68話 変わる《雑踏区》
先ほど見知った《探訪者》たちと別れてから、テグスとハウリナは先行し、ティッカリはその後ろを追うように、三人してあばら家の屋根の上を走っていた。
「屋根の上を走る、意味があるです?」
「そりゃもちろん。丁度いいから、あの先を見てごらん」
隣を走るハウリナの問いかけに、テグスは走る先のその先を指差す。
すると、その先にあったあばら家が一軒、唐突にバラバラに分解しはじめた。
その光景に目を見開いたハウリナだったが、何人もの人々があばら家だった木切れを持って、通路をふさぎ出したのを見て驚きは収まったようだ。
「ああやって家を壊したり道を塞いだりして、街の風景を変えて、人狩りたちを迷わせていくんだ」
「生きているみたいです」
ハウリナが言ったように、《雑踏区》が一匹の生き物みたいに、方々で家が消えたり増えたりし、道が塞がれたり繋がれたりを繰り返していく。
その大きな《雑踏区》という罠の中で、孤立した人狩りたちを狩ろうと、住民たちが襲いかかる音がする。
それはまるで、ここが《迷宮》の一部か、もしくは大きな《魔物》に変わってしまったかのような光景だった。
「ま、待って~、二人とも~」
光景に見入りながら屋根を警戒に走る二人の後ろで、ティッカリは屋根材の堅牢な部分を察しつつ踏みながら、どうにか二人に追いすがっていた。
「おっと、ティッカリが遅れちゃってる」
「ティッカリ、早く来るです」
「そんなにはやく、移動できないの~」
よくよく聞いてみると、ティッカリの足が踏む度に、屋根から小さな悲鳴のようなきしみ音がしている。
テグスとハウリナの二人に比べれば、重装備かつ巨躯なティッカリの体重を支えるには、あばら家の屋根材では少々力不足なのかもしれない。
「少し速度を落とそうか。その間に索敵するから。『動体を察知』」
「わふっ。耳と鼻を使ってみるです」
ティッカリの進行速度に合わせた二人は、テグスは索敵の魔術を使って、ハウリナは自信の耳と鼻を動かして、《雑踏区》の何処で戦闘が行われているのかを察知する。
テグスが知ったのは、近場に展開している三つの集団。
その内の二つは、蟻が蜜に集るかのように、四人の集まりに多数のの住民が襲いかかっている事。
最後の一つは、早々に住民を捕まえたのか、四人の集まりが街の外へと向けて走っている事。
緊急性が高そうなのは、街が居なく最後の一つの方だった。
「移動中だから、まだ間に合うとは思うけど」
「テグス。間に合うなら助けるです」
「様子見して、出来そうなら助けようか」
仮にその四人の中に、護衛役の兵士が居た場合は、テグスは早々に助けるのをあきらめる積りだった。
しかしハウリナがそれを聞き入れるかと不安視して、テグスはそっと彼女の表情をうかがった。
戦意溢れるその横顔に、テグスはレアデールが釘を刺した事が効いてくれればと、希望的な思いを抱いた。
「ハウリナと先に行くよ。ティッカリは遅れてもいいから」
「お先にいくです!」
「頑張って急いで行くの~」
テグスとハウリナは、察知した例の集団に向かって走り出した。
テグスとハウリナに狙われていると知らない四人組の集団は、それぞれ縄を掛けた気絶した男たちを背負いながら、街の外へと向かって走っていた。
暗がりにまぎれるためか、四人は頭から足先までを黒一色の服と靴を装備している、念の入れようだ。
どうやら彼らは、この《雑踏区》での人狩りをする熟練者なのだろう。
罠が待ち受ける道なりに進むのではなく、一定方向を直進するように、邪魔な建物や障害を打ち壊しながら進んでいる。
元々、簡素なあばら家だったり、板で道を塞いでいただけなので、彼らの蹴りの一撃で大穴が開いてしまう。
なので彼らは問題なく、外へ通じる道を走っていけているのだった。
だがそんな派手な音を立てる逃走に、住民が気がつかないわけはない。
「こんにゃろー!」
物陰から不意打ちするように飛び出した男が、手に持った角材を四人組の一人へと振り下ろす。
しかし狙われたその一人は、手を振るって迫る角材を折り飛ばし、続いて蹴りを腹に食らわせてその男を吹っ飛ばした。
「転がしておけ。運が良ければ、背負ったのを置いて戻った時に回収できる」
「はい、分かりました」
悶絶する男を捕縛する好機だというのに、統率役の言葉に従い、四人組は放って外への道を突き進む。
すると四人組の内の一人の黒い頭巾の下で、何かがぴくぴくと動いた。
「警戒。数は先に二、後続一。一直線に向かってくる」
「一人は俺と足止め。二人は俺らの荷物を持って先に」
「「了解」」
小さく呟くように伝え合い、それぞれ別れた。
「待つ、です!」
先に逃げる二人を追おうと、ハウリナが屋根の上を高速で走って行く。
声を上げて追うハウリナに注意が向くと予測して、テグスは屋根の上からなまくらな短剣をそれぞれ一本ずつ、身体強化の魔術を腕に込めてから、逃げる二人に向かって投げつける。
しかしハウリナの進行は、道から屋根の上に飛び上がってきた一人に道を防がれ。テグスの投擲した短剣は、横合いから投げられた小さな投剣で迎撃されてしまった。
「このー、退くです!」
気合を入れたハウリナが、塞いでいる一人に向かって黒棍を振り回して襲いかかった。
まともに当たれば《魔物》を一撃で殺せる威力のハウリナの攻撃は、あっさりと避けられてしまう。
しかも黒棍が目の前を通過した瞬間に、ハウリナに近寄るなどという、攻防の巧みさを見せてきた。
黒棍の威力を生かせる圏内のその内側に潜られて、ハウリナは慌てたように大きく後ろに跳び退く。
相手は追いすがるように膝を曲げ。しかし飛来してきた短剣を避けるために、少し上体を後ろに反らしてから、軽く後ろへと跳んだ。
「ハウリナ、大丈夫?」
「助かったです」
テグスは投げ放った短剣を補充するように、右手で箱鞘からもう一本抜く。
左腰の片刃剣を抜かないのは、先ほどハウリナとの攻防で相手が見せた、体捌きの上手さを警戒しての事だ。
相対するこの相手の実力は、このまま二対一でなら、どうにか勝てる相手だとテグスは感じていた。
しかし下から黒づくめの仲間が屋根に上がってきたので、そうもいかなくなってしまう。
武器を構えるテグスとハウリナに対し、相手の二人はゆっくりと腰の後ろから短剣を抜いて構える。
テグスが順手で構えているのとは違い、二人とも逆手に短剣を構えている。
テグスの方は、敵を一撃で倒す事を目的としている構え。
なので二人のその構え方は、敵に手傷を負わせて弱らせる事を目的としているように見えた。
事実として大外しはしていないだろう。なにせ、人を生きたまま捕らえることを目的とした相手なのだから。
「やっと、追いついたの~」
相手の出方を窺っていた両者のもとに、ティッカリが屋根の上を走って近づいて来た。
これで三対二。数の上ならテグス側が有利に立った。
そして防御力に優れたティッカリが前面に出れば、相手二人の持つ短剣など大した脅威にはならない。
しかしテグスは脳裏に様々な事を思い浮かべ、続いて今の状況を判断して、こう結論を出した。
「二人とも、もう意味がない。別の場所に行くよ」
「やっと追いついたのに~?」
「テグス、どうしてです!?」
「住民を持って行った人たちと離れ過ぎたよ。あの二人を相手してからじゃ、到底間に合わない」
「なら、急いで倒せば、間に合うはずです!」
テグスはハウリナが言うほどに、目の前の二人が容易い相手ではないと思っていた。
そして相手は時間稼ぎをすれば目的を達成する。加えて、そういう行為に慣れた相手なら、逃走するための手段だって持っているはず。
そうすると、ここで相手をする時間で、他の人たちを助けた方がまだ建設的だと、テグスはそう判断したのだ。
しかしそんな事を長々と、ハウリナに語って聞かせる場面ではない。
「ハウリナ。レアデールさんとの約束覚えているでしょ」
「うぅ……お母さんの言いつけだから仕方ないです……」
言う事を聞かせる魔法の言葉を使って、ハウリナの行動を抑え込んだ。
するとテグスたちに追いかける積りが無くなったと判断したのか、黒づくめの二人は唐突に身をひるがえして、先に逃がした仲間を追っていく。
「ま、待つです!」
納得し終えてなかった様子のハウリナが、咄嗟に追いかけようとすると、二人が先ほど立っていた場所に転がる二つの玉が唐突に光りを一瞬だけ放った。
「あっ、くぅぅ……」
薄暗い風景に目が慣れていたのだろうハウリナは、まともにその光を見てしまい、目を押さえて蹲ってしまう。
テグスとティッカリも、目を覆うのが少し遅れて、目に白い光が焼き付いてしまう。
そうして薄暗さに目が慣れるまで、多少の時間が必要となり。目が慣れたころには、もうあの二人の姿は何処にもなかった。
「『動体を察知』」
今後の予定も含めて、テグスは最大範囲で索敵の魔術を使用した。
逃げられたあの二人は、かなり遠くの場所にいた仲間二人と、すでに合流していた。どうやら逃げ足には随分と自信があったようだ。
そして《雑踏区》の至る場所で、住民と人狩りの対決は起こっている。連れ去ろうと、街の外へと移動する反応もいくつかある。
最後に屋根の上から見る景色は、昨日までのとは随分と違っている。
違いがないのは、《小迷宮》と、有名な店舗に、《探訪者ギルド》と孤児院の場所だけに、テグスには見えた。
そうして周りを確認していたテグスの裾が、横からくいくいと引かれた。
顔を向けると、そこには少ししょんぼりとした姿のハウリナが。どうやらあの二人に出し抜かれてしまった事を、しょ気ているようだ。
「目は大丈夫?」
「確りと見えてるです。次にいくです」
獣耳まで項垂れているハウリナの頭を、テグスは慰めるために優しく撫でる。
そんな事をしている間に、テグスが投げた短剣やそれを撃ち落とした黒づくめの投剣は、何処かの誰かに拾われてしまったようで、路地の上には影も形もなくなっていた。抜け目のない事だ。
ハウリナが撫でられて少し気分を持ち直したのを確認して、テグスとハウリナにティッカリは戦闘の音がする方へと、屋根伝いに走って行った。