87.30層
地面に着地して、すぐに30層を見渡す。
幻想的な空間だった。
地面から七色に輝く花が咲き、七色に輝く水晶の柱が無数に立ち並び――そして、天井からは七色の石が氷柱のようにいくつもぶらさがっている。
30層の造りは鍾乳洞を思わせた。
しかし、七色に光る鉱石たちが、ここが普通の鍾乳洞でないことを伝えてくる。
28・29層に似ている。
いや、28・29層が、この層の影響を受けているのかもしれない。
そう思わせるほどに、ここは完成されていた。
落ちた『クレセントペクトラズリの直剣』を拾い、僕は30層を歩く。
パキパキと花を踏み折る音が鳴る。
30層に咲く花が植物でなく、鉱物であることが足の裏から感じ取れる。
そして、美しい花を踏み歩き続け、その先に人影を見つける。
予想通りならば――
【三十守護者】地の理を盗むもの
「……30層の守護者?」
声に反応して、その人影はこちらを向いた。
くすんだ栗色の髪を垂らした青年だ。
裾の解れたボロボロの服を着ていて、酷く疲れた目をしている。目の下の濃い隈が特徴的だ。年は僕より少し上くらいだろうか。
青年は額に手を当てて、不思議そうな顔を見せる。
そして、僕の声に対して、答えを返す。
「――そ、そうだ。私は守護者だ。それはわかる。あのとき、あいつと約束して、それで、それでっ……!」
混乱しているようだった。
話によれば、守護者は探索者が層に入ると同時に出現するらしい。
その仕組みがどうなっているのかは知らないが、それが召喚のようなものだとしたら、急に呼び出された青年が混乱しているのも無理はない。
僕が見守る間も、青年は自分に説明するかのように独白し続ける。
虚ろな目を彷徨わせて、状況を把握しようと努めていた。
「それで……? それから、私はどうなった? そうだ。確か、最後はあの馬鹿と一緒に……、――ッ!?」
青年は急に目を見開き、しゃがみこんだ。
その瞬間、青年の頭の上を――巨大な黒い鎌が通り過ぎた。
「惜しいっ!」
何もないところからそいつは急に現れ、喜色の混じった声をあげた。
そいつもまたモンスターではなく、人の姿をしていた。
大鎌を振るったのは、年端も行かない女の子だった。
小学生ほどの身長の少女が、二メートルほどの大きな鎌を持って、空中に浮いている。一糸纏わぬ褐色の肌に、身長ほどに伸びた黒髪、そして、殺意に溢れた赤い目。
全てが異常だった。
何よりも異常なのは、僕が『注視』しても、女の子の情報が全く得られないということだった。
少女は舌打ちをしながら、それでいて楽しそうに次の一撃を青年に振るう。
対して、青年は疑念の晴れた顔を見せつつ、唸る。
「ああっ、そうか! くそっ、そういうことか!!」
徒手空拳で身構えて、少女の攻撃をかわしつつ、周囲の状況に目を配る。
その最中、再度僕と目が合った。
青年は僕に向かって、叫ぶ。
「ここは危ない! すぐに逃げろ!!」
青年は僕の身を案じて、退避を促してきた。
「え、ええ?」
わけがわからず、僕は疑問の声をあげる。
まさか、30層に辿りついて、その守護者から逃げろと言われるとは思っていなかった。探索者を置いてけぼりにして戦闘を始めたのも予想外だ。
「『死神』は危険だ! この私――『地の理を盗むもの』ローウェンが抑えている内に、早く逃げてくれ!!」
青年は守護者『地の理を盗むもの』であることを認め、ローウェンと名乗った。
同時に、ローウェンさんは少女を『死神』と呼び、心の底から僕を心配しているような表情を見せる。
しかし、僕は動けない。
守護者であるならば、彼は敵だ。
倒すべき敵、なのだが……余りにも人間らしすぎる。
予想していた状況と違い過ぎて僕が動けないでいると、少女の方が困ったような顔で叫ぶ。
「あ、あれっ!? なんかおかしい!? ローウェン、なんかおかしいよ!」
しかし、その間もローウェンさんへの攻撃の手は緩めてはいない。
いまにも、その首を刈ろうとしながらの言葉だ。
ローウェンさんは高速で襲い掛かる少女の鎌をかわしながら言い返す。
「当然だ! もう全て終わった! 終わったんだ! おまえの術者は死んだ! おまえが私を襲う理由はもうない!」
「そんなっ、そんなさぁ!! 酷いこと言わないでよ!」
「それ以上動けば、身体が維持できなくなるぞ!」
その言葉を最後に、ローウェンさんは鎌を紙一重でかわして、少女の腕を掴んで投げ飛ばす。
遠目で二人の戦いを見たところ、実力差ははっきりとしていた。
少女の動きは速いものの、何の工夫もない突撃を繰り返すだけだ。それに対して、ローウェンさんの動きは洗練されている。技量に差がありすぎる。あれではいつまでたってもローウェンさんに鎌の刃が届くことはないだろう。
投げ飛ばされた少女は、苦しそうに喉を押さえて呻く。
空気が足らずに苦しんでいるようにも見える。
「う、うぅ……」
「ほら見ろ! 魔力が抜けるばっかりで補充されていないからそうなる!」
少女はローウェンさんの言葉に対して、睨み返すことで応える。
そして、薄く笑って呟く。
「い、いいや、まだやれる……。アタシはまだ生きてる……。まだ……!」
「お、おい。まさか――!?」
少女の尋常でない様子を感じ取ったローウェンさんは、手を伸ばして少女に制止をかける。その直後、少女の身体は歪み、黒い霧となって宙に溶けた。
僕は《ディメンション》を展開していたため、気づけた。
少女は身体の全てを魔力に変えて、空気中の魔力に溶け込んだのだ。
そして、魔力となって移動し、僕の背後へと――
「な――!?」
「こっち向いて、お兄ちゃん……」
もはや、それは瞬間移動に近かった。
背後へ瞬間移動されたことに驚き、僕は剣を抜くと共に振り返る。
そこには満面の笑みを浮かべた少女がいた。
悪戯に成功したかのような純真無垢な子供の笑顔だ。
少女は手を僕の肩に置いていた。そして、その指先で僕の頬を突く。
「ひひっ、振り向いたね?」
僕は跳ぶように少女から距離を取り――首筋に痛みと熱を感じる。
「痛っ!」
首に手を当てて、剣を少女に向ける。
少女からは何の敵意も感じない。
しかし、何らかの攻撃を受けた可能性が高い。
僕が距離を取ったあと、楽しそうに笑う少女へローウェンさんが襲い掛かる。
「リーパー! 他人を巻き込むな!!」
「遅いよ、ローウェン! このお兄ちゃんは、アタシが貰った!」
少女はローウェンさんから逃げるように距離を取り、「僕を貰った」と表現した。
その表現の意味に気づくのに、そう時間はかからなかった。
熱の灯った首筋に《ディメンション》を集中させる。
そこには、いつのまにか黒い紋様が浮かんでいた。魔法陣に似たそれは熱を発すると共に、僕の魔力を搾り出していく。
《ディメンション》が魔力の動きを理解させる。
搾り出された魔力は、リーパーという少女に流れていっている。
「――『虚ろの悪魔は』『愛しい貴方の後ろに』。『そこがアタシだけの居場所』――」
少女は僕の魔力を受け取り、力を漲らせる。
そして、詠唱を唱え、その名を叫ぶ。
「――『アタシこそが』、『影慕う死神』――」
そして、自他共に『死神』であることを宣言した。
「ひひっ、なんたる偶然かな! このお兄ちゃんも、あの人と同じだ! おんなじ次元属性の魔法使いさんだ! さぁさぁ! 空いた術者は、このお兄ちゃんが埋めたよ! さぁ、ローウェンはどうする!?」
リーパーが力を漲らせて叫ぶたびに、僕から魔力が抜けていく。
もう間違いない。
リーパーは首の紋様を通して、僕から魔力を奪っている。そして、その魔力であいつは動いている。
その姿を見たローウェンさんは忌々しそうに呻き、僕のほうに近寄ってくる。
「くっ、仕方がない……! 少年、君の名前は!?」
「渦波。相川渦波……」
僕は首に手を当てたまま、名前を答える。
リーパーからは邪悪さを感じるものの、守護者であるローウェンさんから害意は感じない。ひとまず、名前を教えるに値すると判断した。
僕の名前を聞いたローウェンさんは大声で驚く。
「ア、アイカワカナミ!?」
どうやら、僕の名前に何かしらの心当たりがあるようだった。
ただ、ローウェンさんが驚いた様子を見せていたのも束の間で、すぐに口を結んで真剣な表情に戻す。
「と、とにかく、カナミ君! 悪いが協力してもらう! その『呪い』を解きたければ、あいつを滅するしかない!」
ローウェンさんは僕の首の紋様を『呪い』と表現し、それを解くために戦えと言った。
「……よ、よくわかりませんけど、あの子が悪い何かだってことだけはわかりますっ。このままだと、よくないってことも」
僕はいくら首に手を当てても抜けていく魔力が抑えられないとわかり、ローウェンさんの提案に賛同する。
「ひひっ、ふひひっ、あはハハッ!」
そして、ただただ陽気に笑い続ける少女を相手に、僕は守護者と肩を並べて剣を構える。
当初の予定とは全く違うが、止むを得ない。
まずは目の前の少女をどうにかしないといけない。僕は少女を攻略するための最適案を頭の中で導き始める。
そして、次の瞬間には、リーパーの大鎌が周囲の水晶を根こそぎ斬り裂いていた。
それを紙一重でかわしつつ、僕はローウェンさんに聞く。何をするにしても情報が必要だ。
「ローウェンさん、あれはモンスターなんですか!?」
「いや、モンスターではない! もちろん、守護者でもないし、人間でもない! あれはただの『魔法』! 知性を持って動く『魔法』なんだ!」
「魔法?」
僕は思ってもしなかった正体に、疑問の声を返す。
「ああ、私を殺すためだけに創られた呪いの魔法だ。童話をモチーフにしていて、魔法名はそのまま『影慕う死神』だ。あの童話を思い出しながら、戦ってくれ!」
「え、ど、童話!? すみません、その童話を僕は知りません!!」
急に童話と言われても困る。
グリム・リム・リーパーなんて聞いたこともない。
「世界的に有名な童話だろう!?」
「いや、本当に知らないんです!」
おそらく、この世界では有名なのだろう。
しかし、異邦人である僕には知りようもない話だ。
僕は真剣な表情のまま、少女の死角からの鎌をかわし続ける。
その様子から嘘をついていないことを感じ取ったローウェンさんは話を続ける。
「わかった! 要点だけ言おう! あいつは『見ているときは存在できない。そして、見ていないときだけ実体化する』。そういうルールの中を生きる童話の敵役だ。視界の外から斬ってくるから、カウンターで攻撃してくれ!」
「見ていないときだけ実体化……!?」
もうそれだけで厄介だ。
つまり、目で見て攻撃してもダメージを与えられないということになる。
生物でない魔法とはいえ、反則的な特性だ。
瞬間移動を繰り返しながら四方八方から襲い掛かる少女の鎌をかわす。正直なところ、これに対してカウンターを入れるというのは難しい。
しかし、不自然さを感じる。
少女はローウェンさんに対してのみ身の毛のよだつような殺気を放つが、僕に対しては全くない。攻撃も急所を外してくれているように感じる。
「もう! ちょっとお兄ちゃんは離れてて! アタシはローウェンを殺したいだけなんだから!」
ローウェンさんの背中を守るように僕が立ち回っていると、苛立った少女は距離を取ってぷんぷんと怒り出す。
「え、ええっと……。僕を殺すつもりはないってこと……?」
僕は離れたところで、少女の意思を確認する。
「そりゃ殺さないよ。だってお兄ちゃんは、私の大事な餌だもん。動けなくするだけだよ」
「え、餌って……。とりあえず、僕から魔力抜くのをやめてくれないかな……」
「それはやめない! やめたらローウェンと戦えなくなるから、死ぬまで絞り取るよ!」
「死ぬまでって……。だったら、戦う他ないじゃないか」
僕は剣を握り直しながら、少女を睨む。
しかし、僕も殺気が出せない。ただでさえ、人の形をしているというだけでやり難いのに、こうも子供みたいな反応されては気勢が削がれてしまう。
「カナミ君、無駄だ! とり憑かれたら最後、死ぬまで魔力を吸い取られる!」
ただ、ローウェンさんは迷いを見せている僕に対し、このままだと死んでしまうと脅してくる。
それを僕は馬鹿正直に信じようとは思わなかった。
初めて会った人の言うことを鵜呑みにしてはいけないとのいうのもあるが、何より彼が言うほど危機感を感じないからだ。
確かに、魔力は吸われ続けている。
けど、それで死ぬかと言われると、そうでもない気がする。
細く、薄く、少しずつしか魔力は吸われていない。戦闘に支障は出ても、死活問題にまでは至らないはずだ。
少女は僕から奪った魔力を美味しそうに噛みしめ、魔法を構築しようする。
「ひひっ、なんて瑞々しい魔力! 前より調子良いかも! これなら、二人の視線を切るのも容易いね!」
魔法そのものである少女でも魔法を使用できるようだ。
「――魔法《ディメンション・黒泡沫》!」
少女は次元魔法を唱えた。
それは僕の魔法とよく似ていた。「ディメンション」という単語がついている以上、同系統の魔法であることは間違いない。しかし、それだけではない。「黒泡沫」という追加の発想も、僕と似ていると感じた。
次元属性の魔力が30層に充満していき、その領域内に黒い泡が湧き始める。
僕は《ディメンション》で、その魔法の全容を把握する。
それは基本的に僕の《ディメンション》と、さほど変わらないようだ。おそらく、精度は僕よりもずっと下だろう。
そして、黒い泡の中には瞬間移動するための魔法を詰め込まれているのを、僕の《ディメンション》で感じ取る。その使い方は僕の《次元雪》に似ていた。
泡の色が黒いのは空間を支配すると同時に、敵の視界を塞ぐためだろう。
ローウェンさんの言うとおりならば、敵の視界を自由にできれば実体化も自由にできるということになる。それがメインの狙いである可能性は高い。
少女は身体を掻き消して、僕たちの死角に瞬間移動する。
僕は咄嗟に《ディメンション》を大きく広げて対応した。しかし、その《ディメンション》の広がりを、少女は《ディメンション・黒泡沫》で把握し、広がりの薄いところを感知して移動する。
僕の《ディメンション》は空間の情報を集める魔法だが、空間内の情報を常に自動で集めているわけではない。基本的に、欲しい情報を意識して、欲しいところのものだけを把握していく。
つまり、よっぽど注意を払っていない限り、僅かな隙間が必ず出来てしまう。
その隙間をついて少女は移動しているようだった。
ローウェンさんの後方近くに少女は移動し、鎌を横に振るう。ローウェンさんは身体を反らして、それを避ける。服の裾に鎌が掠ったように見えた。ただ、鎌が掠る直前に、僕が《ディメンション》で認識したため、もう鎌は実体を失っていた。
少女は裾にすら攻撃が届かなかったのを見て、頬を膨らませる。
その後、何度かローウェンさんに斬りかかったものの、その全てを僕の《ディメンション》に邪魔されてしまい届かない。
「――っ!! くうっ、お兄ちゃんの展開してる魔法! 邪魔だなぁ!」
その状況に業を煮やした少女は、こちらに標的を変える。
どうやら、少女には僕の《ディメンション》に対抗する手段がないようだ。こちらは、いざとなれば《次元の冬》を使って《ディメンション・黒泡沫》を無効化できる自信がある。しかし、それに相当するものが少女にはない。
少女はこちらに意識を集中させ、僕の首筋にある紋様との繋がりを強めようとする。
「なら、もっと魔力を絞って、魔法を使えなくしてやる!」
それを見たローウェンさんは慌てて、こちらに注意を促そうとする。
「カナミ君! 一旦離れて――」
「いえ、ローウェンさん。大丈夫です」
しかし、その必要はない。
情報は十分に集まった。
最初は少女の特殊な能力に驚いたものの、もう慣れてきた。
「――もう大体わかりました」
僕は静かに戦闘終了を宣言する。
こちらに干渉しようとする少女を置いて、僕は別の魔法を構築する。正直なところ、この『呪い』の細い繋がりくらいでは、僕のMPを枯渇させることはできないだろう。巨大な貯蔵庫に針の穴が空いた程度のものだ。大局に影響はない。
「全魔力の運用を《ディメンション・多重展開》に切り替え、空間内の視認を優先させる……」
僕は空間認識を、より強いものに変える。
次元魔法を空間全てに充満させて、少女が実体化する余地をなくしていく。
《ディメンション》に薄いところなど作らない。絶対に意識の裏も掻かせない。
そうするだけで少女を無力化できるはずだ。
「えっ、あれ! なにこれ!」
少女は僕の魔力が空間全体に濃く浸透したことを、《ディメンション・黒泡沫》で感じ取り、すぐに身体を溶かして瞬間移動する。
黒い泡を使って、何度も空間内を跳躍し――そして、一度も実体化できていないことに気づく。
「え、え? どこにいても見られてる!?」
少女は額に汗を流し、顔を歪ませる。
「諦めろ。僕が近くにいる限り、君は二度と実体化できない。0.1ミリの隙間もなく、0.1秒の合間もなく、僕は君を見逃さない」
瞬間移動する瞬間の、刹那の時間も《ディメンション》の目線を切らさない。
少女の次元魔法程度ならば、解析するのはそう難しくなかった。
魔力の流れを感じ取ることで、瞬間移動の先の予測は可能だ。そして、百を超える黒い泡の予測は、もう終わっている。
これで、少女は僕たちに危害を与えることはできない。
少女が鎌以外の攻撃をしていない以上、これで詰みのはずだ。
「そ、そんなの卑怯だよ! こんなの酷いよ! もうっ!!」
少女は瞬間移動を繰り返したあと、怒った様子で両手で僕の身体を叩こうとする。しかし、実体化できていないので触ることすら出来ない。
「ふう……。とりあえず、一息つける」
僕は息を大きく吐いて、二人に出遭ってからの急展開が止まったことに安心する。
少女の様子から、ローウェンさんもそれを理解してくれたようだ。緊張を解いて、僕たちのほうに寄ってくる。
「すごいな、カナミ君……。魔力のほうは大丈夫なのかい?」
「さほど辛くはないですよ? 正直、死ぬほどのものじゃありませんし……」
それを聞いたローウェンさんは、真剣な顔で思案し始める。
「辛くない? どういうことだ。場所のせいか……? いや、単にカナミ君の魔力が異常なのか……?」
納得していないローウェンさんを見て、少女はふわふわと浮きながら近づいてくる。
暴れても無意味と悟り、鎌も消しているようだ。
僕は身構えたが、少女は気軽な様子で声をかけてくる。
「んー、単純に魔力量の差だと思うよー。ローウェンと違って、こっちのお兄ちゃんは魔力がすっごいよ。私が吸っても、まだまだ余力があるみたい。なにより、相性が抜群!」
「そんなに違うのか……?」
それに対し、ローウェンさんも気軽に答えた。
「うん、お兄ちゃんが芳醇な林檎なら、ローウェンは乾き切った干物だね」
「魔力が少なくて悪かったな。むしろ、私くらいが普通なんだよ!」
「ど、怒鳴らないでよ。とにかく、ローウェンが思っているようなことにはならないよ。たぶん、このお兄ちゃんなら、私を維持できると思う」
「リーパーを維持できるだと……? そんな馬鹿な……」
ローウェンさんは少女の出した答えが信じられないようだ。
そして、なぜか、どこか安心しているようにも見えた。
――信じられないのは僕のほうだった。
先ほどまで殺し合いをしていたというのに、何事もなかったかのようにローウェンさんと少女は会話を始めている。
仲が良すぎる。まるで、往年の友のようにすら見える。
僕は状況を詳しく知るべきだと思い、二人の会話に割り込む。
「えーっと、いいかな?」
「ん、なんだい。カナミ君」
ローウェンさんは思索を打ち切り、穏やかな表情でこちらを向いた。
「僕は30層の守護者を倒しに、ここまで来たんだけど……」
「……そ、そういえばそうだった。いま私は迷宮の守護者だった。色々あって忘れてた」
そして、無害そうな顔のまま、自分が守護者であることを認めた。
聞いていた話と大分違う。
守護者は無慈悲なモンスターで、出会った人間たちに襲い掛かり、無数の死者を生み出す狂気の化け物じゃなかったのか……?
「え? お兄ちゃん、ローウェンを殺しにきたの? じゃあ、一緒に殺そうよ! 本当はアタシ一人で殺したいけど、お兄ちゃんなら仲間に入れてあげるよ!」
ローウェンの代わりに、無慈悲で狂気な反応を少女がする。
少女とも話はしたいが、いまはローウェンさんが先だ。
「ちょ、ちょっと待ってね。えっと……リーパー。まずはローウェンさんと話させて」
呼び名に迷ったが、とりあえずは「リーパー」と呼ぶことにする。
「むぅー、仲間はずれにしないでよ! アタシも混ぜて混ぜて!」
「あとで聞いてあげるから、いまは大人しく――」
「やだやだ! アタシ知ってる。そうやって、最後まで無視する気だ!」
「いや、そんなことは――」
「ねえねえ、そんなことよりも魔法解いて! こんなのあったら、何にも触れな――」
「――魔法《次元の冬》」
「え、ええ!? く、苦しいぃぃー!」
《次元の冬》を限定的に展開させる。
対象は首もとの紋様から伸びているリーパーとの繋がりだ。魔法に干渉するのとやることは変わらない。振動停止の応用で、流れを抑えつけるだけだ。
それだけで、少女への魔力供給は止められる。むしろ、やろうと思えば逆に吸い取ることもできるだろう。
魔力の供給を止められた少女は、空気を失ったかのように苦しみ始める。
魔力が奪われていながらも放置していたのは、これができる自信があったからだ。
すぐに僕は魔力供給を元に戻して、リーパーを窘める。
「はい、静かにして」
「……はい」
リーパーは酷く怯えた様子で、すごすごと引き下がる。途中、「折檻方法まで、あの人と同じだ……」と呟いていた。どうやら、いまのやり方にトラウマがあるようだ。
僕の使える魔法とリーパーの相性の良さに助かった。これでリーパーは完封だ。
しかし、少し引っかかる。
リーパーが誰かの創りだした『魔法』だとして、余りにも都合が良すぎる気がする。まるで僕が使うために用意されたかのような魔法だ……。
いや、それはあとで考えよう。
まずはローウェンさんと話さないといけない。
「えーっと、本当にローウェンさんが30層の守護者?」
「……悪いが、カナミ君。まず先に、敬語をやめてもらえないか? どうにも落ち着かないんだ」
「え、敬語をですか?」
「肉体年齢はさほど変わらないからね。頼むよ」
確かに見たところ、僕たちの年齢はさほど変わらない様に見える。ローウェンさんが少し上くらいだろう。
「……わかった、ローウェン。僕もカナミと呼び捨ててくれていい」
「もちろんだ、カナミ。それで、なんだったかな。私が守護者かどうかだったか……」
「ローウェンがあの守護者とは思えない。リーパーなら納得できるけど……」
「いいや、あの馬鹿はただのオマケだ。儀式の最後、私の近くにいたから巻き込まれただけだろう。守護者は私で合ってる」
「つまり、ローウェンはモンスターってこと?」
「ああ、モンスターだ。ただ、他のやつらと違って、まだ堕ちきっていないから、ほとんど人間だけどな」
そう言って、ローウェンは自分の身体に目を向ける。
どこからどう見ても、普通の人間だ。
「え、えぇ、それは困る。ボスモンスターがいるって聞いたから、倒しに来たのに……」
「いや、気にしなくていい。どうせ、私は人として死ねない。モンスターを相手にしているつもりで大丈夫さ」
「人として死ねない?」
「ああ、一度心臓が止まれば、完全にモンスター化する。それを倒したら、晴れて第三十の試練はクリアだ。やるかい?」
「……うーん、それでもやりにくい」
「ま、やりにくいよな……。私も同じ状況なら、剣を抜けないだろうな」
ローウェンさんは苦笑を浮かべながら肩をすくめる。
しかし、困った。
このままではパリンクロンとの取引が達成できない。
守護者がこうも話が通じる相手とは思わなかった。過去の守護者出現の際には多くの死者が出たらしいが、ローウェンさんは違うようだ。
とりあえず、無理にでも心臓を止めてもらってモンスター化してもらおうか。
人間の姿でなかったら剣は向けられると思う。おそらくだけど……。
「――うーん。それじゃあ、取引しよう」
僕が解決案を出そうと悩んでいると、ローウェンさんが提案してくる。
「取引?」
またもや取引だ。
パリンクロンとの取引を達成するために、ローウェンと取引する。
RPGで、お使いイベントが連鎖していくのを思い出した。「あれをやれ」「これをやれ」と本筋の進まない盥回しはゲームだとよくある。
現状、あの少女二人組みさえどうにかできればいいのだから、もう全てを無視してレベルを上げたほうがいい気さえしてきた。
「ああ、単純な取引だ。――私の望みを叶えてくれ。そうすれば、私は死ぬ」
「望みを叶えたら死ぬ……?」
「そもそも、守護者は死んでるんだ。残った『未練』が身体を動かしてるだけで、生きてない。ゆえに『未練』を失えば力を失っていき、大望を果たせば消える」
ローウェンは自分が死人であると告げた。
先ほど、モンスターとして扱ってもいいと言ったのは、死の覚悟が済んでいるからだったようだ。
「むしろ、死ぬことが私の望みでもある。だから、気にせず殺しにきてくれていい」
そして、ローウェンは微かな笑いを零す。
僕の心労を少しでも減らそうと、気を使っているのがわかる。
僕はこの心優しき守護者に応えようと思った。
「……わかった。……ローウェンがそこまで言うなら、その方法で僕は守護者を殺すことにする」
「ありがとう、カナミ」
僕とローウェンは握手を交わす。
短い時間の交流だったが、ローウェンが悪い人間でないのはわかった。ならば、それに協力するのはやぶさかではない。
もちろん、打算もある。
ローウェンは強い。先ほどの戦いを見る限り、徒手空拳で見えないところから襲ってくる高速の鎌を余裕でいなすほどの力量がある。
あの少女二人組みに対してでも、頼りになる戦力となるのは間違いない。
取引内容によっては、ローウェンが未練を果たすまで、僕の味方になってくれるかもしれない。
そして、今後の話をしようとしたところで、ずっと黙っていたリーパーが我慢できずに叫ぶ。
「だ、駄目だよ、ローウェン! ローウェンはアタシが殺すんだから! そんな死に方は絶対に駄目!」
どうやら、リーパーは自分の手でローウェンを殺すことにこだわっているようだった。
リーパーがローウェンを殺すためだけに創られた魔法ならば、そういう答えに行き着くのも無理もはないかもしれない。
「だから!! それを命令したやつは死んだろ。わからないやつだなぁ、おまえは。もう私を殺す必要なんてないんだよ」
「そのくらい、アタシもわかってるよ……。け、けど、じゃあアタシは何すればいいの……? 何のために生きればいいの……?」
「それは自分で決めろ。生きるってことは、そういうことだ。生まれる前に決められていたほうがおかしいんだ。やるべきことは、生きて、自分で探すんだ」
ローウェンは力強く確かな口調で、リーパーに生きることを説いた。
僕も同感だ。
少なくとも、誰かを殺すための生は間違っていると思う。
「そんなの、難しいよ……」
それを聞いたリーパーは泣きそうな顔で、黒い霧に変わっていく。
「あっ、待て! どこへ行く!?」
ローウェンは慌てた様子でリーパーを呼び止めようとする。
しかし、僕にはリーパーの逃げ先がわかっていた。というよりも、わからされた。
リーパーは黒い霧となって、僕の中へ入ってきたのだ。
《次元の冬》で拒否しようかと思ったが、その前の悲しそうな表情に同情してしまい、受け入れてしまった。
「ローウェン、リーパーは僕の中に入ったよ……。なんか、中でいじけてる」
「カナミの中に……? そ、そうか。それならいい」
ローウェンはリーパーの無事を知り、安心していた。
どうやら、ローウェンは自分を殺そうとしているリーパーを案じている節がある。それはまるで、出来の悪い妹の今後を心配しているようにも見えた。
「でも、なんだか身体が重くなったような……」
「リーパーは『呪い』の魔法だからな。最上級の『呪い』を抱えていることになる」
「ど、どうしよう、この子……」
「……まあ、リーパーは馬鹿だが、悪い子じゃない。言い聞かせることができたら、ちゃんと使える魔法だ。やったな、カナミ。今日から伝説の死神使いだ」
そして、出来の悪い妹の世話をしてくれる人を見つけたような顔を、ローウェンは見せる。
「できれば遠慮したい……」
ローウェンはそれでよくとも、僕は納得いくはずもない。
死ぬわけではないが、大事なMPを削られているのは確かなのだ。
「わ、悪い。いまのは冗談だ。……リーパーを追い出すのには協力する。代わりの術者を見つけるか、封印でもできればいいんだが……。ただ、魔法は私の専門外だから、私にはどうにもできない。なあ、他の守護者は生きてるのか?」
「いや、10層の守護者も20層の守護者も死んだらしいよ」
「くっ。魔法の得意な守護者が居れば、リーパーを助けることができるかもしれないのに……。そうか。みんな消えたか……」
ローウェンは自然とリーパーを「助ける」と言った。
やはり、二人は殺し合う仲ではあるが、それだけではないようだ。
それについては追々確かめよう。
僕は話が一段落したので、最も大事なことを確認する。
そう。
それは最も大事なこと。
「それで、ローウェンの望みってなんなんだ……?」
『地の理を盗むもの』ローウェンの殺し方。
「……望み、か。そうだな、色々あったような気がする」
ローウェンの答えの歯切れは悪い。
しかし、ゆっくりと、何かを思い出すように、何度も表情を変えながら言葉を紡ぐ。
「確か、一番の望みは、騎士として有名になることだったはずだ……」
何も握ってない右手を開け閉めしながら、自分に言い聞かせるように告白し続ける。
「ああ、そうだ。私は私の剣を世に示すことが望みだった。それが子供の頃からの夢だった。それは間違いない……。その願いだけは間違いない……」
ローウェンは幼子が憧れるような稚拙な夢を、照れながら言葉にした。
そして、確信を得た表情になり、さらに続ける。
「私は名誉と栄光が欲しい。多くの人に私を讃えて欲しい」
子供のような笑顔で、とても単純な欲求を望んだ。
それはとても純真で、綺麗で――どこか儚かった。
「でないと報われない」
そう最後に呟き、ローウェンは告白を終える。
やはり、その姿はどこか儚く見えた。
過去の『87.30層』の『読者さんからの感想』と『投稿者による感想返信』はhttp://novelcom.syosetu.com/impression/list/ncode/360053/index.php?p=495
あたりになります。