翼が十九羽
──翌日・朝のボンモマン
俺は相変わらず翼と喧嘩中なので、それに付き合って阿久津も一応翼側ということになっている。だから俺は自分の席で朝のプティ・ボヌールを一人優雅に嗜んでいる。
昨日のことは学校に来ても全く話題にもなってないので、安心した。
既に、朝一番に昨日の非礼を八木さんに詫びた。八木さんは「気にしなくても良いのよ」という顔をしてた。俺たちくらいになると、もう言葉は要らない。目を見ただけで、アイコンタクトで意思の疎通ははかれる。そんな雰囲気だった。
と言うのは嘘で……。
本音を言えば、もう八木さんに合わせる顔が無い、というのが実際のところだ……。さっきも普段どおりの馬鹿なことをベラベラと喋ったけど、本当はこれから、どんな顔をして話せば良いのか分からないんだ。
幾ら馬鹿で、考えが浅くて、自惚れで、格好つけで、なんにも分かってない、阿呆な頭の俺でも、さすがに昨日の状況を、こっ恥ずかしく感じないってほど、鈍感でも無い。
多分、八木さんとは、これっきりになると思う(さよなら、八木さん……)
そして如月の言ってたことも思い返した。如月が直接的にそういう言葉を使って言った訳じゃないけど、
”確かに俺は浮かれていたかもしれない”
昨日の喧嘩も、始めは八木さんとの会話を邪魔されて怒ったみたいな体裁したけど、喧嘩の最中は俺自身その行為に酔ってたような気もする。
中学生から高校生になると、お財布(お金)は持って来ても良いし、給食からお弁当に格上げされたし、自転車や許可が下りればバイク通学も出きる。寄り道に飯食ったりするのもOKだし、食堂もあるし、シャワー室だってある。自販機もあってジュースも買える。他にも色々自由度が増して、ついつい楽勝な所だと勘違いしてた。
俺の考えや行動を、中学生並だと他人は見ている。それくらいは俺にだって分かってる。もちろん数ヶ月前までは中学生だっただろ? なんて言い訳を言うつもりはない。けど、性格的な馬鹿さ加減は生まれついてのものだから、学校の勉強と違い変えようも無い。好きな色を変えれないのと同じで、理由をつけたり、考えて変えれるものじゃない。だから性格って言うんだと思う……
……けど、昨日の如月の態度には、まだショックを受けてる。色んな意味で。
ありきたりの使い古された言葉『自由には責任が伴う』なんて”よく聞く言葉”って感じでしか聞いたことがなかったけど……きっと退学になった奴は後になってそれを噛みしめてるのかもしれない。俺はそれを在学中に如月に思い知らされて運が良かったのかもしれない。
教師に言われても実感が無いけど、同じ生徒に、それもチャラいと思ってた如月から言われたから分かった。だからショックだった。
頭の怪我は、一応血は止まっている。縫わない程度でも大量に血が流れ出る時もある。俺は縫ってないから、きっと傷の程度がそこまで酷くはなかったんだろう。
お姉ちゃんにもバレてない。シャツは何枚かあるので、まだマシだ……。
──って、いや……、まぁ……。その話は、今はどうでもいいんだが(よくはないけど)
さっきから翼がやたらと俺の席の前をチョロチョロと通り過ぎている……。
翼と喧嘩してからというもの、普段なら通り過ぎる時は、俺の席の後ろを通るのに、今日はわざわざ俺の席と、前の奴の席との間を、行ったり来たりして、たまにチラリと俺の方に目線をやっている。こいつはそういうの下手だから丸分かりだ。
それにしても不思議なもんだ。翼と喧嘩したのは、ほんの何日か前だ。それなのにまるで随分前の出来事のように感じる。こういうのあるよな? 昔のことみたいに思ってたのに、数えてみたら数日しか経ってないのに気づくってこと。それだけ色んなことがあるってことで良い方に捉えてるけど……やっぱ昨日みたいなことは勘弁だ。
「何だよ? 見るなよー。すり減っちゃうだろ」
唐突に翼が俺にそう言った。
俺は考え事をしてて翼のことを見てなかったけど、なんてぇ言いがかりだ。それに、前にスカートを穿かせた時に俺が「減るもんじゃねーし」って言ったから、こんな訳の分からないことを言っている(可愛い奴め)
もう仲直りしてみようか? でもどうすりゃ良いんだ? つか、なんて言えば良いんだ?
「別に見てねーし。それに、俺の前をあんまチョロチョロすんなよなー」
違うだろ。なんでそんなこと言うんだ? 俺は……。
「ふ、ふーん……佐々良が悲しそうな目でジロジロ見てたから……。一人ぼっちで寂しいね~、へへへ」
額にちょっと汗をかいてたから、何か言おうとして思い浮かばなかったんだろう。途中尻すぼみになって、また翼は席の前を通り過ぎて、どっかへ去って行った。
しかしどうしたものか? どうにもこうにも如月が言った昨日の言葉が気になってしまう。俺みたいに? ”馬鹿みたいな喧嘩じゃない”って、なんのことだろう? 視線を感じたと思い何度か如月をチラ見したけど、今日はやけに静かで、俺のことなんか全く眼中に無いって態度だ。まあいつも似たようなもんだけど、昨日あれだけのことがあったにしては無関心過ぎるような気もする。
ハァ…………。
俺がため息をついていたら、翼が、俺の席の前で、立ち止まって見ていた。
「なんだよ?」
あ~あ。ついまた俺も尖った言い方になってしまう……。
「如月さんのことばっかり見て……。なんか佐々良……、いやらしい~」
別に俺は如月のことなんか見てなかったんだが──。昨日のことでチラっと何度か様子を伺ったのを言ってるんだろう。
座ってる俺、その前で立ち止まってる翼、右隣の席に座ってる如月。俺は頬杖を付き、左肘だけを机についた。そうすると正面に翼と、右目の端で如月も同時に見れる。
如月は自分の名前が出たので、いつになく静かに視線を上げて翼を見た。俺の方は見てない。すぐまた視線を落として、何か本を読み始めた。翼の言葉に反応は無い。普通だったら俺が如月を見てたなんて聞いたらツベコベ言ってくるけど、今日の如月は静かなもんだ。実を言うと昨日の如月の言葉が、俺は気になって、気になって、仕方が無いのだ。
「お前は俺の席の前で、ジロジロ俺のこと見て、いやらし~。すり減るだろ」
さっき翼が言った言葉と同じフレーズで俺が返したら、翼は捨て台詞を残して、阿久津の席まで早足に去って行った。
「佐々良────。 バーカ」
子供かよ。
いや、昨日のことを思い出したら、やっぱり俺の方が幼稚だけどな……。
昨日みたいに俺が馬鹿みたいなことをしてる時に、翼は普段どおり問題も起こさないで今日も学校を来ている。それを考えたら翼にも負い目さえ感じてる始末だ。俺ってこんなに女々しい男だったっけ?
阿久津は付き合いが長いから、全然負い目は感じない。やっぱ翼よりも阿久津の方が? いや違うな(気分わりぃ。正直ぞっとした)
そんなことを考えていたら──。
なんか違和感があるな~と思ってたが、今頃気づいた。如月は今日は一人で読書をしてる(なんの本かは知らないが)普段なら女友達でグループ組んでるのに、今日は一人だ。昨日マクモに居た中に、そのグループの女どもは居なかった。
────まっ、それはどうでも良いか。俺だって今日は一人だ(ここ最近は)如月にだってそういう日もあるんだろ?
俺がまた朝のボンモマンに身を包もうとしたその時、野郎の声がした。俺に対して向けられてる声だ。
「持ってきてくれた~?」
ああこいつ、鉄道オタクの……誰だっけ? 名前は忘れたがテッチャンが俺に声をかけて来た。なんの話だ? 意味不明だ。
「なにが~?」
「え~。なにがって、昨日持ってきてくれるって言っただろ」
お前とは、そんなに喋らないだろ? 誰と勘違いしてんだ?
「だから、なにが~?」
「あー、もう忘れてる。も・け・い。電車の」
ああぁぁ! しまった~。うっかりしてた。昨日あんなことがあったから、すっかり忘れていた。こいつ昨日、八木さんと話すのに席を譲ってくれる代わりに電車オタクグッズをあげるって約束してたんだっけ?
「わ、悪りぃ! 忘れた。明日必ず持ってくるかな。そうだ! 二つ! 二個な」
「えええ、信用出来ないなぁ~。僕の中では、佐々良君の信用度は、かなりガタ落ちだからなぁ~。今ので」
うざったいことをサラッといいやがるな、こいつぅ。
「ああ、分かったよ~」
忘れないように、どこかに書いておこう。生徒手帳? いや帰っても見ないだろう。つか開けたこともない。ノート……? うーん。見る機会なんか無さそうだな。どうしようか……。
ふと自分の手の甲を見て思いついた。手の平は絶対に消えるし、定番の割りには見る機会も実際はそんなに無い。でも手の甲なら意外に目に入る機会は多いよな?
俺は席を立ち上がってクラス中に聞こえる大きめな声で聞いた。
「誰か~。油性ペン持ってる人~! 貸してくんねぇ~?」
シーンとしてる。一瞬、教室に居る分だけのクラス中がチラリと俺を見たけど、ポツリ・ポツリとまた元の会話に戻っていって、声をかける前の状態に戻った。返事くらいしやがれ!
すると見慣れない女が変な入れ物(ふでばこ?)をガサゴソさせながら近づいてきた。ああコイツは知ってる。確か……おぉそうだ、委員長。前に俺と密会、いや、委員会とか抜かす会合に出席した時の、お偉方だ。
「はい。油性ペンだよね」
委員長はニッコリと黒い油性ペンを俺の前に差し出した。こいつはいつもニコニコ顔だ。性格が良いんだろう多分、だからニコニコ顔が染み付いてる感じで、時々ニコニコしてるのか、それがいつもの顔なのか分からない時がある。意外と男から人気があるらしい。つまりモテるらしい(クラスの野郎が言ってるの聞いたことあるから、確かな情報だ)
「おぅ。サンキューな委員長」
「あの、私、委員長じゃないんだけど。前にも言ったけど」
そう言って困った顔でニコニコしてる。ニコニコしてるのか困ってるのか、その両方なのか分からない。なかなか手強い女だ。
俺は「もけい」と書こうとして、悩んだ。そうだ、漢字が浮かんでこない……。馬鹿だと思われるな、こりゃ。
「おい、鉄男ちょっと、むこう向いてろ」
「僕の名前は鉄男じゃない!」
俺はこいつの名前をまだ覚えてない。
「いーから向いてろよ。模型欲しくないのか?」
そう言ったら鉄郎は渋々明後日の方向を向いた。
「なぁ委員長……、も・け・い、ってどういう漢字を書くんだ?」
周りに聞こえないように超小声のヒソヒソで、委員長の耳元に近づいて俺がそう聞くと、委員長は気が利く女だから机の上を指でなぞった。けど、向かい合わせで逆になるのに気づいて『早田くん、ちょっとごめんねぇ~』と、俺の座る左手に移動して、今度は俺の手の甲を指でなぞった。でも俺がそれを反復しようとしたので、ちらっと視線を上げた。
「良いから俺の手に直接書いてくんねー?」
「良いの?」
だって委員長も一瞬止まったじゃん。
「良いから」
「ホント書くよ?」
なんで委員長はいつもこんなハツラツとしてるんだ?(なんで委員長はいつもこんなに良い奴なんだ)
俺が頷いたら委員長はいくよ~? という顔で、ペポンという音と共に油性ペンの細い方のキャップを開けて、さらり・さらりと達筆な文字で「模型」という漢字を書いてくれた。
「サンキュー! これで助かる」
「ふふふふふ。佐々良、忘れっぽいんだ~」
そう言って戻っていった。委員長は本当に音で聞こえてきそうな「ふ」の発音の笑い方をする。普通なら漫画やアニメじゃないんだから実際だと変だけど、委員長は「ふ」の発音で笑うんだけど違和感が全く無い。かなりな使い手だ。
「二段抜かし出きるようになったか~?」
俺は前に話した内容を思い出して背中越しに声をかけた。委員長は一回振り返って肩をすくめる感じで目元をニコニコんとさせてから去って行った。
「これで完璧だ、鉄二! 明日持ってきてやるから心配すんな!」
「お風呂の前にカバンに入れてね」
鉄也はどうも油性マジックの実力を侮っているらしい。こいつは口達者でまた面倒な奴だから、一応相槌だけは打ってやった。
「まかせろ、鉄彦! 俺はいつも時間割はお風呂の前と決めてある!」
もちろん嘘だ。鉄二郎は俺の言葉に納得したようで、やっと暑苦しい顔を引っ込め席に戻っていった。
◇◇◇
翼と喧嘩して四日目にもなると(多分そんくらいだ)教室移動の時に、誰か目ぼしい奴を見つけて、コソコソとついていかなければならない。
阿久津と翼はセットで、一応喧嘩中になってるし、八木さんは今日から住む世界の違う人になったし、如月はダチと群れるし、だから委員長にベッタリ付いて行くことに決めている(即決めだ)もし多忙なら……取りあえず鉄男にでもついて行くか。
しかし、ちょっと目を離した隙に委員長を見失ってしまった。これは失態だ。でも今日は大丈夫だ。群れてゾロゾロ歩く方の教室移動だから。前を見たら如月の友人CとDが歩いてた。
如月組の四人は、前の方で如月とB、ちょっと離れてCとDが半々に分かれてる状態だった(未だに他の三人の名前は覚えてない)群れても随時四人体制って訳でもないらしい。丁度昨日の如月の言葉も気になってたので、CとDにちょくら話しかけてみた。
昨日の会話で「退学」という言葉が出た時に、如月の態度が急変したように感じた。それに出だしは聞こえなかったけど『お前みたいな馬鹿みたいな喧嘩じゃないけどな』と言ってたし、もしやと思った。
「なぁ、いきなりだけど。如月って何歳? 俺らより一コ上? いつ入学したっけ?」
如月のツレは「はぁ?」「何言ってんのこいつぅ」という顔をして、まじまじと俺を見ている(喋りやがれ)
「同中の奴いる?」
そう言うとCとDは苦笑愛想笑いで顔を見合わせた後に、無言で二人とも手を挙げた(だから喋りやがれ)
「去年、同中だったんだよな」
二人は当たり前のことを聞くなよという表情だ(いいから喋りやがれ)
「ん。分かった。サンキューな。えっー……っと、CとD」
それだけ分かれば十分だ。俺はCとDの二軍たちを追い越して先に進んだ。あまり先に進みすぎるとまだ教室を完全制覇してないので迷子になるから、とりあえずキョロン・キョロンしてキョドってたら、また人畜無害そうな委員長を見かけたのでけつについて歩いた。
翼と阿久津と、もう一人は俺の知らない奴と三人で、楽しそうに教室移動してるのが見えた。こっちは委員長だ!
──帰宅部活動
今日も俺は一人で孤高に帰宅活動を行う。
駐輪場で如月のチャリがまだ止まっていた。青々としたキレイな色のチャリだ。今までバカ如月の悪口ばかりに意識が集中していたので気づかなかったが、この色はあんま見たことがねぇ。うん。あまりないタイプの青だ。
ちょっと欲しいな……コレ。俺のと交換してくれるかな? 登録変更が大変だって断られるよな? 中古でも良いから売ってくれないかなぁ? どこで買ったのかだけでも聞いとこうか?
今度、如月に、この青チャリを、どこで手に入れたか聞くことに決めた。
そして俺は今日も帰宅部の練習に就いた。