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「おう、スーリアちゃん。久しぶりだな」
「ちょっと、スー! なんでレイスさんが帰ってきてるのよ! 何があったのか説明して!」
落ち着いた低音とよく通る高音が、両耳を攻めてくる。レイスのようにすぐ帰る気配は無さそうだったので、立ち話もなんだし、私は二人を家の中へと招き入れた。
「突然お邪魔してごめんな」と、がっしりとした体躯の肩を竦ませ、食卓を挟んで私の正面に座っているのが、アラン=グラビス。人の良さそうな笑顔と茶色い顎髭が特徴的な、父様の旧友にしてレイスの親代わりである、アランおじさまだ。
レイスと決別した日から自然と疎遠になってしまい、会う頻度も減っていったため、こうしてゆっくり顔を合わすのは久しい。
「それでご用件は……まぁ、レイスのことですよね。つい先ほど、此処に挨拶に来ていましたよ。精霊姫の護衛騎士として」
「ああ、レイスと再会したんだな! いや、アイツ、先に俺のとこにも顔を出していてな。俺の若い頃に似て随分と色男に……っと、その前に、精霊姫に選ばれた祝いを述べてなかったな。おめでとう、スーリアちゃん!」
惜しみない拍手をくれるアランおじさまに、私は苦笑いだ。なんで選ばれたのかも分からないし、正直実感が湧かない。父様と母様はお祭り状態で喜んでいたが、当人は何となく居心地が悪い想いを抱えていたりする。
「そう、それよ! まずはスーが精霊姫ってどういうことなの!?」
アランおじさまの拍手をぶった切るように、おじさまの右隣りに腰かけている、赤茶の巻髪の美少女が声を挙げた。意思の強そうな大きな瞳に、凹凸のしっかりとした女性らしい体つきで、スッと伸びた背や質の良い服からも、育ちの良さが窺える。
彼女の名はリンス=ロットレア。大きな商家の一人娘で、私の親友。そして何を隠そう、かの暗黒の誕生日に、レイスに『レイスさんは、バレット家のお嬢さんとは恋仲なの?』と迫った娘である。
彼女は、私がレイスを殴って泣きながら逃走した後。
蹲るレイスを友人に預け、なんと私の方を追ってきたのだ。ようやく涙が収まってきた頃に、家の庭の柵の間から、彼女が「見つけた!」と顔を出しているのを目撃した時は、心臓が止まるほど驚いた。
そして、自分の胸元の見るからに高価そうな幅広のリボンを外し、それを柵の隙間から手を伸ばして私に押し付け、彼女は言った。
「これで涙を拭きなさい! レイスさんは、私の旦那としては申し分ない男で気になっていたけど、女性に見えないところであんな罵倒をする男はダメよ! 碌な男じゃないわ! あなたも、あの人の発言など気にしないで、さっさと別の男に切り替えなさい! 流す涙が勿体ない!」
「女の涙は高いのよ!」と眦を釣り上げて怒気を滾らせていた彼女に、呆気に取られた記憶は懐かしい。日が暮れるまで泣き続けていた私を、探してそんなことをわざわざ言いに来るなんて。彼女もなかなかにぶっ飛んだ思考の持ち主である。
しかし、それから妙に馬が合い仲良くなり。きっかけは悲惨でも、今では気心の知れた無二の親友同士なのだから、人生って分からない。
私は自分が何故か精霊姫に選ばれてしまったことと、その護衛騎士がまさかのレイスであったことを、リンスに掻い摘んで説明した。
「私は霊力なんて無いから、精霊については詳しくは無いけど。精霊姫に選ばれるなんてやるじゃない! 流石は私の親友ね。でも、あなたを守る騎士がレイスさんなんて……大丈夫なの? 王都の方は、今は良くない噂もあると聞くけど」
「噂?」
「ええ、お父様について商売に出掛けたお兄様が、王都で精霊使いが次々と行方不明になる事件が相次いでいると。こっちも詳細は聞いていないけど、まだまだ調査中で、消えた人たちは戻ってきていないらしいわ。人為的なものだとしたら、誘拐の線もあり得るかもしれないって。そうだとしたら、精霊姫なんて格好の餌食なんじゃ……」
「そんなことが……でも、その心配は大丈夫だと思うわよ」
誰が精霊姫に選ばれたのかは、儀が終わるまでは教会の上層部と、当人に関わるような人にしか知らされない。世間的に公表されるのは、無事に精霊女王との謁見を終了し、王城で労いを受ける時だ。
誘拐事件だとして、精霊姫だからと、狙われることはないと思う。
「それでも危険があるのに変わりはないでしょう! 世間知らずの田舎娘に、ただでさえ王都は魔境なのに!」
「い、田舎娘……」
「そのためにレイスが居るんだけどな。俺が此処に来たのは、レイスが俺のあとに、スーリアちゃんのところに行くって言っていたから、心配して様子を見に来たんだ」
アランおじさまのとこに現れたレイスは、育ての親でもあるおじさまに、一応顔見みせだけでもしておくか、くらいの短い挨拶と簡素な説明だけを言い残し、瞬く間に立ち去ったらしい。そしてその後に、私のとこに来て言葉の刃を投げ付けていった、と。
リンスの方は、偶々レイスが私の家の方から歩いてくる様子を目撃し、そのまま勢いで此処まで来て、アランおじさまと遭遇したそうだ。
「それで、レイスはどうだった?」
「どうだったって……」
「久しぶりに会うスーリアちゃんに、その、アイツはどんな態度を取ったのかなと……」
歯切れの悪いアランおじさまの物言いに、彼が何を問いたいのかを悟る。おじさまは私とレイスが不仲になってから、ずっと気を揉んでいた。
これで「昔は昔、今は今です。レイスは私のことを誠心誠意、守ってくれると言っていましたよ。いやあ、持つべきものは素晴らしい幼馴染ですね」くらい言えたら良かったのだが。
私とアイツの悪化に悪化を重ねた関係は、時が解決してくれるものではなかったのだ。
「レイスには、『お前の護衛騎士になったのは本意ではない』、『必要以上の接触はするな』、『お前が精霊姫でガッカリだ』みたいなことを言われましたよ。開口一番、『相変わらずの地味女だな』とも」
私が思い出して半目になりながら、「奴の私に対する態度は最悪でした」と報告すると、アランおじさまは逞しい腕を持ち上げ額を押さえた。言葉にするなら「あちゃあ」って感じの表情をしている。
リンスは横で巻き髪を蛇のようにうねらせ、「何よそれ! 失礼過ぎ!」と憤慨している。
「本当になんでアイツは、スーリアちゃんにそんな態度を取るように……今でも分からん。ごめんな、スーリアちゃん」
「アランおじさまが謝ることはありませんよ。どうせ、精霊姫の儀を終えるまでの間だけです、アイツと一緒にいるのは。それが終われば、もう二度と顔を合わすことも無いかと」
自分で口にしておいて、胸に微かな鈍い痛みを覚えたが、私は痛みを無視して淡々とそう言い切った。アランおじさまは優しげな相貌を歪め、酷く切ない表情を浮かべている。
……そんな顔、しないでください、アランおじさま。
「だけどレイスの奴、帰り際に…………いや、何でもない、すまん」
また何かを言い淀み、アランおじさまは言葉を呑み込んだ。少し気になったが、追及する気は起きなくて、私はまだ二人にお茶を出していたなかったことに気付き、立ち上がって台所に向かった。