呪詛
「トーマスは、私の教育係だった。アルベルトと一緒に、私を幼い頃から面倒見てくれたのだ」
そして、ヴァリアスの父は次期皇帝職にトーマスを選ぼうとしていたのだという。
「何で?子どものお前を指名しなかったんだ?」
「父上が名君だったからだよ。あまりの賢人さ故に、子どもで才のない私は一度殺されかけたことがあるのだ」
「それって…」
「次期皇帝は私では務まらない。そう思った故の行動だ。だがその男は、無論死刑に処されたが、父上はそれをきっかけにあまり私に関わろうとしなくなった」
父に見放されたと思ったヴァリアスは、深い心の傷を負って自室から出なくなった時期もあったらしい。しかし、その時に自分を最後まで信じて見守ってくれていたのはトーマスとアルベルトだけだった。
「そっか……。やっぱ、ヴァリアスも大変なんだよな……」
「身分が高ければ幸せとは限らない。富豪が全て幸福でないように、私も自分の存在を幸せだとは思っていない。だが、唯一あるとすれば、お前のように心置きなく話が出来る相手や、アルベルトやトーマスらのように、私を信じてついてきてくれる者が居ることだろうか」
そう言ってヴァリアスは心底嬉しそうに微笑んだ。その表情を見ると不思議とリュースも嬉しくなる。
(これが、ヴァリアスの魅力…才能なのかもな……)
きっと本人は気付いていないのだろう。何故トーマスやアルベルトをはじめ、官吏や武吏がヴァリアスについてきてくれるのか。人が誰かに忠誠を尽くす理由など、上の人間の表の才能に惚れることだけとは限らない。
「さて、俺はそろそろ稽古に戻らないと。先生に怒られちまう」
「そう言えば、アルベルトと稽古をしているそうだな」
「あぁ、俺は強くならなきゃならないからな。この手で誰かを守れる強さを得るための修行さ」
「しんどいだろう?アルベルトは鍛錬や稽古の時は別人のようになるからな…。私も何度も稽古中に抜け出そうとして説教を受けたよ」
「ハハッ、何だよ、それ。そんなに嫌だったのか?」
「そりゃあな。嫌で嫌で仕方なかったさ。今でも説教癖が治らないから堪ったものではないんだがな……」
ヴァリアスは困ったように笑いながら話していた。しかし、その表情はまるで嬉しさを誤魔化すような笑みだったように思える。彼も、本当は嬉しかったのかもしれない。そんなことを考えると、ついリュースは口元が緩んでしまった。
「今の話、先生に伝えておいてやるよ」
「なっ!?ば、馬鹿!!そんなことをしてはまた私が説教行きだ…。勘弁してくれ……」
そんなやり取りをして二人で笑いあったあと、リュースは稽古の為に玉座の間を後にした。
「先生、ごめん…。待ったよな?」
「話は済んだのか?」
アルベルトの問いにリュースは小さく頷いた。そして先程の稽古の続きが始まったのだった………。
「はぁっ…はぁ……」
「今日はここまでにするか」
「も、もう…無理……」
「まだまだ体力が足りないようだな。少し走り込みもしてみるか?」
「げっ!?それは勘弁してくれよ、先生……」
気付けばこんなやり取りが毎日の日課になりつつあった。しかし、魔は気付かないうちにすぐそこまで迫っていることには誰も気付かない……。
―――――――――数日後の夜―――――――――
いつものように稽古を終えてリュースは自分の貸部屋に戻った。
「ふぅ…。今日も疲れた……」
風呂も入ったし、もう寝ようと思ってベッドに入る。そして寝ようと目を閉じた……。
(あと、十日……)
「……………っ!?」
脳裏に突如聞こえる誰かの声。その声が誰のものかは分からないが、彼には確かにその声には覚えがあった。
「だ、誰だ?誰か居るのか……?」
リュースは重い体を起こして辺りを見回す。しかし、誰もいる気配はない。
(何だったんだ……?今のは………)
体が重い上に妙な息苦しさがある。何かが心臓を鷲掴みにしているような感覚だ。それは次第にエスカレートして、呼吸が上手く出来なくなってくる。
「はぁ……はぁ………。うっ…………」
苦しい。その一言は心の内で溶けて消えてしまった。助けを呼ばなければと思っても、もう呼吸を紡ぐのが精一杯で声を出す余力などなかった。
(誰か…誰か…………助けて……………!!)
心の中で叫ぶも誰かに届くはずもなく、その意識は闇の中へ溶け込んでしまった。
翌朝、約束の時間になっても稽古場にリュースは現れない。アルベルトは不審に思ってリュースを呼びに行こうとすると、何やら廊下から激しい足音が聞こえてくる。
「アルっ!!ヤベーよ、リューが!!!」
「っ!?」
考えるより先にアルベルトは呼びに来たトーマスの横を抜けて風のように駆けていった。その表情は困惑と焦燥の色に満ちている。
(リュース、無事でいてくれ……!!)
アルベルトは内心でそう祈っていた。そしてそのままリュースの貸部屋に突撃する。
「リュース!?」
「アルベルト………」
そこに居たのは、力なく俯くヴァリアスとそこに寄り添う一人の姿があった。烏帽子を被り、和装を何枚も重ね着したような上級貴族の格好をした男だ。
「アイル……」
「漸く来たのか、遅かったじゃないか」
「何故お前がここに…。それで、リュースは……」
「アルベルト……。リュースが起きないのだ。目を覚まさない……。呼吸も弱いのだ……。どうすれば」
「落ち着いてください、陛下。一度クローラを呼んで診てもらいましょう。話はそれからです」
「じゃ、私が呼んでくるから、それまで陛下の御側から離れるんじゃないぞ、アルベルト将軍」
アイルと呼ばれた貴族のような男はそのままクローラという人物を呼びに部屋を後にした。
「どうして……昨日までは、普通に話していたのに……」
「…………………」
アルベルトは静かにリュースの傍らに寄って体を触っていく。すると、胸の辺りに違和感を覚えた。
(これは……呪詛結界………?)
何故こんなものがリュースの体にあるのか。そもそも呪詛を扱える者など人間には居ないはず。その時、彼の脳裏に浮かんだのは最悪のパターンだった。
(まさか、奴が……とすれば、もう時間がない……………)
あれからかなり時間も経っている。呪詛が効果を発動するまでは数ヶ月だが、能力や種類によっては数日や数週間で発症することもある。そうなれば確実に命はない。
「陛下、アルベルト殿」
と、そこへ一人の声が部屋に響き渡った―――――――――。