聞こえない声の唄
ルキウスは生まれつき、耳が聞こえなかった。
数百年に一人いるかいないかの奇病で、原因は不明。帝都のどんな腕利きの医者も治療法は発見できず、クィンクティウス星を一周しても、彼の音の無い世界を打ち破ることは誰にもできなかった。
彼が音を取り戻すには、銀河を一つか二つ超えなければならないだろう。ルキウスが七歳になる頃には、周りの大人達の誰もが匙を投げていた。
耳が聞こえないということは、クィンクティウス星では残念ながら真っ当に働けない、ということだ。そして、働けない者に生活を保障してあげるほど、この星は豊かではなかった。だがたった一人、彼の母親だけは、ルキウスの耳を諦めず根気強く看病と世話を続けていた。
【ルキウス、おはよう】
……こんな風に書かれたボードを持って、彼女はルキウスに文字を教えた。息子がいつか治った時のためにと、彼の耳元で息を吹きかけ、触れる空気で言葉の形を伝えた。誰もが音を持たぬ少年を諦め見て見ぬ振りをして過ごす中、それでも懸命に治療法を探す母親の姿が、帝都のあちこちで見かけられた。
ルキウスはそんな母親のことが大好きだった。彼女のために、いつか耳が聞こえるようになりたいと願っていた。ある日、遠い銀河を旅してきた聞いたこともない星の宇宙飛行士が彼にこう告げた。
【君の耳の病気は、我が星ではとっくに治療法が見つかっている。ただ、治すためには我が星だけで採れる特殊な薬草が必要だ。星の外では育たない。我々と一緒に来ないか?】
しばらく迷った後、ルキウスは黙って宇宙飛行士の手を取った。その晩、彼はテーブルの上に置き手紙を一つ、寝静まった母親の元をこっそり離れ旅立った。
それから宇宙船は長い時間をかけて、三光年の銀河を泳いだ。彼を誘ってくれた若い男の宇宙飛行士は、ルキウスに優しかったが、宇宙船の誰もが彼を歓迎している訳ではなかった。時々、彼が耳の聞こえないのをいいことに、柄の悪い船員達が目の前で堂々と彼の悪口を言っていた。耳は聞こえなくとも、嫌な気持ちは伝わるものだ。そんな日には、彼は与えられた狭い船室に篭って、ぎゅっと目を閉じて星に残してきた母親のことを想った。
【耳が聞こえるようになりたい】
【お母さんの声が聞きたい】
定期的に入るコールドスリープの中で、彼は一時の眠りにつきながら心の声に耳を澄ませた。
心の声は見えはしない。触れもしないし、形もない。
それでも、耳が聞こえないルキウスの中で、心の声は彼に確かに届いていた。
【早く、帰りたい】
心の声はどんな静寂よりもはっきりと、彼の中で力強く唄った。
それから彼は拾ってもらった宇宙飛行士の星に無事たどり着き、適切な治療を受け音を取り戻した。初めて聞く音は何もかもが新鮮で、驚きの連続だった。まるで世界が一斉に動き出したかのように……彼は何度も何度も、音のする方向に首を回し続けた。
だが、それだけで彼は満足しなかった。自分を育ててくれた母親の声……。その声を聞くために、彼は生まれ故郷を離れここまで旅立ってきたのだ。若い男の宇宙飛行士は引き止めたが、彼は三光年の銀河を泳ぎ、母親の待つクィンクティウス星に戻った。
「お母さんは……」
久しぶりに故郷に降り立った彼の言葉を聞いて、クィンクティウス星の人々は悲しそうに首を振った。ルキウスが最初に旅立ってから既に莫大な時間が過ぎていた。いくら長生きのクィンクティウス星人とはいえ、彼の母親は既に帰らぬ人となっていた。
「母は……どんな声をしていましたか?」
何か昔の録音などが残っているかもしれない。そう思ってルキウスは母親を知る周りの大人達の元を訪れたが、誰もが首を横に振るばかりだった。ルキウスは苛立って、とうとう親戚の一人に食ってかかった。
「一体どういう……」
「ルキウス……君のお母さんは、生まれつき声がでなかったんじゃよ」
叔父はルキウスの母親と同じ優しいグリーンの目で、彼を悲しげに眺めて呟いた。
「お前が治す気力を失わないようにと、必死に喋れるふりをしていたんじゃ」
それから母が眠る墓標の前で、彼は自分の泣き声を初めて聞いた。その声は今まで聞いたどんな音よりも彼の心を搔きむしり、日が沈んで登っても、彼の心の中で決して止むことはなかった。




