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「スー、スー! 夜ご飯のデザート、木苺のパイだったね! おいしかった、分けてくれてありがとー!」
「良かったわね、ウォル」
「でも、ボクはスーの作ったパイの方が好きだよ。早く領に帰って、スーのが食べたい!」
嬉しいことを言ってくれるウォルの、手触りの良い水色の毛を撫でる。私の肩口くらいの高さでふよふよ飛んでくれるので、非常に撫でやすい。
私達は今、教会の食堂で夕食を終え、回廊を歩いて部屋に戻る途中だ。
ちなみに完全に空気と化しているが、後方にはレイスもいる。部屋まで私を送り届けるのも、護衛である彼の仕事だ。
たくさんの使徒さんや精霊の目がある教会内で、滅多なことは起きないとは思うが、奴は職務にはわりと忠実である。
どこもかしこも、一点の曇りも無い白に統一された教会内。
視界を過る丸い円柱には、蔦模様が彫り込まれ、金の鎖が巻かれている。鎖から提げられているのは小さな鐘だ。至るところ鐘だらけ。それは精霊女王への敬意の証でもあるのだろう。
「領のみんなは元気かしらね。旦那様はウォルに会いたがっているんじゃない?」
「? そうかな? でもボクは、会えたら嬉しいけど、別に会いたいとは思わないよ!」
「……ウォル、旦那様に会ったら、嘘でも『離れていて寂しかった、早く会いたかったよー!』って言うのよ。人間にはね、社交辞令というものが存在するの」
「ボクにはよくわかんない!」
「ちゃんと言えたら、旦那様がきっとお菓子をいっぱいくれるわ」
「じゃあする!」
そんな軽口をウォルと交わしながら足を進ませていたら、いつの間にか私達の部屋のある階についた。レイスも護衛なので同じ階だ。
一瞬。
チラッと、横目で後ろのレイスを窺ったとき。
私とウォルの会話を聞いて、奴が小さく口元に笑みを浮かべていた気がして、私は釣り目がちな瞳を限界まで見開いたが、瞬きの間には消えたので、あれは季節外れの陽炎だったのだと思う。
私の部屋の前で別れる際、レイスは「夜は絶対に、勝手に外へは出るな」と言い残していった。月明かりの強い夜に起きるという、精霊使い行方不明事件を案じての忠告だろう。
言われなくても、護衛のレイスに黙って夜に外へなんか出ないのに。
なんとなく不貞腐れた気分で部屋に入り、私は備え付けの鏡台の前で髪を梳いた。今日は夕食前に湯あみを済ませたので、あとは寝る準備をするだけだ。ただ寝るにはまだ早い時間だから、髪を梳き終わったらベッドの上で本でも読もうかしら。
そんなことを考えつつ手を動かす。私の肩より伸びている金茶の髪は、ちょっとボリュームがあって絡まりやすく、梳かしにくい。
格闘していたら、ふと視界の端で、窓のカーテンが夜風を受けて舞い上がった。
今日は少し冷えるので、閉めておこうと立ち上がる。
――――そして、窓の外に広がる光景に、私は感嘆の息を漏らした。
「綺麗……」
私の部屋の窓からは、ピンクの花が咲き乱れる中庭が見える。
月がほとんど隠れた、薄闇の中。
四、五羽ほどの、黄色い光を翼に纏う小鳥たちが、舞うように飛んでいる。
羽ばたく度に光の粒子が散って、闇に幾重の星を産む。点の星は線になり、光の軌道を描いては消えていく。それはとても幻想的な光景だった。
彼らは、光の精霊だ。
だが通常なら、光の精霊たちは、夜はその形を顰めていることが多い。精霊は元々、太陽の光を好む生き物だ。光の精霊たちは特に、陽の光を力とするので、昼間にしか人前には現れない。
そんな彼らが、夜に集い舞を踊るとき。
それは――――死者への弔いを意味する。
「あの子たちと、仲の良かった精霊使いが亡くなったのね。……今日が命日、なのかしら」
ここで踊っているということは、教会の使徒だった人間だろうか。いつ亡くなったかは分からないが、こうして彼らが鎮魂の舞を捧げているくらいだ、よほど親しい間柄だったとみえる。
私はアルルヴェール領で一度、近隣に住んでいた精霊使いの三回忌に、この舞を見たことがあったが、何度見ても綺麗だけど何処か物悲しい。
私は瞼を下ろして、静かに黙祷を捧げた。
そして瞳を開けば、耳につくのは控え目なノックの音。
「誰かしら……?」
夜中、というにはまだ早い。
レイスが何か伝え忘れたのかもしれないと思い、念のためにドア越しに人物を確認する。レイスでは無かったら、精霊姫である私の部屋を直で訪ねる人物など一人だけだ。
「ロア君……?」
「夜分に申し訳ありません、スーリア様」
白いローブ姿で、私より背の低いロア君が、ドアの向こうで深々と頭を下げた。
サラサラの金髪が、丸みを帯びた愛らしい頬にかかる。
「夜分といっても、まだそんなに遅い時間でも無いわ。どうしたの?」
「実は……スーリア様にお話しておきたいことが、いくつかありまして。どれも重要なことです。陽の明るいうちに、改まった時間と場を取れたら良かったのですが……。情けないお話なのですが、例の事件の対処に追われ、不意に隙間の時間が空いた、今しか取れず。どうか急な訪問をお許しください。スーリア様さえよろしければ、その……」
ロア君が忙しなく瞳を泳がせる。私と私を越えた部屋の中を見比べているのに気づき、私はそっと身体を横にズラした。
「いいわよ、入って。別の場所に移動する方が、時間の無駄だもの」
「も、申し訳ありません! よ、夜に女性のお部屋になど……し、失礼致します!」
縮こまりながら、ロア君が室内へと小さな足を踏み込ませる。
部屋の中心に広がる丸いカーペットの上に、銀糸の花の刺繍が美しいクッションを置いた。そこにロア君に座ってもらう。私も同じように、向かいに腰を落ち着けた。
「それで、話というのは?」
「は、はい。大切なことばかりで、どれから話すべきか……そうですね。もうここからお聞きすることにします」
緊張した様子で俯いていたロア君は、半ば自分に問いかけるような呟きを溢したあと、改まった表情で顔を上げた。
清廉な輝きを放つ藍色の瞳が、私を真正面から見据える。
次いで、彼の口から紡がれた言葉に、私は意表を突かれることになる。
「単刀直入にお聞きします。――――スーリア様は、『悪魔』という人ならざる者の存在を、ご存じでしょうか?」
いつもお読み頂けありがとうございます!
一応、次回から物語は解説パート?みたいなのに移行し、少しずつメインの部分に入っていく予定です。今までは毎日更新でしたが、ここからマイペース更新に移ります……といっても、あまり間は空けないようにしていくつもりです。
完結までもう暫しありますが、よろしければまた、お付き合い頂けますと幸いです。