ファイルⅡ 演習室
「今日は、この胸像をデッサンしてもらいます」
十二の丸椅子が円形に並んだ中心点に、ルネサンス期に造られた古代ギリシャの英雄を模ったブロンズ像、を忠実に再現した教材用の石膏像が置かれている。
六本木が選んだだけあって、目や鼻の位置といった顔の造形から肩の高さに至るまで、すべてが左右対称に揃っている。
指示を聞いた八人の学生たちは、めいめいに画板とスケッチブックを手にして好きな席に着くと、ときおり小刀で鉛筆を削りつつ、憂え顔の英雄を描き始めた。
「もう少し鼻を高く描いた方が良いね。……対称性こそ真の美であるという考え方は、古代エジプトには、すでに見受けられる。しかるに、対称美は人間の本性に深く根付いているものであるといえよう。暗黒の中世を脱し、古代ギリシャ・ローマの文芸を復興しようとしたルネサンス期においても、同じく、この様式美が見直され、……耳は、顎のラインより後ろだよ」
反時計回りに指導しつつ、六本木は持論を展開する。まったくもって、シンメトリーの素晴らしさについて語るのに、余念が無い。
「ただ、ルネサンス後期には、解剖学的見地からマニエリスムが始まり、対称美は次第に忘れられてしまった。――あぁ、事務長でしたか」
カリカリと鉛筆を走らせる音とは違う、コンコンとノックをする音がしたため、六本木はドアに向かった。そして、窓を覗いて廊下に居る小太りの人物を確かめると、ガラガラとドアを開けた。
「あっ、授業中に失礼します。先程は、うちの若い者が、とんだ御無礼を……」
「謝罪なら、結構です。何の用ですか?」
コメツキバッタのようにヘコヘコと七三分けの頭を下げる事務長を、六本木は途中で制し、結論を急ぐ。
すると、事務長は謝るのをやめ、用件を伝える。
「今週の教授会ですが、来週の水曜日に二週分まとめる方向で調整いたしました」
「そうですか。わかりました」
「では、私は、これにて失礼させていただきます」
そう言うと、事務長は会釈をして立ち去って行った。
「何度見ても、対称美の欠片も無い人物だな」
小声で呟くと、六本木はドアを閉め、演習を続けた。