武帝王
数日後―――――――――
「てやっ!!」
「甘いっ!!」
リュースとアルベルトは互いに剣を手に取って手合わせをしていた。
しかし、一瞬のうちにリュースの喉元にアルベルトの剣先が向けられてしまう。
「やぁ〜、また、俺の負けかよ……」
全身から力が抜けたように胡座をかいて座り込むリュースにアルベルトは手を差し伸べる。
「少し休憩するぞ。30分後にまた再開する」
「了解したぜ、先生」
「……その呼び方は止めろと言っている」
「いいじゃんか。俺の剣の師なんだからさ。ちゃんと了承は得ただろ?」
そう、あの日、真剣な眼差しでリュースがアルベルトに申し出た内容…。
それは、剣を叩き込んで欲しい。というものだったのだ。
アルベルトにも彼に対する罪の意識を感じていないわけではなかった。だから引き受けたが……。なかなか見た目以上にしつこい男だった。
「ところでさ、先生。その格好って、本当に騎士団の制服なのか?」
休憩時も二人で過ごしていた……というより、リュースが勝手にアルベルトについてきた、と言ったほうが正しいかも知れない。
「いや、これは制服ではない。最も着こなしやすい格好をしているだけだ」
実際、騎士団の正装は礼祭の時にしか着ないのが本当のところだ。騎士団の正装は重すぎて動きにくいため戦闘には向かない。だから普段は自分の着やすい軽装で生活している。
「それって、怒られないのか?」
「私の上官に当たる男がそもそもそういう堅苦しいことが嫌いなのだ」
「上官?先生の上に、まだ誰か居るのか?」
アルベルトの言葉にリュースは首を傾げる。てっきりヴァリアスとのやり取りを見る限り皇帝に継ぐ身分なのかと思っていた。
「武帝王……武吏の総括者だ」
武吏とは武官、つまり主に軍事関係を取り仕切る部署に所属する者達の総称である。アルベルトは「主亭伯候」騎士団・指法団統括という役職が正式である。今はある事情により騎士団の総帥と団長も兼任している。
「その武帝王って、どんな人?」
「……一言で言えば変わり者だ。だが、その強さと支配者としての器は私より遥かに上だな」
「げ……。先生より強いのか?その人……おっかねえな……」
「何を話しているかと思えば……。おい、アル。新人に変なイメージ吹き込むのは止めろや」
リュースの言葉をどこかで聞いていたのだろうか、突如何もなかったようにひょっこり姿を現す一人の男があった。あまりに突然のことで思わず背筋をビクりと跳ね上げるリュースとは裏腹に、アルベルトは面倒な奴が来た、と言わんばかりに大きな溜め息を吐く。
「お前、新人か?名前は?」
男はアルベルトの反応など横目にも見ず、リュースの方に歩み寄ってくる。
「だ、誰だっ!?あんた……」
キシリタン帝国の国花でもあるカラーの花の刺繍を存分に施した鮮やかな青いマントを羽織り、髪は全て後ろでまとめられる程の長髪で左の顔傷と中年男性を思わせるような髭が印象的な男だ。
「俺か?俺の事は今そいつから聞いただろ」
「えっ?」
「武帝王だ……」
アルベルトが小さくリュースに告げる。その言葉を聞いた瞬間、数秒の後……。
「えええええええええええっ!!??」
思わず声を上げてしまった。どう見てもそんな感じではない。絡みといい、態度といい…。これがアルベルトの上官かと思うと、想像が全くつかなかった。
「ま、名ぐらいは自分で名乗るがな。俺はトーマス・アルティオン。そういつの言っていた通り、この国の武帝王をしている。宜しく頼むぜ、若造」
「わ、若造じゃなくて、俺はリュース。リュース・アドリクス」
「成る程な。リュース……ふーむ…」
名前を聞いてトーマスは何か考える素振りを始める。そして思いついたように剛毅な笑みを浮かべて自信満々に、
「よし!!決めたぞっ!!お前は今日からリューだ!!喜べ、この俺があだ名を付けるなど、これ程光栄なことはないぞ!!」
「………………………へ?」
リュースはポカンとしている。開いた口が塞がらないのだ。そして何とか飛び出した言葉といえば、先程の一言だけだった。
「これがトーマスという男だ。気にすることはない」
「こ、これが……先生の、上官………」
「そういや、リューは今から陛下のところに行かんのか?」
戸惑い困惑するリュースをよそに、トーマスは気にすることなく次の話題を振ってくる。
「ヴァリアスの所ですか?行く予定はないですけど……」
「今から行かぬか?陛下もそなたと会いたいだろうしな」
「はぁ……」
トーマスはそう言ってリュースの手を半ば強引に引っ張って玉座の間へ向かう。
「アルはどうだ?」
「えっ?」
「厳しいだろ、あいつの鍛錬は。大体終わったあと皆己の死に目を見てきたように怯えた表情で戻ってくるのだ」
「はぁ、まぁ…確かに死に目はかなり見たかもしれないです……」
何だか先程と様子が違う気がして余計に戸惑ってしまう。今は本当に人の上に立つ者の威厳のようなものをひしひしと感じる。
「本当は、俺はこんな高い身分に就くつもりはなかったんだがな……」
「そうなんですか?」
「あぁ、そうともさ。色々あってな。断っても陛下はお許しにならないのさ」
「ヴァリアスが?」
「あぁ、陛下からの強い希望もあったから俺は今ここにいるが、本当はもっと良い奴がいるのさ」
「でも、トーマスさんは先生より強いんだろ?」
「あいつ、そんなことまで言ってやがったのか…?」
トーマスの言葉にリュースはこくりと頷いた。彼はその反応に小さく溜め息を吐いて複雑そうな心境をお表情に見せながら困ったように頭を掻いた。
「でも、今ならトーマスさんが先生の上司だって言われても分かるかも知れないです」
「…………そうかい、ありがとよ」
どこか寂しそうな表情を浮かべていた気がした。本当は嫌なのだろうか、自分の地位が。そんな気さえしてくる。リュースはまだ初対面とはいえ、彼の出す表情に翻弄されている気がして仕方が無かった。
「陛下、ついでにリューを連れてきましたよ」
二人で会話を紡いでいるうちに玉座の間へはあっという間に着いてしまった気がする。トーマスとリュースの二人はそのまま玉座の間へ入り、その先にいるヴァリアスを見た。
「おぉ、来てくれたか。トーマス、リュース」
彼はあどけない笑みで二人を迎えた。本当に20歳を過ぎているようには見えない容姿だ。しかし、彼のその表情を見ると、リュース自身も不思議な事に笑顔になれた。
「それで?陛下のご要件は?」
「あぁ、例の事だ。考えてくれたか?」
「………ですから、俺は何を言われても無理ですよ。簒奪者になる気はないので」
「譲位と言え、馬鹿者。私にとってはお前こそが相応しいのだ」
「今の時代を導くのは陛下やここにいるリューのような若者です。俺はもう老いぼれ勢に入っときますよ」
「まだ30だろうに。それで老いぼれという阿呆が居るか」
「ここにおります」
何やら真剣な話のようだ。
(これ、俺が来る必要ってあったか………?)
「では、陛下。俺は別に業務が残ってますんで、これで失礼しますよ」
「待て、トーマス!」
「さ、リュー。あとはお前に任せるぜ。陛下の話し相手でもしてやってくれ」
「え……」
(まさか、この時の為に連れてきたのかよ!?あのおっさん!?)
リュースは状況が読めないままトーマスに取り残され、ヴァリアスと二人きりになった。
「あ、あのさ、ヴァリアス。何の話だったかは知らないけど、そんな気を落とすなよ。俺でよければ、相談だって聞くしさ!」
「あぁ、ありがとう。リュース……」
「でも、トーマスさんって…そんなにすごい人なんだな……」
最初話しかけられた時はそんなこと微塵も思わなかったが、そうらしい。
「そうだな、お前には話していいかもしれない」
そしてゆっくりと深呼吸をすると、ヴァリアスは話を始めた。