えんそく
僕も昔はよく、遠足に心を弾ませたものである。まだまだ遊び盛りだった僕は、おばあちゃんと一緒に遠くの方にある桜の風景を見る為にわざわざ電車に乗ったものだ。都会とは違う、がらんと空いた車内、外から見えるふんわりとした新緑、ガタン、ゴトンと揺れる振動。どれを取っても僕はその中でおばあちゃんといれることが一番の幸せだった。
「ねー、きいてる?」
「あーごめん、聞いてなかった」
僕が昔の幻想に浸っている間にこの娘のことを忘れてしまっていた。超生物進化薬をかけられ、多細胞生物らしい体つきとなった彼女は白く、若干半透明な肌を揺らしながら、楽しんでいるのだろう。おそらく、遊び盛りだった、あの時の僕と同じように――――。
「きいてるっていったのに、うそつき」
「ごめんごめん」
科学者と研究対象。水と油のように全く交わることがない2人は今やこうして同じ電車に揺られ、同じ景色に高揚感を抱いている。
「ねえねえ」
「ん?どうした?」
「えんそく、たのしい?」
彼女の問いかけに少し戸惑いながら、応えた。
「うん、楽しい!」
僕らの乗っている電車は各駅停車しながらゆっくり、ゆっくり、目的地につくのを待っていた。
僕達が降りたのは東京でも花の名所だとか呼ばれてるか呼ばれてないか、そんな感じの場所だ。どこか古ぼけた駅の構内は僕の住んでいた実家の駅を思い起こす程、懐かしさを帯びていた。
「こういち、行こ」
「おい待てって……意外に足早いなお前!?」
はやる気持ちを抑えられない仁子が駆け出して行ったのを見て、真っ直ぐ追いかけたが小さいだけあってすばしっこくてなかなか捕まえられない。流石は元微生物と言ったところか。まぁ、彼女はすぐ転倒したのだが。
「うっ……えぐっ……」
「よーし、よーし……大声で泣かなかったな、偉い偉い」
完全に見た目がシングルファーザーと化しているが、彼女の機嫌を取り戻しつつ、少しだけ景色にも目をやる。本当に懐かしい。まるで1回本当に来たところかのようで、少し驚いた。
「こういち」
「あっ、痛かったか!?」
「もうだいじょうぶ」
「良かった……というか、1人で駆け回るのは禁止!駆け回りたいんだったら僕と一緒にいること」
「うん、わかった」
こうして僕達は無事(?)に駅構内から出ることができた。
「うわぁー」
「楽しいか?」
「たのしい、すっごくたのしい」
「良かった」
僕達は満開の桜並木を進んでいた。今が完全に見頃、といったシーズンだろうか。やはり人も集まって来ている。とは言っても全く気にならない程度だが。頭上から桜の花びらが舞い落ちてきたので説明してやることにした。
「これはな、桜っていうんだ」
「きれい」
「まぁお前の下にもいっぱい落ちてるものだけどな」
「ほんとだ」
久々に遠足兼お花見、というものを味わったが何となく楽しい。というより僕はこんなイベントに参加する機会がそうそう無かったので大学であった辛いことも忘れてしまう程でもある。
「でもこのしたにおちてるさくらかわいそう」
「どうしてだい?」
「だってこんなにきれいなのにみんなみてくれてない」
「そりゃあ皆舞い落ちる花びらの方が好きなんだろ」
「おちたのだってきれいだもん」
僕は何故かこの時、またとある事を思い出してしまった。桜舞う4月、僕の大学は難関校であるため、倍率が高かった。何故か一番頼りない僕だけが受かってしまった事実。次々と落ちていく仲間達――――。それを桜の花びらで例えるならばそれはあまりにも軽率過ぎる例えなのかもしれない。
「こういち……たのしくない?」
彼女が不安そうに聞いてきた。僕は咄嗟のごとく表情を誤魔化した。
「いんや、もちろん楽しいさ」
「ならなんであんなかおしてたの?」
鋭い質問を繰り返してくるこの元単細胞生物に僕は応えた。
「いや、最近ちょっと昔が恋しくなるだけさ」
彼女の腹音が聞こえたのでようやくご飯にすることにした。レジャーシートを敷いてお弁当を広げる、とは言っても市販である2段の可愛らしいお弁当箱だが。こんなもので喜んでくれるのだろうか。
「うおおおおー!」
めっちゃ喜んでくれた。正直嬉しい。感無量の彼女の顔を見ていたが、何故だか顔が2重にぶれたように見えた。僕のよく見ていた漫画である別の霊体が体から出てくる、みたいな感じで。気のせいだろうと僕は目をこすった。
「あ、わたしこうふんするとぶんれつしそうになる」
「ぶん……!分裂すんの!?お前!?」
意外な特技に驚いた。多細胞生物なのにどうやって分裂するんだ。色々科学的に検証したい気持ちも山々だが、気にしないでおく。飯の最中に分裂されても困る。何か生理的に。
弁当箱の蓋を開けると自分なりに作ったお握りやタコさんウィンナー、ハンバーグにほうれん草のおひたしやゴボウの和物等があった。まぁこいつに関しては栄養素という概念はどうでもいいかもしれないが一応。
「「いただきます!」」
花より団子、とはよく言ったものだ。やはり桜の木の下で食べるご飯は格別である。少しだけ水筒に入れて持ってきた日本酒もすすむ。
「おいしい!」
「久々の料理だから味付け失敗してないか不安だったんだぞ」
「だっていつもコンビニべんとうだし、あじつけとかのもんだいじゃないし」
「あぁ……ごめんごめん」
こいつらも一応は美味しいものを求めているようだ。まぁ生物として当たり前だろう。
「でも、おはなみしながらごはんをたべるの、かくべつ」
「まぁな、そもそもお前格別って言葉どっから出てきた」
そう言って談笑している内に風向きが変わり、少しだけ風が強くなってきた。と言っても春一番とかそういう強い風ではなく、全然穏やかな感じだった。
「ちょっとトイレ行ってくるな、そこにいろよ」
「うん」
風が吹いたら催したのか、とりあえずトイレに向かうことに。彼女も不安だが流石に混雑している男子トイレの中に連れ込むのも良くないだろう。この歳でもあるし。さっさとトイレを済ませて帰ることにした。
「ただいま~ってお前顔色赤いぞ?大丈夫か?」
「うん……れんれんらいじょうぶ……」
「あ!お前俺の日本酒飲みやがった!?しかも全部飲んでる!?一応お前人外って言ってもな、お前みたいな幼女が飲むのはダメだって!お酒は20歳になってから!」
「なんかねみゅくなってきた……おやすみ……」
「おい……本当に大丈夫なんだろうなこれ」
水筒を胸中にしまう彼女の腕元に、桜の花びらがひとつ、舞い落ちた。
彼女をおぶって帰るのも大変だ。なぜなら割とこいつも体重がある。早々に帰ることにしよう。
「ほら、立てるか?」
「うみゅ……うん」
「背中、おぶるから乗れ」
「わかった……」
夕方になり殆どの人が片付けを始めていた。中にはまだまだこれからという団体もいるが、まぁそれもまた一興だろう。
「仁子、楽しかったか?」
「たのし……かった……」
「また、来年も来ような」
「うん……」
今度は足早と駅のホームへ向かい、すぐさま電車に飛び乗った。とはいってもまだ全然余裕な時間だったが。それよりも仁子の方が心配だ。
「本当に大丈夫か?」
「うん……だいじょうぶらよ……」
あんまり起こすのも可哀想なので寝かせてやることにした。明日からはしっかり教えてやらないと駄目なようだ。車内は相変わらず都会とは違う、がらんと空いた車内、外から見えるふんわりとした新緑、ガタン、ゴトンと揺れる振動だった。……待てよ。
「もしかして、ここって―――。」
そう、僕達が訪れていたのは、あの時おばあちゃんと行った遠い場所にある、桜並木だった。それを知った途端、何故か涙が止まらなくなった。あの時から何も変わっていない。むしろ世代が変わってもずっとあの場所は変わらずにあり続けるのだろう、と思うと手の甲に透明な水が滴り落ちる。
無人の電車にどこかか細い男泣きが響いた。
「とうちゃーく!」
「おい、今度は無茶するなよ」
何とか家のある駅に着く頃には彼女も戻ったみたいで安心した。大分遅い時間だったので街中は明かりが点っている。
「やっぱこのまちがいちばんすき!」
僕は少し言葉を詰まらせたが、続けて応えた。
「そうだな」
今度は彼女の駆け回りに気をつけながら、ゆっくり、ゆっくり帰ることにした。