73話 人狩りの季節の戦果
そんなこんなで、都合五日間で人狩りたちの襲来は幕を閉じた。
最後の二日間は、テグスたちは少し離れた場所まで遠征して。そこで人狩りたち相手に戦いを挑み、ことごとくを打ち果たしていた。
その間、綺麗な鎧と盾を持った騎士が、テグスたちを探して一人でうろついていたらしいが、会う事は無かった。
そうして《ゾリオル迷宮区》へ続く街道に陣取っていた領軍と人狩りの集まりは、捕らえた人たちを檻付きの荷馬車に詰めて帰って行ったらしい。
「人狩りを結構倒しましたけど、そんなに住民を大人数連れてかれたんですか?」
「馬鹿言え。お前らが活動していた場所なんて、《迷宮都市》のほんの一角じゃねーか。多少遠くとも、手強い相手がいないところで獲物を集めるのが、狩人の道理だろうよ」
「むぅ、助けられなかった人が多くいたです……」
「でも助けられた人も、沢山いるのを忘れちゃ駄目なの~」
詳しい話を酒を情報量として手渡したテマレノに聞いると、支部の扉が蹴り破られるような派手な音を立てて開いた。
そしてそこから一人の女性が現れる。
年は二十代前半で、ほっそりとしながら手足に筋肉がちゃんと付いている事が分かる体型。女性らしさを残しながら、精悍さがそこに加わった引きしまった顔つき。
誰かを探しているのか切れ長の目は更に細められ、一つの三つ編みにした金色の後ろ髪が頭を動かすたびに揺れるので、獲物を前にした一匹狼を幻視してしまう。
剣呑な雰囲気に、たまたま支部の中に居た《探訪者》たちは身構えつつ、見目麗しい女性の目的を知る為に視線を送っている。
その身体は灰色の外套で覆っているので服装は良く分からないが、盾らしき物を持ち剣らしきものを帯びているのはその隙間から分かった。
そうして巡っていた彼女の顔が、テグスたち三人に合わさった途端、ぴたりと止まった。
「い、い……居たー! ようやく見つけたぞ、少年!」
震える指先で指差し、吠えるように大声を出すその女性が、テグスが誰だか分かった。
なにせ指を刺すために上げた腕に、あの特徴的な白い円形の盾がくっついているのだから。
「叙勲騎士で《正義の盾》のベックリアさんですか。今日は鎧を着てないんですね」
ベックリアも国に仕える騎士なので、てっきり軍と一緒に引き挙げたと思っていたテグスは、顔には出さなかったが内心でかなり驚いていた。
そして仕返しされても困るので、こっそりと逃げようと重心を後ろに下げた瞬間に、一足で至近に来たベックリアに両肩を両手で押さえられてしまった。
「逃げなくても良い。なに、別に命を取ろうというのではないのだ。少し恨み言を言わせてほしいと思って、少年を探していたのだ」
目は爛々と輝き、掴まれたテグスの肩の骨がギリギリと鳴っているので、まったくもって説得力がない。
「う、恨み言ですか?」
「そうだとも。あの粘液濡れでどうにか帰還し、その状態のままに上官へと報告する時に、どれだけ私が恥をかいたかを思い知ってもらおう」
そう小さな声で言いつつ、終わるまでは絶対に逃がさないと目で語られて、テグスはどうしたものかと苦笑いを浮かべてしまう。
すると支部内の不穏な空気を感じたのか、ひょっこりとレアデールが顔を出してきた。そして中心であるテグスたちの方へと歩いてくる。
そして肩を掴まれているテグスを助けるのかと思いきや、テグスの後頭部を手で押さえ、無理矢理ベックリアへと頭を下げさせる。
「この子がしでかした事は聞き及んでます。この度は大変なご迷惑をおかけしたようで」
「え、あっ、少年のご母堂殿で?」
突然の事に虚をつかれたのか、ベックリアは少し言い淀んだ後に、テグスとレアデールの見た目の種族の違いに混乱したようにそう問いかける。
「血は繋がってませんけれど。でも本当にこの子ったら、女性を粘液濡れにして悦に入るなんて、何処で教育を間違えたのかしら?」
「ぐっ――ご母堂殿、その件はあまり声を大にして言わないで欲しいのだが」
「あ、ご免なさい。うっかりしてたわ。ここじゃ何ですから、孤児院の方でお話ししましょう。テグスも確りと聞くのよ?」
「はい。分かってます」
テグスは視線でハウリナとティッカリはどうするか問いかけて、二人はどうやら孤児院の子たちが遊んでいる方へと向かっていく。
薄情者め、とテグスはつい心の中で呟いてしまう。
でも同じ状況ならきっと自分もそうするだろうと思い直し、前言を撤回して二人に心の中で謝っておくことにした。
そうして孤児院の広い調理場に場所を移して、ベックリアの盛大な愚痴大会が始まった。
「まことに、まことに、あの後は見るも無残、語るも無残な事になり果てたのだ」
「はいはい。ちゃんと聞きますし、聞かせますから。ゆっくりと喋っていいのよ」
そう窘めつつ、レアデールはベックリアの前へと水の入った杯を置く。
どうやらテグスを探していて喉が渇いていたのか、ぐっと一息にそれを飲み干してしまった。
「確かに、確かに私は少年の命を奪おうとした。それに対して少年が自衛の為に、あれを考え出していた。これは分かるのだ。だが、だが、《魔物》の粘液に塗れさせるなど。しかも見ず知らずの男どもと、粘液の中で身体を絡める事態に陥らせるなど。あまりにもあまりであろう。私は騎士になった今でも、女を捨てている訳ではないのだ!」
「そうよね。女性に対して、あまりにも度が過ぎた悪戯よね。幾ら終わった後、肌がつやつやになるって――あらほんと、つるつるだわ」
「うむ。この事だけは感謝しようかと考えてはいたのだ。なにせ騎士になってからは肌の手入れなどする暇が無い身ゆえ、これほどの艶やかな肌になったのは、童女の頃以来であろうか。だが粘液濡れとこの艶やかな肌が合わさり、野営地の方々からぶしつけな視線を向けられたのには、閉口したものだったが」
「軍内は男所帯だものね。ただでさえ女性は好奇な視線の的だって言うのにね」
「ご理解頂けますか、ご母堂殿。いえ、レアデール殿」
「まあ、知らない世界じゃないしね」
なにやら直ぐに意気投合してしまった二人に、テグスは身の置き所が無い。
しかもテグスのした事で、どれだけベックリアが不便したかの時はまだ良かったのだが。まったく知らない軍活動内の日常生活の話題や、二人の趣味の事にまで話が移ると、もうこの場に居なくてもいいのではないかと思えてきてしまう。
「あの~――ちょっとした疑問なんですけど。ベックリアさんって騎士なのに、領軍と一緒に帰らなくても良かったんですか?」
二人の会話の切れ目を狙って声を掛けたテグスに、二人からの視線が突き刺さる。
それで少しだけ言葉を途切れさせてから、本道に戻る前の話題として、テグス自身が不思議に思っていた事を尋ねてみた。
するとベックリアは、何かを思い出したかのように、両手を打ち合わせた。
「そうであった。私が少年を探していたのは、任務の一環であったのだった。ついつい恨み言に比重を置きすぎて、その事を思考の隅に追いやってしまっていた」
「そうなんですか。それでその任務っていったい何ですか?」
「うむ。私を手玉に――いや、私に苦戦をさせる程の少年は将来有望だからと、上司から勧誘して来いと仰せつかったのだ。時に少年、齢は幾つか?」
「十三ですけど」
「ふむ。兵士隊には後一年、予備騎士には後三年、齢が足りぬな。この度は縁が無かったと、上司には報告しよう」
「それはそれでいいですよ。まだ《探訪者》をやめる積りはありませんし」
「……そう可愛げのない事を言われてしまうと、今度は無理矢理にも入れたくなる」
「……面倒くさい性格してますね」
「騎士とは、灰汁の強い者の集まりであると、私の上司は常々言っておるからな」
そう言ってカカッと笑うベックリアの姿は、何とも男らしい。
「はてさて、任務も無事に達成出来、その上に望外な楽しい時間を過ごせた。ここらで私はお暇するとしよう」
「あらあら、あまりお構いも出来ませんで。ほらテグスも、一度くらいはちゃんと謝っておきなさい」
「この度はどうも、粘液濡れにしちゃって、申し訳なかったです」
「ムッ……金輪際、あの手の事は止めるのだな」
「それは約束できません――痛ぁー!」
「まったくこの子は。後で言って聞かせておきますから」
胸を張って約束するのを拒否したテグスの後頭部を、レアデールは平手で叩く。
流石のテグスも母親には形無しだ、と思っていそうな微笑みを浮かべて、ベックリアは帰って行った。
そして見送った後で、レアデールは顔をテグスへと向ける。
「ベックリアちゃん相手なら、女性の心に傷をつけるような方法じゃなくても、違った方法でやりようはあったんじゃないの?」
「お母さんは自分を基準に考えすぎだよ。それに準備に時間が掛けられなかったし。それにあれが有効じゃないかって、助言を――」
そう言いかけて、テグスはあの嫌がらせが誰の発案かを思い出した。
「――相手が女騎士だって話した時に、随分と嬉しそうだったのは、何が狙いなのかと不思議だったけど」
恐らく今頃は、あの陰気っぽい表情のままで、満面の笑みを浮かべているであろう相手を思い浮かべる。
そしてテグスはこの事について、文句を言いに行っても「有効だったでしょ」と流されそうで、諦めの溜息を吐いてしまうのだった。