78.強敵の発見
シャッシャッと、ナイフの擦れる音が響く。
僕は執務室の一席に座り、木塊をナイフで削り続けていた。
昨日、買い物で手に入らなかったものを自作しているのだ。手間はかかるが、スノウを待つ間の時間潰しには丁度良かった。
木彫りに集中していると、スノウが執務室に入ってくる。
その手には書類が握られており、それを僕に渡しながら話す。
「……カナミ、今日は『エピックシーカー』で警備だってさ」
「え、警備?」
「……そろそろ北のエルトラリュー国で『舞闘大会』が始まる。そのせいで、国外の馬鹿たちが入国してくる。で、たぶん治安が悪くなる。丁度いいから、手を貸せって」
「なるほど。手堅い仕事を回して貰えたな。期間は?」
「……各ギルドが順番に警備していくらしい。うちの担当は今日の昼から夜だけ」
「それだけか。とりあえず、急いで皆を呼ばないと。スノウ、頼む」
「……うぃ」
スノウは魔力を込めて、ぼそぼそと呟く。
これでメンバーたち全員に連絡が伝わったはずだ。
「本当に便利だな、それ」
「……とりあえず、お昼までに集合と伝えた」
「十分だ。来るまでに担当地区を決めておこう」
「……頑張れ、カナミ」
「はいはい」
スノウは当然のように、窓の近くの椅子に座る。手伝う気が全く見られない。
こういった細かな作業が嫌いなのは知っているので、僕は何も言わずに一人で仕事を進める。正直なところ、下手に手伝われるよりも、一人でやったほうが楽というのもある。それほどまでに、僕の思考速度は常人とかけ離れてきていた。
「……今日も、いい天気」
スノウは空を見上げる。
とても気持ち良さそうに、この何もしなくていい時間を吟味している。
それを眺めながら、僕は手を止めることなく、メンバーたちの担当地区を決めていく。
少しすると、まず全力で駆けつけてくれたセリちゃんが執務室にやってくる。僕は即座に担当地区を伝えて、配置についてもらった。別に厄介払いではない。それに続いて、次々と連絡を聞いたメンバーたちが執務室までやってくる。全員というわけではなかったが、それなりの人数が揃う。
その全員に説明を丁寧に行なって、昼から配置についてもらうことを伝える。
こうして、今日のギルド活動は始まっていく。
◆◆◆◆◆
初日と同じく、執務室で《ディメンション》を街中に広げる。
ただ、あの日と違うのは、仕事の量だ。
机の上に書類は一つもない。
メンバーたちも目的なく警邏活動をしているため、特に指示を出す必要がなく、暇で仕方がなかった。
スノウは鼻唄を交えながら、だらけている。
これが彼女にとって理想の状況なのだろう。大変機嫌が良さそうだ。
僕は木彫りの作業だけでは耐え切れず、スノウに声をかける。
「なあ、スノウ。街の見回りだけなら僕がここで見張るほどのことでもないから、迷宮に行かないか?」
「……えぇー。ま、まだ武器が出来てないよ?」
「代わりの武器ならある。問題ない」
「……無闇に武器を消耗するより、新しい武器が完成するのを待っていたほうがいいと思う」
「いや、そうは言っても――あれ?」
言い合う最中、《ディメンション》の中で一つの喧騒を捉えた。
街道の中心で男が剣を抜いて、怒りの表情で叫んでいる。それに対して、ラウラヴィアの市民と思われる人たちが壁を作って、一人の少女を守っている。
状況が掴めず、《ディメンション》を集中させる。
そうすることで、話の内容を途切れ途切れだが拾えるようになる。
男が叫んでいる言葉の中に「奴隷」という単語が入っており、守られている少女を責めているのがわかった。よく観察すれば、少女の首には奴隷の証がつけられている。
話の流れを少しずつ理解する。
おそらく、この男はラウラヴィアの人間ではなく……そして、何らかの事故が起きて、ラウラヴィアの奴隷を害そうとしている。それを不当なものだと判断したラウラヴィアの市民が、その少女を守ろうとしているようだ。
「揉めてる。……この国の奴隷と国外の男の問題だ」
荒事ならば的確な指示が出せる僕だが、こういった揉め事には弱い。
すぐに対応策が浮かんでこない。
僕が迷っていると、スノウが口を出す。
「……そういう問題なら、ヴォルザークが一番。近い?」
そして、そういう問題に強いメンバーを推薦する。
そうだ。
何でも僕が解決する必要はない。経験豊かなメンバーに頼むのが一番だ。
すぐに僕はヴォルザークさんを探した。
運良く、すぐ近くを彼は見回っていた。
「ああ、ヴォルザークさんは近い」
「……それじゃあ、収拾を頼んでみる」
スノウは魔石に向かって、事情を説明し始める。僕は合わせて、現場への道をわかりやすく説明する。
一分もしない内に、ヴォルザークさんは現場に到着した。
声を張り上げながら間に入り、騒動を収めようとしてくれる。どうやら、奴隷の少女とラウラヴィア市民たちは、ヴォルザークさんの顔を知っているようだ。頼りになる人が来たとわかり、安堵の表情を見せていた。
荒れ狂う男とヴォルザークさんは掴み合いになる。
それを僕は安心して見る。
事前にステータスは確認している。男のステータスは、ヴォルザークさんの足元にも及ばない。
ただ、ヴォルザークさんは力に任せて男を捕縛しようとはしない。
穏便に済ませようと話し合いを求める。それを行うだけの余裕があった。
だが結局は、男が荒れ狂うまま暴力に走ってしまったので、拘束されて終わってしまった。
あとはいつもの作業と同じだ。
人々の感謝の言葉を浴びながら、ヴォルザークさんは男を場から連れ出す。
僕は事態が収束したのを確認し、息をついて背中を椅子に預ける。
「ふう、よかった……」
《ディメンション》で、奴隷の少女が笑顔でヴォルザークさんに手を振っているのを見つける。
しかし、僕は少女のように、笑顔になれない。少女が奴隷である限り、こういったことが何度も起きると思うだけで憂鬱になる。
「……終わった?」
スノウは浮かない顔をしている僕を見て、状況を確認する。
「終わった。しかし、奴隷の問題には慣れないな。どうすればいいかわからなくなる」
「……ん、慣れるしかない。というより、そもそもヴォルザークも奴隷だけど?」
「え、ヴォルザークさんって奴隷なのか……?」
僕は驚きの事実に腰を浮かせる。
「……確か、昔にパリンクロンが買い取ってきた奴隷。剣闘士の高額奴隷で、いまも一応パリンクロンの所有物扱いだった思う」
はっきりと「所有物」と表現され、僕はたじろぐ。
しかし、ヴォルザークさんの振る舞いを思い出し、僕の奴隷のイメージと離れていることがわかる。
「そ、そうなのか。なんか僕の思ってる奴隷と違うな」
「……一口に奴隷と言っても、千差万別。見識の深い高額奴隷は、下手な貴族より立場が上の場合もある。それにラウラヴィアでは人材の無駄をなくし、適材適所を徹底する風潮がある。だから、他国と比べると差別する人は少ない。……ヴォルザークと周囲の皆を見ればわかるでしょ?」
「へえ……」
「……だから、また不憫な奴隷を見ても、いきなり飛び出さないでくれると助かる。ここはまだマシなほう」
「また? いや、いきなり飛び出しはしないよ?」
「……あっそ」
スノウは僕の言葉を信じていない様子だった。
いまもヴォルザークさんに任せて上手く解決に導いたのに、僕のどこに不審な点があったのかわからない。
こうして、スノウとの会話を終えて、また執務室は静寂に包まれていく。
僕は迷宮に行きたかったが、先のような事件が起きるとわかった以上、ここを離れるわけにはいかなくなった。
しかし、暇なものは暇だ。
木彫りをしても、《ディメンション》を広げても、まだ並列思考に空きができる。
何分かの静寂の末、僕は声を出す。
「暇だな、スノウ」
「……暇は素晴らしい。あと迷宮は嫌」
先に釘を刺されてしまう。
しかし、今回の用件は別だ。
「いや、迷宮はやめとくさ。それより、暇潰しにおまえのことを聞いてもいいか? 嫌なことは答えなくていいから」
「……ん、別に構わない。お喋りぐらいなら面倒じゃない」
断られると思ったが、意外にも受け入れられた。
この暇な時間を使って、スノウと円滑な協力関係を構築しようと思う。
手始めに、ずっと気になっていたことを聞く。
「スノウには凄いお兄さんがいるんだろ? その人のことを教えてくれないか?」
スノウ・ウォーカーの兄、人類最強の迷宮探索者グレン・ウォーカー。
スノウの親族云々とは関係なく、その称号だけで十分に興味をそそる人物だった。
「……凄くはない。結構――いや、かなり駄目なやつ。というか、そんなに仲良くないから知らない」
しかし、妹からの評価は辛らつなものだった。
「人類最強とまで言われているお兄さんのことを「駄目なやつ」って呼べる時点で、仲が良さそうに聞こえるけど?」
「……うーん、どうかな。話くらいはするけど、特別仲が良いわけでもない。話すのも、兄さんの駄目なところを注意するばかり」
「同じ兄として、少しかわいそうになってくるな。グレン・ウォーカーさん……」
「血も繋がってないし、やっぱり仲は良くないと思う」
「へえ、血は繋がっていないんだ?」
「……私も兄さんも養子。ウォーカー家は優秀な血を混ぜる風習があって、その流れで入った」
「そうなのか。えっと、ウォーカー家ってラウラヴィアの大貴族で合ってるよな?」
「うん。面倒な家。パリンクロンと兄さんのおかげで、風当たりは良くなってきてはいるけど、基本的にうるさい」
「うるさいって、何か言われるのか?」
「兄さんのようにウォーカー家の名前を世に知らしめろってさ。そのために養子を取っているって、公言してる」
「なかなか貪欲な家だな……」
「最近、武勇は諦められてきているけど、代わりに結婚しろってうるさい。知らない間に、よくわからないやつと婚約させられてた」
「ああ、政略結婚ってやつか。当人を見るのは初めてだな」
僕は歴史の授業でしか知らなかった政略結婚の実像を前に、少しだけ面白がる。
「『エピックシーカー』のサブマスターとして名前が売れたら、許してくれるかな……。許してくれないだろうなぁ……」
しかし、スノウは正反対に顔を暗くする。
「なんだ、結婚は嫌なのか? スノウのことだから、金持ちと結婚したら楽できるとか考えてると思ってた」
「お金は要る……。けど、貴族と結婚しても楽になんてならない。面倒すぎる……」
憂鬱とした表情でスノウは息をつく。
「嫌なら、はっきりと拒否したほうがいい。言葉にしないと後悔すると思うけど?」
「……拒否したら面倒なことになる。どちらにせよ面倒。……なら何もしない。どうせ、仕方がない」
「仕方がないって、おまえ……」
「……頑張っても、どうせ無駄」
スノウの生き方の歪さを確かに感じ取れた瞬間だった。
自分の結婚さえも――いや、彼女は人生すらも諦めているように見える。
胸が痛む。
諦観を許してはいけないと、僕の中の何かが叫んでいた。
「なあ。なんでおまえは、そんなに無気力なんだ? 過去に何かあったのか?」
「……なかなか、核心をついてくるね、カナミ」
スノウは驚いた顔を見せたあと、くすりと笑う。
「悪い、踏み込みすぎているのはわかってる。けど、パートナーであるスノウのことは早めによく知っておきたいと思ったんだ。なんだか、そうしないと凄く後悔しそうな気がして……」
正体不明の脅迫観念が、僕の口を動かしていた。
「……ま、別に構わない。カナミなら」
「確か、子供の頃、『エピックシーカー』でサブマスターをやっていたんだよな? その頃に何かあったのか?」
「……昔の私は、まだ可愛げのある女の子だった。ギルドの仕事もやる気満々で、毎日が楽しかった。あの頃は夢を見ていたから」
「へえ、やる気満々のスノウか。ちょっと想像できないな」
「……あのときは、まだ一回しか失敗したことなかったから、希望があった。けど、何度も失敗していくうちに、頑張るのが馬鹿らしくなった。それでこうなった。ほんと、それだけの話」
「何度も失敗したのか……」
「失敗」と言ったときのスノウの顔は歪んでいた。
本気にならないスノウが見せた――初めての本気の表情だ。
少しだけ気持ちがわかる気がした。
「……そう。もうやる気がでない。必死になればなっただけ馬鹿を見る。本気で失敗すると、本気で辛くなる。そんなの、もう嫌」
スノウは乾いた笑みを張り付けながら、二度と本気にならないと言う。
それを否定しなければならないと僕は頭で理解していたが、感情が許してくれなかった。スノウの言っていることは、同じ人間としてよくわかる話だったからだ。
何より、素直に話してくれたスノウへのお返しに、非難の言葉を投げるのは躊躇われた。
「ちょっと意外だな。聞いたら、ちゃんと教えてくれるんだな、スノウって」
「……うーん、同族意識だと思う。カナミも大失敗してるのを知ってるから」
「僕が大失敗……? それってどういう、――ッ!?」
さらに話を深めようとしたところで、《ディメンション》内で異常を感じて、言葉が切れる。
「……どうしたの、カナミ?」
僕の《ディメンション》が届くギリギリの範囲で、『エピックシーカー』のメンバーと諍いになりかけている人間を見つけた。
『エピックシーカー』のメンバーに詰め寄って、まくしたてる少女が二人。
「うちのメンバーに突っかかってるやつがいる」
「……え、市民じゃなくて、ギルドメンバーに?」
僕は《ディメンション・多重展開》で、その状況をより把握する。
少女二人は異常だった。
どんな言葉よりも、異常という言葉が先に出る。
それほどまでに普通ではない。
金砂が舞っているような細く長い髪を揺らす二人の少女。
一人は長い髪を三つ編みにして、背中に垂らしている。よく見れば、彼女は金だけでなく、銀に似た髪も混じっている。煌く金と銀の髪が絡み合っている。そして、その身体も普通ではない。整い過ぎて人間離れしている顔の作り、この世のものとは思えないほど綺麗な黄金の瞳。そして、一切の無駄がない完成されたプロポーション。女性の極みを超えた、化け物にも似た美の体現者がそこにいた。
「な、なんか、恐ろしいくらい綺麗な子がいる……」
「……恐ろしいくらい綺麗な子?」
もう一人の少女も普通ではない。
こちらの少女は金一色の髪を短く切り揃えている。後ろ髪を尻尾のように結び、見方を変えれば美少年のようにも見える子だ。そして、こちらも先の少女と同じように怖いくらい美しい。女性としての美しさとしては先の少女に負けるが、中性的な魅力を持っている。背はこちらのほうが小さめで、もしかしたら二人は姉妹なのかもしれない。
「ああ、綺麗だけど恐ろしいんだ……。そんな女の子が二人」
「……それって、もしかして――」
僕はスノウの言葉を最後まで待たず、大声をあげる。
「――なんだ、こいつらっ!? 異常が過ぎる!!」
大声をあげざるを得なかった。
それほどまでに少女二人のステータスは異常だった。
【ステータス】
名前:ラスティアラ・フーズヤーズ HP708/709 MP325/325 クラス:
レベル16
筋力11.73 体力11.12 技量7.14 速さ8.40 賢さ12.98 魔力9.13 素質4.00
状態:
先天スキル:武器戦闘2.14 剣術2.03 擬神の目1.00
魔法戦闘2.27 血術5.00 神聖魔法1.03
後天スキル:読書0.52 素体1.00
【ステータス】
名前:ディアブロ・シス HP179/182 MP821/831 クラス:剣士
レベル11
筋力6.32 体力5.39 技量3.02 速さ3.18 賢さ9.99 魔力45.12 素質5.00
状態:加護1.00
先天スキル:神聖魔法3.80 神の加護3.08 断罪2.00 集中収束2.05
属性魔法2.10 過捕護2.12 延命2.24 狙い目2.03
後天スキル:剣術0.10
???:???
規格外の素質とスキルに、桁違いの数値。
このラスティアラとディアブロという少女二人が、メンバーに詰め寄ってることに僕は恐怖を覚える。もし、彼女らが本気になれば、メンバーは何も出来ずにやられてしまう。
様子を見る限り、荒事になる可能性は高い。
「スノウっ、いますぐ出るぞ! 僕たちじゃないと相手にならないくらい強い!!」
「……い、行かないと駄目だよね」
只事ではない様子を察したスノウは、ごねることなく立ち上がってくれた。
スノウがついてくるのを確認して、僕は窓から飛び出す。
ラウラヴィアの街の屋根上を走りながら、後方にいるスノウへ指示を出す。
近くの他のメンバーたちにも集まるように、魔石で連絡を取らせる。
戦闘に参加させるつもりはないが、周囲を包囲してくれるだけ威圧できるのは確かだ。いま詰め寄られているメンバーのためにも、僕は頭を限界まで回転させ、指示を出していく。
僕が辿りつくまで荒事になるなと願いながら、全力で駆け抜ける。
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あたりになります。