沼の主
それは、酷く静かな夜。
人族の国の王都。
その外周を覆う巨大なレンガの壁の上でその男は必死に欠伸を噛み殺していた。
「あー、眠い。こんな夜に敵襲なんてあるかよ……。」
彼の仕事は外壁に近づく怪しいものがないかを見張ること。
魔王軍がいつ攻め込んできてもおかしくない今、彼の役割は重要なのだが、
「なーにが魔王軍だよ。攻めてくる、攻めてくると言って一向に攻めてこないじゃないか。とんだ腰抜けだよ。」
彼には緊張感が全くなかった。
静かな空間に、虫の鈴のような美しい鳴き声が響き、彼の眠気を誘う。
いつからだろうか、彼は自分自身も知らぬ間に眠りに落ちていた。
コツリ。コツリ。
それから、どれだけの時間が経っただろうか。眠っている彼の耳が聞きなれない音を捉える。
「や、やべぇ。寝ちまった。」
慌てて飛び起きる男。
コツリ。コツリ。
その耳に、再び謎の音が響く。
これは……何の音だ?
疑問に思った彼は、音が聞こえてくる方向、外壁の下を覗き込んだ。
そして、
な、何だこれ……。
驚きに包まれる。
王都の外。普段は緑溢れる平野が広がる場所が、今日は白一色に染められていた。
その正体は、
……歩く骸骨。平野を埋め尽くすほど大量の人型骸骨が王都に向かって行進している。
これはマズイ!?
そう思った男は外壁の内側を振り返ると、あらん限りの声で叫んだ。
「敵襲ーーーーーーーーー!!!!」
*****************
はーい。
みんな、こんにちはー。
私の名前はリル。
今年で六歳になる、可愛い女の子だよー。
私は今、人族の国の王都からすこし離れたところにある街にいるの。
宿の狭い部屋で大好きな人と二人っきり。
ムフフ。
あ、大好きな人と言っても女の人なんだけれど……。
その人はね、私にとってのヒーローなの。
私が住んでいた村がモンスターに襲われた時に助けに来てくれたんだぁ。
シンお姉ちゃんは本当に強いんだから。
あ、シンお姉ちゃんっていうのがその助けに来てくれた人。
すっごい美人さんで、とっても優しいの。
怒ると少し恐いけど……そこもまたいい。キャハっ。
そんなお姉ちゃんは今から出かけないといけないんだって。
なんでも、昨日の夜、急に魔王が率いる軍隊がこの国への攻撃を始めて、今王都の周辺は戦場になっているとか。
お姉ちゃんはその戦いに参戦するつもりみたい。
もー。あんまり危険なことはして欲しくないのになぁ。
昨日から何度言っても聞いてくれないの。
参戦しないと他の人に迷惑をかけることになっちゃうんだって。
まぁ、お姉ちゃんのことだから心配しなくても大丈夫だと思うけど……。
あ、お姉ちゃんもう行っちゃうんだ。
寂しいけど、私はここで待ってるね。
うん。大人しくしてるよ。
良い子にしてるから、心配しないで行ってきて。
はあ、お姉ちゃん行っちゃった。
ところで、右手に持っていた仮面は何なんだろう???
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人族の国。王都近郊にあるとある喫茶店で。
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女1:王都の戦況はどう?
女2:至る所でこの国の兵士達と魔王軍のモンスター達とが戦ってて、私達みたいな低レベルのプレイヤーでは迂闊に近づけないって感じ。
女1:マジで?どっちが優勢なの?
女2:うーん。結界水晶が祀られている神殿に近づこうとしている魔王軍の進行を今のところは食い止められているから、どちらかと言えば、人族の国側の方が優勢かな。
女1:へぇ、そうなんだ。でもこういうのってさ、絶対守る側が不利だよね。
女2:ん?どうして?
女1:だってさ。たった一人。たった一人でも止められなかったら負けなんだよ?
女2:それはまぁ、そうだけど……。
****************
一人の敵が止められない???
人族の国の王都。
結界水晶が祀られている神殿内部で、小規模パーティ『黒炎』の隊長であるセイギは大規模パーティ『小指姫』の副隊長であるセーヤから伝えられた情報に眉を顰めた。
「それはどういうことですか、セーヤさん?北側は最も多くのNPC兵が配置されており、突破はかなり困難な筈ですが……。」
「ああ。それはそうなんだが。…とんでもないやつが現れたんだ。」
とんでもない奴?
セーヤさんにしては歯切れが悪いな。一体誰が現れたんだろう?
セイギが首を傾げていると、
「実は現れたのはな、---なんだ。」
セーヤがその正体をゆっくりと口にする。
その名前を聞いた瞬間、
「えーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
神殿内にセイギの絶叫が響き渡った。
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「しかし、小隊長達は俺とユウジが入れ替わっていることに全く気づかなかったな。」
「そうね。まあ、仮面をつけてるとは言え、声も体型も一緒だったし、まさか人が入れ替わっているなんて誰も思わないわよ。」
『夢の国』の定例会議。
しがない街で行われた集まりを何事もなくこなした僕はカナと二人で不甲斐ない街へと移動し、その中央広場を目指していた。
なんでも、僕が指導する新人メンバーたちが待っているとか。
「そういえば、シオン聞いた?昨晩、魔王軍が突然、人族の国へ総攻撃を開始したみたいよ?」
歩きながらカナが言ってくる。
人族の国?
ええっと、人族の国といえば……セイギのいるところか。
総攻撃?聞いてないな。
「そうなのか。戦況はどうなんだ?」
「一進一退。僅かに人族の国側が優勢とも聞くわ。」
ほう。人族の国側が優勢なのか。
意外だな……。
その言葉を聞いた僕は眉を顰めた。
犬族の国での戦闘を思い返す限り、魔王軍の方が戦力的に圧倒的に上だと思っていたが。
セイギが上手くNPC達の協力を仰げたのかな?
僕が首を傾げていると、
「ただ、一つ変な噂があるの。」
カナが言う。
「変な噂?」
「うん。魔王軍側がね、宣言しているんだって。今日の正午までに人族の国を陥落させるって。」
今日の正午?
丁度、中央広場に到着した僕は、その隅に立っている時計台の方を見る。
午前11時30分。
本気で魔王軍が正午までに人族の国を陥落させるつもりなら、何か隠し玉があるのかも知れない。そして、この時間帯なら既に……。
人族の国側が僅かに優勢。
カナが得た情報は少し前のもの。
今現在の状況と一致するとは限らない。
果たしてまだ、人族の国側は優勢なのだろうか?
人族の国から遠く離れた魔圏の端。
僕は一人、戦争の行方に思いを馳せた。
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人族の国。王都近郊にあるとある酒場で。
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男1:ヤバい。やばいやばい!
男2:王都の戦況はどうなっているんだ⁉人族の国側が優勢じゃなかったのか?
男3:そうだ。少し前まではそうだったんだが……。今は既に結晶を祀る神殿の元まで敵の手が及んでいるらしい。
男2:何故だ?何故突然、そんな状況になった?
男3:一人のプレイヤーだ。たった一人のプレイヤーが王都の北側から侵入し、人族の国側の戦力を蹴散らすと、一気に神殿の元まで到達したらしい。
男2:たった一人?たった一人だと⁉人族の国はNPCとの連帯を推し進め、魔王軍と正面からやり合えるだけの戦力を保持しているんだぞ?それが……あり得んだろう?
男1:いや、それがあり得たんだ。確かに並大抵のプレイヤーじゃあ、そんなことはできない。例え、五凶星でも厳しいだろう。ただ、そいつは……そいつならば、可能かもしれないと思ってしまう。
男2:馬鹿な。五凶星より強い奴なんて……。はっ、まさか……。
男1:そうだ。そのまさかだぜ……。そいつはな、全身を黒い外套で覆い、髑髏の仮面で顔を隠しているそうだ。
男2:マジかよ。ここ最近、行方をくらましていたくせにここでか………。
男3:ああ、本当に信じられん。最悪のタイミングで帰ってきやがったぜ。……《不死の人》。
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「あまり前に出すぎるなよ、セイギ。この戦闘はボクたちが介入できるレベルじゃない。下手に動くと邪魔になるぞ。」
「しかし、セーヤさん……。」
ボクは目の前で繰り広げられている戦闘の中に今すぐにでも飛び込んでいきそうな様子のセイギに声を掛けた。
ボク達が今いるのは、人族の国の王都。結界水晶が祀られた神殿前の広場。
屈強なNPCの戦士20人程が肩で息をし、地面に膝をついていた。
皆、傷だらけで満身創痍といった感じだ。
残り20人。
広場の上にはそれ以外の兵士達の骸が無残に転がっている。
始めは100人を超える数がいたんだ。
成人したNPC。それも、戦いに身を置く者達。
皆、Lv.200を超える強者だった。
それが……。
広場の中央。
そこには無傷の女が立っていた。
女。こいつは女だ。
体を覆う漆黒の外套。顔を隠す髑髏の仮面。
確かに性別は分かりにくいが、背中まである流れるような長髪や時節外套に浮かぶ体のラインなどでなんとなく分かる。
《不死の人》。
体全体から信じられないほど濃色の紅光が立ち昇っている。
「ドッグ・ラン・オンライン」のサービス開始当初、恐怖の代名詞だった存在。
圧倒的だ。襲い来るNPC達をまるで寄せ付けない。
……こんな奴、止められるわけないだろう。
他の戦闘区域に増援を求めてあるが、間に合うかどうか。
ボクがそう思った瞬間だった。
「死ね、この仮面やろう!」
ボクの最も近くにいたNPCの兵士が怒号を上げ、《不死の人》に切りかかった。
それに続き、他の兵士達も切りかかる。
「待て!そんながむしゃらに突っ込んだら………。」
ボクが言葉を全て発し終わる前に、
ズダ。ズダズダズダ。
嫌な音が聞こえてくる。
肉が割かれる音。
マズイ……。
兵士達がひとり残らず《不死の人》の足元に転がる。
しまった。神殿までのコースががら空きだ。
今この瞬間に、《不死の人》と神殿の間に挟まる者は一つもない。
広場にはボクとセイギ以外にも、10人余りのプレイヤー達がいる。ただ、誰一人として動けない。
当然、ボクが声を上げる間もなく、
《不死の人》が掻き消える。
神殿に向かって突進したのだ。
「やられた……。」
隣のセイギの悔恨の念のこもった呟きが聞こえた瞬間だった。
「なに?」
全ての音が消えた広場にくぐもった女性の声が響いた。
声を発したのは……《不死の人》だ。
今まで一切、声を発しなかった《不死の人》が驚きの声を上げたのだ。
神殿の手前。後数メートルというところで、《不死の人》が足を止めている。
いや、足を止めているんじゃない。
これは……足を止められているんだ。
《不死の人》の足が地面に対して、完全に沈み込んでいることに気がついた瞬間、
グニャリ。
ボクの足元の地面に変化が起こり、
「な、なんだこれは!」
「泥?」
「沈む!体が沈むーー!」
広場内のプレイヤー達が一斉に声を上げる。
《不死の人》とボクの足元どころではない。広場の地面全体が、泥のようなものに変化していく。
「ひーー。ちょっ、セーヤさん。なんですかコレーーー。」
隣のセイギの悲鳴が聞こえると同時に、
ドンッ。
神殿前の《不死の人》の体が大きく後方に吹き飛ぶ。
そして、
ズジャジャー。
泥沼と化した広場の中央に倒れ込んだ。
何が起こった?
一瞬の出来事で何が起きたのかを理解できず、ボクが神殿前に目を戻すと、
「全くーー。君たちは何をやっているんだー!」
先ほどまで《不死の人》がいた場所にいつの間にか一人の男が立っていた。
派手な男だ。
青と赤が入り混じる鮮やかな髪に、開いているのか、閉じているのかもわからないほどの糸目。
頬には金色のペンキで星が描かかれ、真っ青なトレンチコートを見に纏っている。
そして、
……こいつ、犯罪者プレイヤーか。
男の体からはPKの証である、深紅の光が迸っていた。
「本当はさー。俺っちは見ているだけのつもりだったのにさー。君たちがあまりに不甲斐ないものだから、出てくる羽目になっちゃったよ。流石に神殿に行かせる訳にはいかないからね。」
男がその場でダンスでも踊るかのように軽いステップを踏む。
何だこいつは?足元の泥沼をものともしていない。
というか、……何処から湧いてきたんだ?
ボクが次々と湧き出てくる疑問に困惑していると、
「お前は確か……五凶星の一人。」
広場にいた一人のプレイヤーが男のことを指差して言う。
何⁉五凶星だと?
ボクが驚いて男の方を見ると、
「ピンポーン大正解。」
男が嬉しそうに言い、
「俺っちのプレイヤーネームはクレム。……泣く子も黙る、《沼の主》様さ。」
ニヤリと笑った。




