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国生みの記 征服者の系譜  作者: テリー ヨーク
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第一部 苦難の時

    「国生みの記」

       龍王の系譜


第一部苦難の時

 

 神明五年、葦津大和の国は豊穣の秋を迎えていた。人々は豊かで平和な生活を謳歌し、国家は繁栄の頂点にあった。

 第三十九代神明天帝は、右大臣大石家持に、葦津大和の国の歴史書の作成を命ぜられた。家持は語り継がれてきた天帝家の系譜と起源に関する伝承を編纂し、そして今日、完成した歴史書を天帝の御前で朗々と読みあげた。


第一章世界創生

「ハジメ、コノ世ハ暗黒ノ無ノ世界デアッタ。

コノ味気ナイ無ノ世界ニ、突然、アメノヒカリノオオカミ(天光大神)ガ、ソノオ姿ヲ現サレ、光トトモニコノ世界ヲ創造(つく)ラレタ。

大神ガ大キク息ヲ吹カレルト、天ト地ガ分カレタ。ソノ時、天ハ真ッ赤ニ燃エサカリ、地上ハ灰褐色ノ泥海デアッタ。大神ガモウ一度天ト地ニ強ク息ヲ吹キカケラレルト、天ハ段々ト灼熱ノ赤カラ静穏ナ青トナリ、泥海ハ緑ノ水ヲ湛エタ大海トナッタ。

更ニ大神ガ息ヲ吹キカケラレルト、海ノ中カラ大地ガ現レ、ヤガテソノ上ニ植物ガ生エ動物タチガ現レタ。ソシテ、最後ニ人間ガ現レタ。

大神ハ地上ノ全テノモノニ魂ヲ吹キ込マレタ。特ニ人間ノ魂ニハ自由ヲオ与エニナッタ。善ノ道ヲ行クモ悪ノ道ヲ行クモ人間ノ意思次第トサレタ。ソノ結果、人間世界デハ欲ト力ガ蔓延(はびこ)リ、ヤガテ、混乱ト争イガ全テヲ支配スルヨウニナッタ。

コノ乱レタ人間世界に秩序ト平和ヲモタラスタメ、大神ハ指導者トナルベキ人間ヲ地上ニ(おく)ラレタ。大神ハ自ラノ髪ノ毛ヲニ本引キ抜カレ、ソレニ息ヲ優シク吹キカケラレタ。スルト、ソノ髪ノ毛ハ二人ノ人間ノ赤子ノ姿ニナッタ。コノ赤子コソ地上ニ秩序ト平和ヲモタラス指導者トシテ(おく)ラレル人間、後ノ我ガ天帝ノ祖、スサノオノミコト(須佐乃雄命)トソノ妃スイレンノミコト(睡蓮命)デアッタ。大神ハ赤子ヲソレゾレ違ウ場所ノ違ウ女ニオ仕込ミニナラレタ。大神ハ言ワレタ。『コノ赤子ラハ成人ノ後ニ出会ウデアロウ。ソノトキ、両耳タブニ天ノ文字ガ赤ク浮キ出デテ、互イニソノ運命ヲ知ルデアロウ』

コウシテ歴史ノ扉ハ開カレタ」


第二章スサノオ伝説

     一

 雲海山脈に囲まれた葦津の原盆地は、中央に霧吹き川が流れ、肥沃な土地が広がっていた。そのため、多くの村が出来ていた。

 村々はそれぞれ村長(むらおさ)が治め、互いに助け合い、村長同士で頭領を選び、統領が葦津の原全体を統率していた。人々は豊かで平和な生活を送っていた。

 その葦津の原の村の一つ、八女村の長で且つ葦津の原全体の頭領でもあるツチモリは、身重の妻ナツメと仲睦まじく暮らしていた。

 ナツメは、臨月を迎えていた。ナツメのお腹は普通の人の倍ほどになり、よほど大きな男の子が生まれるのではないかと人々は噂していた。

 いよいよその時がやって来た。心配していた通り難産で、陣痛が始まってから丸二日かかり、大きな男の子が生まれた。なんとその産声はすさまじく、周りの山々にこだましたという。名前はスサノオと付けられた。

 やがて、スサノオは十歳の年になると、身の丈が普通の大人ほどの大きさにまで育っていた。その上、彼の体格はまるで熊のように逞しかった。短気な性格の上に、一旦、彼が怒り出すと、そこらにあるものを片っ端から破壊し、家の一件ぐらいは壊してしまうほど怪力の持ち主であった。その為、人々は誰も彼に近寄ろうとしなかった。

 しかし、彼は、力仕事は人の何倍もこなし、両親を助ける親孝行者であった。又、常に弱いものを助け、強きものをくじく正義感の強い子供でもあった。

        二

 ある日、スサノオは山から帰る道で、隣のトマルが村のガキ大将ゲンとその仲間にいじめられているのに遭遇した。スサノオはその場に駆けつけると、片手でゲンの首根っこを摑まえてそのまま上へ持ち上げた。

「助けてくれぇ、助けてくれぇ」

 ゲンが泣きながら頼んだ。

「弱い者いじめなんかするな、それでもお前は男か!」

 スサノオはゲンを道端に放り投げた。ゲンとその仲間が、スサノオの怪力と彼の怒った顔の恐ろしさに慌てて逃げて行った。

 その時、スサノオはゲンがしりもちをついた跡にイナゴがぺしゃんこに潰れているのを見つけた。

「あっ」

スサノオは驚いて、イナゴを拾い上げじっと見つめ、涙をぼろぼろと流した。

「知らなかった。すまん、許してくれ」

 スサノオは、道端に穴を掘ってその亡骸(なきがら)を埋めてやった。

「スサノオは優しいね」

 トマルが感心していた。

       三

 スサノオは十八歳になった。彼の体は益々大きくなっていた。背丈は普通の大人より頭二つほど抜けていて、体格は筋肉が盛り上がり大人の二倍ほどになっていた。だが、性格は大人になっても、短気で興奮すると暴れまわった。

 この年、彼の運命が大きく変わる大事件が起こった。

 ある日、山の向こうからウワーウワー、と言う喊声(かんせい)が聞こえてきた。大勢の人間の叫ぶ声が山々に響き、それが盆地に近づいてきた。

 村の人々は何事が起ったのか? と不審に思ってそちらの方を見た。すると、木々の間から見たこともない出で立ちの人間が剣を振り上げ喊声を上げながら走ってくるのが見えた。

「大変だ! 戦だ、戦だ」

 村人は今起こっている事態がやっと分かった。だが、突然の襲撃に、只々叫びながら右往左往するばかりであった。

 クマソ王が率いる隣国火の国の大軍が葦津の原に攻め込んで来た。人間世界の欲と混乱が平和な葦津の原にも襲いかかって来た。

 葦津の原の各村は集団で住居を構え、その周りに濠を築き、柵で囲ってはいるが、今まで戦などしたことも考えたこともなかった。いざ実際に戦となれば、おろおろするだけで反撃どころではなかった。

 盆地の端の村から順に侵略され、中ほどにある八女村にも襲いかかって来た。

「オヤジ、大変だ。隣国の侵略だ。ものすごい数でやって来た! 早く逃げよう!」

 スサノオは父の許へ駆けこんできた。

「慌てるな! 逃げてはならん。この村を守るのだ。皆剣をとれ!」

 父ツチモリが、狼狽(うろた)えることなく、家人たちを鼓舞した。父はあくまで戦うつもりだ。

「しかし、相手は圧倒的に多数だ。ここはひとまず逃げたほうが!」

 スサノオは父を無理やり連れ出そうとした。しかし、時すでに遅く敵は屋敷の前にまで来ていた。村人は既に大勢殺されていた。スサノオたちの屋敷もたちまち包囲された。

「俺が先に飛び出して道を作るから、オヤジは後に続いてくれ」

 そう言うとスサノオは傍らにあった梯子(はしご)を担いで表へ飛び出した。

「ウワァー」

 その勢いに敵は一瞬怯んで後退した。スサノオは梯子を振り回して敵を追廻し、父の逃げる道を作った。

「早く、オヤジ」

 父ツチモリが思い切って表へ飛び出した。すると、敵はスサノオには目もくれず、今度はツチモリへ一斉に攻撃をかけた。あっという間にツチモリは取り囲まれ、次の瞬間、敵兵の一人がツチモリを槍で突くと後の者が次々と槍で突き刺した。

「うぐっ」

 ツチモリが声にもならないうめき声をあげてその場に倒れた。飛び出すのが遅れた母ナツメがそれを見て悲鳴を上げてツチモリの所へ駆け寄った。敵は情け容赦なく彼女も槍で突き刺した。

「あなたぁ」

 と絶叫して母ナツメがツチモリの上に崩れ落ちた。

 敵を打倒し退路を開いていたスサノオは、母ナツメの絶叫に我に返り、梯子を振り回しながら声を張り上げて二人の傍へ駆け寄った。二人は既に息絶えていた。

「オヤジ! おふくろ!」

 スサノオは、狂ったように叫ぶと、敵に向かって行った。その時のスサノオの力は凄まじく、両腕にそれぞれ敵の兵士の頭を掴んで振り回したり、首をへし折ったり、腕をもぎ取ったり、怪力の続く限り暴れ回った。

 しかし、いかに彼が並はずれた力持ちであっても、一人の力では、強力な軍隊を相手に歯が立つわけは無く、最後には手傷を負ってその場から逃れるしかなかった。

「おのれ、クマソ、必ず戻ってこの仇はとってやる」

 スサノオは涙をぼろぼろ流しながら八女村の戦場から走り去った。

 葦津の原は完全に火の国の軍に占領されてしまった。そこには殺された村人の死骸の山と縄で縛られ奴隷になった人々が残った。

 平和な村が一瞬で地獄に変わった。

         四

 スサノオは命からがら山へ逃げて、山奥の龍神池にたどり着いた。龍の神様が住むと伝えられるその池は、深い森の中にあり、静かで、薄緑の水面に波の立つことさえなかった。

 スサノオは日が暮れかけて薄暗闇の池の水面をじっと見つめていた。深い悲しみと激しい怒りで彼の胸は張り裂けそうであった。

「龍神様、俺たちは葦津の原で平和に暮らしていました。村人たちは互いに助け合い、毎日幸せに暮らしていました。それなのにどうして、罪もない俺たちにこんな地獄がやって来たんですか? 俺はクマソが憎い。龍神様、俺に復讐の機会を与えてください。このままで終わるわけにいきません」

 スサノオは、池の水面に向かって叫んだ。そして、大声で泣いた。

 静寂の中にスサノオの叫び声が響いた。すると、どこからともなく冷たい風が静かに流れ、スサノオの頬を撫ぜていった。静かであった水面にかすかな波が立ち始めた。やがてその波は徐々に大きくうねり、突然、ドドオー、と水柱が立った。その水柱の後に巨大な紫色の龍がするするとその姿を現した。爛々と輝く龍の眼がスサノオをじっと見つめた。スサノオは驚いて思わず腰を抜かしてしまった。

「スサノオよ、わしはこの池の主で、葦津の原の守り神、龍神である。わしは又、この世をお創りになったアメノヒカリノオオカミ(天光大神)に仕えるものである。この度、大神よりそなたを助けよとの命を受けた」

 龍の声が低く、辺りに響き渡った。

「そなたは、人心が麻のごとく乱れた人間世界を統一し、世界の王となり、人々に秩序と平和をもたらす使命を、大神から授けられている。このことを決して忘れるな」

 しかし、突然そんな大それた使命を告げられてもスサノオには何と答えようもない。

(龍神様、俺は今それどころじゃないんです)

 スサノオには龍神の言葉の重さがまだ分かっていない。

「ようく聴け。この度の村の悲劇はそなたに与えられた第一の試練である。そなたにはこれから第二、第三の試練が襲ってくる。そなたはその試練に打ち勝たねばならぬのだ。そなたは火の国の襲撃で国を追われ、自分の力の無さを嘆いておるであろう。この世には、一人ではいくら勇気と力があっても勝てぬものがある」

(分かっています。だから、竜神様のお力が欲しいんです)とスサノオは嘆いた。

「お前はまだ世界を知らぬ。これからは他人(ひと)の助けも借り、力を合わせることの強さを学べ。そして、広い世界を知れ。そうすれば、葦津の原を奪還し、火の国を滅ぼすことが出来るであろう。大神はそなたにその力は与えておられる」

 スサノオはただ、じっと龍神の言葉を聞くしかなかった。

「スサノオよ、その後も人間世界を統一し世界の王になるため、戦いを続けるのだ。そなたは大神自らが創られた神の子である。他の人間とは違う、神の子である。それを決して忘れるでないぞ」

 竜神から、思いもよらぬ畏れ多い己の運命を聞かされ、スサノオは次第に全身に震えを覚えた。

(俺が神の子? この乱暴者の俺が神の子?)

「そなたは地上の人々に秩序と平和をもたらすことが出来るまで、自らの命を顧みず戦い抜くのだ。必ずや大神はそなたを助けて下さる」

 龍神から、大きな使命を言い渡され、スサノオの心のどこからか、炎がめらめらと燃え始めた。

「龍神様、分かりました。もちろん、俺は自分の命など何も惜しくありません。俺は恩を受けた人々の為、葦津の原を取り戻し、親の敵を討ち、火の国を滅ぼすために命を懸けて戦います。また、その後も地上の王となり、世界の秩序と平和の為にこの身を捧げます」

 スサノオは力強く龍神に誓った。

龍神が続けた。

「よし、お前の誓いをしかと聞いた。それでは、これから次の四人の者に会え。彼らは他国からこの平和な葦津の原に移り住んできた者たちばかりだ。彼らはかつて、そなたのように火の国の軍に故国を侵略され、追われてこの地に身を隠していたのじゃ。彼らは必ずやそなたを助けてくれるであろう」

(そうか、やはり、他にも俺と同じ境遇の人間がいたんだ。そいつらと一緒に戦うのも面白い)

「先ず、天星村に住んでいたグスト、月星村のカンダイ、天雲村のダイス、日々村のヤスクである。彼らは今回、再び火の国の軍に追われ、グストは亀岩の裏に隠れている、カンダイは葦津の原のすぐ近くの墓場に隠れ様子を窺っている。ダイスは雨雲村の村長とともに山道を東に逃げている。ヤスクは鶯の森に潜んでおる」

 スサノオは、必死でそれらの名前と場所を記憶にとどめた。

「彼らを見つけ出し、彼らと協力し、火の国の軍隊と戦うのだ。そして、もしもそなたたちが窮地に追い込まれたときはわしを呼べ。そなたたちの働きが自分の身を顧みないほど真剣であれば、わしがそなたたちの力になろう」

 龍神の言葉を聞いて、スサノオの体に力が漲って来た。

「この戦いに勝利したら、わしを祀る神社をこの池の畔に建てて、毎年春に供え物をしっかりとして拝むのじゃ。分かったか?」

 龍神がスサノオを爛々と輝く目で睨んだ。

「分かりました」

 スサノオは心底から竜神の仰せに従い戦うことを誓った。

「それではすぐに発て」

「ありがとうございます。おっしゃるとおりにさせていただきます」

 スサノオはお礼を申し上げ、いつまでも地面に額を付けていた。

         五

 翌朝、スサノオは早速、四人を探しに出かけた。最初は亀岩にいると言う天星村のグストを探した。グストは亀岩の裏の洞穴に隠れていた。グストは剣と弓矢の名人であった。彼の頭は既に白く、白いひげが顔半分を覆っていた。グストは老年期に入りつつあった。スサノオは龍神様からのお告げでやって来たことを伝え、今までの事情を説明した。

「私はあなたの来るのを待っていました。夢の中に龍神様が現れ、これからこの地上の世界を支配するお方が私を迎えに来る、その方を助けよ、と告げられたのです。お伴をさせていただきます」

グストが、深く頭を下げ、忠節を誓った。グストはスサノオの剣と弓矢の師範となり火の国との戦に協力すると約束した。

 スサノオは龍神の言葉が真実であると確信した。

(俺の後ろには龍神様が控えている。もう、何も怖いものはない)

 次に、スサノオは月星村のカンダイを探した。カンダイは戦の歴史に詳しく、又、様々な戦略に長けた軍師であった。髪は長く綺麗に櫛がかかっているようでつやつやしていた。年は三十ぐらいであった。カンダイは墓場に隠れていて、ときどき占領された葦津の原の敵の動きを分析していた。スサノオは彼に協力を頼んだ。カンダイもグストと同じように、夢でお告げがあったことを話し、彼の伴をすることを約束した。

 スサノオは二人を連れて、次に天雲村のダイスを探した。ダイスは村長と共に山道を東に向かって逃げていると龍神が言っていた。三人は、山道を東に逃げるのならどの道を通るか考えた。

「檜峠だ!」

 カンダイが気が付いた。

 三人は急いで檜峠に向かった。

「いた!」

 ダイスが雨雲村の村長の手を引きながら峠を越えようとしていた。

 三人はダイスを捕まえて、龍神の話と火の国との戦の話をした。ダイスは雨雲村の村長に厄介になっていた行商人で、雨雲村に薬を売りに来ていたのだった。

 スサノオは助けを頼みに行った。

「村長にてこずっていて助けが欲しかったので、とりあえず協力します」とダイスが応じた。

 ダイスは、顔は丸くて背が低く小太りではあったが動きは素早かった。ダイスはしゃべりが上手で人を手玉に取ることのできる商売人であった。

 最後に日々村のヤスクの所に行った。龍神に教えられた通り、鶯の森に行くとヤスクがいた。

 事情を話すとヤスクも龍神のお告げがあったと話した。ヤスクは正直者で何事にもコツコツと励み、几帳面で正確に物事を成し遂げる男であった。ヤスクはスサノオより若く、まだ十六歳であった。ヤスクがスサノオの誠実な話しぶりに共感し、スサノオと行動を共にすることを誓った。

 剣と弓矢の師範グスト、軍師カンダイ、商売人ダイス、几帳面なヤスク、それにリーダースサノオと、役者は揃った。

 スサノオの反撃の準備は整った。

 五人は龍神池の畔で作戦を練った。

        六

 火の国はその当時勃興していた国家と言う集団の一つで、クマソ王が支配し、特に軍事力は強大で他の国とは比べ物にならなかった。火の国は今や当代一の国家になろうとしていた。

葦津の原を占領の後には、クマソ王の弟オニタカ将軍と千人の兵士が駐屯し、司令部には強固な城を築きつつあった。

 一方、侵略前の葦津の原では、各村が村の周りに濠を造り、木の柵で囲っていたが、形だけのもので実質的には無防備に近かった。もちろん軍隊などない。だから火の国が攻め込んで来ても何の抵抗も出来なかった。その為、あっという間に葦津の原はクマソの国の支配地に成ってしまったのだ。

五人はそこで先ず山中に逃げ延びた村民を探し集めた。逃げ延びた村民は、村が気になって離れられずに山中で彷徨(さまよ)っていた。

 村民にグストが軍事訓練を施した。

スサノオらは、村民たちを少人数だが抵抗軍に育て、クマソの軍の食糧庫を襲ったり、武器庫を襲ったり、重要拠点に局地的な奇襲をかけた。ヤスクが戦闘できないものに弓矢をせっせと作らせた。

クマソの軍が神経的にまいってくるとさらに奇襲攻撃を活発化し、奴隷になった村民を救出し配下に収め、勢力を強めて行った。

 クマソ軍は、それに対し、抵抗軍狩りを強化し、スサノオの仲間とみなすと見せしめのため残忍な刑に処した。いよいよ戦争が泥沼化していったのである。

 スサノオは局地戦をただ続けるのではなく、戦局を転換させ、本格的に征服軍を攻略する方法とその時機を考えていた。この局地戦を戦っている間に、クマソ軍は城を完成させてしまった。

(このままでは敵はどんどん強固な守りになってしまう)

 スサノオはカンダイに相談した。

「スサノオ様、私は既にその策を考えております。春の雪解けの時期を待ち、城の裏側の崖から雪崩を起こして一気に城を落とす、と言うのはどうでしょうか?」

 カンダイが提案した。敵の城は崖を背にして建っていた。裏からの攻撃を防ぐためであった。

「なるほど、それは良い考えだ。敵は後ろが絶壁だから、全く背後からの攻撃については頭にないはずだ。それは名案だ。さすがカンダイ、それで行こう! 皆の者、早速それに向かってすべて準備しろ!」

 スサノオの抵抗軍はその時期が来るまで局地戦を続けた。

         七

 やがて、雪解けの春がやって来た。作戦実行の日は、満点の青空に白い雪が眩しかった。

 スサノオは自ら雪崩担当の者たちと共に城の裏側の崖に上り、雪解け間近の弛んだ積雪を崩れさせる準備に入った。

 崖の上の山の頂上から、先ず木を伐り倒し、又そこにある大きな石や岩を同時に転がす作戦だ。

それをきっかけに雪崩は発生する。雪崩が起きれば、その雪の洪水は確実に敵の城に襲いかかり、破壊する。その後に攻撃を仕掛ければ、相手が多数でもこちらが勝てるとスサノオたちは考えた。

 スサノオたちはその時を待っていた。短気なスサノオにとって、指示が来るまで待つ状況はかなり辛い。

(みすみす目の前に敵を殲滅するおぜん立てができているのに、カンダイは何をしてるんだ。敵に気づかれてしまう)

 イライラしながら、合図を待った。

遂に、すべての準備ができたとの報告がスサノオの許に届いた。

「やっとその時が来た。いいか、死に物狂いで戦うんだ。我々の故郷を取り戻そう!」

 スサノオは、自慢の怪力で、先ず目の前の大石を気合いもろともググッと前へ転がした。

 直径が人の背丈ほどある大石はゆっくりと回転し始めた。そして、徐々に速度を速め雪を体に巻きつけながら崖の方へ回転していった。

 同時に 切り倒された大木が兵士たちによって転がされた。

 腹の底にまで響く重低音と共に積雪が崩れ始めた。それは見る見るうちに大きな雪崩となり、崖を落ち、オニタカの城を襲った。真っ白い煙を吐き雪崩はあっという間に城を砕き建物を埋めた。

「かかれ!」

 カンダイがそれを見て攻撃の号令をかけた。抵抗軍は勢いよく城に攻め込んだ。しかし、雪崩から生き延びた敵兵は、もはや戦う力はなく、意外なほど簡単に降伏した。

「一兵たりとも逃がすな、捕まえて奴隷にするのだ。火の国に逃せば、すぐに敵の援軍が来る。絶対に逃すな」

 スサノオは兵士たちに命令した。

「オニタカ将軍は見つけたか? 彼を探せ、死んでいるなら遺体を見つけろ」

 しかし、なかなか将軍発見の報告は入ってこなかった。

 スサノオは焦った。いくら待っても、将軍発見の報は(もたら)されなかった。

 結局、スサノオたちはオニタカ将軍を見つけることができなかった。

 オニタカ将軍は雪崩が落ちかけて来た時、運よく屋外におり、それを見るなり一目散に城の外へ逃げ出していた。彼はその後、城が落ちるのを見て、火の国へ逃げてしまった。

「これはいけません。オニタカが火の国に戻れば、すぐさまクマソが大軍で攻め込んでくるでしょう。そうなれば、今までの苦労は水の泡です。とても、彼らの大軍には勝てません」

 カンダイが苦虫をかみつぶしたような顔でスサノオに語った。

 城を落とした喜びもつかの間、スサノオはすぐさま次の大きな戦を考えなくてはならなかった。

「至急幹部たちを呼べ。作戦会議だ」

 幹部たちの前でスサノオが状況を説明した。

「クマソの軍が攻め込んでくるとすると、彼らの兵力は優に五千は超えると思う。 それに対し我々の兵力は村人あわせて総勢で八百ほどだ。これでは初めから勝負はあったようなものだ」

 スサノオは嘆いた。

「数の上ではとてもかないません。戦うには知恵が必要です」

 カンダイが、落ち着き払ってスサノオに提言した。カンダイが、無勢が多勢を負かせる戦い方を地図を広げて説明した。

「基本はこれまで通り奇襲作戦です。先ずは敵をこのイノシシ谷に誘い込み、狭いところで戦うのです。谷に誘い込んだら、谷の上から石や木材を投下する。混乱させたところで林の中で待ち伏せしていた部隊が急襲する。こちらは無勢なので、ある程度敵を撃破すれば深追いせずさっさと引き上げるのです。こうして敵の力を徐々に弱めていくのです」

 カンダイが淡々と作戦を披露した。

「しかし、敵が従来の山道に戻って攻めてくればどうするのだ?」

 グストが気になる点を指摘した。

「敵が前回攻めてきた山道は、今すぐ岩や大木で完全にふさいでおかなければなりません」

 カンダイが即座に答えた。

「なるほど、今となってはそれしかあるまい。全員、早速準備にかかれ!」

 スサノオたちは直ちにその準備にかかった。

         八

 クマソ王は、スサノオに劣らぬ大男で、その上、目が鬼のように鋭く、その姿だけで人々は恐れおののいた。

 クマソがオニタカ将軍の報告を聞いて激怒した。

「馬鹿者! 村の残党に城を破壊されるなどとはなんと情けないことか! そんな奴らはすぐさま皆殺しにせよ! 討伐軍を送るのだ」

 クマソが烈火のごとく怒り狂うと、スサノオの予想どおり五千の大軍を葦津の原に送った。今度は司令官にドウケツ将軍が任じられた。討伐軍は直ちに火の国を出発した。

 遂に最後の決戦の時が来た。

 クマソの兵力は五千、スサノオの兵力は八百である。五千の大軍が山の中を進軍してきた。しかし、前回、敵が攻めてきた山道はスサノオらの手によって途中で完全に塞がれていた。

「スサノオ軍め、我々の行く手を封じ込めたつもりか? しゃらくさい、ええい、道を探せ、道はあるはずじゃ」

 司令官ドウケツが吐き捨てるように言った。結局、火の国の軍はやむなくイノシシ谷の方へ向かった。

「敵がやってきました」

 スサノオ軍の偵察が慌てて戻って来た。

「まんまと罠にかかりおった。さあ、作戦開始だ。第一軍、攻撃にかかれ!」

 カンダイが命令を下した。

 おとりの攻撃隊が大きな喊声を上げながらクマソ軍に襲いかかった。

「敵襲だ!」

 虚を突かれたクマソ軍が、慌ててそれに対抗してこちらに攻め込んで来た。すると、スサノオ軍の攻撃隊は(きびす)を返して今度は退却しだした。

「小心者め、恐れをなしたか!」

 クマソ軍がそれを見て勢いづきその後を追ってきた。

「いいぞ、うまくいった。皆の者、焦るなよ。所定の場所まで誘い込むまで動くなよ!」

 カンダイが兵士たちを鎮めた。

 攻撃隊はカンダイの作戦通り敵を待ち伏せしている場所に誘い込んだ。

「今だ!」

 カンダイが攻撃命令を下した。

 スサノオは自らが先頭になり、その合図と共に、谷の上から石や木材を投下した。スサノオは自慢の怪力を発揮した。彼は大石を軽々と抱え、手当たり次第、谷底の敵に向かって投げつけた。それらの大石は大混乱に陥った敵の兵士たちを無惨に押しつぶしていった。土煙の中を右往左往する敵は、恐怖で顔は引きつり悲鳴を上げて逃げ場を探した。

「放て!」

 その上へ、スサノオ軍は次々と矢を放った。敵がバタバタと倒れて行った。

「かかれ!」

 今度は待ち伏せていた第二軍が襲撃だ。敵は反撃する余裕もなく大勢の犠牲者を出した。遂に浮き足立った敵は戦意を失い退却していった。

 出だしは計画通りに成功した。

       九

 そんな中、退却していく敵兵を待ち伏せ、襲撃した部隊から報告があった。

「敵の副将軍らしき者を捕虜にしました」

「それはでかした。すぐに来許(こもと)へ連れてこい」

 スサノオは喜び命じた。早速、副将軍らしき者がスサノオの前に引き出された。

 スサノオは一目見て驚いた。その者は副将軍らしき鎧兜を付けてはいたが体の形ですぐに分かった。なんと、女であったのだ。

「女ではないか! これはどういうことだ? それも副将軍? なぜだ? なぜ女が副将軍なのだ? 可笑しいではないか? ひょっとするとこれは罠かもしれんぞ?」

(こやつはどんな顔をしておるのだ?)

 スサノオは早く顔を見たくなった。

「兜を取れ」

 家来が女の兜をとった。

 そこに現れたのは、兵士の姿からは想像できないそれは若く美しい女であった。

女は美しいだけでなく、目がきりっと引き締まり、その顔に隙は無かった。女の髪は長く後ろで括られていて、鼻筋はすらりと通り、唇はつやつやしたリンゴのように赤かかった。

女がスサノオの前に姿を現したとき、スサノオは(しん)(ぞう)をギュッと掴まれたような衝撃を受けた。

 二人は互いを見てはっとした。互いの両耳たぶには天の文字が赤く浮かび上がっていたのである。その瞬間、二人は互いの運命を悟った。

「そなたは何者じゃ?」

 スサノオは少したじろぎながら尋ねた。

「私は火の国の副将軍、スイレンと申します」

 彼女の言葉はきっぱりとして堂々としていた。

「あんたのような女がどうして副将軍なのだ?」

 スイレンが返事をしなかった。

「なぜ返事をせん?」

 スイレンがやはり返事をしなかった。

 傍らにいたカンダイがそばによって低い声で言った。

「スサノオ様、ひょっとして、クマソ王の娘ではござりませぬか?」

「なに? 娘? クマソ王にはこんな男勝りの娘がおるのか?」

(まさか、娘を戦場に出すなど、ありえない)

 到底信じられない報告だった

「はい、男勝りの武勇の娘がいると、私は以前そのような噂を小耳にはさんだことがございます」

「そうか、しかしそれはにわかに信じがたいな。よし、とにかく、この者を陣屋の方に丁重にお連れしろ。大事な人質になる」

 スサノオはスイレンを丁重に扱い保護した。

 しかし、スサノオはスイレンを人質として取引する気は毛頭なかった。スイレンを放したくないと思ったのだ。

       十

 戦いは続いた。

 スサノオ軍の攻撃は敵に打撃を与えているが、残念ながら余りにも敵の数が多すぎた。遂に谷を抜ける手前にまでクマソ軍は進行してきた。

 敵が谷を抜けてしまえば、葦津の原は再び敵のものになる。しかし、スサノオの軍にはそれを止める力はもう残っていなかった。

「どうしよう? 我々の力も最早これまでか?」

 スサノオはカンダイたちに焦りながら、諮った。さすがのカンダイたちも黙っていた。長い沈黙が続いた。

 その時、スサノオは龍神の言葉を思い出した。

(そうだ、今こそ龍神様にお願いする時だ!)

 スサノオは天を仰いだ。

(きっと龍神様は私たちを助けて下さる)

 タケルはひざまずき、一心不乱に天に向かって祈った。

「龍神様、どうかお力をお貸しください。もう俺たちの力だけではどうにもなりません!」

 スサノオは家来たちの前で、両手を合わせひたすら天に向かって祈った。

 しばらくすると、見る見るうちに大空が真っ黒な雲に覆われ、雷鳴が轟き、大粒の雨がざあざあと降ってきた。スサノオはびしょ濡れになりながら空を見上げると、なんとあの紫の龍神がするすると天に上り、天空に向かって大きな口を開き火を吹いているではないか!

「見ろ、龍神様が我々を助けに現れた!」 

 タケルは歓喜の叫びをあげた。

 龍神が火を吹くのに呼応して風雨は強まり、谷川は見る見るうちに水かさが増えて行った。

 クマソの軍はそれを見て、なす術もなくただ恐れおののくばかりであった。

 やがて上流から轟音とともに厖大な濁流が押し寄せてきた。濁流は大木や岩を巻き込みながらクマソ軍に襲いかかった。クマソの大軍はあっという間に濁流に呑まれ、葦津原の沼地に次々と流され消えていった。

 嵐は治まり、青空が再び広がり、いつの間にか龍神は天空に消えていた。思いもよらぬスサノオ軍の大勝利となった。クマソの軍は五千の兵のそのほとんどを失ってしまった。

「龍神様、ありがとうございました。おかげで火の国を破ることが出来ました」

 スサノオは天を仰いで大声でお礼を言った。家来たちも皆土下座して感謝の意を表した。

 スサノオはこの時に一気に火の国を攻めたかった。今ならさすがの火の国も抵抗できまい、と考えた。しかし、抵抗軍の損害も大きく、更に火の国には戦意を喪失しているとは言え三千ほどの兵力がまだ残存していた。

「スサノオ様、短気はなりません。このまま戦えば返り討ちに会うことも考えられます。ここで、我々の力の回復を待ち、軍備が整ってから攻め込むのがよろしかろうと思います」

 カンダイが進言した。スサノオはそれでも今行きたい、という衝動に駆られたが、ひとまず、カンダイの言う通りにしようと思った。 

        

第三章葦津の国の誕生

         一

 スサノオは葦津の原を一つの国とし、その名を葦津の国と名付け、その王となった。グストは軍を統括する将軍となり、カンダイはスサノオの右腕として左大臣になり、ヤスクは農耕長官として食料の安定供給を担う重要役人に任ぜられた。ダイスは商工長官になった。

「我々が大勝利を収めたのは偏に龍神様のご加護のおかげ。このお礼には全員で竜神の池に参らねばならない。心からお礼申し上げよう」

 カンダイら重臣たちに指示をした。

「もちろん、我々もそのつもりでございます。沢山のお供えをいたしましょう」

 カンダイらが喜んでその指示に従った。

 スサノオは彼らを引き連れ龍神の池の畔に立った。

 龍神の池は人間世界の混乱とは無縁の静かさでスサノオを迎えた。

「龍神様、この度の勝利をありがとうございました。御礼に参りました」

 スサノオは池に向かってお礼を述べた。スサノオのその声は波ひとつ立たぬ池の水面に吸い込まれていった。

 しばらくすると、冷たい風が吹き始めた。水面に波が立ちそれが次第に大きくなった。やがて池の水は火山の噴火のように吹き上がりその中から龍神が姿を現した。

 龍神が話し始めた。

「このたびはご苦労であった。約束通り、お前が民の為に命を懸けて戦っているのを見て加勢をしてやった。しかし、スサノオよ、いつも助けてもらえると思うな。これからは、自分の力で運命を切り開くのじゃ」

 スサノオは、その言葉を自分自身でも言い聞かせていた。

「大神は仰せられた、お前はもう一度わしの助けを受けるだろうと。しかし、それは最後の助けじゃ。それ以後の助けは無いと思え。決して安易にわしを頼りに思うではないぞ。それから、このたびの活躍に対し、わしから褒美としてこれを取らす」

 龍神は体の一部からうろこを引き抜きそれに息を吹きかけた。するとそれは見事な龍の頭を持った剣に変身した。スサノオはありがたくそれを頂戴した。

「ありがとうございます。これからも命を懸けてこの世の平和のために戦います」

 スサノオは感激して龍神に誓った。

 その後、スサノオは龍神池に龍神を祀る神社を建立し毎年秋に盛大にお祭りをした。

 スサノオは十九歳になっていた。スサノオはスイレンを妃に迎えた。それが運命であることを信じていた。スサノオは、スイレンを一目見た時から愛していたのだ。スイレンも同じであった。二人は結ばれる運命を疑わなかった。

 しかし、スイレンはクマソの娘である。敵の王の娘なのだ。

「なんで、私の愛するあなたは敵国の王なのでしょう? あなたを一目見た時から、もう私たちの心は決まっていました。しかし、二人は敵同士、私はその運命(さだめ)を恨みます」

 スイレンがスサノオの腕の中で自分の運命を嘆いた。

        二

 やがて十年の月日が流れ、二人の間に三人の息子が生まれた。長男の名はタケル九歳、二男はサトル七歳、三男はカケル五歳の三兄弟であった。

 タケルは父親に似て勇猛果敢で無鉄砲なところがあった。体は父スサノオほどではないが他の同世代の少年に比べて一回り大きかった。サトルは慎重で思慮深かった。カケルは単純で気弱であった。

 この十年はスサノオ一家にとって最高に充実した幸せな日々であった。葦津の国はその間、スサノオの努力で戦争の傷も癒え、国力は増しつつあった。

 一方クマソの火の国は約一万の兵の内、進攻した五千の兵のほとんどと、葦津の原に駐留していた兵千人と、戦争につぎ込まれた大量の物資を失い勢力が衰えていた。更に、クマソは、かわいい娘のスイレンが敵の王の妃にされてしまった情報に怒り狂っていた。

「あれの母親ツバキが早く死んでしまったために、わしがあまりにも可愛がって育ててしまった。そのため、あんな男のような娘になってしまった。戦に絶対負ける筈がないと信じていたわしが、スイレンを副将軍に就け、戦場にまで行かせてしまった。わしの大失敗であった。絶対にスイレンを取り返さねばならぬ」

 クマソは必死に態勢の立て直しを図った。

元々、火の国はその名の通り火龍山と言う火山のふもとの国であり、土地は肥沃で人々の暮らしは豊かであった。この国の回復は意外と速く、十年で葦津の原再進撃の準備は整っていた。クマソの周りには悪知恵の働く左大臣のソントクと呪術師のインケンがいて、クマソは彼らの意見を聞いて行動していた。

 クマソは彼らと葦津の国の再攻撃と娘スイレンの奪回策を練っていた。

「今度の戦は、絶対に失敗は許されぬ。前にもまして大軍を送り一気に攻め込むぞ」

 クマソは不退転の覚悟で重臣たちを叱咤した。

「王様、お気持ちは分かります。しかし、今回はもっと慎重に事を進めるべきではないか、と思われます。 前回の敵の策略は決して思い付きではありません。誰か、知恵を出しているものがあります。気を付けなければ」

 ソントクは知恵者であった。短気で乱暴者だったスサノオの力だけではこの度の戦の勝利はできなかったと見破っていた。

「私は既に葦津の国に密偵を派遣しております。もう少し、お待ちください」

 策略家のソントクが、自らの策略を打ち明けた。

         三

 葦津の国では、四人の重臣の内、ダイスだけがあまり幸せな顔をしていなかった。

ダイスは自分の待遇が他の三人に比べて劣っていることに不満を持っていた。戦争には直接かかわってはいなかったが、兵站での活躍は皆の知るところであったからだ。

 スサノオ軍の食料や資材の調達はダイスが走り回ってできた。それなのにいつもヤスクばかりが誉めそやされて恨みが積もっていた。

 葦津の国に送り込まれた密偵はジャソクと言い、外見はいかにも人のよさそうな顔をして言葉が巧みであった。ジャソクが、ダイスと同じく諸国を回る薬売りに化け、ダイスに近づいた。

 ジャソクが、ダイスの状況を知り、他の三人に比べて待遇が悪いとけしかけた。

「あなたはこのままではいずれ年老いてただの商人の頭で朽ち果ててしまいます。あなたはもっと上に行って力を発揮すべきだ。あなたの王はあなたの本当の実力を知らない。私があなたの力になれる人を紹介しましょう」

 ジャソクが、言葉巧みにダイスを誘惑し、味方に引き込んでいった。要領が良くて目先の利くダイスは、ジャソクらにはもってこいだった。

ダイスが紹介されたのはこれまたクマソの国から忍び込んできたユウゲンと名乗る、呪術師インケンの弟子であった。

 ダイスはジャソクの言葉に動かされた。早速、村はずれの山すそにある洞穴に住んでいたユウゲンを訪ねた。

「私にはあなたの未来が見える。このままではあなたは上の三人に無視され捨てられます。あなたは実はこの国の王にでもなろうかと言うお方だ。このような有能な人でもさすがにこのままでは浮かび上がることは出来ません。そこで先手を打つべきです。あなた一人ではこの大事はなしえないが、隣国のクマソ大王の助けを借りればそれは出来ます」

 ダイスにとって、ユウゲンの誘いは魅力的であった。ダイスはスサノオを裏切った。

ダイスは、ジャソクらの密偵として葦津の国の情報をくまなく漏らすように仕向けられた。

         四

 スサノオはダイスがクマソの密偵になっているなど知る由もなく、戦争で荒れ果てた葦津の国を、もう一度豊かにする事業に没頭していた。

 スサノオは、今や、乱暴者の若者ではなかった。立派な一国の王として、落ち着きと威厳を備えていた。

スサノオも、火の国との戦から十年経って、やはり、火の国が気にかかっていた。

(先の敗戦は火の国にとって大きな痛手だったに違いない。彼らが復興するのには相当時間がかかるだろう。しかし、気が付けばもう十年経ってしまった。そろそろ、彼らが勢力を回復して攻めてくる頃かもしれん。しかし、我々はまだ十分ではない。もう少しだけ時間があれば軍備が整うのだが)

 だが、スサノオの心配は的中した。

 火の国が再度葦津の国を侵略する準備をしているとの情報が入った。

(やはり、来るものが来たか?)

 スサノオは焦った。

(今の我が国の力では又苦戦を強いられる。下手をすると何もかも失ってしまうかもしれん)

 スサノオは悩んだ末、スイレンにその悩みを話した。

スイレンが、一瞬、驚いた様子を見せたが、やがて落ち着いて話し出した。

「スサノオ様、私は何時かこういうときが来るのを覚悟していました。私をクマソ王の所へ行かせてください。もう二度と戦争などしないように父を説得いたします。私はあなたの妻でありクマソ王の娘、いわばあなたとクマソ王は義理の親子、血など流さなくても一緒にやっていけるはずです。きっと父を説得してまいります」

 妻の願いはよく分かる。お互い義理の親子だ。無駄な血を流すのは忍びない。

「しかし、お前には悪いが、あのお方は悪知恵の働くお方、お前をそのまま返さないとも限らん。それはわしにとって一番つらいことだ。それを許すわけにはいかない」

 スイレンの気持ちは本当にうれしい。しかし、大事なスイレンをみすみすクマソの手に戻すわけにはいかない。

「スサノオ様、それでも、戦争を避けることができるのなら、やってみるだけの価値があると思うのですが」

 スイレンが執拗に食い下がった。スイレンが、今の平和で幸せな生活のありがたさ、大切さの意味を本当に理解しているのは分かる。戦争で再び多くの命が奪われるような事態は二度と起こしてはいけない。だからと言って、それを守るためなら、スイレンを犠牲にしても良いとは絶対に思わない。

スサノオは迷った。

(しかし、スイレンの言うとおり、ひょっとして話がうまくいけば、無駄な血を流さなくてもよいかもしれない。大事な家族を守ることも出来るかもしれない。戦争だけが解決の方法とは限らないはずだ。お互いが、ある程度譲れるところは譲るならできない話ではないかもしれない)

 スサノオはそうも考えた。スサノオは守りの気持ちに入っていた。

(誰でも戦争などしたくはない。できることなら平和に事が進めむならそれに越したことはない。万が一、話がうまくいかなかったときは仕方がない。その時は戦うだけだ)

 スサノオはスイレンに一縷の望みをかけてみようと決心した。

        五

 早速、葦津の国から使者が送られた。スイレンが両国の和平の話し合いの為に火の国に帰国するが火の国はそれを受け入れるか、という書状が託されていた。

 火の国がすぐさま返事を送ってきた。

「それを受け入れて話し合いに応じる」

 スイレンはその報を聞いて大喜びであった。

 まもなく、スイレン一行は火の国へ乗り込んだ。クマソは国中揚げてスイレンの帰国を歓迎した。

 スイレンは、早速、父クマソに会った。

「お父様、お久しゅうございます」

「おう、スイレン、よう帰ってくれたのう。こんなうれしいことはない。スサノオがよう許してくれたな」

 クマソが満面の笑みでスイレンを迎えた。

「お父様、このたびは和平の話し合いに応じていただいてまことにありがとうございます。スサノオ様も大変喜んでおります」

 スイレンも父の喜ぶ姿を見て、大いに喜んだ。

「そうか、しかし、わしはそんな話はどうでも良いのだ。そなたが帰ってくれて満足じゃ。こんな親孝行はないぞ」

 クマソがスイレンの話を無視した。

「お父様、真面目に聞いてください。和平の話し合いに応じると返答なさったではありませんか?」

 スイレンはすぐさま父の背信に反抗した。

「スイレン、今更何を子供じみた話をしておるのだ? わしがそのような話し合いに応ずるはずがないのは分かっておろうが?」

 クマソが端からスイレンの話など相手にしない。

「いいえ、私はお父様を信じていました。きっと私の話なら聞いてくださると」

 スイレンは必死で父に詰め寄った。

「だまれ、もうそんな甘ったれた話など聞きたくないわ!」

 クマソが遂に怒りをあらわにした。

 しかし、スイレンはかまわず話を続けた。

「私はこれ以上悲惨な戦争を繰り返して欲しくありません。だから、お父様にお願いに参りました。お父様、どうか戦争はおやめください。今や我が夫スサノオとは義理の親子ではございませんか?」

 スイレンは涙ながらに訴えた。

「何を言っておるのだ。そのような話、わしが頼んだわけではないわ。スサノオは、かわいい娘を奪った憎き男だ。許すわけにはいかん」

 クマソが、スイレンが帰って来て大喜びであった。彼にとって、唯一の心配が取り除かれたからだ。

案の定、この和平会談の結果は最悪であった。クマソが話を聞く耳は持たず、そればかりかやはりスイレンを返さなかった。

「お父様、余りにも卑怯な仕打ち、平和の話し合いに来ましたのにこれはだまし討ちです。今すぐ私を返してください」

 スイレンの目は今や父親を見る目ではなく、敵国の王に対する怒りの目であった。

「卑怯ではない。只の策略だ。わしは初めからあの肥沃な葦津の原を狙っていたのだ。それをもう一度、今から手に入れるまでのこと、話し合いの余地などあるわけがないわ」

         六

 人質がいなくなったことで遂にクマソが葦津の国に進撃を始めた。今度はクマソ自らが軍の陣頭指揮に立った。

 クマソが、今回は従来の山道を進んだ。イノシシ谷への誘いには二度と乗らないと決めていた。その為、道を塞ぐ木や石を取り除く部隊も連れて来ていた。クマソの軍勢は一万人に及んだ。

 クマソ軍の進撃の報はすぐにスサノオの所に届いた。

(やはりスイレンの力が及ばなかったか。スイレンは無事であろうな?)

 スサノオの心の痛手は計り知れなかった。

(わしはやはり甘かった。あのクマソに幾ばくかの期待を持ったのは間違いだった。こうなれば彼らと戦うしかない。このことは最悪の場合として覚悟していたことだが……)

 スサノオは、今回もクマソの大軍を相手にしなければならない。しかし、葦津の国の軍隊はまだ二千人しかいないのだ。

(今度こそ彼らに滅ぼされるかもしれない。龍神様にお願いしたいが、あと一回だけだ。はたして今がその時だろうか?)

 スサノオは悩んでいた。しかし、とにかく早急に作戦を立てなければならない。カンダイを始め重臣たちを呼んだ。

 カンダイがいつものように落ち着いて話した。

「スサノオ様、今度の戦いも初めのころに戻って、抵抗軍のように奇襲作戦で敵を混乱させる戦略を取るべきだと思います。真正面から戦ってはとても勝てるものではありません。その為に敵を一旦葦津の原に侵入させましょう」

「それはどういう意味だ? そんな危うい作戦で良いのか?」

 スサノオは、カンダイの大胆な提案についていけない。

 スサノオは、怪訝な顔でカンダイの顔を見た。

「葦津の原にクマソの軍を先ず誘い込むのです。彼らが葦津の原に入りこんだら、周りから火を放ち混乱に乗じて攻撃をかけ、敵の王を討つのです。今は稲田が刈取りの最中、火をかけるにはもってこいでございます」

(なるほど)とスサノオは思わず手を打った。

「もちろん、一年の収穫を思うと辛うはございますがこれしかないと思われます。兵力と兵力の戦法でなく、敵が混乱をしている間に王の命をとる、その一点に戦力を集中した効率的な戦をするのです」

 さすがはカンダイだ。的を射た作戦だ。

「なるほど、そうだな、みすみす敵を国内に入れるのは、辛いがそうするしかあるまい。そうしよう」

 こうして、葦津の国の軍は、火の国の大軍の進攻を黙って見過ごした。

 火の国軍が葦津の原になだれ込んできた。そしてあっという間に占領してしまった。しかしそこにはスサノオを始め葦津の国の民はひとりもいなかった。

 スサノオ軍の作戦は成功したかに見えた。

        七

 だが、その計画は進行する前に、既にダイスからクマソに知らされていた。

「ふふん、今度はそんな作戦か? そういつも騙されてばかりいるわけにはいかんわい」

 クマソはしてやったりとばかりににたりと笑った。

「どういたします?」

 同行してきたソントクが尋ねた。

「騙されてやろう」

「えっ?」

「騙されたふりで葦津の原まで一気に攻め込むのじゃ。そして敵が油断をしているところを別の部隊が背後から襲撃する。もともと数の上ではこちらが圧倒的に上じゃ。敵の待ち伏せ部隊と言えども、こちらの別部隊で十分倒すことは出来る」

 クマソはソントクの顔をじろりと睨んだ。

「なるほど、それでは早速そのように手配いたします」

 ソントクが直ちに準備に入った。

 つまり、クマソは騙されたふりをして葦津の原に攻め込んだが全兵力ではなかったのだ。ダイスからスサノオの軍がどこで待機しているか聞いていたクマソは、火をかけられる前に別部隊を送り背後から攻撃させた。

        八

 スサノオは、予想もしていなかった事態に直面した。

「何事だ!」

 背後からの攻撃にスサノオたちは慌てた。

「火の国軍の急襲です」

「なに! 火の国軍?」

「そんな馬鹿な。どうして我々がここにいることが分かったのだ?」

 スサノオたちはうろたえた。

 スサノオは軍の態勢を整えようとするが時既に遅く、味方の兵が次々と殺されていった。こうなると必死の抵抗もかなわない。スサノオの軍は、散り散りばらばらになり、そのほとんどが殺されてしまった。

 スサノオは少数の部下を連れて、命からがら戦場から逃げのびた。スサノオ軍の完全な敗北となった。

 更に、スサノオはこの戦いで左肩に敵の矢を受け負傷した。

 スサノオたちはまたもや龍神池に逃げこんだ。そして龍神神社の前に立ち、今の自分の状況を報告した。

「私は力及ばず、遂にクマソの軍に祖国を追いやられました。このままでは、我が国は滅びます」

悲しみの報告にもかかわらず、龍神池は波ひとつ立つことなく、濃緑色の静けさが支配していた。

 スサノオは、なぜ奴らにこちらの作戦が漏れたのかを考えた。

(敵の間者がいるはずだ。だがいったい誰だ? 誰がこちらの作戦を敵に教えたのだ?)

彼は部下を信用していたし、そんなことをする者も見当たらなかった。

(一体誰が……?)

 すると、突然、池から、低く辺りに響く大きな声が耳に飛び込んできた。

「それはお前の大切な家来のダイスである。ダイスが裏切ったのだ」

「ええっ、まさか、そんなことがあるはずがない!」

 スサノオは水面を見た。そこには龍神の姿はなかった。只、声だけが聞こえてきた。

「真実を見よ。お前は腹心の部下に裏切られたのだ」

「しかし、ダイスは龍神様に教えていただいた者、それが裏切るとは? これは一体どういうことでございますか?」

「確かにわしが薦めた人間にお前は裏切られたのだ。その意味を理解せよ。これはお前への試練だ」

「そんな……、今の私には理解できません。あれほど信用していましたのに」

「お前は自分の周りのことしか考えておらぬ」

 龍神が又、意味が理解できない言葉を発した。

「今でなくともよい、ようく考えてみよ」

 そう言われても、スサノオには、やはり、竜神の言葉の意味が理解できなかった。

「これからお前は南に向かえ。ひたすら南に向かうのじゃ。そして、様々なことを学び、修業をし、多くの人々と会うのじゃ。そうすればいずれ葦津の国を取り戻す力を与えられるであろう。やがてその意味も分かって来る。さあ、今すぐに発つのじゃ。もうすぐ追手がやって来る」

 龍神の言葉はこれで終わった。

 ふと、目が覚めた。

(今のは夢か? それとも、龍神様の本当のお言葉か?)

 一瞬、迷ったが(いや、龍神様のお言葉に間違いない。龍神様がわしにだけ仰せになったのだ)と確信した。

(お言葉の通りに南へ進もう)と心に決めた。

スサノオは一緒に逃げてきた家来たちを見回した。カンダイ、グスト、ヤスクがいたが、やはり、ダイスはいなかった。

「スサノオ様、お目覚めですか、皆が心配しております」

 カンダイが声をかけた。

「ダイスはいないのか?」とスサノオは確かめた。

「それが、見当たらないのです」とヤスクが心配そうに答えた。

「皆聞いてくれ。今、わしは龍神様から話を聴いた。この度の戦がこんな結果になったのは、ダイスの裏切りであったと仰った」

「えー」全員が驚きの声を上げた。

「まさか、ダイスが。……なぜでございますか?」

 ヤスクが、信じられない、といった表情で尋ねた。

「わしにも分らぬ。ダイスにはダイスなりの理由があったのだろう。今更それを詮索する気はない」

 スサノオは、そんな些事より、これからの、苦難をどう乗り切るかで頭がいっぱいであった。

 カンダイやグストは、いつものスサノオならば、ダイスの裏切りに烈火のごとく怒り狂うはずが、今のスサノオの悟りきった様子を見て、却って狼狽えた。

「良く聴け。竜神様はこう仰った。『ここ出でて、南へ行け。これから旅に出て、修行を重ね、充分な力を付けて戻って来い』と。ここに長居は無用だ。すぐにここを離れよう!」

 スサノオは龍神に急き立てられるままに、カンダイ、グスト、ヤスク、それに生き残った兵士たちとわが息子三人の総勢百人を連れて龍神池を離れ、葦津の国に別れを告げた。スサノオたちにとって苦難と修業の旅が始まった。


第四章 苦難の旅

         一

 一行は葦津の原の盆地を去り、山の中へと入って行った。スサノオの傷は思いのほか深く、体力を段々と消耗していった。山の中の逃避行は困難を極めた。只々、星の位置を頼りに南へ進んだ。

(龍神様が言われた。わしは自分の周りの事しか考えておらぬ、と。その意味はどういうことだ? 分からん。わしは葦津の国の繁栄の為に命を懸けてきた。それなのになぜ?)

 病の床の中でスサノオは考えていた。(なぜ自分は信用していた部下に裏切られたのか?)その答えがどうしても浮かばないのだ。

 残念ながら、この時のスサノオの心の中は、最早、葦津の原の奪還とクマソへの復讐心しかなかった。自分の今の姿を思う時、クマソへの恨みは益々大きくなるばかりであった。

 悲しいことに、スサノオは龍神との最初の約束を忘れていた。葦津の原の奪還とクマソへの復讐のその先に、地上の混乱を治め、世界の人々に秩序と平和をもたらすと言う遠大な使命が待っていることを。しかし、その道は既にスサノオには見えなくなっていた。

(この旅はただ逃げ延びるだけの旅ではない。龍神様が言われたように、もっと外の世界のことを知らねばならない。これからの旅で、色々のことを学び、修業をし、多くの人々と会うのだ。やがてわしたちは力を与えられるであろう。そうして、いずれ葦津の国を取り戻しクマソの火の国を滅ぼすのだ)

 スサノオはそう理解していた。 

        二

 一年の歳月が流れた。彼の病は益々重くなって行った。

 スサノオは己の死が近づいているのを感じていた。彼の頭の中には幸せだったスイレンと子供たちとの生活が甦っていた。スイレンのその笑顔は彼の苦しみを全て忘れさせてくれた。子供たちのはしゃぐ姿が微笑ましかった。

(わしの人生はあの時のためにあったのだろうか? あんなに幸せだった日々が懐かしい。スイレンは無事であろうか? スイレンに会いたい)

 後ろを振り返れば、悲しくなるばかりだ。

(しかし、思い返せば龍神様から頂いた使命は家族との幸せではなかった。乱れた人間世界を統一し、世界の王になり、人々に平和と秩序をもたらすという壮大な事業であった)

 スサノオはやっと龍神の言葉の意味が分かったような気がした。

(わしは家族の幸せな生活を大切にしたいためにクマソと妥協をしようとした。わしは戦を恐れてしまった。そして今、クマソへの復讐ばかりを思い、火の国を滅ぼすことだけを考えていた。その先の重大な使命を忘れていた)

 スサノオは自分の使命に目覚めた。

(そうか。そうだったのか。その為に龍神様は私に試練をお与えになったのか?)

 スサノオはやっとなぜダイスに裏切られたのかが分かった。

(しかし、わしにはその役目は重すぎる)

 スサノオは自分の心の限界を感じていた。

(わしは家族より大神から与えられた使命を優先することができなかった。大神の期待に応えることができなかった。大神様お許しください。だが、わしには立派な息子たちがいる。わしの使命は彼らに託すことができるはずだ。今となっては彼らにその使命を託すしかない)

       三

 やがて、スサノオの命が尽きる時がやって来た。夜空に満月が煌々と輝いていた。スサノオは自分の死期を悟り、三人の息子と重臣を呼び寄せ最後の言葉を告げた。

「残念だがわしの命はこれまでじゃ。皆でわしの無念を晴らしてほしい。わしは龍神様と約束をした。必ず葦津の国を奪回し、火の国を攻め我らが領地とすることを。皆の者、わしは遂にそれをなし得ずにこの世を去る。わしが亡き後も皆でこの約束を果たしてほしい。しかと頼む。それからもう一つ、我妻スイレンを無事救出するのだ」

 スサノオは、まだ十歳の少年のタケルを呼び寄せて言った。

「龍神様が言われた。わしは天光大神からこの世界を統一し、世界の王となり、人々に秩序と平和をもたらす使命を受けた神の子であると。しかし、残念ながら、わしは我が身の幸せを望むあまりその使命を忘れてしまった。そして遂にこのような試練を受ける結果になってしまった」

 スサノオはとくとくとスサノオ家の背負っている大きな宿命について語った。更に、長男、タケルのこれからの使命について語った。

「お前がわしに代わってその使命を果たしてくれ。お前はやはり神の子である。お前にはその力がある。お前がこの地上を統一し、人間世界に秩序を取り戻すのだ」

 タケルが真剣にスサノオの言葉の一つ一つを聞き入っていた。

「そのためには、先ず、龍神様が言われた通り、ひたすら南に向かうのじゃ、そして、わしには出来なかったが、多くの人々と会い、学び、修業するのじゃ。そうすれば、龍神様は必ず葦津の国を取り戻す力をお前たちに与えられるであろう。その時は、憎きクマソの国を滅ぼし、わしの復讐をしてくれ、分かったな?」

「父上、死んではなりません」

 タケルたちは必死で父親を奮い立たせようとした。

 スサノオは傍らに置いてあった龍頭の剣を取り出した。

「この剣は龍神様よりいただいた宝物じゃ。これで敵を倒し必ずわしの思いを遂げてほしい」

 タケルはスサノオから龍頭の剣をしっかと受け取った。それは父スサノオにはふさわしい立派な剣であったが、タケルにはさすがにずっしりと重くて大きかった。

「龍神様はもう一度だけ、我々が窮地に陥った時に助けて下さるとおっしゃった。それは何時の事かは分からぬ。しかし、その時には必ずお前たちを助けて下さる。それを信じて必ず思いを遂げてくれ」

「父上、分かりました。必ず父上の恨みは晴らして見せます。そして母上を助け出します」

 それを聞いたスサノオは最後に声にならない声で言った。

「スイレンに会いたい……」

 やがて、スサノオはスイレンへの思いを残して息を引き取った。その時、スサノオはまだ三十歳であった。


「スサノオ大王ハ愛スル息子ト重臣、兵士タチニ看取ラレ、志半バニシテ天ヘト旅立タレタ。神ノ子スサノオハソノ使命ヲ果タスコトナク、愛スル妻ト二度ト会エルコトモナク、無念ノ内ニコノ世ヲ去ラレタ。龍神トノ約束ハコウシテ息子ノタケルニ引き継ガレタ」


三章 タケル王の誕生

         一

 尊敬する王を失った葦津の国の兵士たちは、今や心も萎え、火の国への復讐心も失われそうであった。

 しかし、タケルは違った。胸の中ではクマソに対する憎しみの炎が燃え上がっていた。平和な故国を蹂躙し、父親を死に追いやり、母を奪ったクマソは絶対に許せない仇敵であった。クマソに対する復讐心は、火山の懐で真っ赤に燃える溶岩の如く、熱く膨張し続けていた。

(憎きクマソめ! 必ずやお前を殺し、母上を取り戻して見せる)

 タケルは立ち上がった。そして、兵士たちを見やり、やにわにスサノオ王から譲り受けた龍頭の剣を引き抜き、天にかざして叫んだ。

「皆の者よく聞け! 我はこれより我が父スサノオ王の後を継ぎ、葦津の国の王となる。我は必ずや我らが葦津の国を奪還し、火の国を打ち滅ぼし、母上をお助けする!」

 わずか十歳の少年タケルは、葦津の国の王となり、父スサノオ王の遺志を継ぎ、国の再建とクマソへの復讐、それに母親の救出を必ず実現すると高らかに宣言した。既にその眼差しは少年の眼ではなく、これから成し遂げる大事業に向かって突き進む英雄の力強い輝きを帯びていた。

「ウォー」

 身も心もなえていた兵士たちが、タケルの言葉に身を震わせ力を蘇らせた。

 この時、まだ十歳のタケルの心には復讐の気持ちが全てに勝り、世界の王になるという意味はまだ理解していなかった。


「タケルノ、心ノ底カラ湧キ上ガル誓イノ言葉ヲ聞イタ配下ノ者タチハ、マダ十歳ノ少年デアルタケルノソノ燃エルヨウナ思イニ、心ヲ奮イ立タセ、故郷ノ葦原ノ国ヲ奪還スル為ニタケル王ト共に戦ウコトヲ誓ッタ」 

「新王誕生ノ瞬間デアッタ」


第四章 山の民

         一 

 それから更に一年が経った。

タケルの一行はスサノオの遺言通り、ひたすら南へと星の位置を頼りに進んだ。

その間、タケルはグストから剣の訓練を毎日受けていた。龍頭の剣は重くて大きかったが、タケルの体は既に普通の大人ほどに成長していた。

 タケルの剣の腕前は日々上達し、龍頭の剣の剣捌きはいかなる敵をも倒すほどの鋭さであった。タケルはまだ少年であるが、グストは彼に卓越した剣の才能があることを認めていた。

 ある日タケルは家来のダンギとヨシキと愛犬福王を連れ、狩りの為、三人で山の中深く入って行った。ダンギは狩りの名人でヨシキは弓の名人であった。福王はタケルの愛犬で体はタケルよりも大きくタケルの護衛犬でもあり、戦闘の時は共に戦う兵士であった。

 うっそうとした木々の中を進むうちにあたりが不気味なほどに静かになった。福王は、ウゥ、と低いうなり声を上げた。

「タケル様、様子がどうもおかしゅうございます。そのまま動かないように願います」

ダンギはゆっくりと辺りを探った。ヨシキはタケルの傍により弓を構えた。突然、ぎゃあ! と言う悲鳴が聞こえ、血しぶきが藪の中から飛び出した。

 次の瞬間、なんと身の丈が人間の倍もあるような大熊が、タケルの前にダンギの首をくわえながら立ちはだかった。ヨシキは腰を抜かし、ただ口を開けて恐怖に震えるばかりであった。福王は態勢を低くし、鋭い牙を剥き出して今にも飛び掛からんばかりに構えた。

 タケルはたじろがなかった。タケルは腰の龍頭の剣を抜いて大熊の目をじっと睨んだ。大熊はダンギの首を横に打ち捨て、大きく天に向かって吼えたかと思うと、タケルに向かって飛び掛かった。タケルはひるむことなく、さっと剣を上段に構え、迫って来た大熊の眉間めがけて振り下ろした。

「いやー!」

 グウアー、と言う熊の悲鳴が森の木々を振るわした。熊の眉間から滝のように血が噴きだした。龍頭の剣は見事に大熊の眉間を切り裂いた。タケルは後ずさりしながらその様子を慎重に見ていた。熊はしばらく荒い息遣いをしながら地面に伏していた。突然、再び立ち上がり、最後の力を振り絞ってタケルに襲いかかった。

「ええい!」

 タケルはすかさず剣を熊の喉元深く差し込んだ。熊は苦しさのあまりその大きな体をのた打ち回らせた。 その激しさに草木は倒れ大地が揺れた。タケルは思わず刀を放していた。やがて、大熊は息絶え絶えになりその場にうずくまった。龍頭の剣は見事な切れ味であった。タケルは喉から剣を抜くと大熊の苦しむ様を哀れに思い、今度は心の臓を一突きにした。大熊は息絶えた。

 ヨシキは体が固まってしまい、しばらく動けなかった。

「ヨシキ、しっかりしろ」

 タケルの声で我に返った。

「仲間を呼んでこの大熊を持ち帰ろう」

「はっ、わ、分かりました」

 ヨシキは早速仲間を呼び、皆で大熊を持ち帰り、皮を剥ぎ肉を食べた。

 ヨシキは、タケルの勇敢なそして冷静な剣の捌きを見て、改めてタケルの強さを知り、タケルを心から尊敬するようになった。

       二

 その後もタケルたちは険しい山中を分け入って旅を続けた。ある時、前方でゴォーと言う地響きのような重く低い音が聞こえてきた。一行は、何があるのかと藪を分け入ってみると、崖の向こうに断崖絶壁を流れ落ちる巨大な滝が現れた。

 見事な大滝であった。タケルたち一行は滝の落ちている方向に遠回りしながら下りて行った。大滝の下には巨大な滝壺とその周りに美しい花々が咲き誇り、大きな岩々が横たわっていた。そのうちの、ひときわ大きく平らな岩はまるで一行を待ち受けているようであった。

「なんという自然のなせる技か! いや、これは神の技だ」

 十一歳のタケルはその見事な力と美の調和に心を震わせた。

「ここでしばらく逗留しよう」

 タケルは皆に指示をするとその平らな岩に腰を下ろし、しばしその景観に看取れていた。家来たちはそれぞれに荷物を下ろしひと時の安らぎの時間を持った。

 タケルは父スサノオの言葉を思い出していた。

(『この旅を続け、多くの人たちと会い、学び、修業するのだ。そうすれば、いずれ葦津の国を取り戻す力を与えられるであろう』と父上はおっしゃったが、それはいかなることか? 龍神様が一度だけ我々を助けて下さるとはどんな時だろう? その時とはどういう状況であろうか? 既に、山中をさまよって二年、ただ、時が無駄に過ぎていくのに自分たちは何の進歩もしていない。これでよいのか?)

 タケルは悩んでいた。

(自分はこれからどう生きて行けばよいのか? 父スサノオの遺志を成し遂げるためにどれほどの困難が待ち受けているのか? そして窮地に陥るとはどんな時なのか?)

 タケルの胸中は何も分からない状態のままで、不安ばかりが先走っていた。

 と、その時、突然びゅん、と空気を引き裂く音とともに目の前を矢が横切った。そして川面に突き刺さった。

「何者じゃ! 皆の者剣を持て!」

 グストが叫ぶと、タケルを庇った。タケルは辺りを見渡した。

 すると、藪の奥から野太い声が聞こえてきた。

「お前たちは何者だ! どこから来たのじゃ?」

 声の主の姿は見えないが、タケルの動物的本能は敵がどこにいるのか既に感知していた。しかし、慌てることなくタケルは答えた。

「我々はこの山のずっと北の葦津の国の者だ。怪しいものではない。戦うつもりなど毛頭ない。訳があってこの山を放浪しておるがこの地を奪いに来たのではない。表へ出て話し合えば分かることだ」

「お前のような若造がなぜそのような物の言いようをするのじゃ」

「この方は我々葦津の国の若き王である。我々の王として話しておられるのじゃ」

 カンダイが横から大きな声で言った。

「とにかく顔を出せ、そうでないと話しにならぬ」

 カンダイが続けて言った。

 すると藪をかき分けて、色黒で背が高くやせ気味で頭から顔まで髪の毛とひげで覆われた男が現れ、続いてその後からやはり毛だらけの男たちが弓を構えてぞろぞろと現れた。

「お前たちこそ何者じゃ? 申せ」

 カンダイが詰め寄った。

「わしらは山の民でモクシン(木神)の民と言う。我々はこの山の住人である。わしはこの民の(おさ)でボクセイだ」

 背の高い男が答えた。そして続けた。

「ここは神聖な地である。よそ者が入るところではない。直ちに出て行け!」

「それは知らなかった。申し訳ない。我々はよそ者故そのような神聖な場所とは知らず、余りの見事な景観につい引き込まれてしまったのだ。どうかご勘弁願いたい」

 カンダイが自分たちの失礼をわびた。

 ボクセイがタケルたちの風体をじろじろ見ながらその周りを歩いた。もちろん彼らにとってタケルたちは侵略者かも知れない相手なのだから、厳重な警戒は当然のことである。

 ところが、ボクセイが突然腰を抜かさんばかりに驚いたのである。

「な、なんだこれは! あの、山の大魔神ではないか!」

 ボクセイが、タケルの倒した大熊を見てこう叫んだ。

「お前たちはこの毛皮をどうしたのじゃ?」

 カンダイが、ボクセイたちがこの大熊を見た時の大変な驚き様にびっくりした。

「これは我らが王タケル様が山の中で仕留められたものじゃ。これがどうかしたか?」

「どうかした? どうかしたどころではない。この熊は我々の村を襲う恐ろしい人食い熊じゃ。我々がどうしても退治できない恐ろしい山の大魔神じゃ。今までに何人の村人が殺されたことか……」

 ボクセイの態度が一変した。

 確かにこの熊を退治したことは尋常ではない、とカンダイも今さら改めて感心した。

「あなたたちの王タケル様が退治したと? あの若いお方がそうか?」

 カンダイがタケルの後ろに回り答えた。

「そうだ。先ほど言った通り、この方が、我らが王、タケルさまじゃ」

 ボクセイが、今度はしげしげとタケルを見た。まだ十代の初々しい少年であった。しかし、体は逞しく、少年の顔ながら眼光はあくまで鋭かった。

「この方があなたたちの王か?」

「そうだ。お若いが力は既に天下を収めるにふさわしい器のお方である」

 カンダイが重々しく紹介した。

「本当にこの若者が山の大魔神を退治したのか?」

「そうだ。まぎれもなくこのお方だ。我々がうそを言う必要などどこにもないわ」

 グストが誇らしく答えた。

「うーん、信じがたい。一人で退治したのか?」

「そうだ」

 カンダイが答えた。

「どうやって?」

 ボクセイがタケルに向かって尋ねた。

「私にはこの剣一つあれば十分です」

 タケルは腰の龍頭の剣を掴んで答えた。

 ボクセイがこの初々しい少年がこの恐ろしい大魔神を退治したとは到底信じられなかった。

「とにかくあの山の大魔神を退治されたとあれば、真に勇猛果敢な戦士と思われる。我々にとっては大恩人、まことにありがたい限り、めでたい限り……」

 ボクセイの態度はどんどん友好的になった。

「それではわしの村へ来て下され。我々がおおいに歓迎させていただこう」

         三

 タケル一行は彼らに連れられて森の中へ入って行った。暫く行くと道が広くなり木々の向こうに広場や小屋が見えた。

「ここが我らの村じゃ」

 ボクセイが先頭に立って村の真ん中にある一番大きな建物に案内した。

「今夜はここで山の大魔神退治の祝いの宴を催そうと思っております。みんなで盛大に祝おうではありませんか。是非ご参加いただきたい」

「それはありがとうございます。もちろん喜んでお受けいたします」

 タケルはにっこり笑った。

 その夜は盛大な祝いの宴が行われた。建物に入りきらぬ人々は広場に集まり、それぞれイノシシやウサギの肉、山で採れた野菜を食べ、イモで作った酒を飲んだ。タケルはまだ酒が飲めなかったが、カンダイは酒が何より好きで、浴びるほど飲んで食べた。グストもヤスクも同じく大いに楽しんだ。

 宴の最中に隣同士に座ったタケルとボクセイは今までのことや、これからのことについて話し始めた。

タケルは先ず自分たちがどうしてここまでやって来たのかを話した。火の国が攻めてきて村を占領したこと、反撃したが最後には味方の裏切りで戦いに敗れ、逃げ延びてきたこと、王であった父が戦で傷を負い旅の途中で死んでしまったことなどを切々と話した。

「それは若いあなたには大変な苦労でございましたな。父上様はさぞや悔しい思いで死んで行かれたことと存じます。ところで、ここまで逃げのびて来てこれからどうなさるおつもりですか? このまま流浪の旅を続けるおつもりですか?」

 若いながら、大変な苦難の道を歩んできたタケルを見て、ボクセイが益々タケルに好意をもったようだ。

「実はもう二年余り山中を放浪してまいり、皆、相当疲れておるように思われます。ここであなた方にお会いできたのも何かの縁、出来ればしばらくこの地に逗留させてもらえないかと思っております」

 タケルは正直に自分たちの現状を話した。

「おお、それは大歓迎でございます。あなた方が一緒に居てくれればこんな心強いことはありません。是非いつまででもいて下され」

 タケルには本当にありがたい言葉だった。

「それはありがたき幸せ」

 タケルは、心から感謝した、

「最近あちこちで勢力を増した豪族どもが周辺地域を侵略していると聞いています。あなたがおっしゃるような火の国はそういう連中の親玉のようなもの。わしらの住むこの山は常人ではなかなか攻めてくることは出来ないとは思いますが、油断はできません。いつなんどきそう言った連中が襲ってくるかも知れません。あなた方がいて下されば安心というものです」

(こんな山中の村でも、やはり、そんな不安があったのか)とタケルは、自分の使命を思い知った。

「お力になれるかどうかは分かりませぬが、逗留している間は出来るだけお力になるよう努めます」

「では話は決まりでございますな」

 ボクセイが大喜びだ。

「はい、そうです。そこでボクセイ殿、私どものお礼の印として、あそこに積んでありますこの山の大魔神の毛皮と、これまで集めた動物たちの毛皮をさしあげましょう。どうぞお受け取り下され」

「これはかたじけない。お互い腹を割ってお話しできたことゆえ、この際遠慮なく頂戴いたすことにいたします。ありがとうございます」

 タケルたち一行はしばらくこの山中の村に逗留することになった。タケルはスサノオが死んでから初めて気持ちが緩んだ。これまでの張りつめた心が少し和らげられた気がした。

         四

 ある朝、タケルは一人で大滝の滝壺の岩場で剣の鍛錬を行っていた。グストは年老いて今では必要な時しか彼の剣の鍛錬には出なかった。その時、翼を広げたその長さは人間の身の丈の一倍半ほどの大きな鷲がタケルの眼前に飛来し、そのまま又急上昇して近くの樫の枝にとまった。

「なんと巨大な鷲だ。こんな大きなものは見たことが無い」

 タケルは驚いて身構えた。そこへ、タケルの体よりまだ一回り以上大きな若者が笑いながら近寄って来た。

「これは驚かせて申し訳ありませんでした。あの鷲は私の飼っている鷲で、名前をユウダイと申します。決して危険なものではございません」

 顔はいかついが優しそうな眼をした若者であった。

「なんと、あなたが飼っていると!」

「そうです。私はこの村の鷲司の子でタカワシと申します。あの鷲を子供のころから育てて訓練をしてまいりました。あれは実に頭が良い鳥です」

 正直そうなタカワシが笑みを浮かべて説明した。

「鷲を育てたと? それは素晴らしいではないか?」

「その通りです。この鷲は戦の時や狩猟の時に大変役に立ちます。このように鷲を操れるのは我々モクシンの民だけでございます」

 タケルは大変驚き、又感心した。

(この技は確かに役に立つ素晴らしい技だ。是非その技を教えてもらわねばならぬ)

 タケルはこの技は火の国と戦う時に大いに役立つと感じた。

「その技、私にもお教えいただけないか?」

「えっ、」

 タカワシが少し戸惑った様子であった。そして少し間をおいて答えた。

「いいですとも、喜んでお教えいたしましょう。但し、時間が必要です。何しろ自分一人の訓練だけではなく、鷲も一緒に訓練されなければなりませんので」

 若者は右腕を水平に伸ばした。そして口笛をピューと鳴らした。すると樫の枝に留まっていた鷲が、大きく翼をばたつかせながらゆっくりと降下しタカワシの腕に留まった。

 タケルは益々感心した。

 タカワシが何度も鷲の飛び立ちと着腕を繰り返した。タケルはその極意を熱心に聴きながらその動きを観察していたが、やがて自分でもやりたくなった。

「私にもやらせていただけないか?」

 タカワシが待っていましたとばかりに言った。

「いいですとも。ゆっくりと落ち着いて私が言うとおりに行ってください」

「分かりました」

「先ずは鷲をあなたの腕に乗せるところから始めましょう。その前に爪が食い込まないように保護用腕当てを付けてください」

 タカワシがユウダイを上空に飛ばし、腰の袋から布を取り出し、それをタケルの腕に頑丈に何重にも巻いた。

「右腕を水平に伸ばしてください。私が合図をするとユウダイが降下してここに着腕します。しっかりと受け止めてください。重いですよ。負けないようにお願いします」

「はい。分かりました」

 既にタケルの体全体が固まり、腕には過剰な力が入っていた。

 ピューとタカワシが口笛を吹いた。上空に舞っていたユウダイがゆっくりと降下してきた。タケルはユウダイが近づくにつれその大きさに怯んだ。しかし覚悟を決め、目を瞑って腕に留まるのを待った。

 ドンというものすごい重さが彼の右腕に圧し掛かった。タケルは思わず落としそうになったがなんとかこらえることが出来た。しかし重い。

 それを見ていたタカワシが自分の腕をそばに持っていった。するとユウダイはそちらに移動した。タケルはほっとした。

「大変な重さですね。これはとても私には出来そうもありません」

 当然のことであった。体は大きいとは言え、彼はまだ十二歳の少年である。タカワシはタケルよりまだまだ体は大きく背も高い。タケルではこの大きさの鷲に歯が立たないのも当たり前のことであった。

 タカワシが満足げな顔でその様子を見ていた。初めからそうなることを予想していたのだ。

「タケル様、私をあなたの家来にしていただけませんか? 私があなたの鷲司としてお役に立ちとうございます。あなたは、あの森の大魔神を退治された勇者です。私は心から尊敬しています」

 タケルは、それはありがたい、と思った。自分がわざわざ覚えなくとも彼を家来にすればよいことなのだ。それに彼は信頼できそうであった。

「分かった。それではお前を私の家来にしよう。但し、お前の師匠に了解を得なければならない。私はいずれこの地を出て行くのだから」

「分かりました。言われるとおりにいたします」

こうしてタカワシがタケルの家来となった。

       五

 又ある日、タケルは村の広場の風通しの良い場所に、他とは様子が違う倉庫の風の建物がいくつも並んでいるのに気が付いた。小さな窓が多くとってあり風が通りやすくなっている。

中を覗いてみると、なんとそこにはぎっしりと矢が棚の上に何段も積まれていた。

(これはすごい! いったい何本あるんだろう! 戦が始まっても、これだけの矢が用意されていればなにも慌てることは無いな。しかし、村人の数からいっても、この矢の数はあまりにも多すぎる。ここの人たちは特別に矢に執着する何かがあるのかな?)

 タケルは早速ボクセイに話を聞いた。

「ボクセイ殿、あの倉庫の中を見させていただきましたが、中には膨大な数の矢が保管されておりました。あなた方の民は何か矢に特別の思い入れでもあるのですか?」

「さすがタケル様、その通りでございます。御承知のようにこの村付近には広大な竹藪があります。私たちは其の竹が矢に適した矢竹であることが分かり、いつ攻めてこられるか分からない戦のために、昔から弓矢の生産を熱心に続けてまいりました。そのうちに、弓矢の製造技術が格段に進歩を重ね、今ではあのように、いつ戦があっても矢の準備だけはすぐにでも間に合うようになりました」

 ボクセイが真剣な面持ちでタケルの顔を見た。

(なるほど、大した心構えだ)

「タケル様、あなたはこれから大敵を倒さねばならない。その上に状況は多勢に無勢、失礼ながら今のままではとてもその大敵に勝てそうには見えません。そこで、私はあなたに非常に重要な技術をお教えいたしましょう」

 ボクセイがさらに真剣な表情になっていた。

「多勢に無勢でも戦に勝つ方法がございます。それは弓矢です。敵と相対して、白兵戦に持ち込めば、必ず数の多いほうが勝ちます。しかし、双方が剣で相まみえる前に、大量の矢を放てば敵は大損害を受けるはずです」

 ボクセイの話にタケルは目を輝かせた。

「もちろん、敵も矢を放ってまいりましょう、しかし、敵の矢が尽きるころにも、こちらが次から次へと矢の雨を降らせれば、敵は突撃することもできず、ただ矢の犠牲者を増やすのみとなります。つまり、戦わずに相手を倒すことが出来るのです」

「それは理屈としては分かりますが、どうしてこちらの矢は尽きないのですか?」

「それが私たちの矢の技術なのです」

(矢の技術ってなんだ?)

「分かりやすく言いますと、矢を迅速にかつ大量に作る技術です」

「迅速かつ大量とはすごい」

 新しい発想だ。

「そうです。私たちは矢づくりをいくつかの行程に分けました。そしてそれぞれの行程専門の職人を育てました。更に、私たちの戦の特徴はその職人たちを戦列に加えて、戦場で矢を作らせるのです。また同時にそのための資材を戦場に常備するのです。もしくは別に補給する体制を作れば完璧です。先ずは、矢を大量に作る技術です」

 この話は若いタケルには実に面白い発想であった。

「それはとても面白いお話だ。ボクセイ殿、私たちに是非、その技術をお教えいただけないでしょうか?」

 タケルの心は勇み立った。

「もちろん、そのつもりでお話をしているのです。それでは早速支度しましょう。タケル様の側からもその職人になる人たちをすぐに用意してください」

「ありがたい。直ちに用意いたします。そちらの方は、資材などは大丈夫ですか?」

「問題ありません。今日の午後から始めましょう」

 タケルは早速カンダイにその話をし、職人になるべきものを選出するよう命じた。

ところが、カンダイがあまり乗り気ではなかった。

「戦場に職人を連れて行くですと? そんなもの、足手まといになるだけでしょう。それにまだ資材まで運ばねばならないとは? タケル様はまだ実戦の経験がないだけに考えが甘い」

 カンダイがグズグズと不満を述べた。

「カンダイ、四の五の言わずに、直ぐにかかれ」

 タケルは、こんな時は決断が速い。

「ははっ、早速ご用意いたします」

 カンダイがしぶしぶタケルの命令に従った。

(ボクセイ殿の話は面白い、これからの戦にはこういう新しい考え方が必要だ)

 タケルは新しい技術を知ることで益々希望が湧いてきた。

(そうだ、この度の戦術を会得するには、矢の射撃手も育てねばならんのだ。今は全体で百人ほどの隊だが、その全員に矢の射撃の訓練をもっと厳しくやらせないとダメだ。そして全員が兵士であり射撃隊の射撃手でなくてはいけない)

 午後にはタケルの兵士がとりあえず十人集合させられた。ボクセイが彼らを自分たちの矢の製造現場に連れて行った。タケルも同行して勉強することにした。カンダイもしぶしぶ付いて来た。

 森の中に切り開かれた広場には、大勢の村人が矢づくりに励んでいた。傍らには矢の素になる竹材が積まれている。それらは山から切り出されて、枝葉を払われ、長さ、節、太さ、重さが揃えられ、束にして別の風通しの良い倉庫に保管されていたのだ。この竹材を火に通して真っ直ぐにしたり、削ったり、磨いたりの行程を経て、筈を取り付け、羽を張り付け、最後に矢尻を取り付ける。

 この工程を分業で素早く回すことが彼らの特徴だ。

(確かに早く出来ていくが、この現場をそのまま戦場に持っていくのか? 戦の中でそんな悠長なことが出来るのか?)

 タケルも少し心配であった。その疑問をボクセイにぶつけてみた。

「その通りです。この現場をそのまま戦場に持っていくのです。タケル様、軍団の後方は実は非常に重要な意味があります。ここを有効に使うことで大きな戦は勝利をもたらすことが出来るのです。矢の製造を後方で行うことで、前戦にいくらでも矢を供給し続けることができるというわけです。敵はその物量に驚き戦意を失うのです。それに矢の資材を補給する体制があれば完璧です。分かりますか? まだ、お若いし、経験がないので実感がないと思われますが、是非、戦の時はこれを実践してください。その威力に驚かれることでしょう」

 ボクセイがタケルの眼を見ながら、確信を持って説明した。

「分かりました。そうさせていただきます」

 タケルはボクセイの熱意に打たれた。

 こうして、タケルたちは、矢作りの技術を学び、矢の射撃の訓練を積んだ。

         六

 この地に逗留して三年の月日が過ぎた。この時タケルは十五歳であった。タケルたち一行はこの地で山の生活を学び、矢の製造技術、鷲の調教術を学び、又、矢の訓練を受け、その戦術を学んだ。

 ある日、タケルはいつものように大滝の滝壺で早朝の剣の鍛錬に励んでいた。剣の練習を一心不乱にしている時は、もう彼には何も聞こえない。

 タケルは正眼の構えを作り、剣の切っ先をじっと見つめていた。その時、タケルの背後から低くやたらと響く男の声が聞こえた。

 最初のころは、彼はそれに気が付かなかった。しかし、幾度目かに、はっ、と気が付いた。

「誰だっ!」

 タケルは素早く振り返った。しかし、そこには誰もいなかった。只、滝の音だけが轟々と響いていた。

(おかしいな?)と思いつつ、タケルは、又正眼の構えをとった。

 すると、又、聞こえてくるのだ。

「タケルよ、タケルよ」

 今度ははっきりと聞こえた。彼は再び振り返ると、やはりそこには誰もいない。しばらくそのまま様子を見ていると、再び声が聞こえてきた。

「タケルよ、わしは大滝の神じゃ。そなたに伝えたい要件がある。この世をお創りになられた天光大神からのお言付けじゃ。そなたはすぐさまこの村を出でよ。そなたが行かねばならぬところがまだまだある。ここを出てさらに南へ進め。やがて海辺に辿りつく。そこにオオナギ村と言うところがある。そこでお前は運命の人と出会うであろう。さあ、すぐにここを出でよ」

 声は滝の方から聞こえていた。

(今の声は神の声か?)

「『すぐさまこの村を出よ』と仰られたのはなぜでございますか?」

 タケルは尋ねた。

「お前にはやらねばならない大きな仕事がある。それを成し遂げるためにはここを出なければならぬのじゃ。神を信じて言うとおりにするのじゃ」

 タケルはしばらく黙っていたが、遂に覚悟を決めて答えた。

「分かりました。そうします」

 タケルはすぐさま村に引き返した。

       七

 タケルはカンダイに言った。

「カンダイ、私は、先ほど大滝の前で神の声を聴いた。神のおっしゃるのには、我々はすぐにここを発たねばならないのだそうだ。我々は南へ向かうのだ。すると海辺に辿りつく。そして、そこには海辺の村がある。オオナギ村と言うのだそうだ。私はそこで運命の人と廻り合う、とおっしゃるのだ」

「神の声? 運命の人?」

 タケルから又もや神がかりの話を聞いて、カンダイが戸惑った。

「そうだ」とタケルが答えると「実は、王様、私もそろそろここを発たねばならぬと思っておりました。神の仰せの通り、ここを発ちましょう。あなたはもう既に十五歳。立派な大人になられた。これからはいよいよクマソに対する反撃の準備をなされなければなりません。すぐにここを旅立ちましょう」

「そうだ。その時が来たのだ。それではボクセイさんにお礼を述べてこの地を出よう」

 早速、ボクセイのもとへ向かった。ボクセイがタケルの言葉にびっくりした。

「もうお発ちになるのですか? それは早すぎまする。そんなことは言われずもっと居てくだされ」

 ボクセイが真剣な眼差しで引きとどめた。

「ボクセイ殿、私たちはこの先も旅を続け、さまざまな経験をしてさまざまなことを学び、やがてわがふるさと葦津の国の奪還を成し遂げ、クマソに復讐せねばなりません。私たちに力が十分付きましたらまたここに戻ってまいります。その時は是非、私たちの仲間として一緒に葦津の国へ行き、ともに戦っていただけないでしょうか?」

 タケルは自分の胸の内を正直に話した。

「もちろん、その時は私たちが是非お助け申し上げます。そういう訳ならもうお留めするわけにはいきませぬな。それではその時を楽しみに致しております」

 ボクセイが、タケルの願いを喜んで受け入れてくれた。

 翌日、タケルたちは早々と旅立ちの支度を済ませ、別れを惜しむボクセイに何度も礼を言ってモクシンの民に別れを告げた。ユウダイを連れたタカワシもタケルの家来として一行に従った。


第五章 海辺の民

         一

 一行は山中の生活を終え、たくさんの毛皮を携え、又、幾多の山を越え、南に進んだ。そして遂に海辺に辿りついた。目の前には広大な海が広がっていた。

「神様のおっしゃったとおりだ」

 タケルは感慨深げに言った。

 遠くから眺めていると、海辺には多くの家が建ち、人々が行き来し、賑わいを呈していた。

「あれは漁師の村でございますな? この村が神様のおっしゃったオオナギ村でございますか?」

 カンダイが感心したように尋ねた。

「そうであろう」

「なかなか賑やかで生活が豊かなように見受けまする」

 一行はゆっくりと村の方へ向かった。すると村人がこちらに気づき、勇壮な男たちが手に手に武器を持って近づいてきた。

「お前たちは何者じゃ?」

 首領風の少し歳をとった男が鋭い目で訪ねた。日に焼けた顔にしわがくっきりと刻まれ、髪の毛は後ろで括られていた。男たちは武器を構えながらタケルたちの周りをじろじろ見た。特にタケルの家来がたくさんの毛皮類を担いでいるのを興味深げに見つめていた。

「あなたはこの村の長でござるか?」

 カンダイが訪ねた。

「そうじゃ、お前たちは何者じゃ?」

 男が鋭い目で威嚇しながら尋ねた。

「突然このような大勢でやってきて誠に申し訳ござらぬ。我々はこの山のはるか向こうの葦津の国のもの。隣国の火の国の侵略を受け、逃げのびて参った。私は左大臣のカンダイと申す。それから、このお方が私たちの王、タケル様でござる」

 カンダイが列の中ほどにいたタケルの後ろに立った。男はタケルを一瞥すると、カンダイの後ろに立っている男を不思議そうに見た。その男の腕には頑丈に何重にも布が巻かれているのだ。鷲司のタカワシだ。

「この男は何者だ?」

 男が言うとタカワシはピューと口笛を鳴らした。すると上空からどこともなく現れた大鷲が翼をバタバタさせながらゆっくりと彼の腕に留まった。男は腰を抜かさんばかりに驚いた。

「な、なんじゃ、この恐ろしいほど巨大な鳥は?」

「我らが家来、ユウダイと申す大鷲でござる」

 カンダイが自慢げに答えた。

「大鷲が家来? この鷲を飼っていると申されるか?」

「さよう、この鷲の匠がこの大鷲を自由自在に操ることが出来るのでござる」

「葦津の国の鷲司タカワシと申します」

 タカワシが自己紹介をした。

「これは驚いた。このような大鷲を自由自在に操ることが出来るとは全く信じられぬ。何か魔法のようなものでも使っているのか?」

「そういうことでござる」

 カンダイが真剣な顔で答えた。タケルが一人ニヤリとした。

 男は黙ったまま大鷲を見入っていた。彼は何か考えている様子であった。

「私が葦津の国の王タケルと申します。このたびの突然の訪問、まことに失礼いたしました」

 タケルは話を元に戻して自らを紹介した。

「おう、あなたが王のタケル殿か? なんとお若いお方だ」

「実は、我らが先王のスサノオ様が旅の途中で亡くなられて急遽後を継がれたのでござる」

 カンダイが説明した。

「私たちは国を追われて逃げ延びてまいりましたが、こうして旅をするうちに力を蓄え、いずれ故郷に戻り、我が国を奪還するつもりでいます。お願いでございます。出来ることなら村のはずれにでも我々が暫くとどまる場所を貸していただけないでしょうか?」

 タケルは、事情を正直に話した。

「そのかわり、ここに持参した毛皮類をすべて差し上げます。もちろんその間はなんでもお手伝いいたします」

「そうでしたか。そういうことなら話は別だ。私はあなた方がこんな大鷲を家来に持っているというだけで、大変感服いたしました。どうぞ、我々の村にお出でください。そして旅の疲れを癒してくだされ」

タケルには意外なほど男の応対が柔らかくなっていた。

「これはありがたく頂戴いたします」

 男が家来たちにそれを受け取らせた。

「突然の話でまことに厚かましい話ではござるがぜひお願いいたします。あらためまして、私は葦津の国の左大臣でカンダイと申します」

「こちらこそ申し遅れました。私どもの村はオオナギ村と申します。そして私がこの村の長でギョライと申します」

 村の名を聞いてカンダイがタケルの顔を見た。

「タケル様のおっしゃる通りでしたな?」

 タケルはうん、と頷いた。

 カンダイがギョライの大鷲を見てからの好意的な態度を気にしている。

         二

 こうして一行はその夜は浜辺の村に入り、ギョライの家で歓迎の大酒盛りを受けた。今度もカンダイが大喜びで宴を楽しんでいた。

 酒盛りの途中、それは美しい少女が長のギョライの横に座って酒を注いでいた。年のころなら十五六、海辺育ちと言うのに色白で、瞳は大きく海のように青くて深く、そしてやわらかな光を帯びていた。鼻筋が通り、小さくてきりっとしまった唇は桃色の真珠のように輝いていた。

「タケル殿、これは私の娘でモクレンと申します。私の宝でございます」

「モクレンでございます」

 その声は絹のように艶やかで上品であった。タケルは一目でモクレンに心を奪われてしまった。

「葦津の国の王タケルです」

 タケルは恥ずかしそうに少し小さな声で返事をした。

 二人の間には既に二人だけの空間が出来上がっているようであった。モクレンが同じくタケルの瞳の優しさと、彼の力強いそして若くはつらつとした姿に我を忘れたかのようだ。

 カンダイが長のギョライに話しかけた。

「ギョライ殿、お話しした通り、我々には葦津の国の奪還という、果たさなければならない大仕事が待っています。いずれ時期が来ればそのために旅立たなければなりません。しかし、とりあえず当分はここに留まらせていただきたいのです。その間はなんでもお手伝いいたします。どうでござろうか?」

 カンダイがギョライのご機嫌を窺いながら頼んでみた。

「どうぞ心配はなさらぬように。何も遠慮はいりません。どうぞあなた方の好きなだけいらっしゃればよいではないですか? そして力を蓄えてお国の奪還に戻られれば良いのではありませんか?」

 ギョライが心よく引き受けてくれた。

「誠にかたじけない。それではお言葉に甘えてしばらく逗留させていただきます」

 カンダイが礼を言っている間も、タケルはじっとモクレンの顔を見たままであった。二人の話など一切耳には入っていなかった。

「ところでタケル王様、実を言うと、わしには一つあなた方に頼みがあるのですが」

「……」

「タケル様!」

「え?」

 やっとタケルはギョライの声が聞こえた。

「あなたに頼みがございます」

「頼み?」

「はい」

 ギョライが言いにくそうな顔でぽつぽつとしゃべり始めた。

「実は、毎年秋になると海の向こうからたくさんの船に乗った海賊どもがわしらの村を襲ってくるのです。そして最低の量の食べ物だけを残して全てさらっていくのです。今年ももうそろそろその時期になっております。我々は初めのころは奴らと戦っていましたがそのため大勢の村人が殺されました。今では力の差がありすぎてほとんど抵抗できずに彼らのなすがままになっているのです」

(竜神様の仰る通り、今の世は乱れている。悪い奴らが蔓延っている)

 タケルは自分たちの出番だと思った。

「このたびあなたたちが現れた。それもあの大鷲を連れて。これは神様のお導きに違いないと思ったのじゃ。ぜひあなた方に力になってもらい、海賊どもを退治したいと思うのです。この願いをかなえていただけるでしょうか?」

「それは一大事だ。大変な状況なんですね」

 カンダイが横から口を挟んだ。

「やっぱり何か事情があると思っていましたが、これで分かりました。ユウダイをしげしげ見ておられた理由も分かりました」

カンダイが納得したようだ。

「さすが、私たちの様子見て何かおかしいと、既に気が付いておられたんですね」

 ギョライが、感心した。

 カンダイがタケルの顔を心配そうに窺った。

 しかし、タケルは既に腹は決まっていた。タケルは日ごろの腕試しをしたくなっていた。

(相手にとって不足はない。そんな無頼の輩を許すわけにはいかぬ)

 タケルの心は昂ぶっていた。カンダイの顔を見て、目と目を合わせ、うん、とうなずいた。

 カンダイも、そうなれば仕方ない。

「よろしい、ギョライ殿、それではお手伝いいたしましょう」

「えっ、本当でございますか? それはありがとうございます」

 ギョライが、全身の力が抜けて、安堵の表情になった。

「ギョライ殿、もう少しじっくりと話を聞かせて下され」

 カンダイがしぶしぶ話を聞く状況になった。

「ところでその海賊どもはおおよそどのぐらいの人数ですか?」

「おおよそ三百人はいると思われます」

「三百人! それでこの村の戦えるものの数は?」

「そうですね、百人足らずだと思われます」

 カンダイが驚いた。しかし、じっくりと考えだした。

「わしらの軍勢は百人、それに村人は戦えるものが百人ほど。合計で二百人、しっかりと訓練すれば十分勝てる戦です」

 カンダイが、勝利を確信した。

カンダイはそこでそのために準備するべき事柄を事細かにギョライに説明した。

「これから大至急で弓と矢を作るのです。これは訓練次第で奴らに勝てる最強の武器になります。そしてその訓練です。時間がないからすぐにかかりましょう」

「分かりました。ありがとうございます。すぐにかかります」

 その夜の宴はこの話の後すぐに終わった。そして、早速皆がそれぞれの支度に取り掛かったのであった。

        三

 弓矢の訓練と武器の製造が始まった。

 今日も、グストとタケルが村人の戦闘訓練を指導していた。カンダイたちも一緒になって村人に教えていると、そこへ、あのモクレンが何やら差し入れをタケルたちに持ってきた。

 タケルはモクレンを見るなりどきっとした。何かが心の中でときめいているのだ。タケルはただじっとモクレンを見ていた。すると、サトルが駆け寄っていき、それを受け取った。

「ありがとうございます。お父上にはよろしくお伝えください」

 サトルが丁寧に応対をした。モクレンがニコリと笑って差し入れをサトルに手渡した。

 タケルはサトルのその様子を悔しそうに見ていた。モクレンがタケルの顔を見た。目と目があった。タケルは黙って礼をした。モクレンが礼を返してそのまま去ってしまった。タケルとサトルはモクレンの後姿を眺めていた。

 次の日も同じ時刻にモクレンがお付きの者と差し入れを持ってきた。サトルがそれを受け取りに行こうとするとタケルはそれより素早くモクレンの前に立った。

「ありがとう」

 タケルはそう言ってモクレンの顔を見た。モクレンがにっこりと笑った。タケルも思わずにっこりと笑顔を返した。サトルが機先を制され、ただ茫然とその様子を見ていた。

 二人の心は既に通じていた。タケルは心に決めていた。

(この人を妻にするのだ)

 モクレンがじっとタケルを見つめ、タケルの気持ちを受け入れている。

 こうして二十日経った。

 村人への訓練は厳しいものであった。しかし、彼らは必死でそれに耐えた。

 昼夜を分かたず弓矢の製造に励んだ。

 カンダイがいかにして効率よく海賊を倒すかの作戦をタケルに話した。

「タケル様、この度の海賊との戦はクマソとの戦いの格好の練習になりますな。いいですか? 先ず、海辺に防柵を作ります。そして敵が上陸してくるところをそこから矢の雨を降らせてやるのです。浜辺では隠れるところがないから狙い撃ちです」

 さすがカンダイの策略だ。聞いているだけで勝ったような気がする。

「つまり、敵を大量に殺すことができ、味方は無傷です。それでも上陸して村に侵攻してくる敵にはタケル様率いる本体が剣で戦い殲滅してしまうのです。どうです?」

「それはまさにクマソとの戦いの演習だな。それでいこう」

 タケルの心はいきり立った。

       四

 いよいよその時が来た。

 ユウダイが沖から戻って来た。

 タカワシがユウダイの動きで敵が来るのを知った。

 タカワシが即座にタケルに知らせた。

 その後、見張りが息せき切って海賊が沖に現れたと報告してきた。

 タケルは沖を見ると、海賊の船が何隻もこちらに向かっている。中には大きな船もある。一挙に上陸されたら迎え撃つのにかなりの矢の準備しなければならない。

 しかし、それは心配ない。防柵はこれを予期して横に長く作っておいた。大勢が一斉に攻撃できるからだ。後は味方の弓の発射の時機と腕前次第と言えるだろう。

 タケルは一段高い(やぐら)を組んだ上に座り、状況を見ていた。味方の戦陣は敵からは分からないように偽装されていて、容易には発見されないようにした。防柵の上には砂をかぶせて分からなくしてあった。 タケルの櫓も建物の上に分からないように作られていた。

 海賊の首領はウミヘビと呼ばれていた。

「肌は真っ黒に焼けていて眼光は鋭く筋肉が盛り上がり力では誰もかないません」

ギョライが顔を顰めてタケルに語っていた。

 沖を見ると、ウミヘビが乗っているだろう大きな船が先頭に位置し、小舟たちの後に付いていた。

 ウミヘビがタケルたちが待ち受けているとは夢にも思わず、船を浜へ進めてきた。

 タケルたちは息をひそめて彼らが上陸するのを待った。防柵の弓の部隊ではカンダイが指揮を執るべく敵の動きを見つめていた。

 最初の数隻が浜に到達し上陸を開始した。村人たちは焦った。しかし、カンダイが動かない。敵の大半が上陸するのを待った。敵は次から次へと上陸している。

 海賊たちは村人の抵抗など端から予期していないので、のんびりしたものである。これから村人を脅し、酒をたらふく飲み村の女を弄ぶのだと浮き浮きしていた。

 最後に大きなウミヘビの乗る船が停船し、海賊たちが小舟に乗り換えて浜に向かっていた。ウミヘビが船の中にいる。最後の船のグループが浜に近づいたとき、先頭がカンダイたちの待ち伏せる柵の近くまで来ていた。

「今だ! 放て!」

 カンダイが大きな声で号令をかけた。村人とタケルの兵士が海賊に向かって一斉に矢を放った。無数の矢が海賊たちの上から襲いかかって来た。海賊たちは悲鳴を上げながらバタバタと倒れて行った。矢は次から次へと放たれた。

 浜辺が海賊の死体でいっぱいになった。

 まさかそんなことが起こるとは思っていなかったであろうウミヘビが、こちらを見て慌てているようだ。なにしろ、味方が次々と倒れていき、砂浜にはもがき苦しむ者や、死体が転がっているのだから。

 いよいよウミヘビが、手下に小舟で自ら浜に向かってきた。

 浜に到着すると、ウミヘビが手下たちに怒声を浴びせ戦うように鼓舞した。

 敵の強力な待ち伏せに恐れをなしていた海賊たちは、ウミヘビの声に急き立てられて、又村に向かって突き進んだ。

 さすがのカンダイたちの矢も海賊たちの最後の総攻撃は食い止められなかった。

 海賊たちが防柵を乗り越えて進んできた。それをやぐらから見ていたタケルは本体の攻撃を命令した。

 愛犬福王と共にタケルは龍頭の剣を引き抜いて敵の中に切り込んだ。海賊ごときにタケルを倒せるものがいるはずはない。敵は次々と切り殺された。

 カンダイもそれに続いた。タケルの兵士も思う存分働いた。

 海賊はもはや抵抗する力を無くしていた。

 驚いたウミヘビが慌てて小舟に戻り、母船に引き返した。タケルはそれを見つけた。

「奴を逃がすな! ヨシキ、舟を出せ。あの舟を追うのだ」

 ヨシキとタケルは海賊の船を奪い、母船に逃げていくウミヘビを追いかけた。

 やがてウミヘビが母船に乗り込んだが、タケルたちもすぐに追いついて母船に乗り込んだ。

 敵はもう母船にはそんなに残っていなかった。子分たちはヨシキに任せタケルはウミヘビの後を追った。

 遂に船首に追い込んだ。ウミヘビが観念したのか、逃げるのを止め、剣を構えタケルを睨みつけた。

 ウミヘビは体は大きいが剣の腕前はタケルの敵ではなかった。ウミヘビが斬りかかって来た時、素早く体をかわしたタケルは剣を抜くと同時にウミヘビの胴をバッサリと二つに分けた。一瞬であった。

辺りは血の海になっていた。タケルは息の乱れを整えながらしばらくウミヘビの死体を見ていたが、やがて、向きを変え、船の甲板から浜辺に向かって龍頭の剣を突き上げた。

「我海賊を退治したり!」

 海辺で様子を見ていたカンダイたちはいっせいに勝利の鬨の声を上げた。

 海賊はタケルたちによって退治された。

       五

「タケル様、まことにありがとうございました。あなた様は私たちの積年の大きな問題を見事解決されました。どれほど感謝しても足りません。もうこれからは、私どもはあなた様の家来としてお仕えいたしたいと存じますが、よろしいでしょうか?」

 ギョライが、タケルのもとにひざまずき、臣下にしてほしいと申し出た。

「お申し出ありがとうございます。それでは、これから私はあなた方の王となりましょう。私たちは、いずれ我が故国葦津の国に戻り火の国と戦わねばなりません。その時は是非私の家来として存分に力を発揮していただきましょう。お願いいたします」

 タケルは快くその申し出を受け入れ、オオナギ村の民を家臣とした。


「カクシテ、タケル王ハコノ海辺ノ村、オオナギ村ノ王トナッタ。

 シカシ、ソレカラモタケル王ハ、王トハ名バカリデ、ギョライノ村ノ者ト共ニ海デノ漁ヲ手伝イ、空の様子ヤ風ノ動キヲ見テ天候ノ変化ヲ読ミ取ル技術ヲ学ンダ。

 モクレンハイツモタケルノ傍ニイルヨウニナッタ。ソシテ、タケルノ身ノ回リノ世話ヲシタ。既ニ二人ハ夫婦ノヨウデアッタ」


第六章 草原の民

         一

 一年が経った。

 ある日、村長のギョライがタケルに言った。

「タケル様、風の噂では西の方に大きな四足の動物に乗った勇猛な部族がいると聞いたことがございます。彼らは草原の民と呼ばれ、広々とした草原でその四足の動物に乗り生活していると言われております」

 興味のある情報であった。

「先日、隣村のものがその部族の話を持ってまいりました。彼は漁の途中で嵐に会い遭難し見知らぬ浜に打ち上げられたそうです。そして陸を彷徨っているところをその草原の民に救われたのです。そして、彼らの村へ連れていかれ、そこで何日か回復するまで逗留し、帰って来たそうです」

 ギョライが淡々と物語った。

「その男の話によると、その部族は草原に牛を飼いその乳を搾り、又その肉を食べて生きておると話しておりました。その生活はゆったりとしてすこぶる平和だったそうでございます。四つ足の大きな動物は馬と呼ばれ、彼らはその馬を飼い、それに乗って移動したり物を運んだりしているそうでございます」

(馬? 面白そうだ)益々興味が湧いてきた。

「私はその馬と言う動物に大変興味がございます。一度その村に行ってみたいものだと思っておるのです」

 ギョライの話し方に熱が入って来た。

「うーん、それは面白い部族ですね。私も大変興味があります。私も訪ねてみたくなりました。是非その馬と言う動物を見たいものです」

「それで、タケル様、私はその部族を訪ねてみようと思っています。ご一緒にその地へ出かけませんか? いかがでしょうか?」

「面白い、すぐにでも発ちましょう」

 もちろん、タケルの心は既にわくわくしていた。

(一刻も早くその馬と言う四足の動物を見てみたいものだ)

 タケルは早速その話をカンダイにした。カンダイが少し考えて答えた。

「それは大変興味のある話であります。ですが、このたびはタケル様以下全員が行くのはどうかと考えます」

 又もや、カンダイが注文を付けてきた。

「できれば、タケル様と弟君のカケル様、それに幾人かの腕の立つものを連れていかれればどうかと思います。私はここに残りタケル様の代役として臣下のものをお守り申し上げます。又、万が一の時を考えてサトル様はお残りになるべきだと考えます」

「えっ?」

 サトルはそれを聞いてがっかりした。

「なぜじゃ?」

 タケルが尋ねた。

「先ず、第一に、その草原の民の観察、調査、情報の収集の為であれば大勢はいりません。かえって大勢は警戒され危険でしょう。少人数で様子をうかがうのが得策かと存じます。第二に、もしタケル様一行に不測の事態が起こり、タケル様に何かが起こった時、王家の血筋を誰がお継ぎになりますか? 縁起の悪い話ではありますが、これは王として考えておいていただかないといけません」

 カンダイの言葉は一々もっともだった。

「なるほど、お前の言うことは筋が通っている。それではカケルとヨシキとタカワシそれにユウダイ、後五人を選んでそれにギョライ殿とその部下を数人連れていくことにする。ギョライ殿にはその旨伝えておく。サトル、そういう訳だ。この度は辛抱してくれ」

 サトルはその新しい世界を見たかったに違いない。しかし、我慢してもらうしかない。

「兄上、分かりました。そのかわり、しっかり学んできてください。お願いします」

 サトルがぐっと行きたい心をこらえてくれた。

「うむ、承知した。二人とも、それではよろしく頼む」

         二

 その夜、タケルはモクレンにその話をした。タケルはモクレンを愛しているが、草原の民に対する調査は葦津の国の奪還のためにはどうしても行かねばならないものであった。

 その上、彼自身が、愛する妻を残してでも行きたくてしょうがなかったのだ。ここが父スサノオとは違っていた。

「モクレン、分かってくれ。これはどうしても必要な調査だ。私は葦津の国の奪還と言う大きな使命がある。その為には出来るだけ知識を蓄え、技術を覚え、人を鍛え、使命の為に力をつけなければならないのだ」

「タケル様、あなたは私の王です。私はあなたのために我慢をしなければならないなら我慢をします。あなたの思うままになさってください」

 モクレンの覚悟はできていた。父ギョライがタケルを王と呼んだ時から、モクレンは、タケルの為に一生を捧げる覚悟を決めていてくれた。

「すまぬ。私は絶対に帰ってくる。まだ死ぬわけにはいかないのだ。だから、しばらくの間辛抱してくれ」

 タケルはしっかりとモクレンを抱きしめた。文句の一つも言わずにタケルについてくるモクレンが愛おしくてならなかった。

         三

 翌朝、早速調査部隊が編成された。

 タケル、ギョライ以下総勢十五人が快晴のオオナギ村を後にした。

 一行は隣村のバクサンと言う男を訪ねた。ギョライに草原の民の情報を伝えた男だ。村長のギョリュウに案内され村はずれのバクサンの家を訪ねた。

「バクサン殿、その草原の民の村へはここからどう行けばよいのじゃ?」

ギョライが訪ねた。

 バクサンは、目の細い髪の毛が薄い丸々とした老人だった。

「ここから西へ三十日ほど行くと急な山にぶつかります。その山を登って行くとその上は平らな草原が急に広がっています。そこをまだ西に向かって二日ほど進むと大きな黄金色の岩が見えます。その岩の周辺に彼らの村があります」

 まだまだ先の遠い村の話がおとぎ話のように聞こえた。

「村の名前はソウボク村と言います。彼らは大変温厚な人々ですが、勇猛果敢な戦士でもあります。一旦事が起こると強力な戦士に変身します。しかし、もちろん何も怪しいところがないとわかればそれは大変親切な人々でございます」

「それは良かった。いろいろと収穫がありそうな旅でございますな」

 ギョライがタケルに語り掛けた。

「胸がわくわくしてきたな」

 タケルは無性に彼らに会いたくなった。自分と気が合いそうな気がした。村長に丁重に礼を言って、タケル一行は翌日その村を後にした。

         四

 タケルたちは海岸に沿って西に進んだ。三十日が経った。海岸は左に折れていて、目の前には林が続いていた。タケルたちは言われたとおりそのまま西に向かって林の中を進んで行った。やがて、遥か前方に急な崖が見えた。しかも上の方は雲がかかっている。

「あの山でございますな。それにしても、これは想像していたよりも相当厳しい崖でございますな」

崖を見上げながらギョライが言った。

 林から、突然、切り立った岩肌が目につく巨大な崖がそびえ立っていた。

「あの崖をどうして登って行けばよいのか? 地図も何もないので全く見当がつかん」

 それでも、タケルたちは先ずは崖まで辿り着かなければならない。

 しかし、山に近づくにつれ林が深くなり森となり視界が木々で覆われてしまった。遂に方向さえも分からなくなった。崖に到達するのさえ難しくなってしまったのだ。

「先ず、方角を確認しよう。誰かあの一番高い木に登り崖の方向を確認するのだ。そしてそこから少しずつ方向を確認しながら崖に進もう」

 家来の中で一番身軽なものがその木を登って行った。

「眺めはどうじゃ、崖は見えるか?」

 ギョライが叫んだ。

「はい、見えます。崖はもっとこちらの方向でございます」と男が腕を伸ばし、方向を示した。

「分かった。では正確にその方向を示せ!」

 男は持っていた矢を崖の方向に向けた。

「崖までの距離はどのくらいじゃ?」

「おおよそ半日ぐらいかと思われます」

 タケルたちは地上で矢の方角に沿って線を引き、後半日の距離を考えた。誤差の範囲を考えてもその方向で間違いなく行けると確信した。

        五

 半日歩いてやっと絶壁にたどり着いた。絶壁の下に来るとその高さに驚くばかりであった。上を見上げてもその頂上は全く見えない。

「この壁をどうして登るのだ?」

 タケルは考えた。

「絶対に登り口があるはずでございます。きっと隠された道がどこかにあるはずです。あのバクサンが帰って来た道が」

 ギョライが自信なさそうに言った。

「バクサンは登り口については何も言わなかったな? 何か理由があるのではないか?」

「この崖は草原の民にとっては自然の要塞となりましょう。これでは他国からの侵入はできません。彼らだけの抜け道はきっとあるとは思いますが、それは絶対に口外は出来ないはずでございます。又、一旦この林を抜けてしまうと元に戻ることが出来ないほど分かりにくいところかもしれません」

「いよいよお前の出番だ」

 タケルはタカワシを見た。

「タカワシ、ユウダイを飛ばそう」

「は、はあ、ですがユウダイには抜け道を探すことは無理でございます。命令を理解できません」

 タカワシが戸惑っている。

「分かっておる。カケル、お前がユウダイの上に乗って抜け道を探すのだ」

「え、私が?」

 傍らで聞いていたカケルが突然自分の名前を呼ばれてびっくりした。

 なんとユウダイに乗って空を飛び、抜け道を探す、などとびっくりする命令を受けた。

「ま、待ってください、兄上。それは無茶でございます。ユウダイの上に乗るとは!」

 慌ててカケルが断った。

「無茶ではない。お前は一番体が小さい。だからユウダイの上に乗ることができる。そして空から抜け道を探すことができるのだ」

 カケルはこの時十一歳であった。それに体は同年代の少年に比べても小さい。

 カケルがタカワシの顔を見た。タカワシが少し戸惑ったような顔をしたが、すぐにうん、と頷いた。

「それは良いお考えだと思います」

「タカワシ、そんなことを言っても私が振り落されたらどうする?」

 兄弟の中で一番気の弱いカケルが文句を言った。

「もちろん、紐でしっかり体をユウダイに縛り付けておけば大丈夫でございます。それにすぐにとは言いません。少し練習をすれば行けるでしょう」

 タカワシがにっこり笑って頷いた。

「ようし、それでは練習だ」

 タケルは口にすればすぐ実行だ。

 カケルが紐でユウダイの背中に縛り付けられた。ユウダイが窮屈そうに体をよじったがタカワシの命令で仕方なく飛ぶ構えを取った。

「行け!」

 タカワシの強い号令でユウダイがバタバタと翼を煽り木々の間をゆっくりと上昇していった。そして暫くして上空で旋回した。

「なんだ、なかなかうまいものじゃないか?」

 ギョライがご機嫌だ。

「そうだな。これではそれほど練習の時間はいらないな」

 タケルが満足した。

 ピューとタカワシが口笛を吹くと、今度はユウダイがゆっくりと降りてきて、地上に着陸した。タケルはカケルの顔を見た。カケルの顔は真っ青で半ば呆然としていた。

「カケル、しっかりせよ。カケル!」

 タケルはがっかりした。

「タカワシの練習ではなく、これではお前の訓練が必要だな」

 タケルは情けない顔で言った。そしてカケルの顔をビシッと叩いた。カケルが驚いて目を開けた。

「カケル、先ほどのことを覚えておるか?」

 タケルは厳しい目でカケルに詰め寄った。

「あ、兄上、すみません。あまりに恐ろしくて気を失っておりました」

 かけるが泣きそうな顔で答えた。

「本当に情けない奴だ。このままでは済まさんぞ。とにかく何度も練習して慣れるのだ。お前しかいないのだぞ! しっかりしろ」

 タケルの声は興奮して荒げていた。

「タカワシ、さあ、もう一度だ。カケル、今度気を失ったらお前の命はないと思え!」

 その声はさらに険しかった。そばの者たちは、今までこんなタケルの声を聞いた覚えがなかった。

 タカワシがもう一度ユウダイに向かって叫んだ。

「行け!」

 ユウダイが、今度はもっと勢いをつけて上昇していった。そして上空で旋回を始めた。

「カケル、周りの景色をようく見ろ。見ているか?」

 タケルが大きな声で叫んだ。

 タケルの声にカケルが小さく手を振って応えた。なんとか気を失わないでいるらしい。

「タカワシ、もっと上の方へ行くようにユウダイに合図をせよ。あの壁のまだ上だ。何かきっかけが見えるかも知れん」

「分かりました」

 タカワシが合図の口笛を吹いた。ユウダイはさらに上昇していった。

「キャー」

 カケルの悲鳴が聞こえた。それでもそのままユウダイが上昇していった。そして壁の上で旋回した。最早地上からは見えなくなってしまった。タケルたちは黙って様子を窺った。上空からは何も聞こえない。

「よし、下ろせ!」

 タケルはこれまでと、ユウダイを地上に戻した。案の定、カケルが気絶していた。

 タケルはこの訓練を何度も繰り返しカケルを鍛えた。ここでカケルの為に頓挫するわけにはいかない。

 三日が経った。ようやくカケルが慣れてきた。

「カケル、もう大丈夫だな?」

「はい、兄上、もう大丈夫です」

「よし、それでは今日からは壁の上から抜け道を探すのだ。端から端までくまなく探すのだ。よいか?」

「分かりました」

 カケルの声が、今度は自信に満ち溢れていた。

 タカワシがカケルを縛り付け、タケルの顔を見た。

「用意は出来ました」

「よし、やれ!」

「行け!」

 タカワシの合図でユウダイは力強く飛び立った。壁の上まで達すると右へ旋回し壁の端へと向かった。上空ではカケルがタカワシに教わったしぐさでユウダイを操縦した。右回り、左回り、上昇、下降と合図を送ってユウダイを操った。その進歩の速さは見事であった。

       六

 カケルは壁の上空から抜け道を探した。壁の上は平らになっていて、広大な草原が広がっていたのである。

 その為、崖から下に降りる道は上空から見ると見つけやすいはずである。ユウダイがゆっくりと壁の北端へと移動した。ところがいざ上空に上がってみるとこの崖は果てしなく続いていたのである。

(これではだめだ。我々がぶつかった壁のあたりに抜け道があるはずだ。あんな向こうの方に抜け道があるはずがない。バクサンがそんな遠いところまで行っているはずがない)

 そう考えたカケルはユウダイを途中で止めて方向を戻した。適当なところから引き返して抜け道を探すことにした。が、しかし遂に北半分には抜け道はなかった。タケルたちが突き当たったところを過ぎ、南に向かった。

 その時であった。

「あっ、あれはなんだ?」

 崖をよく見ると斜めに下りる道がある。幅はわずか人間が二人ほど通れるぐらいしかないがそれが斜めに下りている。そしてある程度下りると今度は逆の方向に斜めに下りているのだ。カケルは徐々にその道を見ながら下りて行った。そして遂にその道は地上に繋がっていたのである。

「やったぞ!」

 カケルはもう一度上空へ上った。そしてその道を眺めた。それからタケルたちの居る場所を確認した。その距離はあまり遠くないのだ。早速タケルの許へ飛んだ。バタバタとユウダイが翼を羽ばたきながらゆっくりと地上に下りると、皆が走って来た。

「意外と早かったな。何か見つけたのか?」

 タケルが心配そうに尋ねた。

「はい、兄上、ついに見つけましたぞ」

「おお、そうか。よくやった。それはどこだ? しかし、良く見つけられたな?」

 タケルが待ち望んだ吉報に喜んだ。

「はい、兄上、その道は幅が人間二人ぐらいしか通れない狭い道で、その上、下からは全く分からないのです。上から見るとよく分かるのですが、下から見ると全く岩の模様の様でとても道とは思えません。それで分からなかったのです。その抜け道はここからそう遠くはありません」

「そうであったか。よし、早速出発だ。皆の者準備は良いか?」

 タケルが元気よく皆に声をかけた。

 木々を抜けて暫く行くと、その道は木々に隠れて簡単には見つからなかった。暫く探してみると、木々が密集していて見えにくくなっていたが確かにあった。

「これだな。我々が登って行くにはそんなに問題ではない。十分な道幅だ」

 タケルが安心した。

「カケル、このたびのお前の働きは素晴らしかったぞ。兄はまことにうれしいぞ」

 カケルはついぞ聞かぬ兄の優しい言葉に感動して涙を流した。

「お前はやっぱり泣き虫だなあ」

 タケルがやさしく笑って見せた。

 荷物があるので坂道は辛いが、先が見えているので苦にはならない。声を掛け合いながら力強く登って行った。

 しかし、さすがに雲のかかっている崖の天辺まで上るには時間がかかった。その日は坂の途中で野宿した。崖の途中での野宿は恐ろしかった。寝ぼけてふらふらと歩こうものなら、あっという間に地獄へ落下してしまう。一行は不安で眠れぬ一夜を過ごした。

 翌朝早く又登りだした。天辺に着いたのは昼前であった。タケルたち一行は天辺に着いたとき、眼前に広がる光景に驚いた。そこは今までと全く違った世界であった。それはどこまでも続く緑の草原であった。

「なんと素晴らしい光景だ。まるで私たちは天国にでも来たようだ」

 真っ青な空とどこまでも続く緑の草原、そして遠くにかすかに見える山々、カケルたちはあまりの美しさに、しばらくそこを動けなかった。

「タケル様、いよいよ草原の民の世界にやってまいりましたな。目指す村は後二日でございます。あと少しでございますが、油断のないように参りましょう」

 ギョライが勢い込んだ。

「その通りだ。草原と言うことは見晴らしが良いということだ。つまり草原の民から見つけられやすいということだからな」

 タケルが満足そうに話した。

 一行は一休みしてからいよいよ草原を通って草原の民の住むところへと向かった。

 その行程はあまりにものんびりとして静かであった。人の姿は無く、牛も姿が見えない。少し強めの風が南の海の方から吹いてくる。草原は風の音以外何も聞こえない。知らず知らず皆の気持ちが和らいでいった。

 段々と先に進むにつれ、草の高さが膝のあたりにまで高くなってきた。こうして二日が経った。

         七

 前方に黄色く光る大きな岩が見えてきた。近づくにつれそれは黄金の輝きを放ち、まるで草原の太陽のようであった。その岩の周りには不思議な形をしたいくつもの人家らしきものが見えた。

 タケルたちは進むのを止め、身をかがめて、その様子を観察した。それまでののんびりとした空気は一転して張りつめ、緊張が走った。

「良いか、これからは村人に気づかれぬように静かに進むのだ。それから決してこちらから先に武器を使うでないぞ。我々は戦争をしに来たのではないのだ。それを心に刻んでおけ」

 タケルが厳しい顔で一人一人の顔を見ながら命令した。

「ヨシキ、こちらへ来い」

 タケルが低い声でヨシキを呼んだ。

「お前が先に言って様子を見てこい」

「分かりました」

 ヨシキは身をかがめながら、音を立て無いように、慎重に村へ向かった。

 しばらく行くと、草の向こうから今まで聞いたことのない動物の鳴き声が聞こえてきた。

「なんだ? 今の鳴き声は?」

 ヨシキは鳴き声の方にどんどん近寄って行った。

(おっ、なんだあれは?) 

 ヨシキの目の前には見たこともない動物が何頭も柵の中に入れられていた。大きさは牛ぐらいだ。茶色や黒や白までいた。

 周りを見渡すと、見張りの人間が数人いた。

 ヨシキはその場を離れて、この動物の柵の向こう側へ回った。そこには動物の皮らしき幕で張られた丸い小屋がいくつも建っていた。髪の毛の長い毛皮の服をまとった人々がその小屋の間を行き来していた。 

(よし、とりあえず引き返そう)と、振り返ると、目の前にはいつの間にかひげもじゃの男が数人立ちはだかっていた。ヨシキは捕えられてしまったのだ。

         八

 タケルたちは草陰に身をひそめ、息を殺してヨシキの帰るのを待っていた。

「遅いなあ、何かあったのかなあ?」

 タケルは独り言を言ってギョライの顔を見た。ギョライも心配げな顔でタケルの顔を見た。その時、いきなり、草の間から大勢の男たちが、矢をタケルたちに構えて現れた。そして、ヨシキが縄で括られて引きずり出された。

「動くな!」

 歳は四十歳ほどの色黒の筋骨たくましい男が叫んだ。

「お前たちは何者だ? どこから来た?」

 どうもこの中のリーダーのようだ。

「お、落ち着いてくだされ! 我々は決して怪しいものではない。遥か遠くの葦津の国からやって来た者、ここに住む草原の民が、素晴らしい技術を駆使して狩りをしているとの噂を聞き、出来れば学ばせていただけないかとやってきました。私は葦津の国の王タケルと申します」

 タケルは立ち上がって説明した。

「私はここから三十日余り隔てた海辺のオオナギ村から同じく学びにやって来たギョライと申す。村の長でござる。我々に敵意はございませぬ」

 ギョライも立ち上がった。

「ところで、あなた様は?」とタケルは訪ねた。

「わしはこの村の長、ソウシンと申す」

「私たちは決して争いや戦いにやって来た者ではございません。武器を渡せと言われればすべてお渡しいたします」

 タケルたちは武器をそれぞれ前へ差し出した。

 更に、家来に指示し、オオナギ村で用意した真珠やサンゴの贈り物を差し出した。草原の民には珍しいものばかりだ。ソウシンがそれらを一瞥すると、すぐにタケルに向かって尋ねた。

「それよりお前たちはどうやってここまでやって来た? あの崖を登って来たのか?」

 それが一番気になるらしい。

「はい、崖を登ってやってまいりました」

 タケルは元気よく答えた。 

「ばかな! そんなことは出来るはずがない。うそを申すでない」

「本当でございます」とタケルは平然と返した。

「あの崖をどうやって登って来たのだ?」

 信じられない、といった顔だ。

「崖に作られた道を登ってきました」

「崖に作られた道?」

 ソウシンがとぼけた風で訪ねた。

「そうです。崖の下から見れば全く見えなかった道が、崖の上から見ればはっきりと見えました」

「なんだと? 崖の上から見ただと?」

 ソウシンがまたまた驚いた。

「さよう。申し遅れましたが私どもの家来には空を飛べるものがいるのです。これ、タカワシ、ユウダイをこれへ呼べ」

「ははっ」

 タカワシがすぐさま口笛を吹きユウダイを呼び寄せた。はるか上空からユウダイの大きな姿が現れた。そしてタカワシの腕にしっかりと留まった。

「な、なんじゃこの大きな鳥は!」

 ソウシンが次から次へと驚きの連続で、狼狽えている。

「これが私どもの空を飛べる家来でございます」

 ソウシンが驚きと恐れで後ずさりをした。

「なんと、こんな大きな鳥が家来だと? お前たちは魔法使いか?」

「さよう、と言いたいところですが、これも我々の研究心と訓練の賜物、努力の賜物でございます。こうして私どもは様々な技術を習得しておるのでございます。そして、このたびはあなた方の草原での生活の技術を学びたくやって来たのです」

 タケルはとくとくと説明した。

「あの道が見つけられたとは! これはわしらにとって大変な衝撃だ。絶対に他の部族には見破られないと信じておった」

 ソウシンのタケルたちを見る目が明らかに変わった。

「あなた方はいったい何者だ?」

 ソウシンの言葉遣いも変わった。

「それにこの大きな鳥は?」

 ソウシンがまたもや同じことを訊いた。

 ソウシンがタケルたちが唯者でないと悟ったようだ。ソウシンの態度が急に変わった。

「おい、その方の縄を解いてやれ。どうやら怪しいものたちではなさそうじゃ」

ソウシンの頭の中で何かが浮かんだらしい。

(この連中は役に立つかもしれない?)とでも思ったのだろうか。

「それはありがとうございます。その通りです。私たちは決して怪しいものではございません。出来ましたらあなた方の村に当分逗留させていただきたいのですが。いかがでしょうか?」

「それより前に、先ず村に案内するのでそこで話をじっくり聞かせてもらうことにしよう」

 ソウシンがどんどん先に話を進めていった。

「重ねてありがとうございます。ところで、一つ聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」

 タケルは気になる点があった。

「聞きたい話とは?」

「実はこの村は牛を草原に放して飼っていると聞いておりましたが、今まで二日間一頭もその姿を見かけません。何か理由でもあるのですか?」

 ソウシンの顔色が変わった。彼の眼は、恐怖でひきつっていた。

 ソウシンがしばらく沈黙した。

「…………、良くその状況が分かりましたな。その話も村に着いてからにしましょう。とにかく早く村へ参りましょう」

(なんだこの慌てようは? 何があるというのだ?)

 タケルの気になる点がもっと気になりだした。

 一行は足早に彼らの村へ向かった。

 村へ向かう途中にソウシンが自ら話を始めた。

「我らの村の名はソウボク村と申す。わしらは、草原で牛や馬を放牧して彼らの肉を食い、乳を飲み、皮を剥いで着るものから道具類までに利用しております。そして、あの家も彼らの皮で作られておるのです。わしらは狩りをしておるのではありません」

 ソウシンがはるか先に見えてきた集落を指差した。

「ああ、なるほど、それは失礼しました。ところで馬とは?」

 タケルは一番興味があった要件だ。

「そうか、あなた方はご存じなかったな。後で御覧に入れるが大きさは牛と同じぐらいの家畜です。馬は足が速く、私たちはそれに乗って自由に早く目的に行くことが出来るのです。それ、この先に見えております」

(ははあ、あれだな)

 タケルはそちらの方を見た。柵の向こうに動物がいるのが見える。その馬を早く見たいと思った。

 村の入り口まで来たところにその馬が何十頭も柵の中に囲われていた。先ほどヨシキが見たところだ。タケルは思わず柵の近くに駆け寄った。

「これが馬でございますか?」

 タケルは恐る恐る近寄り、食い入るように観察した。

「そうです」

「なるほど牛と大きさは同じぐらいだが動きは俊敏そうですな?」

「この馬は非常に役に立つ動物です。私どもはもともと千頭ほど飼っていました。後ほど詳しくお話しいたしましょう」

 ソウシンが何か気になる話し方をした。

         九

 タケルたち十五人は大きな広間のあるこれも牛や馬の皮の幕で作られた建物に入った。見た目より、中から見ると頑丈そうな建物であった。毛皮の絨毯が引かれた広い土間に全員が座った。

「早速大切な話から始めさせていただきましょう。事態はそれほど逼迫しておりますゆえ。」

 ソウシンが改まって、緊張した顔付で話を始めた。

 タケルたちは何事が始まるのかと身構えた。

「先ほどあなたがお聞きになった件ですが、それはまことに深刻な問題なのです。それも今正に進行している事態なのです」

 ソウシンが苦痛に満ちた表情で話しだした。

「一体それはなんなのですか?」

 早く要件に入って欲しい。

「あなたが草原に私たちの牛や馬の姿が全く見えなかったとおっしゃいました。それには恐ろしい理由があるのです。私たちの牛や馬の一部は村の中に隠れていますが、一部は草原で食べられてしまったのです」

「食べられた? 誰に?」

 とんでもない話が飛び出した。

「この草原には百年以上も前から、年にニ回、春と秋に、世にも恐ろしい()(またの)大蛇(おろち)がどこからともなく現れ、私たちの家畜を片っ端から食べてしまうのです。その為、本来ならば千頭ほどいるべき馬が毎年何百頭と食べられてその数は増えません」

「ヤマタノオロチ?」

 タケルたちは聞いた覚えのない大蛇の名前を聞いて問い返した。

「頭が八つに分かれ、尻尾が八つあるとても恐ろしい大蛇です。とても、とても私たちの力ではその大蛇と戦うことなど出来ません。私たちはみすみす大事な牛や馬が大蛇に食べられるのを指を咥えて見ているしかなかったのです」

 想像だにできない恐ろしい蛇だ。

「只、不思議なことに大蛇は草原には来ますがこの岩の周りには決して近づきません。そこで私たちはこの岩の周りに住んでいるのです。そして大蛇は十日ほどこの辺に留まり、又いずこかへ去って行くのです」

(それも不思議な話だ。何かわけがあるに違いない)

「今年もやってきました。草原に牛や馬が見えなかったのは大蛇が全部食べてしまったからでしょう。今日はちょうど現れて九日目、そろそろいなくなる頃です」

「八岐大蛇? 頭が八つもある大蛇? 聞くだけでも恐ろしい大蛇だ」

 タケルは一人呟いた。

「それは、それは恐ろしい大蛇です。牛や馬が一呑みされるほどの巨大な大蛇でございます。もちろん人間も一呑みです。鎌首を持ち上げたらまるで目の前に大木がそそり立つようです。とても我々が束になって掛かって行っても歯が立つものではありません。生贄の動物を捧げて去って行ってくれるのを待つだけしか方法はありません」

 ソウシンが(おのの)きながら話した。

「私たちが草原を進んでいる間には、現れなかったのが不思議ですね。奴はまだいるのかな?」

「分かりません」

 タケルはギョライの顔を見た。ギョライはとんでもない、とでも言うような顔をして目を伏せた。

 タケルはヨシキの顔を見た。ヨシキの目は爛々と輝いていた。もうあの熊に出会った時のヨシキではなかった。彼の弓の腕は一段と磨きがかかっていた。

 タカワシはと見ると、彼もうずうずしているようであった。

「とりあえず奴がまだいるかどうか調べてみましょう」

 タケルは、やる気だ。

「えっ? それでどうするつもりですか?」

「もちろん、奴がいれば退治するのです」

 タケルは平然と言ってのけた。

「ええー、い、今何とおっしゃいました? 退治すると?」

 ソウシンが腰を抜かしそうになるほど驚いた。

「そうです。奴がまだいるなら退治してやります」

「と、とんでもない! そんなこと無茶でございます。おやめください」

「ソウシン殿、ご心配なさらなくて結構。私たちが退治して差し上げましょう。明日朝早く出発いたします」

 タケルは立ち上がり、早速家来たちの前に立った。

「聞いた通りじゃ、明日朝、私は大蛇退治に行く。付いて来るものは手を上げよ」

家来たちは互いの顔を見たり考えたりしていた。

「タケル様、私はお供します」

 ヨシキが最初に立ち上がった。タカワシも立ち上がった。それにあの弱虫だったカケルまでが立ち上がった。愛犬福王も従った。結局タケルの家来全員が付いていくことになった。ギョライたちは恐ろしくて動けなかった。

         十

 翌朝、タケルは誰よりも先に準備が終わっていた。その他の者もすぐにそれに続いた。ヨシキは大蛇が相手なので特別に大きな弓を用意し、矢も大きく矢尻は鉄の鋭いものを準備した。

全員が集合したところで、タカワシが口笛でユウダイを呼んだ。

タケルはカケルを呼び、ユウダイに乗ってあたりを探索するように命じた。ユウダイが早速上空に舞いあがり、探索を開始した。

 タケルたちは村を後にして、そろりそろりと茂みを進み、やがて草の背が少し低い場所に辿りついた。辺りは静寂が支配し、時々さらさらと草を撫ぜるような緩い風が吹いているだけであった。

タケルたちは静かにユウダイの帰りを待っていた。

「タケル様、あちらを、ユウダイが戻ってまいりました」

 タケルはタカワシが指さす方を見るとものすごいスピードでユウダイがこちらに向かって飛んできた。そしてタケルたちの所に着地した。

「兄上! いました! 奴がいました」

 カケルはユウダイを下りる間もなく報告した。

「おう、でかした。それで奴はどこじゃ?」

「この先、半日ほど行ったところで眠っています。それはまことに大きな蛇です」

 カケルは、今まで大きな動物たちに出会って、ある程度は慣れていたはずだが、その顔は引きつっていた。

「そうか、腹がいっぱいになって眠っているのであろう。すぐにそちらへ行くぞ!」

 一行は直ちに大蛇の寝ている方向に向かった。タケルたちは無我夢中で進んで行った。おかげで思いのほか早くその場所の近くまで来た。カケルが上空から合図を送って来た。

 タケルはそれを見て言った。

「この先にいるぞ。皆の者、これからは音を立てるな」

 さらに緊張が走った。

 タケルたちは息を殺して大蛇のいる方へゆっくりと近づいていった。 体を半ば伏せながら静かに前進していった。

 やがてその先に巨大な岩のような物体が現れた。ゆっくりとその岩が上下に動いている。息をしているのだ。

 頭の大きさは人間の身の丈ほどあり首の直径もほぼ人間の身の丈ほどある。それが八つ、ごろんと草の上に横たわり眠っているのだ。胴は直径が優に人間の身の丈を超えていた。

 これらが口を開くとどんな大きさになるのか見当もつかなかった。おそらく牛や馬を丸ごと呑み込むほどの大きなものであろうことは分かる。タケルはその大きさにたじろいだ。

(こんな巨大な怪物をどうして倒せばよいか? それも頭が八つだ)

 全く見当がつかなかった。

(どこに急所があるのか? 竜頭の剣で倒せるのだろうか?)

 ヨシキと顔を見合わせた。タケルはそろりと剣を抜いた。

 と、その時、大きな十六個の目がぎょろりと開いてこちらを見た。

「しまった!」

 しかし、時遅く、大蛇はすっくと八つの鎌首を持ち上げ、こちらを睨んだ。

 タケルは龍頭の剣をしっかりと握り、何時でも来い、とばかりに構えた。

 大蛇が、一瞬静止したかと思うと、次の瞬間、そのうちの一つの巨大な口が開いた。それは正に地獄の入り口であった。タケルめがけてその大きな口が襲いかかった。

タケルは素早く横に頭から飛んだ。大蛇がすぐさまそれを追ってまたまたその大きな口で襲ってきた。タケルはまたもや横っ飛びにそれを避けると巨大熊と戦った時のように返す刀で大蛇の顔に斬りかかった。

 龍頭の剣はざっくりと大蛇の頬を斬り裂いた。真っ赤な血が大蛇の顔から噴き出した。大蛇が驚いて体全体を揺り動かした。それはまるで巨大な竜巻が荒れ狂っているようであった。

 今度は後の七つの巨大な口が次々とタケルを襲った。タケルはそれを払い、避けるだけで精一杯である。

福王とユウダイがそれぞれ一つ一つの頭に攻撃を仕掛けタケルを助けようと試みた。傍らで機をうかがっていたヨシキがそのうちの一つの頭の大きな目を狙って大きく強力な弓を引いた。

「覚悟!」

 次の瞬間、特別強化された矢が放たれ、見事大蛇の左目玉に命中した。矢は大蛇の目玉に深く突き刺さった。

 大蛇がその痛さにグウアーという悲鳴をあげ、ぐるぐると首を振り回した。二つの頭に打撃を受けた大蛇が大きな胴体をバタンバタンと大地に打ち付け、のた打ち回った。

その度に大地が激しく震えた。遂にタケルの家来の一人が胴体に巻き込まれて体を潰されて死んでしまった。

 大蛇が態勢を立て直し、再度攻撃の構えに入った。大蛇がタケルを睨んだ。

 タケルはじっとそれを見ながら次の攻撃の時機をうかがっていた。

 大蛇がその大きな六つの口で第二の攻撃を仕掛けようとした。今度は、タケルはそれをよけるのではなく、攻撃に転じた。彼は飛び上がって一つの上唇に上段から斬り下した。大蛇の鼻先がパックリと割れた。大蛇が勢い余ってそのまま地面に顔を叩きつけた。

 タケルは返す刀でもう一つの頭の首を横から切り裂いた。グウァー、と言う悲鳴が上がった。首から血しぶきが飛び散った。龍頭の剣の威力は凄まじかった。

 残るは四つの頭だ。四つの頭は狂ったように鎌首を持ち上げ、体中を使って地面を叩き、尻尾をブンブンと振り回した。周りの草々はすべて地面に倒れ、大蛇の叫びで空気が激しく揺れた。

(どれが本来の頭だ? それとも別々の蛇がただ一つの胴体にくっついただけなのか?)

(いや、八つの頭は別々だが、一つの生き物だ。しかし胴体は一つだ。胴体を攻撃すれば一度で済む)

 タケルは攻撃の的を胴体に絞ることにした。

「ヨシキ、タカワシ、私は奴の胴体を狙う、お前たちは残りの四つの頭の注意を引いてくれ!」

「分かりました!」

 ヨシキが返事と同時に次の矢を四つの頭の内の一つの目玉めがけて撃った。今度は見事に大蛇の右の目の玉に命中した。先ほどのようにその頭は激しく暴れ出した。

 ユウダイがタカワシの指示通り、一つの頭の背後に素早く回りその後部に激しくくちばしを突き当てた。不意を突かれたその頭も狂ったように激しく揺れた。

 福王は一つの頭の首元にかぶりついた。相手の首は大きいが福王も大きな犬だ。その衝撃は大きく、その頭は反撃に出ることも忘れて悲鳴を上げ続けた。

 残った最後の頭はどれを攻撃すべきかうろうろするばかりであった。今こそ、大蛇の胴体にタケルの剣が攻撃するのみだ。

「いやあ!」

 気合と共にカケルは大蛇の懐に飛び込み胸元をぐさりと突いた。大蛇が思いがけないところへの攻撃で一瞬動きが止まった。

「うりやー、うりやー」

タケルは二度三度と突きまくった。

大蛇が苦し紛れに体全体を上下に大きく揺さぶった。血しぶきが飛び散り、タケルは思わず後退した。

大蛇がしばらくのた打ち回りそのままものすごい速さで移動し始めた。

タケルたちは逃がしてなるものかと後を追ったが余りの速さに見失ってしまった。

「カケル、後を追え、見失うなよ!」

 ユウダイに乗ったカケルがすぐさま後を追った。

 タケルたちは高ぶる心を抑えながらカケルの帰りを待った。ほどなくカケルが戻って来た。

「兄上すぐそこで奴は休憩しています。早く行きましょう」

 カケルが先導した。タケルを先頭に全員がカケルの後を追った。

 やがてまたもや巨大な岩のような大蛇の姿が見えてきた。

「最早取り逃がすことは許されない。私が急所を一撃するからその機会を逃さないことだ」

「はい、タケル様、ではどういう風に仕掛けますか?」

 ヨシキが冷静にタケルの指示を待った。

 タケルはしばらく考えた。

「カケル、降りて来い」

 タケルは手招きで上空のカケルを呼んだ。

 カケルが降りてきた。

「段取りはこうだ。先ずカケルが大蛇の頭の上の方から声を出して大蛇を呼ぶ。大蛇は気が付いて上に目をやる。カケルが呼び続けると、大蛇がさらに上を向く。首の根元の胴体が上を向いたところで私が奴の下へ飛び込んで、先ほど突いたところを切り裂くのだ」

 ヨシキたちの目が爛々と輝いている。

「更に、その上にヨシキと他の者が一斉に矢をその切り口へ打ち込め。これで頭は八つでも奴は終わりだ。良いか、カケル、お前の役割が一番大事だ。あまり近づいてもダメだ。少し離れたところから呼べ。しかしあまり高いところからだと奴は首を高く持ち上げるからそれでは先ほどの所へ私の剣が届かない。そこのところを考えてやるんだぞ」

「はい、分かりました」

 カケルとヨシキが返事をした。

「よし、カケル、行け!」

 カケルがユウダイに乗り上空へと舞い上がった。タケルは剣を抜いてそうっと大蛇の近くへと寄った。ヨシキが大蛇の正面に回り、体を低くしたまま弓を構えた。後はカケルの仕掛けを待つだけだ。タカワシと言えば、ここはじっとユウダイの活躍を見守るばかりであった。

 ユウダイが上空で大きく旋回をしてからすうっと大蛇の頭の上に下りてきた。大蛇の頭から遠くもなく近くもない高さで静止すると、上に乗っていたカケルがタケルの方を見て目で合図した。

 タケルはいつでもよいぞと首を縦に振った。

「おーい、バカおろち、おーい、バカおろち、起きろ、起きろ、おーい、バカおろち、起きろ、起きろ」

 カケルは何度も大きな声で叫んだ。暫くしてようやくカケルの声に大蛇が気が付いた。そして目を開くと ギョロッと上を睨んだ。

「おーい、バカおろち、おーい、バカおろち、起きろ、起きろ、おーい、バカおろち、起きろ、起きろ」

 カケルが叫び続けた。

 八つの頭が徐々に鎌首を持ち上げ始めた。八つの頭がふらふらしながらカケルの方へ頭を持ち上げて行った。

「もう少し上へ持ち上げろ」

タケルは待っていた。

「おーい、バカおろち、おーい、バカおろち、起きろ、起きろ、おーい、バカおろち、起きろ、起きろ」

 カケルが必死で叫び続けた。

 遂にタケルが突き刺したところが見えてきた。

「今だ!」

 タケルは草むらから飛び出し大蛇の胴の下に入り、間髪を入れず剣を真一文字に振りぬいた。

「いええい!」

 大蛇の胴は半分ほど斬りこまれた。そして、胴体は真っ赤な鮮血と共にぱっくりと割れた。

「ぎゃあ!」

 大蛇が悲鳴を上げると今度はヨシキの号令で皆が一斉に矢を放った。強力な矢がタケルの切り裂いた真っ赤な胴体の中へ次々と突き刺さっていった。

「ギャー」

 大蛇が断末魔の叫び声をあげ続けた。八つの尻尾が苦し紛れにそれぞれがビュンビュンと激しく揺れた。そして、遂に力尽きる時が来た。ドドーと言う大地を揺すぶる轟音と共に大蛇の八つの頭と体は地面に落ちた。その後、動かなくなった。

 しばらくそのまま大蛇の様子を窺っていたタケルは遂に叫んだ。

「我ら巨大おろちを退治せり!」

 タケルは高らかに勝利の宣言をした。皆もそれに呼応して勝利の雄たけびを上げた。

         十一

 タケルたちは大蛇の大きさを測ってみて、その巨大さに今さらながら恐怖を感じた。

「なんと巨大な大蛇だ」

「いやあ、まさに怪物です」

 ヨシキが答えた。

「よくぞ倒したものだ。みんな御苦労であった。これで草原の民の生活は安全だ。村のみんなを呼んで早速この死体を解体しようではないか?」

「はい!」

 家来たちが元気よく答えた。

 ヨシキがすぐに村に向かった。村に着いたときは日もとっぷりと暮れていた。

 ヨシキの吉報に村人たちが、喜ぶどころか唖然としてその場を動けなかった。喜びよりもそんなことが本当に出来たのか?と、まだ信じられなくて動けなかったのだ。

 ギョライだけが、それが真実であることを確信していた。

「とにかく道具を持って一緒に来てくれ!」

 翌朝、ヨシキがソウシン、ギョライを始め村のものを引き連れてタケルの許へ向かった。

 昼前に現場に着いた一行が、見事に打ち取られた巨大な大蛇の死骸を見て、皆驚きの悲鳴にも似た声を上げた。

「タケル殿! 見事でございます。何と偉大なるお方か! あなたは真に勇者であり、真の王でございます」

 ソウシンが感激で声が震えている。

「これであなたの村も平和に暮らすことが出来ますね。良かった」

 タケルは満足そうに答えた。

 タケルの家来も村の者もみんなで大蛇を解体した。解体し終えたときにはとっぷりと日も暮れていた。蛇皮だけでも広大な面積があり、いくつにも分けて運んだ。

 次の日の夜は大蛇退治の成功を祝う大宴会が村で開かれた。タケルを中心にして村の者全員が大騒ぎであった。

「ソウシン殿、もう一度お願いいたします。私たちはこの村にしばらく逗留したいのですがお許しいただけますか?」

 タケルは、肝心の話を持ち出した。

「お許しなどとんでもない。あなた方はあの大蛇を退治していただいた大恩人でございます。いつまでも私たちの村にいてください」

「それはよかった、ありごとうございます。実は、私どもはこのギョライ殿の村に、まだ仲間が百人ほど逗留させてもらっています。私どもは遥か彼方の葦津の国からやってきました。いや、本当は隣国の火の国に侵略され、ほとんどが殺されたり奴隷にされ、生き残った我々はいずれ帰ってくることを誓ってともかく逃げて来たのです」

 苦しい過去を苦々しい思いでタケルは語った。

「今まで幾多の苦労と経験を経て私たちは本当に逞しくなりました。その間、我が王スサノオは古傷が元で死んでしまいました。しかし、今や、祖国奪還の時期はだんだんと近づいている予感がしております。ここで、我々が馬の技術を習得すればもう鬼に金棒だと思っています」

 一番重要なポイントだ。

「技術の習得はもちろん、願わくは、馬を何頭かお譲りいただければありがたいのですが。無理な願いとは存じますが、是非ご協力いただけないでしょうか?」

 タケルは、心からソウシンに訴えた。

「さようでございましたか。各地で戦が始まっていると言う噂は聞いておりましたが、正にそれが現実に起こっているということですね。物騒な世の中になってきましたな」

 ソウシンがタケルの事情をよく理解してくれた。

「どうぞこの村で技術を習得してください。及ばずながらお手伝いさせていただきます。もちろん馬の方も全部とはいきませんが、大蛇に食べられることを考えたら何の問題もありません。出来るだけ多くお贈りいたします」

「それはありがたい。どうかよろしくお願いいたします」

 タケルとソウシンは互いに助け合うことを誓った。タケルはこれも神のお導きだと感謝した。

 タケルたち一行はそれから乗馬の技術を一生懸命習得した。タケルは、この技術は大変強力な戦力であることを悟った。

(馬とはなんと役に立つ動物だ。牛とは比べ物にならないぐらい素晴らしい。力が強いだけでなく、走る速さはなんと風の様だ! その上に乗って操る技術を身に着けるのに時間がかかるが、それだけの価値は十分にある。この馬に乗って兵士が隊をなして攻めれば向かうところ敵なしだ』

タケルは乗馬の重要性を益々実感した。ヨシキは馬上から矢を射る技術をあみだした。タケルたちは馬の飼育そのものの技術も学んだ。自分たちで馬を育て、増やしていくことが必要だからだ。

        十二

 一年が経った。

 タケルはそろそろここを離れる時が来たと感じていた。しかし、彼には一つ気になることがあった。どうしても晴らしておきたいことがあったのだ。それはあの大蛇についてだった。

(どうしてあの大蛇はあの岩には近づかなかったのだろう? おかしい。きっと何か理由があるはずだ。あの黄金の岩には……)

 タケルはその理由がどうしても知りたいと思った。タケルはソウシンを訪ねた。

「ソウシン殿、あの大蛇がどうしてあの黄金の岩には近づかなかったのでしょう? その理由を是非とも知りたいのですが、あなたには何か心当たりがないですか?」

「私たちもそれは不思議で、なぜだろうかといつも思っていました。みんなで考えた挙句、結論はあの岩には神から与えられた不思議な力があると、それしか考えられないのです」

 やはり、人間の力の及ばない何かが隠れている。

「不思議な力を持つ?」

「はい、私たち自身も時々そういう力と言うか、恐れと言うか、そういうものをあの岩から感じることがあるからです」

 ソウシンがおどおどしながら話した。

「ふーん、そうなればどうしてもその不思議な力を見てみたいものですね?」

 タケルはヨシキの顔を見た。ヨシキがその通りと言う顔で返事をした。

「ヨシキ、それではその不思議な力を拝むために、今宵からあの岩の周りで寝泊まりしてみようと思う。どうだ?」

 タケルはニヤリとしてヨシキを窺った。

「はっ、それでは早速支度をさせます」

 待ってました、とばかりにヨシキが立ち去った。大蛇退治の連中が全員と今度はギョライとその家来も集まった。もちろんカケルも一緒である。

「ソウシン殿、私はどうしてもこの謎を解明するまではこの地を離れることができません。何かが私を呼んでいるような気がするのです。そうさせていただいてよろしいですか?」

「もちろん、是非、不思議な力の元を発見してください」

 ソウシンたちは、タケルたちがきっと謎を明かしてくれるだろうと期待している。

 タケルたち一行は直ちに岩の周りに寝床を用意した。

「今夜から寝ることは許さんぞ。寝るのは昼の間だ」

「もちろん、心得ております」と全員が声をそろえた。

 一日が経ち二日が経った。

 三日目の夜のたっぷりと更けた頃であった。気が付けば家来の者たちはみんな寝静まっていた。松明の火のはじける音だけが静かな夜の闇の中に響くのみである。 

 タケルは岩を眺めていた。すると、松明の光でゆらゆらと揺れていた岩の金色の肌が、徐々に輝き始めたのである。

(な、なんだ? 何事が起っているのだ?)

 黄金の輝きは益々その煌びやかさを増し、周り全体を真昼のように照らし出した。

(これは一体?)

 輝きは更に増し、タケルは眩しくて目を開けていられなくなった。

 その時、低い小さな声が岩の方から聞こえてきた。

「タケルよ、良くぞここまで来た。私は草原の守り神である。このたび、この世界を作られた元の神、天光大神のご命令で私がそなたを呼んだ。そなたはやがてこの地上の世界を支配する大王になる人間である」

(やはり、大神のお導きであったか)

「そなたはここまで来て遂に乗馬の技術まで学んだ。これで向かうところ敵は無い。いよいよ自分の故郷を奪還する時が来た。国へ帰れ、葦津の原を取り戻し、火の国を滅ぼすのだ」

(やっとその時が来たのだ)タケルは胸の高鳴りを抑えきれない。

「しかし、それはそなたの使命の始まりにすぎぬ。そなたは父から言われた大事なことを一つ忘れておる。そなたは葦津の国を神の国とし、それからは、すべての国々を葦津の国の支配下におさめ、この地上の世界を統一するのだ。そなたはこの地上の世界の王となるのだ。そして地上に秩序と平和をもたらし人々を幸せにするのだ。分かったか」

「私が地上の世界の王となる? そう言えば父上があの時そのようなことを言われたような気がする。……いや、確かにそう言われた。しかし、私にはクマソが憎くてそのことを忘れていた」

 タケルは初めて自分の真の使命に気づいた。今初めて、神の声として自分が世界の王になると言うことを聞かされた。

「そなたは神が創りし子であるスサノオの子、まぎれも無き神の子なるぞ。スサノオ亡き後、そなたがこの大事業をなし遂げねばならぬのだ。そなたはそういう運命を持ってこの世に生み出されたのだ。その御しるしをわしは大神様から預かっておる。さあ受け取れ」

 光の中からタケルの目の前に龍の頭が飾られた黄金色の王冠が現れた。タケルはそれを恐る恐る受け取った。そして頭にそうっとかぶった。すると、タケルの体中に稲妻が走った。彼の体は緊張と心の昂ぶりの為にぶるぶると震えた。

「その冠を被るとどうだ? 勇気が湧いて来たであろう? これでお前は天下無敵である。さあ、すぐにここを発て! これからも艱難辛苦がそなたを待ち受けておる。しかし、恐れることは無い。神の言葉を信じて突き進め。そなたには神がついておるぞ。必ず道は開ける。分かったな……、さらばじゃ……」

 草原の守り神の声は次第に遠のいていき、光はだんだんと消えて行った。タケルは夢見心地であった。今何が起こっていたのかさえしばらく分からなかった。しかし、そのうちに意識が徐々に戻って来た。

(いったい、今、何が起こったのだ? あれは夢かまぼろしか?)

 タケルは自分の頭の上にしっかとおさまっている金の王冠を触った。

(いや、やっぱり夢なんかではない。確かにここに金の王冠がある。と言うことは……、私はとてつもない大きな使命を負わされているということか……。私は神の子? 私が世界の王となる? 世界を支配する? 私はそういう運命を持っている? 何と言うことだ! 私は父上の復讐と祖国の奪還ばかりを考えていたが、それは正に始まりに過ぎなかったのか? そうだ、こんなことはしていられない。すぐに支度をして国に帰らなければ)

 タケルはその夜は一睡もせず、これからのことを考えていた。夜が白みかけてくるとタケルはもうじっとしていられなくなった。

「おい、みんな起きろ! さあ、早く早く!」

 タケルはソウシンの所へ急いだ。

         十三

「タケル様、お帰りなさいませ。ご苦労様でございました。いかがでしたか、謎は解けましたか?」

「おう、ソウシン殿、すべてが分かりました。実は…………」

 タケルは草原の守り神がこの黄金の岩におられるから大蛇が近づけなかったこと、それから自分はすぐに国に帰って葦津の原を奪還せねばならぬと守り神から言われたことを話した。

 又、自分は神の子であり、神から地上の世界を統一せよという使命を受けていることも話し、包み隠していた黄金の竜頭の王冠を取り出し、みんなに披露してみせた。ソウシンだけでなく、それを知らされていなかったタケルの家来やカケル、ギョライたちも黄金の王冠を見て、びっくり仰天であった。

「これは見事な王冠だ。タケル様、そんなことが私たちの寝ている間に起こっていたのですか? これは驚いた。タケル様はまさしく神の子、この地上の世界を支配される王でいらっしゃいます。私たちはずっとタケル様にお仕えし、この地上世界の王になられるために命を懸けてお手伝いさせていただきます」

 ヨシキが言った。

「私たちも同様でございます」

 そばに居並ぶ家来たちも全員が声をそろえた。

「タケル様、私たちもお国の奪還に参加し、世界の王になられるお手伝いをさせてください。全員とは申しませんが私の選りすぐりの家来百人と馬百頭をお預け申し上げます。それにタケル様には特別の贈り物がございます。私たちの馬の中でも特別足の速くて頭の良い白馬でございます。名前はフウソクと申します。是非お役立てください」

 ソウシンが家来に合図を送った。家来が慌てて馬小屋から引き連れてきたのは、なんと、見事な白馬であった。その姿は力強く、気品に満ちた顔立ちは正に王の為の馬であった。

「おう、これはなんと素晴らしい馬だ」

 タケルはフウソクに近づきその頬を撫ぜた。

「これはかたじけない。心から感謝いたします。ソウシン殿のお心ありがたくお受けいたします」

 タケルは感激した。又、自分の周りの全てのものが自分の使命達成のために動き出しているのを感じていた。

「ソウシン殿、この一年間大変お世話になりました。おかげで私たちは多くのことを学びました。又、その上に、あなたの大切な家来百人と馬百頭、それに素晴らしい馬を私にいただき感謝のしようがありません」

タケルは王の身分を忘れて深々と頭を下げた。ソウシンが恐縮してその場に跪いてしまった。タケルは話を続けた。

「しかしながら、私たちは明日には私たちの国へ旅立たなければなりません。まことに勝手で申し訳ありませんが明日には失礼いたします。これまでのご厚意、ご親切に心から感謝いたします。ありがとうございました」

「えぇ、もう明日にお立ちになる? とんでもない。これから私たちが恩返しをしなければなりませんのに……。お礼を申さねばならぬのは私たちでございます。あの恐ろしい大蛇を退治していただいた上に、草原の守り神様までお教えいただいて、なんとお礼を申してよいか、お礼の言葉もありません」

 ソウシンがただただ恐縮し、礼を述べるのに精いっぱいであった。

「もう少しゆっくりと滞在していただければよろしいのに……。しかし、お急ぎとあらば無理にお留はいたしません。せめて今宵だけでもゆっくりとお過ごしください」

「そうおっしゃっていただければ心置きなく旅立たせていただけます。ありがとうございました」

 タケルたちは、その日の内に身支度を整えた。夜の接待も断った。明日の朝早く旅立ちである。

 翌朝、森の出口には村人たちが勢ぞろいしてタケルたちの出発を見送った。タケルたちは草原をゆっくりと後を何度も振り返りながら進んで行った。


「タケル王ハ己ノ運命ノ重大サニ激シク心ヲ揺リ動カサレ、己ノ使命ニ目覚メラレタ。父スサノオ大王ノ遺志ヲ実現スルベクソウボク村ヲ後ニシ、葦津ノ国ヘノ帰途ニ就カレタ。タケル王ハコレカラノ艱難辛苦ニ立チ向カウ強力ナ意思ヲ固メラレ、世界統一ノ旅ノ第一歩を踏ミ出サレタノデアッタ」


「これにて第一の巻の終わりでございます」

 家持の言葉に天帝は暫く黙っておられたが、やがて、にっこりと笑顔を浮かべ仰せられた。

「よくやった! 余は感動したぞ。我が国の成り立ちが正しく収められておる。第二の巻が楽しみじゃ」

「はは、恐れ入りまする」

天帝は満足した顔つきで退廷された。

 家持は安堵して宮廷を後にした。


第一部完



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