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私の前に降り立った、見た目は妙齢の女性は、この世の綺麗なものを全て取り揃えたかのような、そんな美を身に湛えていた。
陽を照り返す、絹糸のような長い長い白銀の髪。
しなやかな肢体と白磁の肌に纏うのは、これまた真っ白な衣服だ。柔らかな布を幾重にも重ね、銀色の飾り帯を腰にしただけの、ゆったりとしたドレス。少しだけ、私の精霊姫の衣装に雰囲気が似ている。
高い鼻、桃色に色付く唇、シュッとした線を描く柳眉。小さな顔にそれら全てが、最も均整のとれた配置で並んでいる。
何よりもこちらを見据える大きな黄金の瞳が、太陽の光をそのまま閉じ込めたかのような鮮烈な輝きを放っていて、私は暫し、呼吸さえその瞳に呑みこまれてしまった。
まさに、人間には持ち得ない、自然の壮大さを孕む気高い美しさだ。
「――――精霊姫・スーリア=バレット。大義であった、礼を言う。この身に溜まった穢れが祓われ、力が戻り、今は酷く気分が良い。そなたの舞は拙さが残るものの、どこまでも清廉であった」
凛然とした声で、その麗人――――精霊女王は「代わりにそなたの望みを聞こう」と、艶やかな唇を持ち上げた。
いつの間にか、フェイ君もウォルも、他の動物の姿の精霊たちも、女王に平伏すように頭を垂れている。
我に返った私は、地に横たわるレイスの冷たい手に触れながら、間近で見る女王の美に圧倒され、麻痺しかけていた脳を叱咤し、ゆっくりと口を動かす。
「あの、此処にいる、私の護衛騎士の彼が突然倒れて……それで……!」
「気にせずとも良い。私の気を浴びせ、騎士の中の悪魔ごと、強制的に眠らせただけだ。直に目を覚ます。……それにしても、話に聞いていた通り、完全に悪魔と同化しているな。中に居る悪魔も強力だ。何より、こやつが悪魔使いに理不尽に怨まれ、無理やり結ばされている契約、また払うよう強いられた代償、その残酷なことよ。人は時に、悪魔よりも酷なことを考える」
優美な仕草で屈みこんだ女王の、白く長い指先が、レイスの黒髪を嫋やかに掬う。私は不敬などと気にする余裕もなく、女王へと詰め寄った。
「お、教えてください、女王! レイスは一体、どんな契約を悪魔とさせられているのですかっ? 彼の代償とは一体……!?」
形振りなど構っていられない。
求めていた答えを、ようやく私に教えてくれる存在が目の前に居るのだ。
スッと、女王は白銀の睫毛を静かに伏せる。
「騎士自身は、それをそなたに明かすことを良しとはしないだろう。しかしながら、私はそなたの『知りたい』という願いを優先しよう。それが、騎士を救う微かな希望へと繋がるかもしれない」
「レイスを、救う……?」
女王は一度言葉を切り、「良くお聞き?」と言って、瞳を開けて私を見据えた。
金色の眼差しが、空を駆ける稲妻のように、私の胸を鋭く貫く。
「こやつの中に住まう、悪魔が求める代償は――――スーリア、そなたの命だ」
え、と。
言葉に成りきる前の、吐息のような音が口から漏れた。
紡がれた答えの意味を上手く咀嚼出来ず、私の頭は再び混乱する。
「私の命って、そ、それはどういう……っ」
「こやつは幼少の頃、まだそなたと出会う前に、悪魔使いによって悪魔を憑けられている。契約内容はこうだ」
女王は何処か雪のように儚い笑みを口元に残したまま、その残酷な真実を、木々の合間を縫って降り注ぐ、白い光の元へと晒す。
「そなたの護衛騎士であるレイスは、『心から愛する者が出来た時、その者を自らの手で殺し、身の内に居る悪魔にその魂を捧げること』――――そのような契約を、結ばされておる」
「愛する、者?」
「そうだ。レイスの代償は、『愛する者の命』。……それ故に、こやつは悪魔に抵抗するため、自分の感情を否定し、好きになった人間を拒絶し、本心は隠して偽りの言葉を吐き、心を外には出せなかった。そうして悪魔を抑えつけなければ、心から大切だと想う者を、そなたを……殺してしまうのだ」
弾かれたように女王の麗容を仰げば、彼女は酷く切なげな表情を浮かべ、倒れ伏すレイスの頬を指先で優しく撫でていた。
その慈しむような仕草に、鼻の奥がツンとする。
「ま、待ってください、待って……!」
私は額を抑えて頭を振った。
飲み切れない衝撃の波が、私の胸中から溢れ返りそうだ。
そんな、だって、それなら。
私は強くレイスの手を握りながら、彼のこれまでの行動を振り返る。
再会してから……いや、もっとずっと前。私と決別したあの誕生日のときから。いえ違うわ。部屋で彼が血を流していたときから……?
ダメだわと、私は整えた髪が乱れるのも構わず、くしゃりと頭を掻く。
一つ一つを思い出そうとするのに、上手く思考が回らない。
不意に吹いた暖かな風が、森の木々を揺らした。
濃厚な花の香りが、その風と混じり合い、鼻孔から入り私の脳髄までを甘く犯していく。
レイスの顔が見たいのに、そちらを振り向けない。だけど繋がる手は、何処までも氷のように冷たくて、私は無性に泣きたくなった。
「これからそなたに、レイスの記憶の全てを見せよう。さすれば、そなたが私に尋ねたかった、あるいはたった今生まれた、数ある疑問が解ける」
レイスから指を離した女王が、今度は私の頭にそっと手を置いた。女王の細い手首に巻かれた腕輪、それに付いている小さな鐘が、チリンと軽やかな音を立てる。
「――――目を閉じなさい、スーリア。そして記憶の海に浸かりなさい。私はこの騎士を救いたい。しかしそれは、私の力を持ってしてもとても難しい。だけど全てを知り終えた上で、そなたが協力してくれるならば、あるいは……」
女王の声が遠ざかる。
瞼を落とせば、私の意識は現実から乖離し、ゆっくりゆっくりと、記憶の海へと沈んでいった。
次回から、レイス視点のレイス編になります。まとめて投稿の予定なので、暫しお時間頂きますが、お待ち頂けると幸いです。





