6話 鉄貨と短剣
《迷宮主》を容易く倒し、綺麗な短剣を手に入れたテグスは、《小三迷宮》から脱出し始めた。
行きは《殲滅依頼》をしながらだったために、随分と時間が掛かったが。
帰りは大抵の《魔物》を殲滅した後だったので、テグスの持ち味を生かして、七層目から地上まで全速力で駆け登って行った。
途中、出会った《魔物》はすれ違い様に短剣で切り飛ばし、《死体漁り》の子供たちが驚く横を素早く通り過ぎ、剣を向けてきた《探訪者》をするりとかわして逃げていく。
そんなこんなで地上に到着すると、天の日は中天を大きく過ぎ、もう直ぐ夕刻に迫ろうかという時間になっていた。
「こんなに長く《小三迷宮》に入ってたのは、実は初めてかな?」
何時も《小三迷宮》では、目的の《魔物》の素材を一定数確保したら、テグスはさっさと逃げ帰っていた。
なので朝から昼前にぐらいの時間しか、もっと幼かった時期のテグスは潜ってなかった。
「あはは。今日は初めてが沢山で、新米探訪者って感じだな~」
テグス自身は昨日となんら変わらないし、《探訪者証》も木から鉄に変わっただけだ。
それでも本登録した日から、こう初めて尽くしだと、テグスは嬉しくて楽しくなる。
その楽しい気分のまま、テグスは支部への近道の裏路地を歩く。
テグスが迷宮帰りだと知ってか、テグスの手に入れた物が、襲撃に見合うものかを見定める目をしてくる人々。
しかし獲物が入ってなさそうに軽そうな背負子に、戦闘力がある証の手足に残った白い汚れ、疲れが見えない身体運び。
そんなテグスを見て、彼らは早々に襲撃を諦めた。
危険を冒すには、テグスはあまり美味しい相手では無いからだ。もしかしたら、朝に襲い掛かってきた浮浪者を始末したのを見ていて、テグスの顔を覚えた人も居たのかもしれない。
何はともあれ、襲撃される事も無くテグスは、育った孤児院の横にある《探訪者ギルド》の支部へと帰って来た。
「こんにちわ~、依頼が終わったんですけど~」
多少の《探訪者》が居るものの、閑散とした様子が見て取れる支部の中に入った。
依頼が終わったらどうするのかを聞いてなかったので、受付で暇そうにしていた、昨日とは別の中年女性に声を掛ける。
「依頼ね。写しを頂戴」
「はい、これ」
背負子の中の取り出しやすい場所に仕舞ってあった写しを、女性が差し出した手の上に置いた。
それをしげしげと見つめて、その女性は胡散臭そうな瞳をテグスに向けた。
「あんたみたいな子供が《殲滅依頼》をこなしたっての?」
「はい、ちゃんと仕事してきました!」
えっへんと子供らしく胸を張って主張したテグスに、彼女はさらに可哀想な子を見る目付きが加わる。
「あのね坊や。この《殲滅依頼》って達成の証明が難しいから、誰もやりたがらない依頼だって、知ってて受けたの?」
「いいえ。テマレノさんが、これをやってみろって勧めてくれました」
「テマレノさんが? ってことは、坊やはここの孤児院の子なの?」
「はい。今日、成人になりました」
成長具合を見せるように、テグスは女性に向かって両手を広げて見せる。
その姿を今度は微笑ましそうに、受付の女性は優しい目付きになった。
「レアデールさんが育てた子が、虚偽報告するわけもないだろうけど。迷宮内がどんな様子だったか教えてくれる?」
「はい、先ずですね――」
テグスが自分が体験した内容を喋り始める。
受付の女性は《魔物》の分布違いに興味深そうに聞き入り、《白芋虫》の群れの場面を想像して鳥肌を立たせ、動く枝――彼女が言う所の《徒歩枝》を捨てた事に勿体無いと言い。最後の三匹の軽装コキトまで話が来た。
「ちょっと待って。《小三迷宮》にコキトが居たの?」
「はい。《迷宮主》の場所に」
「ああ、そうよね。あそこの主はコキトだものね……って、攻略したの!?」
「そうだった。はい、証明の赤い魔石です」
テグスは事も無げに、背負子の中から小さな赤の魔石を取り出し、受付の机の上に置く。
それを受け取った女性は、手にとって眺める。
「色を塗った形跡も無いし、本物ね。まさか成人上がりに《殲滅依頼》を受けて、ついでに《小三迷宮》を攻略するような子が出るとはね……《鉄証》貸して、刻印してあげるから」
テグスに《鉄証》を受け取った女性は、取り出した彫金鏨を打ち付ける。
すると《鉄証》の中心にある七角形に彫金された模様の、右側中央部の頂点の場所に『三』を表す古文字が新たに彫金された。
「これで攻略証明が完了ね。失くしたらもう一度攻略し直しだから、落とさないようにね」
「はい。それでですね、《殲滅依頼》の報酬は頂けるんですか?」
「ああそうそう。はい、これが報酬の鉄貨四十枚。赤魔石の代金は十枚だから。合計で五十枚ね」
五つの十枚の束に纏まった鉄の四角い貨幣が、受付の机の上に置かれた。
しかしテグスはそれを直ぐには受け取らず、不思議そうな目でそれを見ている。
「鉄貨――ですか? 銅貨じゃないの?」
「銅貨は余り置いて無いから鉄貨で我慢してね。え、もしかして鉄貨を見るの初めてだったりする?」
「はい。《雑踏区》では、お金を手にした事なかったので。それに《外殻部》では見かけなかったですし」
「そりゃあ《外殻区》は外の国の商会が支店出しているから、この《雑踏区》内の流通貨幣である鉄貨は、あまり使われてないわね。銅貨一枚で鉄貨が十枚位かしら。鉄貨幣の状態や大きさに厚みで、多少上下する事があるけど」
その言葉通りに、受付の上に置かれた鉄貨は、大きさや厚みもバラバラだし錆が浮いていたり、歪んでいたり欠けていたりするものもあった。
試しにテグスが数枚手にとって確認してみると、決まった一つの花の紋様があることだけが共通点だった。
七枚の丸い花弁が付いている、テグスは見た事がない変わった花だ。
「これが鉄貨。これで安宿には泊まれるの?」
「《雑踏区》の素泊まりなら三枚ほどね。食事付きはピンキリだけど、七枚から十枚ってところかしら」
「ちなみに《白芋虫》を一枚分換金するには何匹必要なの?」
「いまはニ匹で一枚かしら。大事な食料品の一つだから、需要が高いのよ。枝なら一抱えで一枚ね」
そう考えると《殲滅依頼》の成功報酬である、鉄貨四十枚は破格かもしれない。
鉄貨を皮の小袋に仕舞いながら、テグスは興味本位でもう一つ質問してみる事にした。
「例えばこの武装コキトの短剣だと、鉄貨何枚で買えそう?」
「うーん。ニ百枚だったらお買い得。千枚でも欲しい人はいるかもね。《雑踏区》だと武器は高めの値段だから」
「……《外殻部》と値段が合わないんだけど。良いのそれで?」
《外殻部》で売られている値段の銅貨に換算して、テグスは不思議に思った。
大抵の場合、《雑踏区》の方が《外殻部》よりも物価が安い。
食料品にしても日用品にしても、人件費や命の値段にしても。
もちろん《雑踏区》の方のは、原材料に粗悪品を使っている事もあっての低価格ではある。
だけれど武器の値段だけが、十倍は高く設定されている事は、確かに不思議だった。
「あっちは武器職人が沢山居るでしょ。だから買い取りも販売も安いの。こっちだと需要が高い割に、そんな手に職がある人は居付かないから。武器なんかは高い値段で取引されるのよ」
「じゃあ《外殻部》で仕入れて、《雑踏区》で売れば儲かるって事?」
「やめときなさい。そういう考えの商人が随分前に居たけど。浮浪者たちが大勢で襲い掛かって、多数撃退したにも拘らず、仕入れた武器と金を全部奪われた事があるわ」
倫理観の薄い《雑踏区》での、多くの金が動く商売は危険だと、テグスは理解した。
そして武器が思いの他に《雑踏区》で価値が高い事が分かり、ティニクスの像から得た短剣は、この区域では絶対見せないようにしようと心に決めた。
「そんなに武器が大事なものなら、この軽装コキトのナイフ二本は孤児院に寄付するから。お母さ――レアデールさんに宜しく伝えておいて」
「あちょっと、このナイフを寄付って、さっきまでの話を本当に聞いてたの!?」
しかし育ててくれた恩がある孤児院には、テグス自身は必要のないボロいナイフを進呈しておく事にした。
受付の女性が慌てて呼び止めるのを無視し、テグスは支店を後にした。
テグスは次に攻略すると決めたのは、過去に挑んだ事もある《小四迷宮》。
その近くに多数ある素泊まりの宿屋に、一晩の宿を求めて歩いて向かう。
もうすっかり日は落ちて、夕方から夜に変わったためか、路地裏の道には随分と人影が多くなった。
一番目立つのは街娼だろうか。
けばけばしい化粧を施し、精一杯性的に見える洋服を身に着けて、買ってくれる相手を探して呼び込みをしている。
「ねぇ、ボクちゃん。一晩、買ってみないかい?」
「申し訳ありませんが、先を急ぐので。今日はご縁が無かったと」
からかい半分に開いた胸元を見せつつ、テグスを呼び止めたトウの立った街娼に、テグスは丁寧に断りの言葉を並べてから立ち去る。
背伸びして難しい言葉を使っていると思われたのか、街娼は薄く微笑みながら立ち去るテグスの背に手を振ってくれた。
他の街娼もくすくすと笑い、テグスを見送っていく。
「うえぇぇぃ……ひっくぅうぅぅ……」
そんな彼女らの次に目立つのは、開店した安酒場の付近で酔い潰れる人々。
安い値段ながら高い酒精を出すその安酒場は、猪口一杯で悪酔いすることで有名だ。
偶に酒の回りを早くするために薬を混ぜる酒場もあり、悪い酒に当たって翌朝路上で冷たくなっている人もいる事もある。
そんな酔い潰れる殆どが、その日の酒代しか持ってない貧者だと分かっているため、酔い潰れた人の懐を探ろうと無駄な行為をする輩は居ない。
テグスはそういう人たちの間を縫って歩き、良い匂いをさせる夜店で鉄貨三十枚も使って大食いし、《小四迷宮》付近にある宿屋の一つに辿り着く。
それは宿屋と一応は看板が掛かっているが、精々が周りより少し大きなあばら家だ。
開けっ放しの扉を潜り、テグスは宿屋の受付で頬杖を付いている男へと近付く。
「一晩幾らですか?」
「……素で大部屋なら鉄貨三枚。個室なら五枚。個室で呼ぶなら鉄貨七枚だ」
「素泊まりの個室でお願いします。それと興味本位で聞きますけど、呼ぶって何をですか?」
「うちは娼婦の連れ込みも可だが、その時は追加料金を払うんだよ。まあお前みたいなガキには、まだ縁遠いだろうがね」
状態の良い鉄貨五枚を選んで、テグスは態度の悪い男が差し出した掌の上に置く。
指でちょんちょん突付いて鉄貨の状態を確認した男は、テグスに頑丈そうな木の棒を一本手渡す。
「それが鍵だ。押し入ってきた強盗相手に武器に使っても良い。部屋はその廊下の一番奥だ」
言い放つと、テグスから視線を外して頬杖を付く男。
テグスは大人しく木の棒を手に持ち、部屋へと向かって歩いていく。
廊下には押し開きの木の扉が続き、その一番最後の部屋にテグスは入る。
「……余り期待してなかったけど、思っていたよりも良い宿だ」
最悪寝られる場所さえあれば良いと思っていたテグスの予想に反して、油灯ランタンが照らす個室の中は綺麗に整っていた。
掃除は大雑把だがされており、嫌な匂いは一切しない。
個室の大部分を占領するベッドは、使い込まれてはいるが洗濯済みの安物のシーツが掛けられている。
部屋の窓は防犯からか、木窓を羽目殺ししているので外が見えない事を除けば、部屋の中は《外殻部》にある安宿と遜色ない見た目だった。
開けていた扉を閉め、床の穴に棒を差し込んでその扉に立て掛ければ、十分な防犯を発揮する。
試しにテグスが扉を引いてみても、棒の強度もあってビクともしなかった。
「もしかしたら《外殻部》の安宿よりも良いかもしれない」
これは穴場を見つけたと嬉しくなり、テグスは背負子を木床に下ろしてベッドに腰掛ける。
シーツの下には藁が敷かれているらしく、特有の臭いがテグスの鼻をくすぐる。
「軽く身体を拭いちゃおうかな……」
清潔な空間に居ると、どうしても自分も身奇麗にしたくなるテグスは、背負子から比較的綺麗な布と皮袋の水筒を取り出す。
布に少量の水を含ませると、上半身の服を脱いで全体的に身体を拭いていく。
最後に頭皮を揉むようにして頭と髪の毛も拭くと、さっぱりとして気持ちが良かった。
「ふぅ……っと、あとはこの短剣の事を調べないとね。剣身は見た事がない金属だから、念の為に《鑑定水晶》を使っちゃおう」
背負子に水筒と使用した布を仕舞い終え、序にと今日手に入れたばっかりの綺麗な見た目の短剣と、《中町》で買った細々とした物の中から一つの黒ずんだ水晶を取り出す。
それは武器や薬品に植物など、迷宮で手に入れた謎の品々を鑑定する事の出来る、不思議な水晶。
「あと四回ぐらいは、ちゃんと使えるっていう話しだけど。改めて見ると随分黒いなあ」
水晶毎に使用可能回数が決まっており。使用するたびに、水晶が黒ずんで鑑定内容が見難くなる欠点がある。
残り回数が少ない水晶を、テグスは《中町》の道具屋で値切って拝んで、どうにか低価格で手に入れたのだった。
「さてじゃあ鑑定して貰いましょうか。ワレ、願う。この短剣の真なる名称と、その役割を知る事を」
テグスの《祝詞》を受けて、短剣に押し付けていた水晶がぱぁっと小さく光った。
やがてその光りが消えると、水晶は先ほどよりも黒くなっていた。
「確か、目の前に置いて、ランプやランタンの光を見れば良いんだっけ」
テグスは道具屋の店主に聞いていた使用方法を思い出しながら、水晶を右目の前に掲げて、そのままランタンの火の光を見る。
すると水晶の中に、小さく文字が書かれているのに気が付いた。
「うーんと、短剣の名前が《補短練剣》だって分かったけど、大分汚くて使い方が読めない」
この前に鑑定で書き込まれた情報が汚れと重なり、読めない字が多数あった。
それでもテグスが見ることの出来た内容を書き記すと。
『銘:技■■の《補短練剣》。
効:■■神の祝福■■■、所■す■■の技■■得を■進■、■度の成長■■■する短剣』
となる。
大多数が意味不明な文字列になってしまい、分かった事は短剣の名前が《補短練剣》と言うらしい事と。
あともう一つ。
「何の神かは分からないけど、神の祝福付きって事は《神剣》の類なのかな?」
神の祝福が施された、《大迷宮》でも滅多に手に入らない類の武器である《神剣》らしいという事だけ。
しかしそれが分かっただけでも十分な収穫だった。
「この短剣は誰にも鑑定で見せられないよ。絶対に悪い《探訪者》が奪いに来る事になるし」
仮にテグスが《鑑定水晶》を持って無く、ギルドや個人の商人へ鑑定を頼んだとしたら、きっとそんな未来もあっただろう。
なにせ《神剣》は滅多に手に入らないので、金貨で数百枚の取引になる、迷宮屈指のお宝なのだから。
「だけどどうしよう、この短剣。箱鞘に入れたら、他の短剣と間違えて投げちゃいそうだし。かといって背負子に仕舞いぱなしにするのは、ティニクス神に大切に使うって約束したし……」
そのまま暫く悩んでいたが、結論を先送りにして油灯ランタンの火を消して、ベッドに包まって眠ってしまった。