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国生みの記 征服者の系譜  作者: テリー ヨーク
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第二部 葦津大和の国の誕生

  第二部 葦津大和の国の誕生


第一章出撃の決意

     一

 翌日、家持は第二の巻を携え神明天帝の許へ向かった。

「いよいよ後半じゃな? 火の国征伐、葦津大和の国の誕生、世界統一へと話は進んで行くのだな?」

「はは、さようにございます」


「タケル王ノ心ハイヤガウエニモ昂ブッテイタ。コレカラ己ガナサネバナラヌコトノ大キサヲ考エルト、一時モ無駄ニハ出来ナカッタ。目ノ前ニハ、ナサネバナラヌコトガ山積シテイル。タケル王ノ心ハ徐々ニ厳シサヲ増シテイッタ」


 草原には心地よい風が通り過ぎて行った。今となっては懐かしい草原であった。

 いつの間にかあの崖の細道に到着した。帰りは馬が百一頭も一緒だ。

(馬がこの細道を下りて行くことが出来るのか?)

 往きは人間だけでなんとか登れたが、帰りはこの大きな馬百一頭を連れて、それも下りを行かねばならない。

 しかし、タケルの心配は杞憂に終わった。驚いたことにソウシンから預かった家来たちはこの崖道を馬に乗ったままスイスイと下りて行くではないか。一同はそれを見て感心した。

(なるほど、彼らは慣れたものだ。……私には到底出来ないが)

 タケルは家来にフウソクを引かせて下りて行くことにした。

 崖の上から下を見るとその高さは想像を絶する恐ろしさであった。感覚が登って来た時とは全く違うのだ。下界を見ると目がくらむ。

「良いか、恐れることは無い。慎重にさえ下りて行けば何の問題もない」

 タケルはみんなを励ますと同時に自分自身を奮い立たせた。

 恐る恐る慎重に下りて行ったおかげで、無事に下には辿り着いたが、おおよそ一日かかってしまった。下に全員がたどり着いた時には日がほとんど暮れていた。タケルたちはそこで一泊して次の朝真っ直ぐに東へ向かった。サトルやカンダイ、それにモクレンが待つオオナギ村へ……。

         二

 崖から先は海辺を通る。オオナギ村に近づくにつれ、タケルたちは同じような漁村をいくつも通り過ぎて行った。それぞれの漁村では、あの幻の草原の民と馬を引き連れて帰るタケルたちを見て感心し歓迎してくれた。彼らはタケルたちが海賊を退治してくれたことも噂で聞いていた。

 タケルは村々で自分が神の子であり、その使命を果たさなければならないことを語り、同志を募った。やがて彼の一行の人数はいつの間にか五百人近くになっていた。

遥か向こうに懐かしいオオナギ村が見えてきた。崖を出てから既に三十日が経っていた。帰りの道は早い。タケルは白馬フウソクに乗っていた。

「タケル様、もうすぐでございますな」

 ギョライがニコニコしながらタケルの足元で言った。

「いろいろあったがなかなか楽しい旅であった。終わってみればあっという間であったな」

 タケルはそうは言ってはいるが、今や心の中はモクレンのことでいっぱいであった。

(モクレンは無事でいるであろうか? 今も私を待っていてくれるであろうか?)

 一抹の不安が先走って頭をよぎる。

 一行は村に差し掛かった。村の者が気づいて、慌ててこちらに来る者、皆に知らせるものなどせわしく動き出した。タケルたちが村の中にいよいよ入るころには村人たちが大勢集まってその帰りを迎えてくれた。

 人々が、先ずその人数に驚いた。たった十五人で出発したはずが、今や五百人近くになっているのだ。人々は、タケルが引き連れてきた百人の草原の民の兵士と百頭の馬、それにタケルが載っている白馬に目を奪われた。

「あれが噂の四足の動物か。牛ほどの大きさじゃが、全く色も形も違うのう」

 人々が珍しそうに馬の方を見ていた。

 群衆の最前列にカンダイが立っていた。

「タケル様、お久しゅうございます。このたびは、長の旅、ご苦労さまでございました」

カンダイが足元にひざまずいた。その後ろにはモクレンがいた。うっすら涙を浮かべた瞳がタケルを見ていた。タケルはその姿を見て思わず声をかけようとした。

「兄上、長のお勤めご苦労さまでございました」

その時、サトルがさっと前に出て挨拶をした。

「おう、サトル、ありがとう。お前も元気そうで何よりだ」

 タケルはすこし当惑したが、仕方なくそれに答えた。

「これが噂の四足の動物でございますか?」

「そうだ。馬と呼んでおる」

「馬でございますか?」

「そうじゃ、こうやって上に乗り、ものすごい速さで走ることが出来るのじゃ。良いか、見ておれよ。それ、はい!」

 タケルはフウソクの腹を両足のかかとで軽く蹴った。フウソクがいきなり前足を上げたかと思うと勢いよく走りだした。その速さは正に風のようであった。

「おう!」

 それを見た人々は只々驚くばかりであった。タケルは少し行ったところで方向を転換し、勢いよく戻ってきた。フウソクがサトルやカンダイの前でもう一度前足を上げ、ヒヒーンと一鳴きして止まった。

タケルが白馬にまたがったその勇壮で美しい姿は、まさしく神がつかわした大王そのものであった。

「どうじゃ、この力、恐るべし、であろう?」

「ははあー、いやはやものすごい力でございます」

 カンダイが感動していた。

「この馬に乗った兵士が百人おればその力は千人にも万人にもなる」

「正にその通りでございます!」

 サトルもその馬と言うものの圧倒的な力に感服している。

「サトル、カンダイ、あれを見よ、あれにいる兵士百人と百頭の馬は草原の民の長が私に預けた新兵力だ。彼らを丁重に迎えてくれ。彼らがいれば我らの力は何倍にもなる。彼らは私のこれからの大仕事に大いに役立ってくれるであろう」

「ははあー、それはありがたい。仰せの通りにさせていただきます」

 カンダイが草原の民の兵士の許へ行き丁寧に挨拶をし、礼を言った。

「それに途中の村々で我らに共感し付いて来てくれたわたしの新しい仲間たちじゃ」

 タケルは後ろから付いて来た大勢の新しい仲間の方に手を向けた。

「なんと心強いことでございましょう。これで葦津の国に帰る日が近づいてまいりましたなあ」

 カンダイがその大勢の新しい仲間たちを見て感激している。

「ギョライ殿、今宵はタケル様のお帰りを祝って大宴会を催さねばなりませぬな?」

 カンダイが振り返ってギョライに提案した。

「もちろん、そういたしましょう」

「いやいや、その前に私は家来たちと村の人たちに報告せねばならないし、話しておきたいことがある。宴会の前にこの後すぐに集会を開きたい。そのことを皆に知らせてくれ」

 タケルは真剣な面持ちでカンダイに指示をした。

 カンダイがタケルの今までにない緊張した顔を見てただならぬ心持を感じとったようだ。直ちに、その旨をその場にいるものに大きな声で伝えた。

 それからは、皆それぞれに挨拶をかわしそれぞれの家に戻って荷を解いた。カンダイが草原の兵士と馬たちを案内した。ギョライの家来は新しい仲間を村へと案内した。

 タケルはモクレンのところへ行き、しっかりと彼女を抱きしめた。その時ギョライが娘のモクレンと話をしようとしていたが二人の姿を見てそっと身を引いた。

「長い間すまなかったな。息災であったか? 会いたかったぞ」

 タケルはモクレンの髪を撫ぜながら優しく尋ねた。

「御無事でお帰りになられただけで幸せでございます」

 モクレンが涙をこらえてタケルに寄り添った。

 ふたりはその場に長居はせず、すぐにタケルの家に戻ってタケルの荷を解いた。

「先ほどカンダイが言ったように、これから村の広場で皆にこの度の調査の報告をせねばならない。又、これからの私の計画を皆に話したいと思っている。それからもう一つ、私は大事な報告をギョライ殿にしなければならないこともある。そなたはまだギョライ殿に挨拶をしておらぬ。荷物を解けたらすぐにそちらにまいろう」

 モクレンが戸惑っているように見えた。タケルの顔が旅立つ前の顔とはどこか違っていたからかもしれない。モクレンが少し不安げだ。

         三

 村の広場に全員が集まり車座になって座った。中央にはタケルとモクレン、ギョライ、カンダイ、それにサトルとカケルが座った。タケルは立ち上がった。

「皆の者よく聞け! 私たちはこの一年間草原の民の村ソウボク村で過ごし、あの四足の動物、馬のことを学んできた。馬と言う動物は皆が今日見たように素晴らしい力を持っている。この馬の技術を習得すれば我々の生活はより便利になり、更に強力な兵力になるのだ。私たちはソウボク村でそれを習得してきた」

 カンダイやギョライたちが自慢げにタケルの言葉に頷いた。

「馬百頭と新しい仲間百人を預かって来た。これからはこの百頭が二百頭にも三百頭にも増えていくであろう。そうなれば我々は鬼に金棒、恐れるものは何もなくなる。その上に、途中の村々から私たちに共鳴して付いて来てくれた新しい仲間が今や五百人近くもいる。最早我々は強力な力を持っていると言える」

 タケルは王として、臣下に誇りを持たせ勇気を授けようとしている。

「皆の者! ようく聞け! 私が長年葦津の国を離れて旅をしているのはなぜか? 狭い葦津の国で世界のことを知らずに生きてきた我が一族が、隣国の侵略に勝てず逃げてきた。しかし、我々は、ただ恥を忍んで逃げて来たのではない。もっと世界を知り知識を蓄え、技術を習得し、仲間を増やして、十分力をつけ、いずれ祖国を奪還するためだ」

「オウ!」と皆から歓声が上がった。

「今や、森の民、海の民、草原の民と言う大勢の仲間を得、大鷲の調教術、天候の予測技術、騎馬兵士等、十分国に帰る実力を有することになった。私はいよいよ葦津の国に帰ろうと思う。みんな付いて来てくれるか?」

 タケルは皆を見渡し、覚悟を自覚させた。

 タケルの家来たちはもちろんタケルに命を懸けている。オオナギ村の人々はどうか? 既にタケルは海賊を成敗した時に彼らの王となっているのだ。又、ギョライはその時にタケルの家来になることを誓っている。だから皆は付いていくつもりである。しかし、タケルはもう一度村の人々に問うたのだ。 

「タケル様、私たちは既にタケル王の家来でございます。私たちはタケル王にもちろん付いていきます!」

 村の一人が大声で叫んだ。すると周りの者たちもみんな声をそろえて言った。

「そうじゃ、そうじゃ、わしらはタケル様の家来じゃ。わしらはタケル様に付いていく」

 その声は一つになってどんどんと大きくなっていった。

「みんな、ありがとう。わしらは一つになってタケル様のお力になろう!」

 ギョライが大声で叫んだ。タケルは感激しながら話し始めた。

「皆の者、ようく聞け! 私は草原で草原の守り神に会った。守り神が言った。私はこの世の創造神、天光大神の子であると。私は葦津の国を支配するだけではなく、地上の世界全てを支配する王になるために生まれてきた。今、その時が来た。守り神が言った。すぐに国に帰って葦津の国を奪還し、隣国火の国を征服せよと、そして、この地上の乱れた世界を統一し、私に世界の王となれと。そしてその証拠にこれを見よ!」

 タケルは小脇に抱えていた黄金の龍頭の冠を高々と差し上げた。

「オォウ!」

 再び力強い雄たけびが上がった。

 カンダイもサトルもモクレンもその場の者全てが光り輝く王冠を見て、タケルの存在が最早人間に非ず、神の子であることを悟り、その場にひれ伏した。

「私は明後日葦津の国に出発する。皆の者、この私に付いて来るか!」

 タケルは王冠を差し上げたまま、皆に向かって尋ねた。

「ははあー」

 全員一致で従うことを誓った。

 タケルは暫く間をおいてから、今度は静かな口調でしゃべり始めた。

「それから、ギョライ殿。あなたにお願いがございます」

 ギョライはびっくりした様子で恐る恐るタケルの顔を見た。

「ななんでございましょう?」

「ほかでもない。あなたの大事な娘モクレン殿をこの私の妻にいただきたい」

「えっ? モクレンをタケル様のお嫁に?」

 ギョライだけでなく、傍にいたモクレンもびっくりした。

「そうです。いけませんか? 何か問題がありますか?」

「とんでもない。何の問題がございましょうか? こんな光栄なことはございません。このような娘でよろしければ喜んで差し上げます」

「ありがとうございます。モクレン、こちらへ参れ」

 モクレンがタケルの横に立った。

「今日からモクレンは私の妻だ。みんなよろしく頼む」

 すかさず横からギョライが叫んだ。

「今日はなんとめでたい日じゃ! さあ、今夜はお二人の結婚を祝って大宴会じゃ。みんな大いに飲もうではないか!」

「おおー」

 一同は大歓声を上げ拍手をした。拍手はいつまでも続いた。

 その夜はギョライの屋敷で大宴会が行われた。タケル一行の凱旋、タケルの結婚、そして遂に葦津の国への出撃宣言、皆の心は明るく、力強かった。笑い声や歌声はいつまでもやむことが無かった。

 宴会が終わり、タケルは家に戻って、モクレンに言った。

「モクレン、そなたは私の国への思いはよく分かっているな。明後日、私は我が祖国に出立する。そなたは今日からはずっと私といつも一緒だ。良いな?」

「もちろんでございます。タケル様、私は大変幸せでございます。これからずっと一緒に居られることは、私が一番望むことでございます。死ぬまでご一緒いたします」


「ソノ夜、二人ハコレカラ訪レルデアロウ波乱ノ運命ヲ甘受シ、共ニ手ヲ取リ合ッテ道ヲ切リ開イテイクコトヲ誓イ、熱イ契ヲ交ワシタノデアッタ」


「タケル王ハ草原ノ民、海辺ノ民、葦津ノ国ノ民、総勢八百人余ヲ引キ連レオオナギ村ヲ後ニシタ。オオナギ村ニハ村長ノギョライト少数ノ者ガ残リ漁業ヲ続ケタ。次ニタケル王ガ向カッタノハ、アノ山ノ民モクシンノ村デアッタ」


         四

 ヨシキが先導して一行は山の中を進んだ。タケルは妻のモクレンを馬に乗せ、自分は自らの足で歩いた。 十日余りでモクシンの村が見えてきた。

「あの向こうに見える山の中腹にやぐらが見えますか? あそこが我がモクシンの村でございます」

 タカワシが指をさしながら言った。

「おう、意外と早く着いたな。ボクセイ殿は元気でおられるであろうか?」

 タケルは懐かしそうにその方向を見た。

 それから一日半でやっとモクシンの村の手前まで来た。

 先ず、タカワシが村に入りボクセイにタケルたち一行の到着を報告した。

 ボクセイが早速村の者を村の入り口へ集め、タケルたちの来るのを待っていた。

 ボクセイがタケルたちの一団がこちらに向かってくるのを見て驚いている。

「なんと、あの大勢の人々は皆タケル様の家来たちか? しばらくお会いしない間に随分と力をお付けになったことか! それにあの牛のような大きさの動物はなんだ?」

 タケルは先頭に立って村に入った。

 ボクセイと目と目があった。

「ボクセイ殿、お久しゅうございます。お元気そうでなによりです」

「タケル様、なんとご立派になられたことか! それに大勢の家来たちを従えられて驚きました。ようこそ我がモクシンの村へお帰りになられました。さ、どうぞ中へ!」

 タケルたちはモクシンの村に入った。タケルは懐かしかった。

「ところでタケル様、あの牛のような大きさの動物はなんでございますか?」

 ボクセイが興味深そうに尋ねた。

「あれは馬と言う動物です。大変重要な動物です。詳しくは後ほどお話いたします」

「は、はい」

 ボクセイが怪訝な顔で返事をした。

「ボクセイ殿、まだ私たちの住む場所はございますかな?」

「もちろん、タケル様が必ず戻って来られると信じておりましたので、すべてそのまま残しております」

「それはありがたい。感謝いたします」

 一行が広場に着いたとき、馬上にいたモクレンが馬を降りた。早速、タケルがモクレンをボクセイに紹介した。

「これが私の妻でモクレンと申します。よろしくお願いいたします」

「おう、タケル様もそんなお歳でございますな。なんと美しいお方じゃ。私はこの村の長でボクセイと申します。どうぞよろしくお願い申し上げます」

「こちらこそよろしくお願いいたします」

 モクレンが恥ずかしそうに返事をした。

「ボクセイ殿、この度は、私たちは前のように長く逗留することはありません。私たちはいよいよ祖国を奪還するためにすぐに発ちます。そこで、今後のことについてお話があります。この後あなたの家に参りますので時間を下さい」。

「何をおっしゃいます。今宵は歓迎の宴を催します。その時でよろしいではございませんか?」

「いやいや、その前に話がしとうございます」

「そうおっしゃるのでしたら、仕方がありません。それでは拙宅でお待ち申しております」

         五

 タケルは自分の家に戻って荷を解くとすぐにモクレンを残してボクセイの家に向かった。

 タケルの話は簡単だった。モクシンの村の人々にタケルの軍勢に参加してもらえないか? というものであった。タケルの軍勢は増えたといえどまだ八百人ほどである。この村でたとえ二百人でも加勢してもらえれば千人の軍勢になる。

 タケルの頭の中にはせめて千人の軍勢が今必要であった。タケルの当面の標的である葦津の国は敵の兵隊の数はせいぜい三千人ほどだ。その上、平和な日々を過ごし気が緩んでいるはず。仕事と言えば奴隷の監視がほとんどで戦闘訓練をしっかり受けているとは思えない。本国の正規軍とは力が劣るはずである。

 況してや、タケルたちが攻め入ると千人ほどいると思われる奴隷が今度はタケルたちの戦力になる。それにタケルたちには百人の騎馬兵がいる。だからここで勢力を千人にすれば十分戦えると考えている。

「ボクセイ殿、いよいよ私たちは我が祖国に攻め入ることとなりました。しかし残念ながら、いかに我々が力をつけ、技術が高度であると言えども、我が兵力は十分とは申せません。先にお願いいたした通り、今、あなたの村の助けが必要です。あなたの大事な兵士をお借りできますか?」

 タケルは深く頭を下げた。

「おやめください。私はあなたの臣下です。立場が違います。そのことでしたら、私どもはとっくに覚悟はできています。タケル様が今度いらっしゃるときは是非とも兵士の中に入れてもらうべく、私たちも戦力を増強し、訓練してまいりました」

 やはり、約束を守ってもらえた。ボクセイは信頼できる仲間だった。

「残念ながら私は一緒に行けませんが、少なくとも三百人は差し上げられると思います。それに弓矢づくりの名人たちも一緒にお供します。タケル様のお力になれるよう皆心しております」

「そうでしたか。ありがとうございます。これで私たちは無敵の軍隊になります。私たちは長年の夢を果たせます。それでは夜の集会でそれを発表させていただいてもよろしいですね?」

「もちろんです」

 その夜の集会は先ず、タケルの演説で始まった。

 その話の内容は以前にオオナギ村で行ったものとほとんど同じであった。モクシンの村の民に向かって、自分の故国の奪還、火の国への復讐、神から与えられた自分の使命、をタケルは熱く語り、そのためにモクシンの民の助けが是非必要である、と説いた。

 モクシンの民はタケルの情熱的な訴えにどんどん引き込まれていった。そしてその夜の宴会もオオナギ村と同様大いに盛り上がった。タケルはお酒も少し飲めるようになっていたので、ボクセイやカンダイ、ヨシキらを相手に夜遅くまで十分に楽しんだ。

 翌日からタケルは最後の準備に取り掛かった。カンダイにはこれからの戦いの方法、葦津の原の火の国の軍隊とどう戦うか、いかに奴隷たちを救い出し、味方に引き込むかを練るように命じた。

 葦津の原は我が祖国であるので、土地勘は十分である。これから葦津の原に到着するまでに作戦を十分練っておくように命じた。

 又、各部族たちの頭領を決め、それぞれに各部隊を統率させ、その上に大統領として若干十六歳のサトルを置いた。後は食料、資材、武器の調達と点検をする管理者にもちろんヤスクを置いた。

 準備が整えばいよいよ出撃である。残ったモクシン村の民とボクセイに見送られてタケルたち一行はいよいよ葦津の原奪還の旅に出た。

 

「イヨイヨ、タケル王ノ反撃ノノロシハ上ゲラレタ。総勢千百人ノ軍団ハ、モクシンノ村ヲ後ニ、葦津ノ原ニ向カッタ。行ク手ハ山マタ山ノ険シイ道デアッタガ、兵士タチハ故国奪還ニ燃エ、ソノ士気ハ益々高揚シテイッタ」


第二章 戦いの始まり


「険シイ山道ヲ来ル日モ来ル日モ、一行ハ黙々ト進ンデ行ッタ。ソシテ葦津ノ原盆地ノ南の高台ニ遂ニ到着シタ。前回、葦津ノ原カラモクシンノ村ニ到達スルノニ、二年余リカカッタガ、今回要シタノハ、タッタ六カ月ノ月日デアッタ。モクシンノタカワシトユウダイノオカゲデ、道ニ迷ウコトナク、以前ヨリ圧倒的ニ早ク葦津ノ原ノ南ノ果テマデ辿リ着クコトガ出来タ」

         一

「兄上、ここからよく見えますな。あの奥に彼らが新しく建てた城があります。私たちが旅に出るときには無かったものです。それに村々に会った柵や濠が全てなくなっています」

 サトルが話しかけてきた。

「そうだな、守りの中心は城になっている。カンダイはおるか? 彼にも早くこの景色を見せねばならぬ。そして今夜は作戦会議だ。カンダイが良い案を出してくれると思う」

「さようでございますね。それにユウダイを放ち上空から様子を報告させねばなりません。早速タカワシに命令しましょう」

 作戦はいよいよ始まった。

 ユウダイがすぐさま放たれた。ユウダイは敵の兵士の集まっているところでは旋回して場所を教えてくれるのだ。ユウダイの報告で敵の配置はすぐに分かった。

 その夜作戦会議が開かれた。タケル以下、カンダイ、サトルにカケル、それにヤスクと年老いたグスト、それぞれの頭領たち、が呼び寄せられた。タカワシの報告の後、カンダイが前から練っていた作戦を説明した。

「この作戦は迅速に行われなければなりません。なぜかと言えば、一人残らず捕えるか殺すかして、隣国に逃げ込む者を無くさなければいけないからです。隣国火の国に逃げ込まれたら、クマソが知って逆襲して来ます。以前の失敗は許されません。彼らが来るまでに我々には時間が必要です」

 二度と失敗を繰り返さぬよう、カンダイの目が厳しかった。

「なるほど。それでどう進めるのだ?」

 タケルは先が聴きたい。

「迅速に事を運ぶためには敵を出来るだけ城の外で殲滅しなければなりません。城はそれから攻めるのです。城の攻めは後にします。先ず、外の兵士たちを殲滅します。今や敵の兵士の居る場所はタカワシによって知らされています。彼らはここと、ここと、ここに多く固まっています。この固まった兵士を盆地の西側から騎兵が攻め込みます。うまいことに柵も濠もなくなっているので攻撃しやすいと思います」

 いつも、カンダイの作戦の見事さにタケルは感心している。

「彼らは見たこともない動物に乗った高速の兵士の攻撃に慌てふためいて逃げ回るはずです。城の方に逃げ込まないように、横すなわち西の方から攻めるのです。そして東へ追い立てます。東には我が軍が待ち構えて一挙に殲滅するのです。そうなると奴隷にされている我が民も一斉に立ち上がるはずです」

 カンダイが自信ありげに説明した。

「もし、城の中から加勢が出てきたらどうなりますか?」

 サトルが訪ねた。

「そうなれば尚好都合と言うものです。それらも同時に潰していけばよいのです。城の中の兵士を出来るだけ少なくしておくことで、後の城攻めが容易になります」

「なかなか良い考えだ。よし、それで行こう」

 タケルが力強くそれに答えた。

「次に城攻めですが、以前にあった城より強固になっていますが、城の中にはそんなに多くの兵力は残っていないと考えられます。火の国から来た葦津の原の総大将は城の中にいると思われます。城の外の兵士を殲滅した後、奴隷から解放された我が民も加えた全兵力で城を取り囲みます。蟻一匹も抜け出さぬように完璧に包囲します。城は思っていたよりは堅固にはなっていますが、大したことはありません。一斉に攻撃すれば簡単に落とせると存じます」

「ふむ、私もそう思う」

 城と言っても攻略するのは中央にある大きな屋敷だ。それが本丸だ。

 木と土でできた普通の家よりも大きくて頑丈に作ってある建物だ。屋敷の周りには幾つかの倉庫のような建物がある。それら全体を先の尖った丸太の柵が囲ってあり、濠がめぐらせてある。

 スサノオがいたころの村の柵に比べると、それらの柵は高く二重になっていて、濠が深くなっていた。そして、ところどころに建てられている櫓の数が多くなり、上からの攻撃が強化されていた。

 タケルの心は一刻も早くかかりたいとうずうずしていた。

「カンダイの作戦は完璧だ。みんな、今の作戦通りで行こう。攻撃は明日の正午にする。良いか、一人たりともこの葦津原から逃がさぬよう徹底せよ」

「ははあ!」

 重臣たちは返事をすると同時に各自の持ち場に散って行った。

 タケルはいよいよ興奮する自分を抑えることが出来なかった。

 実はタケルにとってはこのたびの戦が初陣であった。父スサノオが味方の裏切りに会って敗走していたころはまだ九歳であった。タケルは熊や大蛇と戦っているが人間との本当の戦は真にこの度の戦が初めてである。

(遂に我が祖国を取り戻す時がやって来た。父上の無念を晴らす時がやって来たのだ。我らの兵士たちの家族も我らを待っている。明日は私が先頭に立って火の国の兵士たちを片っ端から殺してやる)

 タケルの目はいつしか怪しく光り出していた。彼はモクレンの待つ陣屋に戻った。陣屋の中にはモクレンが心配そうに待っていた。

「タケル様、葦津の原の状況はいかがですか? いつ攻撃されるのですか?」

「モクレン、いよいよ明日正午に葦津の原に攻め入る。私は先頭を切って突撃していく。だが心配しなくてよい。今回はそんなに難しくない戦だ。こちらの戦力は数では負けているが力の差は歴然としている。明日の夜には皆で祝っていることだろう」

「そうでございますか。でも決してご油断なさらぬよう。必ずここに戻って来て下さいませ」

 モクレンがタケルの胸に顔をうずめた。タケルは昂ぶる心をじっと抑えて、そっとモクレンを抱きしめた。モクレンの体は暖かかった。タケルはそのやわらかで暖かなモクレンを抱きながら、そのまま静かに眠りについた。

         二

 夜が明けた。曇り空であった。

 それぞれの配置に着いたタケルの兵士たちは、固唾を呑んで正午の来るのを待った。

 カンダイが太陽の位置を観察していた。太陽が真上に来た時、彼が旗で高台から合図するのだ。雲が邪魔をするが太陽の位置を判断するには十分の天候であった。

 タケルは既に騎馬軍の中にいた。そしてその合図を待っていた。タケルの額からはじっとりと汗がにじみ出ていた。タケルは盆地の中を見ると、火の国の兵士たちがのんびりと休んでいた。

 そろそろ正午になる。カンダイが雲の厚さを見てハラハラしながらその時を待っているだろうな、と思った。

 いよいよ太陽が雲の影ではあるが、真上に来た。

「よし、今だ、旗を振れ!」

 カンダイが旗手に向かって命令した。旗手が大きな旗を必死で右へ左へ揺り動かした。

「皆の者、かかれ!」

 言うが早いか、タケルは真っ先に剣を抜いて突撃した。横一列に並んだ騎馬軍はそれに続いて一斉に盆地の中へ突入した。百一頭の馬に乗った兵士たちが横一線で突入していったのだ。

 突然の攻撃に火の国の兵士たちは何が起こっているのか分からない。ドドドーと言う地響きと土煙が近づいてくる。目の前に見たことがない四足の大きな動物に乗った兵士たちが突然現れた。火の国の兵士たちは戦うよりも逃げる気持ちが先に立っている。

 タケルは剣を右へ左へ振り回し次々と敵の兵士の首を刎ねた。草原の民の兵士たちも火の国の兵士を次々と斬り殺していった。恐れをなした火の国の兵士たちがタケルたちに追われるまま東の方に逃げて行った。

盆地の東の端にはサトルたちが待ち構えている。サトルたちも又横一列になり弓を構えて待ち受けていた。敵が出来るだけ近づくのを待った。

「放て!」

 サトルが号令をかけた。

 矢は雨のように逃げてきた火の国の兵士の上に降りかかった。矢は次から次へと放たれた。タケルの軍の得意の戦法だ。バタバタと火の国の兵士たちが倒れて行った。

 南に逃げる兵士たちにはカンダイが百人の兵士と共に待ち受けて同じく矢の雨を降らせた。

 時を見計らって、最後にサトルの号令で全兵士が矢を捨て剣を持って逃げ惑う火の国の兵士の中へ突撃していった。もうこれは一方的なタケル軍の勝利であった。

 一方、城の中にいた火の国軍の兵士たちは、外の騒ぎを聞いて慌てて武器を持ったが、一方的に敗走して殺されていく自軍の姿を見て、助けに出られずおたおたするばかりであった。総大将のキトウタは、外の戦はもうあきらめて、直ちに城の守りを固めるように指示をした。

 遂に第一の作戦は成功し、城の外は完全にタケル軍の手に落ちた。タケルは村のものを一か所に集めさせた。そして生き残った敵の兵士については、傷ついた者はその場で殺し、無傷なものは縄で縛って急ごしらえの柵の中に入れた。

 タケルはフウソクに乗ったまま、村の者に向かって叫んだ。

「私は先王スサノオの子、タケルである。八年前、火の国に追われて国外に出たが、その間生き残った者たちと祖国奪還のために修業し、力を蓄え、遂にここに戻って来た。これから、最後の仕上げにあの城を落とす。皆の者は剣を持って我らと共に戦え! 我らは今から城を包囲する。そして一斉に攻撃をかける。どうだ! 我らに付いて来るか!」

 思いがけないタケルたちの帰還に人々は感激し、勇気を奮い立たせた。

「付いていきます」

「付いていきます」

 人々が大きな声でタケルに答えた。

「ようし、分かった。それでは行くぞ!」

「おおう!」

 タケルたちはかねてから用意していた剣を村人たちに渡した。頭領たちが彼らを束ねてそれぞれの部隊に配属させ、すぐさま城の包囲に動いた。城の周りはタケルの軍で完全に取り囲まれた。

 タケルは攻撃の準備を着々と進めた。タケルたちは無駄に兵士を死なせないために考えていた作戦がいくつかあった。その一つが、ドラ、太鼓など音のするものを用意することである。攻撃の際にこれらをガンガン鳴らすことで、今や浮き足立っている敵の戦意を益々弱らせるためだ。

         三

 すべての準備は整った。

 タケルは馬上から城を見た。その後、傍らにいるカンダイの目を見た。カンダイがうんと頷いた。

 タケルは剣を抜いて振り上げた。

「かかれ!」

 タケルは勢いよく剣を下に振った。

「ウォー」と言う掛け声と共に城を取り囲んでいた軍勢が一斉に城に向かって突き進んだ。ガンガン、ドンドン、ウワー、賑やかな音が同時に城を囲んだ。

 大木に両側から車輪をつけた破壊車を大勢の兵士が引っ張り、勢いよく城門にぶつけていく。城門の前には濠は無い。

 敵は櫓の上から矢を放ってその兵士たちを倒そうとする。しかし、何度かぶつけて行くうちに、遂に城門は壊された。城門が壊されればもう勝負はあった。タケルの軍が怒涛の進撃を開始した。

 もうタケルの軍の攻勢を止めることは誰も出来ない。タケルの兵士たちはたちまち本丸の建物に迫り、抵抗する敵兵を次々と殺していった。本丸に火が放たれ、本丸はあっという間に炎に包まれた。やがて、ゴォー、と言う大音響と共に本丸は焼け落ちて行った。

 タケルが予測した通り、戦は大した混乱もなく計画通り順調に勝利した。

「良いか、一兵たりともこの国から外へは出すな。逃げていく兵士を見ればその場で殺せ! さもなくば我々が危なくなる。分かったか!」

タケルは直ちに全軍に指示を出した。そして、伴を引き連れ、フウソクにまたがり、焼け落ちた城を見回り、兵士たちの状況を視察した。

「申し上げます。敵の大将を討ち取りました。本丸から逃げ出そうとしているところを見つけその場で我々が討ち取りました。これが御しるしです」

 兵士が数人タケルの許へ駆けよりキトウタの首をタケルの前に差し出した。

 タケルはその首を念入りに調べた。

「うむ、でかした。ご苦労であった」

 間違いなく敵の大将の姿であった。

(戦いは終わった)

 タケルは勝利を実感した。傷ついた敵の兵士は情け容赦なく殺された。その後、盆地の高台で見守っていたモクレンたちもタケルの許しが出て葦津の原に下りて来た。

         四

 その夜、タケルたちは勝利の宴をせず会議を持った。

「火の国に逃げて行ったものはおらぬであろうな? これが今一番大事だ」

 念には念を入れねばならない。

「はは、国境付近には徹底して見張りを置き、ネズミ一匹見逃さぬようにしてございます。又、戦のおりも山に逃げだすものは集中的に攻撃をかけましたので、先ずはおらぬと思います」

 カンダイが落ち着いて答えた。

「同じ過ちは決して犯してはならぬ」

 タケルの追及は厳しい。

「承知しております」

「我々は、火の国がこの戦のことに気づいて攻め込んでくる前に、出来るだけ早くこちらから攻め入らねばならない」

「いやいや、タケル様、今回の戦いで我々は大勝利を上げましたが、隣国火の国に攻め入るには未だその期は熟しておりません。ここで、しばらく間をおいて力を蓄えてからにすればよいかと存じます」

 だが、カンダイがスサノオの時と同様、思いとどめさせた。

「ん? どうしてこの勢いのある時に攻め込まないのだ?」

(今が一番勢いのある時ではないか?)タケルは不思議に思った。

「そうです。兵士たちの意気軒昂な今が攻め時ではないのですか?」

 サトルも同じことを訊いた。

「お二人のお気持ちは分かりますが、良く考えてください。葦津の原の敵の軍勢はたかだか三千人ほど、しかし、火の国の軍勢は今や二万近くいると思われます。このまま、しっかりした準備もなく攻め入れば返り討ちは必定。決して早まってはなりません」

 カンダイが逸るタケルを説得した。グストもヤスクもカンダイと同じ考えであった。

「ではどれくらいここに留まるのだ?」

 タケルは訪ねた。

「そうでございますな……、ヤスク、お前はどう思う?」

 カンダイがヤスクに振った。ヤスクが待ってましてとばかりにすぐに答えた。

「先ず矢を十万本以上作らなければなりません。それに食料も用意しておかないと長期戦の時は耐えられません。それを考えますと、最低半年は必要かと思います」

「そんなに長くかかるのか?」

 タケルとサトルが同時に驚いた。

「はい、それだけは必要かと存じます」

 ヤスクが平然と答えた。

「しかし、そんなに長くこの地が私たちの手に落ちたことを秘密にできると思うか?」

「多分、三か月ぐらい何の連絡も入らなければおかしいと思うでしょうな」

 カンダイが冷静に分析した。

「よし、こうしよう」

 タケルは提案した。

「半年は無理だ。二か月だ。そのかわり、足りない分は戦地で作るのだ。我々が戦っている背後で矢を作る組織を作れ。そして、食料の不足分や他の資材は葦津原で作って戦地に運ぶのだ。その為に、この二か月は食料生産と矢の生産ともう一つ、隣国までの道路を作るのだ」

 この考えは森の民から教わった。今こそこれまで学んできたことを生かさなければならない、タケルはそう思った。

「森の民に教わったことを今こそ実戦で応用するのだ」

「その通りでございます」

 サトルが感激して賛同した。他の者たちも次々と賛成した。こうして二か月の準備期間が決定された。

「兄上、大事なことが一つございます。母上の事です。母上は言わば人質同然で火の国に拘束されております。我々が攻めていくと奴らが何をするかもしれません。いかがなさいますか?」

 サトルが、記憶のほとんどない、しかし、愛しい母親の状況が心配でならない。  一瞬その場が静まり返った。

「母上はクマソの娘、我々が攻め込んだとて殺しはしないだろう」

 タケルにしては甘い考えが零れ出た。

「しかし、いざ奴らが窮地に立たされるとそれは分かりません。母上を盾にすることも考えられます。」

 カンダイがそれを窘めた。

「それはおそらく最後の城攻めの時が勝負かと存じます。それまでに我らがいかにスイレン様の居所を察知し、救出するかだと思います。とにかく密偵を送って調べさせましょう」

 カンダイが進言した。

「よし、そうしよう。カンダイ、腕の良い密偵を送ってくれ」

「分かりました」

         五

 兵站作戦になるとヤスクの出番だ。彼の才能は、この時、益々その輝きを増した。従軍しながら弓の生産をし、資材を背後から調達する組織づくりは今までにはない斬新な考えだ。これは機動性があり小国が大国を破るにふさわしい方法である。ヤスクがやりがいを感じその力を十分発揮した。

 その間タケルは兵士たちの戦闘の訓練をより厳しく行った。そして、カンダイとグスト、それにサトルたちと大軍を相手にどう戦うか、幾度も意見を交換した。

彼らの最終的な作戦はこうだ。

 最初に先王スサノオが葦津の原を奪還した時に取った作戦をもう一度実行する。すなわち、正面から一斉に攻め込むのではなく、部隊を分割して、各個撃破の方法をとる。それも不意打ちで敵を混乱させる。拠点、拠点を落としていき徐々に進撃していく。攻撃の後はすぐに姿を(くら)ます。

 次に、正面突破の作戦だ。この時に大量に生産された矢がものを言う。次から次へと止むことなく放たれる矢の雨で敵兵をことごとく倒し、敵の精神的な消耗を誘い、その上で、時を見計らって騎馬軍を突入する。敵はうろたえ、なす術もなく敗れていくはずである。

 更に、騎馬軍は深追いせず、又味方の軍列に引き返す。これで兵力を温存し多勢の敵を無勢の自軍が追い詰めていく。この攻撃を繰り返すことで敵の消耗を図る作戦である。

これら二つの作戦が決定されると、タケルたちは兵士たちにより厳しく訓練を課したのであった。

 タケルは兵士の不足を補うため、火の国の生き残った兵士たちの中で、味方に付いてタケルに命を預ける誓いを立てたものを、兵士として家来にした。手柄を立てれば奴隷の身分を解放してやる。彼らも一緒に訓練に参加させた。

 その他の兵士たちは奴隷として扱った。タケルの奴隷に対する仕打ちは厳しかった。鞭は頻繁に飛び、怠け者や反抗するものは即座に処刑にした。葦津の村人たちも武器をとれるものは兵士にし、訓練をした。


第三章 火の国攻略、葦津大和の国の誕生


「イヨイヨ、二月ガ過ギタ。タケル王最後ノ敵、クマソガ支配スル火ノ国ヘ出撃スル時ガ来タ。タケルノ軍勢ハ静カニ葦津ノ原ヲ後ニシタ。最早、モクレンハ同行シナカッタ。既ニ葦津ノ原ニ仮ノ屋敷ヲ建テ、ソコデ、タケル王ノ帰リヲ待ツコトニナッタ。葦津ノ原ニハグストガ残ッタ。グストハ、タケルタチノ留守ノ間、葦津ノ原ノ守リヲ任サレタ。今ヤタケル軍ノ兵力ハ総勢五千ニ膨レ上ガッテイタ。一行ハ新シク作ラレタ道ヲ堂々ト進軍シテイッタ。タケルノ軍ハ谷ヲ越エ国境ヲ越エ、ヤガテ火ノ国ノ領地ニ入ッタ」

         一

 ここから先は道を作りながらの行進になる。

しかし、敵に気づかれないように静かに行わなければならない。

 火の国は国家として確立され、行政の中心は城の中にあり、それぞれの建物もその中にあった。人々は城の外で暮らしていた。彼らは柵も濠も持っていなかった。

 ゆえに、タケルたちの戦いは城の外での戦いと城との戦いの二段階に分かれていた。葦津の原の彼らの支配の形と同じである。

 ここからはタケルたちの軍は五つの部隊に分かれた。

 第一の部隊は東の端から攻め込む。隊長は弓の名人ヨシキである。第二の部隊はその南側を担当する。隊長はゴトウタ、草原の民の頭領だ。第三の部隊は真ん中に位置し、南から攻め込む。この部隊が中心部隊で、タケルが隊長でカンダイが補佐に付く。第四の部隊はその西寄りを攻め込む。隊長はサトルだ。第五の部隊は西の端から攻め込む。隊長はカイドウだ。彼は海辺の民の頭領だ。

 各部隊がいつでも物資の供給を受け取られるように、このあたりの森の中に空地を作りそこを物流の拠点とした。

 これからは各部隊が敵の部隊を局地的に急襲するのである。その為には、ユウダイの偵察が重要になってくる。このころには、訓練された大鷲はユウダイの他に四羽が育てられていた。各大鷲がそれぞれの部隊に配属され敵地の偵察に使われた。

 騎馬兵は各ニ十騎ずつ配属された。実は馬も数が増えていて全部で百十五頭になっていた。タケルがいる本体には騎馬兵が三十五騎配備された。攻撃の時機は各部隊の長に任されていた。

 物流の拠点を離れて一日が過ぎた。一番西に進んで行った第五部隊は遂に敵の部隊を発見した。国境警備の兵が三百人ほどいる基地であった。千人の兵力を持つ第一部隊にとっては簡単な仕事であった。敵の兵士は皆殺しにされた。基本的には捕虜も足手まといになるので殺す。

続いて一番東を国境沿いに進んで行った第一部隊も敵の部隊を発見した。同じく国境警備隊であった。兵力も同じ三百人ほどであった。彼らも簡単に殲滅された。

 いよいよ、次々と各地で戦闘が始まった。タケルの所には戦闘の情報が刻々と伝わって来た。まだまだ序の口である。もっと敵の部隊を個別的、局地的に攻撃し、敵の戦意を喪失させることが大事である。

 タケルたちの進撃は順調に進んで行った。火の国の東周辺から始まった進撃は徐々に支配地域を広げて行った。

       二

 クマソは攻撃を受けて三日目にその知らせを受け取った。中には生き延びたクマソの兵士もいたのだ。彼らが命からがらクマソの許へ駈け込んできて報告した。各地からもたらされる彼らの報告では、攻めてきた敵の兵力はいずれも千人ほどであった。大した兵力ではないのだ。

 クマソは怒り狂った。

「火の国に攻め入って来るとはどこの誰だ? それも東から攻め入ってくると言うことは、既に葦津の原が占領されているという意味か? そうか、最近、葦津の原から何の連絡も無かったのはそういう訳か? 何たる怠慢、油断だ!」

 クマソは既に六十歳を超えていた。だがその力は衰えるどころか、益々周辺国支配の野望を燃やしていた。クマソの足元の葦津の原が知らぬ間に占領されているなどという事態は絶対に許せなかった。

「ソントク、今まで何をしておったのじゃ、ここまでやられるまで何の情報も入らないとは何たる怠慢か! それも我が兵士の報告では、敵の兵力はわずか千ほどではないか! 早速、偵察のものを派遣し詳しい状況を知らせよ。そして同時に討伐隊を組織せよ」

「はは、申し訳ございません。早速手配をいたします」

 ソントクが直ちに精鋭を集め討伐部隊を編成した。

         三

 部隊は千人で構成され,隊長はジンタイと言うクマソ直参の兵士であった。この時、ソントクは敵の兵力が千人と言うだけで、いかようなものかまだ全く分かっていなかった。偵察からの情報が入る前に、ソントクは、とりあえず先発隊を送った。

 ソントクは、思いがけない敵襲に驚くとともに、攻めてきたのはいったいだれかを考えていた。

(葦津の原が占領されたとすれば、スサノオが率いる葦津の国の軍と考えるしかない。それならばせいぜい数百人程度のはずだ。葦津の原には我が軍が三千人配備されている。だから決して負けるはずがない。スサノオではないのかも知れん?)

 ソントクはまだタケルの情報を得ていなかった。

(とにかく我が軍三千を倒したとあればそれ以上の兵力がいるはずだ。千人はその一部にすぎない。そうであるならば、討伐隊が千人では敵わない)

 ソントクは、しまった、と思った。既に討伐隊は出発していた。彼は慌てて後続部隊を編成した。今度は三千人の勢力であった。後続部隊もすぐさま後を追った。

        四

 タケルたちはその動きをすべて掴んでいた。ユウダイからの情報で、彼らの位置、その大体の勢力が空からすぐにもたらされた。

 タケルたちは先ず、最初の討伐隊を迎え撃つ準備をした。後続部隊を別の場所に誘導して、力を分散させるようにした。

 タケルは最初の討伐隊には東の端から攻め入った第一部隊を向かわせた。千人対千人の対決である。後続部隊は、タケルの本体と西の端に攻め入った第五部隊が合流して対決することにした。こちらは三千対二千の対決となった。このぐらいの差ならタケルたちにとって問題ではないと思っていた。

 先にタケルたちは後続部隊に近づき彼らを別方向に誘った。後続部隊は敵発見に勇み立ち、タケルたちの思い通りに追いかけてきた。

 タケルたちは敵が見通せる広い場所で方向を転回し、敵と向かい合った。敵はタケルたちめがけてそのまま突撃してきた。彼らには何の策もないのだ。

 タケルの軍は先ず射撃部隊が先頭に横に並んで構えた。そして、タケルの号令で一斉に矢を放った。土砂降りの雨のように無数の矢が敵の頭上に降って来た。バタバタと敵兵は倒れて行った。敵の指揮官がそれでもひるむな、と兵士たちをけしかけた。しかし、矢の雨は益々降りかかって止むことが無い。次々に倒れる兵士たちに敵の戦意はみるみる消沈していった。

「かかれ!」

 今度はタケル軍の騎馬兵と本隊が突撃を開始した。もう敵軍に戦う意欲は無く、只々敗走を続けた。騎馬兵はそれを追いかけ次々と敵兵を倒していった。本隊の歩兵もその後に続いた。

 やがて、大鷲が騎馬兵の前を何度も飛びまわった。引き揚げよ、の合図である。騎馬軍と本隊の歩兵は攻撃を止め、さっと方向を変えそのままタケルの待つ待機部隊の所に戻って行った。

 タケルは敵兵の様子を見ていた。既に半分以上が死んでしまって、その上に、もう闘う意欲は失せていた。計画通りタケルたちは深追いをせず、味方の損害を全く受けないまま戦闘を終結した。

 先発の討伐隊もやはり同じ戦況だが、こちらは本隊がほとんど敵を殺してしまった。

        五

 敗走した火の国軍はクマソの待つ城に到着した。その中には命からがら逃げてきた討伐軍の隊長ジンタイもいた。

 先ず、ソントクは彼らから報告を受けた。報告では、タケルの軍は見たこともない四足の動物に乗って攻めてくる強力な軍隊を持っていた、敵の兵力が思いのほか多かった、などの情報が齎された。

 しかし、見たこともない四足の動物とは何か? ソントクには見当もつかなかった。その上、こちらが思っていたよりも兵力が大きかったと聞けば、ソントクにしても戦略を始めから練り直さなければならない。後は偵察隊の報告を待って、冷静に敵を分析して戦略を立てるしかないと考えた。

怒り狂うクマソ王にそのように報告した。

「王様、いずれにせよ、次の戦いは我が国の全兵力を投入して戦わなければならないと存じます。討伐軍の程度ではもう勝てないと考えるべきです。我が国の二万の兵力は今や天下一でございます。その力の全てを発揮すれば我々に敵うものはございません」

 しかし、実際には既に火の国の兵士は、大よそ四千人は殺されているのだ。

         六

 次の日の夕方、偵察隊が戻って来た。ソントクは早速、隊長の報告を受けた。

「どうであった? 敵の兵力は? 四足の動物とはいかなるものか?」

 ソントクは矢継ぎ早に質問した。

「申し上げます。敵の兵力は正直なところ分かりません」

「何、分からぬとは何事か?」

「はは、どうもいくつかの部隊に分かれているようで、その各部隊の数が掴めませぬ」

「その一つの部隊で何人ぐらいの兵力か?」

「大よそ千ほどではないかと存じます」

「そんなものか。それで四足の動物とは?」

「はは、それは大きさが牛ぐらいあり、脚が長く、走るのがものすごく速い動物でございます。それに乗って攻められますと、とても戦えません」

 ソントクは深刻な顔で隊長を連れてクマソ王の所へ向かった。

「かくなるわけで、これはよほど心してかかりませんと、やられてしまいます」

 ソントクの言い終わらないうちに、クマソが怒鳴った。

「馬鹿者! やられてしまうだと? なんという情けない戯言を申すのだ。我々はいかにして奴らを成敗してやるかを考えればよいのだ。やられるなどと二度と申すな!」

 クマソが顔を真っ赤にして怒り狂っていた。

「父上、お気持ちは分かりますが、感情的になられては判断を誤りまする」

 横にいた息子でスイレンの弟のジャオウがクマソを宥めた。

「分かっておる。お前に何かいい考えでもあるというのか?」

「私はともかく今は動かない方が得策かと存じます。敵の姿がまだはっきりと見えない時に動くは不利です。ここは全兵力をこの城の周りに置き、いずれやって来る敵を待つのが得策かと思われます」

 ジャオウが冷静に分析した。

「それでは、みすみす我が領地を奴らの思うままにさせておくと言うのか?」

 クマソが不満だ。

「父上、奴らは盗賊ではございません。私たちの国を奪いに来ておるのです。そこらのものを盗って逃げるだけの盗人ではありません。いずれ、我々の目の前に現れまする」

 あくまでジャオウが冷静だ。

「それが良いかも知れませぬ」

 ジャオウの後ろに控えていた呪術師のインケンが低い声で申し上げた。

「しかし、それではやはり足りませぬな。もっと偵察隊を送って奴らの姿を明らかにしておく必要があると思います」

 ソントクは付け加えた。

「よし、しばらく様子を見ることにしよう。その間偵察隊をいくつも出せ。そして情報をもっと集めるのじゃ。その四足の動物の情報も出来るだけ集めよ」

 やっと気が落ち着いてきたクマソが指示を出した。

 こうしてクマソの軍は暫く動かずにタケルの軍の様子をうかがった。

         七

 タケルたちは大鷲を使って互いの情報の交換を頻繁にとった。そして、それぞれがしばらく敵と出くわさない状況を知った。

「おかしいな? 敵が動かなくなった。何か企んでいるのか?」

 タケルはカンダイに尋ねた。

「多分、こちらの動き、こちらの兵力などを調べているのではないかと思われます。初めの戸惑う時期が過ぎて、少し冷静になって考え始めたのだと思います」

 カンダイが、敵の動きが目に見えるかのように分析した。

「つまり、ひょっとすると既にこちらの動きが敵に察知されているかもしれないわけか?」

 タケルは、事態が油断ならないところに来ていると感じた。

「そろそろ、そう考えた方が良いかと思います。なにしろ、千人の大部隊です。探せばすぐにわかります」

「それにしても、敵は動いてこないな? 兵が動けばこちらにはすぐにそれが分かるのだが」

「私の考えでは、彼らは自分たちが動けば不利と悟ったのだと思います」

 あくまでカンダイが敵の立場に立って分析だ。

「しかし、それでは我々がこの国を占領していくのを、ただ指を咥えてじっと見ているだけではないか?」

「そうです。そして最後に、あの城の前の広い場所で彼らの大軍が決戦の時を待っているのです。我々はいずれそこに行かなくてはならないのを承知しているのです」

 なるほど、面白くなってきた。

「では我らは彼らの見ている前で、彼らの領地のものを奪っていこう。我らの食糧その他の資材も蓄えられる。その後に、いよいよ勝負を挑むとするか!」

 それなら、それでこちらもすることをすればよい。

「数の上では圧倒的に敵の方が多いので、最初の作戦のようにこちらは武器を豊富に用意して兵の不足分を補いましょう。それから決戦と言うことにいたしましょう」

「よし、それでは他の部隊に連絡をしてこの一両日中に総攻撃の為の準備をするようにいたそう」

 タケルたちは遂に最後の決戦の準備にかかった。

         八

 クマソは刻々と入ってくるタケル軍の情報に聞き入っていた。その上で、対策を練っていた。

「今のところ部隊の数は五つであるな。すると全部で五千人か? 数の上では恐れるに非ずだ。四足の動物は馬と呼ぶのか? これにどう対処するかだな。ソントク、どうおもうか?」

 クマソの心に幾許(いくばく)かの余裕が生まれていた。

「私は、馬の数が聞いていたほど多くないので、それほど心配はないのではないかと思います。各部隊に二十頭ほどでは大したことはないのではありませぬか?」

 ソントクも、情報が入ってきたおかげで、冷静な分析ができると安堵している。

「わしもそう思う。ところで、敵の王とは誰であろうか? スサノオであるか? はたまた他の国の王か? 何か情報は入っておらぬのか?」

 クマソはそれが気になっていた。

「どうもスサノオではなさそうでございます。私が確認いたしましたところでは、その名は聞かれなかったようです。どうもかなり若い王のようでございます」

「スサノオに子供がおったな? その子と言う事態も考えられる。どちらにしても、すぐに分かる。奴らはそのうちに現れる」

「父上、スサノオの子となれば姉上の子ですね? この情報はしばらく口にせぬ方が良いかと思われます」

 ジャオウが姉に気を配った。

「そうか、その通りだ。まだ、はっきりとしたわけではないから、この話は決してスイレンには悟られぬようにせよ」

「しかし、万が一、戦いが苦戦するようであれば、姉上を使う場合もあるかも知れませんな?」

 ジャオウが、しかし、狡猾なところも見せた。

「馬鹿者! めったなことを申すではない」

これにはクマソは怒った。

「しかし、スイレンはこの戦が終わるまでどこかへ避難させねばならぬ。スイレンにスサノオの息子が攻めてきたなどと知れるとあの性格じゃ、何をするか分からんからな。城の外のどこかへ閉じ込めておけ」

         九

 その頃スイレンは、既に戦が始まっている状況を知っていた。

「ひょっとして、スサノオ様が攻めて来たのでは?」

 スイレンはとうの昔に諦めていたスサノオとの再会が、万が一でもかなうかも知れないと、かすかな望みを持った。

(スサノオ様、あなたは今どうしておられるのですか? 既に別れて十年、お元気でしょうね? 子供たちも皆元気ですか? 私は自分の判断の甘さから家族に不幸をもたらしました。申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも、あなたたちが私を救いに来てくれると信じて生きながらえています。是非、助けに来て下さい)

 スイレンの、今にも切れそうな心の支えは、僅かなスサノオとの再会の望みを持ち続けることであった。

「スイレン様、戦が激しくなりそうなので、王様から安全な場所に避難するように、とお達しがありました。早速ご支度願います」

 お付きの者が報告した。

「なに? なぜ、私だけが避難せねばならんのじゃ?」

「……」お付きの者は黙ったままだ。

「城に居てはいかんのか?」

「そう申されましても王様のご命令ですので」

 お付きの者が困った顔で、言い訳した。

「私は出て行かぬぞ」

 スイレンは、ひょっとしてスサノオの軍ならば再開の機会もあるかもしれない、その結果死ぬのならそれでも良い、と思った。

「なんでも北からの野蛮な民族が攻めて来たそうにございます。早く移動をお願いします」

 お付きの者が泣きそうな顔で言った。もちろん、クマソがそう言わせたのだ。

「北からの野蛮な民族? それは違う? 葦津の国は南。それではスサノオ様ではないのか?」

 お付きの者たちの執拗な説得に遂にスイレンは仕方なく城を出ることにした。

         十

 タケルたちは最後の決戦に備えて矢の生産に余念がなかった。そして食料も十分用意した。ヤスクにぬかりはない。準備と言ってもここまでくれば一日あれば十分できる。もう後は決戦を待つだけだ。

 タケルの軍は城の手前の林に全部隊が集結した。この林を抜けるとクマソの軍が待つ平坦な土地に出る。

「タケル様、準備はすべて整いました。矢も十分用意が出来ました」

 カンダイが報告した。

「上空からの報告はどうだ?」

「はい、敵は既に全部隊が集結している模様で、我々を待っているという状況です」

「よし、各軍の頭領を集めよ」

「はは、かしこまりました」

 直ちにカンダイが伝令を送った。

 タケルは各軍の頭領が集結したところで最後の訓示を与えた。

「敵の兵力は今や一万五千ほどだ。我々は五千、一人が三人を殺せば皆殺しにできる。何も難しいことではない。冷静に確実にやれば勝利は間違いない。よいな!」

 タケルの(げき)は兵士たちにとって分かり易い。

「ははぁ!」

 兵士たちの声も力強い。

「かねてからの計画通り確実にそして冷静に実行せよ。間もなく前進する。持ち場に戻れ」

 頭領たちは粛々と持ち場に戻った。

 タケルは空を仰いだ。木々の間から真っ青な空が見えた。

(天も今日の戦に力をお貸しくださっている。必ず勝って見せよう)

 タケルは自分の心に気合を入れた。

「カンダイ、前進の合図を」

「ははぁ!」

 カンダイが力の限り叫んだ。

「前進!」

 タケルの部隊が先ず先頭に立ってゆっくりと前進を始めた。各部隊もその後すぐに続いた。五千の部隊が横に展開しながら進んだ。

 歩兵が先頭でその後ろには主力の射撃部隊が続き、騎馬兵が百十五騎、矢の補充部隊が続いた。後方には、ヤスクが考案した様々な戦闘道具が用意されていた。

 今回の敵の城は葦津の原の時とは大きさも頑丈さも圧倒的に上だ。それを予測してあの破壊車も大きくし、数も増やした。その他、油を使った飛び道具などもあった。これらは敵の前線からはまだ見えない。

        十一

 やがてタケル軍は林の中から姿を現した。迎えるクマソの軍はそれを見て、オー、と叫んだ。驚きの声でもなく、恐れる声でもなかった。遂に姿を現したか! という昂りから思わず出た声であった。

「遂に現れたか。馬はどこにおるのじゃ?」

 クマソは自軍の中ほどで式台の上に立って敵の様子を眺めていた。その横にはソントクとインケンが並んでいた。ジャオウは軍の先頭にいた。

「あの奥の方に見えまする」

 ソントクが指さした。

「おう、あれか、なるほど、良くは見えぬが、大きさは牛ぐらいのものじゃな? あれがそれほど脅威になるものか? 分からんな。それにしても大した数ではない。恐れるに足らずじゃ」

「御意にござります」

 クマソはにんまりとした。彼の頭の中に少しばかり油断の気持ちが芽生えていた。総大将の心がそうであれば、その気持ちはすぐに家来たちに伝わるものだ。兵士たちも数の上で圧倒している味方の勝利を疑わなかった。

         十二

 タケルの軍は林を抜けてしばらく前進し、矢がまだ届かぬ距離で停止した。

 両軍が向かい合った。お互いが、興奮を抑えながら相手方をじっと睨んでいた。

 緊張の時間が長く続いた。両者の緊張が頂点に達しかけた時、タケルが鷹の羽の付いた指揮棒をサッと上げた。そして一呼吸置くと勢いよくそれを下に降ろした。それと同時に彼は叫んだ。

「かかれ!」

 号令と共にタケル軍の歩兵たちが一斉に行進した。ゆっくりと歩いて敵の方に近づいて行った。そして、遂に敵の弓の届く位置に近づいた。先頭を行くサトルが号令した。

「突撃!」

 タケルの歩兵たちは一斉に歓声を上げながら突撃を開始した。

 それを見たクマソの軍は射撃手たちが前列に出て弓を構えて号令と共に一斉に矢を放ってきた。タケルの兵士がバタバタと倒れた。しかし、兵士たちはひるむことなく突撃を続けた。

 矢の攻撃が止んだ。クマソの歩兵部隊が前面に出て、喊声を上げながらこちらに突撃を開始してきた。タケル軍は敵が突入してくるとピタッと足を止め、踵を返して今度は味方の方向に逃げて行った。

 これを勝ち戦と勘違いしたクマソの軍は彼らを追いかけ突撃を続けてきた。

 タケルの軍は逃げた。とうとう今度はクマソ軍の弓の届くところを超えた。

 敵は勢いよく追いかけてその線を越えて突撃を続けてきた。射撃隊の指揮を執っているのはヨシキであった。ヨシキができるだけ敵を近づけた。できるだけ多くの敵を射撃の有効範囲内に寄せて一度に倒すためだ。

 ヨシキがぎりぎりまで待った。

「よし、今だ」

 ヨシキが射撃隊に向かって号令した。

「放て!」

 隙間もないほど多くの矢が天空を埋め尽くした。ザザザー、それらは大雨のごとく敵兵の上に降り注いだ。敵はバタバタと倒れた。しかし、矢の雨はやむことなく降り注がれ、後から後から突撃してくるクマソの兵士たちはことごとくタケル軍の弓の犠牲になった。

「これは大変だ。全員引上げろ! 引き上げるのだ!」

 惨憺たる様を見たクマソ軍の突撃隊長が、必死で引き上げるように命令を送った。クマソの兵たちはあまりの矢の数の多さに恐れおののき、慌てて敗走していった。

 それを見たタケルの騎馬兵軍は逃げ惑う敵の兵士を追いかけ次々と剣で首を刎ねて行った。後方にいたクマソ軍の兵士はそれを見て恐怖におののき後ずさりしかけていた。

 しかし、騎馬軍は敵の本隊まで追いかけるわけでなく手前で止まり、自軍の本隊へ引き返した。

 タケル軍は又進軍を開始した。そして弓の射程距離まで進んだ。今度は射撃隊が前面に出て弓を構えた。 ヨシキの号令で又矢の雨がクマソの兵士の上に降り注いだ。

 クマソ軍がまたまた矢の届かぬところまで敗走していった。そして騎馬軍はそれを追いかけ、ある程度敵を倒してから、以前のように元へ戻って来た。

        十二

 クマソの指揮台は同じように後方に移動させられた。

「ソントク、すぐさま体勢を立て直せ。あれほどの矢の数で引き返してどうする? 我々の兵士の数は圧倒的に多いのじゃ。いずれ奴らの矢も尽きる。ひるまず突き進めば敵は雪崩を打って敗走するは目に見えておる。うろたえるな!」

 ソントクは、慌てて総指揮を執るジャオウにそのことを伝えた。

「王様はお怒りじゃ、ひるまず進め! 兵力は圧倒的にこちらが多い。いずれ矢も尽きる。矢の雨を抜ければもうこちらのものだ。体勢を立て直して再度突撃せよ!」

 それを聞いたジャオウが自軍の兵士たちの間を走り抜け、兵士を鼓舞し、突撃の準備をさせた。兵士たちはジャオウの号令で我に返った。そしてタケル軍の方にもう一度顔を向けた。もう彼らの顔にはあの油断していた表情は無く、以前の侵略者の顔つきに戻っていた。

 しかし、この間もタケル軍の背後では次々と矢の生産が続けられていた。

 クマソ軍の態勢は立て直された。クマソ軍は隊列を整え、決死の形相でタケルの軍の方を睨んでいた。 ジャオウが先頭で吼えた。

「いいか、我々の方が圧倒的に強いのだ。少々の矢の攻撃でひるむな! 奴らの矢もやがて尽きる。そうなればもう我々のものだ。分かったか!」

「おおう!」

 兵士たちの声は力強かった。

「よし、かかれぇ!」

 ジャオウが先頭になってクマソ軍は再び突撃を開始した。クマソの軍は今や一万三千人にまで減っていたがそれでも数の上では有利には違いない。一万三千の大軍が一挙に攻め込んで来た。

         十三

「いよいよ最後の決戦だ」

 タケルはカンダイに宣言した。

「良いか皆、心してかかれ。冷静に戦えば我らが必ず勝つ。良いな!」

「おおう!」

 タケル軍も意気盛んであった。タケル軍は歩兵が前面で大きな声を上げ、攻めてくる敵を煽った。クマソ軍がそれを見て余計に猛り狂って突撃してきた。段々とクマソ軍が近づいてくる。しかし、タケルたちはいたって冷静であった。何もかもが計算通りだからだ。ヨシキが時機を計っていた。

「歩兵! 下がれ!」

 ヨシキが号令をかけた。今まで大きな声で敵を煽っていた兵士たちが一斉に後退し、変わって主力の射撃隊が前面に躍り出た。そしてすぐさま弓を構えた。

 今までワイワイ騒いでいた歩兵が急にいなくなって、目の前に弓を構えた大勢の兵士がこちらを向いている。クマソ軍は一瞬たじろいだ。

「ええい、ひるむな! 突撃じゃ、突撃!」

 上官の声に押されてクマソの兵士は再び勢いを取り戻して突撃を続けた。

「まだだぞ! 焦るな!」

 ヨシキが味方の兵士の心を静めた。敵の鬨の声がだんだんと大きくなってくる。射撃隊は只じっとヨシキの合図を待った。ヨシキが十分敵を引き付けた。

(今だ)

「放て!」

 ヨシキの合図に射撃隊は今までで一番多くの矢を放った。

 ゴォーと言う音がした。矢はまたまた大空を隙間なく埋め尽くし、容赦なくクマソ軍の上に降りかかった。クマソの兵士はほとんどが矢の犠牲になった。

 残って突撃し続けるものには、待ち受けていた騎馬軍が容赦なく襲いかかった。後ろに続く兵士たちはそれを見て恐れおののき、進撃を躊躇しかけた。

「なんと恐ろしい! 苦労してこんな膨大な量の矢の雨をくぐり抜けても、その先はまだ地獄が待っている」

 兵士たちは皆足が止まりかけた。しかし、ジャオウが今度はひるまなかった。

「何をしておる、突撃じゃ、突撃じゃ、突っ込めぇー」

 号令をかけながら走り出した。兵士たちも気を取り直して走り出した。ウワーと言う叫び声を上げながら一万余りの兵士たちが又突撃してきた。

 タケルたちは射撃隊を前面にし、雨あられのごとく矢を飛ばし続けた。クマソの兵士はその度にバタバタと倒れて行った。

 そこには累々たる屍が横たわって行った。行けども、行けども矢の雨は止まず、兵士たちが次々と死んでいった。

       十三

「なんで、奴らの矢は尽きないのだ? もうこれまでに何人やられた? これでは死人をやたらと増やすだけだ。まだ余力のあるうちに、クマソ様に一旦引き返すように進言しなければならん。作戦の練り直しだ」

 指揮台から先頭を見ていたソントクが焦った。

 クマソの顔を見た。

 クマソの顔は怒りと悔しさで鬼のような形相であった。しかしこのままにしておくわけにはいかなかった。

「クマソ王様、このままでは無駄な犠牲が増えるだけでございます。一旦兵を引いて態勢を立て直し、戦略を練り直しましょう」

「なに? 引き返せだと? 何を寝ぼけたことを言うか、まだまだこちらの方が兵力は上だぞ。勝負はこれからだ」

 クマソは益々怒り狂った。

「王様、既に大勢の者が殺されております。何か対策を考えないでこのままずるずると攻撃を続けても兵士の数が減るばかりです。良い考えだとは思えません」

 ソントクが必死でクマソに訴えた。

「うぅうー」

 クマソは奥歯をかみしめ呻く(うめく)ばかりであった。

「攻撃を続けろ、いずれ奴らの矢も尽きる」

 それでもクマソは諦めなかった。

「しかし、王様、矢が尽きそうには見えません。奴らには矢が尽きぬ何か方法があるように思われます。このままでは奴らの矢の犠牲を出すだけで何の成果も得られません。それにあの馬の兵たちも思いのほか強力で百頭ほどではありますが、その力は千人ほどの強さを持っているようでございます。相手を甘く見すぎました。一旦引き返すべきだと存じます」

 ソントクが悔しさを噛み殺してクマソに申し出た。

「うむ、しかし」

「ダメです! クマソ様、これ以上は損害が多すぎます!」

 ソントクが懇願した。

「……」

 クマソは納得できない様子で、しばらく考え込んだ。

「王様!」

 ソントクがしつこく食い下がった。

「分かった。一旦引き揚げさせよ。そして今後の作戦を練り直すのじゃ」

 やっとクマソは頷いた。ソントクがすぐさま突撃する兵に向かって伝令を送り、大太鼓で退却の合図を同時に送った。

「一旦退却し、元の城の前に集合し、態勢を整えよ」

 先頭にいたジャオウもその報を聞き、撤退を決めた。目の前の惨状を見ればそれは当然の策であった。

 敵は無駄な追撃をしてこなかった。

        十四

「王様、奴らは思いの外、手強い相手でございます。数の上で勝っているので油断をしていましたが、奴らは数以上の何かを持っているように思えます」

「奴らの矢が尽きぬのはなぜか?」

「今、偵察を送って調べております。作戦はそれが戻ってからにいたしましょう」

 ソントクはその間、前線の幹部を集合させ、戦いの状況などを聞いて回った。

「馬の兵士はかなり強力でなかなか倒せません。あれに暴れ回られたら、味方の兵士は逃げ惑うばかりでございます」

「次から次へと、矢の雨が降り注ぎ、敵の矢が尽きることがありません。ただやたらと兵士が倒れていくばかりで、そのまま突撃しても何の成果もあげられません」

 厳しい報告ばかりだった。

 やがて、偵察が帰って来た。

 ソントクは、早速クマソ王に偵察たちが帰ってきたと報告し、彼らを入れて戦略会議を開いた。

「どうであった?」

 クマソが焦って尋ねた。

「ははっ、矢が尽きない理由がやっと分かりました」

「おう、分かったか? それでその理由とは?」

 ソントクは訊いた。

「はっ、敵の最後尾には大勢の人夫がおりまして、彼らがその場で矢を製造しております。又、敵の後方にどこかに連なる道路が出来ておりました。そこから物資を補給しておるものと思われます」

「なんとそんなところで矢を作っておったのか! それに補給用の道路まで……。それで矢が尽きなかったのか?」

 クマソが「そんな戦術があろうとは」と目をくりくりさせて驚いた。

「その上に、その人夫たちは、いろいろな仕掛けを作っておりました。どうも城攻めに使うようなもののような気がします」

「何? 城攻め?」

 クマソが又もや驚いた。今まで自分の城が攻め込まれるなどという事態は想像だにしなかったに違いない。

「はっ、はっきりは分かりませんが」

「それにしても部隊の後ろで武器を作るとは、それも道路まで……。クマソ様、いかがいたしましょう?」

 ソントクは話題を変えた。

「このまま攻撃を続けてもそんな組織が背後に控えておるなら、無駄に兵士を失うばかりじゃ。かと言ってこのまま何もしなければ奴らに攻め込まれてしまう。方法としてはその背後の供給組織を叩くことしかないな?」

「それはほぼ不可能に近いと思われます。どうやって背後に回ります?」

「それが問題じゃ。大勢で行けば目につくし、少人数では攻撃できないし」

クマソたちは戦略をなかなか立てられなかった。

         十五

「敵は撤退して元の位置に戻ったな」

 タケルは満足そうに言った。

「はっ、しかし、すぐさま次の手を打たねばなりません」

 カンダイが進言した。

「なに? すぐに?」

 タケルは、カンダイの急ぐ理由が分からなかった。

「はい、敵は今態勢を整えて、次の作戦を考えているところだと思われます。彼らの案がまとまらぬ間に今度はこちらから攻め込まねばなりません」

 カンダイが相変わらず冷静に敵の動きを読んでいた。

「しかし、こちらから攻め込むのは人数の問題があり難しいではないか?」

「何も突撃するばかりが攻めではありません。徐々に我が軍の位置を前進させるのです。そして、彼らを城に追い込むのです。城に追い込めばこちらが勝ったも同然」

 カンダイの作戦はいつも完璧だ。

「なるほど、その通りだ。よし、すぐに前進だ!」

 タケルの軍はすぐさま敵に向かって前進を開始した。そして、弓の射程距離内へと入って行った。

        十六

 クマソ軍は慌てた。次の戦略を建てる前に敵が前進してきたのだ。このままでは敵の射撃隊の又犠牲になる。

「全軍は戦闘態勢をとれ!」

 クマソは直ちに指令を出した。クマソ軍は浮き足立ちながらも戦闘の態勢を取った。

 タケル軍の射撃隊が前面に出て、射撃の態勢を取っていた。

 タケル軍の矢が雨のようにクマソ軍を襲った。

「うわあ!」

 クマソ軍に悲鳴が上がった。もう、クマソ軍は戦う意欲を失っていた。兵士たちはバタバタ倒れていく味方の兵士を見て、ただ右往左往するだけであった。しかし、それでもタケル軍が容赦なく矢の雨を浴びせ続けた。クマソ軍はいよいよ混乱した。

「このままでは我が軍は崩壊してしまう。クマソ様、これはいけません。直ちに軍を城に戻しましょう。このままでは全滅です」

「なんという事態じゃ。このまま敵と戦えんと言うのか? ジャオウ、なんとかせい!」

「父上、こうなれば静めることは不可能です。全員を落ち着かせるためにも城に戻りましょう」

「王様、ジャオウ様の言うとおりです。早くご決断を!」

 クマソは再三の屈辱にはらわたは煮えくり返っていた。しかし、見る見るうちに事態は悪化していった。 もう、予断は許されなかった。

「よし、すぐに城に戻れ」

 言うが早いかクマソは城に向かった。それに続いて、ジャオウの命令で全軍が雪崩を打って城の門をくぐって行った。

 今回もタケル軍が、深追いをしてこなかった。

         十七

「遂に第二段階も成功裏に終わったな」

 タケルはカンダイに満足げに言った。

「はい、それもほとんど味方に損害はなく、理想的な勝ち方でございましたな」

「うむ、先ずはほっとしたぞ」

 しかし、タケルの顔に安堵の色は無かった。

「カンダイ、密偵から母上の情報はまだ入らぬか?」

 気にしていた件だ。

「はは、まだ何の有力な情報も入りません」

「城の中にいるのであろうか? それともどこかへ避難したのであろうか?」

 タケルは、不安に苛まれていた。

「城の中だと思いますが」

「困ったな、どうすればよいか?」

「密偵の数を増やしてとにかく探させるしかございません」

 カンダイが、眉間に皺を寄せた。

「それまで攻撃は待つのか?」

「いえ、待てません。戦には時というものがございます。その時を逃さばいかに有利に戦っていてもいつ逆転されるか分かりません」

「予定通り攻撃するのか」

「御意」

「そうか……」

 タケルは母の無事を心から祈った。

(十年会わぬ母はどうしているか、その母がこの攻撃で死んでしまったらどうしよう?)

タケルの頭に迷いが走った。しかし、次の瞬間、タケルはそれを振り切った。

「よし、密偵に徹底的に調べるように言え。」

 彼の顔は厳しい決意に変わった。

「さあ、第三段階へ進むのだ。早速、前進しよう。城の手前まで前進して攻撃の準備にすぐさまかかるのだ」

 タケルの顔は元の冷静な指揮官に戻った。

        十八

 タケルの軍は城の手前まで直ちに前進した。そして、用意されたさまざまな城攻略の仕掛けが準備された。

 投石機(竹の発条を利用して人の頭の二倍ほどの石、岩を発射する装置)、破壊車(大木の幹の先端を尖らせ、それを台車の上に乗せて城門、柵を破壊する)、油玉(枯草、枯れ枝を丸めて油をかけたもので、火をつけて柵などにぶつけ、燃やす)等々、ヤスクやカンダイ、サトルとタケルが相談して作り出したものたちだ。これでこの戦のタケルの軍の勝利は約束されたようなものであった。

作戦はすぐに開始された。

 先ず、射撃隊が前進し城壁の上に待ち構える敵兵に向かって矢を放った。敵も射程内に入って来たタケル軍の射撃隊に対して矢を放った。どちらにも犠牲者が出る状況だ。

 しかし、その後が違った。しばらく矢の射撃の攻防が続いたが、クマソの軍には続いて放つ矢がタケル軍のように十分には無かった。クマソ軍の矢の攻撃が止んだ。

すると、タケル軍の城攻撃作戦が始まった。指揮をするのは弟のサトルであった。先ず、タケル軍の兵士二十人ほどが勢いよく破壊車を転がして敵の城門に向かって突進していった。周りが濠になっていても城門の前には城内に入る道路がある。

 ドーン、と言う音と振動で城壁全体が揺れた。破壊車の二台目がその時には既に右斜めから勢いよく転がって来た。そして一台目が離れるとすぐに又、城門に激しくぶつかった。

 城壁や城門の上にいた兵士は慌てて残り少ない矢を、破壊車を引っ張っている兵士たちに浴びせた。タケルの兵士たちも犠牲者が相次いだ。

「あと一息だ。ひるむな! 倒れた者に代わり別の者が直ちに破壊者を引け!」

 サトルが叫んだ。

 しかし、クマソの兵士は、矢が少なくなっていても上から油をかけたり、熱湯をかけたりして抵抗してきた。城の攻防はこの城門の攻防に尽きる。タケルにとっては、犠牲者が増えるここが辛抱のしどころ、勝負どころであった。

 他の城壁の方では、火をつけられた油玉が勢いよく転がって、外側の城壁にぶつかって燃えている。又、投石機から大きな岩石が城内に打ち込まれていた。

(攻撃の中心は城門の破壊だ。城門が開けば全員が突入して合戦となる。もう、そうなるとクマソ軍には戦う力はなくなる。城が落ちるのは時間の問題だ)

 タケルは勝利を確信した。

        十九

 クマソはそれでもあきらめてはいない。城がこれほど簡単に攻め込まれるとは想像はしていなかったが、それでも飛び道具による戦いではなく、城の中の白兵戦になればこちらの兵力はまだ力を残していると考えていた。そして、実は彼には最後の秘密兵器が隠されていた。

        二十

 城門の攻防はいよいよ佳境に入っていた。既に門は開きかけていた。あと少しだった。

「もうひと押しだ! かかれ!」

 タケル軍の兵士たちが最後の力を振り絞って破壊車を引っ張った。

 バリバリと言う破壊音が響いて城門が遂に開いた。味方の歓声があがった。

 騎馬軍が突入し、続いて歩兵たちが突入した。

 こうなれば、射撃隊も白兵戦に加わる。彼らも弓を捨て剣を抜いて突撃して行った。

 城の中は一万人のクマソの兵士と五千人足らずのタケルの兵士が剣による最後の戦いが繰り広げられた。 しかし、クマソの期待もむなしく、多勢のクマソ軍は既に戦意を失っており、勝負は数の問題ではなくなっていた。

 クマソたちは城の本丸の一番上の部屋に逃げ込んでいた。そこには、クマソ王と息子のジャオウ、そして彼らの腹心であるソントクにインケンがいた。女子供たちは先に秘密の裏口から逃がしておいたのだ。

「王様、最早これまででございます。私たちは王様に続きます。覚悟を決めてくださいませ」

 ソントクが言った。

「何を申しておる? 勝負はこれからじゃ」

 クマソは、真っ赤な顔で、しかし、ニヤリと笑った。

「と、申されましても」

「やかましい! いいか、見ておれ!」

 クマソは言うが早いか、両手を突き上げ、頭上で組合わせ、両人差し指を立てた。そして、大きな声で呪文を唱え始めた。

(一体何が始まったのだ?)

 ソントクたちがキツネにつままれたように呆然とクマソの姿を見ていた。

すると、クマソの体はみるみる真っ赤に染まって行った。やがて体中から白い煙が湧きだした。彼の周りは 熱い空気で覆われ、赤黄色の光が彼の体からほとばしった。

「うわぁ、眩しい」

 周りの者たちは何が起こったのか分からないまま、腰を抜かした。

 その時、ゴーと言う音と共に大地が上下に激しく揺れた。大地震だ。城で戦っている兵士たちは、激しい 揺れに何事が起こったかと戦いを忘れて立ちすくんだ。

 次の瞬間、ドドーン、腹の芯まで揺り動かす大爆発音が鳴り響いた。皆が音のする方向を見ると、あの、 火龍山が真っ赤な火を噴きあげているではないか! あの火龍山が大噴火をおこしている。

 ここが火の国と言われる由縁である火龍山だ。こうなると戦争どころではない。みんながただその恐ろしい様におびえるばかりであった。

 クマソの周りにいたソントクもインケンもそしてジャオウもただただ驚くばかりだ。

やがて噴煙によって空は薄暗くなり、いかずちが大地を突き刺した。

 火龍山の火口から何やらするすると赤黒い帯のようなものが天に昇っている。それが今度は地上に向かって降下してきた。

「な、なんだあれは?」兵士たちが恐れおののいている。

 鬼のような、恐怖の眼をぎらぎらと光らせた真っ赤な龍だった。

 赤龍は城の中で戦っていたタケル軍の兵士たちを次々と口にくわえ、あっという間に呑み込んだ。タケル軍の兵士たちは、攻撃どころか龍から逃げるのに必死だ。

 赤龍は、今度は口から真っ赤な火を吐き、破壊車や投石機をたちまち火だるまにした。戦況は一転した。

 ソントクらがその光景を見て今度は狂喜乱舞した。

「すごい! 敵が面白いように殺されて逃げていくぞ。状況が大逆転だ」

「まさか、これがクマソ様のお力によるものか?」

 呪術師のインケンはクマソとはいったい何者か、今さらながら恐ろしくなった。クマソは両手を上で組んだ姿勢で赤黄色の光を放ちながら立ちすくんだままだ。

         二十一

(恐ろしい敵が現れた。いったい、この龍は何者だ? この国の主か?)

 タケルは目の前に繰り広げられる味方の無惨な敗走に、なすすべがなかった。

 赤龍は益々猛り狂った。味方の犠牲は増えるばかりだ。

(これはいかん! このままでは味方は全滅だ。せっかくここまで苦労して進んで来たのにここで全てが潰えてしまうのか? どうしよう? なんとかしないと)

「何か良い策はないのか?」

 タケルはカンダイに向かって叫んだ。

「とてもあんな敵に立ち向かう策はございません」

 カンダイは真っ青な顔で答えた。

 タケルはいろいろと思いめぐらせた。しかし、圧倒的な力を持つ赤龍の前には何も手立てはなかった。只味方の兵士が次々と殺されていくのを指を咥えてみているだけである。

 その時、タケルは閃いた。

(そうだ!)

 タケルの頭に父スサノオの言葉が浮かんだ。

(龍神様はもう一度だけ、我々が窮地に陥った時に助けて下さるとおっしゃった。それは何時の事かは分からぬ。しかし、その時には必ずお前たちを助けて下さる。それを信じて必ず思いを遂げてくれ)

(今がその時か? そうだ。今こそ、勝負を決する大事な時だ。ここで退却すればすべては水の泡、逆にここを乗り越えれば目的は達せられる。龍神様におすがりしよう!)

 タケルはいよいよ龍神に最後の助けを乞うことにした。そして、彼は龍頭の剣を高々と天にさし上げ叫んだ。

「龍神様! どうぞお助け下さい。今が我々の運命を決する時と存じます。どうぞお助け下さい!」

すると、東の空にぽつんと小さな火の玉が現れた。それがどんどんと近づいてくる。やがてそれは大きな火の玉となって、タケルの頭上で燃え上がった。

 続いてその火の玉がするすると天に上ると、それはあの紫の龍神の姿に変わった。

 カンダイがタケルの横で呆然とその光景を眺めていた。

「タケルよ、約束通りお前を助けに来た。ここが勝負時とお前が判断したのなら、わしが必ず勝たせて見せようぞ!」

 龍神は急降下をして、タケルのすぐ横に頭をつけた。

「わしの頭の上に乗れ! その竜頭の剣であの赤龍を退治せよ!」

 タケルは驚いた。

(えっ、私が行くのか?)

しかし、タケルはすぐに覚悟を決めて龍神の頭の上にまたがった。

「しっかりとわしの角を掴め、良いか? 行くぞ!」

 言うが早いか龍神は赤龍めがけて突撃していった。

 カンダイが震えながらそれを只々呆然と見つめていた。

「なんだお前わぁ?」

 突撃してくる龍神を見て、びっくりした赤龍が叫んだ。

 ソントクたちが、思わぬ展開に只固唾を呑んで見守っている。

 赤龍が龍神めがけて真っ赤な口を開け勢いよく炎を噴きつけた。龍神がぐるりと体をひねりそれをよけると、今度は龍神が激しく炎を噴きだした。その火勢は赤龍を上回り赤龍が一時火だるまになった。

赤龍が慌てて後ろに引きさがり龍神の動きをうかがった。そして、一旦上空に移動すると、今度は真っ逆さまに降下して龍神の方に体当たりをするかのように向かってきた。

 龍神がそれに対して炎を吐きながら横に(かわ)そうとした。しかし、今度の赤龍の攻撃はすさまじかった。体当たりの速度は物凄く、躱そうにも間に合わなかった。

ドスン、巨龍同士が激しく衝突した。猛烈な火花が散った。その衝撃で周りの空気が激しく揺れ、タケルはもちろん龍神から吹き飛ばされた。

「うわあー」

 タケルは悲鳴を上げて空中を落下していった。体当たりされて後ろにのけぞった龍神がそれを見てすぐさま態勢を整えタケルの下に頭を滑らせた。タケルは龍神の角をしっかと両手で掴んで再び龍神の頭にまたがった。

 龍神がそれを確認して直ちに反撃の構えをとった。

「良いかタケル、わしが赤龍に近づいて、行け! と合図する。その時はお前が赤龍の首に飛び乗り奴の急所の角と角との間をその龍頭の剣で思い切り突くのだ。奴は暴れまくるが最終的に死んでしまう。それでお前が吹き飛ばされたら今のように受け止めてやる。分かったな?」

 タケルは否も応もなかった

 龍神が赤龍に向かって突進した。

 赤龍と頭を交差しようとした時「行け!」と頭を振ってタケルを放り出した。

 タケルは勢いよく龍神の頭から放り出されて空中に浮くと、次の瞬間すぐそばに迫った赤龍の角にしがみ付いた。

 赤龍は一瞬何が起こったのか分からない。

 タケルは素早く片手で腰の龍頭の剣を抜くと両手でしっかりと握り、赤龍の角と角との真中へそれを突き刺した。

「いやあ!」

 タケルの剣はずぶずぶと赤龍の頭の中へ突き刺さって行った。

「ぐうわあー!」

 赤龍が、耳が潰れそうになるほどの大音響で悲鳴を上げ、龍神が言ったように首を大きく振り回し、体をくねらせ、のた打ち回った。タケルは赤龍の最初の首の一振りで振り飛ばされて空中を飛んでいた。

「見事!」

 龍神がタケルの下に頭を持って行った。

 タケルは必死で龍神の角に掴まった。龍頭の剣は赤龍に突き刺さったままであった。

 赤龍の頭から血が噴きあがった。噴きあがった血は勢いよく次から次へと噴きあがり、地上では既にそれが溜まって池になっていた。火龍山は益々激しく噴火を続けていた。天空は噴煙で覆われ、暗闇の中、噴火の炎が妖しく赤く光り、辺りを照らしているだけであった。

「ぐうわあー」

 最後の悲鳴を上げた赤龍が、その時、口から透き通った大きな玉を吐いた。玉は地上に落ちてごろごろと転がった。それは転がるうちにだんだんと小さくなり人の手に乗るほどの大きさになった。その玉は艶やかに透き通った水晶の玉であった。

 やがて、赤龍の動きは徐々に弱弱しくなり、それと共に火龍山の噴火も徐々に弱まって行った。辺りがだんだんと明るくなってきた。遂に赤龍は火龍山の噴火口に向かってするすると動きだしその中に姿を消してしまった。

 嵐が去った。

 龍神はタケルを地上に降ろした。地上には龍頭の剣と水晶の玉が落ちていた。

 タケルはすぐさまそれらを拾い上げた。水晶の玉は柔らかい白い光を出してタケルの顔を照らした。

「なんと見事な水晶だ。これは赤龍退治の証拠として後世に残しておこう」

 タケルはそれを大事に懐に入れた。

「もうこれで勝負は決した。お前の軍の勝ちじゃ。わしはこれで約束を果たしたぞ。後はお前がしっかりと人々を導いていくのだ。これからはお前次第で全ては決まる。覚悟を新たにせよ。分かったか?」

 龍神が最後にタケルに念を押した。

「はい、ありがとうございました。おかげで望みが果たせます。私は神様の下された使命に従い地上の世界の王になり、混乱した世界を統一いたします」

 龍神は満足そうに頷いた。

「それではさらばじゃ」

 龍神が、又上空に舞いあがり、東の空へと消えて行った。

 静寂が戻った。それと共にタケルの兵士たちは元気を取り戻した。タケルの兵士たちは逆襲に転じた。こうなれば龍神が予言したように勝負を決するのは時間の問題となっていた。

         二十二

 ソントクがクマソを見た。クマソがそこにいなかった。いや、よく見ると床に倒れて動かなくなっていた。

「クマソ様、クマソ様」

ソントクやジャオウがクマソの体をゆすった。

「お亡くなりになった!」

「お亡くなりになった!」

 みんなが口々に叫んだ。

 クマソが頭から血を流して死んでいた。

「これはいかん、すぐにここを逃げなければ。この戦は負けだ」

 ソントクが走り出した。それを見たジャオウは叫んだ。

「この臆病者! お前はここで自害するのではなかったのか? 逃げ出すとは何事か! 許さぬ」

 ジャオウは、腰の剣を抜いて後ろからソントクの背中を斬った。

「ぎゃあ!」

 断末魔の悲鳴を上げてソントクがそのまま息絶えた。一太刀であった。それを見ていたインケンが怖気づいてその場に座り込んでしまった。ジャオウはその後、奇声を発しながら剣を振りかざしてそこを出て行った。

         二十三

 タケルの軍は遂に城の本丸に入った。タケルは後方でカンダイと共に吉報を待っていた。

 そこへ、連絡の兵士が走って来た。

「申し上げます。ただ今敵の大将、ジャオウ殿を打ち取りました。ジャオウ殿はクマソ王のご子息でございます」

「そうか、でかした。それで、ほかの者は?」

「は、ただ今本丸に突撃しておりますので、おっつけ何らかの報告が入るものと存じます」

「分かった。ご苦労であった」

「いよいよ大詰めだな?」

「はっ、さようでございます」

しかし、タケルの顔が曇った。

「カンダイ、まだ母上は見つからぬのか?」

「ただ今、懸命に探している最中でございます」

 敵を倒すのが最終目標ではあるが、九歳で分かれた母親を救出するのもそれと同じほど重要な目的である。

「私たちは、母上がクマソの許へ行かれてから二度と会うことがかなわなかった。亡くなられた父上の為にも、是非母上を助け出さねばならない」

「申し上げます。ただ今本丸から報告がございました。本丸で頭から血を流したクマソ王の死体が発見されました。それに、左大臣のソントク殿の死体も発見されました。ソントク殿は背中を一太刀で斬り殺されていたそうでございます。身内の誰か腕の立つ者に斬られたのではないかと思われます」

 勝利の報告が入った。これで主だったものは皆死んでしまった。タケルの軍は勝利した。

「分かった。わたしも本丸へ行く」

 タケルはカンダイらを伴って本丸のその部屋へ入った。

「この男がクマソか?」

 タケルは家来に尋ねた。

「はい、間違いございません。姿形は前もっての情報通りで、付けている武具は王だけのもので他の者は付けることは許されません。又、この首に付けている金の紋章はクマソの印でございます」

 タケルはしばらくクマソの死体を眺めた。噂通りの大きな男であった。頭から血がべっとりと流れ出ていて体の周りを囲んでいた。死体はうつ伏せになっていたが、横顔だけが見ることが出来た。その眼はまだ開いていて敵を睨んでいるようであった。

「この男が我々を辛い目にあわせた張本人か! 何度殺しても飽きぬぐらい憎い奴だ」

 タケルはクマソの死体の周りを回りながらつぶやいた。

「父上、遂に仇は打ちましたぞ、遅くなりましたがやっと憎きクマソを討ちました」

 タケルは勝利の味をかみしめながら、今度はあたりを見渡した。母の居所が分かる手がかりがないか探したのだ。

 この部屋には作戦用の資料が積まれているだけで手がかりらしきものは何もなかった。タケルはしばらく辺りを見回していた。

「カンダイ、一刻も早く母上を探し出せ、母上の身が心配だ」

「はい、皆に徹底的に探すように申しております」

 その時兵士が足早に入って来た。

「申し上げます。怪しきものを捕えました。その者の申すには、名前をダイスと言い、スサノオ大王の奥方のスイレン様の居所を知っていると」

 重大な知らせだった。

「何、母上の居所を知っていると? その者をすぐにここへ通せ!」

 タケルは慌てて命令した。

「ははっ」

 家来が直ちにダイスを連れに向かった。

「タケル様、ダイスとは我々が国を離れなくてはならなくなった原因を作った張本人ですぞ! ご存知ですか?」

 カンダイが大声でタケルに確認した。

「そうだ、思い出した。あのダイスか……」

 タケルは、はた、と立ち止まった。

「あの憎き裏切り者か」

 クマソが我が一族の最大の仇であるとすれば、ダイスは我が一族を不幸に陥れた最大の裏切り者だ。

「そんな奴の話など信用するわけにはいきません。すぐに殺してしまいましょう」

 カンダイが珍しく興奮している。

「まあ待て、訊いてみてそれが間違いであれば殺せばよいし、正しければそれはありがたいではないか?  その時はその後に処分すればよい」

 タケルは逆にカンダイを宥めた。

「されど、又、それが罠であったら大変なことになりかねません」

 カンダイの目が厳しい。

「分かっておる。二度と同じ間違いは繰り返さぬ。私が直接行かずにカンダイ、お前が行けばよいではないか?」

「ダイスを連れてまいりました」

 そこへ、家来がダイスを引き連れてきた。あの憎きダイスが目の前に押さえつけられている。

「この男がダイスか?」

 目の前の男はとてもあの丸々と太ったダイスとは思えなかった。彼は痩せこけて、落ち着きがなくおどおどしている。

 しかし、変わらないところがあった。あのずるがしこそうな目つきである。十年も前のことであり、それも幼い記憶でしかないが、まさにあの男の目だ。

「おう、ダイス、久しぶりだな。お前の顔は二度と見たくないと思っていたが、こうして見るのも何かの縁と言うものかも知れんな」

 カンダイが憎々しげに言った。

「タケル王様、どうぞ命だけはお助け下さい。十年前、私はクマソの家来に捕まり、拷問されてスサノオ様の作戦をしゃべってしまいました。それ以来、私はこの国であなた様のお母上のスイレン様にお仕えしてまいりました。この度のタケル様の進撃を聞き、私は心から喜んでおりました。スイレン様は今、ここから少し離れた、裏の森の小屋に匿われております。私は一緒におりましたが隙を見て逃げてまいりました。そして、タケル様にそれをできるだけ早くお知らせしたいと参った次第です。どうぞスイレン様をお助け下さい」

 ダイスがおどおどした様子だが、すらすらとここまで話した。

 タケルたちは顔を見合わせて思案した。

「カンダイ、下手に突入すれば母上の命が危ない。何か良い案は無いか?」

「いや、タケル様、この話自体が信用できるかどうか分かりません。先ずは先ほどおおせの通り、それを確かめに私が先に偵察に参ります」

 カンダイがこんな場合の対処の仕方を心得ている。

「それがよいだろう。母上の顔をよく知っているのはカンダイしかおらぬ。私もまだ九歳であったので母上の顔はうろ覚えでしかないし、サトルも私と同じだ。カンダイ、頼んだぞ」

「は、そのつもりでございます」

「それではこのダイスに案内させて偵察に行ってくれ」

 タケルはダイスに向かって言った。

「今度も裏切るつもりではあるまいな?」

 ダイスを睨んだタケルの目は恐ろしいほどギラギラとしていた。

「いいえ、飛んでもございません。本当のことでございます」

「カンダイ、もし、少しでも怪しい様子があれば、即刻この者を斬り殺せ。分かったな」

「はは、もちろんそのつもりでございます」

「それから、良いか、くれぐれもお前たちだけでお助けしようと思うなよ。一旦、カンダイは帰ってくるのだぞ」

「承知いたしました」

 カンダイたちが直ちに行動に移った。

        二十四

 タケルはカンダイを偵察に出すとすぐさま兵士を引き連れ、クマソの城を見て回った。

 敵の兵士はすべて武器を捨て投降していた。城の中はクマソの兵士の死体とタケルの兵士の死体であふれていた。タケルの兵士たちも敵の最後の反撃と赤龍の攻撃で千人余りが死んだ。

 しかし最早、それらはタケルの眼中にはなかった。彼の心の中は、既に勝利さえも過去のものであった。彼はその後を考えていた。

         二十五

 カンダイはダイスを引き連れ、数人の家来と共に出発した。目的の小屋まではかなり遠かった。その小屋は森の奥深くにあった。

「この先にあります」

 ダイスが言った。

 カンダイは皆をそこで止めた。カンダイは、この先何があるか分からないので、一気にそばまで行くのは危険と判断した。兵士の二人を偵察に出した。

「いいか、絶対に気づかれぬように慎重にゆっくりとやれ。焦る必要は無いぞ」

「ははっ」

 兵士たちは体をかがめながらゆっくりと先へ進んだ。

 カンダイたちは、緊張しながら、彼らの帰りを待った。

 やがて二人が戻って来た。

 一人が報告した。

「木の陰に隠れながらしばらく行くと、その先に小屋が見えてきました。小屋の周りは少し空地になっていて、そこに見張りが立っていました。見張りが三人いました。裏側に回るとそこにも見張りが三人いました。全部で六人でした」

(六人は少ない守りだ。怪しい)

「中に何人いるかが問題でした。それにスイレン様がいらっしゃるかどうかも確認しなければなりません」

(何人いるかは一番重要だ。もちろん、スイレン様の所在はもっと重要だが)

「私は、体を低くほとんど這うように小屋に近づき小屋の横にへばりついて壁に耳をあてました。小さく声が聞こえましたが、何を言っているのか分からない。但し、確かに女の声も混ざっていました。だが、スイレン様かどうかは分からないし、中に何人いるかも分かりません。最早これまでと、引き返してきました」

「そうか、それ以上は仕方がないな。そうすると少なくとも罠ではないようだ」

 カンダイは報告を聞いてどうすべきか考えた。

「ともかく引き返そう。かえってタケル様たちと相談してからだ」

 カンダイは、今度は早足でタケルの許へ帰った。

         二十六

「タケル様いかがいたしましょうか?」

 カンダイが事の次第を話した。

 タケルも策をめぐらせたが、いかにして母上を無事助けるかは難しい問題であった。

「ダイス、そなたにもう一度頑張ってもらうしかないな」

「え、私がもう一度?」

「そうだ、そなたが小屋へ戻って奴らに言うのだ。『戦争は終わった、クマソ王は死んだ、これ以上スイレン様にかかわっていたらお前たちも殺されるぞ』と。そして『スイレン様をおいてそのまま逃げるのならタケル王がお前たちの命は助けて下さる』と。どうだ? うまく言えるか?」

「わ、私がもう一度あそこへ戻るのですか?」

 ダイスがタケルの要請を聞いて異常に驚いた。

「そうだ、いやか?」

「と、とんでもございません。行かせていただきます」

 ダイスは泣きそうな顔で渋々承知した。

「もし、奴らが嫌だ、と言ったらどうします」

 カンダイが尋ねた。

「先ず、それはないだろう。奴らも命は惜しいはずだし、クマソにそこまで忠誠を尽くすとは思えぬ。ダイスよ、必ず彼らを説得せよ」

「はい」

 ダイスが小さな声で答えた。

「ではそういたしましょう。それで、今回はタケル様も行かれるのですか?」

 カンダイが訊いた。

「もちろん行く」

「私も行く」

 サトルが言った。

「よし、今度は手勢を率いて慎重にその小屋を包囲し、母上を無事助け出すのだ」

タケルはカンダイとサトル、それに百人ほどの兵を率いてその小屋に向かった。

        二十七

 小屋の手前に到着すると、タケルは兵を止め、ダイスに小声で指示をした。

「良いか、私が言った通りにするんだぞ。母上を小屋に残して奴らが逃げるようにするのだ。そして全員が逃げたところでお前が表に出て合図せよ。我々が母上を救出する。良いか、冷静にやれ。それでは行け」

 ダイスがとぼとぼと小屋の方に向かった。

「カンダイ」

「はは、」

「ここから先は敵に気づかれぬように小屋を包囲するのだ。そして、ダイスが表へ現れたら、母上を救出し、それが確認できたら直ちに逃げた者どもを皆殺しにせよ。一人も生きて返すな。それにダイスもその場で殺せ」

 タケルは情け容赦をしなかった。

「ははっ」

 カンダイが怪訝な面持ちで行動に移った。タケルの冷酷な命令に違和感を覚えたのかも知れない。

 全てが準備されたころ、ダイスが小屋に近づいた。

「待て、ダイスではないか? お前は逃げたのではなかったか?」

「何しに戻って来たのだ?」

 表の護衛兵がダイスに尋ねた。

「大変だ、城が落ちた。クマソ様は殺された。我々の負けだ。早く逃げないとみんな殺されるぞ!」

「なに、それは本当か? 本当にクマソ様が殺されたのか?」

 兵たちが動揺している。

「本当だ、もうじきタケルの軍隊がこちらへ来るぞ! 早く逃げないと」

 ダイスが小屋の中へ入った。

 ダイスが小屋の中に入って戸を閉めると、直ちにカンダイの兵が三人の護衛の兵の口をふさぎ一斉に腹を突き殺した。小屋の裏でも同じ攻撃が行われた。

 一方、小屋の中ではダイスが芝居を始めていた。

 外から、カンダイが壁に耳を当て、中の様子を聞き入った。

 離れたところから様子を窺っていたタケルは、カンダイがうまく事を運んでくれるかハラハラしていた。

 少しして、小屋の兵士たちが表へ現れ、一目散に駆け出した。彼らには、護衛兵がいない状況など、もう気にならない。

 ダイスがすぐに表へ出てタケルに合図を送った。

 タケルは、事がうまく運んでいる状況に安堵した。

 カンダイが兵士を連れて素早く小屋の中へ入りスイレンを確保した。その後、表へ出て同じくタケルに合図を送った。

 タケルは母の安全を確認すると、じっとしていられない。

 一方、包囲の兵士が一斉に逃げる兵士を追いかけて襲いかかった。苦もなく彼らはその場で殺されてしまった。

 タケルは小屋へ走って行くと、小屋の前に立っていたダイスを一太刀で斬り倒した。ダイスが驚いた顔のままその場に血みどろになって倒れた。

「この裏切り者め!」

 タケルは鬼のような形相で、足元のダイスの死体に吐き捨てるように罵った。

 タケルは小屋の中へ駈け込んだ。

 そこには十年前に分かれた母スイレンが、少しやつれていたが以前のように優しいまなざしでこちらを見ていた。

「母上!」

 タケルはスイレンの前へひざまずいて、思わず声を出して泣いてしまった。

「タケル! まさしくタケルじゃ。よくぞ迎えに来てくれた。母はうれしいぞ。タケル、立派に成長してくれたな。ところで、父上は? 父上はどうしたのじゃ? スサノオ様はどうしたのじゃ?」

「はい、それが……」

 タケルは言葉を詰まらせると「スサノオ様に何かあったのか?」とスイレンが激しく追及した。

「葦津の原から逃げのびて、山中をさまよっている間に、戦の傷が元でお亡くなりになりました」

 タケルは思い切って白状した。

「えぇー、お亡くなりになった? それはまことか?」

 スイレンは床にしゃがみ込んでしまった。

「申し訳ございません。私たちがしっかりとお守りできなくて」

「戦の傷が元なれば仕方がないこと。それで死んだのならまだ救われる。でも、さぞ悔しかったであろうな」

「はい、しかし、父上は最後に母上様に会いたいとおっしゃって息を引き取られました」

 それを聞いてスイレンは、それまでこらえてきた感情が一挙に吹き出し、タケルに負けぬぐらいの大きな声で泣いた。後から駆け付けたサトルはその様を見て何も言えず一緒に泣くばかりであった。

         二十八

 遂に火の国との戦いに終止符が打たれた。その夜はこれまでにない盛大な祝勝会が城の前の広場で催された。

 タケルは家来たちの前に立って勝利の宣言をするとともにこれまでの家来たちの苦労をねぎらった。そして語った。

「私はアメノヒカリノオオカミ(天光大神)の子である。その証拠に龍神様からこの龍頭の剣をいただき、草原の神から黄金の冠をいただき、そして今日、赤龍からこの見事な水晶の(ぎょく)を手に入れた。私はこの三つの宝を、王家が神の子であることの証しとし、我が王家の三種の神器と呼び後世まで引き継ぐこととする」

この時、タケルは十九歳であった。その夜、彼は初めて思い切り酒を飲んで、皆と一緒に勝利を祝った。

         二十九

 戦いが終わってタケルの軍も二千人近くが戦死した。その中にはクマソ軍の矢の集中攻撃に遭ったユウダイとタカワシもいた。タケルは貴重な戦力を失った。

クマソの兵士は三千人ほど生き残っていて、全員が捕虜となり高い柵で囲まれた囲い地の中に放り込まれた。

 火の国の国土は戦の為荒れてしまった。

 タケルはこれから後も、地上の世界の統一のために戦いに出なければならないが、先ずはそれだけの大事業が出来る体制づくりが必要である。

 大きくなった国土と火の国の元々の民をどう処遇するか、国の支配の体制をいかに構築するか、戦の為の物資の生産を高める方法、これら諸問題を解決してからでないとそれは無理であった。これから拡大していく国土を考えると、今その諸問題の解決が最も重要な時である。

 タケルは先ず火の国と葦津の原を統一して一つの国にした。国の名を葦津大和と名付けた。これからの大きな統一を頭に置いて大和としたのである。

 葦津大和の国の誕生であった。タケルは葦津大和の国の初代の王となった。タケルは妻のモクレンを葦津の原から呼び寄せ、母スイレンと共に仮の王宮に移り住んだ。

 タケルは新しい国を作るについて、サトル、カケル、カンダイ、グスト、ヤスクら国の重臣たちをこの仮の王宮に呼んで、これからどう国を運営していくかの会議を開いた。

 タケルが口火を切って話し始めた。

「この国の国民は葦津原の民である。そして、火の国の民はすべて奴隷とする。彼らの財産はすべて国が没収し、この戦に貢献した者たちに分配する。農作業などの労働に彼ら奴隷を使う。もちろん、新しい城の建設も奴隷を使う」

 重臣たちは、タケルの思い切った政策に驚いている。

「奴隷を管理するのは葦津原の兵士とする。火の国の民に対しては、敗戦国の民であるから徹底して差別政策を行う。そして、葦津原の民は子供をたくさん作り、国を栄えさせる。そして、体制が整えば、我が使命を達成するため、他国へ遠征を開始し、世界支配を果たすのだ」

 タケルの表情は以前とは全く違って、自信に満ち、その眼差しは冷徹で鋭かった。

 タケルの求めるものは、世界の人民が平等で仲良く暮らす世界ではなかった。力による他国の征服であった。

 重臣たちには、気持ちの中に受け入れられないもやもやが残った。

「兄上、これだけ大勢の奴隷がいますと、管理する方も大変な労力が必要となります。その数は我々国民とおよそ同数です。それに鞭だけで働かせると、労働意欲が低くなり作業がはかどりません。それより彼らを奴隷から解放し、力仕事などを専門にする労働の民と言う最下位の階級におけば良いのではありませんか? 良く働けばそれだけ収入が多く手に入るという自由を与えることで、彼らの労働意欲が高まりましょう?」

 サトルが提案した。サトルはタケルとは違い、知恵者で平和主義者であった。

「ならぬ、彼らは奴隷でよい。彼らに下手に自由を与えると、いつ反乱を起こされるか分からん。彼らは奴隷でよいのだ。但し、神から与えられた我が使命を果たすためには、もっと兵士が必要だ。今まで通り、奴隷の中でわしに忠誠を誓うものについては奴隷の身分はそのままで兵士とする。手柄を立てれば奴隷の身分はなくしてやる。良いな? それから、以後兄上と呼ぶのは許さん。王と呼ぶのだ」

 タケルは厳しくサトルを叱責した。

「は、はい。すみません。しかし、王様、私たちが治めることで彼らが以前より豊かになれば、彼らは従いて来ると思いますし、そのほうが、国力を増強するのには早道ではないかと思います」

 サトルが執拗に食い下がった。

「黙れ、最後は王が決める。王の意に従え」

 カンダイが国政に関してはあまり興味がなく只じっと二人の言い争いを聞いていた。カケルはまだ十五歳で意見をさしはさむ程の力はない。

 結局、会議と言う形式はとっていても、単なる王の命令を下すだけの場となっていた。タケルは、今や誰の意見も聞かない専制君主になっていた。

 唯一の助言者のサトルの意見も聞かなくなった。彼の目指すものは世界の征服であり、自分が思いのままにそれを支配することであった。しかし、それは始めスサノオが目指していた国づくりとは全く違うものであった。

 タケルの今進めようとしているのは、いわゆる富国強兵である。その為に奴隷たちは酷使され苦役を強いられた。怠けるものは冷酷に処分した。

 一方、軍の強化にも熱心に取り組み、自分が先頭に立って指導した。

 特に騎馬兵には力を注ぎ、馬を増やし、兵も増やし訓練を厳しく課した。

 この専制軍事国家は、以前の葦津原の国の平和でゆったりとした時代とは全く違う、厳格で冷酷な国家になって行った。

         三十

 新しい国家が誕生しようとしている時、モクレンがいつも一人であった。

 タケルが国づくりに熱心で常にそのために走り回り、モクレンの傍にいる時は殆どなかった。

 サトルは、モクレンが(今は大事な時)と気丈に耐えている姿を時々王宮で見ていた。サトルは初めてオオナギ村でモクレンを見てからずっと思いを寄せていた。しかし、兄とモクレンが好きあっている限り自分には何もできなかった。

 その夜、サトルは母スイレンの住む仮の王宮の彼女の部屋を訪ねた。

「サトル、どうした? 元気がないが」

 突然の訪問にスイレンが心配そうに悟の顔を見た。

「母上、兄上は変わられた。純粋に葦津の国を再興しようとするお気持ちが、今や世界征服の野望に変わり、人々と平和で豊かな国を造ろうとするのではなく、人々を力で支配しようとなさっておられる。追いかけるものが違っています。そして、心はだんだんと冷たく残酷におなりです。最早、私たちの助言には耳を貸しません。このままでいいのでしょうか?」

「あなた方のお父上は、乱暴なお方でしたが、心は優しく人々の幸せのために命を懸けておられた。龍神様に世界を統一せよとの使命をいただいたのは、まさに人々の幸せと言う目的を達成するため。今のタケル殿にはそこが分かっておられぬ。真に悲しきことじゃ」

 スイレンもサトルと同じ心配をしていた。

「それに一番許せぬことは、お助けいただいた龍神様に未だにお礼参りに行っていないことじゃ。こんなことをしておると今に大変な不幸がやってくる。私はそれが心配じゃ」

 スイレンが、未だに、悩み悲しむ身の上から逃れられないでいる。

「まことにその通りでございます。戦の勝利は龍神様のお力があってのこと、それを忘れては、決して良いことはございません。それが心配です。それに、お妃様のモクレン様をたまに拝見すると、とても寂しそうで、お子様もまだおできにならず、兄上のご家庭まで冷え切っているのではと、他人事ながら心配申し上げております」

 心ならずもサトルはモクレンの様子まで、口走ってしまった。

「それも気づいておる。いずれ、私がタケルに話をしてみましょう」

 スイレンが全て見通していた。

「そう言えばお前も早く嫁を貰わねばならぬな? 他人(ひと)の心配をする前に自分の事情を考えておるのか? 誰か良い人がいるのか?」

「い、いいえ! 私はまだそんなところまで考えておりませんでした」

 慌ててサトルはそれを打ち消した。これ以上はもういられないとばかりに、サトルは部屋を出た。

       三十一

 国家建設の基礎がいよいよ出来上がりつつあり、火の国制圧から五年が経った。

 新しい城がやっと完成するところまで来た。新しい城は土と石と木からなる堂々たる堅固な城であった。

 一番外側には背の高い木の柵を廻らせ、その内側には濠を造り、その又内側には土と石で土塀の城壁を造り、城壁の上には櫓が何か所も作られた。土塀には弓矢の攻撃窓が横並びに開けられ、櫓も攻撃用に大きく造られていた。城門の前は濠をそのまま通し、上下する橋をつけた。まさに、タケルの戦法を反面教師にして考え出された設計であった。

 この城の本丸であるタケルたちの住む王宮は、巨大な二階建ての屋敷で城の中心にあった。太い材木を使った建物は風格があり、いかにもこの国の中心であると宣言している。高床式で壁のあちこちに弓用の攻撃窓が設置されていた。更に二階の上には周りを見渡すための小さな天守閣が設置されていた。この王宮の周りには更に木の柵が囲っていた。 

 王宮の周りには政の実務場所としての官舎、それから兵舎、武器庫、武器製造の工場、様々な倉庫などが建てられた。


「葦津大和ノ国ハイヨイヨソノ基礎ガ出来上ガリツツアッタ。タケル王ノ統治ハ盤石トナリ豊カデ強力ナ国家ノ誕生デアッタ」

 

第四章 世界支配へ


「葦津大和ノ国ノ国家ノ基礎ガ固マリツツアル中、タケル王ハ自分ニ与エラレタ次ノ使命ニ向カッテ動キ出サレタ。次ニ征服スル国ノ選定トソノ偵察、ソシテ、イカニ戦ウカノ戦略ノ作成トソノ準備ナド、着々ト計画ハ進メラレタ」

         一

 タケルの心の内は既に国外に会った。地上の世界の支配を貫徹するためには一刻も早くこの地を出なければならなかった。

彼の頭の中にある次の敵は、火の国の北の隣国邪馬大国であった。この国は火の国に次いで強大な国であった。攻略のためには十分な準備が必要だった。

 タケルはこの五年間その準備に奔走していた。新しい城が完成すればすぐにでも遠征に出発するつもりでいた。彼はその日が待ち遠しかった。

 その年の春、遂に城は完成した。タケルは新しい王宮に移った。明日は新しい城の完成祝いの宴が催される。タケルはその前に国の重臣たちを招集した。

「いよいよ城が完成した。思った通り立派な城が出来て私は満足だ。皆の者ご苦労であった。さて、皆が承知のように、私は予てからの使命を完成させるためにこの地を出て、諸国の征服に向かわなければならない。私はもう二十四歳になる。私が若くて元気な間にこの使命は完成させなければならない。そこで、明日の完成祝いの宴の後、早々にも準備をし、この地を出ようと思っている」

 タケルは、遠征の開始を重臣たちに再確認させ、これからその準備をどうするかを話そうとしていた。

「私が遠征に出ている間、サトルが残り、私の代わりに国内の政を行う。グストも残ってサトルを助けよ。カケルは私と一緒に遠征に行く。私に付いて戦争を学べ。カンダイとヤスクも私と一緒だ。今までと同じようにカンダイは戦略を立て、ヤスクは後方支援だ。兵力は五千だ。但し、そのうち騎馬兵を千とする。食料、武器の準備をしっかりして、用意が出来次第出陣する。尚、火の国攻略と同様、軍列の背後には道路を造り、物資の供給を確保すること。それには奴隷を使えばよい。そして、国内に供給物資の生産体制を整備することだ。以上だ」

 一同は黙って聞いていた。

「王様、邪馬大国についての情報は必要ではありませんか?」

 サトルが尋ねた。

「心配するな。この一年間、私が密偵を送り込んで十分調べてある。敵の兵力は一万、心配はない」

「さようでございましたか、それで安心いたしました。さすがタケル王様。ところで、今回は、捕まえた捕虜をどうなさいますか?」

 サトルが気になる点を尋ねた。

「火の国と同様だ。けが人は殺す。その他は奴隷とする」

 タケルは平然と答えた。

「しかし、こちらの兵士は全部が無事でも五千人、敵の捕虜がそれ以上になることも考えられますが、そうなると彼らの中で忠誠を誓うものは兵士として採用するのですね?」

「前に言ったように、彼らは基本は奴隷だ。厳しく取り締まれば奴らも言うことを聞く。聞かなければ容赦なく殺せばよい。恐怖が奴らを支配すれば心配はいらぬ。その上でどうしても兵が必要な時はその方法も考える」

 タケルの信念は、力がすべてを支配する、だ。

「そんな……」

 サトルが少し非難めいた目つきでタケルを見た。

「なんだ、その眼は? ダメだと申すのか? 王の言うことが気に入らないのか?」

「いいえ、それで結構でございます」

 タケルは機嫌が悪くなった。

「ほかに意見のあるものはいないか?」

 タケルは厳しい声で皆に問うた。

 誰も言葉を出せなかった。

「よし、早速準備にかかれ。それから、カンダイは残ってくれ」

        二

 会議は緊張した空気のまま終わった。タケルがカンダイと何やら打ち合わせを始めた。サトルは会議室を後にして、王宮の庭をじっと見ていた。

 ふと気が付くと、庭の向こうから、モクレンが伴のものを連れてこちらに向かって廊下を歩いて来るではないか。

(モクレン様)

 サトルは呟いた。そして、その場所に立ったままモクレンがこちらに近づいて来るのを見ていた。

(お美しい! いつ見てもお美しい。それにしてもいつもの輝きがない。元気がない)

 モクレンが、サトルの少し手前でサトルに気づき、ふたりの目と目が合った。

 だが、モクレンがニコリともせずそのままサトルの横を素通りしていった。

 サトルは頭を垂れたまま彼女が去って行くのを見送った。

(私は悲しい。あの方は私に何の反応も示されなかった。あの方の心はいったいどこに行ってしまったのか? あの方に今何が起こっているのか? いや、あの方だけではない、火の国を征服し大願が成就したと言うのに、私たちは誰も幸せになっていないではないか?)

 サトルの心の中のむなしさは益々大きくなっていくばかりであった。

         三

 葦津大和の国の新しい城が完成し、祝いの宴が次の日、盛大に催された。王宮の前の庭では華やかな舞台が設えてあり、その周りには重臣や家来の席が設けられ、飲めや歌えの宴が始まっていた。

 時は春、桜の木々が薄桃色のサクラ花の房をたっぷりと付け、いやが上にも宴を華やかに盛り上げていた。

 タケルは王室の中央から庭を眺め、左右には左大臣のサトルと王妃のモクレンが並んで座っていた。タケルは酒はあまり好きではなかったが、この夜だけは一つの仕事を成し遂げた満足感で気持ちが和み、飲みたいと感じた。モクレンが自らかいがいしく酌をした。

 大きな目的を持ったタケルにとっては、たとえ火の国を征服し、新しい国家と城が出来たとはいえ、彼には今だ緊張の日々であり、それが途切れるような時はなかった。

 しかし、国家が一つの心になった今、皆と喜びを分かつ状況は必要であり、それは彼も自覚していたのだ。

 カンダイがうやうやしくタケルの前にひざまずき、杯を頂戴したいと申し出た。

「カンダイ、何を今さらよそよそしい、さあ、これを飲め」

 タケルは建国の最大の功労者であるカンダイに対して、最大の感謝の心を持って接した。

「はは、ありがたく頂戴いたします」

「カンダイ、今まで苦労を掛けたな、しかし、これからも苦労は同じだ。しっかりと頼むぞ」

 カンダイがタケルの言葉に感極まってつい涙をぽろぽろと流してしまった。

「申し訳ございません。お祝いの席で涙を流してしまいました」

「お前なら許す」

「ありがたき幸せ」

 カンダイが今までの苦労を振り返っているのか、ここまでタケルに付いて来てよかったと感じているのか、涙が止まらなかった。

 宴が酣になったころ、楽員たちが優雅な曲を演奏し始めた。舞台に白衣をまとって朱色の冠をかぶった、一人のこの世の者とは思われぬ美女が音もなく現れた。

 女が楽と共に、優雅でまるで丹頂鶴が舞い踊るごとく舞台の上を滑るように移動した。それまで酒に浮かれていた者たちは、其の美しさに皆言葉を忘れ、その踊り子に目を奪われた。

「なんと美しい!」

 サトルがつぶやいた。

「確かに、この世の者とは思えぬ美しさだ」

 タケルは、同感で、うん、と頷いた。

 モクレンが黙って見ていた。

 やがて、その舞は最高潮に達し、観客が息をのむ瞬間がやって来た。なんと、その踊り子は白衣の上の一枚を剥ぎ取ったのである。そこには一瞬、薄桃色の柔肌が浮かび上がり、恍惚とした踊り子の顔が赤く輝いた。次の瞬間、踊り子はその場に伏して舞を終えたのである。

 観客たちは歓声ともため息ともつかぬ声を上げた。そして、少し間が開いて大きな拍手で踊り子をほめたたえた。踊り子は衣を被り足早に舞台を下りて行った。

 サトルがあまりの衝撃に興奮して拍手の手を止められなかった。

「なんと美しい舞であることか」

 モクレンが感心していた。

 タケルはと言うと、モクレンの美しさとは違う初めての女の美を目の前にし、只々、言葉を失っていた。

 その後の宴は、その踊り子の話でもちきりであった。宴が終わりタケルとモクレンは王の間に移り、一休みしていた。タケルは強くない酒を飲みすぎて、その場に寝てしまった。モクレンが早速侍女を呼びタケルを寝所に寝かせつけた。

         四

 翌朝、タケルの目が覚めたのは、既に太陽がほとんど真上に来るころであった。

「しまった。寝過ごしてしまった。夕べは飲みすぎた」

 タケルは慌てて支度をし、公務に向かった。王宮の会議室にカンダイとカケルとヤスクを呼んで次の遠征の打ち合わせをしなければならなかった。

「私は今回の攻撃は従来とは違い、横に広がって全体で一気に攻め込む方法をとりたいともうが、どうじゃ?」

「うーん、あまり賛成できませんな」

 カンダイが難しい顔で答えた。

「なぜだ?」

「はい、いかに我々の国の力が付いたと言え、まだ兵力は五千、耶馬大国は一万。やはりここは手堅く火の国攻略と同じ戦法で行くのが良いのではと思いますが」

 いつもの冷静な分析だ。

「私もそう考えたが、火の国と耶馬大国では力が違う、それに、我々の騎馬軍は益々強くなっておる。一気に攻め込むことで短期に戦いを終わらせ、味方の損害を軽微にすることが出来る。だから、今回は戦法を変えることにした」

 タケルはそれでも反論した。

「騎馬兵たちは力を発揮するかもしれませんが、歩兵の方に戦死者が多く出る危険性がございますが」

 カンダイも負けていない。

「私の兵がそんなに頼りなく見えるか?」

「とんでもない、十分訓練されております。只、可能性からすればそういう事態が起こりうるという話です」

 カンダイがあくまで自分の主張を通した。

「ええい、もう良い。ヤスクはどうじゃ?」

 タケルに堪忍の緒が切れた。

「わ、私は王様に従います」

「カケルは?」

「もちろん、王様に従います」

「よし、それで決まりだな?」

 皆が黙ってしまった。タケルはこの状態が不満ではあったが、とにかく、自分の思うままに進めていくのでそれを無視した。

 話が一段落したところで、カケルが言った。

「昨夜の踊り子は美しゅうございましたな?」

 突然の話の変わりように一同驚いたが、その話なら自分たちも同じ気持ちでいたのですぐさま反応した。

「確かに得も言われぬ美しさであったな」

 カンダイが頷いた。ヤスクも首を縦に振った。

「あれは誰が連れて来たのだ?」

 カンダイが訊いた。

「あれは実は、私の部下が『有名な踊り子がいる』と言って連れてまいりました。私は一目見てこれなら王様もお喜びになると思ってすぐに採用いたしました」

 ヤスクが説明した。

「どういう素性の女だ?」

 カンダイが興味深げに尋ねた。

「旅の踊り子集団の者だと聞いております。こちらに来て既に三年ほどになるそうでございます」

「そうか、そんなにこちらにおるのか。国が栄えているので長居をしておるのであろうな」

 カンダイが満足げに呟いた。

「さようにございます」

「一度こちらへ呼び出せ」

 突然、タケルは思いついた。

「え、タケル様がお会いになるのですか?」

「そうだ、あの踊り子はあまりにも美しすぎる。あれほど美しい女は見た覚えが無い。一度近くで見てみたいものだ」

 カンダイたちは意外なタケルの言葉にびっくりした。女には全く興味がない、戦一筋のお方がそんなにおっしゃるのはどういう風の吹き回しか、と驚いた。

「はは、それでは早速手配をいたします」

 ヤスクが答えた。

         五

 その日の午後、ヤスクが踊り子を連れて参内した。タケルのいる王室に彼女を連れて来た。ヤスクが踊り子を紹介するとすぐにその場を去った。タケルと踊り子の二人だけになった。

「くるしゅうない、気を楽にせよ」

 踊り子がそれでも静かに何も言わず黙ってうつ伏せていた。

「面を上げよ、世に顔を見せてくれ」

 踊り子がゆっくりと顔を上げた。

 タケルは踊り子の顔を確かめるようにじっと見つめた。

(美しい! なんと言う美しさだ)

 タケルは我を失いそうになった。

「名はなんと申すのだ?」

「はい、アヤメと申します」

 細いが艶のある声で踊り子アヤメが答えた。

「アヤメか? 美しい名だな?」

 タケルは名前まで美しいと思った。

「どこから来たのだ?」

「はい、遥か東の国にございます」

 タケルにとって話の内容などどうでも良かった。ただ、アヤメの顔を見ているだけで気持ちが穏やかになったのだ。

「こちらへ参れ」

 タケルはアヤメを呼び寄せた。アヤメが少しためらう風であったが、昨夜のように優雅に、滑るように体をタケルの方に近づけた。

「もっとこちらへ来い」

 アヤメが恐る恐るタケルの膝元まで近づいた。タケルは力強くアヤメを抱き寄せた。

「あっ、……」

 アヤメが声にならない声を出してタケルの懐に体をうずめた。タケルはアヤメの甘酸っぱい女の匂いに我を忘れ官能の世界におぼれて行った。女に関してはモクレンしか知らない純なタケルは、男を虜にしてしまう魔性を秘めたアヤメの体にずぶずぶとのめりこんで行った。

         六

 甘美な時は終わった。タケルはアヤメを抱き寄せたまま呆然と彼女の横顔を眺めていた。アヤメの肌は透き通るように白かった。

「心は落ち着きましたか?」

 アヤメが起き上がってタケルの胸の上に顔をそっと乗せた。

「どうしてそういう質問をする?」

「今日は王様のご機嫌がお悪いから私が行ってお慰めしろ、とヤスク様に言われましたので」

 アヤメが甘えた声で話した。

「ヤスクがそんなことを申したか?」

 意外な知らせに戸惑った。

「はい、何かございましたか?」

「なんでもない、戦の話だ。女には関係のない話だ」

「すみません。余計な無駄口を申しました」

 アヤメが弱弱しく謝った。

「いやかまわぬ」

「もうすぐお発ちでしょう? そのことですか?」

「良く知っておるな?」

「ヤスク様がおっしゃっていました」

「あいつは意外と喋りじゃな」

 タケルは、少し気になった。

「発つ前にご機嫌が悪いのは良くありません。なんでご機嫌が悪くなられたのですか? お話しになったらすっとしますわ」

 アヤメが甘えた声で話してきた。

「なにもないわ、ただ、今までのやり方をやめて、一気にやると言ったら文句を言われただけだ。あのバカ者どもめ」

 昨日の会議が思い浮かんでつい腹立ちまぎれに喋った。

「王様は偉大なお方です。私には分かりませんが、王様の思うとおりにやられたらよいのでは」

「当たり前だ」

 日が暮れる前にアヤメが王宮を出た。

 タケルは又会いたいと思ったが、その日以後、アヤメの姿は葦津大和の国から消え去っていた。

 タケルはモクレンを心から愛していた。しかし、アヤメの誘惑には勝てなかった。そんな弱い自分を厳しく責めた。

 今までにも誘惑は無いわけではなかった。しかし、彼はそんな誘惑には一切顔を向けなかった。それはモクレンに悪いからではなく本当にモクレンが最高の女だと思っていたからだった。

今もやはりモクレンが最高の女であると信じているのだ。この日の出来事以後、彼は以前のように女には一切興味を示さなかった。

         七

 耶馬大国征服の準備は整った。総勢五千人の兵士と後方支援のための奴隷を引き連れ、タケルの軍は五年ぶりに出陣した。タケルの胸は高鳴るばかりであった。一刻も早く耶馬大国を攻撃し、征服したかった。

「カンダイ、先日申した通り、火の国の攻撃のように五部隊に分かれて奇襲攻撃をかけるのではなく、今回は横に広がって全体で一気に攻撃に入る。そしてそのまま敵兵を城まで追い込むのだ。耶馬大国は兵力が一万、国の大きさも火の国の三分の二ぐらいだ。だから、勝負を一気につけよう。良いな?」

 カンダイに念を押した。

「王様、しかし、私はやはりその方法より、前回と同じく分散して徐々に攻めて行った方が良いかと存じますが」

 カンダイが未だに賛成をしてくれなかった。

「何度言ったらわかるのだ? 火の国と耶馬大国とは違う。出来るだけこちらの損害を少なくするためには、短期で終わらせる方がよいに決まっているではないか」

 カンダイがそれ以上反論してこなくなった。言っても無駄だからだ。

         八

 タケルの軍は国境の手前まで来た。

「良いか、これから先は、総攻撃に移る。部隊を横に展開させよ」

 タケルの軍は直ちに横に展開すると、タケルの号令で一斉に進撃を開始した。

 国境の警備の兵たちは簡単に蹴散らされ、タケルの軍は耶馬大国の中心に向かって進攻していった。森を越え、平地に入り、住居地帯に入った。

 柵や濠などない。タケルの軍は、家々に火を放ち刃向かう住民や兵士を殺しながらどんどん中心部に進攻した。耶馬大国の兵士や民の殺される悲鳴があちこちで上がり建物が壊される音が響いた。

「略奪はするな。兵士を殺し、城まで突撃だ!」

 タケルは叫んだ。

 タケルの軍は快調に進撃し、瞬く間に城の手前にまで到着した。

「思いの外簡単に事が運んだな」

 タケルは満足そうに言った。

「はは、しかし、簡単すぎます」

 カンダイが、不安げな顔をしている。

「そんなことは無い。私が言った通り、敵は火の国ほどの力がないからだ」

 反対に、タケルはご機嫌だった。

「早速城攻めの準備をいたせ!」

 目の前でタケルたちを見下ろす敵の櫓を見て、タケルは闘志を益々燃え上がらせた。敵兵は櫓の上から大勢こちらを見ていた。

         九

 城攻めを明日の朝早く決行するために、その夜までに準備はすべて整えた。タケルは攻撃の段取りを確認する程度ではあったがカンダイと打ち合わせをしていた。

 その時、遠くで喊声らしきものが二人の耳に届いた。

「なんだ?」

 タケルが立ち上がった。

「しまった」

 カンダイが叫んだ。

「どうしたのだ?」

 タケルには訳が分からない。

「嵌められました」

「嵌められた?」

「敵はわざと我々をここまで引きずり込んで、ここで後ろと前から我々を挟み撃ちにするつもりです。暗闇の中では、それも不意打ちでは射撃部隊が使えません!」

 カンダイが口惜しそうに点を見上げた。

「だが、どうして我々が今日、それも今回は一気に攻撃することを敵は知っていたのだ?」

「!」

 タケルには思い当たる節があった。

(あの時だ、あの時アヤメにしゃべったからだ。アヤメは耶馬大国の密偵であったか! 何たる不覚!)

 タケルは、一生に一度の心の弛みが大事なところで致命的な失敗を引き起こそうとしている事態を悟った。

 カンダイがタケルの顔の変化を見ていた。

 カンダイが何かを感じ取っているようだ。

 予てから、耶馬大国では火の国が攻撃された時の様子を研究し、葦津大和の国の動きを偵察していた。そして、アヤメの報告を受け、今回は火の国型の攻撃をせず、一気に攻めてくると分かっていた。

 耶馬大国はタケルの軍の攻撃を受けた時あまり抵抗せず、所定の場所に逃げ込んで、夜を待って攻撃をするという作戦を準備していたのである。タケルの軍の最大の強みは射撃部隊の矢の大量攻撃であるが、それは夜戦を想定していない。夜の闇の中では射撃部隊は全く機能しないのである。

 しかも、同時に城からも兵が出撃してきて、タケルの軍に襲いかかって来た。タケル軍は前と後ろからの挟み撃ちにあった。タケルの軍に戦死者が次々と出た。

「カンダイ、兵を落ち着かせよ! 我々の軍はこれぐらいのことではへこたれぬわ。反撃して叩き潰せ!」

 タケルは慌てるどころか果敢に指示を下した。

「はは、分かりました」

 カンダイは伝令を出し、各部隊長に反撃の檄を飛ばした。

 さすがにタケルの軍は良く鍛えられていたおかげで、大混乱を引き起こすには至らず懸命に反撃を続けた。

 耶馬大国の軍は思いがけないタケルの軍の反撃の強さに、ある程度の損害を与えると、闇の中に散って行った。嵐は治まった。しかし、何時、又襲ってくるか分からない。タケルたちはピンと張りつめたまま朝を待った。

 もうすぐ朝と言う頃、再び、喊声が聞こえてきた。

「畜生、又来たか! 直ちに反撃だ」

 タケルの軍は必死で攻撃に立ち向かった。敵は深く攻め込むことをせず、暫くすると兵を引き上げた。タケル軍は、又兵士を失った。まさにタケル軍の以前の戦略を踏襲した攻撃であった。

         十

 早朝、タケルとカンダイとカケル、それに部隊長らが集まって会議をしていた。

「なんとか持ちこたえたな。これで我々が優位に立ったな。明るくなれば我々の方が断然有利だ」

「はっ、その通りでございます」

 カンダイが答えた。

「急いで国へ伝令を出し、救援部隊を送るように言え」

「えっ、しかし、国にはそんなに兵士が残っているわけではありませんし、それがいなくなると国の治安も危うくなるのでは?」

 カケルが反論した。

「そんな事情を言っている場合か! そんな事情は後で何とでもなる。我々は今日、必ず城を落とすのだ。今日が勝負だ。敵の主力部隊は城の中にいる。明るいうちにそれを殲滅する。そうして城を落とせば外にいる敵の夜襲も怖くはない。逆に反撃に出て潰してしまう戦も可能だ。これから昼の内は、我々が優位に立つ。その間に城を落とすのだ。しかし、味方も昨夜少なからず殺された。今の兵力では城を落とせるかどうか正直なところ五分五分だ。長引いて夜まで続くかもしれん。そんな時、少しでも兵が多いほうが良い。だから、今すぐサトルの許へ伝令を送れ」

「はは、」

 伝令が早速馬に乗って早朝の耶馬大国を駆け抜けて行った。

「あとはいつ援軍が来るかだな」

そうつぶやくと、タケルはカンダイに向かって命令を下した。

「カンダイ、直ちに攻撃の用意だ。破壊部隊を前面に立てよ。攻撃は早ければ早いほうが良い」

「用意はできております」

「よし、射撃隊はどうだ?」

「もちろん出来ております」

「それでは今すぐ攻撃だ!」

「ははっ」

 タケル軍の攻撃は夜が明けるとすぐに始まった。

 先ずは射撃部隊の大量の矢の嵐だ。ゴーと言う音と共に、開けたばかりの邪馬大国の空を矢の雨が隙間なく覆い、城の上に降り注いだ。城から悲鳴が上がった。タケルの軍はいつものように容赦なく矢の雨を降らせ続けた。タケル軍の先制攻撃に、敵は反撃する暇を与えられなかった。

「破壊部隊を突入させよ!」

 機を見計らったタケルは今度は破壊部隊に突入の命令を発した。二台の破壊車がガタガタと重苦しい音を立てながら、城の門に向かった。最初は右の破壊車が突入した。続いて左の破壊車がその後を受けて突入した。城門の上にいる兵士らはうろたえて、矢を射ったり、油を掛けたり、の反撃さえも忘れていた。

 更に、タケル軍は燃えさかる油玉や大石を城に向かって発射した。タケル軍の攻撃はいつもに増して激しかった。城門だけでなく城壁にも長梯子が掛けられようとしていた。決死のタケル軍の兵士がそれをよじ登って行くのである。もちろん敵の餌食になるものが増えた。兵士の背後からは射撃隊が援護の矢を放っている。

 タケルはじっと戦況を眺めていた。すると背後から喊声が上がった。敵襲だ。やむを得ない。これも計算の上だ。兵站の者たちを前へ出しその後ろに射撃隊が配置され、背後からの攻撃を待ち受けていたのだ。

 射撃隊は背後から攻めてくる敵に向かって一斉に矢を放った。昼間ならこちらの方が有利だ。白兵戦になる前に矢の攻撃で大方の敵を倒すことが出来る。

 しかし、敵は相手を研究していた。タケルたちと同じ方法で攻めてきた。大勢で一気に攻撃するのではなく、少人数であちらこちらから奇襲攻撃を仕掛けてきた。深追いせず打撃を与えるとすぐに引き返した。これにはタケルの軍の矢も威力を発揮できなかった。兵の数が徐々に減少していった。タケルの軍は城攻めに集中できなかった。

「カンダイ、城を早く落とせ。背後の敵の攻撃がこちらに打撃を与えている。こうなれば早く城を落とさねばならぬ。城門の様子はどうだ?」

「はっ、もうすぐでございます」

「城壁を攻撃している方にも損害が出ている。早くしないと双方に甚大な被害がでる」

         十一

 一方、伝令はようやく正午近くにサトルの許に着いた。サトルは、今頃伝令とは尋常ではない、と慌てて書状を読んだ。

「タケル王の軍が挟み撃ちにあったと? まさか! 兵力が減少したので城攻略のために援軍をよこせと?」

 サトルにとってはよもやそんな事態が起こるとは考えもしなかった。

(兄上の率いる軍が劣勢に立たされるなど考えられない。それも、火の国の軍よりも数も少ない相手に、だ……)

 サトルは暫く呆然としていた。

(しかし、どうすればよいのだ? ここには三千の奴隷がいて、兵士は周辺の警備も含めて五百しかいない。たとえそのうち三百を出したとすれば、二百でここを維持することは到底できない。況してや、たった三百の兵を援軍に送ったところでどれほどの力となりえようか?』

 考える余地とてなかった。答えは簡単だ。援軍の拒否だ。

(兄上はお怒りになる。それも狂ったように怒られる。私は兄上に殺されるかもしれない。だが、国を守るためにはそうするより他はない。私が殺されても国を守るのだ。兄上を助けたい気持ちは山々なれど無理だ。援軍は拒否するしかない。兄上の方でなんとかしてくださいと言うしかない)

 サトルは早速手紙を書き伝令に手渡した。

「これを王様にお渡ししろ」

 伝令は又馬に乗りタケルの許へ駆けて行った。

         十二

 そのころ、戦場では、城門が破られた。タケルの軍は喊声を上げながら城門に突入していった。しかし、今度の敵はクマソの兵とは違った。城の中に入ったタケル軍に向かって残しておいた矢を一斉に放ったのだ。バタバタとタケル軍の兵士が倒れて行った。

 戦況を聞いたタケルは城壁の攻撃をもっと激しくするように伝えた。外からそれを崩すしかない、そう考えたのだ。

 いよいよ戦いは混戦状態になった。最後の決戦と言ってもよいだろう。いわゆる勝負どころだ。タケル軍は兵士の数が不足している。城攻撃前に殺されていたからだ。勝負は一進一退だ。双方に多くの死者が出た。ずるずると時間だけが立って行った。

「ええい、援軍はまだ来ぬか?」

「タケル王様、どんなに早くても夜にはなると思われます。それまではどうしても撤退するわけにはまいりません」

(このままではいかん。なんとかせねば)

 タケルは考えた。

(龍神様にはもうお願いは出来ない。我々の力だけでこの難局を乗り越えなければ)

 しかし、そう簡単には作戦が思い浮かばなかった。

         十三

 双方に死者を出しながら延々と戦いは続いた。

「もうすぐ夕方になる。援軍はまだか?」

 タケルが叫んだその時、馬を乗り捨てて伝令が走って来た。

「申し上げます。ただ今返書をお持ちいたしました」

「何? 返書?」

 タケルは訝りながら返書を受け取った。そしてそれを開けた。

「なに? 援軍は来ない?」

 信じられなくて、タケルはもう一度読み返した。カンダイが、タケルの今の言葉にあまり驚かなかった。 カンダイにはそれを予測できていたのだろう。サトルの慎重さを思えばそれはありうる。

「援軍が来ないだと? 何を言っておるのだ。この非常時に我々を見捨てるのか?」

 タケルは怒り狂って、返書を投げ捨てた。

「タケル様、お静かに、兵に聞こえます。ここは我慢いたしましょう。その怒りは後に爆発させることにして、こうなれば、援軍なしで戦うしかありません。頭を切り替えて今ある力を最大限発揮いたしましょう!」

 カンダイが必死でタケルの興奮を抑えようとした。

「ううっ……」

 タケルはぐっと怒りを呑みこんだ。足元を見ると草の間にアマガエルが一匹、隠れていた。タケルはそれを見つけると容赦なくぐしゃっと踏みつぶした。

「ううっ……」

 怒りは爆発寸前であったが、それを抑えねばならなかった。

 彼は開き直った。タケルの強さはこのように追い込まれたときに現れる。彼は今の状況を冷静に分析した。

(敵は今城の中に追い込まれている。逃げられない。必ず王はあの本丸にいて指揮をしているはずだ。いや、本丸にいなくともどこかの建物に潜んでいるはず……。よし)

「カンダイ!」

「ははっ」

「城の中の建物と言う建物に火を放て。城を燃やすのだ。彼らは必ず慌てるぞ。きっと王とその周りの者がどこからか集団で逃げて出るはずだ。それを襲うのだ」

「は、直ちに」

 命令は全軍に伝えられた。

 すぐさま城の建物と言う建物に火が点けられた。たちまち城は火の海となった。本丸には火矢が次々と放たれた。味方の城が火の海になったことで、耶馬大国の兵はたじろいだ。勢いはタケルの軍に移った。

やがて、王のいる本丸から一団が現れた。本丸は今にも焼け落ちる寸前であった。タケルの軍の部隊長の一人がそれを発見し、直ちに襲いかかった。中に、豪華な鎧をつけた王らしきものがいた。兵たちはそこに集中して攻撃した。王の警護の抵抗もむなしく王はその場で斬り殺されてしまった。

「王を殺した! 王を殺したぞ! 我々の勝ちだ」

 大声がそこら中から響き渡った。

 もう、こうなれば耶馬大国の勢いは衰えるばかりであった。タケルの兵士は元気づき、敵の兵士を殺した。逃げる兵士、傷ついた兵士を手当たり次第に殺した。戦場は血の海となり、凄惨を極めた。タケルの命令で、敵の兵士は出来るだけ多く殺せと言われていたからだ。早く終わらせて、敵の兵士が多く生きている時に勝利を宣言しても、何時反撃されるかもしれない。なぜなら、味方の兵士の数がとにかく少なくなっていたからだ。

 遂に、激しい戦は終結した。タケルの軍の勝利だ。この戦はそれまで以上に死者の数が多く、死体の処理だけでも大変な作業が残った。

 タケル軍は国はずれに大きな穴を掘らせそこに大量の死体を埋めた。タケル軍は結局五千人の兵力が二千人ほどになっていた。生存している敵の捕虜の数は三千人であった。敵の兵は七千人が殺されたのだ。

 タケルは捕虜を奴隷にし、足に鎖をはめ完全に自由を奪い、重労働をさせ、それで死ぬものは大きな穴に埋めた。


第五章 サトル王子の死

         一

 タケルはカンダイとカケルに後の処理を任せ葦津大和へ戻ることにした。タケルは絶対にサトルを許すことが出来ない。その為に一刻も早く帰ってサトルを処刑にしようと思っていた。百人ほどの家来を連れ彼は国に凱旋した。

 城に入り、迎えに出ているサトルを無視して、タケルは王宮に向かった。王宮に着くと彼はモクレンの待つ自室に戻らず、早速サトルを王の間に呼んだ。呼ばれたサトルは、タケルが話そうとする前にしゃべりだした。

「タケル王様、このたびの戦の勝利、まことにおめでとうございます。そして、援軍を送らなかった事情をどうぞご理解ください」

 サトルにとって必死の弁明だったが。

「だまれ! お前は王を裏切った。王が死ぬかもしれぬのにそれに助けを出さなかった。お前は私だけでなく、この国をも裏切ったのだ! 言い訳は聞かぬ!」

 タケルは初めから問答無用だった。

「しかし、援軍を送ればこの国は治められなくなります。そうなれば、いくら戦争で勝利しても帰る国が無くなります」

 サトルにすれば、正論を言っているつもりだろう。

「馬鹿者、そこを何とか考えるのが指導者の務め、それが出来ないものは指導者ではない。只の裏切り者だ」

 タケルは、無理難題でも何とか処理できてこそ真の指導者だと思っている。

「私はとうに命は捨てております。国を守るために敢えて王に背きました。私には何の後悔もございません」

 抗弁は不可能であった。サトルが事態を悟った。

「衛兵! 直ちにサトルを召し捕れ。そして独房に放り込め! その後に処分を言い渡す」

サトルが驚いた様子を見せなかった。覚悟していたのであろう。抵抗もせず彼は衛兵に拘束されて、連れ出された。タケルは昂ぶる心を抑えて、モクレンの待つ自室に向かった。

       二

「タケル様、ようこそご無事でお帰り下さいました」

 モクレンがタケルを迎えた。タケルは装束を侍女に解かせながらサトルの話をした。

「そなたは援軍の話をサトルから聞いておったのか?」

「援軍? なんのことでございましょうか?」

「やはり、そなたは知らなかったのだな。この度の戦は大そう苦戦をしたのだ。兵士を多く死なせてしまった。それにもう龍神様にお願いもできず、自力で苦難を突破しなければならなかった。そこで、サトルに援軍を頼んだのだ。しかし、彼は国には兵力が足らず送れないと断りおった。その為、更に兵士を死なせてしもうた。国に兵が足らぬのは分かっておった。しかし、それでも何とかしてくれると思ったのだ。私は彼を許せない。今、牢に閉じ込めた」

 タケルの怒りは収まっていなかった。

「えっ、サトル様を牢に?」

 静かに聞いていたモクレンが大層驚いた。

「そうだ」

 タケルは当然だと返事した。

「あなたの大事な弟様ですよ。いくら援軍を断られて苦戦をしたと言ってもあなたの弟様ですよ」

 モクレンがタケルの処置を非難した。

「分かっておる。そう言うと思った。だからそなたには言いたくはなかったが、やはり心に引っ掛かるところがあってつい言ってしまった。しかし、これはけじめだ。いくら王の弟と言え、王を裏切っては許されない」

「それでどうなさるのですか?」

 モクレンが心配そうにタケルに伺った。

「早々に処刑する」

 タケルはあっさりと言い放った。

「えっ、処刑に?」

「そうだ。二日後に処刑する。もうこの話は終わりだ」

「そんな……」

 モクレンの顔は青ざめ、そのまま黙ってしまった。

         三

 二日後、カンダイもカケルも帰らないまま、サトルは処刑された。

 民衆の見ている前で処刑台に乗せられたサトルは断頭台に首を置き、処刑人により、大刀で斬りおとされた。

 ころころと転び落ちていく首は、愛する人に心を打ち明けられず、栄光を知らず、孤独で不遇の中で死んでいく、サトルの寂しい人生を象徴しているかのようであった。

 タケルは自分の軽はずみな言動で全てが狂ってしまった事実、作戦の変更により苦戦を強いられた事実、などの負い目を認めるのが嫌で、逆に全てを弟サトルのせいにした。

 カンダイが国に帰って来たのはサトルの処刑が執行されてから十日後であった。彼は何も知らされていなかった。カンダイがタケル王の許へ帰国の報告に参内した。

「えっ、サトル様を処刑されましたと?」

「そうだ、あいつは私を、葦津大和の王を裏切ったのだ。これほどひどい罪があろうか?」

 カンダイが目を瞑った。目頭にはうっすらと涙が滲んでいた。

「タケル様、あなたは今、後悔なさっておられますね?」

 カンダイがタケルの目を見た。

「後悔などしておらぬわ。相応の罰だ」

 タケルは心にもない冷たい言葉を返した。

「タケル様、もし、サトル様で無くて、援軍を拒否されたのがスサノオ大王であったら、あなたは大王を処刑になさいますか? 大王が自分で招いた危険は自分で解決せよ、とおっしゃったなら、あなた様は必死で解決の為に努力されたでしょう。そうして、最後には同じような勝利をもたらされたはずです。あれはタケル様に対する試練です。拒否されたおかげであなたは自らが苦しみ解決策を考え出された。そうではありませんか?」

 カンダイが、静かにしかし言葉は厳しくタケルを諭した。

 しばらくタケルは返事ができなかった。

「私は王様を責めているのではございません。サトル様の心を察してあげてほしいだけです。サトル様は怖けづいて兵を送らなかったのではありません。すべては国を愛するため、その為には自分の命などどうでも良かったに違いありません」

 カンダイがサトルの心を思いやった。

「今、冷静に振り返ってみてください。王様はそれを分かっておられると思います。それから、私たちの作戦が敵に漏れたのも、王様にはお心当たりがあるのではありませんか? 私は今、命を懸けて王様にご注進申し上げております。王様はこれから世界を統一する使命を受けておられます。どうか御心を広くお持ちいただきますようお願い申し上げます」

 カンダイが両手をついて注進した。

「カンダイ、お前の心からの忠告を私はありがたく思っている」

 タケルにはカンダイの言葉の意味は身に染みていた。

「しかし、一つだけ分かってほしい。私の使命には矛盾があるのだ。人々の平和な世のためにはこの世界を統一せねばならない。しかし、一方では、この使命を完成させるには多くの人々を殺さねばならない。甘い考えは自殺行為だ。それはカンダイも分かっているであろう? 私にも血も涙もある」

 今度はカンダイが黙っていた。

 先代スサノオ大王からの忠臣カンダイの言葉は重かった。タケルもその後は何も言わず王室を出て行った。




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