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――――『精霊姫』とは。
三年に一度、精霊たちを統べる尊き存在である『精霊女王』の元に赴き、感謝と忠誠の祈りを捧げるという、大役を仰せつかった精霊使いに与えられる称号である。
精霊使いには男性も勿論居るが、この役目は妙齢の女性に限られる。
国の最北に位置する『聖鐘の森』。その森の奥には、ナーフ王国初代国王が、精霊女王に贈ったとされている聖なる鐘がある。それを鳴らして女王と謁見し、儀を執り行うのが、この国に古くから伝わる習わしだ。
精霊姫に選ばれるのは、大変、たいっへん、名誉なことである。
「ですがなぜ私なんですか……!? 精霊姫って、もっと霊力が強い貴族のお嬢さんとか、教会の使徒様から選ばれるのでは……っ?」
「教会の使徒には、条件に該当する者が今年はいなかったようだよ。それに精霊使いに身分の差は関係ない、だろう? まぁ傾向的には、貴族の子が選ばれることが多いけど。『精霊教会』が、今回の精霊姫に君を選んだ。理由は分からないけど、その事実だけで十分じゃないか」
王都に本拠を構える『精霊教会』は、この国では王族貴族に並ぶ高い地位と発言力を持っている。『霊力』のある者は、教会で審査を受け、通ってはじめて『精霊使い』に認定されるのだ。
私も昨年、旦那様が(知らない間に)教会に申請を出していて、教会から派遣された人が家に来た。そして色々と調査され、後に正式に精霊使いと認められたのだ。
霊力の強さ、性格、普段の振る舞い、生活環境、身分、地位。
ありとあらゆる面を考慮して、精霊教会のお偉い様方が、その年の精霊姫を選抜する。
ちなみに前回は、高い霊力と歴代随一と言われる美貌を持つ、伯爵家のご令嬢。その前は、麗しくも凛々しい女性の使徒様。どちらもきちんと役目を終え、国民の間では感嘆の息と共に、その活躍が語り継がれている。
その中に、霊力も平均、顔も能力も特筆すべき点の無い私が並べられてみろ。
なんかこう……とんでもなく残念だろう。
「こうして正式な認定書も届いているよ」
旦那様が掲げた紙には、『スーリア=バレットを精霊姫に認定する~云々』という内容が長ったらしく、やたら厳かな言葉で綴られている。鐘を模った印が押してあるので、紛れもない本物だ。
私は絶句してしまう。
「素直に喜びなさい、スーリア。なんで自分が、などと不要なことは考えず。精霊使いなら誰でも憧れる役目を授かったのだから、手放しで喜んでおかないと損だよ」
「そ、それもそうかもしれませんが……」
「任務を無事に達成すれば、国から褒賞も与えられる。何より精霊女王に謁見できることは、この上なく光栄なことだ。私は自分の領から、そんな栄誉ある精霊使いが生まれたことが誇らしいよ」
襟元のタイを緩めながら、旦那様は優雅に微笑む。
「それに『精霊姫』にふさわしい条件の一つを、君は十分に満たしていると、私は思うけど」
「美貌も凛々しさもありませんが!?」
「そんなものは二の次だよ。大切なことは、『精霊と良き交流をしているか』。君は精霊と確かな信頼を築いている。それだけで十分だ。……ということで、残りの詳しい話は後にして、ここらで精霊との交流の時間に移ろうじゃないか。お茶とお菓子で休憩をしよう。さぁ、君の相棒を呼び出してくれ」
急にガタリと立ち上がった旦那様は、打って変わって子供のように瞳を輝かせ、満面の笑みで私の元に歩み寄る。
相棒とはウォルのことだ。旦那様は自他共に認める『精霊愛好家』だが、霊力があまり強くないので、精霊と交流するためには、他の精霊使いの力を借りる必要がある。
精霊は普通、霊力の無い者には姿も見えないし声も聞こえない。でも精霊使いが力を使えば、例え霊力が皆無の人相手でも、一定時間だけ精霊と会わせてあげることができる。
「やっぱりまたこれですか」と出掛けた言葉を呑み込んで、私はそっと旦那様の大きな手を両手で取った。そこから私の霊力を、旦那様に流れるようにイメージする。
傍から見たら在らぬ誤解を受けそうで、私はあまりやりたくないのだが、雇い主様のご要望だ。聞かないわけにはいかない。
ただ、やりたくない理由は実はもう一つあって。
私はこれを実行する度に、遠い過去を思い出してしまうのだ。
『ねぇ、レイス。また難しそうな本を読んでいるわね。なんの本なの?』
『……精霊について、だ。この国には、精霊がたくさん居ると聞いた』
『レイスは精霊が見てみたいの?』
『出来れば。ただ、誰にでも見えるわけではないようだ。俺は元はこの国の人間ではないし、霊力とやらは恐らく持っていないから、難しいだろうな。精霊使いの力を借りたら、見えるとこの本にあったが……』
『どうすればいいの?』
木陰で本を読むレイスの横から、ページを覗き込んで、私は問い掛ける。まだ恋心を自覚する前だから、少し積極的で、話しかけたら応えてくれるようになったレイスと、他愛の無い話を出来ることがただただ嬉しかった。
木漏れ日から降り注ぐ光を受けて、煌めく彼の黒髪がとても綺麗で眩しく。
ずっと眺めていたいと願ったことを覚えている。
『霊力のある人間と、手を触れ合わせて……』
『こう?』
『っ! おい!』
私の祖母は精霊使いだったと聞く。もしかしたら私にも力があるかも……と考えて、特に深い意味も無く、私が気軽にレイスのまだ幼い手を握れば、彼は酷く動揺していた。恋心無自覚時代だから出来た所業である。
あまり人との接触に慣れていないせいだろう。大袈裟に狼狽する彼が可笑しくて、私が笑えば、レイスは眉を寄せて不機嫌そうに顔を背けた。
……だけど繋いだ手はそのままで。振り払うどころか、素っ気ない態度とは裏腹に、握り返してくれた温度がまた嬉しくて。
本当にいつか私が、彼に精霊を見せてあげられたらいいなと、そう思った。
――――まさか繋いでいたその手で、彼の腹に泣きながら一撃を決めることになろうとは、想像もしていなかった頃の話である。
まだ未練がましくこんな思い出を蘇らせてしまうのが、本当に悔しい。
そんなふうに不本意な懐古に呑まれている間に、旦那様への霊力の一時的な譲渡は終了していた。
私は静かに手を離す。