66話 人狩り軍の事
ここは《迷宮都市》の外。《成功への大通り》に続く道の途上。
そこに二つの存在がいた。
一つは、千に届こうかという人の群れ。
一つは、たった一人の鎧を着た初老の男。
千の人は《迷宮都市》へと進むべく、顔を向け。
初老の男は《迷宮都市》を背負うかのように、背を向けて。
千の人が進む先に立ちはだかる初老の男。
だが千対一では、初老の男が勝てるはずもないのが道理。
しかし、男が腰に帯びた剣を抜き放ち、一つ振るったその示威たるや、千の行進を止めてしまうほどだった。
そうして止まった千に向かい、男は声高に言い放つ。
「この先は、我らが《探訪者》の聖地にして、誰の統治も許されぬ《ゾリオル迷宮区》。そこに軍靴を鳴らして踏み寄る、その方らに問う。何用であるのか!」
威圧を含むその声に、千の人が千の虫であったかのように、ただただざわめくだけ。
そんな中から、一人の馬の背に乗った男が前に出てきたのだ。
立派な真っ赤な外套をはためかせ、銀色にきらめく鎧を身に着けた、精悍さの中に老いが窺えるその男。
「《ザルメルカ王国》にて侯爵位を賜りし、エクスクリメント家が当主、ダークソゥ・コン・サルーポ・エクスクリメントである。我が領軍およびその配下を止めし、汝は誰ぞ!」
「《ゾリオル迷宮区》にありし《探訪者ギルド》を統べる者。名を、ゾールケイン」
お互いに名乗り合い、そして敵として認識し合う両者。
次に口を開くのは、《探訪者》の親玉である、ゾールケイン。
「《ザルメルカ王国》の領軍が何用であるのか。ここは何処の国にも属さぬ、何処の国の庇護も無き、神の試練場である! 即刻に立ち去るがよい!」
それに言い返すは、馬上にて睥睨し領主エクスクリメント。
「その試練場にて、不心得者どもの凶手にて落命し果てた、我が息子たちの仇討である。故に、大義あり!」
「何を持って仇を討つというのか。軍を引き連れ歩くからは、下手人の心当たりがあるようには見えぬ!」
「怪しい者の尽くを捕らえ、連れ帰り、取り調べ。罪ある者どもは、我が国の法にて裁きに掛ける事で、我が仇討とする!」
「白々しい建前を並べ、あきれ果てる道理を抱き、軍の力にてこの地に生きる人々を連れ去ろうとするとは。この地をご覧になられている神々が、抱腹し哄笑を上げていらっしゃる事であろう!」
「ええい、黙りおろう。《ゾリオル迷宮区》が法の無き地というのであれば、我らが歩みを止める法も無し。たかが爺の柔首一つ、千の軍勢で押し通っても良いのだぞ!」
もはや口頭にての相対は十分であると、領主エクスクリメントは腰の剣を抜き放つや、切っ先を天に掲げ上げる。
彼に従いし軍人どもは、それに瞬く間に反応して、各々が武器の柄を握る。
それを見たゾールケインは、カカッ、と大きく笑い飛ばす。
「確かにおぬし等を止める法は無し。しかして、おぬし等の身を守る方もない事を、肝に銘じて進むがいい!」
言い放ち、ゾールケインが剣を振り下ろすや、大気が吹き荒れ軍へと襲いかかった。
それに耐え、ゾールケインへ反撃と身構える千の軍の前には、もう姿は無し。
機先を失い、配下たちの指揮に陰りが見えた、《ザルメルカ王国》エクスクリメント侯爵の軍。
このままでは縁起が悪いと、そうそうにて近場に陣を敷き、《ゾリオル迷宮区》への進軍を足踏みをするのであった。
今日の朝方にあった出来事を、朗々と語っていた吟遊詩人へ、歓声と次の歌の要望が上がる。
それに応えて、リュートを手に持った吟遊詩人は、食堂に居る《探訪者》たちが好きな、英雄譚を弾き語り始める。
そんな中に居て、テグスとハウリナにティッカリは、注文した料理を食べながら、喋りはじめる。
内容は、もちろん先ほどの歌の内容についてだ。
「テグス。ゾールケインって誰です?」
「《探訪者ギルド》の盟主の一人だね。ここの《大迷宮》を制覇して、他の地の《迷宮》も数々制覇した後で、この地に戻ってきた。言ってみれば《探訪者》たちのあこがれの的の人だよ」
「一人で千人に立ち向かうなんて~、ちょっとカッコいいかな~」
「そこら辺の部分が、あの吟遊詩人の創作かは、ちょっと判断がつかないけどね。言い合いの部分は、色々と嘘臭いけどね」
そこで近くを通りかかった店員に、ティッカリがお酒の追加注文をしているのを見たテグスは、そっとハウリナの獣耳に口を寄せる。
「それより、意外な因縁がある相手のようだね」
「? 因縁、ってどういう事です?」
「エクスクリメントって聞いて――いや、分かってなさそうだから教えるけど。ハウリナの『元飼い主』の家名だよ、エクスクリメントって」
テグスが小さく言った途端に、ハウリナの獣耳とふさふさな毛並みの尻尾が、直立するようにして反応した。
そしてゆっくりと、ハウリナの顔がテグスに向けられ。その目は、冗談で言っているのではと尋ねている。
しかしテグスはゆっくりと左右に首を振って、本当の事だと言葉なく教える。
「あの兄弟が死んだせいで、街の人が狩られるです?」
ハウリナのそんな短い疑問の言葉の中には、彼女が奴隷ではなくなった――つまりは、テグスと出会って行動を共にした所為ではないかと、思っていそうな、そんな思い悩んでいそうな表情を浮かべていた。
テグスはその表情を見て、ハウリナの考え違いを笑い飛ばすように、一つ笑ってから彼女の茶と白が混じった髪を乱暴に撫でた。
「あの兄弟は、この街を襲う口実のために、親にダシに使われたのさ。そうじゃなきゃ、護衛も付けずにここに来させるもんか」
「そう、なのです?」
「ん~? 何のお話をしているの~?」
「あの歌の中で出てきた、死んだ侯爵の息子って。ちょっと前に《雑踏区》で馬鹿真似をして、あっさり死んだ貴族なようだって話てたのさ」
「テグスとハウリナちゃんって、その死んだ息子っていうのに、面識があったの~?」
「まあ、ちょっとした因縁がね」
「ふんっ。思い出すだけで、不愉快な相手です。お姉さん、オススメな肉料理の追加をお願いするです!」
しおらしげなのはお終いと、ハウリナは通りかかった店員に追加注文をし。
食べるぞと気合を入れて、机の上の料理に襲いかかり始めた。
すっかり調子を取り戻した様子のハウリナに、テグスは内心でほっと溜息をつく。
そして自分も追加の料理を注文するために、ティッカリに酒を運んできた店員を呼び止めた。
食事を終えた三人は、テグスが育った孤児院へとやって来た。
「にいちゃんと、ねえちゃんたちだ~!」
「わー、あそぼ、あそぼっ!」
「おみやげ、おみやげはー!?」
顔を見せた三人へ、普段と変わらずに元気な子供たちが群がる。
そしてテグスの手を引っ張ったり、こっそりと尻尾を握られて怒ったハウリナに追いかけられたり、ティッカリの腕に何人もぶら下がったりし始める。
孤児院の外に出られないうっ憤がたまっているのか、普段よりも多少元気が有り余っているようだ。
「ほらほら。テグスお兄ちゃんたちは、悪い人たちを懲らしめるのに忙しくなるんだから。疲れさせちゃ駄目よ」
そこにレアデールがやってきて、やんわりと子供たちを嗜める。
すると孤児院の中に居なきゃいけなくて暇な子供たちから、不満の声が上がる。
「「ええぇーー……」」
「何かしら、その声は?」
「「なんでもなーーい」」
レアデールがにっこりと笑いかけると、子供たちは解き放たれた鼠のように、一斉に走って去っていく。
聞き分けの良い子供たちの行く方を見た後で、レアデールはテグスたちへと顔を向ける。
「それで、三人はどうしたのかしら?」
「軍がくるのが明日以降なようだから、ちょっとお母さんの顔を見に」
「嘘おっしゃい。どうせ、精霊魔法で軍の様子を見て欲しいって、お願いに来たんでしょ」
「ひょ、ひょのとおりだから、鼻をふままないでよ~」
お見通しだとレアデールに鼻を摘ままれたテグスは、敵わない降参っと両手を上げる。
その態度を見たレアデールは、そっとテグスの鼻から手を放す。
「まあ、三人には食料品集めとかを手伝ってもらったから。その程度のお願いなら聞いてあげなくはないけどね」
「ありがとう、お母さん!」
「調子に乗らないの。今回は特別なんだから」
また鼻を摘まむぞと伸びて来るレアデールの手に、テグスは鼻を手で押さえながら後ろに下がった。
手の届く範囲からテグスが逃げたからではないだろうが、レアデールは伸ばしかけた手で窓枠を開けると、外の風を孤児院の中へと呼び込んだ。
そして彼女の口から歌が紡がれる。
「ねえねえ、風の妖精さん♪ ちょっと遠くに人が集まっているのがわかるかしら♪ その人たちの数が知りたいんだけど、教えてくれないかしら♪ お願いを聞いてくれたら、たっぷり可愛い可愛いしてあげちゃう♪」
小さな子に言い聞かすかのような声のお願いを、妖精は聞き届けてくれたのだろう、ふわりと吹き込んだ微風が、彼女の手のひらへと集まって向かっていく。
そのまま風が途切れるまで、レアデールは目を閉じて、風が触れている手に意識を集中させているようだった。
「ありがとう。随分と詳しく教えてくれて。ほんとうに、いい子いい子」
風が止み、目を開いたレアデールは、宙に居る小さな存在を撫でるかのように、優しげに手を中空に動かしている。
テグスには見えないが、レアデールの仕草から、そこに風の精霊が居るだろうことは分かった。
「それでどんな事が分かっ、わっぷ」
「ふふっ。男はせっかちだと、嫌われるわよ」
ついつい結果が知りたくてレアデールに尋ねてしまったテグスの顔に、空気が塊となってぶつかってきた。
思わず声を詰まらせたその姿を、レアデールに笑われてしまった。
「まだちょっと、風の妖精さんのお相手しないといけないから。テグスが知っている事を先に教えて」
「じゃあ、えっと――」
テグスは食堂で吟遊詩人の歌で聞いた内容を、レアデールへと語った。
すると、終わり際にレアデールが苦笑を漏らした。
「ふふっ。千人だなんて、随分とお話を盛ったわね」
レアデールはそう呟きながら、手に止まった小鳥を空へ放つような動作をした。
どうやらレアデールの手で撫でられていた風の妖精は、満足して去って行ったようだ。
「結論から言っちゃうけど、天幕の数と外に居る人の数から。全部で大よそ五百人ってところね」
「五百人か……それでも多いよね」
「確かにいつになく規模は大きいけど。その大半は、何時もの通りに奴隷商とその子飼いたちね。軍の兵士の数は、百もないんじゃないかしら」
その事を聞いて、テグスはあの吟遊詩人の歌が、嘘だらけであった事を今更ながら分かった。
「どういう事です?」
「相手は奴隷商ばかりで、軍人を相手にする機会は少ないってことだよ」
分かってなさそうだったハウリナに、テグスは掻い摘んで説明した。
だがレアデールは、テグスの早合点を正すかのように、言葉を続ける。
「それでも兵士が百人近くいるのは脅威なのよ。つまり、奪還戦を仕掛けると返り討ちになっちゃうってこと」
「ああそうか。軍人たちは、狩り集めた人たちの監視と護衛ってこと」
納得するテグスとは裏腹に、《迷宮都市》で起こる人狩りの事を良く知らないハウリナもティッカリは、良く分かってなさそうだ。
「つまり、一度捕まっちゃうと、誰も助けられないってことよ。だからハウリナちゃん、約束はちゃんと覚えておいてね」
「わ、わふっ。あれです。お母さんが言うから仕方がない、です!」
「ふふっ、良く出来ました」
ハウリナの頭を優しく撫でるレアデールを見ていた、テグスの服の裾が軽く引かれる。
顔を向けると、ティッカリが少し難しそうな顔をして立っていた。
「結局は、どうしたらいいの~?」
話の筋が移動して、結果どうなったかをまとめ切れなかったらしい。
「人狩りの人たちに捕まらずに、逆に倒してしまう。軍人からは取り敢えず逃げる。捕まった人たちの救出は考えない。って事だね」
「なるほど~。取り敢えず、倒せそうなら倒せばいいのかな~。逃げる判断は、テグスがしてくれるだろうし~」
「それでいいとおもうよ。どうせハウリナやティッカリと、別行動することなんてないだろうし」
頑張る、と気合を入れるティッカリを見て、少しだけ今後の事に不安を抱くテグスだった。