がーるふれんど
「おい、今なんて言った?」
無垢な少女から繰り出された言葉はあまりにも強烈だった。人間に混じって活動している微生物の進化体がいる。その事実を聞いて僕は絶句した。
「仁子、ちょっと待ってろ」
僕はすぐさま携帯を取り出し、山中に連絡した。
「おう、光一か!お前から連絡してくるなんて久しぶりだな、何かあったか?」
「少し聞きたいことがある、時間あるか?」
「そんな神妙な声出して、一体どうしたんだ?」
「仁子から聞いた話なんだが、ありんこ幼稚園にゾウリムシの進化体がいたらしい。お前、見に覚えないか?」
「いや、特に身に覚えはないが……俺が進化薬を使ったのは緑ちゃんだけだぞ?」
「嘘だろ!?じゃああのゾウリムシの進化体は一体何なんだよ!?」
「そんなこと聞かれたって俺が知る訳ねーだろ。とにかく俺はお前に進化薬を返したし、進化薬を緑ちゃん以外には使ってない、それだけは保証する。じゃあな」
「おい、待て……」
電話が途切れた。山中も使ってない、となると……一体誰がアイツを生成したのだろうか。考えれば考えるほど、ますますわからなくなる。
「こういち、だいじょうぶ?」
「あぁ、とりあえず今日は帰ろう」
全く分からないまま、僕は彼女を連れて自宅へ戻った。日没数分前のことだった。
次の日の朝、目が覚めたのは遅い時間だった。どうせ単位は殆ど取っている為、わざわざ大学へ行く必要も無いのだが。ただ、個人的に実験や研究をもっと続けたいので、僕はまた大学へ出ることにした。
「こういち、いくの?」
「あぁ、どうしても研究したいものがあってな、悪いけど行ってくるよ」
「いや!」
突然、仁子は大声で泣き出した。まるで張り詰めていたものが一瞬で途切れてしまったかのような、悲痛な叫びだった。
「仁子、どうしたんだ!?お腹でも減ったか?」
「まいにちコンビニべんとうばっかで、テレビもつまらないし、ひとりぼっちなの、もういや!」
「……」
少しだけ、僕も泣き出したくなってきた。彼女はずっと色んな事を我慢してきたのだ。その分、唯一の頼り綱である僕が行ってしまうのが寂しかったのだろう。
「わかった」
「え」
「今日は大学を休むから、これからどうすればいいのか、一緒に考えよう?」
「うん」
僕なりの覚悟を決めた決断だった。研究メンバーには迷惑をかけるが、これは仕方の無いことだ。理解してほしい。
「すみません、今日は急用ができたので休みます、本当に申し訳ありません」
「いやあのさ、休むってお前、今丁度研究が一番忙しい時期なんだけど?博士号逃すわ、子連れで遊園地行くわ、悪友と金の貸し借りをする奴の何処が信用あるって言うんだよ!」
「わかっています、でも……」
肝心の理由が言い出せない。そもそも家で飼っているミジンコが大変だからなんて理由はどこにも通用しないだろう。
「でもって何だよ、言ってみろ」
「僕の大切な人が……本当に大変なんです……」
「もういい、勝手にしろ!」
ガチャン、と電話口まで響いた。電話が終わった時、僕は涙を流していた。いつもそうだ。僕はこういう時、勇敢に立ち向かえず、弱虫で……。
「こういち」
「どうした、仁子」
「わたしのために、ありがと」
気づけば僕は彼女に抱きついていた。相手をずっと心の支えにしてきたのは、もしかしたら僕の方なのかもしれない。涙で目の前が見れなかった。
気を取り直して、作戦会議を始めた。僕と仁子、頼りない2人だが、こうする他ない。他に頼れるものなどいないからだ。
「で、どうしよう」
「でもお前、幼稚園とか、学校にはまだ行けないんだろ?」
「うん、なかよくなれない」
「困ったな……どうすればいいんだろうか」
「ほんとうにこまった」
僕らが考え込んでいた時、インターホンが鳴った。僕が出ると、そこに立っていたのは……前幼稚園で見かけたゾウリムシの進化体だった。
「お、お前はあの時の!?」
「どうも、私戸田 福利と申します。どうかお手柔らかに」
「あっ、どうも……」
随分と礼儀正しい元微生物である。そもそもこんな所まで何をしに来たのかはわからない。僕は警戒を続けた。
「ここに来させて頂いたのは他でもありません、貴方様のお家に住まわせて頂きたく存じます」
「おい待て……いや、何でもない」
いきなり何を言い始めたのかわからなかったが、どうせこのままでもわからないので話を続けて聞くことにした。
「私の家柄上流階級で御座いました。しかし、ある日私の育て親である者が事業で失敗し、泣く泣く私は別の家を転々としないといけなくなったのです」
「それで家に来たと」
「いえ、まだ話は終わりではありません。幸い、何とか養育費は残っていたらしいので幼稚園の方で過ごさせて頂きましたところ、身上さんの娘さん、所謂仁子さんにお誘いを頂いたのです」
「なぁ、仁子?」
「わたし、しらない」
シラを切り続ける彼女を横目に福利は続ける。
「私は感動しました。嗚呼このような優しき方に拾われれば、私としても最高の毎日を過ごせそうである、と」
「仁子、まさか」
「うん、こういちのことしょうかいした」
「馬鹿、何やってんだ」
仁子には後で他人行儀ということを教えるとして、彼女はまとめに入る。
「なのでどうか、私を貴方様の元へ仕えさせて頂きたく申します!どんな事でも成し遂げてみせます!どうかご返事の方を……」
「いや、お前ちょっと頭冷やして考えてみろ、お互い見ず知らずだよな?そんなの僕が気軽にオーケー言うと思うか?」
「こういち」
「ただでさえ仁子はよく食うし、わがままばっか言うのにそれが2人に増えてみろ?お前だって嫌なのはわかるだろ?」
「こういち」
「それに僕だって生活がある、このまま全員住んだら一家全員共倒れだ!だからお前に対する答えは……」
「こういち!」
「なんだよ、僕は今コイツに社会の厳しさを……」
「わたし、このこがすき」
驚愕、失墜、阿鼻叫喚。一応この状況で言う好きとはどちらのことか尋ねる。
「もちろん、あいしてるのほう」
僕は衝撃を受けた。まさかこのような形で愛が結ばれるとは思ってなかった……というかお前ら女同士だよな!?
「すみません!彼女もあんな風に言ってるんです!どうか……どうか!」
「もちろんあそびあいてとしてもすき」
僕はだいぶ長く考えたあと、蚊の鳴くようなか細い声で応えた。
「……もういいよ、今日からお前は僕の家族だ」
「はっ、有難う御座います!」
「わたしのがーるふれんど、うれしい」
僕は、庭の桜の花びらが完全に舞い落ち、新緑で満たされていたことだけ、何故か覚えていた。
翌日、リビングに行くと、微生物同士、2人じゃれ合っている。また1人、家族が増えてしまった。そう思うと、僕は肩で大きなため息をついた。
「こういち、もうさびしくないよ」
「そうか、良かった」
ただ彼女ら2人ではしゃいでいるのを見ると、また心に穴が空いたような気分にもなったが、誤魔化すように僕は家を出ようとした。
「こういち、もういくの?」
「あぁ、今日は大学で文句言われそうだから早めに終わらせてくるよ」
「こういち、ほっぺかして」
急に言われたので僕は戸惑いながら頬を差し出した。すると彼女はそこへ唇を少しつけ、走り去りながら言った。
「ありがと、だいすき」
僕は思考が停止した。これから大学へ学びに行くという所なのに脳味噌のエンジン自体がショートしたような、そんな感覚が走った。
「クソっ、僕は微生物以下かよ」
そう言って僕は家を出た。濃い色をした葉が窓から入り込み、食卓にあるサランラップをかけた手作り料理に舞い落ちた。そのすぐ横には拙いメモ書きで「チンして食べろよ」の文字が書き込んであった。