10
翌朝。
宣告通り迎えに来たレイスは、純白の団服姿では無かった。茶色のベストに無地の白シャツ。黒のベルトに動きやすさを重視したズボンを合わせ、皮の長靴を履いた、簡素な装いをしていた。腰から提げている精巧な造りの剣だけが、彼の本来の身分を表しているようだ。
昨日の特権騎士団専用の団服は、謂わば精霊姫との顔合わせの礼服のようなもので、ここから移動時は目立つのを避けるため、この格好で行くそうだ。
立派過ぎるレイスの隣に並ぶことを想定し、己のクローゼットの中では比較的華やかな、オレンジを基調としたワンピースを選んで着てきたことを、私は激しく後悔する。負けたくなくて見栄張ったんです。すごく着替えたい。
だが次に着替えられる場所に着くまでは、慣れない馬車に揺られる必要がある。
レイスは私の恰好を一瞥しただけで、何も言わなかったけど……心なしか、目が冷たかった気がする。
昨日リンスから貰った、木箱もちゃんと入れた荷物を馬車に積み。鮮やかな赤に色付くリコラの花に見送られながら。
――――もうすでに前途多難そうな出だしで、私は王都へと出発した。
●●●
道中は特にこれといった異変も無く、順調に王都へと辿り着いた。
初めて訪れた王都・ルべーリアは、石畳で舗装された道路に、色取り取りの屋根が立ち並ぶ、活気溢れる綺麗な町だった。
馬車から降りて、きょろきょろと周囲を見渡す私に、レイスは「余所見をするな」とだけ言ってさっさと長い足を進ませる。完全に他人の距離感だ。
……レイスは『必要以上に接触するつもりは無い』という言葉通り、移動中もほとんど、私と会話らしい会話はしなかった。
偶にしたとしても、事務的なものか、棘を感じる私を突き放すようなことばかり。専ら道中での話し相手はウォルだった。
「ねぇ、スー。あれは何かな? 美味しそうな匂いがするよ! あっちは何して遊ぶもの? 面白そう。近くで見たい!」
はしゃぎっぷりは、ウォルの方が上のようだ。精霊として生まれて日が浅いウォルも、私と同じで王都は初めてらしい。
あちこち行こうとするウォルを窘めていたら、ドンッと通りすがりの人にぶつかってしまう。
慌てて謝罪すれば、その人も側に精霊を連れていて、その精霊にクスクスと笑われてしまった。
新緑色の毛並みが美しい、猫の姿をした精霊は、尻尾に蔦が絡んでいて、恐らく大地の聖霊だろう。
「可愛らしい精霊使いのお嬢さん。王都は初めて? それなら良い出逢いと思い出を」
鈴を転がすような声でそう謳い、猫の姿をした精霊は、去り際に尻尾をクルリと振った。青々と茂る蔦が合わせて揺れる。
すると、何処からともなくピンクの花弁が現れて、私の頭上へと柔らかく降り注ぐ。
悪戯に近い歓迎の祝福だったが、見慣れぬ場所で、少し心細さを感じていた私には嬉しかった。
暫し花弁を摘まんで立ち止まっていると、先を歩いていたレイスが私の前へと戻ってくる。
そんで睨まれた。
「……余所見するなと言っただろう。早く教会に行かねば時間が無いんだ。こんなとこで立ち止まるな」
「わ、分かっているわよ! ちょっと精霊が花で歓迎してくれたから……!」
「花?」
端整な眉を寄せ、レイスは怪訝な表情で私を見回す。
最初は「そうよ! 花よ!」と胸を張ったが、よく考えれば今、私って花塗れ? と思い至り、慌てて髪や服を払った。
花を贈ってもらえたのは嬉しいが、これ以上レイスに不格好な姿を見られたくないという、私の些末な矜持だ。
……あの冷たい目、わりと堪えるんだから。
ウォルはレイスが傍に寄った途端、露骨に耳を立てて威嚇している。馬車での移動の最中もずっとこんな感じだった。レイスには現状、そんなウォルは見えていないわけだけど。これから教会に赴いて、そのあとは精霊女王の元に行くのに、本当に前途に不安しかない。
その不安も払い落とすように、最後にスカートを叩いて。
歩き出そうとした私を、「おい」と引き留めたのは、まさかのレイスだった。
「なに……っ?」
「髪にまだ花弁がついている。……相変わらず変なとこで鈍臭いな、お前は」
石畳を踏みかけた足を止めれば、レイスは呆れを滲ませた、普段より丸みを帯びた眼差しでこちらを見ていた。無表情が常である怜悧な顔も、ほんの僅かだが緩んでいる。
その垣間見せた微細な表情の変化と、零れ出た言葉に、私は灰がかった薄青の瞳を見開いた。
『スー、頭にリコラの花弁がついている。……スーは変なとこで鈍臭いな』
遠い過去に置き去りにしたはずの、穏やかな情景が脳裏を過る。幼い頃、外で一緒に庭の手入れをしたときの記憶だ。あのとき彼は、確か私の髪にへばり付いていた花弁を、流れるように取り除いてくれた。言葉とは裏腹に、その動作の意外な丁寧さに、驚かされたのを覚えている。
――――ほんの一瞬。
過去のレイスと、今のレイスの姿が重なった。
そのことに虚を突かれ固まっている私に、レイスはゆっくりと手を伸ばす。しかし、ハッと我に返ったように気付き、レイスは瞬時に手を引いた。そしてバツが悪そうに顔を反らす。
それからレイスは胸元に強く手を押し当てたあと、「いくぞ」と一声だけ漏らし、雑踏の中へ足早に進んでいった。
「ご、護衛の癖においていかないでよ!」
慌てて私は、髪の花弁もそのままに彼の後を追う。文句を飛ばしつつも、先ほどの刹那の変化が、網膜に焼き付いて離れない。
――――どうして、今さらあんな顔を私に見せるのだろう。
こんなことくらいで一々動揺し、心乱される自分が嫌だ。
過去の面影を見出して、ちょっとした言動で揺らぐなんて情けない。これではリンスに叱られる。
しっかりなさいスーリアと、心中で何度も自分を叱咤しながら。
風に遊ばれ、自然と遠ざかっていた一枚の花弁を横目に、私は教会への道を急いだ。