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0 墜落

 ついてない。本気でついてない!

 いやついてきる奴はいるんだが。……だからそんなギャグやってる場合ですらねーんだよ!! ふっざけんじゃねーよ!!

 叫べたのならそう叫んでいたのだろう、俺は。だが息が切れすぎ喉が潰れそうな今の俺にはそんな余裕すら無い。ついでに叫ぶなどという蛮行が出来る程安全が保証されてもいない。

 真逆だ、レッドラインすら越えている。つーかあと数分内に俺は人間として終わる。叫ぼうがこれ以上逃げ惑おうが、魔物に捕まるかして人間としての生活を終える。この霧に閉ざされた山道で。

「……っ!! は、げほっ」

 今にも喉が破けて血が吐けそうだ。これ放っておかれても勝手に死ぬんじゃねーのか俺。脚が腿までひきつって笑ってるし、スニーカーはぬかるみで中までぐちゃぐちゃでいつコケてもおかしくないし、山道踏み外しても死ねるじゃねーか。

 人間の尊厳を守って死ぬか、人間やめて飼い殺しの道を歩むかかよ。どっちも嫌だわ。

 へー、どっちも嫌か。俺にもそんな人間らしい気持ちあったんだな。驚くわ。まあ思った所で終わりなんだが。

「ぜぇっ、……! く、っそ……!!」

 ヒュッ、と耳のすぐ側を風を切って何かが通過し、すぐ横の岩盤に突き刺さった。何かはここに逃げ込むまでに何回も見た。人間捕獲に特化したサスマタってヤツである。

 これが間違って変な所に刺さったらまあ、死ぬんであるが、正直な話俺とかいう一人の人間がどうなろうが奴らは知ったこっちゃないんだ。

 それが魔物だ。人間と奴等は分かり合えないものだと相場が決まっている。だって「ペット用」だとか言って捕まえにくるんだからな。

 背筋がゾッとすると同時に、また無性に腹が立ってきた。こんな雑な人生の終わりとか、俺は絶対嫌だね。

 風に乗って奴らのクスクス笑いが聞こえてくる。どうやら獲物が元気で非常に嬉しいようだ。市街地なんつー非常識な場所で人間捕獲ゲームなんか始めるんだもんなあ、そりゃ元気な獲物はさぞかし点数がお高めなんでしょうな。あいつらの羽根もげればいいのに。脚の感覚が無くなりかけながら心中で毒づいた。

 こんな霧に閉ざされた山に入ってまで逃げたのに。山だからって理由で遠足ですら禁止されてきた俺の幼少期の我慢は何だったんだよ本気で。

 腹が立つ。悔しくもなる。悲しくもなる。感情という感情が全て爆発しそうだ。自分の中で色んなものが膨れ上がっていくのを止められない。

 ええい、この野郎!

「……ど、っか……いけよぉ!!」

 果たして無力な自分に対しての一言だったか、それとも執拗に追ってくる魔物に対しての罵声だったのか。何だかよく分からんが、俺は全身全霊をかけてそう口走った。

 言った後がどうなるかなど考えてる訳は無い。何が起きるなんて期待すらしていなかった。

 そんななりふり構わない様相だから、こうなった。

 突然足元から地面が消えた。

「は?」

 間抜けな声を出して、俺は脚の下を見た。そこにあったのは、無限に広がる霧の世界だった。

 あ、俺落ちるのか。

 何故か今の一瞬で精神力をすっからかんに使い果たした俺は、物凄く単純にそう思っていた。どうするとか何も思い付かず、ただ待ち構える霧の世界をぼうっと見ていた。猛烈な虚脱感で頭が止まっていた。



 世界の一つも超えて、魔物なんてものがいない世界にでも飛んじまいたいわー。

 そう思って、どこまでも深く遥かな霧に包まれていった。



 ***


 一歩踏み出すごとに、べちゃ、にちゃ、と嫌な水っぽい音がしていた。こりゃこの道の舗装石は泥と水で台無しだな、と他人事のように考えて、彼は歩いていた。脚の方は回復をだいぶ待ったので普通に歩けるようになっているが、やはりというか、山に蓄えられた水を多量に含んだスニーカーは一向乾かなかった。

 あんまり湿ったまんまにすると水虫になるんだっけ。まだぎりぎり高校生なのにそれは困るんだがなぁ。彼はぼんやりと青灰色アッシュブルーの眼を前方に泳がせながら、思っていた。そういう思考が既に若者らしからぬ風合いがあった。

 霧の立ち込めたそこは、何処までも続く灰色の石の道だった。彼の左右には壁はおろか遮蔽物になりそうな物もなく、ひたすらに真っ白な霧に包まれた空間が広がっていた。

 最初にここへ落ちてきた時、彼だって面食らった。着地に失敗して背中から石畳の上に転がり、一瞬飛んだ意識が戻って辺りを見て、言語を失った。落ちてから何も言っていなかったが。

 一応ちょっとは考えた。ここどこだよ。

 そして次には止めた。考えても意味ねーな、と結論を出して。

 何せ見るからに普通の場所ではいのが丸分かりだ。「真っ平ら」な地面以外に何も――空すら無いのだから。

 空が無いと何故分かるかと言えば、影のせいだ。彼は足元にある影が、前後左右どの方向にも全く伸びないことに気付いたのだ。少なくとも彼の知る現実世界には、太陽が常に頭上にあるみたいな影が出来続ける場所はない。そして丸い星である限り、地平線まで平らな場所などあり得ないのだ。

 でもってこんな場所に訳が分からない内に飛ばされてしまったとなれば、彼にとっては考えるだけ無駄でしかないのだ。確かな情報など無いのに何処なのかなど判断できようはずはない。全くの徒労だ。

 となれば手がかりが見つかるかするまで、行動するしかない。そう結論を出した末が現状なのだった。

「まー、魔物に捕まるよかマシだな」

 彼は少し声を張ってみた。まるで空気まで静止しているかのように、一切声が響かなかった。

 当然ながら、返事などもない。彼は分かりきっていたと腕を組んだ。

 まあ助けなど最初から期待してはいないが、この分では誰かに発見されるなど夢のまた夢だろう。魔物連中はどうかは知らないが、捕まえに来ておいて体力が回復するまでこちらを放置するなどという本末転倒な真似は、余程の享楽犯でもなければするとも思われないので、多分この空間にはいない。

 なので彼は歩く。襲われる不安も無いが取り立てて救いになる要素もない。そんな空間をただ歩く。

 果てなど無く霧が漂い続けている。終わりなど無く石の道が続いている。

 歩く。一片の変化も起きないまどろみのような空間をただ歩く。目的も何も思い付かず、あてどなく歩く。

「……」

 彼の体感ではもう随分と歩いた。一体どれだけの時間が過ぎたのか知らないが、こうも延々変化がないと、流石に精神が弛む。いや弛むを超えて、刺激の無さに不安と苛立ちを覚え始める。

 マジでここなんもねーのかよ。何の為の空間なんだよ、嫌がらせか。

「出てこいよ」

 魔物じゃねーなら何でもいいから。などと念じた瞬間だった。

「っぃ!?」

 突如彼は脳天にタライが落ちたような感覚がして、脚がつんのめった。果てしなく霧と石の地面が続く前方に体が傾き、

 額が硬質な物体に思いきり激突した。

 彼はぶつけた状態で暫し硬直した。痛みで転げ回るのも感情と痛覚表現としてはアリだろうが、孤独にやっても虚しいだけだと思ったので、痛みが引くまで我慢する。

 いやこんな一種体面を取り繕おうとする所業も同じ程度に虚しいが。彼ははたとそんなことに気がつき、自分に自分でため息を吐く。それか、痛みで涙目になりかけつつ双眸を開いた。


 その眼に、銀の花弁に包まれた銀の片手が映った。


「……」

 彼は目の前にある硝子っぽい物体に両手を乗せ、顔を上げた。そして、眼前にあるものを改めて観察する。

 半透明の棺桶のようにも見える、長方形の物体だった。丁度彼の胸の上辺り、長方形の上部分は極めて純度の高い透明だ。「その中にあるもの」の大体下あたりから次第に濁りを帯びて白くなり、地面と近い場所程に緑色を帯びていた。丁度、鉱石が色を変えていく風合いに似ていた。

 そしてそう、中身だ。

 その透明と白と緑に包まれて横たわっているのは――人の姿をした何かだった。

 目が安らかに閉じられていて尚、恐ろしい程に美しかった。棗型の細い輪郭、白皙の肌、一ミリのズレも見当たらない端正な目鼻立ち。ほっそりとした体躯を包むのは紺碧に金の縁取りが成されたいやに上等そうな前開きの外套。長身の体型まで均整が完璧に取れ、腕も脚もすらりと長い。脚には白い、人間で言うスラックスを身に付けている。

 所々うねった、長い身丈程もある髪は、本体を包んでいる物体と同じ白と緑だった。生え際あたりは白で、それが毛先へ向かう程に滑らかに薄い緑に色づき、全く自然に深い緑へ変貌するのだ。その髪が敷き詰められた銀色に、さらさら流れている。

 何だ、こりゃあ。

 彼の純粋な感想のまず一つ目だった。

「……」

 なんつーかこう、琥珀みてーだな。虫とか化石とか入ってるタイプの。

 長方形の物体全体を一旦離れて観察して、次に思ったのがそれだった。

 いや、つまらない感想しか考え付かなかった訳ではない。突然出てきたとはいえこの空間に存在しているとなれば、これが恐らくここの要になる何かなのだ。そのくらいは彼にも判断できていた。

 この他に何もない有様を鑑みるに、多分この白菜琥珀はここに隠されているか封印されているかなのだろう。つまりこの空間はこの白緑物体の為に存在するのを主目的としている。

 何故そんな所に自分がいるのか、果たして彼には分からない。とはいえ何となく、ここを出たいのであればこれに何らか働きかけねばならんのだろう、とは察していた。

 しかし。彼は目を伏せ、思う。

 自分はここから出たいのか?

 考えて、彼はかなり微妙な気分だった。あんな魔物だらけで奴らから侵略の限りを受ける世界に戻りたいかと考えると、素直に頷けない。

 そりゃ去年まるまる使って名門大学合格まではこぎつけたことと、そこに至るまでの努力と、悪くない暮らしぶりで生き残ってこられた人生を無駄にしたいとは思わない。が、確かまだ入学金は支払っていないし、両親はどちらもまだまだ働ける。魔物というイレギュラーを除けば。そういう現実問題を冷えた頭で考えてしまう。

 そこそこ大事にされて暮らしてきた恩義を返さないのも気が引ける。だけど、魔物がいる以上人の命は常に薄氷の上にあるようなものだ。それを今時理解しない人間はいないのだ。

 あーでもなあ。母さんは誕生日の度に「今年は行方不明になってくれなくて良かった」とか喜んでくれたりするいい人なんだよなあ。俺神隠しとかオカルトに遭いまくるから。

「……ぇ」

 父さんは逐一涙もろくて心配だし。酒飲んじゃ「弟も妹もいなくて寂しいよなぁ……兄も姉もいなくて不便だよなぁ……」って何故か俺に謝るし。いや一人っ子は母さんと決めたんじゃねーのかよ。あとあの人やっぱ絡み酒かも知らん。

「ち、……うえ、――あ、……、――か」

 そりゃ俺も姉とか兄とかってものを羨ましく思ったことはあるけどさ。ちょっとクラスメイトとかに兄弟ってどうよって聞いたことあるけど

「家庭環境による差はあるけど、人によってはお勧め出来ない所だよ」

「あーそうそう、聞くと大体そんな反の」

 彼は突然聞こえた声に弾かれたように振り返った。

 瞬間、白と緑の琥珀に亀裂が走った。

「は、っえ? な、なん」

 彼は思わず後ずさる。その一瞬で透明な場所にだけだった亀裂が白へ、薄い緑へ、深緑へと一気に駆け抜け、


 彼の眼前で宝石の揺り籠が砕け散った。


 光の無い世界に軌跡を散らし、宝石の欠片が舞っていく。一種幻想的とも思えるその光景に、彼は知らず釘付けになっていた。

 砕けた宝石の隙間から細い腕がすうっと伸び、袖のフリルで軽く破片を払っていく。銀の花弁が洪水のように流れ落ち、銀光に彩られながら宝石と同じ色の髪が靡く。

 透明、白、緑、薄緑。複雑な色がぶつかり、石の上に転がる世界に、銀色の靴先が舞い降りた。

「――、―――――……?」

 仄く緑を帯びる白い前髪の間から覗く桜貝の唇が、まるで聞いたことの無い呪文を紡いだ。と、次には口許を銀の光沢を纏う手袋に包まれた手が隠し、そっと脚が宝石を掻き分け動き出す。



「まあ、兄弟というものは居たら居たで苦労もあるものさ。

 君の言語はこうで合っているかい?」



 呆然と見開かれた彼のアッシュブルーの双眸を、金色の右と紫色の左がすぐ近くで穏やかに見詰めていた。

 何だ、どういうことだ。何なんだこれは。

 彼の頭は追い付かない。追い付かないまま、口だけがわなわなと震えながら言葉を紡いだ。

「お、お前、なんだ?」

 彼が発したいたく混乱した問いかけに、それはまるで当然の如く答えた。

「中々答えに困る問いをしてくれるね。まあ、人間であろう君にも通じるよう簡潔に述べれば……


 そうだな、私は『魔王』の種である。

 とでも答えようか」

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