翼が五羽
ハッ!
目が覚めると、俺は薄暗い茶色のライトに照らされて、見慣れない天井を見ていた。
体はなんとか起こせるようだ。壁はきれいに平べったい。テレビも大きい。ベッドは……で、でかい。ん! ん?
なんで俺の部屋に女が上がりこんでるんだ? お姉ちゃん? にしてはチビッこいし…………。
あ~! お前は! 馬鹿女っ。
それに──ここは……俺の家じゃないぞ! え? ホテールー! うっそ。
「お前ぇ~! なんで馬鹿女が居るんだよ! …………おぉ、そうか、まだ夢の中か」
「起きた? ビックリしたよ? 急に倒れるんだもん。お酒飲んでないのにロレツ回らなくなるし──。気分だけで酔ったと勘違いしちゃってさッ。それで倒れただなんて……もぉ!」
「なに自主規制してノンアルコール酔いにしてんだよ~」
「はい? 何のこと?」
「マルコだって第一話で、ガキんちょの癖に朝っぱらからワインを、かっ食らってんだぜ? もちろん名作の方のマルコだ!」
「やっぱり大丈夫じゃないじゃなーい? 辛い? ねぇ気分悪い?」
まーいい。そこは大人の事情だ。ノンアルコール酔いってことにしといてやんよ(世間も厳しいからなッ)
ハッ!(もう一度だ!)
「ま、まさか! お前、俺に一服盛っただろ? えぇーどうなんだ?」
まさかな、まさかだよな? 俺は着衣の乱れがないか確かめた。うん、まだ操は守られてる。
「はぁ? なんで私が睡眠薬とか入れるわけぇ?」
まあ、普通は白状しないもんだ。当たり前だよな。
「なんでって、そりゃ……ぉぃ。こういう時のお決まりは、男を裸にひん剥いて写真を撮って、学校の掲示板に張って、それでだな──」
演技派な馬鹿女だ。本気で心配してる表情をさっきからずっとしてやがる。
「それってドラマとかの見すぎじゃないの? もぉ……」
「馬鹿! お前! 知らないのか? 権田藁岡先生の、マイナー時代に書いた、幻の短編集でもこういうシーンあんだよ! それ一作だけだぞ! そういう描写で書かれてんのは!」
「ふーん。そうなんだ~。知らなかった」
「知らないで済ませられるかよ。権田藁岡先生はな~、絵も上手くて、特に女を書かせりゃ五本の指の一番だ! それでいて、ストーリーもしっかりしてて、尚且つ、自然に話の中に漫画家のレクチャーも、分かる奴には分かる程度に盛り込んで……、いや! そんな話は良い!」
と、興奮して話してたら、また、くらっくらしてきた。そして俺はそのまま、この馬鹿女に抱きつくみたいに倒れこんでしまう、という不始末を犯した……
「もぉ。そんなに興奮するから……。もう少し横になってよう? 写真なんか撮ってないから安心して」
そういってクスリと笑ってる。
俺はふらつき、へにょりと、この馬鹿女の右側に座る形で、幾分前かがみにへたり込んでいるのだ。
丁度、そう、馬鹿女の肩口あたりに、俺のアゴが乗った形だ。よくあるパターンだ。ダッさい感じで……。
気恥ずかしくなってきた俺は、もっと言い返してやろう! と顔を上げた。
馬鹿女は心配そうな顔(演技だが)で俺を見てた。その顔と俺の顔がバッタリご対面してこんにちはをしていた。そう、馬鹿女の口と、俺の口が五センチか、もしかしたら四センチくらいまで近づいていた。
その時、一瞬時間が止まった……ような気がした。
「どうしたの? ほんっと、大丈夫~?」
面白い、受けて立とう。
あくまでそうやって俺を罠に陥れるつもりか。こいつがどこまで調子づいてられるか試してみることにした。
「ねッ、どーしたの? 佐々良ク~ン。お~ぃ、佐々良クーン?」
はぁいッ! はいはい。でた。出ましたねッ。はーい。居ますね~居ますよ~、そういう女子。居るよね~。ありきたり過ぎだなー、馬鹿女!
受けて立った俺は、馬鹿女に顔を近づけていった。もしそれでも泣いて謝らないなら、そのまま……チ、チユーしてやるまでよ。まさかそこまでしないと踏んでるんだろう。馬鹿な女め。俺は口を閉じた。
その時、この馬鹿女は目を瞑りやがった!
眠むくてうっつらしたんじゃない。たまたま瞬きした瞬間にしては長い。いや短い(普段の時間で言えば)でも長い。
俺はあることを企んだ──。
こいつは俺を騙して笑い者にしようとした。
そして写真を撮り……、いや、写真は無かったことにしよう(俺が恥ずかしいもの)それは信じてやろう。でも、女どもで共謀して騙した……のも、まぁ、それも違うということにしといてやろうか。
しかし! 男だと嘘を付いて来たのは本当だ! 例え俺が涼という名前を男だと勘違いしたとしても、俺の口ぶり(いや打ちぶり)で、俺が涼なる野郎を男だと信じ込んでたのは知ってるはずだ。一緒にガンガンとナンパする約束もした(いや、それは俺の想像だけか)それを白状せずに、俺が人気者だと思わせといて、友情を育むという淡い純情を踏みにじって、宿敵をコケにした。
あぁーそうかよー。こいつが女だと言って遊びたいって言うんなら、遊んでやろうじゃねーか。
俺は頭に手をかけた。そこから撫で撫でしてやった──。馬鹿女は嫌がらない。
手を落としていって今度は耳の上を手の平で撫で撫でしてやった──。嫌がらない。
だから俺は右手で髪を撫でながら、左手で手を握ってやり、そんで口を近づけていって……。
でも焦らした──。服に手をかけようとして、止めて、ズボンに手をかけようとして、止めて、そう……、まるでどう扱って良いのか分からない童貞のように……。
くそっ! 俺を童貞だと思ってやがるな~! 誰がなんと言おうと(言わないだろうが)正真正銘の、金の卵だ! 純粋な混じりッけなしの! 純度百パーセント! スーパーエリートとは、このッ俺のことだー!(まいったか!)
しかし、この馬鹿女は俺を笑い者にしやがったんだ。俺だって笑い者にしてやる権利がある!(六法全書に載ってなくとも! 味方してくれ……る、よね?)
俺は馬鹿女の両手首を掴んでバッと開いて、ベッドに押し倒した(よくあるアレだ)
右? 左? 右? 車は来てないな?(いや違う)どっちにするか……。お風呂でどっちの腕(もしくは足)を先に洗うか、玄関でどっちの足から靴を穿くか、人それぞれ癖は違う。でも上着を脱がすのって、どっちを先にやるのがが正解なんだろう……(この間、六秒の瞬考だ)
その間も馬鹿女は黙ってる。前髪で目線は分からないけど、こっちを見てる感じじゃなかった。拒否反応はない。動かない。怖いからか?(やっぱやめようか)いや! まだ本気でヤな気分にさせてない! 止めるなら、せめてコイツにも、ちっとばかし嫌な気分になってくれないと──俺の気分がスッとしない(これは仕返しだもの)
よし、俺は、左腕に決めた(ただ何となく、勘だ)
ああ、そうか、こういう時って、ちゃんと肘を曲げてくれないと脱がせにくい。テレビでやってるのはアリャ嘘だな。初めての共同作業はここからだ! 肘をちょっと曲げてくんないかな~(服に伝線入るだろ?)俺は試しに少しばかり下へと引いた(曲がった!)だから即座に左腕から脱がせ、次は右だ。まるでママが子供の服を脱がせてやってる気分だ(そんな甘酸っぱいもんじゃねぇ)
この間! 十一秒の瞬動だ(たぶんなっ)
上の服を脱がしてやった!(あとでちゃんと畳んどこう)兎さんマークのTシャツが見えた。
でもまだ「ヤダ! ヤダ、ヤーダー」みたいに嫌な気分にさせてない。早くうろたえろ! そして俺を陥れようとした暴挙を悔やめ! そうしないとひどいぞ。チューくらいは六割がた本当にかましてやろうかって気になっている。拒否らない限りは体もいっぱい触ってやるんだから!
俺は既に、この馬鹿女の背後に回っていた。ゴル○十三でも気づかない素早さで! そして脚の間にまで手を、這わせ……這わせ……這わせ……? ん? 這わせ……ん?
伸びろにょいぼう~!(伸びてないが)伸びてるのか?
そんなことはどうだって良い! お前……、おま……、え
なっ?
や、野郎かぁぁぁ~?
俺は一気に顔がピリピリ(ひりひり?)として、サッ! と酔いが醒めてしまった。こいつを、パッと振り向かせ、顔をまじまじと見てやった。
確かに化粧はしてる──女だ。年上にも見える。
髪も今日は若干変えてるし、背が高いと思ってたのも、厚底のサンダルを履いてたからだ! 顔は女だ! 女だけど! 女だけど……。
「お、お前っ! 翼かっ!」
嘘だろ? ほら、早く返事しろよ。
「そうなのか?」
馬鹿女は、女座りを少し崩し肘をベッドについてうつ伏せになっている。両肩口を掴んでこっちを向かせたけど、顔だけを背けている。前髪と横の髪で表情は見えない。
もう一度聞いた。嘘であってくれよ──……
──でも、こいつは、無言のままだ。翼じゃないなら何で反論しない? 翼だから無言なんだろ?
俺の頭の中では、こいつ、あいつ、そいつ、馬鹿女、翼、涼、色んな呼び名があった。
「何でこんなことしたんだ?」
馬鹿女は黙っていた──。
今は、完全にベッドのフチに座り、体を斜めに向け、顔だけは完全にそっぽを向いた状態だ。
化粧をしてたから気づかなかったけど、冷静になって見たら分かりそうなものだ──。翼が化粧して女装をしたら、こんな感じだ。
──化粧って、こんな変わるもんなのか?
すると突然!
「ふぇ、ふぇ……、ふえ……ん」
さっきまでの気取った女とは打って変わって、まるで女の子──。そう子供のように泣き出した。
「なっ? ほんとに、ちゅ、翼なのか?」
俺は声が裏返ったが、翼じゃないと思いたい。
「違うよな? もしかして俺を騙して来いとか、誰かにイジメられてるのか?」
それなら俺がそいつをコテンパンにしてやる。安心して白状しろ。
「えヘッ……、えへっ……ぐ、えっぐん……」
ヘンチクリンな嗚咽交じりの泣き声を聞いてたら、馬鹿げた話だけど、俺は、男だと分かってても、可哀想な気分になってきた……。
でも! 可愛い顔して、裏では「佐々良の馬鹿は単純だから、ボクが女装して笑い者にするねッ」なんて言ってやがったんだ!
俺にはその光景がありありと浮かんできた。へーなるほど。面白い遊びだよ──。
「そうかよ、どこにでも居る性格の悪い男子と同じだったってことか」
「佐々……違う」
「嘘泣きしてんじゃねーよ!」
何が違うんだ? こうやって、女の格好して、俺を騙してるじゃねーかよっ! 本当の話だろ!
すると、かすれるような、聞き耳を立てなければ聞こえないような小さな声で、なんとか声を出したという体裁で答えた。
「涼……だ、もん……」
この場に及んで何を今更……。
「それじゃあ、涼って誰だよ。お前は化粧取ったら……どう見ても、翼じゃねーかよっ」
「翼じゃない。私は……涼だもん」
「嘘つけよ! だって、俺、涼なんか知らない。本当は実物なんか居ないんだろうが! それに」
と言いかけたところで、こいつの声のトーンが変わった。
「じゃ、じゃあ……。同じ学校にその名前いるか確かめてよ」
「なに──? へ、へぇー……、そ、そうかよ~……。でも、おんなじだよ。なら、やっぱり俺をからかってたんだ? 同じクラス、なんだろ?」
まだ俺は確信が持てないでいる。
「ど、どう見ても、俺には翼にしか見えないけど……」
その言葉に、暫くは黙ってたこいつの口が、また反応した。
「LINE……」
なんだ? 俺が人気者になったと勘違いしたインターネットのことか?(アプリって言うんだっけ?)
「LINE? なんだよ?」
俺がそう聞き返すと、小さな声で答える。
「うん……。佐々良」
「なんだ?」
「アカウント……って、知ってる?」
正直知らない。ネットのアカウントは知ってるが、LINEは初級者だ。俺ん家は貧乏だから今時化石のような家系なんだ……。
「いや、知らない……。でも、それを見ればお前が翼じゃないって分かるのか?」
「うん……。阿久津君にも聞いて。他の男子でも、女子でも、クラスの子ならみんな分かるから」
ここまで言うんだ。翼じゃないんだろう。だとするとコイツは誰なんだ?
「お前は翼じゃないとすると、じゃあお前は誰なんだよ?」
──佐々良は、クラスLINEに、入れて貰って、人気者──
──でも、みんなから騙されて、可哀想、クスクス──
──ねっ? 男好きの、佐々良くん。ホテルはどうだった?──
俺はもうコイツからかなり離れて座り、一人でテレビを付けた。
もう怒る気力もない。ただ、ただ、呆れるだけだ。こんな馬鹿みたいなことに。
テレビを付けたらHな映像が始まった。よく分からないが無料なんだろう?
どうせコイツも男だ。気ぃ使って消す必要も無い。おれはテレビで甲高い声でアンアン言ってる馬鹿みたいな女と、そんなにまで前後しないとダメか? ってくらい腰を振り振りしてる間抜けな男の映像を見ていた。
くっそ! こんな面白くないエロDVDも初めてだ! それも、男同士で観て……。
エロ鑑賞会の男同士でワイワイ観るのとは大違いだ。こんなことをさっきまで、この『男』とやろうとしてたことを考えると、自分で自分が情けない……。
「俺は金、払わねーからな!」
いきなり大きな声を出したので、こいつはビクンっ! となって一瞬で体をカチカチに緊張させた。
「お前さっきも言ってたよな~? 女に払わせる気? ってよー。お前、女じゃねーもんな」
またそいつはシクシクと泣き始めた。男の癖にメソメソしやがってよ~……。
「割り勘だからなっ! 俺は払わねー。だってお前、女じゃねーもん……」
本当は割り勘でも嫌だ。騙されたんだから全額こいつに払わせたかった。金の問題じゃねぇ。気持ちの上での問題だ。心の問題だ。
──でも、俺が倒れたから、ここに来た訳だし。解放してくれたのは事実だし、そのまま放って置くことも出来た、騙す目的だとしても……。
と、その時。俺は思い出した。コイツには兄貴だか弟だかが居る。
「お──前! 翼の兄弟かっ! そうなんだな? くそっ! みんなして騙しやがって! 誰に言われたんだ! えっ? もしかして、翼か!」
「違う! うぅ……うわはぁ……ん、ささ、ら、は……、えっぐ……分かって……はんぐっ……、ないよ……へんぐっ……ごめんな……さい。ごめん……なさい」
うるせいッ! 何を言ってるのか全く分からない、クソ野郎! このポンコツ野郎が!
「俺をからかって、男好きに仕立て上げて、そりゃー面白かっただろうよー! くそっ!」
「ちが……ほんと……に、ささ、……ら、ちが……わか……って……ないよ……でも、ごめん、なさ……い」
こんな奴の言う言葉なんか聞きたくも無かった。暫く俺はそっぽを向いてた──。シーンと静まり返り時間が止まってるような感覚に囚われた。
でも、さっきの嗚咽交じりの言葉──どういう意味なんだろう?
それに、あれだけ泣いてたんだ。反省したのかも、もう良いんじゃないのか? 少しだけ、心配になってチラッとだけ見た。
声を出さずにただベッドの角にチョコンと座っている。
俺に脱がされた上着を胸の前で抱いて、小刻みのふるふると身体を震わせているだけだ。顔を見た。頬に、涙がポロポロ、ポロポロ、ポロポロ、ポロポロ、と流れていた。
「クラスの……えっぐ……。人には……えっぐん……。言わないで……で、ほしい。こんなこと……んぐっ……言えた、義理じゃ……ないけど……」
泣きながら嗚咽で上手く喋れない子供のように、やっとのことで喋ってる感じだ……。
「言えるかよっ!」
調べれば、涼という人間だと分かると言った。
こいつは────、そう。翼の双子の兄貴。一度も喋ったこともない他人だ。
翼の兄貴……涼という名前なんだな。ああ分かったよ。このクソ野郎!
「学校でも、俺に話しかけてくるなよな」
「うん。分かった」
「もう、お前とは喋ってやんねぇー」
「ごめんな……さい……」