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袋から出て床に転がった物は、私の掌より僅かに大きいくらいの、蓋付きの木箱。
蔦に絡む、鐘を模った彫が施されている、これは。
「――――精霊の宝箱?」
一瞬、自分がリンスから貰ったものかと思ったが、もちろんそんなわけ無い。
私の箱は自室にあるし、リンス宛に買った髪飾りを入れて、机の上に置いてある。ちゃんと見れば、私のと蔦の数や鐘の形だって違う。一つずつ手彫りだと言っていたし、デザインも多少異なるのだろう。
何より、これはレイスの袋から出た物だ。
つまりこの精霊の宝箱は、レイスのものということ。
……でも、アイツがこんな物を所持しているのは正直意外だわ。
自分で買うような性格ではないもの。王都で流行りの品物だとリンスは説明してくれたから、騎士団の仲間から、私のように貰ったのかしら? そんな友人がアイツに居ることも、また意外だけど。
とにかく壊れていないか確かめて、早く袋に戻さないと。
私は一旦、すべての思考を停止させ、へたり込んだまま上半身だけを起こして、目の前の木箱に手を伸ばした。
しかし、落とした際に留め具が外れたようで、持ち上げるとパカリと蓋が開き、中の物が視界に触れてしまう。
袋の中身を見ただけでもマズイいのに、さらに箱の中まで……! と、慌てて視線を逸らそうとしたが、私はその前にある一点を見咎め、箱を閉じるどころか、気付けば宝箱の中に眠っていた『それ』を、恐る恐る手に取っていた。
「嘘、よね? だってこれ……」
レイスの宝箱の中に小さく畳まれていた物は、白い手巾だった。
目についたのは、赤い花の刺繍。
箱をそっと床に置いて、震える両手で広げて見れば、その不格好な出来が良く分かる。
見覚えがある、どころの話ではない。
だってこれは――――私がいつか、レイスに贈るために縫った、リコラの刺繍入りの手巾だもの。
「どうして……」
例の悪夢の誕生日に、私が思い切りレイスに投げ付けた贈り物が、何故ここに。
アイツの腹に一撃を与え、「私もあんたなんて大嫌いよ!」と叫んで逃走した後、どうせ拾われず、そのままゴミにでもなったかと思っていた。だけど箱の中で鎮座していた手巾は、綺麗に折り畳まれ、丁寧に扱われていたことが察せられる。
しかも、箱にはもう一つ。
手巾の下からはまた、アイツの瞳の赤によく似た、リコラの花を模ったペンダントの部品が出てきた。ヒビが入り欠けているが、これも私がレイスにお守り代わりに贈ったものだ。
見間違えるはずがない。
不意に、リンスの言葉が頭を過る。
『精霊の宝箱は、自分の大切な物を入れておくのよ』と、そんな風に彼女は言った。大事にしている物をこの箱に入れておけば、精霊の祝福が得られて幸運が訪れると。
レイスの精霊の宝箱から出てきたものは、どちらも私が彼宛に用意した物だ。
……私があげた物が、レイスにとって大切な物?
次いで浮かんだのは、馬車に箱の入った袋を積むときのレイスの様子だ。彼はとても大事そうに袋を抱えていた。
――――レイスはこんな物をずっと、私に黙って、大切にしていたとでも言うの?
「なんで……っ」
私のこと、『大嫌い』って言った癖に。
私は手巾を取り落とし、髪を乱して頭を振った。
膝上に落ちた手巾に、窓から入り込む月光が差し、赤い花が何処か切なげに、月明かりの中で咲いている。
分からない。
レイスの考えも、感情も、彼の抱えているものも、私には何一つ。
だけど……『分かりたい』と、たった今、改めてそう強く思った。
「考え、なさい。考えなさい、私」
すでに揃っている情報から、逃げずにすべて向き合い、思考を働かせ、どうすれば真実に近づけるか。
レイスの……私の大好きだった幼馴染の、隠している『本当』を。
私はちゃんと、知らなくちゃいけない。
震える唇を噛み締めて、私は箱の中身を手早く戻しながらも、必死に頭を回転させていく。
……まず、レイスの中には確実に、悪魔がいる。
彼もベルと呼ばれた犯人の男と同じ、『悪魔憑き』だ。
つい先ほど胸元に見えた、あの黒い逆さの蝶の模様が、その証拠。
ロア君が気付いていないことから、悪魔使いとやらも間に一枚噛んでいるのだろう。
このことはもう、ほぼ確定した前提事項として、考察を展開させなきゃ。
彼が悪魔憑きになったのはいつから?
少なくとも、あの決別の日には、すでにレイスの中には悪魔が居たと仮定するべきか。
自ら望んで悪魔憑きになったのか……いや、確かベルは、『僕より複雑な契約を、無理やり強いられているのかな?』とレイスに問うていた。あの時はその意味を考える暇も無かったけど、今なら分かる。レイスは自分の意に反して、悪魔を憑けられたんだ。
それなら、彼の悪魔への代償は?
ベルは悪魔への支払いには先と後、二つのパターンがあるようにも言っていた。レイスはすでに何かを払っている、もしくは、これから何かを失わなくてはいけないのかしら。
ベルのように、視力や魂に匹敵する、何か大きなものを。
彼の意識は悪魔に乗っ取られている?
視点を変えて、レイスの今までの様子を振り返ると……悪魔に抗っていたようにも見える。まだ精神の主導権を悪魔に渡してはいなさそうだ。
あの精霊水晶やリコラの睡眠薬も、悪魔を抑えるためのものだというなら、納得がいく。忘れていたが、リコラの花には頭痛と肌荒れ以外にも、魔に効く効果があったはずだ。内なる悪魔を眠らせるための睡眠薬、と捉えたらいいかもしれない。
それに、そう。
「精霊水晶……」
箱を袋に片し終え、私はまだ冷たい廊下の床に座り込んだまま、ポツリと薄闇に呟きを落とす。
ロア君は『水晶は霊力を溜められるだけでなく、悪魔の力も封じれる優れものです』と教えてくれた。
その水晶をレイスに渡したのは誰?
霊力の無い者に精霊が見えるようにするだけではない、対悪魔用の効果を知っていて、あえてレイスに渡したのは。
その人物が、そもそもレイスを精霊姫の護衛騎士に選んだのだとしたら、悪魔憑きであることを分かった上で、レイスを精霊女王の元に送ることになる。
果たしてその真意は?
そうなってくると、あえて私のような平民が、精霊姫に選ばれたことにも、浄化の霊力を持つからというだけでなく、何かそこに理由があるようにも思えてくる。
「……ああ、もう! 思考が纏まらない!」
苛々と思わず一人で悪態をついてしまった。
どれも手元にある情報を繋ぎ合わせた、憶測の域を出ない。明確な答えがまだ足りない。
……レイスは十中八九、私に己が悪魔憑きであることを隠したがっている。
実際、あの行方不明事件さえなければ、私はここまで、レイスの事情に踏み込めなかっただろう。悪魔の存在自体、知らずに精霊姫の役割を無事に終えていたと思う。あの事件に巻き込まれたことが、レイスにとっては大きな誤算だったのだ。
私に、考えて動く材料を、与えてしまったのだから。
出来ればすべて、レイスに尋ねてしまいたい。元より彼と話し合うつもりだったし、聞いて答えてくれるならそれが一番だ。
だけど……今の段階でレイスを問い詰めても、果たして答えてくれる? あと少し、私自身で情報と確信を得たいわ。
そのために、私が次に取るべき行動は――――
「スーリア様?」
ふと、廊下に月明かり以外の灯が差した。
思索の海から出て顔を上げれば、ランプを手に持ったロア君の姿が、ぼんやりと闇の中に浮かんでいるのが見える。今日の見回りは彼のようだ。
「ど、どうしたのですか? 具合でも悪いのですか?」と、床に座り込んだままの私を心配し、ロア君はローブを揺らしてこちらに駆け寄ってくる。
「大丈夫よ。少し転んでしまっただけ」
「転んで……お、お怪我は?」
「かすり傷一つ無いわ。……それより、ロア君。大事な話があるの」
立ち上がってスカートを払い、気遣わしげな顔をするロア君に、私は微笑む。
情報を知る者は、当人のレイスを除くと、きっとあと一人。
レイスに精霊水晶を渡した、あの人。
私は片手に、レイスの精霊の宝箱が入った袋を強く握って、意を決して口を開いた。
「明日、出来るだけ早い時間に。貴方のおじい様……使徒長・ガウディ=フィンスとの面会をお願いしたいの。事件が一段落したなら、会えるわよね? ――――どうしても聞きたいことがあると、伝えて頂戴」





