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せっかくなので、淹れた紅茶に出来立てのブルーベリーのジャムを落として混ぜ、ブルーベリーティーにしてみた。ふんわりと広がる甘酸っぱい香りに、ほんの少し口角が緩む。お茶を淹れるのも、昔より格段に上達したと思う。
アランおじさまとリンスに差し出せば、二人も美味しいと言って飲んでくれた。
レイスの話題で何処かピリついていた空気も、暖かな湯気と一緒に揺らいで、少し和やかになった気がする。
「それにしても、発つのが明日の朝なんて。やっぱり急過ぎるわ。あなたを派手に送り出す準備も間に合わないじゃない」
「しなくていいから、それは」
「いえ、せめて何か餞別の一つくらい……」
カップを片手に、不満気に口を尖らせていたリンスは、そこで「あ」と呟く。
そして傍らに置いてあった袋から、あるものを取り出してコトリと机の上に乗せた。
「なに、これ?」
それは、私の掌より僅かに大きいくらいの、蓋付きの木箱だった。
金の留め具もついていて、木の加工も丁寧。蓋の表面には、蔦に絡む『鐘』を模った彫が施されている。素人でも分かる繊細な造りで、これはかなり腕の良い職人の一品なのではないだろうか。
「これはね、王都で流行りの品物で、『精霊の宝箱』って言うのよ」
「精霊の宝箱?」
「教会の許可を取って、王都で人気の精霊使い兼木工職人が『精霊女王の聖なる鐘』を、一つずつ箱に彫っていてね。これに自分の大切な物を入れておくと、精霊の祝福が得られて幸運が訪れるとかで、今王都の若者の間で大人気らしいのよ。手に入れるのが大変な代物なんだけど、お兄様が私のお土産にと入手してくれたの」
「へぇ……確かに素敵な彫ね」
「でしょ? 想い入れのあるアクセサリーや、畳めばお気に入りのリボンなんかも入るわよ。本当はスーの家に寄る予定じゃなかったから、それは他の友人達に見せびらかそうと思って袋に入れといたんだけど……あげるわ、スーに」
「え!?」
私は驚きで目を見開く。
アランおじさまは「ほー、さすがロットレア家の娘。太っ腹だな」と感心しているが、そんな説明を聞いた後に簡単には受け取れない。聞けば、王都では貴族の娘さん方が高価な宝石等を仕舞い、男性の間でも恋人からの贈り物を保管するといった用途で、広く愛用されているとか。残念ながら、私にはそんなお洒落な使い方は出来そうにない。
即座に断りを口にしようとすれば、先にリンスがそれを私の前へと押し出した。
「精霊姫様にはぴったりの餞別でしょう? お守り代わりに持って行ってよ」
「でも、お兄さんがリンスに贈ってくれたものなのに。申し訳ないわ。私は入れたい物も特に思い当らないし……」
「いいのよ、お兄様も親友のスーにあげたと言えば納得するもの。普通に小物入れにしてもいいんだから、とりあえず箱だけでも貰っときなさい」
「この私がタダであげるのよ?」と凄まれては、受け取らざるを得ない。リボンを押し付け泣き止めと促されたときと同様、リンスの強引さには負ける。
礼を言って手に取れば、彼女は鮮やかな紅の乗る唇を釣り上げ、満足そうに微笑んだ。
近くで観察すれば、箱は本当に一級品だ。
実は前に座る二人には見えないだけで、ずっと横に居たウォルが、私の手の中にある箱をマジマジと眺めている。水色の毛をふわふわ揺らしながら、「木苺のパイは入るかなぁ」と零していたが、止めなさい。腐るから。
「さて、それじゃあそろそろ御暇するか」
空になったカップを置いて、アランおじさまがのっそりと立ち上がる。何だかんだ、長いこと話していたようだ。直に母様たちも帰ってくるだろう。
片づけ等は後にして、私はドアから出ていく二人を見送ることにする。
空は茜色がさし始めていて、秋の夕時らしい涼しげな風が吹いている。風音に交ざって微かに耳を撫でる笑い声は、風の精霊たちの声が流れてきたのかもしれない。彼らは噂好きが多いと聞く。
この後に寄る場所があると言っていたリンスは、「がんばりなさいよ!」と最後に一言だけ激励を残し、速足で慌ただしく去って行った。
それに続こうとする、アランおじさまの広い背中を見つめていたら、ふと、彼は足を止めてこちらを振り返った。
「なぁ、スーリアちゃん。これは言うべきかどうか迷って、さっきは言葉にしなかったんだが、やっぱり伝えておくな」
「……なんでしょう」
「レイスのことで、俺が感じたことだから。そう大したことじゃないないんだがな」
そう前置きをして、アランおじさまは短く切り揃えた髪を掻く。私は無言で続きを促した。
「……俺のとこに来たアイツは、俺と『会話』なんてせず、一方的に挨拶と報告だけをしてとっとと帰ろうとしていた。もう此処には用は無いと言わんばかりの、感情の欠落した態度でな。元から愛想なんて言葉とは無縁の、可愛くねぇ坊主だったが……それでも、なんだろうな。どっか無理して、あえてそんな態度を取っているようにも、そのときの俺には思えてな。咄嗟に、去り際のアイツを呼び止めたんだよ」
「呼び止めて、どうしたんですか?」
「いや、本当に咄嗟だったから、勢いで思いついたことを言ったんだ。『スーリアちゃんのこと、ちゃんと守ってやれよ!』って。そうしたら……」
すっっっごく嫌そうな顔をして、『義務の範囲で』って答えとか?
そんな皮肉と卑屈に満ちた返しが頭に浮かんだが、アランおじさまの口の隙間から零れ落ちたのは、私の予想とはまったく異なるものだった。
「レイスは小鳥の羽ばたきにも負けちまいそうな、小さく掠れた声でさ。だけど声だけでも強い意思が窺えるような、そんな調子で、『……そんなことは分かっている』と、それだけ返してきたんだ。痛みに耐えるような、すげぇ辛そうな顔でな」
「……レイスが?」
「ああ。あのやり取りだけが、久々に再会した『息子』との『会話』だったな」
ははっとおじさまの空笑いが、暮れなずむ景色に溶けて消える。
「これは俺の勘だが、アイツは何か大きなもんを、一人で抱えている。それが何かは、たぶん俺には分からんだろう。……こんなこと、今さらスーリアちゃんに言ってどうするんだって、気が引けたんだがな。それでも俺はやっぱ、アイツの親みたいなもんだからさ。レイスのことが心配だし、多少は肩入れしちまう。変なこと言ってすまんな、スーリアちゃん」
「……いいえ」
緩く首を横に振ると、おじさまは小さな笑みを作り頭を下げ、今度こそ私の前から遠ざかっていった。
残された私は、何処か歯痒いような、形容し難い複雑さを抱えたまま。
落ちる夕陽の赤にレイスの瞳を重ね、暫くドアを開けてそこに佇んでいた。
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再会編はここで終了。次からは王都編になります。よろしければまたお願いいたします。