋がこれまでとは比較にならぬ程に輝きを増した。霊紋の力を帯び、通常の倍ほどの大きさにも見える大槌が、追い詰められたカイエンに迫る。
――かと思われたその瞬間、唐突に周囲を黒い何かが覆い尽くした。
「なに!?」
完全に遮られた視界の向こう側から、初めてガクシンの狼狽する声が響く。よく見てみれば黒い何かはガクシンだけを包み込み、その視界を遮っていた。
「こいつは……?」
「はやくこっちへ」
突然の事態に困惑しているのはカイエンも同じである。しかし、己を呼ぶ声が耳に届いた点が異なっていた。
思わずそちらを振り向いてみれば、全身を黒尽くめで覆った何者かが、建物の影からカイエンを手招いていたのである。
「これはあんたの仕業か?」
「話は後。今が逃げるチャンス。影牢もそう長くは保たない」
影牢とはガクシンを封じている黒い何かの名前だろう。つまり、この人物が戦いに介入してきたとみて間違いあるまい。
ともあれ逃げるチャンスだというならば逃す手は無い。カイエンは即座に踵を返すと、己を呼んでいる謎の人物に向かって駆け出した。
弾切れにより連投はここまでです。
週2回更新を目標にやっていく予定です。
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