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肌の刺さらない翼  作者: もーまっと
★番外編
44/45

教室が「奴ら」に包囲された(奴らが1体)

 シンと静まり返った教室の中、微かに身動みじろぎする音だけが聞こえている。

 それ以外の音など立てる者は居ない。


 皆、暗くなった教室の真ん中で、固まるよう集まっていた。

 怖いからだ。

 誰一人として、どの隅にも居たくなかった。


 ある者は身震いしながら息をひそめ、ある者は目だけを見開き無言で声が出ないよう口にハンカチを押し当て涙を流し、またある者は恐怖と逃避の狭間を行き来している夢の中の住人だった。


 既に精神崩壊を起こす寸前で、なんとか踏みとどまっている者も居た。

 恐怖を感じ警戒しつつも、体力を温存するため目を閉じ無理にでも寝入ろうとしている者もいたが、目を瞑っている者の中でぐっすりと寝ている者など、ここには誰一人として居なかった。


 電気の消えた教室は、今朝見た光景とは違い、今はただの「闇」でしかなかった。


 突然、その闇を切り裂くように叫び声があがった。


「いやぁぁぁ~~! もうっ、嫌~っ!」


 とうとう如月さんが精神に異常をきたし、心を闇に侵され恐怖に呑み込まれた。

 見開いた目、振り乱す髪、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔、その顔はいつも強気な少女のものではなかった。


 他の者もそれを驚きの目で見ていたが、次に自分がそうなるとも限らない恐怖に、同情の色を見せる余裕も無かった。


「きっと次は私……」

 すずさんが沈痛な面持ちで、じっと自分の手の平を見つめていた。

「そんなことにはならないよ。なにかあったら僕が助けてあげるから」

 双子の弟である翼くんがそう言って気休めを言ったら、早田くんが馬鹿にしたように声を荒げた。

「お前に何が出来るだよっ! 出来もしないこと言うなっ。変に期待を持たせるような気休めなんか今は必要ないんだよ!」


 他のみんなもその言葉には同意見だったが、口に出すと本当にそうなってしまいそうで、怖くて言えなかった。一部では諦めの気持ちが影を落とし始めていた。



 その時、また叫び声が響いた。

 ただし、その声はまるで声帯が潰れたかのように、それほど大きな声ではなかった。


 あたしはその声が「人」の声ではないことに気づいた。みんなも気づいてた。男の声? 聞き覚えのある声。でも、まさか。今聞こえた声は……。鈴木スズキくん?

 そんなはずは無い。彼は隣の教室で───。


 周りに視線を移すと、皆がその声の方向を凝視していた。


 まだ動くな。じっとしてろ。阿久津くんが周辺だけに聞こえるような声で注意を促した。

「こっちの存在に気づいてないかもしれない。奴らはどうも自分の意思で動いてないみたいだ。闇の者をべる、統率者が側に居るのかもしれない」


「闇の者なのに、闇が見えないって……。くぷぷ。超だせぇ~」

「うるさいっ! お前はちょっとは黙ってろよ!」

 唯一この中で、一人だけ楽天家でマイペースぶりを見せる佐々良くんを、織原くんが黙るようにいさめた。


「もう止めようぜ? なぁ……。こんな時に言い争うとか」

 加藤くんの言い分も最もだ。それには吉田くんも同調した。

「加藤の言う通りだ。佐々良も悪気は無かったんだよな。でもみんな怖いんだ。察してあげようぜ」

 そう言う吉田くんも足が震えていた。

「あぁ……。ヨッチャン悪ぃ~。もうあんま喋らない。俺も。すまんな」

 そう言って珍しく佐々良くんが折れた。


 と、その時また声がした。

 今度はハッキリとした「言葉」だ。


空美そらみぃぃぃぃぃ……」

 その声が誰なのか皆が知っている。

 苦痛に耐える声で呼んでいる。


 間違いなくその声の主は、教室に固まっている「生存者」以外の声だった。そして皆がよく知る人物でもあった。


「助けてくれよ……空美……俺だよ。分かるよな……」

 悲しみと懇願の声。さっきまで、あたしたちと一緒に隣の教室に居た。彼……。


「俺を見捨てるのか……空美はそんな子じゃない。なぁ……空美。見捨てないでくれよ。怖いんだ……俺も」

 この成り行きを不安交じりな目をって、一斉に皆の視線が烏丸からすま空美そらみさんに向けられていた。成り行きを見守る。


海人かいと……」


 空美そらみと呼ばれる女の子が言った海人かいとは、先ほどから苦痛と悲しみの声を上げている声の主で、本来はここに居ないはずの人間。

 女子からは鈴木スズキくんと呼ばれて、男子からは海人かいとと呼ばれていた「元」クラスメイトの男子だった。


「奴が今でも海人なのか……。俺は信じられない。あんな状況で助かったとも……」

 瀬戸くんがそうつぶやいて、他に声のする「者」がないかをキョロキョロと確認した。ずっと暗闇に身を潜めていたから目が慣れて、暗闇でも人の形が分かるようになっていた。


「違う。誰もあんな状況で、普通なら助かる人なんか居ないよ。ねぇ、やめよう? 罠だって考えない方が不自然だよ」

 神戸さんは意外にも冷静だった。同じことを考えていた人が大半だったけど、その口調は他の誰よりもしっかりとした冷静な物言いをしていた。


「けどな、もしあれが本物で、海人が奇跡的に逃げ込んで来たんだとしたら? もちろんその可能性の方が低いけどな」

 宮哲くんはいつものお得意の口調だったけど、その声色は不安と、自分の意見への自信のなさが伺えた。


 ずっと海人を見つめて立ち尽くしていた空美さんが口を開いた。

「間違いない」


「彼は……私の……」


「空美ぃぃぃ……」

 まるで空美さんの言葉に合わせるかのように、海人が悲しそうな声を上げた。


 たまらなくなり空美さんが立ち上がり近づいて行こうとした。


「行くな! やめろ!」

 阿久津くんが怒鳴った。

「行くなんて馬鹿じゃない? どうかしてるよ空美。目を覚ましなよッ!」

 先ほどまで怯えて何も言葉が出なかった新巻さんまでも、空美さんを説得した。


 翼くんが空美さんの前に立ち、泣きそうな顔で必死で止めたけど、その翼くんの前に、突然カッターナイフを振りかざした。


「行か……っせて……よ~ッ」


 思いつめたかのような顔で、言葉を詰まらせながらも、強い口調だった。真っ直ぐに翼くんの顔を見据えたその顔からは、妄想や思い込みで「彼」そう「奴」を、本当に「人間」だなんて思ってないことが分かった。それでも駆け寄りたいのだ。


「本気なんだね?」

 翼くんが空美さんの覚悟の顔を見てそう聞くと、静かに首を縦に振った……。


「本気で翼を傷つけようってのかー? そんなことしたら俺がただじゃおかないからなっ!」

 佐々良くんは「本気」の意味を、愛しい翼くんを傷つけることだと勘違いしたが、翼くんはそれをやんわりと諌めた。


「いいんだ佐々良。僕はもう何も言えないよ……」

 そう言って踵を返した。


「空美~~っ!」


 新巻さんも、神戸さんも、そして私も。大声で叫んだ。

 十五人の生徒の中で、女子は六人。如月さんとすずさんは精神状態が崩してしまい、今はこの現実の中に心を残していない。


 女子なら空美さんの心情は理解出来る。

 隠していたみたいだけど、空美さんと海人くんは付き合っていた。死んだなんて思いたくないから、自分に嘘を付いて、それを信じ込もうとしているのも分かってる。


「行かせてやればいーじゃん」

 佐々良くんが面倒くさそうにニヤニヤしてそう言った。


「あんた、やっぱり最低の奴だったんだな。見損なったよ」

 既に正気を取り戻してたすずさんが、いつもの口調で佐々良くんをけなした。いつもと違うところは、それが心底軽蔑して貶してる点だ。


 でも、あたしは分かってた。

 みんなも佐々良くんの横顔を見て、そこに流れる頬の涙に沈黙した。

 皆の視線の先に気づいた涼さんがハッとして、軽蔑していた眼差しと、きつい罵声が止んだ。すずさんは後悔した。


「あの……ご、ごめ」

「あーあ、なんか腹減ったなぁ~~」

 涼さんが謝ろうとしたら、いつものように男物の学生服を着た涼さんの胸を触ってそう言った。

「これで、おあいこなぁ~。りょう。うひゃ」

 普段なら即座に、それも拳で殴ってるはずのすずさんだったけど、それはしなかった。


「ダメだ!」

 阿久津くんがまた止めたけど、それは口先だけのものだった。阿久津くんも分かっていた。その心情を本心では理解してやりたかったのだ……。


 教室の窓側は、クラスのほぼ全部と言っていいくらいの机と椅子とを積み上げて、バリケードのように壁を作って入れないようにしていた。

 ベランダ側に机や椅子のバリケードはされていない。

 それは「この生き物」が殆ど自力で何かを持ったり、移動させたり、外的な力を持っていないからだ。


 今居るこの教室は隣の一組だ。

 始めは皆二組の教室に居た。それが次々にクラスメイトたちが奴らの餌食になっていく様を見て、その時「生きていた」ほぼ全員が無意識に廊下に飛び出ていた。

 それを日高くんの咄嗟の判断で、とりあえず二組の教室に逃げ込もうということになり、生存者は全員この教室に入り、即座に机や椅子のバリケードを組んだ。

 今ではその生き残りも十五人程度。あとは……。


 そのすぐ後に、ベランダからドサリという音が立て続けに聞こえた。

 バリケードを突破できない奴らが、ベランダ伝いにこの教室に渡ろうとして落ちていった音だった。他の「奴ら」が今どこに居るのかは分からない。


 それを見て、バリケードを突破できるほどの力も、ベランダを渡るほどの力も「奴ら」には無いことが分かった。それだけがこの状況で分かった唯一ただひとつの朗報だった。

 しかし……安心できたわけでもない。奴らにあるのは顎の力だけだったけど、ひとたび捕まれば、そこでアウト「生き残り」は直ぐに「奴ら」にされてしまう。


 日高くんの姿が見えないことで、幼馴染みの織原くんが取り乱した。神戸さんがそんな織原くんの頬を引っ叩いて正気に戻し、必ず日高くんはどこかで生き延びていると、何度も何度も言い聞かせた。

 あたしも、確信が持ててる訳じゃないけど、どこかで日高くんがまだ身を隠して生存していると信じてる。あの日高くんだもん。絶対にどこかで生きている。


 私たちも、そして男子たちも、皆が声をかけたけど、既に空美さんはバリケード真ん前に立っていた。机や椅子をぬって隙間を通りながら、空美さんは皆の声を無視した。

 その顔は、恐怖と喜びが同居している。その狭間に心の置き所を見出そうと揺れ動いていた。


「やっぱり止めてくるッ!」

 如月さんが走り出そうとした瞬間、佐々良くんがその腕を掴んだ。

「空美の自由にしてやれ」

 その言葉が無責任に聞こえたんだろうか? 如月さんは思わず平手打ちをしていた。それを、いつもお調子者の佐々良くんが、何も言わずに顔を背けているだけだった。

 あたしには佐々良くんの真意が分かった。空美さんもそうだけど、如月さんを危険に晒したくないんだ。

「あんた、あんた……。最低だよねッ。そんな奴だったなんて、知らなかった! 大っ嫌い! 最低な奴ッ!」

 そう言って如月さんはワンワン声を上げて床に泣き崩れた。

 


 ──既に空も白み始めていた。


 海人くんの顔は原型を留めてはいたが、まるで別人……。そう死人。

 土葬されてた亡骸が地に這い出てきたかのように、腕から先は腐り、少し触れればどさりと落ちそうな、皮一枚で繋がっている。

 首は変な方向に折れ曲がり、左足は膝から先は見るも無残な姿で、スネからしたは切れて無くしていた。きっと「奴ら」になった時に身体は腐り、襲われた時に「破損」させられたんだろう。


 目は黄色く濁り、真ん中の瞳孔は灰色がかり、そのふちは黒緑色に侵食されていた。その顔を見ても空美さんには、いつもの海人くんに映ってる。彼女の情が目を曇らせていた。


 窓に手が届く所まで行くと、鍵を開けてスライドさせて、開けた窓から体を出して廊下へぴょんと出た。


「かい……海人……。ああ……海人。私の……海人……。嬉しい」


 空美さんが声にならない声で、言葉を詰まらせながら、光沢の表情をした。幸な時間の中で抱き合う二人の姿。顔が天井を向くくらいに空美さんは海人を抱きしめながら首から上を反らしていた。まるでこの幸せを噛み締めるかのように……。


 あたしたちは、その光景を見て凍りついた……。


「戻って来~い! そいつは海人じゃねー!」

 織原くんがそう叫んだけど、大きな声は出なかった。それでも必死に叫んだ。


「あんなもの! ただの腐った肉じゃないのッ!」

 新巻さんも声を荒げてそう言った。


 ────けど。


「違う。海人なの。クラスメイトを間違うなんて」

 そう言ってこちらを向いてニコリとした顔は、まるで普段の空美さんが冗談でも飛ばして呆れた時のような、何の疑いも無い「普段通りの顔」だった。


 その時、空美さんの頬にツーっと一筋の涙が流れた。


「それじゃあ、なんで泣いてるんだよッ」

 率直な意見をぶつける織原くん。


「織原…………。

     ────ねっ?」

 神戸さんがそっと袖口を掴んで、教室の奥、ベランダ側まで引っ張って行った。

 これから始まる惨劇を「織原には見せたくなかった」のだ。


 やっぱり追い込まれた時には、男子なんかより女子の方が強いよね。

 あたしは出来る限りの皮肉を織原くんの背中に浴びせた。私の横を通り過ぎる時に織原くんは弱々しく笑った。


「空美…………ごめんな………………」



 海人の顔が見える。悪意のこもった笑顔でニヤリとしている。

 二人は抱き合っている内に少しずつ角度が変わっていた。

 今は、抱き合う姿の丁度正面が海人の顔だ。空美さんの姿は後ろ姿しか見えない。まるで意図して海人がそうしたかのように。


 海人が空美さんの首筋をじっと見ている。

 次の瞬間、海人はその顔を上げて、こちらを見ていやらしく笑った。

 まるで獲物が手の中にあることを見せつけるかのようなニヤリとした表情。


 なんと! それは、感情のある笑いだった……。


 また顔を下げて……。


 そして空美さんの首筋に歯を食い込ませた。

「ぅっ」「ぅっ……」「はぐッ……」「ハァ……」


 海人は肩口にまで歯を食い込ませ噛み付いていた。口の端に空美さんの肉片が見える。血が噴水のように飛び散った。

 それでも、まだ意識のある空美さんは、一言も言葉を発しなかった。


 その顔は、死んだと思った彼氏が生きていて、ようやく再会出来た。

 光沢の表情で、でも……、頬にはなぜか……涙が伝っていた。



 阿久津くんが見かねてバリケードの前まで歩いて行き……。


 そっと、窓を閉めた……。


 少し間を置いて、人がどさりと倒れる音が聞こえた。それが空美さんであることは疑う余地は無かった。暫くは変な音がずっとしていた。その音が何なのかも皆が分かっている。


 ここにいる十五人は皆、失意の中、誰も口を開かなかった。そして静かに涙を流していた。


「きっと空美も、最後は彼の腕の中で、し……死。果てて、幸せだっただよ」

「でも、あれは死人じゃない! 海人じゃないよッ!」


 ぅぅぅぅ。


 誰の言葉も正解であり、間違いでもある。誰もこれが正解だなんて答えは見つけられなかった。



 十五人の生存者は、せめて空美が途中で夢から覚めなかったことを願った。



 でも……空美さんは…………。恐らく。


 To be continued....


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