スラム街へ
「……困るなぁ……」
男は困っていた。基本的に寝ているだけでありとあらゆるものが揃うという素晴らしい待遇なのだが、周囲のサービスがいささか過剰気味ており、居心地が悪くなってきているのだ。
(バリアも物理的な物は阻めるけど自分の体から沸き起こる精神的な物は阻めないみたいだし……今日も今日とて日がな呆けては眠りに就くが何もしたくない……)
しかし、そろそろ横になりすぎて床ずれしそうだと考えて一念発起して立ち上がる。今度は着席してその体重の移動によって椅子を揺らしながら考えた。
(……いや、あまり勤勉で困っている人たちに迷惑はかけたくない。ダメな奴らと一緒にダメなことをしているのはいいが俺はそこまで腐ってないはずだ。前だって働きたくなくて死にたいとは思っていたが生活保護を受けようとは思っていなかった。)
それは自分の誇りでもある。本当に困っている人たちを差し置いてただ楽をしたいだけの自分がのうのうとしているのは許せないのだ。
(今、この国は何か大変らしい。収穫高を上げるために国内を何とかしようと思う訳でもなく、それがあるところへと攻め込むと言う思考放棄をしている魔国がここに攻め込んで来ているらしいからな……)
この場所に最初に飛ばされた時に訊いていたことを思い出して据わっていた首を背もたれに預ける。
(しかも、戦災に巻き込まれた人たちへの補助なんかで本当に忙しいらしいし、それに対して元から王都にあったスラム街の連中が混乱している間なら何をしてもいいと動いているらしい……)
最近、怠惰を持った人が部屋の近くに来たので食べたついでに聞いたことだ。そして彼は決めた。
「スラム行こ……そこなら働いてなくてもいいだろ……何か臭かったりするらしいけど外的要因ならバリア効くだろうし……」
一生懸命働いている人たちばかりになってしまい、居心地が悪くなった王城から離れて男は王都の中でも最も治安の悪い悪人の吹き溜まりのような場所へと立ち去った。
男が居なくなった後の王城は大騒ぎに陥るが、この城に仕える人々の目を覚まさせた賢者である男が何の意味もなく消えることは考えられない。常人では理解できない深い考えがあってのもののはずと勝手な憶測を立てられ勝手に無事を祈られるのだった。
「……成程、酷い臭いに酷い顔ぶれ。更には手抜きの建物。ここなら俺も働かずに済みそうだ……【トレークハイト】……」
周囲の空間を怠惰にすることで特定の物体に対してそれを伝えるという役目を果たさせないようにし、快適な環境を維持したままスラムに入って来た男は満足気に頷き、おやつ感覚で物乞いの怠惰を喰らう。
「む……熟成されてる……」
最近少しだけ発される数が多くなったがもともと少ない口数。盗人を追う声や暴力の声などに掻き消される程小さな声だが、醸造された怠惰の味に食事にすら口を動かしたくない男も思わず唸っていた。代わりに物乞いをしていた男は立ち去ってしまう。
「まぁいい……自分を悲劇のヒロインとか主人公とか思ってる奴らはたくさんいる……確か、スラム街だけで万単位でいるんだったかな……それだけあれば大丈夫だろ……」
柄にもなく興奮して呟く男。周囲からすれば全く以て生気すら感じられない無表情だが、喋っているということはある程度テンションが高いか感情が揺れ動いているということだ。
(治安も悪いらしいけど、バリアで……バリアの燃料もこれだけ怠惰な人が居れば余裕のはず……)
我ながら完璧なロジックだと最近はほとんど動かしていなかった表情筋を動かしてそれと分かる笑みを見せる男。しかし、見せる対象のいないそれはすぐに元に戻った。
男は立ち去ってしまった物乞いの居た場所の方へフラフラ移動し、そこに横になると帰って来たら留守番してやった代わりに泊めてもらおう。帰って来なかったらそのまま留守番してやろうと身勝手な理屈をつけて横になったり座ったりして偶に怠惰を喰らう日常を過ごすのだった。