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「俺はあんな女、好きじゃない。むしろ嫌いだ。大嫌いだ」
複数の女の子に囲まれて、彼は吐き出すようにそう言った。
明確な拒絶を示す言葉に、冷たく尖る嫌悪感に満ちた瞳。
ピシリとひび割れた音がしたのは、私の胸奥から響いた幻聴か。
――――今まさに、初恋真っただ中のお相手である彼に、『あんな女』扱いをされている私の心境を、誰でもいいから察して欲しい。
領主様の補佐役をしている父さまの、古い友人であるアランおじさまが運営している孤児院。我がバレット家から比較的近くに位置するその院に、新しく入ってきた男の子がレイスだった。
父さまは空いた時間に、孤児院の子供たちに手習いを教えに行っていたのだが、私・スーリア=バレットもそれにお遊び感覚でよく同行していた。
日によって教える子を分けているので、父さまが指導している間に、私はお姉さんぶって、他の小さい子たちの遊び相手を買って出ていた。一人っ子の私には、「スーリア姉さん」と懐いてくれる年下の子たちは、みんな可愛い妹であり弟であった。
出会った当時、私は11歳。レイスは9歳。
二歳年下の彼も最初は、私の面倒を見るべき弟の一人だった。上に『手のかかる』、がつく。
孤児院に来たばかりの頃。
レイスはガリガリに痩せ細った身体で、この国では珍しい、闇夜のような真っ黒な髪に血色の瞳も相俟って、古城に住まう幽鬼のような不気味な容姿をしていた。
よく見れば、均整のとれた綺麗な顔をしているというのに、いつも濁った目をして表情一つ動かさないところが、余計にレイスを浮いた存在にしてしまっていたのだろう。他の子供たちは自然と彼を避け、寄り付きもしなかった。
「これではいけない!」
そうお節介心を燃え上がらせた私は、父さまが行かない日でも単独で孤児院に乗り込み、彼にとにかく食事をとるように勧めたり、無理やり本を読み聞かせたり、外に遊びに連れ回したりと、それは甲斐甲斐しく世話を焼いた。鬱陶しがられようと跳ね除けられようと、謎の根性で構い倒した。
その成果が出て、彼が初めて「スー」と私の愛称を呼び、あちらから傍に寄って来てくれた時は感動したものだ。
返事をすれば、眉間にきゅっと皺を寄せて。次いで、血色の良くなってきた頬をほんの僅かに緩め、分かりにくいが嬉しそうに微笑まれてみろ。
思わず抱き着いた私は悪くない。すぐに引っ剥がされたが。
そうやって心を開いてくれてから、レイスの成長は目覚ましかった。
父さまに進んで知識を請い、昔は騎士団に所属していたらしいアランおじさまに、剣術や体術の指南を自ら頼み。
ついでに己の美貌にも磨きをかけていった。
理由を問えば、レイスには「……なんとなくだ」などと適当にはぐらかされてしまったが、アランおじさまに尋ねれば、彼は人の良さそうな顔立ちを綻ばせこっそりと教えてくれた。
「アイツは、『スーを守れるくらい強くなりたい』そうだぞ」
「……私を?」
「ああ。剣を教えてくれと頭を下げられたときは驚いた。あの捻くれ坊主がなぁ……いつの間にか、すっかりレイスはスーリアちゃん大好きっ子だな」
アランおじさまは豪快に笑い、「あ、これを俺が明かしたことは内緒な! アイツに『スーには絶対言うな』って口止めされてたから!」と付け足したが、私はそれに冗談で返す余裕は無かった。
心臓がドキドキ脈打ち、酷く煩かったからである。
……いつの間にか私は、どんどんカッコよく逞しく成長していくレイスに、淡い恋心を抱くようになっていたのだ。
私が「レイス」と名を呼べば、無表情にほのかな色合いを乗せてくれる、その瞬間が大好きだった。
レイスはきっと、一番身近な女の子である私に、すり込みのように親愛の情を向けてくれただけだ。『私を守りたい』というのはたぶん、家族愛にも似た感情だったのだろうと推察できる。
でも、それでも良かった。
なんであれ私は、極僅かな彼に近しい人物。
レイスにとって、少なからず『特別』だったのだから。
そう……そうだ。
確かにこの頃、私たちの仲は良好だった。アランおじさまが微笑ましそうに、「もうスーリアちゃん、将来はレイスの嫁さんだな」と軽口を飛ばすくらい。それを聞いた父さまが、「いや、それは許さん。絶対に許さん」と真顔で返すくらい。
一緒に居る時間も多かったし、相手の癖も苦手なものもすべて知っていた。恥ずかしい失敗談も共有していたし、口数の少ない彼が、私とだけは他愛の無い会話に興じてくれた。
傍から見ても、向ける感情の種類は違えど、私とレイスは互いを大切に想うような間柄だったはずだ。
――――――それが糸が解けるように緩やかに崩れ。
あんな暴言を吐かれるまで崩壊してしまったのは、いつからだっただろうか。