4話 《小三迷宮》
正式に《探訪者》になったテグスは、初日から張り切って《小迷宮》へと繰り出した。
目指すは近場の《小三迷宮》と呼ばれる、《小迷宮》でも一番優しいとされる迷宮だ。
まだ朝早い《雑踏区》の大通りを歩き、酔い潰れたり薬で昏倒している浮浪者が横たわる路地を抜け、気だるげな街娼が立つ裏路地を通る。
裏路地は狭く、そしてゴミだらけなので異臭を放ち、建物の屋根が光を遮り薄暗い。
そんな場所に入って歩いていると、背負子を持つテグスの胸元で揺れる、真新しい《鉄証》を見て、カモだと色めき立つ者たちが時折現れる。
しかしそういう輩の多くは、テグスの左腰にある立派な見た目の剣と、逆に使い込まれた風情の多数の短剣が入った箱鞘が右腰にあるを見て、早々に諦めて視線を外していった。
その判断は正しく、彼ら彼女らの命を救う結果となった。
「かね、かねぇ~。薬の金ぇ! ぐげ、ケヒャ……」
なにせ薬で現実と夢の区別があやふやになった、げっそりと痩せた浮浪者が襲い掛かってきたのを、テグスはあっけなく腰の短剣で胸を一突きして黙らせたのだから。
テグスは短剣を抜き、薬物中毒者の亡骸の服で血糊を拭うと、痛み具合を確かめてから箱鞘に短剣を戻した。
そして亡骸を路地の隅へと蹴り退かして、《小三迷宮》に通じる道を平然と歩いていく。その後ろで、死体を漁り始める浮浪者を気にしてないかのように。
そのまま朝早くから開いていた露店で安値で売られている食べ物を購入したり、懐に手を伸ばしてきた大人のスリの手を折ったり、物欲しそうに見ていた浮浪児に食べかけの食べ物を手渡したりしながら、裏路地を歩き続ける。
やがて密集する建物の中に、ぽっかりと開かれた空間があった。
それは一見すると、巨石で組まれた祠がある手狭な公園に見えるだろう。
しかしここが《小三迷宮》と呼ばれる場所で、祠はその出入り口だ。
「あれ? 警備の人が居ないや」
まだ朝早いからか、それとも《小迷宮》という場所柄か、祠の出入り口で立っているはずの警備の姿は無かった。
これでは《探訪者ギルド》に登録していない誰でも《小迷宮》に入れてしまうのだが、それを問題視する積りも必要もテグスには感じられなかった。
「警備が居ても普通に《雑踏区》の住人が入り込んじゃうしね」
そもそもこんな場所に警備に回されるような輩は、まともな職務意識を持っている筈が無く。
テグスがもっと幼い時には、警備で立っている人の横を、普通に浮浪者が入っていくのを何度と無く目撃した事もあった。
もっともそれは《小迷宮》の場合だけで、《中迷宮》からは警備の人は真面目に職務に励んでいた、忍び入る事は不可能な程に。
「さてさて、じゃあ正式な《探訪者》になっての初依頼と初迷宮に、初《迷宮主》制覇も加えちゃいますか!」
ぱしっと両頬を両掌で軽く叩いて気合を入れたテグスは、右腰から短剣を一本取り出してから、祠の中にある下へと進む階段を降りていった。
《小三迷宮》は《大迷宮》の時とは違い、洞穴のような岩肌の通路に、等間隔で小さな光の玉が浮かんでいた。
それは誰かが魔法や魔術で生み出しているのではなく、《雑踏区》にある七つ全ての《小迷宮》を作った《技能の神ティニクス》の慈悲による御技だと言われている。
そんな光の玉に照らされた通路は、日の出間近だった外よりも明るく、遠くまで良く見えた。
実際に、遠くの方に蠢く生き物をテグスは視界に捕らえた。
「ジェリムだ。一匹だけかな?」
それは手毬大の水が固まったような、中心に青い石のある半透明の身体を持つ、手足や顔も無い変な見た目の《魔物》だった。
天井や壁に他のジェリムと呼んだ《魔物》が居ないかを、テグスは素早く確認してから、見えているジェリムへと駆け出す。
背負子を持っているとは思えないほどの速さで近付き、右手の短剣をジェリムの身体へと横薙ぎに滑り込ませる。
大半の身体を両断されたジェリムは、中心にあった青い石を残して、水溜りに変わってしまった。
「《殲滅依頼》では死体は放置ってことだけど、ジェリムって死体って言うのかな?」
短剣に纏わり付いた水気を振って落としつつ、テグスは小首を傾げてその青い石を見つめる。
それは失った身体を取り戻そうとしているかのように、表面に水滴が浮かんで、それが段々と増えていく。
「水石がジェリムに戻るのって、どれだけの時間が必要だったっけ。うーん、忘れちゃったなぁ……」
テグスは随分と久々にジェリムを相手にしたので、その特性の多くを忘れてしまっていた。
だがそれでも大丈夫なくらいに、テグスとジェリムの実力は隔絶した開きがあるので、問題無いといえばその通りである。
「まあ放って置いても、誰かが持っていって、飲み水用に使うだろうし。奥に進もうっと」
水石はその名前と今起こっている現象の通りに、水を産む石であり。
井戸など掘れない《雑踏区》の住居には、これが貴重な水源として常備されている。
もっとも生み出す水の量はさほど多くは無いので、水瓶の中身を一日で一杯にするには、かなり多くの水石が必要だ。
テグスの居た孤児院では、レアデールが《精霊魔法》を使えたので、あまりお世話になった事が無い。
「しかし《殲滅依頼》が出ているっていうのに、あまりジェリムは居なかったな。皆が狩って行くのかな?」
とりあえず、余り広くない《小三迷宮》一層目の隅々まで巡って、テグスはジェリムを駆除し終わった。
階段を降りてニ層へと進み、再度ジェリムを倒していく。
すると大人の顔ほどの大きさのある青白い芋虫が、ジェリムに顔を突っ込んで水を飲んでいる場面に出くわした。
「《白芋虫》が居るよ。ここでは、三層か四層の《魔物》の筈なのに」
不思議そうに首を傾げながら、警戒していないかの歩みで近寄ると少し屈み、右手の短剣で《白芋虫》と呼んだ《魔物》をジェリム共々切り飛ばした。
するとジェリムは水石を残して水溜りへと還り、《白芋虫》は傷口から白い体液を零れさせて動かなくなった。
「ふむ、やっぱり普通の《白芋虫》だよね。下の階層から上がってきたのかな?」
短剣にこびり付いた体液の匂いを嗅ぎつつ、テグスは不思議そうな顔を続ける。
そのままの顔を維持しながら、《白芋虫》の死骸を脇に蹴り退けて、通路を先に進む。
次の二層目も脇道も巡って、大多数のジェリムと少数の《白芋虫》を、斬ったり蹴ったりして仕留めつつ、階段を降りて三層へ。
今度は二層目とは逆に、少数のジェリムと大多数の《白芋虫》を屠り続ける。
「昔も小腹が空いたら、《白芋虫》を切って食べてたっけ。炙った方が美味しいんだよね。今の孤児院の子たちは食べるのかな?」
過去を懐かしむように、三層で仕留めた《白芋虫》を左の短剣に突き刺したまま持ち、それに口を付けて食べながら、階段を降りて四層へ。
階段を降り切った瞬間に、テグスは唇の端を引きつらせた。
「いや、多すぎでしょう。足の踏み場が無いというか、《白芋虫》を踏んで始末するしかない状況だよ」
そこには床一面を埋め尽くす《白芋虫》の群れがいた。
それはテグスが見ることの出来る通路にも溢れ、ひしめき合っている。
天井付近に浮かぶ光りの玉に照らされて、表面を照り返す芋虫の群れに、慣れているテグスですら薄気味悪い気分の悪さを感じてしまう。
「これは殲滅のし甲斐があると、思った方が良いのかなぁ……」
押し合い圧し合いし続けて苛立ちが溜まっていたのか、テグスを見た《白芋虫》たちが一斉にテグスの方へと押し寄せてきた。
テグスは面倒臭そうに群れを見つめ、先頭の一匹を右足で踏みつけて潰す。
そして《白芋虫》の群れに足が飲み込まれない内に、足を引き抜いて左足で別のを踏み潰す。
それを交互に繰り返して、どんどんと《白芋虫》を殲滅していく。
時々、根性のある《白芋虫》がテグスを押し倒そうと飛びかかってくるが、両手に持った短剣のどちらかで斬り捨てる。
やがてテグスの膝から下と肘から上の部分が白く染まりきったところで、漸く《白芋虫》の波が落ち着いた。
「うへぇ~……べとべとする」
背負子を下ろして水筒を取り出そうとしたテグスだったが、床が真っ白に染まっているのを見て、背負子まで白く塗りつぶす積りはないため諦めた。
不快感からの苛立ちを紛らわすように、視界に入る白芋虫を始末していく。
それこそこの階層の隅から隅までの《白芋虫》を狙って、根絶させる勢いで突き進む。
迷宮の《魔物》はどれだけ殺そうと、期間を空けると必ず一定数発生するので、絶対に根絶させる事は出来はしないが。
「よし。四層終わり!」
ふんすっと鼻息を吐き出して、テグスは五層に向かう階段を下っていく。
その途中で思い出したかのように背負子を下ろし、水筒を取り出して大雑把に手と足の白い汚れを落とす。
ややスッキリして、五層に到着したテグスは、再度嫌そうな顔をする。
「そう言えば、五層からは『動く小枝』が相手だっけ」
テグスの視線の先には、テグスの足から胸ほどの長さの、樹から手折った様な木の小枝があった。
しかしその枝は地面に対して直立していた。葉のある枝を動かして、歩いてもいる。
その様子から正式名称は別にあるらしいが、テグスはこの《魔物》を『動く小枝』と呼んでいた。
「こいつ面倒なんだよね、近づくと攻撃してくるし!」
近寄ってきた動く小枝に、横薙ぎの蹴りを当てる。
すると枯れ枝の様な乾いた音を立てて、真ん中から折れて動かなくなった。
「偶に湿気ってて折れないのがあるのが厄介なんだよねぇ~」
次に蹴った枝はその湿気った奴だったらしく、皹が入るだけで持ち堪えた。
「かといって、なまくらな短剣使っていたら、何時か折れちゃうだろうし。鉈でもあればって、剣持ってるし!」
予備があるとは言え、新米探訪者になって《小迷宮》しか行けないテグスには、手軽に補充出来る手段が無いため慎重になっていた。
しかし自分の腰にあるのは、短剣だけではないと思い出したようだ。
右手の短剣を仕舞い、空いた右手で左腰の真新しい剣を抜き放つ。
餞別に貰ったこの身幅の厚い片刃の剣は、一見すると鉈のような外観のため、枝相手には良く斬れそうに見えた。
「じゃあ、試し、斬り!」
軽く振りかぶり、鉈のような扱いで剣を動く小枝へと打ちつける。
すると全くの手応え無く、剣は動く小枝を通過した。
何が起きたのか分からない様子のテグスに、動く小枝が攻撃しようと枝をしならせた瞬間、剣が通り過ぎた場所から真っ二つになり地面に倒れた。
「……すごい切れ味だ」
小枝とは言え、木を全くの手応え無く斬り捨てた剣の切れ味に、テグスは恐ろしくなって怖々と鞘に収めた。
「うん。ちゃんと扱えるようになってから使おう。危ないし」
手に馴染んでない名剣ほど危ないものは無いと、テグスはこの《小三迷宮》で多少苦戦しようと、なまくらの短剣を使い続ける事を決めた。
その後は、動く小枝相手に蹴り折り、殴り折り、投げ折って進んだ。
降りた六層では少し動く小枝の数が増えていたため、数に負けてうっかり枝で切り傷を作ったが、どうにかこうにか《殲滅任務》を続けていく。
「ふぅ、ようやく最下層だ。結構厄介だったな《殲滅任務》って」
普通ならば足の速さで振り切るのに、真面目に相手して気疲れもしたのか、疲労感のある表情を浮べ、《小三迷宮》の《迷宮主》の居る場所に繋がる小部屋で小休止を取った。
そこでテグスのお腹がぐうぅ~っと情けなく大きく鳴った。
「ここまでよく動いたし、腹も減るさ」
誰に言い訳するわけでもなく独り言を呟いて、背負子の底にある隠し箱に入れてあった《中町》産の携帯食料を一つだけ取り出した。
「はぐ、もぐ。味は不味いけど、相変わらず腹に溜まるよね」
テグスの掌大の丸い団子状の携帯食料に噛り付き、水筒の水で口の中のを飲み下せば、胃にかなりの満足感を感じ始める。
あっという間にぺろりと平らげたテグスは、もう一つ携帯食料を食べようか悩んだ。
しかし《迷宮主》を倒せば直ぐに帰れるしと止めておいた。
「ふぅ、じゃあもう一頑張り行きますか」
もう一口だけ水を飲んだテグスは、背負子の中に水筒を戻し入れると、背負わずに左手で持って《迷宮主》の居る《迷宮主の間》に入った。