94話 嫌な手段
テグスが十層に着いて感じたのは、《大迷宮》に流れるにしては似つかわしくない、緩んだ空気だった。
疑問に思って、《階層主》が出る間の前にある小部屋状の場所を観察する。
そこにギュウギュウ詰めになった人たちは、何故だか安心したような朗らかな顔つきをしている。
《階層主》に挑もうという《探訪者》ならば、仮にそこにいる全員が猛者であったとしても、多少の緊張感は持つはず。
なので普通ならば、彼ら彼女らが浮かべているのは、絶対にここには似つかわしくない表情だった。
異様な状況を不可思議に思ったテグスが、より深く観察してみて分かった事が二つある。
一つは、彼ら彼女らの見る先に居るのが、先ほど出会った人とたちの中にいる、荷物持ちの少年少女たちだということ。
もう一つは、その目つきが、罠にハマった間抜けなヤツを見ている時と同種のものだということ。
「そういう事か……」
ハウリナでも聞き取れないほどのほんの小さな声で、テグスは納得したと声を出してしまう。この緩んだ空気には、テグスも体験したことがあったと思い出して。
「うっし、イケニエが来たな」
「おいおい、あんまりな事を言うんじゃねーよ。これは試練だよ、シ、レ、ン」
「俺らもご相伴にあずかっても良いんだよな?」
「タダ乗りなんてさせるかよ。キチンと協定料金払え」
お調子者そうな《探訪者》の男性の言葉に、別の男が突きつつ笑いながら訂正を入れる。それを周りは笑顔で見ながら、各々が話をしている。
明らかな異様な雰囲気に、視線の中心に置かれた荷物持ちの少年少女たちは、訳も分からなくて落ち着かないようだ。
「はいはい、荷物持ち御苦労さま。回収しまーす」
「え、あの、はい……」
そして混乱させたまま、少年少女たちの背中から、ここまで運ばせてきた素材や予備の武器が入った背負子を外させていく。
その中には勿論、テグスが階段を下りる時に話をしていた、ジョニーとアンジィーも含まれている。
「テグス、あの人たち何してるです?」
多少は言葉を交わしたあの二人が、いま陥っている状況が理解できないのか、ハウリナは眉間に皺を寄せながらそう聞いてきた。
「あの子たちは、この先の《階層主》が出る部屋に蹴り入れられるのさ。コキト兵に勝ち易くするためにね」
《仮証》時代にされた時の事を、テグスはティッカリに語って聞かせると、とてつもなく不機嫌な顔を浮かべた。
「テグス、あの子たち助けるです」
「別々だったらまだしも、同じ一団の中での事だから。介入するのは、ちょっと難しいね」
「本当に駄目なの~?」
「助けに出る事は可能だけど、その場合はコレ全員が相手になるんだけど。それでも良い?」
「無謀かもしれませんね、この人数が相手だと」
少年少女たちを抜かしても、ここには元々待っていた人たちも含めて、大人の《探訪者》が三十人はいる。
対してテグスたちは、仮にレッガーを戦力として数えたとしても、たった五人だけ。
その六倍もの人数差がある相手でも、彼我の実力差から、テグスたちだけならばやってやれない事はないだろう。
だが生け贄にされかかっている、少年少女たちを保護しながらとなると、戦闘か逃走のどちらを取っても難易度が跳ね上がる。
それこそ、テグスたちの何人かが手酷い怪我を一つばかり負い、少年少女たちの何人かを見殺しにする決断が要るほどに。
「それに、そこまでして助ける義理はないかな。だってあの人たちは、こんな所まで他人の力をあてにしてやって来たんだから。こうやって利用されて、命の危機に陥るのも仕方がないよ」
「けど……」
「おーい。そっちの坊主たちも、便乗するつもりなら金払えよ。銀貨でも魔石のどちらでもいいけどよお」
意見が聞き入れられないと知って、しょんぼりと肩を落とすハウリナの頭を撫でながら、テグスは声を掛けてきた男に、逆の手でのぞんざいな手振りで必要無いと知らせる。
するとその男は、明らかに年下だとわかるテグスが、そんな態度を取った事が頭に来たようだ。
「わざわざ声を掛けてやったっていうのに。態度がなってねーなあ!」
「……別に必要がないので。あんな恥知らずな真似をしなくても、簡単に《中町》に行けますし」
少年少女たちを見捨てる判断をしたテグスだが、その事に気が咎めていない訳ではないので、ついつい挑発するような口調と蔑んだ目になってしまう。
テグスに見下されたと理解した男の顔が、怒りで赤く染まり。続いて腰にある両手半剣へと伸びる。
しかし剣が鞘から完全に抜き放たれる前に、彼の仲間と思わしき別の男に、上から抑え込まれてしまう。
「バカ野郎。こいつらきっと、例のアレだぞ」
「……チッ、そうか『仲間狩り』の連中か。見た目も聞いた通りだ」
聞き慣れない言葉に、テグスが探るような視線を男たちに向ける。
しかし彼らは、テグスたちの事をその『仲間狩り』という奴らだと思ったらしく、わざとらしくテグスの足元に唾を吐きかけて去っていく。
どういう事かと首を捻っていると、テグスは後ろに忍び寄る気配を感じ、投剣に手を当てながら後ろを振り向く。
するとそこには、何かしらを企んでそうな笑顔を浮かべたレッガーの姿があった。
「……なんですか。本部職員の人は、この状況を見過ごせないとでも?」
「その事より先に、あの『仲間狩り』について、お話を聞かせてあげようと思って」
テグスが『本部職員』と言葉に出したからか、レッガーの口調はあの言葉を二度繰り返すような物ではなくなっていた。
だが唐突にそんな事を言ってきたので、胡散臭そうにレッガーを見ながら、テグスは視線だけで続きを促す。
「なに、大した話じゃない。親切な《探訪者》たちが、仲間を探しているという四人に声を掛けると、殺されて身ぐるみ剥がされてしまうって話し」
「……それを知っていて、僕らに同行しているってことは。その話が本当か確かめるためですね?」
「その通り。まあ、今日見た限りじゃ、あそこに屯すクズどもの同種を間引いてくれている感じだから、徒労だったけど」
テグスたちが受けさせられた《強制依頼》の本当の意味を、レッガーが伝えてきた事に、テグスは嫌な予感がした。
そしてその予感が正しいかのように、レッガーの手には見慣れぬ、手首から肘までの長さ程の魔石が各所に着いた短杖があった。
「まさか、その杖は魔法の発動体!?」
「ご明察。『我が魔力を火口に注ぎ、燃え盛るは破裂する炎(ヴェルス・ミア・エン・フラミング、アディシ・エクフラミ・エクスプロジ・フラモ)』」
感づいてテグスが止めようと手を伸ばすより、荷物持ちだった子たちを投げ入れようとしている人たちへと、レッガーが杖の先を向ける方が早かった。
短杖の先から飛んだ炎の球が、一人の男の背に到達する。
その途端に、数個の発破石が連鎖爆発した時と同じ音が発生し、炎の球が当たった男とその周りに居た人たちを衝撃でなぎ倒す。
「がああああ、熱ちいし痛てえ!」
バタバタと背中を抑えようと地面の上でもがく男の他は、何が起きたのか分からない様子でその姿を見つめているだけ。
だが時間と共に、攻撃が放たれた場所に検討を付け始める人が出始める。
なんて事をしてくれたとレッガーを睨みつつ、テグスは判断を迫られている事を自覚していた。
そして短すぎる逡巡の後で、テグスは左腰にある片刃剣を抜きつつ、仲間たちに声を掛ける。
「……こうなったら仕方がない、あの荷物持ちの人たちを助けるよ」
「わふっ、そうこなきゃです!」
「あう~、大変な事になっちゃったかな~」
「後で抗議ですね、《探訪者ギルド》の本部に」
駆け出したテグスたちを見て、ここにいた他の《探訪者》たちが慌てて武器を構え始める。
しかしその体勢が整う前に、テグスは剣をハウリナは黒棍を振り回しながら《階層主》が出る広間へと突き進む。
「退くです!」
「君らも、死にたくなかったら、ついてこい!」
「え、えっ?」
「回収しちゃうの~」
混乱から抜け出ていない、生け贄にされかかっていた少年少女を、ティッカリが左右に二人ずつさらうように抱えつつ走る。
「逃げ遅れますよ、ぼんやりしていたら」
「そうだ、あの人たちに着いて行くぞ。来いアンジィー!」
「ま、待ってよ、お兄ちゃん……」
アンヘイラに言われて、ジョンとアンジィーは弾かれた様に走り出す。
「クソッ。逃がすな。苦労が水の泡になるぞ!」
「アグッ、このチビガキとメスガキ、意外と強い!」
「このままじゃ、雇い主に大目玉だぞ!」
混乱からいち早く抜け出た人たちが、逃げるのを捕まえようとするのを、テグスとハウリナが殿となって防ぐ。
しかし二人の脇から滑り抜けた一本の手が、名前も知らない少年の襟首を掴む。
「させないです!」
「ぐあっ、腕が、腕をおおぉ……」
「ハウリナ、そいつを連れて先に。閉まり始めた!」
その手をハウリナが脛当ての付いた足で蹴り折り、続いて襟首を引っ張られて体勢を崩した少年を引っ張り起こした。
テグスは他の《探訪者》たちを剣を振って牽制しつつ、ハウリナが閉まり始めた通路を抜ける時間を稼ぐ。
「せめてお前だけでも!」
「悪いけど、逃げさせてもらう!」
ハウリナも無事通過したのを目で確認してから、テグスは大きく後ろへと飛び退いて、《迷宮主》が出る広間へと入る。
しかしテグスに攻撃しようとした男は、テグスだけしか見ていなかったのか、盾を構えて突っ込んできてそのまま広間へと入ってくる。
「このガキ、食らえ!」
「甘いよ!」
盾でテグスの剣を押さえつつ、その影から剣を突き刺そうとする男に対し。テグスは剣を手放すと同時に、地面を踏んだ足で盾の死角に入りこむ為に横に跳ぶ。
テグスが消えたと思ったのか、男の動きが数瞬止まる。その間にテグスは、後ろ腰からクテガン謹製の真新しい短剣を抜き放ち、視覚から飛び出て一息に接近する。
男の両腕を掻い潜る様にして、懐に入ったテグスは短剣を突き出す。
それは見事なまでな切れ味を見せて、男の厚手の革鎧を突き抜け、その胸へと突き立った。
男が信じられない様に目を剥いて胸元を見て、手の剣を取り落とし、膝から崩れ落ち、仰向けに倒れ込んだ。
そこでこの広間へと入ろうと、慌てる《探訪者》たちを隔てる様に、繋がっていた部分がせり出した岩で塞がれた。
「はぁー、って一息つく暇も無いんだよね」
片刃剣と短剣を回収しつつのテグスの言葉に反応したかのように、広間の周囲にある数多くの燭台に火が灯り始めた。