ようちえん
最近、僕は大学からの帰りが遅い。研究も大詰めになり、夜遅くまで実験に追われる。理系の悪い癖だ。
「うにゅ……おかえり」
「ただいま、こんな時間まで起きてちゃ駄目じゃないか」
「だって、さびしかったから」
足に貼り付いたその微生物の進化体を払い除け……ようとしたが取れない。よっぽど毎日1人で家にいるのが苦痛なのだろう。
「そんな貼り付いてたら、シャワー行けなくなるじゃないか」
「いけなくてもいい、あなたはわたしのもの」
「その台詞、何処から拾ってきた」
「ひるどら」
僕は頭を抱えた。こいつが暇だからと言って無理矢理人間扱いして学校に行かせるのも酷だ。かといってこのままの状態でつまらない毎日を過ごさせるのも可哀想ではある。
「なぁ」
「なぁに、こういち」
「お前は……どうしたいんだ?」
「はたらく」
「それは無理がある、お前まだ働ける年齢にもなってないだろ?」
「たしかに」
なかなか、いい解決案が見つからない。彼女には明日まで待ってくれるようお願いをし、風呂を済ませ、床に就いた。僕の頭の中は、数式と実験と、仁子のことで一杯になっていた。
目が覚めるとそこは幼稚園の中だった。僕はさっきまで大学生だったはずが、体まで幼稚園児っぽくなっている。すると、僕の方に3人のいじめっ子が寄ってきた。いかにも図体がでかい、感じ悪そうな奴である。
「おい、チビメガネ!ジュース買ってこい」
「いや、僕お金ないし……」
「あっ、こいつ、実験レポートなんか書いてますよ?破こうぜ!」
「やめろ!それは僕の大切なレポートなんだ!」
「お前がどう大切だからって関係ねー!気に入らねぇから破くんだよバーカ!」
こいつら、真性の屑だ。また新しいレポートを書けばいいだけだから何ら問題は無いのだが。僕が呆れ返っていると、1人の少女が僕を庇った。
「ちょっと、こういちくんがかわいそうでしょ」
その少女の顔を覗き込むと……仁子!?何でお前がここにいるんだよ!?そっちの方が不安だった。
「ははは!馬鹿言え、こんなチビメガネの何が可哀想だって言うんだよ?言ってみろ」
「おまえらみたいなこしぬけをあいてしなきゃいけないのがかわいそう」
というかこの仁子、発言が過激である。このままだと喧嘩に陥りそうである。
「あぁ?よく言ってくれたな、お前も同罪だ!」
3人が取ってかかったが、一瞬の内に仁子に倒されてしまった……え?仁子強くね?
「もうだいじょうぶ」
「あ、ありがと」
「せっかくだし、ともだちになろ」
「えっ?」
「わたしのなまえはみのべじんこ、わたしのたいせつななまえ」
「僕の名前は、みのべこういち……」
「わかった、じゃああそびにいこ」
「うん!」
何だか、とても幸せな気分になった。このままずっとこの時間が続いていけばいいのに、と願った。しかし、何か妙だ。
「こういちくん、どうしたの?」
僕は仁子と同学年では無かったはず。むしろ、親と子のように年齢は離れている。それに、幼稚園児の頃は虐められてはいたが、助けてくれるような友達はいなかった――――。
ここで目が覚めた。最低の目覚めだった。急に現実を叩きつけられた僕は目覚ましの上部を強めに押し、起き上がって鏡を目の前にして呟いた。
「夢かよ」
リビングに戻ると、既に仁子も起きていた。そうだ。今日は日曜日である。日曜日の朝というのは子供達とオタクにとって最高なものであるのは僕も知っている。
「プリカラ、がんばってー!」
「マジでこんな娘いるものなんだな……」
朝飯を作りながら、僕はしみじみ思った。今も昔もその応援スタイルが変わっていないのはホッコリする。朝飯ができたので、彼女を呼んだ。まだ観たそうな顔をしたので、彼女の所まで朝食を運んでやった。こういう所だけは過保護とはよく言われる。
「なぁ、仁子」
「ちょっとまって、いまいいとこ」
「だろうな、テレビに近づき過ぎだ、もっと離れろ」
相変わらずこの娘は熱中すると止まらない癖があるのは僕も知っている。なので、ある程度放っておいてからの方が話し合いがしやすい。
「こんかいはかみかいだった」
「仁子ちゃん」
「いまかんしょうにひたってるとこ」
「おーい、戻ってこい」
「なに」
「あのさ、例えばの話なんだが」
「なによ」
「幼稚園とか行きたいって思う?」
「いきたーい、まえからずっとおもってた」
「今日見に行くか?」
「いく!」
「よし、決まりだな」
仁子は鼻歌を歌いながら、僕の前を歩く。よっぽど御機嫌なのだろう。足取りも軽快だ。数km程歩くと、着いたのは「ありんこ幼稚園」。ここは幼稚園というよりかは預かり所という方が近いのかもしれない。地域からの評判も良く、僕の方も少しこの幼稚園に期待している。
「たくさんおともだちいる」
「あぁ、いるな、やっていけそうか?」
「うん、がんばる」
今日は一旦仮入学ということで、彼女を預けることにし、僕は大学の方へ行った。依然、課題はレポートは山積みであるが、これも大学生の仕事のうちだ。しょうがない。
「なぁ、やっぱりここの勉強量おかしいとおもうんだよな、俺」
「そう思うならさっさとレポートの1枚でも仕上げろ、山中」
僕が幼稚園から仁子を戻しに来たのは、夕方の事だった。様子を見ると、何やら仁子以外の園児達が全員泣いている。どういう事だ?
「あのですね……身上さん、家では彼女にどういったご教育をされているんですか?」
「えっ」
保育士さんの話によると、生意気な園児達に対して負けん気の強い仁子が言い負かし、保育士の人が謝れと言っても聞かなかったそうだ。
「仁子、お前仲良くしなきゃ駄目だろうが」
「だって、わたしのことばかにしてくるこたちばっかだったからしょうかたなしに」
何か、その気持ちもわかる気がする。学校という所は半強制的に嫌な奴とも仲良くしなきゃいけない。彼女にはそれが出来なかったのだろう。
「お前には少し早すぎたな、帰ろう」
「うん」
夕暮れ時の帰り道、仁子は少し寂しそうに見えた。
「やっぱり辛かったか?」
「ううん、わたしもわるかったとおもってる」
「そうか」
少し沈黙が続いた後、仁子が口を開いた。
「でもね、あそこでまたともだちができた」
「ん?それってどういう事だ?」
そう言えば、確かに幼稚園の隅に、1人だけ別のことをしていた子供がいた。
「もしかしてアイツか?」
「そう」
「名前とか覚えてるか?」
「いや、わすれた」
「そうか、友達の名前ぐらい覚えておけよ?」
「でもしゅぞくはわかる、かのじょはゾウリムシっていってた」
その言葉を聞いた瞬間、僕は唖然とした。
「おい、今何て言った?」