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悪い予感というものは、往々にして当たるものだ。
今日は仕事も無く、お手伝いのミイナと共に街に買い物に出かけた母様を見送って、私は家で一人、掃除をしたり本を読んだりと、まったりと過ごしていた。
昼過ぎにはミイナが準備しておいてくれた、程好く塩の効いた豆のスープに、カリカリベーコンと焼き色の綺麗な香ばしいパンを合わせて、軽い昼食をとり。そのあとは、近所の方にお裾分け頂いたブルーベリーを使い、のんびりと鍋でジャムを煮ていた。コトコトと鳴る鍋の音を聞くのは、不思議と気分が落ち着くので好きだ。
蕩け具合を確認し、「あとでウォルに味見してもらおうかしら」と思案していたら、控えめな呼び鈴の音が、玄関から私の耳へ届く。
もしかして、王都からの使者の方?
そう考え、私は火を止めてエプロンを外し、金茶の髪を揺らして入り口へと向かった。作業を中断したくなかったが仕方ない。
作りかけのジャムが固まる前に、話が終わるといいなと思いながら、扉を開け…………一呼吸置く間もなく閉めたくなった。
「レイス……」
か細い掠れた声は、目の前に立つ彼の耳に届いただろうか。
前までは私より少し高いくらいだった背は、見上げるほどに伸びた。金のラインに縁取られた純白の団服は、艶めく黒髪を上手く引き立てている。整い過ぎて冷たい印象を与える顔から、程よく鍛えた凛々しい立ち姿まで、一寸の隙もない。
長い前髪の隙間から覗く血色の瞳は、鋭い光を宿し、私を静かに見据えている。
なるほど、これなら『悪魔騎士』という異名も付けられるわけだ。
成長した彼の美しさは、圧倒され背筋が凍るほど。人外的な綺麗さだ。
――――だけどそこには確かに、私を「スー」と呼び、不器用な笑みを浮かべていた、幼馴染の面影があって。
私は取っ手を握ったまま、口を開けずに固まってしまう。
久しぶりね、元気にしていた?
あの時はよくも好き放題言ってくれたわね。許していないわよ、この野郎。
でも殴ったことはごめんなさい。
ねぇ、なんで貴方が護衛騎士になんて選ばれているの? 守るべき精霊姫が私だって、分かってレイスは護衛を引き受けたの?
あのときの数々の暴言は、本当に私が大嫌いで本心から言ったの?
というか、今。
貴方はどんな気持ちで……私と相対しているの。
そんな無数の疑問や言ってやりたいことが、頭の中で飛び交うが、どの言葉も喉奥に隠れたまま出てこない。
呼吸を忘れ瞬き一つ出来ず、私は懐かしいレイスの大人びた姿に魅入っていた。
「……った、な」
「え?」
「…………相変わらず貧相な見た目をしているな、と言ったんだ」
「なっ!?」
先に口火を切ったのはレイスだった。一言目は不意を突かれ聞き逃したが、二言目はバッチリ聞こえた。
「俺は、お前と必要以上に接触するつもりは無い。今回の精霊姫がお前だと知って、本当は護衛の任を断りたかったが、教会からの命に一介の騎士である俺は逆らえないからな。此処に来たのは、俺個人としては不本意だ」
「っ!」
「役目だからお前を守るが……それだけだ。もう一度言うが、俺に必要以上に近付くな」
記憶より低くなったように感じる声で、紡がれる言葉は、私をジワジワと切りつける。
昔は自分から「スーを守りたい」と言ってくれたその口で、「役目だから仕方なく私を守る」と、そういうのね。
「……私だって、あなたが護衛騎士なんて本当なら願い下げよ。頼まれたって近づかないわ」
「そうか。ならいい」
「明朝にまた迎えに来る」と、それだけ言い残し、レイスは白い裾を翻しあっさりと去っていった。近くに他の使者の方と宿を取っているようだ。彼は振り返る素振りも無ければ、立ち止まる様子も一切無い。
久しぶりに交わした会話がこんなものとは。
なんて味気のない再会だったのだろう。
遠ざかる彼の背を見送って、私はきゅっと唇を噛んだ。
●●●
「ねぇ、スー、怒っている?」
「……怒ってないわ」
「なら悲しいの?」
「悲しくもない」
「じゃあ……」
「怒ってもないし、悲しくもないわ! 至って平常心よ!」
レイスが去り、ジャム作りを再開した私の周りをふよふよと飛びながら、不意に現れたウォルは私の様子を窺ってくる。どうやらレイスのことを、こっそり観察していたようだ。
水の精霊は、精霊の中でも人間の感情に敏感な習性があり、特にウォルは感知能力が優れているらしいので、私の強がっているが荒れている心中が、気になって仕方ないようだ。
いつもなら落ち着く鍋の煮る音も、今はささくれ立った心に煩わしく響く。力加減を間違えて、木ヘラの下でブチリと派手に紫の実が弾けた。
「スーに嫌な想いをさせてるのは、さっきの黒頭なんだよね?」
「黒頭って……」
「それなら僕は、アイツ嫌いだよ。スーをいじめる奴は嫌い! 大丈夫だよ、スー。アイツに何かされたら、すぐに僕を呼んで。溺死させてあげる!」
「わ、わりと物騒ね、ウォル」
「でもありがとう」と、私は空いている手を伸ばし、ウォルの水色の毛を撫でる。 気持ち良さそうに身動ぎし、ちゃぽんっと水音を立てる尻尾に少し癒された。
大切なのは平常心よ、私。こんなことでいちいち気が乱れていたら、明日からレイスと行動を共にするのに身が持たない。
アイツはちょっと、知り合いに似ているジャガイモくらいに思わなきゃ!
「うん、なんか元気が出てきた。ウォルのおかげよ」
「それなら良かった!」
くるり、とウォルは空中で一回転する。
「でもスーのことを抜きにしても、僕はなんとなくアイツは嫌い。なんかね、アイツを見ていると、鼻がムズムズしたの」
「鼻がムズムズ?」
「それに耳がピクピクして、毛がピリピリして、えっと、尻尾もブルブルした! 上手く言えないけど、うーんとね、気分が悪い!」
「さっきから地味に酷いわね、ウォル」
「とにかく、アイツとはあんまり仲良くしちゃダメだよ! いっそボクと二人で、ジョオウサマのところに行こうよ!」
出来たらそうしたいわよね……などと思いながら、私はいつの間にか煮詰め終わった、ジャムの瓶詰め作業に移る。冷めると硬くなるから、熱いうちにさっと詰めるのがポイントだ。
ぎゅっと力を込めて蓋を締め、完成! とウォルとはしゃいでいると、再びチリンと呼び鈴が。
一瞬、何か言い忘れてあのジャガイモ野郎が戻ってきたのか? と警戒したが、扉に近付けば聞き慣れた声が二人分。
今日はどうも、千客万来みたい。





