最終話
「あら……もうこんな時間?」
壁の時計に目を留め、私は走らせていたペンを置いた。
食卓の広い机を借りて広げていた、インクの乗った紙達を端にまとめる。
机横の大きな窓の向こうの空は、喨々たる朱色が差している。もうすぐ彼が帰ってくる時間だ。
私は立ち上がって玄関に向かった。
ここに引っ越して間もないため、生家とは異なる木の香りにはまだ馴れない。外へと繋がる扉が見えてくると、タイミング良くそのドアは開かれた。
現れた赤い眼差しに、私は相好を崩す。
「――――おかえりなさい、レイス」
自然と口元を緩めてそう言えば、レイスは僅かな戸惑いを残しながらも、彼にしては柔らかな声で、「ただいま……スー」と返してくれた。
私達は現在、私の仕事場である領主様のお屋敷からも、レイスの勤め先である警備団の詰所からも、比較的に近いところに家を借りて、二人で住んでいる。ほんの一週間前からだ。
レイスがアルルヴェール領へと戻ってきて、彼は暫くは詰所の方で寝泊まりをしていたのだが、この度、私達の結婚が正式に周囲に認められ、共に暮らせることになった。
……まぁ、まだ納得がいかないと言い張る面々も一部いるけど。
順番が前後してしまった気もするが、二ヶ月後にはささやかな結婚式も挙げる予定だ。
「……何を書いていたんだ?」
「ああ。これ?」
警備団の黒い簡素な団服の前を寛げて、食卓を挟んで私の正面に腰かけたレイスが、端にまとめた紙を見つけた。
特権騎士団の白い団服も、彼の黒髪によく映えていたが、黒い団服もそれはそれで、引き締まった体躯を上手く引き立たせていると思う。
私はふふっと笑って、摘まんだ紙をレイスの前で揺らす。
「結婚式の招待状の下書きよ。リンスが早く送れって急かしてきたから」
私とレイスの結婚式の準備は、主にノリノリな領主様と、リンス率いるロットレア家が取り仕切っている。質素なもので……と希望を伝えたはずなのに、どんどん豪華になっていっているのはたぶん気のせいではない。
リンスの名を聞くと、レイスはなんとも複雑な顔をした。まぁ、面と向かってあんなことを言われたのでは仕方ない。
「言っておくけど、レイスさん。スーが許しても、親友である私はまだ、貴方をスーの相手として認めてないから。また泣かせたら許さないわよ。ちゃんと誠意ある態度を見せて欲しいわ。……でも、スーのために結婚式は盛り上げてあげる。認めてはいないのだからね! スーのためよ! 勘違いしないでよね!」
豊満な胸を張って、レイスをその大きな瞳で睨んだリンス。
……うん、今思い返しても、リンスはすでに私達の仲を心中では認めているのに、レイスにあえて噛み付いているようにしか感じられない。
今となっては昔のことだが、リンスはいつぞや、私がレイスに暴言を受けた現場に居て、また悪魔云々のことも知らないため、彼がまた私を傷つけるのではないかと警戒しているようだ。たぶん、私達の様子を見て、もうそんなことは無いと分かってはいるのだろうけど。
案じてくれる親友のその態度は、私としては擽ったくも有難い限りである。
しかしながら、レイスはわりと『誠意とはどうやって見せればいいのか』と真剣に悩んでいた。
私が少しからかって、「浮気しないとか?」と言えば、「? そんなのは当たり前だろう? お前以外に興味は無い」と真顔で返され、思いがけない強烈な反撃を喰らったが。
不器用ながらも、出来るだけ想いを『言葉』にしようとしているレイスは、素面で時折、天然口説き文句を投下してくるので厄介である。
「リンスの言うことは、あまり気にし過ぎなくてもいいとは思うわよ?」
「だが、アイツはスーの親友だろう。それならちゃんと……認められたい」
そう呟いて再び難しい顔をするレイスに、私はやれやれと嘆息して、準備しておいたティーポットを傾け、紅茶をカップに注いだ。
ふわっと、暖かな湯気とハーブの良い香りが漂う。
レイスが礼を言い、カップに口をつける様子を見守りながら、私は今は此処に居ないもう一人……正確にはもう一匹の、『私とレイスの仲が納得いかないと言い張る面々』の姿を思い浮かべた。
私達の結婚について、アランおじさまは諸手を挙げて大歓迎だったし、父様の説得には骨が折れたがなんとか成功。リンスも態度が解れるのは時間の問題だろうけど、意外に最後まで難攻不落なのはウォルかもしれない。
ウォルは相も変わらず、レイスを敵視している。
もう悪魔も居ないのに何故? と問えば、ウォルはちゃぽちゃぽと水状の尻尾を揺らしながら、「んーとね、フツーに嫌い!」と答えた。凄くどうしようもない理由だった。
もっとちゃんと聞けば、「スーを取っちゃうから嫌い」らしいけど。どちらにせよ嫌いみたい。
そんな彼は現在、甘いお菓子に釣られて、領主様のお屋敷に遊びに行っている。精霊水晶も無くなり、普段のレイスにウォルの姿は見えないとはいえ、私としてはもう少し、一人と一匹に歩み寄って欲しいところだ。私が霊力を渡せば、レイスにもウォルとの交流は可能なわけだし。
密かに『レイスとウォルの仲良し大作戦』を思案している今日この頃である。
そんなことを考えていたら、紅茶のカップから口を離したレイスが、「そういえば……」と話を切り出した。
「その招待状とやらは、誰に送るんだ?」
「そうね……身近な友人達は勿論として、来るのは難しいと思うのだけど、ロア君やマリーナさんにも出すつもり。貴方も警備団の人達には渡すでしょう?」
「……アイツらにか」
レイスはカップに残る、茶色い水面の上に溜め息を落とした。全員仕事を休んで参加しかねないぞ……と、呆れを多分に含んだ呟きは、どことなく微笑ましい。
最初、私はレイスが警備団に馴染めるか、ちょっと心配だった。
元特権騎士団の人間なんて、やっかみや嫉妬の恰好の対象だ。レイスは決して愛想の良い方ではないし、嫌味を言われたり苛められたりされないかしらと、密かに危惧していたのだ。
本人に打ち明けたら、「子供扱いするな」と本格的に怒られるか拗ねられそうで言って無いけど。
でもそれは杞憂で済んだ。警備団の皆さんは人当りの良い方々ばかりで、『事情があって特権騎士団から左遷された人間が来るらしい。きっと何か大きな失態を犯したのだろう。そっとしておいてやろうぜ』と、むしろ気遣われる方面の空気に流れたのだ。
同情的な解釈をされ、レイスとしては不名誉なのでは? と思いつつ、当の本人はまったく気にしていないので、まぁいいのだろう。団員の中では一番年下ということもあり、レイスはなんだかんだで可愛がられている。
昔から結構、男女問わず年上から好かれるのよね、コイツ……。
何度か団員の方々と顔を合わせる機会もあったが、私にも皆さん好意的だ。
詰所にレイスが忘れたお弁当を届けに行った時は、「おーい、レイス! 悪魔騎士さまー! 嫁さんが来たぞー!」と大声で叫ばれ、流石に羞恥に襲われたが。
どこからか漏れ伝わった、彼の『悪魔騎士』という異名は健在だが、すっかり愛称と化していた。
何はともあれ私は、悪魔のせいで孤独に戦ってきた時間の分、レイスが優しい人たちに囲まれていることが嬉しいの。
「ちゃんと渡してあげなさいよ? 流石に全員が仕事を放り出しては来ないでしょうし。賑やかな人達だから、来てくれたら楽しそうじゃない」
「……スーがそう言うなら」
「あとほら、貴方がお世話になっていた、アランおじさまの元部下の方。あの人も呼ばなくちゃ」
これは早々に、招待状を渡す人のリストを作った方がいいかしらと、少し悩みながら、私は空になったカップを片付けるため立ち上がろうとした。
しかし、レイスがそれを制して、私のカップも手際良く回収して台所へ消えていく。
こういう小さいところで気遣いをされる度、ほんのり照れてしまう。
率先して家事も手伝う彼は、根が器用なので料理も上手い。掃除洗濯もお手のものだ。
今日は私の仕事は休みだったし、勤務帰りのレイスは疲れているのだから、座って私に任せておけばいいのに。……『良い夫になるには~初級編~』という謎の指南書がレイスの部屋から出てきたことは、やっぱり知らないフリをして正解よね。
「っと、そろそろ窓を閉めましょうか」
僅かに開いた隙間を縫って侵入した風が、カーテンを静かに舞い上げた。私は椅子から腰を上げて、木造りの取っ手に腕を伸ばす。
視界を掠めた窓辺には――――対のように二つ並んで置かれた、『精霊の宝箱』。
レイスの方には変わらず、私の贈ったリコラのペンダントの部品や、刺繍入りの手巾が納められている。
私の方は現状は空っぽだ。
だけどこれから、いくらでも入れたい物は出来るだろう。
彼とのこの先の未来を想像して、私が目許を和らげていると、いつの間にかレイスが戻ってきていた。窓に添えていた手を離す。
お片付けありがとう、と声を掛けようとして、私は首を傾げた。
レイスは私の前で立ち止まり、物言いたげに口元をまごつかせている。
「なに、どうしたの? レイス」
「……ても、いいか」
「?」
「…………急にお前に触れたくなったのだが、今すぐ触れてもいいか」
一瞬、問われた意味が分からず、呆けたように瞬きを繰り返してしまった。
次いで理解し、私は吹き出す。
真剣な顔をして、何を言い出すのかと思ったら。
「もちろんいいわよ。どうぞ?」
「……抱き締めても、大丈夫か」
「お好きなように」
「というか、いちいち聞かなくていいのよ?」と私は笑う。
力強く引き寄せられ、硬い胸元に収められる。かと思えば、存在を確かめるようにゆっくりと、背中に腕を回された。
泡沫のごとく消える幻じゃあるまいし。そんなに不安にならなくても、私は何処にも行かないのに。
そっと金茶の髪に落とされる口付けは、どこまでも優しい。
暖かな慈雨のように、彼の想いが私の胸中に、音もなく緩やかに降り積もる。
私は黒い団服に顔を埋めながら、「ああ、幸せだなぁ」と、そう改めて思った。
そしてふと、あることを思い付いて顔を上げる。
私を見つめるレイスの赤い瞳は、この家の庭にも二人で植えた、リコラの花のように鮮やに色付いている。
「――――ねぇ、レイス。ずっと前に父様から聞いた話なのだけれど、ちょっとした時に幸せを感じたら、言葉にしてみるのがいいそうよ。私は今、貴方とこうして共に居れて、とても幸せ。貴方は? レイスは今、幸せ?」
喋りながら、私は過去にも同じことを、レイスに問いかけたことがあった気がした。
あれはいつのことだったかしら……?
レイスも覚えがあるのか、微かに息を呑んで、驚いたように瞳を見開いている。
ぐっと、私を抱く腕の力が強まった。
端整な眉が寄り、湖面に張る氷の如き怜悧な美貌に、確かな熱が宿る。仄かな炎を灯して揺らめく瞳から、目が逸らせない。
そしてレイスは、胸が締め付けられるような、狂おしいほどの切なさと、溢れんばかりの愛しさを綯交ぜにした表情で。
遠い過去に想いを馳せるように――――「やっと言える」と、そう零した。
「……俺も、幸せだ。眩暈がするほど。それはすべて、お前に出会えたからだ、スーリア」
そう囁いて、微笑んだレイスの顔が、あまりにも綺麗で幸福そうで。
間近で直視した私は、彼から伝染した熱が全身を駆け巡り、一気に耳まで真っ赤になってしまった。「あ、う」と言葉にならない声が漏れる。
……なんだか、この年下の幼馴染な旦那様に、振り回されているようで悔しいのだけれど。
「ほ、本当に貴方は……私のことが大嫌いどころか、大好きよね」
「そうだな」
心ばかりの意趣返しに、叩いた軽口もサラリと返された。抱き締める時はあんなに躊躇していた癖に。急にこれは少々卑怯なのではないか。
愛しげに私の長い髪に指を絡め、再び滅多に見せない蕩けるような笑みを見せられたら、これ以上何も言えない。今日ばかりは完敗だ。
でもやっぱり悔しいから、夕飯にはレイスの苦手な人参を山ほど使ってやろうかしら。
ちょっとだけ不貞腐れた気分で、熱くなった頬を誤魔化すように嘆息し、私はレイスの胸元に大人しく頭を預けた。
この身を焼く羞恥も、長い間すれ違ってきた末に掴んだ、彼と私の『幸せ』の一部なら、そう悪くないのかもしれない。
閉め忘れた窓から、リコラの花の香りが入り込む。
甘く優しいその香りは、祝福し踊るように、寄り添う私達の周りを満たしていった。
これにて、『幼馴染みで悪魔な騎士は、私のことが大嫌い』は完結となります。
詳しい後書きは2016/10/30の活動報告にて。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!





