2 人と魔(後)
彼の記憶する所では、魔王と魔物という存在の出現はこうだ。
およそ五十年前、太平洋のど真ん中に突如物体が飛来した。隕石と思われたそれはしかし、巨大な城の形をしていた。
その城から無数の異形が現れ、太平洋海域にある船、潜水艦、それらの乗員全てを捕らえて乗っ取った。そしてそれに気付かず迎え入れた国々で、魔物による侵略行為が開始された。
動乱に陥った世界へ、魔の城から巨大な通信ジャックによって通達が送られた。全世界のモニターというモニター、音声という音声から、それは伝えられた。
「妾は魔王である」
そう語ったのは、羊のような双角を頭に頂いた、豊満な肢体に青白い肌、黄金の髪に真っ赤な眼を持つ異形の美女だった。
「妾はこれよりこの星を我が物とする。この星のあまねく生命体、知性体よ、貴様等は今日から我が奴隷であり家畜である。一切の抵抗、一切の謀反も許さぬ故、地上の全てを明け渡しひれ伏すのだ」
異形達の侵攻は凄まじかった。現代武器は意味を成さず、天変地異を引き起こす未知の攻撃に軍隊は壊滅し、見る間に人間の生存圏は奪われていった。たったの三月足らずで、太平洋に面した地域と海全てが魔王の支配下に置かれた。
人々は魔王と名乗ったその異形の支配者への畏怖を込め、配下達を魔物と呼んだ。
「え、え、ちょっとアズミ、質問良いかな?」
「はいミリオ君」
「魔族は? この星に元々いた我々は、君達人間には知られていなかったのかい?」
生徒扱いしてみたのにスルーされた。という部分はともかくとして、マクシミリアン……略称ミリオが、初めて慌てた様子で訴えてきた。そういえばこいつは耳は長く尖っちゃいるが、角が無いし肌色も人間に近いな、と全く関係の無い思考が彼――藍曇の頭を過ぎっていた。名前は説明をする直前、「長くて呼びにくい」と苦言を呈した所略称を教えられ、ついでに「私は君の名前すら知らないのだがね」と切り返され教えた。
「ぶっちゃけ魔族って言葉は、フィクションで稀に出るくらいのものだったらしいぞ。そもそも魔物とか魔王って存在も、今の魔王達が来るまで創作上の存在って扱いだったとかなんとか」
藍曇がけろりと告げると、ミリオはショックの隠しきれない顔で青ざめていた。
「……父上がなー、いないってあたりでまあねー、ちょっと異変は覚悟してたけどなぁー……ええー? 魔族いないの? 本当に? いないの?」
「魔物が同じ種族ならいるってことになるんじゃねーの? ちょっと落ち着けよ」
「うん、有り難う……狼狽えても現状は変わらないからね、そうだね」
ミリオは深呼吸をして、組んでいた両手から力を抜いた。相手の動揺を前に、藍曇は何となくその勘所を察していた。
「ふーむ。要するに魔族は、少なくとも六千年前には国一つは作ってるくらいにゃ地上で繁栄してて、人間にも認知されてる存在だったんだな?」
藍曇の言葉に、ミリオはゆっくりと頷いた。それじゃ驚くよなあ、と藍曇は頭を軽く掻いた。若干の同情じみた気持ちが無くもなかった。
「一応、魔王とか魔物か魔族みたいな人じゃない何かってのは、伝説とか伝承で五十年以上前から残っちゃいたけどな。世間じゃ今の魔王が送ってた視察とかだって論調だが、多分それがここの元いた魔族か魔物かなんだろうな」
「本当かい? ということは現代でも」
「大体百年くらい前には全部空想上の生物って切り捨てられてたけどな」
持ち直しかけていたミリオが藍曇の追撃にがくりと項垂れた。可哀想なことをしたようにちょっと思った。
「そうかあ。まあでも、外界の魔王の侵略が許された理由がこれではっきりしたかな。この星の魔族は空想の存在扱いされる程に数を減らした……或いは滅んだ結果、抵抗出来なかったのだね」
一息ついたミリオは、冷静にそう判断を下した。立ち直りが早いのか、それともやせ我慢なのかは不明だが、話が早いのは藍曇としても助かった。
何だろう、こいつつまらなくない。藍曇のどこかがそう言い始めていた。
「この星がお前の親とかが治めてた所じゃねーって可能性は?」
「星の脈が同じだからまずそれは無いとは思う。母上も他の星に休眠させるなんて鬼の所行はしない……いやするかも……」
「お前の母さん怖すぎね?」
「怖いというか常識が無いのだよ。そこを間違えると致命的に危険だから気を付けるんだ」
「しかも擁護しねーのかよ。息子だろお前」
何者だよお前の母さんは。ミリオに思いつつ、藍曇はベッドで胡坐をかき仕切り直す。
「話を戻すけどな、侵攻から四ヶ月経った頃に『神』がやって来たんだ。んで神パワーで魔物と魔王を封印して、時間稼ぎしておくから対抗手段を身につけるように、ってのたまったんだ」
「聖霊族が助けてくれたのか。外界の魔王を問題視しただけだとしても、実に有難い」
「おう。そんで人類も対抗手段として魔術と法術身につけた。そんで魔王が封印破って戦争始まって、大体十五年前に休戦して現在膠着状態。以上、何か質問は」
本来は戦役が云々だの現在も徴兵がされているだの雑魚魔物の民間攻撃がたまにあるだの、細かい話はあった。だが恐らくミリオの知りたいことは沿革だろうから省いておいた。
ミリオは駆け足で語られたおよそ五十年を咀嚼するように、目を閉じた。藍曇も急かさず判断を待つことにした。
「――魔術とは、誰がもたらしたものなのかな。魔法とは区別されているものかい?」
ミリオの口から紡がれた問いは、気にしてしかるべき点だった。藍曇は頭を巡らせ記憶をかき集め、回答する。
「えーとな、確か杏・セベレッタ・永久音っていう最初の魔術学者。魔物の使う魔法を、人間に適した術技として体系化したって触れ込みで魔術を提唱したんだと」
「セベレッタ……ふむ」
「だから根底は魔法と大体同じだけど、魔術はまた別ってことじゃねーかな。俺専門校行ってねーからよく分かんねーけど」
若干頼りない答えになったが、ミリオはどうやら疑問らしい疑問は残らなかったらしい。空中椅子をして思案する顔になっていた。
「つか、俺からもちょいちょい質問していい?」
「ああ勿論。私の答え得るものであれば、幾らでも」
ミリオは即答し、ゆったりを構える。全く無理のない様子に、藍曇は安心するような戸惑うような不思議な心地になるが、ともかく疑問を口にする。
「さっきのせいれいぞく、とかいうのは何だ。魔族の間での神の呼び方なのか?」
「大方そういった認識で間違いは無い。魔族や人族といった精神エネルギーの大きな種族からそれを貰い、司る性質に則った力を発揮する半精神生命体だ。我らとも良き隣人だったのだが」
「え? お前ら神と同列なの?」
「その口ぶりだと、現代の人族は対等ではないのだね。その理由も探った方が良さそうだ」
他には? とミリオは別の質問の受付に入った。これ以上は本人も分からない所が多く、憶測で物を言うのを遠慮したのだろう。すっきりしないが、藍曇は追求をやめておいた。
「星の脈って何だ」
「言葉のままだよ。地熱の巡りやマグマの流れ、地核を中心に起きているエネルギー流動……それらは他の生命体と同じく星一つ一つによって違う。だから私はこの星が自分の生まれ育った母星と分かった。生体認証のようなものだ。これと君が念じた場所を照らし合わせることで座標を決定し、ここへ転移が出来たのだよ」
「何でお前生体認証とか現代的な言葉知ってんの?」
「現代的……? 魔族では三億年前には既に一般化したものだったのだけれど?」
マジか。いやそりゃそうか、少なくとも六千年前にはきっちりした文明築いて王国作ってたらしいもんな。藍曇は妙に納得してしまった。
「てか、三億年前って何だ。お前らの寿命ってどんだけ長いんだよ」
「それは種によって千差万別だ。一億年が一生の半分にも満たない種もいれば、たったの三年しか生きられない種もいる。我ら魔族は外見や生態も含めて差が激しくてね」
またしても新事実だった。学校教育では魔物は総じて長命でしぶといとか聞いていたのだが。
「他には」
「あー、もういい。大丈夫だ」
藍曇はひとまず疑問が解消されたので、伸ばした手を振り断っておいた。ミリオは「後からいつでも疑問はぶつけておくれ」と言って、それから少し目線を泳がせた。
何となくその様子を見つけて、藍曇は首を傾げた。
「どうした?」
藍曇の問いに、ミリオはすらりと長い脚を組む。その紫と金の眼が、つと青灰色の双眸を捉えた。
「……アズミ。君は魔物や魔族が嫌いかな」
聞き返されて、藍曇はきょとんとする。それからウルフカットの黒髪を揺らし、更に頭を捻る。
「まあ、心証は最悪だな。昼間襲われたし」
「ならば道理だ。如何に情けの心を持つ者であれ、一度でも危険に晒された記憶を持てば警戒はしかるべきだ。
では君は、魔の存在は最早君達や他の生物とは共存など出来ないと。そう思えるかい」
次いで投げかけられた言葉に、藍曇は目を見開いた。自分が驚いていることに驚いていた。
どうしてそんなことをミリオは聞いているのだろう。何かを知りたいのか、それとも、
「……わかんね」
ミリオの心理もまとめて、藍曇はそうとしか答えられなかった。切って捨てられるのを予想していたとばかり、落胆も動揺も見せないミリオに、藍曇は更に続けた。
「だってお前の言葉を信じるなら、ウン千年だ。俺らは魔族を完全に忘れ去って神様崇めて人間社会で生きてきて、五十年も前には魔物と魔王に散々えらい目に遭わされた。その魔物とはちょっと違うとか説明されてもよ、お前が言った通り魔族も警戒する」
藍曇からの論に、ミリオは耳を塞ごうとはしない。どこか寂しげなようにも見えるが、決して現状から目を逸らさずにいようとしている。
これだからもっと分かんねーんだけど。藍曇は心中で溜息を吐いた。
何を俺はこんなにこいつに真剣になっているのだろう。そうも思う。だけれど、そんな冷めた思考が今日は妙に弱かった。
「けど、お前見てるとよく分からん」
「うん?」
「お前はさ、俺と少なくとも普通に言葉を交わして、デタラメとしか思えんことを何故か理路整然と喋る訳だ。こうなると俺は何を基準にすればいいか謎過ぎて困るんだよ」
「禍根が深いのかアズミ独特の言い回しなのか、今の発言は判断に迷うね」
「どういう意味だそれ。まあ、ただ、結局の所、俺もお前もお互いとしか喋ってねーだろ? 他の人間とも、他の魔族とも喋ってねーから、お互いを基準にするしかなくなってる」
藍曇は自分を指さし、それからミリオを指さす。ミリオの色違いの双眸が指先を追いかけていた。
「お前以外のこの星の魔族が生きてるか知らんから、俺は多少仕方なくはある。で、ミリオはそうじゃねーことは知ってるが、まず対話出来るかどうかが気がかりってことなんだろ」
「そうだね……」
「けどさ、今はどうすればいいかなんつーのは後回しでいいんじゃねーのか」
「え?」
藍曇がすっぱりと言い切ると、ミリオがぱちぱち瞬きをした。
「適当に知りたいこと調べて、やること探して、そんで判断したって遅くはないだろ。お前にはお前の基準とかがあるだろ? 俺に振り回されて決めて、お前満足かよ」
不思議と藍曇の口から、はじめから用意していたみたいに自然に、そんな言葉が出てきていた。
まるで自分こそがずっと、そんなことを思ってきたかのようだった。
ミリオがぽかんとした顔をした。だがそれからふっと口元を緩ませ、目を細め、くつくつと肩を揺らし、
「ガチ笑いしてんじゃねーか!」
「ふ、ふふふ……! だって、ねぇ? 無責任だよアズミの言ったことは……はは」
「何だよ、言われたことねーから新鮮だってか?」
「いや、六千年よりずっとずっと前からそう言われ続けてきた」
「は? ……誰に」
そう聞くと、ミリオは懐かしげに涙の浮かんだ目を遠いどこかへ向けた。
「そうだね、母上と姉上には少なくとも」
「お前ん家の女性陣はどうなってんだ?」
「そうなんだよ。なのに二人して民の信も親しみもとても厚くて、秘訣を聞けばさっきのアズミと似た言葉を並べるのさ。
『自分すら満足させられないと言うのなら、一体誰を満足させられるって言うの?』ってね」
一瞬名言かと感銘を受けかけた藍曇だったが、よくよく考えて、
「それ、自分たちの放蕩を正当化してるだけじゃね?」
「結果がついてきてなかったら事実そうなんだよねえ」
最早苦笑も出なかった。だが呆れ返った藍曇を前に、ミリオは「しかし、そうだね」と冷静な笑顔になっていた。
「全く私は甘ちゃんだ。この世界の本当の今を知らず、何の努力もせず、自分が傷つきたくないからと使命やするべきことを盾に思考を放棄していた」
「……」
あっさりと自らにあった問題を見つめ、ミリオは腹を決めた顔つきをした。
そこに「真摯さ」といっしょくたになって光る「好奇心」と「悪戯心」を認めて、藍曇はまるで心に被さっていた殻が割れる心地を味わった。
「そうだね、アズミ。私が今後活動していくには協力者が不可欠になるだろう。それを君に頼みたい」
「へえ。本気かよ」
「無論。恩や義理などからではなく、私は君とこの世界について知りたい。言い換えれば、君と初めての『ともだち』になりたい」
「え、お前ぼっち?」
「こればかりは私の努力不足ではないよ。姉上と兄上に、こう、熱心に鍛えられるばかりの毎日……だったから……ね」
一瞬ミリオが顔から生気を失わせ、寒気を抑えるように体を両手で抱いた。こいつどんな魔人生歩いてきたんだろう。藍曇は密かに気になって仕方なかった。
こんなにわくわくしている。俺が。いやこんな俯瞰してる場合じゃない。こんなにも、
「魔王の種の初の友達が人族。なかなか聞かないフレーズだよ?」
この目の前にいる異常の塊に、面白さを感じている。俺のすべてが。
「そんじゃ手始めに父さんと母さん」
「ああ、どうするかってことかい? お二人はそうだね……君以上に魔物には警戒心が高いようだったから、本性を見せるのはまだ躊躇うね」
「第一段階でずっこけるのはやばいしな。リスキーな選択は出来ないよな」
「少しクッションを挟んで、君の友達であり、尚且ついずれ魔族であることを明かしても困られないようにして……」
「何だ、妙案みてーなもんあんの?」
窓の外は徐々に夜明けの明るさを見せ始めていた。その中で藍曇は、ミリオと一緒になって小さな小さな悪巧みに夢中になっていた。
彼は紛れもなく、全霊で「面白い」と思っていた。
これが、この星に再誕する魔王とその朋友のはじまりだった。