30
白い太陽の光が空に滲み始める早朝。
面会を申し出た次の日の朝一に、私は使徒長・ガウディ=フィンスの執務室を訪れた。
事件の後処理はまだまだ尾を引いていて、ゆっくり時間を取れるとしたら、朝の早いうちだということで、私はまだ些か眠たい眼を擦って、濃茶の重厚な扉の前に立っている。
緊張を拳に乗せて扉を叩き、室内へと入れば、淡いオレンジのシャンデリアの輝きが私を迎えた。
アルルヴェール領の旦那様の執務室よりも、広く殺風景な部屋。白で統一された空間では、両壁に掛けられた、木漏れ日の差す大きな森の絵が明瞭に映える。
聖鐘の森の絵、だろうか。
「よく来たのう、本年の精霊姫・スーリア=バレット殿。こんな時間にしか会えずにすまぬな」
「いえ、お初にお目に掛かります、使徒長様」
執務机の向こうの椅子から立ち上がり、私に礼を取ったのは、小っちゃいおじいちゃんだった。
白いお髭に柔和な顔立ち。純白のローブは他の使徒さん達と同じだが、金糸で縁取られた肩掛けをしている。私より身長が低く、全体的に小柄だが、そこはかとなく威厳が漂うのは流石だ。
そして、ロア君のちんまりサイズは、祖父の代から遺伝なのだと発覚した。
「ほれ、リオウ。お前さんも挨拶せよ」
使徒長様の呼びかけに答えるように、執務机の後ろからのっそりと大型の獣が顔を出す。
鬣が燃え盛る炎になっている獅子だ。
使徒長様と懇意にしている火の精霊かしら。相当力の強い、高位な精霊だと一目で分かる。緩慢な動作で頭を伏せる様子から、性格は無口な怠惰さんのようだけど、それでも雄大さを損なわないのが、使徒長様と同じく只者じゃない感じだわ。
そうやって一通り初対面の礼を終え、私は次の言葉に迷う。
いざこうやって対面してみると、レイスのことをどう切り出せばいいか分からない。
悩んで私が沈黙している間に、使徒長様の方が先に口を開いた。心なしか申し訳なさそうに、ロア君と同じ藍色の瞳を眇めている。
「お主に詫びねばならんことは、山ほどある。……それに、礼を言いたいことも。まず、あのような事件に、教会の力が及ばず巻き込んでしまったこと、謝罪したい」
「えっ? ああ、あれはお気になさらず……」
あの行方不明事件は、むしろ私から巻き込まれに飛び込んだようなものだし。
「それに、事件の解決に一役買ってもらい、感謝の言葉が尽きぬ。歴代の精霊姫の中でも、お主は随一の行動力を持っておられるな」
「そ、そんなこと」
「謙遜は良い。さらには犯人の男の命も、お主が救ったと聞いた……それにも礼を言わせてくれ。お主も知っておるかもしれんが、奴は無念にも惨禍の死を遂げた、我らが同士・リィーリ=マールの兄じゃ。リィーリはよく、自慢の兄が居ると教会で話しておったよ。……賢く優しい、大好きなたった一人の家族だと」
「リィさんが……」
「私情を挟むようじゃが、救えて良かった。心より礼を言う」
白髪を揺らし、深々と頭を下げる様子は、何処までも真摯だ。
……実は使徒長様に会うまでは、私はレイスに精霊水晶を渡した彼の真意が読めず、悪魔憑きのレイスを利用して何か悪巧みをしようとしているのかもとか、わりと失礼な可能性まで考えていた。
でもこの分だと、それは無さそうで良かったわ。
使徒長様は誠実なお方だ。
ならば――――果たして彼とレイスの間では、一体どんな事情が転がっているのか。
「さて、わしの話したいことを優先させてしまったが、お主はわしに尋ねたいことがあったのじゃろう? 精霊姫の役割等は、ほとんどロアから聞いておるようじゃし、あとは何かの?」
「それは……私の護衛騎士にして同郷の幼馴染、レイスのことです」
「…………ほう」
ふと、空気が変わった。
穏やかでただただ好意的だった雰囲気から一転、使徒長様は探るような眼差しを、私にゆっくりと向けてくる。
ここからは勢いだ。私は迷いを捨て、単刀直入に切り込んだ。
「事件を通して、私は悪魔という存在を知りました。そしてそこから紆余曲折あって、私はあることに気付いたのです」
「それは何じゃ?」
「レイスの中には、悪魔がいるということです。……間違いなく、彼は悪魔憑きです」
ハッキリと言葉にすれば、その事実の重さに足場が揺らぐような錯覚がした。
私は「使徒長様も、レイスが悪魔憑きなことは知っていますよね?」と続ける。
「貴方はレイスが悪魔憑きであることを承知の上で、いえ、悪魔憑きであるからこそ、彼を精霊姫の護衛騎士に選んだ。それが何故かまでは予想が立ちませんでしたが。何かそうすべき理由があった。そしてそこには、私が精霊姫に抜擢された要因も絡んでいる。……そう、私は推察しました」
「……ふむ」
「レイスについて、使徒長様の持つ情報を私に教えてください。彼が悪魔とどんな契約を結んでいるのかも、ご存じであるなら全て。貴方に聞くのが最良だと、判断して私は此所に来ました。私は、レイスのことを知りたいのです」
――――知らなきゃ、私はアイツと向き合えないから。
そこまで一気に言い切って、今度は私が頭を垂れた。自身の靴の爪先が視界に入る。足元は、震えていない。
どんな事実だって、拒まず漏らさず、聞いて受け止め思考を展開させよう。
このまま何も知らされず、精霊姫の役割だけを終えて、アルルヴェール領に帰るなんて真っ平だ。
降りる束の間の沈黙。
使徒長様が悩んでおられるのが、空気を通して何となく伝わってくる。
私の金茶の髪が一房ハラリと頬にかかり、そこでようやく、使徒長様は「顔を上げなさい」と柔らかな声で述べた。
「本来ならば、お主は悪魔などとは一切関わらず、通常の精霊姫の役を全うしてもらい、それだけで褒章を与え、無事に帰ってもらう手筈だった。それが、あやつとの……レイスとの約束じゃった」
「!」
「しかし、お主は悪魔を知り、あやつの抱えるものに自ら辿り着いてしまった。事件がなければ……と思うと、因果なものを感じるが。ここまで来て、お主も退かぬじゃろう。そういう強い瞳を持っておる。確かに――――レイスは悪魔憑きじゃよ」
「やっぱり……っ」
「お主の読み通り、それが理由でわしは、あやつを護衛騎士にした。あやつの悪魔との契約内容も、すべてわしは知っておる」
それなら……! と、私は顔を上げて一歩前に踏み込んだ。
早く答えを教えてくれと要求するように。
しかし、使徒長様は首をゆるりと横にふる。
「だが、わしの口から全ては明かせん。話せる範囲が、限られておる」
「何故……!?」
「……話せるとこから、順を追って説明しようかの」
そう言って、使徒長様は傍のリオウ君の背を撫で、私を藍色の瞳で真っ直ぐに見つめた。





