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ここからレイス編です。暫く連日更新致します。
両親が死んだのは、俺が六つの時だ。
父と母と乗っていた馬車が、街へ向かう道中で賊に襲われた。
それまではとある大国の端の端、長閑な村で親子三人、穏やかに細々と過ごしていた日々は、あっけなく失われた。母は俺を庇い、父は他の乗客も守ろうと最後まで賊と戦ったが、どちらも救援が来る前に俺の目の前で殺された。
運良く生き残った俺は、父方の遠者に引き取られたが、そこで俺を「レイス」と名で呼ぶ者は居らず。『恥知らずの息子』と冷遇された。
後から知ったことだが、父は貴賤の差が顕著なこの国でも、有力な家の次男だったらしい。ただ相当あくどい商売で稼いでおり、父はそのやり方に反発し、決められた結婚を受け入れず、身分の低い母と恋に落ちて家を出た。俗にいう駆け落ちだ。
馬鹿げた話だが、親の残した禍根は子にも影響する。
死んだ両親を怨むつもりは毛頭ないが……というより、俺は両親の血を身に浴びたその日から、感情というものがまったく働かなくなっていた。怨みは勿論、罵倒を受けて辛いとも、孤独になって寂しいとも感じない。
無表情で何をされても動じない幼子は、さぞ不気味だっただろう。
加えて、村では受け入れられていた黒髪赤目も、引き取られた先では畏怖の対象だったようで、両親の立場や容姿のことも相俟り、俺と親しくなろうとする奇特な者は居なかった。
だけど、時折降る軽い暴力と、罵詈雑言や嫌悪の眼差しを受け流せば、最低限の衣食住は提供されていたし、働ける歳になったら、何処かで一人で生きていけばいいだけだと思っていた。
生きることに、特に希望も無いが絶望もない。
死にたいとも思わないが、死んでもそんなものだったと幕を閉じられる。
――――だから、俺の両親に深い怨みがあると。死んだ親の代わりに子であるお前に復讐させろと。
そう言って、『悪魔使い』を名乗る女が俺の前に突然現れた時も、理不尽だとはぼんやり感じたが、それだけだった。
空間を歪め、何も無いところから出現したソイツは、べったりとした長い黒髪に黒い瞳、青白い肌に黒のローブを纏った、存在そのものが闇夜のような女だった。
ひらひらと飛ぶ黒い蝶に囲まれ、気付いたら、俺は見知らぬ森の中の小屋に居た。
「私はね、貴方の父親の婚約者だった女なの」
曰く、傾きかけていた女の家を立て直す最後の機会が、父との婚約を成立させることだったと。
父の家を乗っ取り、返り咲くつもりであったと。
「それをあと寸でのところで、お前の母親が邪魔をした。家は潰れ、お母様とお父様は世を儚んで死んだわ。借金を返せず売られた先で、私がどれだけの目に遇ったか……っ! 許さないわ、絶対に。忌々しいあの女も、あの女を選んで私を捨てたあの男も、奴等の子であるお前も!」
汚泥のように濁った瞳に増悪を煮え滾らせ、女は俺の頬に鋭い爪を立てた。
軋む木板の床に転がり、身体が上手く動かせなかった俺は、その微細な痛みを抵抗も出来ず受け入れた。
見当違いな逆恨みだ。
ローブから覗く女の手足や、髪で隠れた顔の一部に、醜い痣や怪我の痕があろうと、俺には一切関係が無い。
だけど、俺とは違い、放り込まれた劣悪な環境で生き、感情を残したまま狂うしか無かった女には、憎むべき対象が必要だったようだ。
女は毒々しい、真っ赤な唇をつり上げた。
「お前は、『悪魔』というものを知っている?」
「悪魔……?」
「代償さえ払えば、どんな願いも叶える力をくれる存在。私はその悪魔を何体も従えている。這い蹲って生き延びた先で、老いた悪魔使いにその才を見込まれ、力を得たの。私を貶めた連中に復讐する力を。……憎くて堪らない、お前の親は先にくたばってしまったけど、お前が生きていて良かったわ、レイス」
「これで復讐が果たせる」と、女は自身の腕をナイフで傷つけ、取り出した黒いインクに血を混ぜ、俺の周りに陣のようなものを描き始めた。
……皮肉なものだ、と思った。
両親が死んでから、俺の名をまともに呼んだのも、俺が生きていることを喜んでくれたのも、この女だけだ。
「私はね、レイス。お前が生きていると分かってから、ずっとずっと、お前をどうやったらより長く苦しめられるか、それだけを考えていたの。……良いことを教えてあげましょうか? 生まれつき髪や目に『黒』という色を持つ者は、悪魔と相性が良いのよ。お前には、今からとびっきり素敵な条件で、強力な悪魔を憑けてあげる。お前を、『悪魔憑き』にしてあげる」
時刻は夜。
小窓から月光が差し込む、綺麗な満月の夜だった。
血を滴らせ、「準備は整ったわ」と笑み、女は『契約内容』を口にした。
「悪魔を憑ければ、お前の膂力は上がる。人並み外れた身体能力を得るでしょう。その代わり――――お前は心から愛する者が出来た時。その者を自らの手で殺し、契約の代償として、これからお前の中に住まわせる悪魔に、その魂を捧げなさい」
「……愛する者?」
「ええ。心から大切に想う存在が出来たら、その存在をお前自身が殺すの」
それが最高の復讐だと女は愉悦に浸っているが、こんな状況でも、俺の心は何処か他人事のように凪いでいた。
悪魔が憑いても、対象となる者がいなければ代償は払えない。それなら悪魔は一生、俺に飼い殺されることになるだろう。
――――心から愛する者など、俺に出来るとは到底思えなかった。
だけど女は、そんな俺の考えを見透かした上で否定した。
「そう遠くない未来に、そんな存在がお前に必ず出来るわ。私には分かるの。だってお前は、互いをたった一人の相手として、強く想い合っていた、あの忌々しい夫婦の息子だもの」
ギリッと、唇を強く噛んだかと思えば、次いで女は狂ったように笑い出した。
「ああ、楽しみね! お前はいつ、どんな人間を愛するのかしら? そしてその相手を、どんなふうに殺すのかしら? 全ての愛が殺意に変われば、お前はどれほど苦しむでしょう! きっと、自分の感情を否定して、愛しい者を拒み遠ざけて、守ろうとするでしょうね? そうやって耐えて耐えて……でも最後は耐えきれず、心から大切だと思う存在を殺す。その時のお前の絶望を想像するだけで、なんて愉快!」
月明かりを浴びて、黒と赤に染まる女は、ただただ笑い続けた。
黒い蝶が女の哄笑に合わせて舞う光景は、何処までも歪で異様だ。
「ああ、悪魔憑きであることを、誰かに明かしてはダメよ? 助けを求めるなんて馬鹿な真似はさせない。自殺も許さない。契約内容に加えておくわ。一人で悩んで苦しんで生きて、そして――――愛する者の死体を抱いて、泣いて頂戴」
女が何かを唱えれば、胸元に灼熱の激痛が走った。
無数の針を押し付けられているような。声も出せないほどの痛みに、のた打つ俺の黒髪を撫で、「その時が来るまで、中の悪魔は眠らせておくわ。愛しくて殺したい者が出来てはじめて、契約は動き、悪魔の力がお前に宿る。それまでは、すべて忘れて過ごしなさい」と、女は不気味なほど優しげな声で言った。
そして、「これでようやく、お母様たちのところへ逝ける」と、満足そうに微笑んだ女の顔を見たのが最後。
苦痛に苛まれながら、俺の意識は緩やかに堕ちていった。





