生贄にされそうな男
俺には南米の大使館に駐在中の外交官の親友がいる。高校の同級生だ。俺自身は平凡な塾講師に過ぎない。先日、その親友が一時的に日本に帰国した。一緒に酒を飲んだら、彼はとんでもない極秘情報を教えてくれた。南米のジャングルの奥深くで今まで人類が経験したことがないような、未曾有のダイヤモンドの大鉱脈が発見されたというのだ。うずら卵ぐらいの大きさのダイヤモンドの原石がゴロゴロとしていて、そんなのが次から次へと採掘されているらしい。
「そんなにすごい大鉱脈なら、外務省なんか辞めて、お前がダイヤモンドを掘りに行けよ。」
と言うと、ダイヤモンドが見つかった地域は危険過ぎて、素人がおいそれと入って行ける所ではないという。交通手段がほとんどなく、近付くのも大変だそうで、チャーターした船で川を遡って行けるのは鉱脈からかなり離れた所までで、そこから先は約3日間、未開のジャングルの道なき道をかき分けて何とか進むしか手がないという。さらに、ジャングルの難路以上の大問題がある。ダイヤモンドの鉱脈一帯を支配している原住民がかなりややこしいらしい。彼らは現在、周囲との接触をほとんど断ち、独自の特殊な文化圏を確立してしまっている。周辺の人々に対してはかなり敵対的で、勝手に進入を試みようとする者には、容赦なく武力で攻撃してくる。100年程前はそれほど排他的ではなく、周辺の部族との交流や人や物の行き来もあったのだが、その後は徐々に閉鎖的で攻撃的な傾向を強め、最近は政府も接触を断念していて、ここ50年は高度の孤立状態が続いている。さらにこの原住民を極めて厄介なものにしているのが彼らの宗教だ。彼らは自分達の宗教をたいへん大切にしていて生活のすべてが宗教によって規定されており、さらに、なんと、宗教儀式のたびに生贄として生きた白人を自分達の神様に捧げているという。祭壇に白人を縛り付けて、1週間程で絶命するまで、神官がぶっ通しで祈りを捧げる習慣らしい。運の悪いことに原住民にとっては日本人も白人に当たるのだそうだ。外務省の友人は
「俺は生贄にはされたくないので、どんなにすごいダイヤモンドの大鉱脈が発見されているとしても、そんなところに行くのは御免だよ。」
と言う。この白人生贄伝説があるために、ダイヤモンドの事を知っているわずかな人々も現地に乗り込むのは躊躇していて、誰かがここに乗り込んで行って、ダイヤモンドで大金持ちになったという話は未だ聞かないそうだ。まあ、ここまで話を聞いた限りでは、確かにかなりやっかいそうではある。俺も無論、生贄にされてしまうのはイヤだ。しかし、これは逆に絶好のチャンスかもしれない。みんながビビッて手出しをしないので、今はライバルがいない状態だ。彼らのような未開な部族民なら、商取引やダイヤモンドの価値には疎いに決まっている。表面的な友好関係さえ築ければ、彼らとのダイヤモンドの取引を一手に取り仕切って、赤子の手を捻るように彼らを騙し、濡れ手で粟の商売が可能に違いない。そうすれば、あっという間に億万長者だ。俺はさらに突っ込んでこの現地部族民についていろいろ詳しく友人に話を聞いてみた。そして、俺は最終的に決心した。南米のジャングルにダイヤモンドの取引に行くことに決めたのだ。原住民とはなんとか友好関係が築けるように努力してみよう。人生に一度あるかないかの大チャンスだ。男は勝負に出るべき時には勝負に出なければならないのだ。
俺は塾の講師をすっぱりと辞めて南米に旅立った。初めに、川沿いの港町に着いた。そこから、川を上流に遡って水路の終点までは3日間の船旅だ。俺は無論ダイヤモンドの取引が狙いだが、金儲けが目的で来ているとわかると船のチャーター料を吊り上げられてしまうかもしれないので、原住民を文化人類学的に調査するために来た学者を装った。これは外交官の友人の入れ智恵だ。船をチャーターするために船頭と値段の交渉に入った。船頭は、初め、チャーター料として、外交官の友人が教えてくれた相場の3倍を吹っかけてきた。これは想定内だ。粘り強く交渉すると案の定、値段は1/3まで下がった。これでいい。交渉成立だ。値段が決まると、この船頭も人懐っこそうな笑顔を見せてくる。こいつの笑顔を見る限り、そう根性の曲がったヤツではなさそうだ。ジャングルの奥に住む原住民について話を聞くと
「詳しくは知らない。しかし、この船で行く水路の終点の村で原住民の言葉を話せるガイドを紹介してあげる。そのガイドは経験豊富で、原住民とも親密だから、なんの心配もいらない。」
と言う。そのガイド料はこの船のチャーター料と同じだそうだ。さらに、原住民への贈り物としてテキーラを1瓶持って行けとアドバイスをしてくれた。これは、外交官の友人の情報にはなかった。やはり現地に来ないとわからない情報もあるものだ。テキーラを1本買って準備万全だ。最後に少しでもダイヤモンドについての情報を仕入れておきたいので、俺は何気なさを装って
「この港町では最近はダイヤモンドがよく取引されているらしいね。」
と船頭に鎌をかけた。すると船頭は、にやっとして
「それはそのうちわかるさ。」
と言う。期待が持てそうな雰囲気だ。
船旅は順調で、計画通りの3日間で水路の終点の村に着いた。この村では、既に原住民の言葉を話せるガイドが俺を待っていた。なぜ、電気の通じていない山奥にいるガイドに連絡が取れたのか、不思議だったが、理由はすぐにわかった。ガイドは携帯電話を持っていたのだ。充電はソーラー・バッテリーを使っているという。船頭とガイドはかなり親しい間柄みたいで、お客の俺をほったらかしにして楽しそうに談笑している。俺はここで船のチャーター料を船頭に渡した。船頭は満面の笑みで帰って行った。俺はこのガイドにも自分は文化人類学者であると身分を偽った。ガイドに料金を確認すると、船頭の言った通りの船のチャーター料と同じ値段を後払いして貰えればいいという。最初はとりあえず吹っかけてみようという気は全然ないようだ。南米の人間にしては恐ろしく金に淡白なヤツだ。こんな南米人は見たことがない。何気なく話題をダイヤモンドに振ると、さっきの船頭と同じように、ガイドはにやっとして
「それはそのうちわかるさ。」
と言う。期待してよさそうだ。3日間の苦しい陸路のジャングル旅行の末、なんとか原住民の集落に着いた。
集落に着くとすぐに、ガイドは俺を原住民に引き渡した。彼らは笑っているが、その笑顔の意味はすぐに分かった。この笑顔は俺への友好のしるしではない。ガイドへの感謝と、望みの物が手に入ったうれしさの笑顔だ。ガイドは原住民からお金を受け取っている。畜生、このガイドはやはり俺を原住民に売りやがったのだ。チャーター船の船頭もおそらくグルだろう。連係プレーで原住民に白人を売っている悪徳業者に違いない。ガイドは悪びれず
「最後まで通訳はしてあげるから安心しろ。」
と言う。
「生贄が死ぬまでには1週間ぐらい掛かるから、それまでの通訳料とここまでのジャングルの同行案内料が込みで、3日間の船のチャーター料と同じだから、価格設定はかなり良心的だ。料金はあんたが死んだら、あんたのバック・パックから抜き取らせて貰うよ。」
と開き直って、俺に人懐っこそうな笑顔を向けてきた。日本人にはここら辺のヤツらの笑顔はみんな人懐っこく見えてしまうようだ。俺はそこにいた原住民の数人の兵士達に両腕を取られて礼拝所のような所に連れて行かれた。ガイドは兵士の言葉を通訳して「ここで、持ってきたテキーラを飲め」と言う。これはいきなり、かなりまずいことになったと直感的に悟った。このテキーラはおそらくお浄めだ。生贄にジタバタさせない精神安定剤の意味もあるだろう。クソ、テキーラを自腹で持参してきて、それを飲み、そして生贄にされるのでは典型的な鴨ネギだ。ここでテキーラを飲んでしまったら、後は、祭壇にくくりつけられて死ぬのを待つだけになってしまう。俺はバック・パックからテキーラの瓶を出すふりをして、素早く、ワニの乾燥肉を取り出し、口に頬張った。兵士がすぐに気付いて口の中の物を出させようとしたが、俺が飲み込む方が一瞬早かった。これが、外交官の友人の話にヒントを得て、俺が考えついた生贄逃れの秘策だ。この原住民はワニを神様として崇めており、宗教儀式もワニの神様に捧げるものであるという。そのため、彼らは決してワニを殺さないし、無論ワニの肉は食べない。ワニの肉を食べた白人は禁忌を犯した者となり、ワニの神様に捧げる生贄とはならない、だから、土壇場でワニの肉を食べれば何とか命は助かるだろう、というのが俺の読みだ。ガイドが怒りながら
「何をしやがったんだ?」
と怒鳴ってくる。俺は
「こんなこともあろうかと思って、ワニの乾燥肉を食べてやったんだ。これで俺を生贄にしたくても、できないだろう。へっ、へっ、へっ。」
と言ってやった。ガイドはこのことを兵士に伝えた。兵士はいろいろ話し合っていたが、隊長が神官を呼ぶために使いを送った。呼ばれた数人の神官が礼拝所の奥で何やら話し合っている。結論は出ないようで、さらに高位の神官を呼びに行った。どうやら、俺の作戦は図星だったようだ。兵士と神官はかなり混乱し、動揺しているようだ。すると、格式の高そうな法衣を纏った大神官が遂に出てきた。その大神官はしばらく考えていたが、やがて、部下の神官に何事か伝えた。その神官は隊長に何事かを伝えた。隊長は2人の兵士に何か命令した。命令を受けた2人の兵士が礼拝所から急いで走って出て行った。俺は現地語はわからないが、なんとか最悪の危機は出したようだと思った。最高位の大神官まで引きずり出したのだ。兵士が走って出ていったところを見ると、儀式の進め方が変わったのでそれを急いで関係者に伝えに行ったのだろう。しばらく経った後、一人の兵士が走って戻ってきて隊長に何か報告した。隊長の命令で、再び、兵士達が私の腕を取って私を立たせた。隊長が私に現地語で何事か話し、それをガイドが通訳した。「ダイヤモンドの話は我々が偽って流している、白人をおびきよせるための嘘の情報だ。最近、生贄にする白人がなかなか手に入らないのだ。あんたは半年ぶりの生贄だ。ワニは我々にとって神聖な生き物で、そのワニの肉を食べてしまった者は今までは生贄にはできなかった。しかし、最近、生贄を捧げていないので、集落のまわりでの食べ物の収穫量が減っていて、我々も困っているのだ。そこで、どうすべきか大神官様に御伺いを立てたのだが、ワニの肉を食べてしまっていても、直後ならまだ消化はされていないから、ワニの肉が通過した口と消化管がある頭部と胴体はダメだが、手足は生贄に使える、という御裁断だ。もうすぐ、もう一人の兵士が道具を持って戻って来る。ワニの肉が吸収されてしまう前に片づけてしまわなければならないから、とにかく早くしろというのが大神官様の御命令だ。」