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レイスは孤児院の前の、大きな樹の下に居た。
複数の女の子に囲まれている。真ん中の質の良い衣服に身を包んだ彼女は、ここら辺では一番大きな商家の一人娘だ。巻き髪が綺麗な、気は強そうだが発育も良い美人。周りはその友人だろうか。何やらレイスは迫られている。
程よく鍛えられた体躯に、すっかり身長も伸び、美貌に男らしさも加味したレイスは、知らぬ間に近隣では評判の美男子として、年頃の女の子の人気を集めていた。
昔は嫌悪されていた艶めく黒髪も、切れ長の赤い瞳も、『魅力』として捕えられるようになったらしい。
私は逸る気持ちを抑え、少し離れた場所から様子を窺う。
「レイスさんは、バレット家のお嬢さんとは恋仲なの?」
辛うじて聞き取れたそんな質問に、私は肩を大袈裟に跳ねさせてしまった。バレット家のお嬢さんは私のことだ。我が家は代々、このアルルヴェール領を統べる領主様にお仕えしてきた家系で、それなりの名家として通っている。
そんな家の娘である私が、もう過去になりかけていることとはいえ、仲良く男の子と並んであちこちに出掛けていたら、私たちが『そういう仲』だと噂されても、なんら不思議ではない。
レイスは孤児だが、親代わりのアランおじさまと私の父は親友同士だし、公認の『婚約者』として見られている可能性もある。
レイスはなんと返すのだろう?
私は胸元に手巾を抱えながら、鳴る心臓を落ち着け、全神経を耳に集中させた。
『恋仲』では無いから、そこは否定させるだろうが、ほんの少し期待を抱いてしまう。
出来るなら『友人』、高望みするなら『家族のような存在』。『ただの幼馴染』でも構わない。
現状は疎遠でも、私とレイスはまだ繋がっていると、そう分かるような言葉が彼の口から欲しかった。縋るように、私は彼の返答を待つ。
だけど、現実は残酷で。
「恋仲? ふざけた事を言うのは止めろ。――――俺はあんな女、好きじゃない。むしろ嫌いだ。大嫌いだ」
レイスは遠くからでも分かるくらい、眼差しを冷たく研ぎ澄ませ、吐き出すようにそう言った。
吹き抜けた風に交ざって、その言葉はやけに明瞭に私の鼓膜へと届き。同時に私の胸の辺りから、確かにピシリと、心がひび割れた音がした。
ゆっくりと身体から力が抜けていく。
今までは必死に誤魔化していた『痛み』が、胸中から溢れて全身を毒のように蝕んだ。
……嫌い、大嫌いかぁ。
改めてその言葉を咀嚼すれば、涙の膜が瞳を覆う。
しかし、彼の追撃はまだまだ止まらない。
「性格はガサツだ。女らしさの欠片もない」
「容姿も地味すぎて、褒めるところが見当たらないな」
「いつだって鬱陶しく構ってきて、俺はずっと迷惑していた」
次々と飛び出てくる私への暴言。レイスに対峙していた娘さんたちも、流石にその物言いに狼狽えている。
…………一方の私は、限界まで達した『悲しみ』の感情が、彼の数々の発言を受けて、じわじわと別の想いに塗り替えられていくのを感じていた。
ガサツ? 女らしさの欠片もない?
確かに事実だ。『わんぱくでもいい、元気に育ってほしい』という父の教育方針の元、私は家で縫い物や菓子作りなどに興じるより、野山で翔ける方が生き生きとするような、すっかりお転婆娘へと成長した。
容姿が地味?
これも否定できない。見目麗しいレイスと違って、私はくすんだ金茶の髪に、灰の混じった薄青の瞳。少し釣り目がちなせいで、全体的にキツク見られることもある。肌は健康的な小麦色で、女性らしい丸みやしとやかさも持ち合わせてはいない。
鬱陶しい? 迷惑?
そこまで嫌われていたなんて、気付かなかったわ。ごめんなさい。
ここで黙って泣いてこの場を去るような、殊勝な性格をしていたら、私はレイスから『ガサツ』なんて評価、そもそも受けていなかっただろう。
元々私は、『お淑やか』や『健気』なんて言葉とは、縁遠い性格をしていたことをようやく思い出した。取り繕う術くらいは知っているが、根の気性は荒いのだ、結構。
悲しみは一周して、徐々に怒りへと変貌する。
もっと直接的な表現で言うならば――――私はキレた。
ギュッと唇を噛んで、零れそうになっていた涙を無理やり止める。そして長い金の髪をうねらせて、彼らの前へと躍り出た。
「バ、バレットさん……!?」
商家の娘さんが、その大きな瞳を見開いて驚いているが、悪いけど今は引っ込んでいて欲しい。
お呼びじゃないの。
私は一直線に、こちらも突然の私の登場で、驚愕に固まるレイスの元へと歩み寄った。そしてその綺麗な顔を目がけて、思い切り手巾を投げ付ける。
頬に僅かに衝撃を与えただけで、リボンの巻かれた手巾は静かに地面に落ちた。その赤い花を目で追う、レイスの呆けた顔にまだ「ちょっと可愛い」とか、「久しぶりに間近で見たレイスは、やっぱりカッコイイな」とか、そんなことを爪の先ほどでも想う自分が許せなくて、私は彼を思い切り睨みつける。
そして固く拳を握り、腹部に全力で叩き込んだ。
「グッ……!」
短い呻き声がレイスの口から洩れたが、所詮は小娘の一撃。普段鍛えている彼に、そこまで大きなダメージは与えられなかっただろう。
それでも、密かにアランおじさまから護身用として体術を習っていた私の、今できる最大限の報復だった。
「――――私もあんたなんて大嫌いよ!」
勢いでそう叫べば、彼が弾かれたように私の顔を見たが、その赤い瞳の奥に宿る感情までは窺えなかった。いよいよ私の涙腺も限界だったのだ。
頬を伝う雫を拭って。
身体を反転させ、一目散に逃走する。
レイスの誕生日だからと、気合を入れて編み込んだ髪も片手で解きながら。特別な日にだけ着る、お気に入りのレースのあしらわれたスカートを翻して。
私はただただ走った。
そして、レイスと一緒にその成長を毎年楽しみにしていた、我がバレット家の庭のリコラの花壇の前で蹲り。
「うっ、く……っ」
私は、日が暮れるまで泣き続けた。
――――こうして私の淡い初恋は、木端微塵に砕け散ったのだ。
お読み頂けありがとうございます!
失恋編はここまでで、次からは再会編になります。暫くは毎日更新致しますので、よろしければまたお願いいたします。